第4日 6月25日(日)ont> 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Morehampton Townhouse --- Powerscourt House and Gardens --- Mount Usher Gardens ---
Arboretum Kilquade --- Killruddery House and Gardens --- Morehampton Townhouse
今日の走行距離 119 km
今日の万歩計 18,700 歩
今日の出発時気温 14.0 ℃
モアハンプトン・タウンハウス Morehampton Townhouse
昨夜は夜中に雨が降ったようだ。少し肌寒い気温だ。今日は朝一で昨日確認したラウンドレットに洗濯物を預けるのだが、
日曜日の営業は朝10時からと遅いのだ。ポストカードなどをしたためゆっくりした朝を過ごす。
今日のブレックファストも昨日の写真を使い回したように変わらぬメニューだが、いっこうに厭きないのがこのメニューなのだ。今日も美味しくいただく。
10時10分前にオール・アメリカン・ラウンドレットに到着。既に一人並んでいる。先着者はセルフのランドリーだったので1番に受付を済ませ、いざパワーズコート・ハウスへ。
パワーズコート・ハウス&ガーデンズ Powerscourt House and Gardens
パワーズコートは3回目の訪問となる。ダブリンを訪れたら欠かせないガーデンだ。
なんと言ってもこの荘厳さが堪らない。レセプションからガーデンに出でると、そこがイタリアン・ガーデンだ。ハウスの前にテラスが広がり様々な像や欄干が美しい。
最初に目に飛び込む彫刻が“名声と勝利(Fame & Victory)”だ(写真下左)。1866年に第7代パワーズコート子爵(7th Viscount of Powerscourt)が
ベルリンのヒューゴ・ハーゲン(Hugo Hagen)教授に造らせたものだ。元のデザインはドイツの有名な彫刻家ラオホ(Rauch)によるものだ。
テラスからは下のトリトン湖(Triton lake)まで階段と緩やかな坂道を下っていくデザインだ。1840年代にダニエル・ロバートソン(Daniel Robertson)により設計され、
100人以上の労働者を使って12年の歳月を要し造られたのだという。トリトン湖の先にはウィックローの美しい山々が望める(写真下中)。目の覚めるような光景だ。
2段目のテラスからハウスを振り返る(写真上右)。パワーズコートの歴史は13世紀に遡り、それまでの城を初代子爵(1st Viscount)が
ドイツの建築家リチャード・キャッスル(Richard Castle)に設計させ、工期11年を要し1741年に完成したパラディオ式(Palladian)の美しい邸宅だ。
部屋数は68室もあるのだという。
写真上のハウスの両脇の左側の像はベルヴェデーレのアポロ(Apollo Belvedere 写真下左)だ。弓矢を放った瞬間の姿だ。一方右側の像は狩人のダイアナ(Diana the Huntress 写真下左から2枚目)だ。
射止めた鹿を左手にしている。台座に掘られているのはパワーズコート家の紋章(Coat of Arms)だ。1対の翼のある馬が刻まれている。
3段目のテラスの床は白色と黒色の玉石を使ってモザイク模様が描かれている。
アイアン製のフェンスと相俟って実に優雅だ(写真下左)。フェンスの端には"The Bronze Group of Children"と名付けられた1対の像が置かれている(写真上右2枚)。
子供たちが犬と戯れている。ヴェルサイユ宮殿の彫刻を模倣してフランスで造られたものだという。
至る所に彫刻が配置されている。1段目のテラスのものは白い大理石製のもので統一されていたが、2段目からのテラスや階段の欄干に置かれた像や
コンテナや壺(Urn)などは
"The Bronze Group of Children"と同様、青銅製のもので統一されている。心憎いばかりだ。
テラスから見下ろす下のテラスはパルテール(Parterre)もゆったりとしたデザインだ(写真下中)。
パワーズコート・ガーデンは全体で47エーカー(東京ドーム4つ分)と広大だ。イタリアン・ガーデンも広すぎて全体像がつかみにくい。
ホームページのこの写真でも1段目のテラスは写っていないのだ。
4段目のテラスに下りると3段目のアイアン製フェンスの下に噴水がある(写真上右)。"The Sundial Fountain"と名付けられている。名前の通り中央に日時計がある。
ロンドンのセントポール大聖堂の設計者フランシス・ペンローズ(Francis Penrose)の設計だという。水を吐き出すブロンズ像を"Spitting Men"と呼ぶらしい。
