2011年の旅 ウェールズ編

花花

第14日 9月27日(火) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       West Arms Hotel --- Biddulph Grange Garden --- Little Moreton Hall --- Anderton Boat Lift ---
                        Grosvenor Garden Centre --- Chester --- Wrexham AFC --- West Arms Hotel
今日の走行距離     253km
今日の万歩計      17,900歩
出発時点の気温     13℃

ウエスト・アーム・ホテル   West Arms Hotel

静かな夜だった。それもそのはず、ここはウェールズの山深い小さな村落なのだ。この村は戸数60軒で人口315人との記録が見つかった。 それでも、教会があり、小学校があり、ポストオフィスもある。私達のホテル以外にも1軒のインと複数のB&Bがあるようだ。 ホテルのホームページによればWalking、Mountain Biking、Pony Trekking、Golfing、Fishing、Canoeing、Rafting、Climbingなどのアクティビティーが楽しめるようだ。
昨夜のディナーと同じ席(ここに滞在中の指定席となる)でフルウェルシュ・ブレックファストをいただく。卵はフライドだ。 妻はベーコンなしのスクランブルエッグをオーダーする。程なくウェートレスが持ってきた皿には銀の蓋(クロッシュ(cloche)というらしい)が被っていた。 恭しく二人の前に置き、掛け声とともに両手で同時に蓋を取ってみせる。カメラが間に合わなかったのでもう一度やり直してもらう。 ウェートレスは笑顔で応じてくれる。隣の席の団体さんも笑っている。
フルウェルシュとはいっても、フルイングリッシュやフルスコティッシュとなんら変わりはないのだが、この国の人はこだわるのだ。

West Arms Hotel West Arms Hotel West Arms Hotel West Arms Hotel

ビダルフ・グレンジ・ガーデン   Biddulph Grange Garden

このエリアの訪問予定施設の真ん中あたりということで、出発前に予約していたザ・ガーデン・ハウスと比べるとウエスト・アームからでは どこへ行くにも30〜40分のロスが生じる。それにつけてもザ・ガーデン・ハウスの無責任さには腹立たしいことだ。
ビダルフ・グレンジ・ガーデンまで1時間50分要して到着する。 ここはビクトリア期・19世紀半ばのガーデンをナショナル・トラスト(NT)が復元したもので素晴らしいとの情報だ。当時、世界各地から取り寄せた植物を植栽した イタリア風、エジプト風、中国風、ヒマラヤ風などのガーデンがあるという。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

レセプションを通りハウスを出るとイタリア風テラスガーデンがある。階段の手摺や踊り場に置かれた大理石の壷の植栽に感嘆する。 フクシアやロベリアの健やかな育成振りは何としたことか。声も出ない。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

テラスを降りると、ハウスに平行にダリア・ウォーク(Dahlia Walk)と名付けられた左右にダリアばかりを植栽した小径がある。イチイの木のヘッジだけでも見ものだが、 ヘッジで仕切られた各部屋に雛壇に並ぶように様々な種類のダリアが今が盛りと咲いている。ただ残念なことにここでも無粋な支柱が目立つ。 これだけヘッジで囲まれ保護されていても尚、支柱が必要なほどダリアの茎は弱いものなのか、陽だまりで確かめてみよう。
ダリア・ウォークの突き当たりにタワーがあり(写真下左)、ダリア・ウォークを見下ろすことが出来る(写真上右)。大胆に高低差をつけたものだ。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

さらに南に掘られた湖(Lake)の植栽もきわめて高く厚いのだが、なぜか圧迫感はなくすっきり見える(写真上右2枚)。湖を回る通路には岩で築いたトンネルが 2ヶ所にあり楽しませてくれる。オリジナルのガーデンをデザインしたこの屋敷のオーナーのジェームス・ベイトマン(James Bateman)がお客様を驚かせるために 設計したことが見て取れる。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

チャイニーズ・ガーデンに出た。ここもかなり力を入れて設計している。いかにも中国風カラーの橋や東屋、万里の長城を模したという石垣、ドラゴンをデザインした芝のカット、 大きな石のカエルなどがあるが、本物の中国ガーデンを見たことがない私だが、ちょっと首を傾げたくなる部分もある。
ここにはないが、イギリスで見るジャパニーズ・ガーデンは日本庭園ではない。あくまでも、日本風庭園ということになる。 裏返せば、陽だまりもイングリッシュ風でしかないということだ。心して置こう。
写真下左2枚もチャイニーズ・ガーデンだ。重々しい石のゲートや植栽は中国の雰囲気はする。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

