2011年の旅 ノース・ヨーク・ムーア編

花花

第9日 9月22日(木) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       Ashfield House --- Sutton Bank --- Kilburn --- Byland Abbey --- Helmsley Walled Garden ---
                         Rievaulx Abbey & Terrace --- Nunnington Hall --- Goathland --- Burnley House
今日の走行距離     214km
今日の万歩計      18,000歩
出発時点の気温     12℃

アシュフィールド・ハウス・ホテル  Ashfield House Hotel

Ashfield House Ashfield House

ホームページの構成上は今日からノース・ヨーク・ムーア編となるが、ヨークシャー・デールの北部をこの後もう一日訪れる予定だ。
今日の朝食は二人ともフルイングリッシュにする。グレープフルーツのシロップ漬けにたっぷりのヨーグルト、オレンジジュース、ベリーのシェイク。 生野菜はなくともバランスのとれた食事だ。写真にバターが写っているが、手を付けることは稀だ。
隣の席のカップルはオーストラリアから来たという。6週間の旅でパリやスペインも回ってきたという。仕事は教師をしているというが、 今の時期に6週間の休暇が取れるのだろうか。人ごとながら気になる。
レクサム付近の宿の手配はジョーがしてくれたようだ。「昨夜、空き室のある宿を2ヶ所見つけたが、電話の印象が良かった方を仮押さえした」という。 「部屋のランクが2種類あるがどちらにするか?」とのことだ。最後の宿だから奮発して高い方にする。「今はまだ朝の忙しい時間だからもう少し後で 電話をする」という。さすがにご同業の事情を配慮している。
荷物をパッキングして車に積み込み、出発準備OKとなったところで、支払いを済ませ、電話をしてもらい予約完了。 分厚い宿情報誌の該当ページをコピーしていただき、ジョーと記念写真を撮り出発だ。ベスは休憩に入ったようだ。アットホームな素晴らしい持て成しのホテルだった。

サットンバンク  Sutton Bank

サットンバンクへ向けA170を東進する。 イングランドで最も長い地名の村として知られる"Sutton - under - Whitestonecliffe"(数えると何と27文字ある)を通過したあたりから厳しい山道となる。 勾配は最大25%でヘアピンカーブも並ではない。そのため重量積載物車両(HGV)の立ち往生で毎年百数十回も閉鎖されるという悪名高き道路だ。 勿論キャンピングカーなどのキャラバンは通行禁止だ。
"Keep in low gear"の標識が林立している。登りは一速でなければ進めない場所もある。早めにシフトダウンしないとエンストを起こす可能性がある。 危険なのは下りだろう。減速をブレーキばかりに頼っていると重大事故に繋がりかねない。”落石注意”の標識のある右側から高い岩肌が迫る ヘアピンカーブを喘ぎながら(ドライバーが喘ぐ訳ではないが…)登り切ると"Sutton Bank National Park Centre"のあるパーキングだ。
車を止めビューポイントに向かって歩き出す。犬を連れ散歩をしているカップルと目が合う。「こんにちはビューポイントはこちらですよね?」 と訊ねると「どちらからいらっしゃいましたか? ビューポイントはここを入ると直ぐそこですよ。戻ったらあの道路の向こうに、もう1ヶ所ありますよ」と 手招きしながら連れていってくれる。犬の散歩のために車で遣って来た地元の方だろう。旅人にはありがたい親切だ。

