第7日 6月28日(水)水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Griffin Lodge Guesthouse --- Boyle Abbey ---
Lough Key Forest and Activity Park --- Florence Court --- Belfast B&B
今日の走行距離 342 km
今日の万歩計 11,900 歩
今日の出発時気温 17.0 ℃
グリフィン・ロッジ・ゲストハウス Griffin Lodge Guesthouse
今朝はとても良い天気に恵まれた。どこまでも青い空だ。気温も暖かだ。
今日は北アイルランドの首都・ベルファストまでのロングドライブだし、途中、セグウェイ・ツアーも予定している。できれば晴れて欲しかった日だ。
まだまだ晴れ男のジンクスは落ちていないようだ。
朝食前にパッキングを済ませ、車に積み込む。今朝のフルアイリッシュはスクランブル・エッグとホワイトプディングにしてもらう。
フルーツとヨーグルトに写真は妻の分を撮影した。自分の分は大好物のグレープフルーツの前に写真を撮り忘れて
手を付けてしまたのだ。(写真の右上に食べかけが写っている)
朝食の席で横浜から来たというご夫妻に会う。(それにつけても、今回は横浜の方と何度も出会うものだ)19日から来月7日までの旅だという。
イギリスを回った後、昨日アイルランドに入り、ゴールウェイとダブリンを周遊し、再びイギリスに戻るのだという。
話していると妻の顔を見て、見覚えがあるという。このホームページ“花と英国”の読者だったのだ。嬉しく、ありがたいことだ。お互いの旅の安全を祈念して別れる。
ボイル修道院 Boyle Abbey
気持ち良く9時にスタート。途中でペトロールを給油し(ユーロとポンドの為替も絡むが、アイルランドで満タンにしておくのが得策とみた)、
10時50分にボイル修道院に到着する。
次のセグウェイの予約時間までに間があるので行きがけの駄賃かつまみ食い程度の気持ちで立ち寄ったのだ。
表から様子を見て興味が湧かなかったらパスのつもりで来たが、何となく惹かれるものがあり入場する。
ボイル修道院は12世紀に設立されたシトー派修道院だ。16世紀からイギリス軍の施設として改造されたり、
17世紀のクロムウェル軍の侵略により破壊された廃墟だが、それにしては保存状態が良い。
西側のゲート・ハウスから入るとそこは回廊があった部分だが、今は一面に芝が張られた中庭だけが残る。その芝生から北を見た写真が下左だ。
左に西正面(West Front)があり右にタワー(Crossing Tower)がある。その間に身廊(Nave)のアーチが見える。タワーから手前へ南翼廊(South Transept)、聖具室(sacristy)、
参事会会議場(Chapter House)と続いている。
写真下左の右隅の開口部が下中の写真になる。参事会会議場への入り口だったが、16世紀にイギリス軍により塞がれてしまた跡だ。
修道院に入りタワー下から西正面を望む写真が下右だ。右側(北側)と左側(南側)のアーチの建築様式の違いがよく分かる。
北側のアーチがゴシック様式で南側のアーチはロマネスク様式だ。
受付で2枚のチャートが渡された。1枚は表に修道院の平面図と概要、裏は建物の部分別の建築年代などが示されている。親切なチャートだ。
もう1枚には"Do not miss"の写真が載っている(写真下左)。番号順に辿ってみる。
17番 "Green Man"(写真下中) 北翼廊のコラムの柱頭の彫刻である 12世紀の物であろうからかなり風化して分かりにくいのでこちらを参照あれ
グリーンマンはケルト神話の森林・樹木への精霊信仰の一つだ。2015年のスコットランドの旅のグリーンバンク・ガーデンズでも出会った。
20番 "Four monks in a vineyaed"(写真下右) 身廊の南側のロマネスク様式のアーチの柱頭の彫刻だ “ブドウ畑の4人の修道士”が彫られている
肩までの長髪と剃髪が組み合わさった髪型が当時のものだという
20番 "Two Human figures fighting two animals"(写真下左) 上述ブドウ畑の4人の修道士の彫刻の裏側の柱頭の彫刻だ。
タイトル通り“2匹の動物と戦う2人の男”が彫られている
21番 "Dog - Cockeral / Peacock - Human Head(?) - Serpent"(写真下中) 犬が若い雄鶏(Cockerel)か孔雀(Peacock)と戦っているのは分かる "Human Head"と"Serpent"はどこに?
