第5日 9月18日(日) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Horsleygate Hall --- Renishaw Hall --- Brodsworth Hall --- Harewood House ---
York Gate Garden ---Skipton Castle --- Ashfield House Hotel
今日の走行距離 197km
今日の万歩計 16,800歩
出発時点の気温 17℃
ホースレイゲート・ホール Horsleygate Hall
暖かな朝を迎えた。ひょっとすると朝から昨日の最高気温に達しているかもしれない。今日でホースレイゲート・ホールともお別れだ。
オーツケーキを除いたフルイングリッシュにしていただく。マーガレットに「昨夜のThe Angelはどうだった」と尋ねられ、
満席で他にも何軒も探した揚句、ピーコックになったことを話すと「それがあなた方の宿命なのよ」と笑われる。
満腹のお腹を抱えてガーデンに出る。朝晩2階の窓から見下ろした限り8年前より充実していると見たが、間近で見て如何か?
国立公園ピークディストリクトの只中のロケーションだから、丘陵のスロープを巧みに取り入れている。
ハウスはパーキングやコテージのあるレベルより一段高い位置にある。部屋数3つのB&Bだから決して大きなハウスではないが、
南側のパーキングからの階段下から見上げると天井が高く堂々たる構えだ。
ハウスの東側にテラス状にガーデンが広がる(写真下左から2枚目)。ハウス北側の更に一段高い位置にキッチンガーデンを主体とした
ガーデンが展開する(写真下右から2枚目)。
ハウス東のテラスガーデンはローンガーデンに続きロックガーデンがある(写真下左)。樹木や灌木の葉色の豊富さに唸る。
その奥の林の中のスロープの通路を進むと木の下に原種のシクラメンが可憐な花を見せている(写真下左から2枚目)。
道具小屋にはバラがクライミングし周囲はコテージガーデンの趣だ(写真上下右)。
キッチンガーデンは柘植や枕木を使って整形され、区画ごとに様々な野菜が栽培されている(写真下左)。
美味しそうだが、これらの野菜がフルイングリッシュに供されることはない。自家用としたら二人では食べきれないだろうにと要らぬ心配をする。
キッチンガーデンは家庭菜園と異なり効率的に野菜を栽培するのではなく草花やオーナメントも含めたガーデンなのだ(写真上下右から二枚目)。
キッチンガーデンの西側には果樹園も広がり、各種のリンゴがたわわに実っている(写真下左から2枚目)。
オーナメントも沢山あって眼を楽しませてくれる。写真上は自然素材で手造りされたものを並べた。
左の白いものは葉っぱか実の殻かはっきりしない。次はチェーンソーアート作品、”いっちば〜ん”と名付けた。
中はキノコ、石突きは木製、傘の部分は金属製だ。茅葺の東屋も手作り感一杯だ。木の蔓で造った大きな籠も遊び心を感じさせる。
重厚なオーナメントも数々ある。写真下左からサンダイアル、華麗な裸婦像、大きな壺、奇妙な石のオブジェ、石垣の上の石製コンテナ、
どれもガーデンに風格を与えている。ガーデナーのポリシーが伝わる。
写真右の玄関横の木製ベンチも手造り感に溢れている。丁度お出掛けの3人家族のオーツケーキのお父さんが「写真を撮りましょうか?」と声を掛けてくれた。
レニショウ・ホール Renishaw Hall
15日に時間がなくて見送ったレニショウ・ホールが諦めきれない。
極めて少ない情報の中で”ここは良さそうだ”と閃くものがあったガーデンだ。
そこで、ノースヨークシャーに向かう前に寄り道することにした。オープンは10時30分なのでホースレイゲート・ホールのガーデンを
のんびり楽しんで出発したのだが、10時10分に着いてしまった。今夜から4泊のホテルはディナーが2日分付いたパックにしたのだが、
まだその日にちを連絡してなかったので、この待ち時間に電話を入れる。ディナーは19時15分からと決まっているらしい。
入口に最も近い場所に駐車していたのでゲート(写真下左)から出てきた紳士が話しかけてきた。「ウエルカム。どこから来た? ホールの予約はしてあるか?」
など話している内にガーデンがオープンしたようだ。ゲートと思っていた所はミュージアムの入り口でガーデンの入り口は別の所だった。