17世紀のイタリアの作で1872年に第7代子爵がロンドンのクリスティーズから購入したという。絶え間なく口から水を吹き出す姿はグロテスクでさえある。
真ん中の半円形部分の像は“アポロ”だ。その下にイタリア語で"Horas non numero nisi serenas"と書かれている。英語では"I count only the sunny hours"という意味だ。
日時計だけに“晴れた時間だけカウントする”すなわち“明るく行こう”というポジティブなモットーなのだ。
壮大なパルテール(写真下左)を観賞しつつ通路の階段をさらに4段下りる。都合8段目のテラスだ。トリトン湖を背に等身大の翼を持つ馬(ペガサス)の象が1対ある(写真下中)。
上述のパワーズコート家の紋章に由来していることは間違いない。銘は"The Winged Horses"、亜鉛製だという。1869年に“名声と勝利”と同じくヒューゴ・ハーゲン教授が制作したものだ。
トリトン湖の中央で盛大に水を噴き上げる噴水はローマのバルベリーニ広場にある噴水を模倣したものだ(写真上中・右、下左)。
すっかり苔むして形が分かりにくいが、裸の男性が吹く法螺貝から水が噴き出ているのだ。
湖を時計回りに巡る。左手の谷底にジャパニーズ・ガーデン(Japanese Garden)が見えるが、これはいただけない(写真下左から2枚目)。
イタリアン・ガーデンの素晴らしさに比較し、何と残念なことだろう。
振り返ると雄壮な噴水、今にも飛び立ちそうなペガサス、装飾された階段の先に優美なハウスが見られる(写真上右)。2つの緑青色のドーム屋根が印象的だ。
ペガサスの裏側の湖畔にも1対の石像がある(写真下左)。立派な像なのに草に埋もれているし、この像に関する情報は皆無だ。勿体ない。
トリトン湖から離れ森の中を歩いて行くと"Rhododendrons Walk"の一角に"Pets Cemetery"が現れる(写真下中)。歴代の居住者のペットの墓だ。
ペットの種類はポニー、ジャージー牛、パワーズコート馬、赤リスなど様々だ。墓標の数と立派さはアイルランド一のペット墓地と謳われるだけのことはある。
"Rhododendrons Walk"のシャクナゲは花期が終わっているのでパスしてウォールド・ガーデンの方向に向かうと現れるのが"The Dolphin Pond"だ(写真上右から2枚目)。
樹齢150年の日本赤杉(Cryptomeria japonica)に囲まれた楕円形の小さな池だ。
ここの池はパワーズコート・ガーデンの中でも最も古い部分で既に1740年の地図に出ていて、当時は"Fish Pond"と呼ばれていたという。
その後 "The Green Pond"と呼ばれるようになり、19世紀後半に第7代子爵がパリで購入した4頭のイルカの彫像が飾られた噴水を設置したことから
"The Dolphin Pond"と呼ばれるようになったのだ。
続いてウォールド・ガーデン(Walled Gardens)に南のゲートから入る。このゲートは"The English Gate"と呼ばれ、1873年にイギリスから持ち込まれたものだ(写真上右)。
このゲートの装飾にはバラ(Rose 中央)、シスル(Thistle 左)、シャムロック(Shamrock 右)のモチーフがある。
それぞれイングランド、スコットランド、アイルランドの国花であることは言わずもがなだ。
ゲートを潜るとガーデンの中央を真っ直ぐに幅の広いダブルボーダーが貫く(写真下左)。アイルランド最大のボーダー・ガーデンと謳われる。
ウォールド・ガーデンの多くは19世紀・ビクトリア朝に造られており、その機能は居住者に野菜や果物を供給するキッチン・ガーデン(kitchen garden)だったのだ。
その面影が壁を伝う果樹に見られるのみだ(写真上右)。かつては野菜や果樹が植えられていたスペースは美しい芝生が敷かれている。
ボーダーの幅は15m、長さは100mを超えるだろう。植栽は左右対称ではなく、所によりシックな所によりビビッドな色合いを見せる。
手前から奥へ背丈を高くし、そして左右にうねるように高さを変えた植栽はゆったりとしていて心落ち着く(写真下中・右)。
全体的に抑えめな色調で好感が持てる。色だけでなく葉っぱの形や質感も様々な組み合わせが凝らしてあり、見応えがある(写真上3枚)。
見事なカラースキムであり、コントロールだ。
ボーダーを4分の3ほど進んだところに楕円形の池があり、中央に貝殻の中でラッパを吹く人魚の噴水がある(写真下左・中)。
そのラッパから水が滴り落ち水面に波紋をたてる。水面を飾る睡蓮も繁殖しすぎず爽やかさを感じる。
ボーダーの終わりに唯一のバラを発見する(写真下右)。これも計算か?