Sutton Bank Sutton Bank Sutton Bank Sutton Bank

Sutton Bank

ビューポイントでまず目につくのが石灰岩の白い断崖(Whitestone Criffe 写真上左2枚)だ。この日は上天気であったがすこし靄っていて白さが映えない。 この上には紀元前400年頃の砦があったという。目を下に転じれば農地や牧草地がパッチワークのように美しく広がる(写真上右から2枚目)。 更に右方向には神秘的な色の小さな湖が見える。底なし湖ともいわれるゴーマイア湖(Gormire Lake 写真下左から2枚目)だ。
上空に光るものがある。グライダーだ。この断崖を利用して飛び立つグライダークラブが1930年代初期からここにあるのだという。 この後キルバーン(Kilburn)に向かうローカルロードの脇にヨークシャー・グライディング・クラブ(Yorkshire Gliding Club)の看板と 沢山のグライダーとそれを囲む人達が見られた。
更に山道を下って行くとホワイトホース(White Horse of Kilburn)の駐車場がある。パーキングから見上げたホワイトホースは首が見えない(写真下右から2枚目)。 1857年に造られたもので大きさは横97m、高さ67mもあるのだ。サットンバンクから見たクリフの裏側に当たる場所だ。 以前、別のホワイトホースの山に上ったことがあるが、白い岩があるだけのことだったので登るのはやめにする。
ホワイトホースの全身が良く見える場所を求めて側道に入ったりもしたが、元の道のナショナルパークのサインポストのある場所が一番良く見えた(写真上下右)。 ほのぼのとしたホワイトホースだ。サインポストとホワイトホースの写真はなかなか良い構図と一人悦に入っている。

Sutton Bank Sutton Bank Sutton Bank Sutton Bank

キルバーン  Kilburn

更に下ってキルバーンの村に入る。05年にホワイトホースを探して通過した際、この村の美しさに惚れ惚れしたものだ。 今回は花の季節ではないので前回ほどの華やかさは見られないが、良く手入れをされたフロントガーデンから村の人々の穏やかな暮らしぶりが感じられる。
この村の売りがホワイトホースとRobert Thompson's Craftsmen Ltdだ。 イングリッシュ・オーク材を使った家具やクラフトが人気だ。前回は帰国後この情報を知り地団太を踏んだものだ。

Mouseman

ロバート ・トンプソンの工房で作った製品には必ず”ネズミ”が彫られているのだ。それゆえ。ロバート ・トンプソンは"The Mouseman of Kilburn"と呼ばれる。 今回の旅の記念の目玉として何か求めて帰ろうと決めてきた。
"Mouseman Visitor Centre"は小さな建物だが、素晴らしい家具やクラフトが展示されている。妻は書き物机(Writing Bureau)が甚くお気に入りだ。 他にも垂涎ものの家具ばかりだが、狭い我が家には合わない。しかし、小物も幾つか置かれている。「これは求めることができるか?」 と店員に訊くと「あちらのショップでお求めください」という。道路を挟んで向かい側にショップがあった。 ショップの前にはオークの厚い板が自然乾燥(naturally seasoned English Oak)されている。
最初に気に入ったのはトレーとして使えそうなボードだ。"Small Chopping Board/Tea Pot Stand"とあるからまな板として使っても良いようだ (写真右上 クリックするとネズミのアップに)。写真は購入した時のままの色だが、保護のためオリーブオイルを塗るとダークオーク色になった。 今や我が家のキッチンにいつも鎮座している。

Mouseman

もう一つ気に入ったのが壁掛時計 "Small Octagonal Wall Clock"だ。これがリビングにあったら豊かな気持ちになれるだろう。 しかし、ちょっとお値段が張る。思案の末、求めることにした。帰国してホームページを見たら"Today's investment will become tomorrow's heirloom" と記されている。正にその通りだ。”旅のショッピングは迷ったら買え”の経験則はここでも生きていた。この時計を見る度にこの幸運に感謝する日々だ。
この壁掛時計だがショップに2つあったものとビジターセンターにあった物で色合いやネズミの形が微妙に違う。ビジターセンターの方がお気に入りだと伝えると、 一人しかいない店員がその旨伝えに行った。ビジターセンターの女性が持ってきてくれて、3つを見比べ、ビジターセンターにあったものに決定する(写真右下)。
工房も見学できる。しかし、丁度ランチタイムで作業はしていない。職人さんはそれぞれ自分の持ち場でサンドウィッチやリンゴのランチを楽しんでいる。 流れ作業でなく、一つの製品を一人の職人さんが作製するようだ。それ故、ネズミを見れば誰の作品かが分かるのだという。
"Keep an eye on that mouse tho' he's partial to cheese !"とのご忠告だが、我が家では今のところ被害はない。