"Ticket Kiosk"で料金を払い入場すると"The Top Lawn"という芝の広場に出る。六角形の建物が目に入る。ガーデンマップに"Gothick Aviary"とある。
何と昔は鳥小屋だったのだ。その隣の並木は"Lime Avenue"80m程の長さだ。並木の終点には何かフォーカルポイントが見える。
その隣がホールの南面に展開するアウトドアールーム・ガーデンだ。イチイの生け垣で仕切られたガーデンが12あるという。期待のガーデンだ。
最初の部屋は"The 'First Candle'"と称しているが、真ん中に噴水のあるフォーマルガーデンで名前の意味は理解できない(写真下右)。
次の部屋が"The Middle Lawn"だ。正にホールの真前に広がる芝の広場だが、その美しさは表現し難い。パノラマ写真でイチイの生け垣の厚さ、
その前のボーダーの植え込みのリズミカルな形・色、白い優雅なオベリスク、ホールの壁を覆う植物などお楽しみあれ。
この光景はガーデンの中心にあるから何度も舞い戻り飽きることなく眺めることになる。
レニショウ・ホールは1625年にシットウェル家(Sitwell Family)の住まいとして建てられ、現在もその子孫が居住している。
ガーデンは基本的に1886年から1889年に造られたイタリアン・ガーデンだが、1895年にSir George Sitwellにより改造されたようだ。
ホームページによると最近になって屋敷からガートルード・ジキール(Gertrude Jekyll)とエドゥイン・ランチェス(Edwin Lutyens)からの
ホールやガーデンの設計図や写真を含む手紙が発見されたという。画家のガートルード・ジキールと建築家のエドゥイン・ランチェスは
協力して19世紀末から20世紀初めに掛けてコテージ・ガーデンやアウトドアルーム・ガーデンを確立した二人だ。
このガーデンの仕切りが不十分でアウトドアルーム・ガーデンとしては完成度が低く感じるのは1895年という年代に関係がありそうだ。
すなわち、改造時にはまだ黎明期にあったアウトドアールーム・ガーデンと元からのイタリアン・ガーデンを融合させたものだから
完成度が低く見えるのだろう。
ジキールとランチェスといえども試行錯誤しながらのガーデンデザインだったと思うと気持ちが楽になる。飽くまでも素人の推察に過ぎないが。
ここからホール前のテラスに上がる。"The South Front"だ(写真下左2枚)。ホール前を飾るボーダーの植栽も多様で多彩だ。
ホール東角のルームは"The Ballroom"だ(写真下右2枚)。舞踏会が開けそうなほど整備され美しい庭だ。
生け垣の前の2頭の馬に牽かせた貝殻の戦車に乗っているのは海の神ポセイドンと見た。
"The Middle Lawn"の東の並びが"The 'Second Candle'"だ。The 'First Candle'と同じ噴水があるが"Candle"を想わせるものは見当たらない。
並行して二つのサンダイアルが置かれている。全てのオーナメントが重厚だ。
The Ballroomと東側の森に挟まれた部分がThe 'Chapel End'"だ。ガーデンの一隅に建物の残骸のようなものが並べられており(写真下左)、
別の一角にもそれらしきものが飾ってある(写真下左から2枚目)。
森の中の小道を南に進むと落ち葉の中に原種のシクラメンが密かに咲いている。
その先が"The Stone Tank Garden"だ。名前の通り大きな石の桶があるガーデンだ。嬉しいことはただ古いガーデンを守っているだけではない形が見られることだ。
それがガーデンの周りに配された数々の新しいトピアリーだ。陽だまりでの経験からして何十年もは経ていないと思われる。
左から”キリン”、”かたつむり”、”鳥”、”うさぎ”、”犬”と見受けた。キリンの角が面白いアイディアだ。
かたつむりは陽だまりでも作成中で親近感が湧く。犬の飛びつくようなデザインが良い。幾つかアイディア頂きだ。
ガーデンというものは古き良きものを守りつつ常に進化して行くことが大切だと確認できて嬉しい。
次はホール前のThe South Frontから数えると2段目のテラスと3段目のテラスの間のボーダーだ。石垣とイチイの生け垣に挟まれた80m程のロングボーダーだ。