21番 "Three dogs / cats fighting"(写真下右) 同じ柱の裏側の柱頭の彫刻だ 犬と猫の戦いは良しとして"Three"の意味が分からない
23番 "Sheela - na - Gig"(写真下左) “シエラ・ナ・ギグ”と呼ばれる像だが風化が激しいようだ “シエラ・ナ・ギグ”について調べて衝撃を受けた
窓やドアの上に配置し 魔除けの役目を果たしたものらしい アイルランド101件 イギリスに45件が残っているというが初めて出合った
“シエラ・ナ・ギグ”について詳しくはここには乗せない 興味ある方は"Wikipedia"に詳しい
それにつけても、こんなことに遭遇するから調べるっていうのはたのしいものだ
22番 "Marked X Fourteen figures"(写真下中) “X型の14個の人間像” よく見ると筆記体のXを両手・両足・胴体に見立て顔を付けた
人間像が14個並んでいるのだ
25番 "Abbot's Grave Slab" “(写真下右) 修道院長の石棺の蓋” 手に持ているのは司教杖(Crosier)だ 13世紀のものだという
風化することなくしっかり彫りが残っているものもある(写真下左)が、柱頭や壁などに残っている他の多くの彫刻は風化が激しくその形を読み取ること難しい。
予感通り面白いアトラクションだった。決して大きくはないが、バランスの良い美しい修道院だ(写真下中)。タワーの高さは60フィートだ。
ラフ・キー・フォレスト・パーク Lough Key Forest and Activity Park(Segway)
さて、本日のメイン・イベントに向かおう。ボイル修道院の北側のローカルロード(ワーレン・ロード(Warren Rd)を西に進むと、
ロッキンガム・ロード(Rockingham Rd)に繋がる。すると、程なく豪壮にして華麗なゲートが現れた(写真下左)。"Tiara Gate Lodge"あるいは"Rockingham Gate"とよばれる。
1972年にオープンしたラフ・キー・フォレスト&アクティビティー・パークの
350ヘクタール(東京75個分ドーム)という広大な土地は17世紀の"Cromwellian Settlement"で取得したキング家(King Family)が所有していたものの一部だ。
キング家はこの地域の名前をモイルグ(Moylurg)からロッキンガム(Rockingham)に改名し、1809年にキー湖(Lough Key)の湖畔にロッキンガム・ハウス(Rockingham House)を建てたが、
1957年に火災で焼失し、荒廃したままになっていたのだという。そのロッキンガム・ハウスへのゲートなのだ。
森林公園は広大だ。しかし、案内板などは必要最小限だから道に迷った時は困る。予約したセグウェイは
ウッドランド・セグウェイ(Woodland Segway)という会社だが、道しるべはない。
見逃したかと引き返すと往きにはなかったはずのガーデン・センターがある。この辺りは10mほどの林を挟んでの2車線が一方通行だったのだ。
寄って訊ねると「この道を真っ直ぐ行けば自然にパーキングに入るよ」と言う。引き返す。セグウェイの会社に直接行ける道があるかと思っていたのだが、
森林公園のパーキングに車を駐めて徒歩で向かうしかないのだった。事務所はプレハブの質素なものだった。
待っていたのはアイルランド人らしい誠実な顔をしたインストラクター1人だ。予約済みだから、直ぐ書類を出してサインをさせられ、レッスンを始める。
公園の芝の広場で5分ほどレッスンをしたところで腕前を認められたらしい。ツアーに出発する。
少し西に向かって走ると広大な森が広がっている。空はにわかに曇り空になってきた。森の中は暗いほどだ。木々の合間から時々キー湖が透けて見える(写真上右、下中)。
走りながら写真を撮ったり、動画(52秒)を撮ったりする。(インストラクターに見つからないように・・・)
素敵な橋が現れた(写真上左)。セグウェイでは上りより下りの方が難しく感じる。橋の先を一巡りして再び戻る。橋の上で記念撮影をしてくれる(写真上右)。
橋の欄干に“1819”の文字が見られる(上右の拡大写真で)。ハウスが出来た10年後だ。ハウス完成後、森が整備され橋が架けられたのだろう。
しばらく森の中を走ると、また橋が現れた(写真下左)。袂の石に“フェアリー・ブリッジ(Fairy Bridge)”と刻まれている(写真下中)。
森で採れた石灰石で造られているという。橋の中央に装飾物が造られている(下左の拡大写真で)。その下に“1836”の文字が刻まれている。こちらも架橋年号だろう。
インストラクターが「フェアリーが隠れているかもしれないよ」と言う。橋の下など探してみるが、今日はお出かけで留守のようだ。
森には大きな樹木がたくさんある。中でもインストラクター自慢の木が写真下左の"Giant Cedars"だ。ヒマラヤスギ?それともレバノンスギ?