エジプト・ガーデン(Egyptian garden)がある。下左の写真にあるように二つのスフィンクス(Two Sphinxes)の間を通り、 暗い墳墓(Mastaba)に入ると壁が真っ赤に塗られたおどろおどろしい部屋に出る。そこに鎮座しているのがエジプト神話の神"Ape of Thoth"だという。 トキとヒヒの姿をしているらしいがユーモラスでもある。左の写真の上部に見える三角形はピラミッドを表している。奇想天外な発想だ。
ハウスの南側は一段目が石板のテラス、2段目がイチイの木でヘッジされたパルテア(Parterre)が6つほど並んでいる(写真上右2枚)。 その並びは果樹園だ(写真下右から2枚目)。そして、3段目のテラスがダリア・ウォークという壮大さだ。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

Biddulph Grange Garden

設計図やオーナメントが残っていたから復元できたのだろうが、さすがNTだ。取り巻く森には"Pinetum"、
"Woodland Walk"、"Lime Walk"など世界中からの樹木が植えられているようだ。
ハウスは建物中央の一部(NTの受付があるところ)を除いてほとんどの部分が火災で焼け落ち、その後立て直されたものなので、NTの所有ではないのだという。 一般のフラットとして9世帯が住んでいるのだというが、当然のこと億ションだろう。
ショップを覘く。めぼしいものも見つからないが、小物が並んでいるコーナーに小さな平べったい石が置いてある。黒い中に灰色の模様が入っていて面白い。 何に使うためのものか分からないが、箸置きに使えそうに思い求める。箸のないイギリスで求めた箸置きはこれで5個目だ。 因みに我が家の箸置きコレクションは100個を下らない。

Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden Biddulph Grange Garden

リトル・モートン・ホール   Little Moreton Hall

ビダルフ・グレンジ・ガーデンからリトル・モートン・ホールへは ローカルロードを10km足らずだ。しかし、出発前のセットが間違えていたのだろう、ナビ子ちゃんが案内してくれたところは牧草地の真ん中だ。 改めてセットし直して到着、30分も掛かってしまった。

Little Moreton Hall

パーキングには車が1台しかない。嫌な予感がする。パーキングの森が切れると目の前にハーフ・ティンバー(Half-Timbered)の素晴らしい建物が目に飛び込んできた。 柱も梁も壁も歪んでいるが、しっかり踏ん張っている。100歳のご老人が凛として立っている姿を髣髴させる。思わず早足になりゲートへ急ぐ。
ハウスは清らかな水を湛えた濠で囲まれているようだ。濠には鯉と鴨がのどかに泳いでいる。それにしても静かだ。濠を渡ろうとするとナショナル・トラストの 作業着を着た男性が出てきた。「やあ、こんにちは、今日は休みだよ」という。「クローズドは月曜日では?」と訊くと「いや、月・火だ。僕たちも休まないとね」 ということだ。「中庭までなら入っても良いよ」と言って先導してくれる。このハウスは1450年に最初の部分が建てられ、 3代に亘り1580年まで増築を重ねられたマナーハウス(Manor House)で、濠に囲まれているのは珍しいのだという。「また来なさい」と見送られ、礼を言って辞去する。