Kilburn Sutton Bank Sutton Bank Sutton Bank

バイランド修道院  Byland Abbey

バイランド修道院は05年に訪れた時は、 ミスティーなお天気の上、工事中でもあったので車窓見学で済ませた。その印象から然程期待していなかったのだが、入場して驚いた。 予想よりずっと大規模な修道院廃墟だ。
1135年に設立されて以後、4ケ所を変遷して1177年にこの地に落ち着いたという。その1ケ所はこの後訪れるリーヴォール修道院(Rievaulx Abbey)から1マイルの オールド・バイランド(Old Byland)という村に建てられたのだが、リーヴォール修道院から鐘の音が重複するからタイムテーブルを変えるようとクレームが付き、 タイムテーブルを変える位ならと、こちらに移ったという嘘のような話だが、史実らしい。
その後14世紀後半にはファウンテインズ修道院、リーヴォール修道院と並び"Three Shining Lights of the North"と称されるまでに発展したのだ。
しかし、1538年に修道院解散で屋根が外され、土地も内部の金目の物もヘンリー8世に没収され、廃墟と化す訳だが、厳粛さが漂う廃墟具合が良い。

Byland Abbey Byland Abbey Byland Abbey Byland Abbey

イングリッシュ・ヘリテージの受付嬢は極めて愛想が良い。日本人は珍しいのか盛んにウエルカムの姿勢を見せてくれる。
衝撃の西正面(West Fron)だ。姿が良い。3つのランセット窓の上は巨大なばら窓(Rose Window)の下半分の輪郭が残っている(写真上左)。 ヨーク・ミンスターのバラ窓のお手本となったという。左部分だけ残っている可愛い尖塔も微笑ましい。ゲートのアーチも重厚にして華麗だ(写真上右)。どこをとっても美しい。 そして、色が良い。この黄色みを帯びた明るい色合いが廃墟の哀愁を消している。
側廊の辺りから南北翼廊と身廊東面を見た写真が上左から2枚目。右から2枚目が逆に西正面と身廊北面窓の写真だ。
その他の部分の輪郭もしっかり残っているので、修道院の規模は見て取れる。西正面の他にもう一つ高い残骸は南翼廊の壁だ(写真下右)。
見学者も少なく、時が止まっているように静だ。周囲に大きな村はない。 深い緑に囲まれた荘厳な廃墟の所々にその昔修道院で薬草として使われであろうハーブの鉢植えが置かれているのが面白い。

Byland Abbey Byland Abbey Byland Abbey Byland Abbey

ヘルムスリー  Helmsley Walled Garden

05年にはヘルムスリーの街は通過したのみだ。 マーケット・スクエアーのマーケット・クロスと沢山のバイクが印象に残っている。そのマーケット・スクエアーに遣ってきた。相変わらずバイクが沢山止まっている。 スケジュールの都合でここではマーケット・クロスの写真を撮るだけなのでペイ&ディスプレイをしないで車から降りる。 マーケットクロスと思っていたモニュメントを撮り(写真下左)戻ろうとすると、隣にもう一つ十字がある(写真下左から2枚目)。 どちらがマーケット・クロスなのか? 取り敢えずこちらも撮る。ふと気付くと駐車場の監視員が見回っている。危ない所だ。急ぎ車に戻り出発する。
帰国後調べると、左のモニュメントはこの街ゆかりの第2代伯爵のWilliam Duncombeの像だ。この子孫が現在もこの街の郊外の "Duncombe Park"にお住まいで、そこのガーデンが素晴らしいとの情報だが、 6〜8月しかオープンしていないのだ。ということは2枚目がマーケット・クロスということか?  保証の限りではない。旅から帰ってこんなことをサーチしてみるのも楽しみの一つだ。正解は見つからなくても良いのだ。

