2010年の旅 アバディーン編

花花

第19日 6月8日(火) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程        Castle Hotel --- Auchindoun Castle --- Balvenie Castle --- Spayside Pottery --- Ballindalloch Castle --- Rothes Castle ---
               Elgin(Cathedral, Biblical Garden) --- Spynie Palace --- Duffus Castle --- Suenos Stone --- Rodney's Stone --- Castle Hotel
今日の走行距離      202km
今日の万歩計       14,900歩

Castle Hotel  カッスルホテル

実際にはホテルのある場所はアバディーンシャー(Aberdeennshire)であり、今日の観光はモレー(Moray)なのだが、便宜上今日からハイランド編とする。 そもそも、ホームページの構成の都合でこの旅を6つの編に区切った所に無理があるのだ。ご理解を
朝食もメインダイニングだ。さすがにホテルだ。ホットミール以外のコーナーも豪華だ。ジュースもヨーグルトもフルーツもパンも種類豊富で目移りしてしまう。 とはいっても、食べられる量は限度がある。ほどほどが良かろう。
昨夜の賑わいが嘘のように静かだ。あの会合は地元の人達で、あの後帰ったのだろう。皆飲んでいたと思われるが、それで良いのだ。
ここのはフルスコティッシュブレックファストも種類豊富だ。8種類も出てきた。妻は昨夜のディナーが重すぎたとサーモン・スクランブルエッグにした。
雨が降り続き肌寒い朝だ。ホテルの玄関にカラフルで大きな傘が置いてある。雨の中でも幾らか心明るくなれそうだ。フロントに断り、1本借用する。

Castle Hotel Castle Hotel Castle Hotel

Auchindoun Castle  オーキンダウン城

A941はA道路にしては狭くて舗装もお粗末な道路だ。 オーキンダウン城 は左の標識は見つかったが、侵入は憚られるような悪路だ。A941の路肩が少し広くなっている場所に駐車し歩いてみる。ホテルで借りた傘が役立つ。 500mくらい歩いた所で、雨に煙る廃城が見えてきた。15世紀中頃に建設され城らしいが侘しい風景だ。足元の悪い中これ以上歩く勇気はない。引き返そう。
森の中から突如、鹿の親子が現れた。急いでカメラを用意する隙に遠くへ逃げてしまった。下右の写真にかろうじて写っている。

Auchindoun Castle Auchindoun Castle Auchindoun Castle

Balvenie Castle  バルヴェニー城

B9014からB975とダフタウン(Dufftown)を迂回する形で バルヴェニー城に到着。 ここも歴史は13世紀に遡るが、血塗られたと言ったら大袈裟だが複雑な歴史があるようだ。ヒストリック・スコットランドのホームページにも"One castle and three dynasties"とある。
13世紀後半にコミンズ(Comyns)家の居城として建てられたものだ。その当時の城壁(カーテンウォール  curtain wall)が今も残っている(写真下左から2枚目)。
15世紀初めにはダグラス(Douglases)家の所有となるが、ここにもロバートT世(Robert the Bruce)が関与していたようだ。
そして15世紀半ばからはスチュワート(Stewarts)家の所有となり、大きな改装がなされ今の形となったようだ。写真下左が外から見た正面の姿だが、 右端のタワーは16世紀に増築されたものだという。
そして、1562年にはメアリー女王(Mary Queen of Scots)を迎えているが、1720年には城は放棄され廃墟となって行くのだ。

Balvenie Castle Balvenie Castle Balvenie Castle Balvenie Castle

中庭の真ん中には井戸(well)がある。16世紀の伯爵の住まいの部分は保存状態が良い。各部屋の暖炉から上を見上げると空が見える(写真上右)。 外観からも幾つもの煙突(Chimney)が見られる。窓のある壁の分厚い構造にも驚く。部屋の天井はドーム状で高い。 正面入口(Archway)の鉄の扉が黒々としてかんぬきも物々しい感じだ。
バルヴェニーと言えば、スコッチ・ウイスキーの銘柄としての方が名が通っているかもしれないが、勿論、お城が元祖だ。