Little Moreton Hall Little Moreton Hall Little Moreton Hall Little Moreton Hall

アンダートン・ボート・リフト   Anderton Boat Lift

イギリスの運河の高低さ解消のシステムについては、昨年訪れた ネプチューンの階段(Neptune's Staircase)の項を参照いただくとして、 ボートリフトの一方の雄がフォルカーク・ホイール(The Falkirk Wheel)が21世紀のランドマークであるなら、 もう一方の雄が大英帝国運河時代のモニュメントといえるアンダートン・ボート・リフトだ。 こういった機械物に滅法目がない。昨年、フォルカーク・ホイールの情報を調べる中でアンダートン・ボート・リフトの存在を知って、是非とも訪ねようと記憶に留めた。 (昨年のフォルカーク・ホイール訪問記はこちら
今回のエリアとしては少し外れているが、ここまで来ていて見逃すわけには行かない。他をカットしても訪れねば。
アンダートン・ボート・リフトはウィーヴァー川(River Weaver)とトレント=マージー運河(Trent and Mersey Canal)の高低差15.2mを解消するため 1875年に建造された世界最初の船舶昇降機だ。高さ18.3m、長さ22.9m、幅14.9mの大きさだ。 ビジター・センターから見下ろしても、下から見上げても荘重たるものだ。それゆえ、運河の大聖堂“Cathedral of the Canals”とも呼ばれるが、 まさに言いえて妙の表現だ。このモニュメントの前に声もなく立ち尽くすのみだ。
ボート・リフトの開通前はチェシャー(Cheshire)の岩塩とストーク=オン=トレント(Stoke-on-Trent)の陶器の交易はこの地でクレーンやシュートを用いて荷役していたのだ。 ボートに載せたまま行き来できれば輸送時間や経済効果は大きく上がるというわけだ。

Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift

この手のものは”実際に乗ってみるとさほど楽しいものではない”というのが経験則だ。ボートに乗らなくても一人£2でリフトの下まで入場できるというので ビジター・センターでアイスクリームをいただきながら次のボート・トリップの出発時間を待つ。
オリジナルのリフトは腐食のため1983年に閉鎖されたが、2001年から修復が始まり、2002年に再開されたものだ。ボートを載せるタンクの大きさは 長さ22.9m、幅4.7m深さ2.9mあり重さは空で91トン、水を浸すと252トンになり、 ナローボートなら2隻が載るという。アルキメデスの原理でボートが載っても252トンで2つのタンクが釣り合う計算だ。 そのタンクは直径0.91m長さ15.2mの水圧ピストンで押し上げられる仕組みだ。
ボートの昇降の手順は下の写真の通りだ。ウィーヴァー川に係留していたボート(左)が下のタンクに載り入れる(左から2、3枚目)。 この時上のタンクにもトレント=マージー運河からボートが乗り入れる。タンクの扉を閉じ水圧ピストンの力でタンクが昇降される(右から2枚目)。 上下入れ替わったところでタンクの扉が開き、ボートが運河に出てくる(右)という具合だ。楽しくて時を忘れる。やはり外から見るに限る。(妻には必ずしも楽しくないようだ・・・)

Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift Anderton Boat Lift

チェスター   Chester

チェスターに向かう途中で寄り道して"Grosvenor Garden Centre"に立ち寄った。特大のガーデンセンターだったが、連れ帰るものは見つからなかった。
チェスターから出るときの事を考慮して街の南側にあるニューゲート(Newgate)の近くに駐車する。ニューゲートは1938年に渋滞緩和のために造られたものだという(写真下左)。 ニューゲートをくぐり城壁の外にでると、目の前に古代ローマの円形劇場(Roman Amphitheatre)が見える(写真下中2枚)。 1世紀に造られ4世紀には使われなくなったもののようだ。現在は北半分だけが露出している。「これだけ?」と拍子抜けしそうな遺跡だ。
チェスターは1世紀に、当時ブリテン島を支配していたローマ人がウェールズとの戦争に備えて砦を築いたのが始まりということで、 このような遺跡が幾つも見つかっているのだ。

Chester Chester Chester Chester

円形劇場と道を隔てて"St John the Baptist's Church"が見える(写真下左2枚)。11世紀に造られた建物は19世紀に大きな修復がなされたようだ。 赤い砂岩が重苦しい雰囲気だ。教会の前の芝生の中でリスがドングリを齧っている姿が微笑ましい。
教会の南下をディー川(River Dee)が流れ、対岸の"Queen's Park"へ渡る白い優雅な吊り橋が見える。渡ってみたいが、時間がない。
ニューゲートから城壁(The City Wall)に沿って西へ"The Roman Gardens"が伸びている(写真下右)。 ローマの遺跡から集めた建造物の断片で造られているイタリアンガーデンだ。2000年の眠りから目覚めたオーナメントで構成した信じられないガーデンだ。