ダブルボーダーが終わる地点でウオールド・ガーデンは区切られている。その境のゲートが"Venetian Gate"だ(写真上左)。
イタリアのヴェネチアで1900年に造られたものだ。パワーズコート卿が「ブドウの葉と実のモチーフが
キッチン・ガーデンに相応しい」と言ってここに設置したのだ。
ゲートを潜ると東西100m、南北60mほどの長方形のガーデンだ。全体に芝生が敷き詰められ、そこに花床を切ってパルテールになっている(写真上左から2枚目、下左)。
目の覚めるような鮮やかな色使いだ。しかし、ダリアの支柱はちょっといただけない(写真下左)。
ダリアは花首が弱いので支柱が不可欠なのだが、もう少し目立たない工夫をしたいものだ。
西の壁から森の中のロング・ウォークに繋がるゲートが"Bamberg Gate"だ(写真下中)。ドイツのバンベルグ大聖堂から来たもので240年前のものだという。
遠近法の扉がゲートの先のロング・ウォークをより遠く感じさせる仕掛けだ。門柱前のコンテナの植え込みもパルテールと色彩を統一している(写真上右から2枚目)。
北側の壁に沿ってビクトリアン・グラスハウスが2棟建っている(写真下左)。その周辺は一面ローズ・ガーデンとなっている(写真上右、下3枚)。 心踊るほどにホットな色合いだ。鮮やかな色と馥郁たる香りを楽しみながら時間をかけて散策する。
2つの温室の間、ダブルボーダーからの通路が突き当たるところに"Julia's Memorial"がある(写真下中・右)。第7代子爵夫人"Julia"を記念して息子が1931年に造ったものだ。
"Julia"はイギリスの第2代レスター伯爵(2nd Earl of Leicester)の長女で、このウォールド・ガーデンの植栽を担った人だ。
5m四方の正方形の池があり中央に魚に乗った青年が吹くラッパから水が吹き出る噴水がある。その後ろの壁のニッチに"Julia"の胸像が置かれている(写真下中)。
その下の4つの胸像はイタリアの4大巨匠のマイケル・アンジェロ(Michael Angelo)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo Da Vinci)、ラファエロ(Raphael)、
ベンベヌート・チェッリーニ(Benvenuto Cellini)だ。
ウォールド・ガーデンの東の壁のゲートが"The Chorus Gate"だ。17世紀のドイツのゲートを模倣したものだという。
トランペットを吹奏する人の顔のフォルムが幾つもあって楽しい。
"The Chorus Gate"を抜けるとイタリアン・ガーデンの1段目のテラスに戻る。ハウスの前に立つ重厚な彫像は"Laocoon"だ(写真2つ上右)。
ギリシアの伝説に基づいて造られたもので、神官ラコーンとその息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にしたものだ。
オリジナルはバチカン美術館に所蔵されており、そのコピーを第6代子爵が1848年にローマで購入したもので大理石製だ。
そのおどろおどろしさに寒気を感じる。
買い物を楽しみにしてきた園芸ショップ"Powerscourt Garden Pavilion"を物色する。ガーデン仲間の I さんがガーデンにゲストハウスを新築したので、
そのお祝いをこの旅で見つける予定なのだ。マイガーデン用のオーナメントも見つけたいと期待してきたのだが、琴線に触れるものがなく残念だ。
草花や野菜の種を20袋ほど選ぶ。
マウント・アッシャー・ガーデンズ Mount Usher Gardens
マウント・アッシャー・ガーデンズは初めての訪問だ。
1868年からウォールポール家(Walpole family)が4世代にわたり管理してきたガーデンだ。“アイルランド一ロマンチックなガーデン”と評価される。
ウィリアム・ロビンソン(William Robinson)は当時流行した華やかな草花で飾ったガードネスク・ガーデンを殊の外嫌い“庭園は自然を尊重するものでなければならない”
と唱えた19世紀後半のアイルランドガーデナーである。この考え方は20世紀初頭の英国におけるコテージガーデンの誕生につながったのだ。