Balvenie Castle Balvenie Castle Balvenie Castle Balvenie Castle

Countryside  カントリーサイド

スコッチ・ウイスキーの蒸留所はスコットランドに110カ所以上あるという。中でも最大の産地がこの辺り、スペイ川(River Spey)流域のスペイサイドといわれる地域だ。 バルヴェニー城とB975(Castle Road)を挟んで向かい側は、シングル・モルト売上世界No.1の グレンフィディック蒸留所(Glenfiddich Distillery)だ。 その姉妹蒸留所がバルヴェニー蒸留所で同敷地内にある。
05年の旅ではここのショップで21年物を求め、ご満悦になったものだ。あちこちの蒸留所により4本のシングル・モルトを持ち帰ったのだ。
今は機内持ち込みの規制が厳しく100ml以上の液体は持ち込めない。出国手続き後の免税店で求められるから同じだと思われるかもしれないが、 求めた蒸留所の雰囲気を思い浮かべながら飲むシングル・モルトはやはり一味違うものだ。その意味では旅の楽しみが一つ減ってしまい寂しい限りだ。

Spayside Pottery  スペイサイド・ポタリー

Countryside

A975からクライゲラヒー(Craigellachie)でA95に入り西進すること15km、街らしい街は1つあっただけで後は両脇緑の畑か牧草地だ。 快適に飛ばしていると"Pottery Open"の小さな看板が目に入る。またもやUターン、スペイサイド・ポタリーだ。
この手の店はなかなか入りにくい。客が誰もいない店に入り、気に入ったものが見つからなかった時「Thank you bye」で出てくるのは勇気がいることだから。 様子を窺い何となくフィーリングが良さそうに感じ、取り付けの砂利道を進む。車の音を聞きつけ女性が出て来て店を開けてくれる。 カップやポット、ボールなどシックな色合いの陶器が並んでいる。中でも五角形の大皿(Pentagonal platter)が気に入った。 "Heather Swirl"と名がついている。地味な青色のゆったりした渦巻き模様に縁はベージュだ。
しっかりパックしてもらい店を出ると、工房に居た陶芸家を呼んで紹介してくれる。ご夫婦とのことだ。記念写真を撮りサヨナラする。

Ballindalloch Castle  バリンダロッホ城

バリンダロッホ城に遣ってきた。16世紀からのマクファーソン・グラント(Macpherson-Grants)家の居城だ。 スペイ川(River Spey)とエイボン川(River Avon)が合流する広大な丘陵地に立ち、別名"The Pearl of the North"と謳われるという。
A95を右折、取り付け道路に入ると直ぐに料金所(Admission hut)が現れる。OAP(old age pensioner)のGround Onlyのチケットを求める。二人で6ポンドだ。 今回の旅はナショナル・トラスト、ヒストリック・スコットランド、イングリッシュ・ヘリテージの会員になっているので、入場料を払うことが少ない。 そして、こちらではありがたいことに入場料に必ず"OAP"とか"Senior"とか"Concession"などの設定があり、高齢者は割引になるのだ。 料金所を通って1km以上走ってようやくパーキングに到着する。

Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle

先ずはウォールド・ガーデン(Walled Garden)に向かう。その通路のシャクナゲが色鮮やかに咲いている。色の種類も豊富だ。
城の450周年を祝って1996年にデザインし直されたウォールド・ガーデンだ。入口のアイアンゲートのプレートに "God's Garden  The kiss of the sun for pardon, The song of the birds for mirth, One is nearer God's heart in a garden than anywhere else on earth." と記されている。Dorothy Francesの詩だ。期待感が膨らむ。
75m四方の壁に囲まれたガーデンは対照的に抑制した色遣いに好感が持てる。壁の足元のボーダーのヘッジのキャットミントのブルーとホワイト2色の花が見頃だ。 真ん中に一段低くなった直径20mくらいの円形の池があり、噴水が湧いている。周囲の植え込みはバラのようだ。素晴らしくコントロールされているが、季節には早い。
その周りに4つの円形のガーデンがある。中心にそれぞれ異なる少年の像が立ち、宿根草やバラが植え込まれている。ヘッジはここもキャットミントが爽やかに咲いている。

Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle

壁の外に洒落た温室がある。設備の整った立派な温室だ。格の違いが表れる。城も”北の真珠”を越える優雅さだ。城の壁際のボーダーの高く厚い植栽も見事だ(写真下右から2枚目)。
城を挟んでウォールド・ガーデンの反対側にロックガーデン(Rockery)があるが、植栽が厚く岩が見えなくなっている。大きな岩の間を水が流れるロックガーデンなのだ。 そのパステルカラーの色彩計画(カラースキム)には眼を瞠るばかりだ(写真下右)。

Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle

城とパーキングの間にキングサリのアーチがある。何年でこんなに大きくなるのだろう。
お城のタワーの玄関の上の紋章の彫刻に"TOUCH NOT THE CAT BOT A GLOVE"と刻まれている。。マクファーソン家の格言(Motto)のゲール語で英語に直すと "Touch not the cat without a glove"だ。”爪をむき出したヤマネコに触るな”ということらしい。
このエステートはアンガス牛(Aberdeen Angus cattle)の生産でも有名らしいが見渡す限りでは牛の姿はない。代わりにアルパカが見られた。
この城はその名を冠した”バリンダロッホ・ キャッスル”という銘柄のシングル・モルト・ウィスキーでも知られるところだ。 ショップで知人へのお土産を一つとポストカードを数枚求める。

Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle Ballindalloch Castle

Rothes Castle  ロセス城

Rothes Castle

ロセス城についての情報は極めて少ない。 どうしてここの情報を得たのかも分からないが、訪問予定先リストに載っているのだから、行き当たりばったりの訪問ではない。
A941を北上、ロセス(Rothes)のハイストリートを注意しながら走行していたのにも拘らず、案内標識に気がついた時には通り過ぎていた。 街中は30マイルの規制だが、キロに直せば48kmだ。小さな標識では通り過ぎるも道理だ。 Uターンして西に入ると直ぐに丘の上に僅かばかり残る城壁(カーテンウォール)が見えてきた。道路脇に車を止め、近くまで行ってみるが絵にならない。
13世紀の城の廃墟だという。17世紀に城主が他所に引っ越してからは、盗賊のアジトとなったので、住民が壊してしまったという記述があったが定かではない。 様々なエピソードがあるものだ。

Elgin Cathedral  エルギン大聖堂

今年のスコットランドの旅は廃墟の旅と言っても良いかもしれない。今日も4つ目の廃墟の訪問になる。一般的に廃墟は城よりも大聖堂の方が美しいと思う。 中でもスコットランドで最も美しいといわれる エルギン大聖堂 に遣って来た。1224年に始まり1270年の火災、1390年の戦火、1402年の放火を乗り越え、1560年の宗教改革(Reformation)で棄てられるまで、 発展・拡大してきた大聖堂の廃墟だ。黄色の砂岩でできた建物は荘厳・優美と言うほかはない。その歴史を思うと畏敬の念を抱く。
エルギン(Elgin)の街中にパーキングを見つけ、通りがかった紳士に道を尋ねる。親切に教えてくれた道は遊歩道だ。A96を歩道橋で渡ると公園(Cooper Park)だ。 図書館の辺りから前方に美しいタワーが見えてくる。2つのタワーに挟まれた西正面(West Front)だ(写真下左)1224年の建設当初のものだという。
右手のレセプションから入場する。南側廊のわずかに残る窓枠は15世紀に改修されたものだ。狭間飾りも残っている(写真下左から2枚目)。 素朴な石の像は司教をかたどったものだろう。詳しい情報は見つからない。東の端(Feast End)の内陣(Chancel)の部分は良く残っている。バラ窓にもその下の2段の窓にも 素晴らしいステンドグラスがはまっていたのだろう(写真下右)。想像するだけで厳粛な気持ちになる。

Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral

写真下左から、西正面の2つの入り口の一つから東の内陣をみる。
今は落ちてしまって柱の基部しか残っていない身廊から西正面のタワーを望む。
身廊から見た内陣。
棺などが置かれている内陣の南回廊(South Transept)。
わずかに残る北翼廊(North Transept)だ。
大聖堂は東西に軸を持って建てられる。外装では西正面が内装では東の端の祭壇がおかれる面が最も装飾的であるのは、東がキリストを象徴する方角であることから、 民衆が自然に東を向くような装飾を施してあるのだという。

Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral

一角にピクト十字の刻まれた石板(Pictish Cross Slab)が立っている。19世紀に他所で発見されたものをここに立てたのだという。 表が十字架と人物像、裏に三日月や円盤、馬に乗る人物と猟犬が見られる。
西正面のタワーの中は螺旋階段があり登ることができる。大聖堂の周囲は沢山のお墓が立っていて気持ちの良いものではない。 やはりバラ窓のある姿が壮麗で良い(写真下右)。

Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral

回廊から8角形の建物に繋がっている。15世紀に修復された参事会会議場(Chapter House)で完全な形で残っている。中に入って驚きの光景だ。 ドーム型の天井は周囲の8本の柱と中央の1本の支柱によって支えられている。これが石で造られているとは信じがたい。 窓にはシンプルなステンドグラスがはめられている(写真上中、下中2枚)。

Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral Elgin Cathedral

Biblical Garden  聖書の庭

エルギン大聖堂の隣に聖書の庭があるとの情報だ。 私は全くの無宗教だが、ガーデンと聞けば見過ごせない。大聖堂から100mと離れていない。
聖書に出てくるたとえ話(Parables)を彫像で伝えたり、聖書に登場する植物110種を植え込んであるのだという。

Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden

入口に聖書を読む3人の男女の像がある(写真上左)。何か意味する所があるのだろうか。そこからケルト十字の形の通路が伸びる(写真上右)。 十字がクロスする場所に井戸がある。"Jesus and the woman at the well in Samaria"の場面を表している(写真下左)。キリストは白い像だ。
その先には"The Prodigal Son"のたとえ話の親子の像だ(写真下左から2枚目)。そして十字のトップは"The Rainbow Bed"だ(写真下右から2枚目)。 まだ植栽したばかりだが、シーズンの鮮やかな色彩が思い起こされる。後ろのラティスはエルギン大聖堂を模したものだ。
クロスする十字架の右側には"Samson pulling down the Temple"の像だ。怪力サムソンがぺリシテ人の神殿を壊しているシーンだ。
反対側の左には"The Good Shepherd"、善き羊飼いのたとえ話を表しているものと思う(写真上中)。 シナイ山(Mount Sinai)を模した丘にはモーゼの十戒(Moses receiving the Ten Commandments)のたとえ話と思われる像がある。

Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden

入口から井戸までの通路の両脇の花壇には幹が木質化した素晴らしいスタンダード仕立てのフクシアが林立している。フクシア大好きの妻が歓声を上げる。 種類が違うフクシアを全部撮れとのご下命だ。見分けられる範囲で5種類か? 足元のベゴニア同様、この先の華やかさが分かる。正にパラダイスを表しているようだ。

Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden Biblical Garden

Elgin  エルギン

Elgin Elgin Elgin Elgin

街に戻るクーパー公園に"Cooper Park Bowling Club"のボーリング場がみえる。平日の午後2時というのに大勢の人がユニフォームを着てゲームに興じている。 しばらく観戦するが、ルールも分からないし、チャレンジしてみたいと思わせるものはない。ボールを集める道具が面白い(写真下左)。
妻は朝を軽くしたのでお腹が空いたという。ハイストリートのモールで買い物客や若者に交じってティータイムにする。並みの甘さではないが、活力の源だ。 二人分合わせて£4.55(600円)とリーズナブルだ。
東西に通るハイストリートは途中で2つに分かれその中央帯に"St Giles Kirk"(写真下中)とモニュメントが立っている。右から2枚目は"War Memorial"、 右は"Elgin's Fountain"1846年のものだ。
妻に時間を訊ねると、眼をぱちくりしている。時計がおかしいと言う。見れば時計の針がないのだ。芯が折れて落ちてしまっている。 結婚当初求めたものだから、かれこれ40年の代物だ。長い間ご苦労様ということで、新しいものを求めることにする。丁度、目の前の H.SAMUELのショーウインドーに 時計が並んでいる。気に入ったものが見つかり、ベルトの調整をしてもらっている間にアクセサリー売り場を見ていた妻が、 娘たちへのお土産にピッタリのペンダントを見つける。3つを求めたが、店員の手際の悪さは呆れるばかりだ。こちらでは慣れっこになっているはずだが、 ここの店員はひどかった。