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ブリッジ・ストリートに出た。角に"Falcon Inn"が見える(写真下左)。13世紀に始まり、17世紀に改築された建物で19世紀からインとパブとなったものだ。 17世紀のものとは思われぬ随分斬新なデザインだ。
右折すると間もなくザ・クロス(the Cross)に出る。チェスターの4つの大通り"Northgate Street"、"Bridge Street"、"Eastgate Street"、"Watergate Street"が 交差する場所だ。交差するといっても、まともに交差するのではなく少しずれているのが歴史を感じさせる。 (写真下左から2枚目がブリッジストリートからのザ・クロスの教会の風景)
ザ・クロスの周辺は中世のたたずまいがそっくり残っている。ロウズ(The Rows)と呼ばれる黒いハーフ・ティンバーに白壁が鮮やかな商店街で3〜5階建てだ。 2階がアーケードになっていて通り抜け出来るようになっている。13世紀から16世紀にかけて造られたものだ。現在は1階にもお店が入っている(写真下右2枚)。

Chester Chester Chester Chester

ブリッジストリートをザ・クロスに突き当たり、右に曲がると"Eastgate Street"で懐かしい"Eastgate Clock"が見えてくる(写真下左)。 ロウズのティンバーの骨組みの違いや窓枠の飾り、上階ほど迫り出している設計など上を向いて歩いていると人にぶつかるほど観光客で混んでいる。 アフターヌーン・ティーをしたいと思い探してみるが、気に入ったティールームが見つからない。一層のことホテルのティールームなら静かだろうとホテルを探す。 イーストゲートの時計塔(写真下右)をくぐった先の右の路地に"Hotel"のサインを見つける。

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"Macdnald New Blossoms Hotel"だ。レセプションでは泊り客らしい老女がなにやら、 ややこしい事を言っているようだ。その対応で二人のスタッフは手一杯でしばらく待たされる。ようやく解決してこちらの番だ。 アフターヌーンティーのメニューが出される。"Champagne Afternoon Tea"なるものがある。シャンパンとアフターヌーン・ティーとは豪奢なことだ。 たまにはそんな贅沢も良いだろう。「ダイニングにするか? ロビーにするか?」との問いだ。ロビーのふかふかのソファーに沈んで待つこと10分。 シャンパンが運ばれてきた。冷たくて口当たり、喉越しが良い。そして程なく、3段の銀盆に載って恭しく登場したアフターヌーンティーはご覧の通りだ(写真下左)。
一番上の段がサンドウィッチでハム、玉子、トマトが各3つずつ。定番のキュウリがないのが残念。2段目はスイーツでマカロン2、チョコレートケーキ2、 プチケーキ3種×2とたっぷりだ。下の段はスコーンが4つとイチゴジャムとクロテッドクリームだ。
サンドウィッチをつまみにシャンパンを楽しみ、生温かいスコーンにジャムとクリームをたっぷり載せて頬張り、ミルク半分のミルクティーをがぶがぶ飲む。 マカロン、チョコケーキまでは進んだが、プチケーキを1つ食べたところで満腹。残りはナプキンに包んで持ち帰り(2日後バッグの底でぺちゃんこになっていた)。 我々より後に来て、アフターヌーンティーをオーダーしたカップルの猛烈な食べっぷりには驚かされた。新聞を読みながら次々に平らげて先に帰って行った。 我々は結局この日のディナーは無しで済ませたのだ。これで会計£33.90。リーズナブルと言うべきだろう。

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イーストゲートの時計塔から城壁に上がる(写真下左)。この時計塔"Eastgate Clock"はビクトリア女王即位60周年を記念して1899年に設置されたものだ。 ロンドンのビッグベンに次、イギリスで最も写真に撮られている時計だそうだ。文字盤の”1897”は即位60周年の年号を表している。
反時計回りに城壁を歩く。ヨークの城壁を歩いたときにも感じたのだが、かび臭い臭いに鼻の奥をくすぐられるような気がする。街の歴史の臭いかもしれない。 チェスター大聖堂(Chester Cathedral)の"Bell Tower"左手に見える。 城壁の北東の角に"King Charles's Tower"が立っている(写真下中)。1613年に建てられた塔で、当初は"Newton Tower"と呼ばれていたらしい。 またこの塔は"Phoenix Tower"とも呼ばれるということだ。写真下右から2枚目は城壁を西から東を望む。左に見えるのは運河だ。

