第5日 6月1日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Eastwrey Barton House --- Mount Edgcumbe House --- Lanhydrock Garden ---
Garden Centre --- Pine Lodge Gardens --- Truro Cathedral --- Tregenna Castle Hotel
今日の走行距離 250km
今日の万歩計 24,800歩
Eastwrey Barton
今日はダートムーアとお別れしてコーンウォールを目指す。今朝も迷うことなくフルイングリッシュ・ブレック・ファストだ。
こちらのB&Bに泊まって、いつも不思議に思うのが、パンと卵の料理法の注文に関することだ。
最初の朝に”ブラウン”とオーダーすると、滞在中ずっとブラウンだ。敢えて”ホワイト”と言わない限りホワイトは出てこない。
卵料理も”サニーサイド・アップ”とオーダーしたら黙っていても目玉焼きが出てくる。私は最初にスクランブル・エッグと
オーダーしたし、妻は2日目にスクランブルに変更したから、今日は黙っていても二人ともスクランブルが出てきた。
日替わりで色々楽しむということはしないものなのだろうか? そのくせ、飲み物については毎朝"Tea or Coffee ?"
と訊ねてくる。その差はどこにあるのだろうか? 不思議だ。
私達のお土産の小さなテーブルセンターがダイニングのテーブルに敷かれていた。その上には鮮やかなピンクのバラが
飾ってあった。嬉しい心遣いだ。
Eastwrey Bartonでは料理は奥さんの担当だと聞いたが、まだ一度も顔を見ていない。支払いを済ませ、
奥さんに美味しい料理のお礼を言いたいと伝えると、キッチンから出てきてくれた。ブレックファストもディナーも
満喫した旨伝える。とても喜んでくれた。
Tamar Crossings コーンウォールへ
今日最初の訪問地はコーンウォールのMount Edgcumbe Houseだ。デヴォンとコーンウォールの境界を流れるRiver Tamar
(ターマー川)を渡る(Tamar Crossings)
には2つの道がある。1つはTamar Bridgeであり、もう1つはTorpoint Ferryだ。
イギリスではデヴォンとコーンウォールの境界は単に州の境界とは違う意味合いを持つと聞いた。
コーンウォールはスコットランドやウェールズと同じケルト文化の地域なのだ。
Mount Edgcumbe HouseがあるRame Peninsula(ラメ半島)へはブリッジでA38を回るより、フェリーでA374を行った方が
近道になる。Plymouth(プリマス)の市街を抜けてフェリー乗り場を目指す。意外にすんなり乗り場に着いたが、
ゲートは閉まっており車もいない。戸惑っていると1台の車が現れ、降りてきた男がゲートの料金所に入った。
急ぎ走り寄り尋ねると「ここではない」と道を教えてくれる。
教えられたフェリーはMount Edgcumbeへ人だけを運ぶ
Cremyll Ferryの乗り場だった。
一旦はこのフェリーで往復するつもりで乗り込んだが、出航を待つ間に冷静に考えると大きな時間ロスになることに気付く。
慌てて船員にお断りをして下船する。
ゴミ収集車の運転手にフェリー乗り場を尋ねると「Torpoint Ferryか?」と聞く。そうだ、Mount Edgcumbeをキーワードにしたから
Cremyll Ferryの乗り場を教えられたのも無理はない。Torpointのキーワードを出さなかったから混乱したのだ。準備不足露呈だ。
ようやくTorpoint Ferryの乗り場を探し当てる。およそ30分のロスタイムだ。沢山の車が列を作っている。
指示された列に並んで待つ間もなく、先頭から動き出した。前の車に続いてフェリーに乗り込み車を止める。
誰も車から降りる様子はない。エンジンを止めたのでエアコンが切れ、暑く感じ窓を開けるとエンジンを切っていない車が
多いようで排気ガス臭い。何時出航するのだろうか、出航したら右手にTamar Bridgeが見えるだろうかなどと
キョロキョロしている内に対岸のTorpointに既に到着してしまったようだ。何が何だか分からない内に車が動き出し下船が始まる。
前の車に続いて下船する。料金を取られることもなくA374に繋がる。
帰国後調べて分かったのだが、Tamar Bridgeの全ての車両とTorpoint Ferryの車はコーンウォールからデヴォンに向かう時に