Elgin Elgin Elgin Elgin Elgin

Spynie Palace  スパイニー宮殿

スパイニーからエルギンに大聖堂が移った後もモレーの司教の住居はスパイにーにあったのだ。それが スパイニー宮殿だ。 宮殿は12世紀後期に建てられ、1686年まで500年にわたってその役割を果たしたのだ。
1560年の宗教改革で教会や大聖堂は棄てられたが、司教は直ぐに追われた訳ではないのだそうだ。現存する廃墟は14世紀以降のものだという。 中でも保存状態の良いのがデイビッドタワー(David’s Tower 写真下左)だ。19m×13.5m四方、高さが22m、6階建てという堂々たるもので15世紀に建てられた。 タワーを内側から見ると床の梁を差し込む穴が良く分かり興味深い(写真下中)。
遺構からその広大さが分かるが、廃墟にはいささか食傷気味になってきた。贅沢極まりないことだが…。

Spynie Palace Spynie Palace Spynie Palace Spynie Palace Spynie Palace

Duffus Castle  ダフス城

ダフス城 に遣って来た。パーキングからかなり歩く。雨は上がったが、濡れた芝は滑り易い。1140年から1705年まで使われたという廃墟は寂寥感を呼ぶ。 土塁を築き城壁を巡らせた遺構は大きな城を思わせる。先客は石の上に寝そべり瞑想する髭面の男が1人。挨拶をしても返事がなく陰険な感じだ。 早々に引き揚げる。

Duffus Castle Duffus Castle Duffus Castle Duffus Castle

Countryside  カントリーサイド

ダフス城からパーキングに戻る際、猛烈な金属音に驚かされる。直ぐ近くに基地があるようで英空軍機の訓練飛行が始まったのだ。 何機かが連なってタッチアンドゴーを繰り返しているようだ。直ぐ頭上を空気を切り裂くような轟音を残し次々に通り過ぎて行く。 寂しかった心に気合を入れられた気持ちだ。
近くのA道路脇のぺトロール・ステーションに寄ったら戦闘機が展示してある。戦闘機まで給油に訪れるという洒落か?
B道路で待ったを食わされたのは路肩の雑草刈りの車だ。大きな機材で豪快に刈っていく。並木や生け垣を垂直に刈っている光景は何度か目にしたが、 路肩を刈る姿は初めてだ。こんな作業のお蔭で見通しの良い快適ドライブが出来るのだ。暫しの待ったも、やむをえない。

Countryside Countryside Countryside Countryside

Suenos Stone  スエノス・ストーン

スエノス・ストーン というイギリス最大のピクト・ストーンがあるという。是非見ておこうと遣って来た。その石はフォレス(Forres)の街外れ、A96とB9011に挟まれた住宅地の一角にあった。
高さは6m以上あるだろう。巨大だ。起源は8世紀とも10世紀とも言われる。何より驚くことは全面ガラス張りの建物に入っていることだ。 イギリスでは歴史的建造物でもほとんどあるがままの状態で置かれていて、手に触れることができるのだが、この石の場合風化が進んでいるので保護しているのだろう。異例のことだ。
ガラスが反射して良い写真が撮れないが、表は細かな渦巻き模様のピクト紋様が無数に刻まれたピクト十字が刻まれている(写真下左2枚)。裏側は先頭のシーンが刻まれているらしい。 4つの場面に分けられており、上部は馬に乗った騎士と思われる絵が、次の2段には武器を持った兵士や、様々な作業する人物が刻まれている。 一番下の段には首を切られた敗者の図らしい(写真下中)。側面にも様々なケルト紋様や人物が刻まれている(写真下右から2枚目)。 全部で100を超す人物が刻まれているという。

