2011年の旅 ウェールズ編

花花

第16日 9月29日(木) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       West Arms Hotel --- Chirk Castle --- Iron Bridge --- Heathrow
                    LONDON 19:15 ===== TOKYO 30日 14:15 (JAL 402)
今日の走行距離     320km
今日の万歩計      記録無し
出発時点の気温     22℃

ウエスト・アーム・ホテル   West Arms Hotel

この旅最後の朝は暖かな朝になった。気温は何と22度もある。最後のフルウェルシュブレックファストを挟んで荷造りに忙しい。 今年はマイレージの特典航空券が取れたので、その分財布の紐が緩かったようだ。お土産を買い過ぎて荷物が多い。 スーツケース2つとダラムで求めた大きな布製トラベルバッグ1、機内持ち込みバッグ2、リュックサック1がそれぞれ満杯になった。 これにヒースローでの買い物がプラスされるのだ。
絵画教室が開かれているスタジオを覗いてみる。レクチャーが行われているようだ。目が合った方に目礼してさよならを言う。

チャーク城   Chirk Castle

チャーク城の優美な鉄の門(Iron Gates)を見上げる(写真下左)。1719年にできたものだという。上部の紋章は1595年からこの城の主となった ”Myddelton家”のものだ。真ん中の一番高いところに見える赤い部分は”血塗られた赤い手”だ。その伝説については こちらをどうぞ。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

チャーク城の建設は1295年に始まり1310年に完成している。 イギリスに征服される前の最後のウェールズの城なのだ。現在はナショナル・トラストの管理だ。4つのタワーを城壁で繋いだ構造は正に要塞だ。 北側の入り口は極めて狭く造られ、堅い守りを偲ばせる。。写真上右のスナップの後ろがそれだ。スナップの中世の兵士(射手)の扮装をしているのは ウィル(Will)という男性で、城内の案内をしてくれるようだが、言葉が分からないので記念写真のみで辞退する。城は防衛のため丘の上にあるので見晴らしも抜群だ。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

狭い入り口から中庭に入る(写真上左)。殺風景なほど何もないが、今もMyddelton家の末裔がお住まいだと聞く。
東面の城壁は蔓性植物で覆われ、紅葉が始まっており美しい。その並びにイチイのヘッジやトピアリーで囲まれたフォーマル・ローズ・ガーデンがある(写真上右、下4枚)。 バラの盛りは外れたが、なかなかに厚い植栽だ。サンダイアルは1696年の制作だという。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

整形式ガーデンから西に見事に手入れされた芝の広場の斜面を下って行く(写真上の上右から2枚目)。インフォーマル・ガーデンだ(Informal Garden)。 左手はイチイの生垣に沿ってボーダーが連なり(写真下左)、右手は広葉樹や針葉樹の爽やかな林が広がっている。
先の方に懐かしいコテージが見えてくる。オリジナルは1766年に温室(Greenhouse)として建てられたもので1912年に立て替えられ、 その後、鷹の小屋として使用したので"Hawk House"と呼ばれる(写真下右3枚)。19世紀末に流行したコテージガーデンというには歴史が違うが、 絵に描いたような美しさだ。何か夢を見ているような心持ちで飽くことなく周囲を徘徊する。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

ここはウェールズ、イングランドと異なり起伏のあるグランドがガーデンに広がりを与える。緩やかな斜面を引き返す。午前中なのに汗ばむほどの陽気になってきた。 丘の上の城が夏のような陽光に光って見える(写真下左から2枚目)。その城の東の高台(East Elevation)のイチイのトピアリーに囲まれた芝の広場が 17世紀に始まるフォーマルガーデンだ(写真下右から2枚目)。このイチイの木は1872年に植えられたものだという。 このガーデンには3人のフルタイムのガーデナーと8人のボランティアがいるのだが、この芝刈りに3日間、トピアリーの刈り込みには2ヶ月を要するのだという。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

フォーマルガーデンの隅にブロンズ像が4体見られる。1つはバラの花を持つ少女像(写真下左)だが、残る3つは明らかに作風が違う。
左から2枚目はゆりの花を胸に抱いているが、足元を見ると蛇を踏んでいるのだ。この像はまだしも布を腰に巻いているが、残る2体は全裸の像だ。 その上、右から2枚目は後ろ手に縛られているし、右は目隠しをされている。何を意味するものなのか、背筋がぞくぞくするようなおどろおどろしいものだ。 明るい太陽の下だが、一帯が暗くなったような感じもする。
帰国後、調べてみると、Andrea Carlo Lucchesiという英国で活躍したイタリア人彫刻家の19世紀末から20世紀初めの作品らしい。 タイトルは左から2枚目が"Oblivion"、ユリにうっとりして我を忘れている状況を差すのだろうか。右から2枚目は"Vanishing Dream"、 捉えられ縛られた状況が”消える夢”なのだろう。右は"Destiny"というタイトルだ。アートは難しい。

Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle Chirk Castle

アイアンブリッジ   Iron Bridge

この旅では”ダーウェント峡谷の工場群”、”ファウンティンズ修道院遺跡”、”ダラム城と大聖堂”、”ポントカサルテの水道橋と運河”と4つの世界遺産を見てきた。 世界遺産だからといって尊いとは思わないが、ヒースロー空港への経路に世界遺産の"アイアンブリッジ峡谷(Ironbridge Gorge)"がある。 この手の建造物には目のない方なので最後の訪問地として決めて楽しみにしてきた。