そのロビンソンの提唱を強く受け継いでいることから"Robinsonian Wild Garden"とも謳われる。
バートリー川(River Vartry)の畔に沿った22エーカー(東京ドーム約2個分)の広さに世界中から5000種もの植物を集めている。
入場すると道は2つに分かれている。1つは川畔を歩くリバー・パス(River Path")。もう1つはツリー・トレイル(Tree Trail)という樹木を観察しながら散策するルートだ。
イギリスとアイルランドには巨木・古木を登録する"The Tree Register"という組織があり20万本が登録されているという。その中で種別に最も樹高の高いものを
チャンピオン・ツリー(Champion Tree)とよんでおり、4000以上の木が認定されているのだ。ここには32のチャンピオン・ツリーがあるのだという。
しかし、こうしたものの多くは森の中あり、その木の全体を見られるとは限らないのだ。「労多くして功少なし」はたくさん経験しているので、今日はリバー・パスを歩くことにする。
リバー・パスからは清らかな流れが見える。時に川を離れても爽やかな水音は常に聞こえる。
水音が響くのは流れの至る所にカスケードを築いてあるからだ(写真上右、下左から2枚目)。川の向こう側に美しいハウスが見えてきた(写真上左・中)。
リバー・パスからも時に大きな木が見られる。アカスギは自然のままで余り手を入れられていないことが分かる(写真上左)。 ユーカリも天をつく大きさだ(写真上右から2枚目)。シャクナゲの木も大きなものが多い(写真上右)。
ワイルド・ガーデンとかナチュラル・ガーデンというと、とかく手抜きの荒れ放題のガーデンの言い訳けにされ勝ちだが、それは間違いだ。
あくまでも自然に見せているのであって、コントロールは怠りないのだ。草花の種類は川沿いだけに水生植物や湿性植物が多い(写真上左・中、下左・中)。
ハウス下流の橋を渡りハウス近くまでやってきたが、ハウスの周辺はプライベートで立ち入れない。形といい色といい、とても瀟洒なハウスだ(写真上右)。
ワイルド・ガーデンとはいえハウスの周りは芝生の広場が多い。南側には100mもあろうかという芝生のロング・ウォークもある。
両サイドにはエキゾチックな樹木が植えられている(写真下左)。
ナショナル・コレクション(絶滅が危惧される植物)のユリも見られる(写真上左)。つるバラも大きな樹木を覆うように絡まっている(写真上右から2枚目)。 多種の水生植物や湿性植物の織り成す色合いはもはやワイルドとは云えまい(写真上左から2枚目、下左)。ウッドランド・ウォークと考えると今までに見たことがない美しさだ。
パーキングやショップ、カフェの賑わいが嘘のように人に出会わないのだが、1組だけアラブ系のカップルが後になったり先になったりしている。
写真を撮る際、いちいちわざとらしいポーズを取るのが目障りだ。ましてや男性までポーズを取るのはいただけない。
岸辺の紫陽花が水面に美しく映る様(写真上左)が見られる吊り橋で交互に写真を取り合っているところに追いつくと、2人の写真をとってくれと頼まれる。
撮っているこちらが恥ずかしくなるようなポーズの2人を撮ってあげると「2人を撮りましょう」言う。素直に受ける(写真下左)。
ここのショッピング・コートヤードにもアボカ(Avoca)が出店しているが、後ほどダブリンのアボカに立ち寄る予定なのでパス。
ここのガーデン・ショップにもめぼしいオーナメントは見つからない。草花の種を3袋ゲット。秋の種まきが忙しくなりそうだ。
アーボリータム・キルクエード Arboretum Kilquade
ダブリン近郊のガーデン・センターをネットでリサーチした。最も大きくて期待できそうだったのが
アーボリータム・キルクエードだ。次のガーデンの前に寄り道する。
期待通り大きなショップだ。プランツ売り場を通り抜けて店に入る。思うようには見つからない。1つだけ気に入ったものがあるが、大きすぎてスーツケースに入る代物ではない。
諦めようと思ったが、私達の旅のショッピングの鉄則は“迷ったら買う”だ。とりあえず重さを確かめようとしたが、壁に固定されていて外れない。