The Middle Lawnへ上がる階段の両脇にある像はディアナとネプトゥヌス(ダイアナとネプチューン Diana and Neptune 写真下右2枚)で
このガーデンの像の中で最も価値のあるものだという。
3段目のテラスも3つのルームに別れている。中央は"The Swimming pool"と名付けられている。
プールは直径20m程あり、中央から噴水が高く吹き上がる。囲まれた生け垣の前はバラを含むボーダーになっている。
The Swimming poolの東側が"The Fish Pond"だ(写真下左から2枚目)。ポンドの中の島の植栽は今一つだ。
4段目のテラスは半径15m位の半円形のガーデンで"The Half Moon Borders"と分かり易い命名だ。
そこへ下りる円形階段の脇にも神話の神であろう像が立っている(写真下右2枚)。何んとも荘重・優美なガーデンだ。
像が見下ろす先は何処までも牧草地が広がっている。
ここはウッドランド(Woodland)もきっと良さそうだと思い訪れる。ウッドランドの入り口にも二つの像が立っている。こちらは兵士のようだ(写真下左)。
奥へと進むと"The Bluebell Woods"にでる。深い森の中に"The 'classical Temple'"の姿が神秘的だ。
ましてや周囲がブルーベルの花で埋められたらどんなことになるのだろう。想像するだけで身震いする。
ここはモダンな像も色々展示されている。The Bluebell Woodsにあったのはポリスマンをモデルにしたものらしい(写真下右から2枚目)。
ミュージアム(Sitwell Museum and the Performing Arts Gallery)の中庭にあったのは何を表現しているか分からないが力強さを感じる(写真下右)。共に金属製だ。
素晴らしいガーデンの記念にショップで小さなシュガーポットとミルクジャーを求める(写真右 下のトレーについては後日のお楽しみ)。
ブロズワース・ホール Brodsworth Hall
さて、いよいよノースヨークシャーへの移動だが、その前に経路のウエストヨークシャーに気になるホールの情報がある。
"one of the most unusual ・・・"とある。興味をそそられる。それが
ブロズワース・ホールだ。
1860年代にチャールズ・テルソン(Charles Thellusson)がイタリアで出会った若き建築家に依頼して建てたホールで、
120年以上に亘りテルソン家(Thellusson family)の住居であったが、1990年からイングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage E.H)の所有だ。
私達は昨年からE.Hのメンバーになったが、更新手続きができていなかったので改めて入会する。
パーキングから森に囲まれ見事に整備された芝の中に白亜のホールが見えてくる。ホールの南に広がる広大な牧草地との境は
分厚いイチイのヘッジで仕切られており、そのヘッジの各所にイタリアから運んだ大理石の像が立っている(写真下左)。
ホールは一段高く築かれ、テラスのスロープの階段にはお洒落なコンテナと犬の像が飾られている。この家族はスポーツやヨット、競馬を愛好し、
犬が好きだったのでホールの守りに犬を置いたのだという。そういえば、ガーデンの片隅にペットのお墓(pet Cemetery)があった。
写真下左から2枚目が"South Terrace"で3ヶ所に階段がある。右から2枚目は"West Terrace"で1カ所の階段がある。
この西面にガーデンが展開しているのだが、ホールから広いローン・ガーデンを挟んで針葉樹の高木を囲んでおびただしい数のコニファーで構成された
ガーデンが現れる(写真下右)。ここにも大理石の像が配されている。Pinetumとしては風変わりだ。
様々な形に刈り込まれたコニファーが、今までに見たこともない奇妙な雰囲気を醸し出す。
その西側にある"Formal Flower Garden"がまた奇妙なガーデンだ。華やかさを通り越して派手派手しさに呆れてし笑ってしまう程だ。
真ん中にイタリア製の大理石の噴水がある。3段の水盤があり、イルカの彫刻が施されている。"Dolphin Fountain"という。