子供達が木に登ったり幹に寝そべったりして遊んでいる。何かパワーを感じ、私も幹に抱かれていたいと思ったが、子供達の邪魔をするのも大人げない。
シダーの林で記念撮影をする(写真上右、下中)。
次に案内されたのがモイルグ・タワー(Moylurg tower)だ。ロッキンガム・ハウスへの跡地に1973年に建てられた見晴台(Viewing Tower)だ。
ここでもインストラクターに先に進むと、催促されるくらい写真やら動画やら撮ったつもりだが、残っていない。
そこでネットから拝借したのがこれだ。
「ここにはハウスの地下通路も残っているから後で見に来ると良い」とのことだったが、見送った。
ツアーは契約通り、きっちり50分で終了した。しかし、セグウェイでの初めてのガイド・ツアーは大満足だった。僅かばかりのチップをはずむと、
お返しにパーキングの無料コインをプレゼントされた。駐車料は4ユーロだから、チップとちっとも変わらない。そこが楽しい。
楽しいツアーに興奮し、喉が渇き若干の空腹を感じる。ビジター・センターのティー・ルームでティー・タイムとする(写真上右)。
こちらの人はティー・タイムをとても大切にするから、どこに行ってもティー・ルームが充実している。好みのケーキとコーヒーで湖を眺めつつ心身を癒やす。
湖の畔に立つ廃墟は"Estate Chapel"だ(写真下左)。1833年射立てられたものだという。アイルランド人はことに信心心が高い様に思う。
アイルランドはエメラルドの国(島)と言われるが緑がとにかく美しい。この公園もエバーグリーンの芝に覆われている。
芝の先に桟橋(Pier)があり、手漕ぎボートやモーターボートが係留されている(写真下中)。
桟橋の先に、湖に突きだした小さな建物がある(写真下右)。"Temple"とも"Fishing Pavilion"とも言われるようだ。
こんなところから釣り竿を垂らすのも優雅な遊びだろう。水面の浮かぶ水鳥もいれば、芝で羽を休める水鳥もたくさん見られる。
国境越え Crossing the Border
R285−L1011−L3378−R207と東へ北へと繋いで行くと左手にアリン湖(Lough Allen)が見え隠れする。 地図を見るとこの辺りは数多くの大小の湖がならんでいるが、中でも大きな方に属す。R207をさらに北上するとN16に繋がる。 N16を東に進みブラックリオン(Blacklion)の街でローカル・ロード"An Bonnan Bui Way"に入る。 地図ではそこから500メートルばかり走ったところに国境線が引かれているのだが、 何の表示もない。地図では道路も"Marble Arch Rd"に変わるのだが、もちろんそんな表示があるわけがない。 しばらくしてから速度規制の表示が”km/h”から“m/h”に変わったのに気づき、北アイルランドに入ったことを知るのだ。 イギリスがEUを離脱するとこんな国境事情も変わってくるのだろうか?