店員を呼んで「重さを確かめたい」というと奥から箱入りの在庫品を持ってきた。やはり、大きいし重い。再び大迷いしたが、受託荷物にすることに決め求めることにする。
それが右の鏡だ。デザインも良いしアンティーク風にエイジングされているのが気に入ったのだ。
店員に「日本まで飛行機で待って帰るので頑丈にパッキングして欲しい」と頼むと、使い回しの頼りない“プチプチ”で包み始めた。
キルラダリー・ハウス&ガーデンズ Killruddery House and Gardens
ダブリンの南のウィックロー州は起伏に富んだ壮大な自然に恵まれていて“アイルランドの庭”と呼ばれる。
また、その地形や気候が相俟って美しいガーデンが数多く存在する地域だ。
今日の3軒目のガーデンはキルラダリー・ハウスだ。
1618年以来16世代に亘りブラバゾン家(Brabazon family)が住み続けており現在も16代当主が住んでいらっしゃる。
入場して左手のゲートを潜ると通路の両側に彫像がある。ハウスに向かって右側が女性像(写真上左)、左が男性像だ(写真上左から2枚目)。
通路の左手奥にハウスが見え、手前はパンフレットではサンクン・ガーデン(Sunken Garden)と名付けられた2つのガーデンがある。
1つは芝生の中に石でフォーマルな図形を描き、東西の端に4つのコンテナを置き、南北の端に4つの子供像を配置している(写真下左・中)。
中心には3人の子供の像が立ち、周りに深紅のバラが美しく咲いている(写真上右から2枚目)。奥の壁際は厚いボーダーが走っている。
もう1つのガーデンはサンクン・ガーデンと言うよりフォーマル・ガーデンだ(写真上右、下左)。低いイチイの生け垣で囲まれ、中心に噴水のある池を配し、
周囲にバラとキャットミントの植栽だ。バラのピンクとキャットミントの紫、ヘッジの緑が絶妙だ。
写真上中・右と下中・右の建物でドームを含む白い屋根の部分がオランジェリー(Orangery)だ。1852年にウィリアム・バーンズの設計で建てられたものだ。
ドームの屋根はリチャード・ターナー(昨日訪れたナショナル・ボタニック・ガーデンのグラスハウスの設計者)による設計だという。
当時の伯爵夫人は自分のティアラを売ってオランジェリーの建築費に充てたという。屋根のモールディングのデザイン
はそのティアラから来ているという。
同じく4枚の写真の黒い屋根の部分がハウスだ。現在のハウスは第10代伯爵(10th Earl of Meath)が1820年に当時流行したエリザベス調復活(EIizabethan-Revival)
のデザインにより大改修したものだ。
今日は日曜日なのでハウスの前の芝生は子供達のピクニック・ランドと化している(写真下中・右)。隣接のファーム・マーケットからの
自転車アイスクリーム売店(Ice-cream Bicycle)には子供達が長蛇の列をなしている。
食べたいところだが、子供に交じって並ぶのは少し恥ずかしいのでパスする。
ガーデンのデザインは1682年にフランスのガーデナー・ボネット(Bonet)によるものだ。ボネットはヴェルサイユ宮殿のガーデンを設計したアンドレ・ル・ノートル(Andre Le Notre)
の弟子だという。ハウスの南側に壮大に広がるフォーマル・ガーデンはそのことを納得させるに十分だ。
グーグルの航空写真でハウスの南に2本の伸びる細長いものがロング・ポンド(The Long Pond)だ(写真下左)。
2本の色が違うのは左側は水草が繁茂しているから緑色なのだ。別名"miroirs d'eaux"(鏡の池)と呼ばれるらしいが、その面影はない。
2本の池の長さは187m、もはや双子の運河だ。
その南に円形の池がある。中央に少年が押さえ込むグースの口から水が吹き出している(写真下中)。水勢が足りないし水草が茂りすぎてみすぼらしくさえある。
管理が今一つに思われ、何となくつまらなくなってくる。
ロング・ポンドの右側(東側)に展開するイチイのヘッジで描かれる対称図形のガーデンが"Angles"と名付けられている。
3本の線の交点にそれぞれ"Angei"の像が置かれている(写真3つ上の右)。"Angles"と"Angel"で語呂合わせをしているのだろうか?