Helmsley Helmsley Helmsley Helmsley Helmsley

Helmsley

この街のもう一つの"What to see"がヘルムスリー・ウォールド・ガーデン (Helmsley Walled Garden)だ。B1257沿いの美しい姿のヘルムスリー教会(Helmsley Parish 写真右)の反対側の小路を入ったパーキングに車を止める。 ヘルムスリー城(Helmsley Castle)もお隣だが、廃城はパスにしてウォールドガーデンに向かうと入口の元納屋とおぼしき建物にワークショップが立ち並んでいる。 ウェディングケーキやさん(写真上中)、ステッキ屋さん、アクセサリー屋さんなどのショーウィンドーに釘付けになってしまうがショッピングは帰りにしよう。
エントランスのショップのディスプレイが面白い(写真上下右)。お洒落なガーデングッズも並んでいるが、気に入ったものは残念ながら大きく重たいものばかりだ。
ウォールド・ガーデンの壁の向こうにヘルムスリー城が見える(写真下左)。左のタワーは12世紀のもので、右側は15世紀に居宅として建てられたものだ。

Helmsley Helmsley Helmsley Helmsley

このウォールド・ガーデンは18世紀、上述のDuncombe Parkのハウスと同じ頃に造られ、その当時はハウスに供給する果物や野菜、切り花などを作っており、 19世紀にはエキゾチックな果物を育てるための温室も造られ20人もの専属ガーデナーが働いていたという。
しかし、第一次大戦などの影響でウォールド・ガーデンは放棄されてしまった。そして、1994年から園芸療法(Horticultural Therapy)を行う フィーリング・ガーデン(Healing Garden)として再開されたのだ。
温室前から伸びるボーダーは"Double Hot Border"と称しているが、私好みの植栽ではない。他にアウトドアー・ルーム式の幾つかの小さなガーデンがある。 年代を感じさせるオーナメントや手作り感のあるオブジェやファーニチャーも多いのだが、どこか侘しさというかうらぶれた雰囲気がする。
象の鼻から水の出る噴水のある小さなルームはバラ中心の植栽だ(写真下左から2枚目)。まだ出来たばかりのようだが、これからが楽しみだ。
キッチンガーデンと果樹園にかなりの面積を割いている。地元のコミュニティーやボランティアの協力で作っているらしい。 案山子のデザインが素晴らしい。羊もいる所が良い。植物に付けたネームタグはスレート製の手作りで面白い。真似てみたい。
園芸療法は身体的・精神的障害に効果があることは疑わないし確信しているが、それをガーデンの役割と謳うことには私は積極的になれない。 そこに居る人が”安らぎ”、”寛ぎ””癒される”としたらそれで良い。そんなスタンスでガーデニングをしたい。
最後はお楽しみのショッピング。アクセサリーの店"The Bead Workshop"に入る。手作りのアクセサリーと手染めのシルクのスカーフが並んでいる。 知人にスカーフとシルクのブローチ、娘達にビーズのネックレスを求める。ラッピングの動作が遅いこと甚だしい。 「あなたが作ったものですか?」と訊くと「いいえ作家は別にいます」。さもありなん、そんなにのんびりしていたら作品が間に合わない。 話し掛けるとさらに動作が鈍るので黙って見つめる。イラッ。