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"North Gate"(写真上右)で下り、"Northgate Street"を南下する。通りの中程右手に市役所(Chester City Council)が姿を現す(写真下左2枚)。 市役所前の歩道に象が出現。リアルな像だ。
その先を左折するとチェスター大聖堂の正面だ(写真右から2枚目)。 大聖堂の歴史は7世紀に始まるが、現在の大聖堂は1250年に着工し、250年余の歳月を費やして完成したものだ。 そして、1540年には修道院解散で解散させられるも、ヘンリー8世の命で教区教会として存続したものだという。 先ほどのセント・ジョン教会といい、市役所といい、この大聖堂も赤い砂岩で造られているので、印象がくすんで暗い。

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レクサムAFC   Wrexham AFC

サッカーとは浅からぬ縁がある。小・中学校時代は野球をやっていたが、 高校はサッカーの名門校で在学当時に全国高校選手権大会2連覇を果たすなど優勝歴4回の学校だ。もちろん校技はサッカーだ。 体育の授業は大半がサッカーだった。昼休みには1つのグラウンドで各学年が3つのボールを追って6チームがサッカーを楽しむような学校だった。 (理解できるだろうか?)だから自然の流れで大学(単科大学で1学年に男子が40名しか居なかったが)では4年間サッカー部に在籍した。 社会人になって途絶えたが、40歳で地元のおっさんチームに復活し、地域の小学生少女チームのコーチも6年間務めた。 この少女達が東京都大会で7連覇を成し遂げるほど強かった。楽しい思い出だ。再びサッカーから離れてもう20年以上も経ってしまった。
しかし、サッカー観戦はとんとしない。母校が全国大会に参加すれば(最近は少なくなった)応援に行く程度で、Jリーグの観戦歴0だ。 せいぜい、A代表の試合をテレビ観戦する程度だ。
サッカーの発祥の地はイギリスだ。その地のサッカーはどんなものか? あのジェントルマンがフーリガンと化すのは何故か? 一度観戦したいと思った。 この旅の訪問地ピークディストリクトはマンチェスター(Manchester)に近い。チケットが取れれば1晩くらい近郊に泊まって観戦したいと情報を集めると マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)やマンチェスター・シティ(Manchester City)のチケットはプラチナ・チケットで手に入れようもない。 一度は諦めたものの、宿を決めてから宿泊地から近い都市でのサッカーの試合の日程の検索を重ねた結果、レクサムAFCの今日の試合のチケットが手に入りそうだ。 更に調べると、なんとレクサムが所属する”カンファレンス・ナショナルリーグ”はトップの”プレミアリーグ”から数えて5部リーグに当たるのだ。 上位に”92チーム”も存在することが判明する。そんな下位チームの試合を見ても仕方がないかとは思ったが、物は試しとチケットを取った。 普通の指定席で一人£10とお安い。

広大なパーキングも併設されている。試合終了後暗くなっても車を見失わないよう、目印となるものを探ししっかり記憶する。 レセプションでオンライン予約のコピーを示すと、箱の中の沢山の封筒の中から我々のチケットを探し出してくれた。アナログだ。 キックオフまでまだ1時間以上ある、次々押し寄せるサポーターなど眺めていたら係員らしき男が「チケットは持っているのか?」と訊ねてきた。 チケットを見せると「席はあの入り口を入ったところだ。時間があるから、そこのドアーを入るとバーがあるからそこで休むと良い」と案内してくれる。 ビールをいただいて入り口に近い一段高くなった席に座り時間をつぶす。チームカラーの赤を身に着けた老若男女が詰め掛けてくる。 家族で応援しているのだろう。子供連れが多い。日本人観客は珍しいのだろう。ドアーを開けて我々と目が合うとドキッとした顔をする。
30分前に席に座る。予想したより大きなスタジアムだ。バックスタンドはまだ人が少ないが、メインスタンドは結構な入りだ。 練習時から声援が飛んでいる。ホームチームの選手紹介では大声援だ。因みに対戦相手は"Mansfield Town"だ。この旅の最初に訪れた Newstead AbbeyやHardwick Hallの近くの街だ。
妻の隣に座ったのは品の良い小柄なご婦人だ。「どこから来たの? もちろんレクサムを応援してくれるわね?」と声を掛けてくる。 旦那がレクサムAFCの関係者だということで毎試合応援に来るのだという。大勢の人が挨拶をしていく。周りでも挨拶が飛び交っている。 皆常連で知り合いなのだろう。後ろの席の男性からも「どこから来た。レクサムを応援だろうな」と強圧的だ。 マスコットも登場、定刻の19時45分試合開始だ。