1ポンドを徴収され、Torpoint Ferryのオートバイはデヴォンからコーンウォールに向かう時20ペンスを徴収されるのだ。
いずれも片道のみ有料なのだ。意味は分からない。
また、Torpoint Ferryは両岸を結ぶチェーンを曳いて進むシステムだ。"Chain Ferries"とも"Froating Bridge"とも呼ばれる。
年間250万台の車と350万人の歩行者を運び、Tamar Bridgeは年間1600万台の通行量があるそうだ。
Mount Edgcumbe House マウント・エッジカム・ハウス
TorpointからA374を少し進むとナショナル・トラストのAntonyの標識が目に入る。ここも訪ねたいガーデンだが、
火・水・木と日曜日しかオープンしていないのだ。しかも、13時から17時の間だけだから、もし開いていても11時過ぎでは
入れない。カントリーサイド・ガーデン巡りのスケジュール作りの難しい点だ。横目で睨んで通過。
11時30分Mount Edgcumbe House & Earl's Gardenに到着。
一昨日訪れたCoteheleの項で記したようにRichard Edgcumbe卿が1547年から6年掛けて造った邸宅で、その後
Mount Edgcumbe伯爵のお屋敷となった。この赤い石のTudor Houseは第二次大戦でも奇跡的に爆弾の直撃を受けなかったようだ。
ハウス(というよりお城といったほうが合っている)を囲んでテラス状に芝の広場が広がる。一段目のテラスは鮮やかな
オレンジ系のボーダーが連なる。右の写真の3段目には立派な石造りのサマ−ハウス(East Lawn Summer House)が見える。
ハウスと同じレベルの2段目はパープル系の植え込みだ。オーナメントやコンテナも一つひとつが重厚感に満ちている。 海峡を挟みプリマスの街並みが見える。このエリアは日陰がないので広いガーデンを巡っていると汗ばむ。
木陰を求めて見事な木々が立ち並ぶ散策路を歩く。巨大なヒマラヤスギなどがエバーグリーンの広場にそびえている。
樹齢400年を越すシナノキ(Lime-Tree)もあるという。日陰に入ると海風が心地良い。
ここにはベンチがない。あるのは立派な休憩所だ。左が実際に貝殻が埋め込まれているShell Seat。
右は素朴なCedar View Seatだ。この材木もヒマラヤスギ(Cedar)だろうか?
海辺近くのフォーマル・ガーデン(Formal Gardens)に移動する。目の前に海が広がり対岸の倉庫群?が手に取るようだ。
フォーマル・ガーデンは1750年から1820年に掛けて、イタリアン・ガーデン(Italian Garden)、イングリッシュ・
ガーデン(English Garden)、フレンチ・ガーデン(French Garden)が造られ、1989年にニュージーランド・ガーデン
(New Zealand Garden)とアメリカン・ガーデン(American Garden)、2003年にはジュビリー・ガーデン(Jubilee Garden)が
追加されたものだ。
メインエントランスを入ると今はレストランになっている1760年に出来たオランジェリーがあり、
その前にいかにもといった感じのイタリアン・ガーデンが広がる。
海沿いの道を進むとトムソンズ・シート(Thomson's Seat)が木立の中に見える。これも1760年に出来たものだ。
壁には詩人のJames Thomsonの詩が刻まれている。
その先に現れたのは砲台(Battery)だ。広い三日月形の砲台に3門の大砲が沖に向けて並んでいる。
対岸に見える赤と白の段だら縞の灯台はホー(The Hoe)のスミートン(Smeaton's Tower)に違いない。プリマスのランドマークだ。
次はフレンチ・ガーデンにやってきた。美しい温室の前に整然と整形された生垣の庭があり、それに続いて花壇が築かれている。
その花壇にベゴニアで"DARWIN 200"と記されている。ダーウィンといえば「種の起源」で進化論を唱えたダーウィンしか
思い浮かばないが、どういうことだろう。
帰国後調べたところ、確かにダーウィン(Charles Robert Darwin)は1809年生まれで生誕200年だ。
今年はイギリスのダーウィンゆかりの各地で生誕200年祭
が開かれている。
マウント・エッジカムとの関連はと調べると、何とダーウィンが22歳の1831年にイギリス海軍の測量船ビーグル号に
乗艦し5年におよぶ航海に出発したのが、フォーマル・ガーデンの下にある小さな湾バーン・プール(Barn Pool)からだったのだ。