Helmsley Helmsley Helmsley Helmsley Helmsley

リーヴォール修道院  Rievaulx Abbey

リーヴォール修道院は05年に訪れた時は 入場しないで遠くから眺めただけだったが、深く哀愁感、寂寥感を覚えた印象だ。今回も深い谷を下り、開けた窪地に見えたアビーは哀愁に満ちていた。 北の3大修道院のファウンテインズ修道院、バイランド修道院と比べて、そう見えるのはこのシチュエーションの所為かもしれない。 後は丘(この後訪れるテラス)に守られ、修道院を広げるために流れを変えたというライ川(River Rye)に挟まれ、森に囲まれているというシチュエーションだ。
この谷に12人の僧により1132年に設立された(ファウンテインズ修道院と同年だ)当時は木造だったが、1135年から石の修道院が建てられ、 増改築が繰り返され発展したのだ。それゆえ4つの修道院があると言われる。知識のない私にも、確かに石の色や建築様式の差は見て取れる。
全盛期には150人の修道士と500人の平修道士を擁し、鉛や鉄の鉱山をもち、沢山の羊を育てファウンテインズ修道院に匹敵する繁栄をしたという。

Rievaulx Rievaulx Rievaulx Rievaulx

レセプションを抜け南西方面から廃墟を望む(写真上左)。写真の右手に見えるのが13世紀初めの内陣(Sanctuary)、左手に見えるのが食堂(Refectory)、 中央部は居住区だ。
最も美しい内陣に行ってみる(写真上右3枚)。修道院の構造は普通は東西軸なのだが、ここは南北軸で建てている。 柱、ランセット窓の彫刻も精緻だ。写真上右が内陣から翼廊の交叉部を望む。その先の身廊は落ちてしまっている。写真下左は逆に新郎部分から内陣方向を望む。
写真下左から2枚目は回廊のコーナーのアーチ(Cloister Arcade)、これは相当初期のものと見て取れる。写真下右から2枚目は食堂西面。 写真下右が外から見た食堂西面、12世紀半ばの建物だ。焼けたように黒い石がある。火災でもあったのだろうか。 サイト全体が東から西に向かってスロープとなっているので棟ごとに段差がある。このことが南北軸で建てられた理由だろうと想像する。
それにつけても、この哀愁感は心を沈ませる。寂しい気持ちで廃墟を後にする。

Rievaulx Rievaulx Rievaulx Rievaulx

リーヴォール・テラス  Rievaulx Terrace and Temples

急坂を登ってB1257に戻った地点を鋭角に右にターンしてリーヴォール・テラスの 取り付け道路に入る。森の中をしばらく走るとパーキングだが、車が1台しか止まっていない。スタッフの車とすれば客はゼロということか。
このテラスはヘルムスリーの項で述べたDuncombe家のThomas Duncombe IIIによって1750年代に造られた。リーヴォール修道院を見下ろす丘の上に 半マイル(800m)のゆるやかに蛇行するテラスがあり、散策する眼下に木々の間を通して修道院の廃墟の美しい姿を眺めることができる。 それが自然の森の木々をカットして、800mの間に13ヶ所から廃墟の眺望(13 vistas)が開けるようにしたのだというから仰天する。

Rievaulx Rievaulx Rievaulx Rievaulx

Rievaulx

レセプションを通り、ウッドランドの細道を南に下り、テラスの最南端に出る。ここにドーム状のテンプルがある(写真上左)。 トスカナ寺院 (Tuscan Temple)といい、ここから20km程南東にあるカッスル ・ハワード(Castle Howard)のドームの縮小版ということだ。 窓から覗くと八角形のテーブルが置いてある小さな部屋だ(写真左)。
北に向かって歩き始める。幅20mから50mの芝の緑地帯が蛇行している。テラスの谷沿いを進んでいくと修道院が見える。 立ち止まり薄い靄が掛かった神秘的な姿に見入る。歩を進めると森の木に遮られ修道院は姿を消す。更に進むと再び姿を現す。 その都度違った顔を見せてくれる(写真上中2枚、下左2枚)。ビューポイントのベンチに座りしばし感慨にふける。 修道院だけでなくその先に広がるライデール(Rye Dale)の谷の美しさにも感動する(写真上右)。
一人占めかと思っていたが、お年寄りカップルが遣ってきて谷が見えない森際のベンチで休んでいる。「谷際のベンチから美しい廃墟が見えますよ」と 知らせに行ったら「知っていますよ」とのことだ。余計なお節介でした。
テラスの北の端に神殿風の建物がある。2つ目のテンプルでイオニア寺院(Ionic temple)という(写真下右2枚)。ローマの"Fortuna Virilis"を模して造ったという。 中を見ることはできないが、ギリシャ神話をモチーフとした素晴らしい天井があり、宴会が開けるよう家具、調度も揃っているのだという。 地下にはキッチンなどがあったというが、今はエキジビションになっている。
ここから大量の化粧石が見つかっていることから、Thomas Duncombe IIIはこのテラスと自分の住まいDuncombe Parkのテラスとを繋ぐ巨大な高架橋を 建設する予定だったのではないかと推測されているのだそうだ。その間2マイル(3.2km)何という壮大な発想だろう。