2ヶ所にモンキーパズルの木が聳え、芝を切り取ったフラワーベッドは輝くばかりのシルバーレース(白妙菊)で縁取られ、カラフルな草花で埋まっている。
その草花の中にもトピアリーされたコニファーや見事に仕立てられたスタンダードのバラが植栽されている。
シルバーレースや草花、コニファーやスタンダードのバラ、どれをとっても一つひとつはすばらしい生育ぶりだが、バランスは如何なものかと首を傾げる。
その西側に築山があり、頂上にテンプル調のサマー・ハウス(Summerhouse)が立っている(写真下左)。
そこから見下ろすと小さなロックガーデン(Rock Garden)とグロット(Grotto)が見える(写真中2枚)。
ロックガーデンには小さな高山植物が、グロットには350種類に及ぶシダ類が植栽されている。
グロットへのスロープのフェンスも蔦を絡ませたユニークなものだ(写真下右)。
北の方角の森の中を進むとローズガーデン(Rose Garden)がある。優美な曲線の柘植の生け垣で仕切られたボックスからバラが溢れ出そうに咲いている(写真下左)。
その中央に40mのアイアン製のパーゴラがあり、白いバラが絡んでいる(写真下中)。曲線が優しさを生みだす。
ローズガーデンに並行して"1920s Herbaceous Border"が通っている。分厚いイチイのヘッジで仕切られたボックスに珍しい植物が名札を付けて植栽されている。
森の経路に素敵な像が立っている。マスクを持った女性像だ。どことなく妖艶な雰囲気だ。
このガーデンはE.Hが19世紀の状態に復旧したものなのだ。19世紀末は産業革命で出現した富裕層が都市近郊に家を建て、貴族に対抗し庭を造るが、
敷地は限られていたためランドスケープ・ガーデンのような大規模なものは造れないので草花を取り入れた小ぢんまりしたガーデンを造った時代だ。
またこの時代は、貴族や富裕層は植民地などにプランツハンターを遣わし、珍しい植物を収集した時代とも重なるのだ。
このガーデンは"a collection of grand gardens in miniature"と呼ばれ、"the desires and aspirations of Victorian country gentry"であったのだ。
テルソン家は”奴隷売買で富を得た”との記事もあった。カッスルやホールの立派なガーデンを見る度に貧富の格差を感じ釈然としないもどかしさを感じる。
ハーウッド・ハウス Harewood House
ノースヨークシャー最初の訪問地はハーウッド・ハウスだ。
ハーウッド・ハウスはエリザベス女王の叔母にあたるメアリー王女(Princess Mary)の嫁ぎ先で今のハウスは12年の歳月を掛け1771年に完成したという。
パーキングからハウスに向かうとハウスの西側にフォーマル・ヘッジガーデンとでもいうのだろうか、パンフレットのガーデンマップにも名前のない一画がある。
広大なガーデンには他に案内する場所が多く、こんな小さなガーデンは案内もされていないのだ。
小さいと言っても40m四方はある。八角形の池のあるスペースを挟んで北側が20m程のライムウォークが通る(写真下左から2枚目)。
このライムは菩提樹(linden)のことで柑橘類のライムとは異なる。お約束通りフォーカルポイントの像がある。
反対の南側にはピラミッド型のトピアリーが整然と並ぶヘッジガーデン(写真下右から2枚目)、そして、東側は40mのライムの並木だ(写真下右)。
並木の下の木蔭はシクラメンの原種に適した場所なのだろう。周囲は柘植のヘッジで囲われ、風からも保護されている。
ハウスの南面のテラスの入り口は両サイドをスフィンクスの像が護る。壁際には赤いダリアとブルーサルビアのビビッドな配色の植え込みが印象的だ。
一方、コンテナのヘリオトロープとフクシアの植栽はシックな色合いだ。フクシアの葉の色が珍しい。
テラスから階段を上がれば"State Rooms"だが、私達は例によりガーデンオンリーだ。階段脇のオーナメントも重厚で歴史を感じさせる。
ここは"The Terrace Gallery & Cafe"の入り口だ。
テラスは2段になっている。下のテラスを見て驚いた。眼下に135m×35mの壮大なパルテア(Parterre)が広がる。正に息をのむ光景だ。