Wrexham AFC Wrexham AFC Wrexham AFC Wrexham AFC

かなり高い離れた席ではあるが、選手が大きいので迫力を感じる。臨場感がすごい。周りのサポーターにつられてレクサムのプレーに力が入る。 右手を振り上げ「レクサ!、レクサ!」の絶叫だ。しかし、情勢は押され気味だ。品の良いご婦人と目が合う度に顔をしかめて「ダメね」とか「ヘタね」と嘆く。 案の定、先制された。それでも良いプレーには拍手で称える。選手のほうもプレーが機敏だ。ボールボーイが少ないから予備ボールが直ぐに来ないことがあるが、 走って拾いに行き、プレーが止まることがない。タッチライン沿いに給水ボトルを並べ、度々給水することがないのが良い。私はこの給水シーンが嫌いだ。 何かとプレーを遅らせる行為だし、嘗てはこんな軟なまねは出来なかった筈だ。
メインスタンドの一角にひときわ声援の大きな集団が居る。熱狂的サポーターの席らしい(写真下左)。相手の好プレーやミスに強烈なブーイングを入れる。 そのくせ、自チームのミスには寛容だ。レクサムに不利な審判の判定(私の目では公平だが)には猛烈なブーイングだ。 これが高じるとフーリガンになるだろうことが実感できる。それでも同点に追いついて前半を終わった。
ハーフタイムでもビールの売り子などやってこない。周囲でも飲食物を持ち込んでいる人はほとんど居ない。これが観戦マナーなのだろう。
1列前左手が放送席だった。3組の実況スタッフが放送をしている。耳を澄ませて聞いていると猛烈な早口でしゃべっている。もちろん意味は分からない。
後半も先制されてしまう。レクサムは後半のほうが動きは良くなったのだが、一瞬の隙を衝かれた。チャンスはあるのだが、得点できない。 残り時間5分、席を立つ人も出始めた。試合終了まで見てしまうとパーキングから車を出すのが混雑するだろう。隣のご婦人に挨拶して席を立つ。 スタジアムを出て車に向かっていると大歓声が上がった。どうやら2対2に追い着いたようだ。「レクサ!、レクサ!」の連呼だ。
車に乗りナビ子ちゃんをセットして出発したが、すでに混雑している。その内、試合が終わり出てきた歩行者が横暴だから車が動けないのだ。
ところで、今回のレンタカーでは不都合がもう一つあった。前照灯の角度が悪いのだ。手前を照らし過ぎるので、先が見え辛く怖い。 かといって、ビームにすれば対向車に迷惑が掛かるし、抗議のパッシングもされる。速度を落としての運転しかできない。 こればかりは昼間の始業点検では分からないから困ったことだ。
ホテルには遅くなる旨伝えてきた。「レセプションは24時間開いています」とのことだから心配ない。22時15分ホテル着。長い一日だった。

Wrexham AFC Wrexham AFC Wrexham AFC Wrexham AFC

後日談 : 日本のJリーグを見ずしてイギリスの5部リーグは語れまい。J2ではあるが、2011年11月12日の味の素スタジアムの FC東京対水戸ホーリーホックの試合を見てきた。まず値段が高い、安い指定席で一人3500円だ。しかし、スタジアムは断然味の素が綺麗だ。
肝心のサッカーだが、迫力がない。シュートを打たないのだから点が入るわけがない。前半は特にひどかった。互いにボールを回すだけで、 スピード感はないしワクワクするものはない。サポーターものべつ幕なし騒がしいだけで声援にメリハリが欠ける。
後半になってベテランI選手が入り、外人選手が入ってFC東京の動きが良くなった。特に二人の外人選手の動きが良い。 後半2点を取り、FC東京が勝った。これでJリーグ昇格に大手が掛かったという。
結論 レクサムの試合と味の素での試合を比べたら断然レクサムでの試合が見応えがあった。”サッカーは点を取らなければ勝てない”のだ。 ”点を取るためにはシュートを打たなければ入らない”のだ。プロチームなら目標は優勝しかないと思うのだが・・・。
文句を言いながらも生の臨場感は良い。自転車で通えることだし、来期はJリーグの試合が見られそうだ。また観戦しよう。

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