このガーデンの別名は"patte d'oie(= goose feet)"と言うらしい。日本語にすると“カラスの足跡”となる。そう見えなくもない。フランス人のエスプリだ。
"Angles"の北側、すなわちハウスの東側は広大な芝の広場だ(写真上右)。大きな樹木も何本もある。つるバラで覆われた木は"Fairy Tree"とも呼ばれるようだ(写真下右)。
広場の北側は深い森になっている。その森との境界のヘッジに沿って幾つかの像が立っている。
写真下左はパワーズコートの“名声と勝利”と同じく月桂樹の冠を持っている。勝利の女神・ヴィクトリアだろう。左から2枚目は右手に水差し、左手に酒杯を持っている。
青春の女神・ヘーベーと思われる。右から2枚目は左手に書物、右手にペンを持っている。叙事詩の女神・カリオペだろう。(そんな記述は何処にもない。飽くまでも私の勝手な想像だ)
広場の別の一角にタイプの違う彫像が置かれている(写真下左)。円形の3段の花壇の中央に艶めかしい女性裸像が場違いに感じられる。
芝の広場の東の端に巨大な岩が露出している(写真下中)。"The Rock"と名付けられている。ロック・ガーデンというわけではないようだ。
ハウスの北東角の建物が"The Clock Tower"だ(写真下右)。13代伯爵ノルマン(Normand)のデザインで1909年に造られた水時計だ。
水の力で振り子を動かす仕組みだという。当時、誤差月1秒という正確性を誇っていたという。
上述のサンクン・ガーデンの通路を挟んで反対側に"Beech Hedge Pond"がある(写真下左)。直径20mの花崗岩で縁取られた池があり、中心に噴水がある。 それを囲んで4つの少年像の噴水がある。水面は睡蓮が茂りすぎている。ユニークなのはこれを2重の円形のブナ(Beech)の木のヘッジで囲っていることだ。 ヘッジの間はトンネルのような散策路になっているのだ(写真下中)。素晴らしいガーデンなのだが、全体に管理が今一つの感がぬぐえない。残念だ。
ダブリン街歩き Dublin
もう一つのガーデンを予定していたが、昨日Dublin LGBTQ Prideパレードの渋滞で果たせなかったダブリン街歩きを組み込んだ。
今朝預けた洗濯物を受け取ることも目的の一つだ。オール・アメリカン・ラウンドレットで受け取った洗濯物をパーキングの車において街歩き開始。
最初に来たのはモリー・マローン像(Molly Malone Statue)だ(写真下左・中)。2013年の旅行記には「”17世紀の行商の魚屋の娘が熱病のため若くして亡くなり、
その後幽霊となって今も街を行商して歩く”と言う話に基づき、ダブリン千年祭(1988年)の記念に造られたものだ。荷台のかごの中や外に魚や貝がリアルに表現されている。
また、誰が作ったともなく”モリー・マローンの歌”が歌われるようになったという。」と記している。モリー像はルアス(Luas 路面電車)の拡幅工事のため
2013年にあった場所から西に100mほど離れた聖アンドリュース教会(Saint Andrews Church)の前に2014年に移動していたのだ。4年ぶりの再会を果たす。
サフォーク・ストリート(Suffolk Street)のアボカ(Avoca)で知人用にメリノウール(Merino Wool)のスカーフを3枚、娘のパートナー用にシャツを1枚求める。
続いてグラフトン・ストリート(Grafton Street)のリバー・アイランド(River Island)のショーウインドーに子供服を見つけ入る。
友人のお孫さんに合いそうな洋服を見つける。サイズが心配だが、見当を付けて2点購入。