ダーウィンはこの航海の南米沿岸の調査の中で進化論のヒントを掴んだのだそうだ。
悪天候で足止めを食っている期間にマウント・エッジカムを散歩したことが、ダーウィンの日記に記されているという。
こんなことを調べるのも旅行後の大きな楽しみだ。
噴水の脇の壷のモニュメント(写真下右から2枚目)は伯爵夫人Sophiaを記念したもので、
木陰に威風堂々と立っていたのはTimothy Brett's monument(写真下右)だ。その故事来歴は良く分からないが、
3匹の亀に支えられた三角形の台座の上にトロフィーが載っている。どちらも立派なモニュメントだ。
イングリッシュ・ガーデンはガーデン・ハウス(1729年 写真下左)の前に広大な芝の広場が広がるだけだ。
何だか拍子抜けしてしまうガーデンだ。
ガーデンの一番奥に隠れ家のようにバラ園(Rose Garden)があった。残念ながら、満開には少し早すぎるようだが、
このピンクのバラは見頃だ。
このラメ半島一帯がカントリー・パーク(Mount Edgcumbe Country Park)となっている。最初に訪れたハウスとガーデン以外は
フリーで今日巡った以外にも沢山の見所がある。若きダーウィンもきっとあちこちを散策したことだろう。
パークのランドマークであるメイカー教会(Maker Church)に別れを告げ西を目指す。
Viaduct Drive ビアダクト・ドライブ
今日のドライブのキーワードの一つはビアダクト(Viaduct 高架橋)だ。プリマス(Plymouth)からペンザンス(Penzance)までの
鉄道(Cornish Main Line)には何と32の
ビアダクトが存在するのだ。今日は概ねその鉄道に沿ってA38・A390・A30と西進する。
マウント・エッジカムから次のランハイドロックまでは約50km、1時間のドライブで予定していた
1つ目はリスカード(Liskeard)の街外れにあるムーアスウォーター・ビアダクト(Moorswater Viaduct)だが、
時間が押しているのでパスすることにする。しかし、A38を走行中その姿を見ることができた。予想以上の素晴らしさだ。
2つ目はBodmin Parkway駅の東7km辺りからWestwood Viaduct、St Pinnock Viaduct、Largin Viaduct、West Largin Viaductと
目白押しに並んでいる内の幾つかを見たいと思っていた。ところが、快適にA38を飛ばしすぎて、迷ナビの指示が間に合わず
通り過ぎてしまう。Uターンしようにもスペースが見つからない山間道路だ。あっという間にBodmin Parkway駅に着いてしまった。
Lanhydrock Garden ランハイドロック ガーデン
Lanhydrock Gardenは
ナショナル・トラストのプロパティーの中でも年間入場者が常にトップテンに入る人気のプロパティーだ。
パーキングから1000エーカーという敷地の並木道をかなり歩くと、公開している部屋数50という立派な邸宅が見えてくる。
1641年に建てられたゲートハウスもどっしり構えている。5年前はこのゲートをくぐって入ったのだが、
今年は更に奥のコーチ・ハウス(Coach House)脇から入場するように変わっている。
ゲートハウスから邸宅への両側は素晴らしく手入れされた芝生の中に大きなイチイのトピアリーが整然と立ち並び、その間に
幾何学模様にデザインされたバラ園が刻まれている。
バラは満開には遠いが、艶やかな葉色といい、花の大きさといい手入れの良さが伺える。前回訪れた時にも作業していた
NTのガーデナーに話を伺ったが、この日も芝の手入れをするガーデナーに声を掛ける。
5年前の旅で印象深かったベゴニアのフォーマル・ガーデンが今年も美しい。日本でベゴニアを狭いヘッジの中に地植えしたら、
きっと蒸れてこんなに美しくは咲かないだろう。
中央の銅製の壷はパリのブーローニュの森のバガテル城(Chateau de Bagatelle)から運ばれたものだという。
このガーデンが造られたビクトリア朝はイギリスがフランスやイタリアのフォーマル・ガーデンを盛んに取り入れた時代だから、
ここもきっとバガテル公園を手本にしたことだろう。
上のフォーマル・ガーデンの1段上のテラスもベゴニアの植え込みだ。写真でも見て取れるように実に手入れが行き届いている。
マイガーデンも陽だまりも「かくありたい」と誓う。
階段を上がった教会横のガーデン(Higher Garden)は雰囲気が一変する。宿根草や潅木を沢山取り入れたガーデンだ。