フローレンス・コート Florence Court
マーブル・アーチ・ロードを10km余り東進するとフローレンス・コートの入り口がある。 この辺りでさっきからぱらついていた雨が土砂降りとなり、霧まで出てきた。車から出るのも躊躇するほどで、暫し車内で待機する。
なかなか小降りにならない雨だ。ヤッケにオーバーパンツで身を固め、意を決してウォールド・ガーデンに向かう。
細長い池に架かる小さな木橋を渡るとウォールド・ガーデンの手前にフォーマルなローズ・ガーデンが現れた。
手前、左右の3面をロープ&ポスト・フェンス(Rope and Post Fence)で囲い、ポストの間にも木バラが色とりどりに植栽されている(写真上3枚)。
奥の面はコニファーのピラーと木バラで仕切られている(写真下右)。全面に芝が敷かれ十字に通路が切られている。
その中心に八角形のアーチがあり、4つのヘッジで囲われたベッドがあり赤色と黄色のバラが植えられている(写真下左)。
4隅にはに円形のベッドを切りキャットミントが鮮やかなブルーを見せている中にバラが絡むオベリスクが立っている(写真下中)。
奥の仕切りの先はレンガの壁と生垣で3面を囲ったフォーマルガーデンだ(写真上右)。そのレンガの壁の中央に噴水がある(写真下左)。
仁王さんのような顔から水が噴き出ている。
その壁とウォールド・ガーデンの南面の壁の間のスペースも芝が美しく張られている。その西端に可愛いコテージが建っている(写真下中)。
“ローズ・コテージ”と呼ばれ、嘗てのヘッド・ガーデナーズ・ハウスだ。1870年代に建てられたものだ。
現在はホリデイ・コテージとして貸し出されているとの情報も見たが、ホームページにはその情報が見当たらない。
コテージの壁には程好くつるバラがクライミングしている(写真下右)。
ヘッド・ガーデナーズ・ハウスのわきの入り口からウォールド・ガーデンに入る。18世紀につくられたが、1870年代に時の伯爵夫人・シャルロット(Charlotte)により大幅に改造されたものだ。
入り口からいきなりパーゴラが北に向かって70mあまり伸びている。幅も高さも3mはあろうかというスケールだ(写真上左)。
そのスケールに負けずバラが覆っている(写真上中)。何ヶ所かクレマチスも見事にクライミングしている。足元のホスタなどの宿根草の生育も見事だ(写真上右)。
歴史を偲ばせるパーゴラに生えた苔と美しいバラの花のハーモニーが素敵だ(写真下3枚)。降りしきる雨も苦にならない至福の光景だ。
ティールームやギフト・ショップは元厩舎の建物にある(写真下左)。窓枠の白、ドアーの赤が鮮やかだ。
ハウスは18世紀のジョージ王朝様式(Georgian Houses)だという(写真下中・右)。最初にハウスを築いたエニスキレン伯爵
(Earl of Enniskillen)のジョン・コール卿(Sir John Cole)が妻の名前(フローレンス・レイ(Florence Wray))を館の名前を付けたのだ。
なんともロマンチックな話だが、建物は厳つい雰囲気がする。現在のハウスはその後の2世代にわたって改造を重ねた姿だという。
交通渋滞 Queues
フローレンス・コートを出発するころになって、ようやく雨が上がってきた。時刻は15時40分だ。次の予定はイギリスで使えるSIMの購入だ。 リサーチしたところ宿泊のB&Bに近い郊外のショッピングセンターにその類の店が集まっている。しかし、アイルランド共和国でSIMの有用性を感じていない。 私の場合、現状ではB&BなどのWi-Fiさえあれば事足りている。そこで、SIMの購入はパスする。
次の予定は“パットゴルフ”だ。ベルファストの郊外にパイレーツ・アドベンチャー・ゴルフ(Pirates Adventure Golf)
という面白そうなアトラクションをリサーチした。ところが、ベルファストの街に入った時間がジャスト帰宅時間と重なった。
日頃はカントリーサイドばかりをドライブしているので渋滞には無縁だったが、さすがに北アイルランドの首都・ベルファストだ。
目的地が都心を通り過ぎた東側だから並みの渋滞ではない。途中、尿意の処理にも苦労をし、到着したのは予定を1時間以上オーバーしていた。
帰りも尚渋滞している可能性もある。これからの4日間の滞在中に時間が取れたら再訪することとして、今日のところは断念する。
写真右はイギリスの交通標識の一つ "Queues likely"、“渋滞しやすいから注意”とでも解釈しようか
迷う Lost
B&Bに向かう。案の定まだまだ渋滞は続いている。大都市は怖い。ナビ子ちゃんの指示通り着いたところにB&Bの看板らしきものは見つからない。
再度入力して走り出すとぐるっと回って再び同じ場所に戻る。エリアは住宅街だ。人通りもなく訊ねようがない。