このテラス・ガーデンはロンドンの国会議事堂を建築したチャールス・バリー卿(Sir Charles Barry)によって1840年に造られたもので、
1944年に修復されている。
ワクワクして下りて行くとポツリポツリと来たと思ったら、いきなり土砂降りに見舞われる。雷まで鳴りだした。
多くの観光客と一緒にThe Terrace Galleryに駆け込み、雨宿りがてらギャラリーを巡る。展示してあるもの以外にも引き出しや戸棚を勝手に開けて見ることができる。
主に食器やグラスなどが何千何万と収納してある。当家は西インド諸島の砂糖取引で財をなしたということだが、いつもながら富の集中に鑑賞意欲を削がれる。
雨が上がり再びテラスに出る。素晴らしい像がある大きな噴水が2基がある。2つの像は元はバリーのオリジナルデザインの石造(写真下右)だったが、
一方が壊れた為、1984年にブロンズの像(写真上右)に替えたようだ。
ブロンズ像は”オルフェウス(Orpheus)”と名付けられ豹を担いだ堂々たる姿だ。
その周りをシンメトリーに柘植のヘッジで輪郭された花壇がデザインされている。花壇の総延長は1マイル(1.6km)に及ぶという。
そして植栽されている植物の数は2万本以上になるという。今はヘリオトロープで埋め尽くされているが、季節によって様々に植え替えられるらしい。
雨に濡れて灰色に写っているが、晴れていれば白い玉砂利に浮き上がる様に見える効果が出て更に美しいことだろう。
1段目と2段目のテラスの境界は美しい欄干が135mに渡って連なり、その裾は分厚い植栽のボーダーガーデンになっている(写真下)。 高さといい、幅といい、溢れるように咲き乱れているが、素晴らしくコントロールされたボーダーに唸るばかりだ。 このガーデンのヘッドガーデナーが"Professional Gardener of the Year"に輝いていることがうなずける。
また、ここはランスロット・ケイバビリティ・ブラウン(Lancelot 'Capability' Brown)によって1844年にデザインされたランドスケープ・ガーデン
(Landscape Garden 英国式風景庭園)としても有名なガーデンなのだ。テラスの先には牧草地と森が広がり、黒い牛がのんびり草を食み。
遠くの湖畔には白い水鳥が羽を休める姿が望める(写真右)。豊かな光景だ。
ブラウンが活躍した時代は人工的な整形式庭園が批判され、多くの王族・貴族がイタリア風景画に憧れこれを自分の庭に再現しようとしたのだ。
その第一人者がブラウンで、それまでにあった整形式庭園を惜しげもなく壊してランドスケープ・ガーデンに造り直したのだという。
そのブラウンもこのパルテアはさすがに壊せなかったのだろう。残っていて良かった。
他にも"Lakeside Garden"、"Himalayan Garden"、"Walled Garden"やペンギンもいるという"Bird Garden"などもあるのだが、
大雨の後で通路は水が溜まっているし芝も水を含んで歩けないので断念する。
ヨーク・ゲイト・ガーデン York Gate Garden
どこからどうして入手したかは忘れたが、わずか1エーカーの小さなガーデンで木曜日と日曜日の14時から17時までのみオープンという
ヨーク・ゲイト・ガーデンの情報がある。
近くの小さな教会の情報も魅力的だ。この教会は水曜日の午前と日曜日しか開いていないようだ。
スケジュールをピンポイントで合わせた。ナビ子ちゃんの案内で近くまでは来ているはずだが見つからず、右往左往する。
ローカルロードの路肩にガーデンのパーキングの小さな標識を見つける。ここから教会の敷地を通り抜け裏通りに抜けるとガーデンだった。
到着が15時50分、時分時だから入口の小さなスペースはお茶をする人で一杯だ。こんなに小さなガーデンなのにティールームが用意されているのに驚く。
こちらの人は時間が来たら、どこにいてもお茶にしないと済まないようだ。取り込み中だが、スコーンを販売している女性からチケットを求め入場する。
この庭はスペンサー家(Spencer family) が1951年から1994年に掛けて造ってきたものでヒドコートマナー(Hidcote Manor Garden)の