更に斜面を上がるとHerbaceous Bordersへと続く。鬼芥子、アリウム、ヒマラヤ芥子、アスチルベなどが伸びやかに育っている。
アスチルベの奥に茅葺屋根の家(Thatched Cottage)が見える。教会(Church)も静かな佇まいを見せる。
古く歴史を辿れば修道院であったということが偲ばれる。
更にはWoodland Gardenが広がっているようだが、ご自慢のモクレンやツバキは今の季節見られそうもないのでパスし、
もう一つのご自慢のCornish Clotted Cream Ice Creamをいただくことにしよう。
Garden Centre ガーデン・センター
ガーデン巡りも楽しいがガーデン・センター巡りもしたい。次のガーデンへ向かうA39からA3082へ1km余り寄り道をすると
Par Garden Centre
がある。イギリスに百数十店舗以上のチェーン展開をしているガーデンセンターだ。
期待感一杯で売り場を歩き回ったが、持ち帰られる手頃なオーナメントは見つからない。草花の種3種を求める。
A39に戻って次のガーデンの直ぐ手前にSt Austell Garden Centre
を発見。地元のお店だ。急遽寄ってみたが、残念ながらここも空振りだ。
Pine Lodge Gardens パイン・ロッジ・ガーデン
セント・オーステル(St Austell)からトゥルロー(Truro)への海岸沿いと主要道路沿いにはガーデンが目白押しだ。
その中から検討の結果2つを予定に挙げていたが、時間が押してきた。一方は16時30分に閉園だ。
18時までオープンのPine Lodge Gardensを訪れることにする。
パイン・ロッジはオーナーのShirley Clemoが自ら世界中をプランツ・ハンティング(plant hunting)をし種から育てた植物を
中心に開発したガーデンだ。植栽されている6000種の植物に全てラベルがされているという。参考になりそうなガーデンだ。
ゲートをくぐるとトップ・ガーデン(The Top Garden 写真上左)だ。池に架かった橋を見事な白藤が覆っている。良い香が漂う。
池のカラーも大きな白い花をつけ、さながらホワイト・ガーデンだ。
その先に落葉樹の林が続く。こぼれ日の中に素晴らしい馬の像が立っている(写真下左)。コテージ・ガーデン(Cottage Garden)
の植栽は草本、シダ、潅木、樹木など厚い。カエルの口から水が出ているユニークなFrog Pondがある(写真下左から2枚目)。
マイガーデンではトニーと名付けているイタリア製オーナメントと同じデザインの像があった(写真下左から3枚目)。
外では始めてお目にかかる。マイガーデンのものより一回り大きくかなり古い代物だ。
続く沈床ガーデン(Sunken Garden)の中央に池があり噴水(cascading water fountain)が涼を呼ぶ(写真下右から3枚目)。
一段下がっている分、植物を目線で眺めることになり、そして香も伝わる仕掛けだ(写真上左から2枚目)。
針葉樹園(The Pinetum 写真上左から2枚目)も自慢のものらしい。ここの木の幾つかも種から育てているようだから、
まだまだこれから大きくなるのだろう。写真上右はThe Slave Gardenの頭の上に日時計を捧げる奴隷の像だ。良く理解できない。
日本庭園(Japanese Garden)の入り口に鳥居らしきものが立っている(写真上右)。オーナーが京都を訪れ幾つかの日本庭園を見て
設計したもので、イギリスの日本庭園としては評価が高いようだが、石の組み方など全体に違和感は否めない。
特に、茶室が建てられているのだが、どうしてイギリスで見受ける茶室はこんなにみすぼらしくなってしまうのだろうか。
侘び寂びが間違えて理解されているように思われる。
翻って、陽だまりをイングリッシュ・ガーデンと名乗るのは、イギリス人から見たら違和感のあることだろう。心しておかねばならない。
気候も植生も異なる彼の地のガーデンを形ばかり学ぶのではなく、そのマインドも理解して陽だまり造りをしたい。
大聖堂(Truro Cathedral)と高架橋(Truro Viaduct)
今夜の宿泊地セント・アイブス(St Ives)までの経路にコーンウォールの州都トゥルロー(Truro)がある。ここの
大聖堂と高架橋を見るべく寄り道をする。
大きな街ではパーキング探しに苦労するが、幸い目指すパーキングに駐車できる。大聖堂は3つの尖塔を持つ珍しいものだが、
19世紀後半の建造で比較的新しいものだ。