Suenos Stone Suenos Stone Suenos Stone Suenos Stone Suenos Stone

Rodney's Stone ロドニー・ストーン  Brodie Castle ブロディー城

さらに10kmほど西にケルト十字の石板があるという。ロドニー・ストーンだ。 こちらは2m程の高さの石板だ。18世紀に見つかり、ここに立てられたが、下部が損なわれている。一面はこちらもピクト十字が刻まれている。彫りは鮮明だ。 もう一方には上部に一対の海獣(Fish Monsters)、真ん中にピクト獣(Pictish Beast)、下部に2つの円盤とZロッド(Double Disc and Z-Rod)が刻まれている。
200mの近くにブロディー城がある。既にクローズドだが外観だけでも見て行く。 ブロディー家の16世紀の城館だ。ブロディー家の発祥は12世紀に遡るという。そして、20世紀後半までここに住んでいたのだという。堂々たる城館だ。 しかし、我々のお目当てのフラワー・ガーデンはないようだ。
目まぐるしい一日だった。降ったり止んだりの中、良く動き回ったものだ。

Rodney's Stone Rodney's Stone Rodney's Stone Brodie Castle Brodie Castle

Castle Hotel  カッスルホテル

今日のディナーはバーでいただくことにする。昨夜のメインダイニングはいささか堅苦しくも感じたし、コースメニューは量が多すぎた。 こちらの人は古いものは大切にするのに、料理はかなり贅沢に残すように見受ける。しかし、私は”勿体ない”を知っている世代なので、食べ物を残すこと罪に感じる。 そんな訳で、アラカルトにしたが、値段はコースと変わらない。
・ Scottish Lobster and Herb Risotto. with oven dried Tomato, Asparagus and Parmesan Salad  と
・ Pan fried fillet of Wild Sea Bass. Baby Spinachs, Shellfish Cannelloni and Crab Foam  そして、ワインをオーダーする。
このバーは"Distillery Bar"を名乗る。この地を"Whisky Capital of the World"と自負しての命名らしい。とてもオープンでフレンドリーな雰囲気だ。 革製のソファーにゆったり座り、エールビールを飲みながら料理を待つ。暖炉の前の大きなソファーでは若い男女のグループが楽しそうに談笑している。 眼が合うとグラスを上げて笑顔で会釈して来る。こちらもグラスを上げて"Cheers !"。
料理はどちらも濃厚な味で、ボリュームも丁度良い。妻はデザートを、私はシングルモルトをいただく。モルトとブレンド合わせて140種類あるという。 ウイスキーの語源は”生命の水”を意味するラテン語のアクア・ヴィテ"Aqua-Vitae"をゲール語に訳したウシュクベーハー"Uisge beatha"がウスケボー
"Usquebaugh"となり"Usqua"、"Usky"と転化し"Whisky"となったといわれる。生命の水"Water of Life"を今夜はダブルで2杯いただき、バー・ライフをのんびり楽しむ。
今夜もホストのアンドリューが挨拶に来た。「楽しんでいるか? 明日は何処へ行く?」というので「インバネスだ」と言うと「良いドライブコースを紹介しよう。 明朝フロントに地図(Map)を出しておく」とのことだ。そして翌朝フロントから頂いたのが、写真下右だ。例により、こちらで地図と言えばたいがい
"Directions"のことだ。文化の違いは面白い。折角のきめ細かなサービスだが予定のコースと全く違うので、利用しなかったが、お薦めの意図は十分に汲める。
グラスに氷をいただいて部屋に戻る。各部屋で集中してお湯を使っているのだろう、お湯の出が悪い。シャワーは明日の朝にして、もう1杯いただき爆睡。

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