Rievaulx Rievaulx Rievaulx Rievaulx

ナッニントン・ホール  Nunnington Hall

ナッニントン・ホールにはラストアドミッションの16時30分ギリギリに着いた。 しかし、パーキングは離れた所にある。とりあえず、妻を下しチェックインだけさせる。リーヴォール修道院を流れていたライ川がヘルムスリーの街を通り、 ホールの横を流れている。川を渡って車を止め、専用の歩道橋を通ってホールに行くと「ガーデンオンリーならごゆっくり」ということだ。やれやれ間に合った。

Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall

ガーデンはハウスの南側にあり、ウォールドガーデンというには広すぎるほどの壁に囲まれている。目についたのはローズ・ボーダーだ(写真上左2枚)。 通路を挟んで両側に50mほどのボーダーだ。思いの外に花を付けている。ここはオーガニック栽培だというが、虫にも病気にも侵されず健やかな生育ぶりに感心する。 中でも"Easygoing"とネームタグが付いたアプリコットの中輪のバラの花付きがすごい(写真下左)。陽だまりにもお迎えしたいと思う。
伝統的な果樹園(Traditional Orchards)でも知られている。その中に鮮やかに花を咲かせたようなリンゴの木が1本ある(写真上右)。
近くまで行くと"The Nunnington Wishing Tree"と表示されている。"Help Build A Tree of Dreams"とも記されている。 ”願い事を込めてリボンを結ぶとご利益がある”と理解した。日本でいえば絵馬というところだろう。レセプションにリボンが用意されているようだが、時間が遅い。 説明の最後は"Wishes are free and dreams are powerful things"と素敵な言葉で締めくくっている。ロマンチックだ。 (興味ある方はこちらのサイトを)

Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall

ナッニントン・ホールは13世紀に始まる領主の邸宅(Manor House)で現在の建物は17世紀のものが中心らしい。蜂蜜色が素敵な建物だ(写真下左)。
だが、その美しさにもかかわらず、その所有は幾つかの手に渡り、幾つかの悲話を生み、幾つかの幽霊が出るとの噂だ。お館には付き物の孔雀もいる。
怖いお館に背を向けてガーデンを見渡す(写真下左から2枚目)。手前のローンガーデンの両側が果樹園、真ん中の通路の左も果樹園、 右が野菜や果物、切り花などのためのキッチンガーデンだ。通路の先に見えるゲートアーチが写真下右から2枚目で、その先は牧草地となる。
果樹園が多いのは、この地域はリンゴの栽培が盛んでナッニントンに鉄道が通っていた頃はリンゴ列車(Apple Trains)が走っていたという。

Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall

キッチンガーデンに案山子があった。女性の案山子が綺麗に着飾っているのに、男性の案山子は作業着に長靴だ。おまけにメタボと来る。
ナスタチウムとスイートピーなどで覆ったドームは未完成のようだ。手入れをしていたガーデナーに話を伺う。バラの素晴らしさを誉めたら喜んでくれた。
クローズドの17時丁度、パーキングを出発しようとナビ子ちゃんを操作していると、男性が窓をノックする。手には”おーいお茶”のボトルをもっている。 外人さんが何故”おーいお茶”と思ったら、私の忘れ物だった。車に乗る時コンソールボックスに移すためにリュックサックから出して、 車の屋根に置いたのを忘れて出発しようとしたのだ。赤面ものだが、丁重にお礼を言い出発する。

Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall Nunnington Hall

ノース・ヨーク・ムーア/ゴースランド  North York Moors/Goathland

宿に向かうにはまだまだ早い。今年はノース・ヨーク・ムーア鉄道に乗る予定は建てていない。 乗物というものは、すべからく乗ってしまうと意外と楽しくないものだ。”これに乗りたい!”と思うのはそれを外から撮った写真を見て感動したからなのだ。 05年に乗ったこの路線も07年に乗った"Bluebell Railway"も08年に乗った"Romney, Hythe and Dymchurch Railway"も車窓からの眺望は期待ほどではなかったのだ。
そんな訳で今年はノース・ヨーク・ムーア鉄道の写真を撮ってみようと目論んでタイムテーブルをプリントアウトしてきた。
撮影場所も地図と睨めっこしていると素晴らしい場所が見つかった。グーグルの衛星航空地図で確認したが良い絵が取れると確信している。 ノース・ヨーク・ムーア滞在の4日の内、どこかでと思ってきたが、早くもチャンスだ。最終の列車が撮影ポイントを通るのは18時15分だ。
まだ十分に時間はある。先ずはペトロールを満タンにする。ムーアの中ではいざペトロールステーションを探しても見つからない危険性もある。早めに入れておこう。 それにつけてもイギリスのペトロールステーションは合理的だ。日本もセルフのスタンドが増えたが、何やかやと従業員がいる。 こちらではポンプが10台くらいあっても従業員は1人、その上、コンビニを兼ねているのだから。かといって、ペトロールが安い訳ではないが…。 今年はリッター£1.36平均だった。円高とはいえ、換算すると180円を超えるだろう。

North York Moors North York Moors Goathland Goathland Goathland

さて、ムーアに突入。見渡す限りヒースの荒野もあれば緑豊かな牧草地も現れる。何より交通量が少ないから高速ドライブが快適だ。 期待してきたヒースはさすがに”一帯紫の海”とは行かないが、所によって”紫と言われれば頷くにやぶさかではない”程度に紫の所もある(写真上左)。 地図のビューポイント(写真上左から2枚目)をホッピングしてひたすら走る。時折小さな村を通過するがほとんど人に出会わない。
少し早めに撮影ポイントに着く。その場所はゴースランド駅(Goathland Station)のすぐ南で線路を跨ぐローカルロードの橋の上だ。 近くの道路脇に車を突っ込み止める。交通量も少ないし大丈夫だろう。橋の上で何度もカメラを構えアングルを確認する(写真上中)。 いっぱしのカメラマン気取りだ。しかし、妻は退屈そうだ。我慢していただこう。
北の方角から音が聞こえてきた。ピーっと汽笛が鳴り、ディーゼル機関車が入線してきた。通過してしまうのかと紛うほど進んで止まった。 列車が長過ぎてホームが足りないのだ。随分長い停車時間だ。運転席から降りた運転手の動作が怪しい。どうやら立ち○o○か? (写真上右から2枚目)
運転手の用が済んだら出発だ。橋を潜る時目が合った。先程の光景を思い出し、にやりと笑うと、照れ笑いをして、手を振って通過した。 列車は終点のピッカリング(Pickering)を目指し走り去った(写真上右)。残り3日の内に時間が取れたら、今度は蒸気機関車の写真を撮りたいものだ。