アウトドアールーム(Garden Room)方式を参考にしているという。私の大好きなガーデンスタイルだから興味津々だ。
ガーデンマップに従って巡る。先ずは"Driveway"だ。お茶を楽しむ人に占められているが、舗装の中に直径6mほどの円形迷路"Pavement Maze"が
レンガで刻まれている(写真下左)。それにつけても、こちらのガーデンには"Maze"が良く見られる。牧草や芝を刈って道を作っただけのものから、
背丈より高いイチイの生け垣でセパレートされたものまで様々だが、ガーデンで楽しむというポリシーが感じられる。
次は"Old Orchard"だ(写真下左から2枚目)。小さな池の回りの水生植物やガーデンの仕切りとなる樹木や灌木の多様さが見える。
屋根の落ちてしまった東屋(Arbour 写真上左)を通って"Pinetum"へ移る(写真上左から2枚目)。針葉樹を集めたガーデンだが、
このスタイルもイギリス人好みのようだ。天を衝くヒマラヤスギなどを集めたスケールの大きなものから小さなコニファーを寄せ植えしたようなものまで色々ある。
続いて"Dell"と名付けられた小川の流れる一画を過ぎると"Folly"と名付けられた東屋がある(写真上中)。このFollyもイギリスのガーデンには良く登場する。
辞書には”大金をかけた無用の建築”と出ている。元は貴族が遊び心で造った建造物のことだが、庶民も遊び心でガーデンに愉快な物を作って楽しむのだ。
次は"Sybil's Garden"だ(写真下右から2枚目)。円形ガーデンで真ん中に噴水があり、植栽は半円だけしてある。Sybilとは多分このガーデンを造った人の名前だろう。
因みに、ガーデンの名前はガーデナーの発想で自由につけて楽しむものだと私は理解している。
"Canal Garden"は名前の通り水路のあるガーデン(写真上右から2枚目)、"Fern Border"も名前の通りシダ類だけを植栽したボーダーだ(写真上右)。
ガーデンルームの切り替えに円形(ロンデル Rondel)のスペースを使い、通路を四方に分けたり、高さを変えたりの機能をさせる。
ヒドコートには大きなロンデルがあるが、ここは極めて小さなロンデルだ(写真下左)。シシングハーストにもロンデルがあった。陽だまりにも導入した。
ロンデルから北に入ると"Herb Garden"がある(写真下左から2枚目)。トピアリーの形も面白い。突き当たりには"Summer House"がある。再び降り出した雨をここで遣り過ごす。
東屋の横から"Alley"と名付けられた小径が伸びる(写真下中)。生け垣はブナの木だ。突き当たりにはフォーカルポイントのサンダイアルが立っている。
そこからハウスに向って"White & Silver Garden"(写真下右から2枚目)、折り返す通路は"Kichen Garden"となる(写真上下右)。ここには素敵なベンチがあった。
オーナメントもファーニチャーもバラエティーに富み楽しくなる。
ハウス周りに遣って来た。キッチンガーデンの隣に屋根つきの作業スペースがあり、自然素材やガーデンの植物を使ったオブジェが展示されている。
写真下左から2枚目は"Paved Garden"という。石板で舗装されたスペースに様々なコンテナが置かれ植栽されている。
ハウスの壁を覆うのはピラカンサだ。見事にトリミングされている。ガーデナーの遊び心から始まったものだろうが、既に芸術品だ。
最後は"Front Garden"、家の正面を飾るボーダーの植栽が美しい。
趣向の変わる沢山のアウトルームに大いに刺激を受けた。期待した通り得るところの多いガーデンだった。
Drivewayに戻るとティータイムの客も少なくなって2人の男性が迷路に挑戦していた。ガーデンを心から楽しむ姿が微笑ましい。
アデル・セント・ジョン教会 Adel st. John Church
アデル教会は小さな教会だ。先を急ぐので外観を眺めて立ち去ろうと歩き出したが、
後ろ髪をひくものがある。引き返して中に入ると神父が一人佇んでいる。写真撮影OKを確認し、内陣に向かって1枚撮ったが、他に目ぼしいものも見つからない。
帰ろうとすると、神父が話しかけてきた。この教会はその歴史を12世紀に遡ることなどを話した後、「こちらに来なさい」と内陣の左手の扉を開け、
通路を通った別棟に案内された。そして写真下右から2枚目のステンドグラスの説明をしてくれる。