ようやく見つけた人に尋ねると「この辺りにB&Bはない」と言う。「B&Bがあるのはあっちのほうだ」と言う。それでは住所が全く違うだろう。
元の通りに戻り、教会の裏庭に2人の男性を発見。訊ねると「この辺りにB&Bはない」と同じ応えだ。
仕方なくB&Bに電話をする。「ノックブリーダ・ロード(Knockbreda Rd)の教会前にいる」と言うと「その教会の150m先よ。今、道路に出て手を振るから」」との返事だ。
暫くすると長身の男性が両手を振ってくれる。何のことはない最初についた場所で正解だった。
中では初老の体格の良いおばさんが待ち受けてハグで迎えてくれる。B&Bを仕切っているのはこの肝っ玉母さんのようだ。
抗議の意味を込めて「看板が一つもないから探し回った」と伝えると、悪びれもせず「フリーのゲストは入れたくないので看板は出さないの」だ。
ネットの評価ではどのサイトを見ても“星5つ”を誇るだけに、これでやっていけるのだろう。
ベルファスト B&B Belfast B&B
今宵から4泊はその名もずばり“ベルファスト B&B”だ。"Belfast B&B"で検索するとベルファスト全体のB&Bが引っかかるから面倒だ。
その上、ホームページは持っていない。近年はホームページで内容を確認できないB&Bは避けていたが、ここの評判がすこぶる良いのだ。
メールアドレスも分からない。そこで直接電話を入れて予約した。詳しいディテールはメールでということでアドレスを訊くのにも苦労した宿だ。
ハグが済むとリビングのソファーに座れという。始まったのはまさに人定質問だ。住所、年齢、職業、家族構成などしつこいくらいに訊いてくる。
訊くだけでなく、自分たちのことも話してくれるのだ。自分の名は」モーナ(Morna)、旦那の名はアンドリュー(Andrew)弁護士だという。
お嬢さんがいて、日本語を勉強をし、日本にも住んだことがあるという。現在は弁護士になって、オーストラリアに住んでいるという。
アイルランド訛りが強く早口のモーナの言葉のヒアリングに苦労する妻にアンドリューが娘さんから教えられたという
英語から日本語への翻訳アプリで翻訳してくれる。そう、質問はもっぱらモーナの役割なのだ。
15分余りの人定質問が終わってようやく荷物を部屋に運び込む。アンドリューが快く手伝ってくれる。
タウンセンターまでディナーに出掛けようとしたら「近くの街に良いレストランがたくさんあるわよ」と言うので従うことにする。
ザ・エリガル・イン The Errigle Inn
先ほどの土砂降りが嘘のように晴れ上がった中を徒歩でディナーに向かう。タウンセンターから3km足らずの住宅街の商店街は清潔感があるとても素敵な通りだ。
いい雰囲気のお店も見つけたが、トラディショナル・フーズの店として紹介されたのはザ・エリガル・インだ。
道路に向こうに立派な構えの店が現れた。"EST 1935"とあるからイギリスではそんなに古い店ではない。
店内も広くなかなか重厚な雰囲気を醸している。絵画もたくさん飾られている。ステンドグラスや照明など装飾も凝っている(写真下左)。
さてメニューはスターターから1品
・ "Scallops, Prawns" Garlic & Herb Toasted Crumb を選ぶ(写真上中)。 メインはガツンと行こうと
・ "10OZ Sirloin Steak" Corn on Cob, Smoked Chilli Butter, Choice of Side だ(写真上右)。
チョイスしたサイドメニューは "Onion Rings" と "Sweet Potato Fries" だ(写真下左)。 メインをもう1品
・ "Tempura Monkfish, Massamman Curry" Basmati Rice, Pak Choi, Spring Onion & …… (写真下中)
(メニューを写真に撮ってきたが&から先が切れていた)
貝柱とクルマエビはぷりぷり、ガーリックとハーブがたっぷり入った焦がしパン粉が良い香りだ。
10オンス=約300gのサーロインは予定通りガッツリだ。トウモロコシも人参もとても甘い。
サイドメニューから選んだオニオンリングとサツマイモのチップスもとても美味しいが全部は食べきれない。
“天ぷら”の文字に惹かれてオーダーしたが、よくメニューを見るとマッサマンカレーだった。バスマティ米のご飯もたっぷりついてきた(写真下左)。
天ぷらの具はアンコウだ。美味しくない訳がない。"Pak Choi"はチンゲン菜だ。
満腹になったところでオンザロック用のアイスキューブを紙コップに分けていただいて帰路に就く(写真下右)。今日は手袋が離せない1日だった。
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