ハットン=ル=ホール   Hutton Le Hole

ハットン=ル=ホール に遣って来た。今宵から4日間、念願の”ここの村人”となる。
05年7月12日夕方、この村を通過した。美しい村の光景に強いインパクトを受けた。”この村に泊まってみたい”と思った。 その思いは昇華して”あの村に住んでみたい”に変わって行く。(05年に車中から撮ったたった1枚の写真が下左だ)
今年の旅の計画を立てる際、最も迷ったのがこの地域での宿泊先だ。ハットン=ル=ホールが真っ先に頭に浮かんだのだが、 05年に宿泊したB&Bリバー・ファーム(Riverside Farm)のBillとJaneの人柄も忘れられない。考えれば考えるほど、どちも捨て難くなる。 ”2泊ずつ両方に泊まろうか”とまで考えたが、そこまで優柔不断は許されまい。タイムリミットが迫り、村唯一(と思われる)のB&Bに予約を入れ、 部屋が取れればハットン=ル=ホール、だめならばリバー・ファームに予約を入れることにする。 結果、バーンレイ・ハウス(Burnley House)に遣って来たという訳だ。
村は少しも変わらぬ姿で迎えてくれた。メルヘンチックな村の住人になれると思うとワクワクする。 私のワクワクをお伝えする為に、後日の朝の散歩で撮った写真を特別にお見せしよう。下右2枚がそれだ。どなたにもご理解いただけただろう。
イギリス・カントリーサイド・ドライブで訪ねた街や村は数知れないが、住んでみたいと思った場所は他に一つしかない。 それはフィンチングフィールド(Finchingfield)だ。 どことなく共通点がある。緑の牧草、白い柵、青い水のある情景だ。これが私のイギリス・カントリーサイドの原風景かもしれない。 しかし、フィンチングフィールドの村人にの思いは、まだ叶っていない。
バーンレイ・ハウスは何と村に入って最初に飛び込んでくる思い出の光景の中にあったのだ。ローカルロードが村に入り、白い柵が始まり、左側最初の家だった。 老夫婦二人きりで仕切っているB&Bだ。時刻は19時。荷物の運び込みを手伝っていただき、挨拶が終わると直ぐにお勧め(といっても村に1軒切り)の パブに向かう。ザ・クラウン(The Crown)までわずか200mの距離だ。道路の左側は小さな小川まで一面牧草地だ。川には白い柵と橋が見える。 ここを早朝ゆっくり散歩しよう。牧草を食む羊たちは人を恐れる様子もない。右側には教会があり、アイスクリーム屋、ティールーム、チョコレート屋、 博物館、お土産屋などが立ち並びその先がザ・クラウンだ。

Hutton Le Hole Hutton Le Hole Hutton Le Hole

ザ・クラウン  The Crown

ザ・クラウンはインも兼ねているようだ。 ドアーを入ると大勢の客が立っている。満席かと危ぶんだが、奥の方には空席がある。入口はビールを楽しむ地元の人達が屯しているのだ。 カウンターに行きマスターらしき男に「食事がしたい」と伝えると「どこでも好きな場所へ」と言う。カウンターに近い大きなテーブルに座る。
先ずはビールをハーフパイントずついただき、メニューを見る。車エビフライ(Breaded Scampi)とポーチド・サーモンをオーダーし、 人間ウォッチングを楽しむ。地元の人達が明るい。小さな村だからほとんどが知り合いなのだろう。誰彼となく声を掛け、挨拶が飛び交う。 辺鄙な村を訪れる東洋人は少ないのだろう。ウォッチングされているのはむしろ自分達だが、そんな視線にも慣れた。 私は白ワインのラージグラスに替える。妻はエールビールが美味しいとお代りをする。スカンピは小さなエビなのにプリプリしている。 サーモンは妻の好物だ。付け合わせのチップスが美味い。これを全部食べたらメタボになるだろう。他の野菜も鋭意いただくことにしよう。 ワインを赤に替え、のんびりとディナーを楽しむ。値段もリーズナブルだ。
帰路は暗くなっていた。街灯がないから道は真っ暗だ。足元手探り?ながらだが、見上げれば満天の星空が広がる。漆黒の闇と綺麗な空気のお蔭だ。
次回来るとしたら懐中電灯を持って来ないといけない。

The Crown The Crown The Crown

写真たっぷりの旅行記をご覧ください
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