1681年のものでチャールズ2世(Charles II)他の紋章を描いているらしいが、十分には聞き取れない。
入口に戻り、ポーチのアーチについて説明が始まる。刻まれた彫刻が風化してきたので19世紀に屋根を付けたらしい。
他にも軒下の彫刻などもいわく因縁があるようだが、説明はほとんど理解不能だ。
それでも熱心な説明に感謝して心ばかりの寄付をすると"History of Adel, Yorkshire"というフルカラー92ページの立派な冊子をくれた。
重い思いをして持ち帰ったが、宝の持ち腐れだ。
スキプトン城 Skipton Castle
ヨークシャー・デールの中心地スキプトン(Skipton)に遣って来た。スキプトンでは幾つか遣りたいことはあるのだが、既に17時25分では
スキプトン城しか開いていない。18時までオープンはありがたい。
スキプトン城はスコットランド人からの攻撃に備え1090年に木造の城として建てられたのが始まりで、
1310年にエドワード2世(Edward II)から所有権を得たクリフォード家(Clifford Family)が1676年まで居城としていたという。
立派なゲートの一番高い所に"DESORMAIS"と刻まれている(写真下中)。フランス語で「ここから先は通さない」という意味だとか。
しかし、入場料を払うと「どこから来たか?」と訊ねられる。「日本から」と応えると日本語で順路と概説を記した案内図を渡され、入場させてくれる。
保存状態も良く立派な城だが、家具や調度品は何もない。それでも当時の暮らしぶりが偲ばれる。ワインセラーやビアーセラーも備え、キッチンも立派なものだ。
"Banqueting Hall"では宴会が頻繁に開かれたのだろう(写真下左)。
写真上左2枚は中庭に面した壁の彫刻。クリフォード家の紋章だ。写真上中は正面のタワー、城の裏は川が流れ絶壁になっており自然の要塞だ(写真上右から2枚目)。
写真上右はタワーの見張り窓からの眺望だ。
城の片隅に12世紀のチャペル(The Chapel of St John The Evangelist)の廃墟が残っている(写真下右から2枚目)。
アシュフィールド・ハウス・ホテル Ashfield House Hotel
ヨークシャーデール4泊の宿は私達としては珍しくホテルにした。といっても部屋数僅か8室の小さなホテルだ。
アシュフィールド・ハウス・ホテルはグラッシントン(Grassington)という
スキプトンの北10kmにある小さな村にある。食事が自慢のホテルとの情報なので”4泊2ディナー”のパックにした。
経営者夫婦と若い女性2人で切り盛りしているようだ。ホストのジョー(Joe)は小太りで人の良さそうな男だ。シェフを兼ねているらしい。
ホステスのエリザベス(Elizabeth)は陽気でお喋りな女性だ。「ベスと呼んで」と自己紹介の後、ホテルの説明を丁寧にしてくれた。
ゆっくり説明を受けていたら、ディナー開始まであと僅かだ。
急いで着替えをしラウンジに下りて行くと1組のカップルがいる。セルフサービスのバーからビールを出して飲みながら話をする。
スコットランドからのカップルらしい。私達が年1回のガーデン巡りの旅を11年続けていることを話すと。
「夫婦共通の友達がアバディーンで庭を造っている。トムというんだ」と言う。「トム? ドクター・トムか?」と訊くと「イエス」の返事だ。
「ドクター・トムの所なら昨年6月に訪ねました」、「エ〜! Rubislaw Den Northのトムのところか?」、「イエス Rubislaw の5番だったね。
探すのに苦労したから番地も覚えているよ」と思いも寄らない展開になる。
ドクター・トムのガーデンの様子は
こちら。
カップルはしょっちゅう訪ねているとのことでディナーの準備ができたと呼ばれるまでトムのガーデンの話題で盛り上がる。
それにつけても、”世界は狭い”とつくづく感じる。
スターターはポテトスープ、メインは妻がポーク、私はラム、デザートはVictorian Plum Crispsだ。期待したほどの味ではないが、
ベスの賑やかな持て成しでテーブル間の交流もあり楽しいひと時を過ごす。
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