グラフトン・ストリートを南にそぞろ歩く。そろそろお腹も空いてきたのでパーキングに戻ろうとハリー・ストリート(Harry Street)に折れると
フィル・ライノット(Philip Parris "Phil" Lynott)の像が立っている(写真下右)。フィル・ライノットは1969年20歳にしてハードロックバンドである
シン・リジィ(Thin Lizzy)を結成し活躍したロック・シンガー、ベーシストだ。私の大好きなアイルランド民謡・ウイスキー・イン・ザ・ジャー(Whiskey in the Jar)も
ロックカバーしている。わずか36歳で1986年に亡くなったが、その功績をたたえ、2005年にこの銅像が建てられたという。
ロサ・マドレ Rosa Madre Seafood Italian Restaurant
一旦宿に戻りタクシーでディナーに向かう。今宵のディナーのロサ・マドレはネットでリサーチした中で最も気になった店だ。
一昨日予約の電話をしたら満席で断られたのだ。その際、本日の予約を入れておいたのだ。
店に入るとシーフード・イタリアン(Seafood Italian)を謳うだけあって魚やらエビやら貝類が氷の上に並べられている。
美味しそうだが、二人でいただくには大きすぎる魚ばかりだ。オイスターだけは外さずいただくことにしよう。ムール貝も美味そうだ。オーダーも今日は奮発した。先ずは
テンプル・バー Temple Bar
食後のお楽しみはテンプル・バーでのセッションだ。テンプル・バーは北はリフィー川、南はR137(Dame Street)、東はオコンネル橋、
西は市庁舎に囲われた細長いエリアでアイリッシュ・パブやレストラン、映画館などがひしめくダブリン一の歓楽街だ。
ロサ・マドレもこの一角にある。ロサ・マドレを出ると直ぐ近くに"Wall of Fame"が現れた(写真下左)。名誉の殿堂"Hall of Fame"のパロディーで“名誉の壁”という訳だ。
"Irish Rock N Roll Museum"の壁にアイルランドの人気のミュージシャン12名の写真を飾り顕彰しているのだ。
ハリー・ストリートの銅像のフィル・ライノットの写真も飾られている。
何かが違うと思ったら、2013年に訪れたときは壁の色がグレーだったのに今回は真っ赤に塗り替えられていた。
"Wall of Fame"に面する通りを北に進み、その名も“テンプル・バー”という通りの角に、その名も“ザ・テンプル・バー”というパブがある。
真っ赤な壁とたくさんのハンギング・バスケット、フラワー・ボックスに気持ちが高揚する(写真下中・右)。
このパブは1840年から続くダブリンの歴史そのものであり、かつNo.1のアイリッシュパブだ。
中に入って、しばらく演奏を聴く(写真下左)。しかし、好みの音楽ではない。次の店を求めて外に出ると、
その隣に"The Temple Bar Trading Company"という土産物屋がある。ここも"EST. 1840"となっている。孫の洋服2着をゲットする。
もう1軒冷やかしてみたが、気に入らない。ネットで「フィッツシモンズ・ホテル(Fitzsimons Hotel)のバーが大人の雰囲気」と出ていた。
入ってみる。ギネスビール1杯で1時間ほど粘ってみるが、余りピンとこない(写真下右)。セッションは明日からのゴールウェイの楽しみとし今宵は切り上げることにする。
帰りのタクシーがなかなか捕まらず苦労する。写真下中は1816年の完成の"Ha'penny Bridge"。
写真満載の旅行記をご覧ください
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