Iron Bridge

セヴァーン川(River Severn)の南側のパーキングに車を入れ、橋に向かうと"Toll House"が現れる(写真下左)。「無料なはずだが・・・」と訝りながらも寄ってみる。 この料金所はかつて通行料を徴収したハウスで現在はミニ博物館として橋の歴史などを展示しているのだ。1776年にできたアイアンブリッジに関する法令には 「通行料は変更されず、特許使用料は免除されない」との条項があったため1781年以来料金が変更されたことがなかったのだという。 1934年に車が通行止めとなった後も1950年まで歩行者から£0.05を徴収していたらしい。
”特許使用料は免除されない”の条項があったため1970年に訪れたチャールズ皇太子はこの料金所で£0.05を支払って渡ったとのことだ。 イギリス人らしいジョークだ。写真右が1776年にに決まった料金表(写真はWikipediaから借用)。 係りのおばちゃんが説明をしたがるが、「帰りに寄ります」と断って橋を渡る。

Iron Bridge

この辺りコールブルックデールは”産業革命の発祥の地”とも”産業革命の象徴”ともいわれ製鉄業が盛んであった。 当時セヴァーン川を渡るにはフェリーに頼っていたのだが、産業の発展とともに橋が必要となり、1779年に世界で最初の鉄橋”アイアンブリッジ”が建設されたのだ。 もともとは”コールブルックデールのアイアンブリッジ(The Iron Bridge at Coalbrookdale)”と名付けれれたのだが、 現在はアイアンブリッジで通っているのだという。
橋の欄干も鋳鉄製で無骨ではあるがそれなりのデザインがなされている(写真右)。
橋を渡り、北東詰めの袂を降りて行くと展望台になっている。一つしかないベンチにカップルが座っている。眺めを損ないそうなので、 お断りをしてから写真を撮っていると、カップルから「二人を撮りましょう」と声が掛かる。珍しく良い出来栄えだ(写真下中2枚)。
セヴァーン川沿いのギフトショップや子供用品店などを冷やかして歩くが、触手を伸ばしたくなるものは見当たらない。
2軒のお店を見比べて美味しそうな店でこの旅最後のアイスクリーム求める。16日で何個食べたことだろう。

Iron Bridge Iron Bridge Iron Bridge Iron Bridge

ヒースロー空港   Heathrow Airport

アイアンブリッジからM42に入るまで幾つかのAロードを繋いでいかなければならないが、ナビ子ちゃんのお陰でスムースにM42に乗る。 13時5分に発って途中サービスで一休みを入れ、15時45分計算通りにハーツのヒースロー営業所に到着する。 今年はナビ子ちゃんの取り付け用部品も忘れずに外し、孫の写真付きキーホルダー(安全運転の意識付けとして携行)も外す。 地図類とナビ子ちゃんなどをスーツケースに最終パッキングしてシャトルバスでターミナル3に向かう。
JALのチェックインは日本人の修学旅行の女子高生の団体で込んでいたが、順調に進む。セキュリティーは相変わらず厳しいが、 ここも問題なく通過。後はショッピングだ。今朝パッキングしながらお土産を検討すると、孫娘にもう一つ何かを追加したいと感じた。 そこで見当をつけてハロッズに行くと子供用のエプロンが見つかる。ドンピシャリだ。次は知人へのネクタイを探す。 "PINK"というブランドで象の絵柄のネクタイを選ぶ。
次はチョコレート。この数がレジに並ぶのが恥ずかしいほど多いのだ。ショッピングツアーはここまで。 妻と荷物をベンチに残し向かう場所はスコッチ売り場だ。自分へのお土産として毎年最後の買い物はスコッチがお決まりだ。 今年はバランタイン30年、バルベニー21年、ロングモーン16年の3本を求める。バランタイン30年は”特別な日”用、 他の2本は”いつもと違う日”用だ。

Heathrow

17時30分、満ち足りた気分で向かうのは恒例の"Seafood Bar"だ。ここは年中、生牡蠣が食べられるところなのだが、 好物だった生牡蠣も最近はこのシチュエーションではいただきたくない。しかし、他にも美味しいシーフードが沢山ある。 今日のチョイスは”バルト海のスモークトサーモ”と”海老のカクテル”だ。搭乗時間まで1時間余りはあるだろう。 白ワインをボトルでいただき優雅な時間を過ごす。
機内では食前のワインはいただいたが、食事は辞退すると、フライトアテンダントが遣ってきて「具合でも悪いのでしょうか?」心配してくれる。 「いいえ、空港で食事を済ませたばかりなのです。代わりにスカッチをダブルでください」。お陰でぐっすり眠られた。

以上で11年の旅日記を締めくくらせていただく。今年の旅日記には力が入り、良い仕上がりだと自画自賛しているが、何と6ヶ月も掛かってしまった。 長い間お付き合いいただいた方に心から感謝を捧げたい。明日からは、急ぎ12年の旅の準備に掛かる。12年の旅もお付き合いください。

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