街の中心にある大聖堂は、回りにスペースがないから全体像が写せない。目一杯引いてもこんなにアップのアングルになった。
左から2枚目がセンターの塔で250フィート(76m)、3枚目が西塔で200フィート(61m)の高さだ。
18時前だが入り口が開いている。入ってみて驚いた聖歌隊の練習?中だ。パイプオルガンの荘厳な音色に男性合唱隊の
ダイナミックな歌声がマッチして大聖堂を振るわせる。腹の底に響き渡り、暫し立ち尽くして聞き入った。
係員が来て「どうぞ中で聞いてください」と進めてくれたが遠慮した。それでも、尚しばらく動けずに耳を傾けた。
イギリスでも有名な聖歌隊だと後で知る。
予定のビアダクトを見逃しているだけに、ここだけは見ておきたい。帰り道を気にしながら地図を頼りに進むと、
オーソドックスなビアダクトが現れた。高さ92フィート(28m)、長さ1329フィート(405m)、20脚あり、
この路線で最長のビアダクトだ。これも全体像はとても写せない。
帰り道は一方通行に惑わされたが、順調にA39に乗りA390、A30、A3074と乗り継いでホテルに到着する。
Tregenna Castle Hotel トレゲナ・カッスル・ホテル
このエリアの宿泊は5年前に3泊し、ホストのKeithとホステスのMonicaの温かいお持て成しを受けたGwynoon Guest Houseと
早くから決めていた。しかし、有名なレストランに寄るためにパドストウ(Padstow)に1泊を割くことになり、また、
ゴルフをプレーするのにお誂えのゴルフ場のあるホテルが見つかった。
そのホテルがTregenna Castle Hotelだ。
18世紀に建てられた邸宅を19世紀にホテルに整備されたものだ。ゴルフコースは18ホール、2280ヤード、
パー54のショートコース、超ビギナーで練習も十分に出来ていない妻にはショートコースが丁度良い。
しっかり練習してもらい、何時かまた、本コースでプレーしたいと願う。
さて、順調にホテルに到着したが、メインパーキングからレセプションまでが遠い。荷物を置いたままチェックインし、
ボーイに荷物を運んでもらう。ベッドとバスルームを確認しOKを出し、再び小さな荷物を取りに車に行っていると、
先程のボーイが息を切らせて走ってきた。案内する部屋を間違えたという。再度案内された部屋は格段に広い。
そして、角部屋だから2面に窓があり眺めが抜群だ。
夕食はセント・アイブスの街に出ることにして、その前にレセプションに寄る。先程のボーイが対応に出る。
ボーイでなくホテルマンだったのだ。ゴルフの最終スタート時間を尋ねると「Ten」との返事だ。
まさか午前10時の筈がないと再度訪ねると今度は「Ten to ten]と来た。どうやら朝10時から夜10時までらしい。
明るい内はスタートして良いということだ。逆に早朝のスタートはダメらしい。スタートの予約も要らないという。
貸しクラブの有無は日本から確認してある。では、明日は16時頃スタートし、プレー後シャワーを浴びて、
ホテルのレストランで食事を楽しむことにして、レストランの予約を20時に入れる。
Alfresco Cafe Bar アルフレスコ・カフェ・バー
ネットでセント・アイブスのレストラン・ベストテンを調べ地図にプロットしてきた。5年前に止めた港のパーキングは
満車だ。一方通行だから、そのまま進むと丘の上に出てしまう。もう一度街に戻ったが、パーキングが見つからない。
やむなく、丘の上のパーキングに止め歩く。
No.1の店は直ぐに見つかった。空席もあるようだ。ところが、全て予約が入っているとのことであっさり断られる。
No.2はすこし離れているので、No.3を探す。ようやく探し当てたが、ここも満席で1時間以上待たなければならない。
既に20時を回っている。No.4のAlfresco Cafe Bar
は「席は1つ空いているが、料理が出るまでに時間が掛かるがそれで良いか」との返事だ。ワインを飲みながら待つことにする。
オーダーは魚介のマリネ(モンクフィッシュ、ムール貝、かさご、海老 with bread)とモンクフィッシュの生ハム巻き
(ほうれん草とトマトのソース)だ。食事にありついたのは20時40分、”空腹は最高のスパイス”ということで
美味しくいただく。
店を出たのは10時過ぎだが、まだお客さんは沢山残っていた。店の前の港では暗闇の中、ボートが干潮のため腹を見せている。
写真たっぷりの旅行記をご覧ください
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