第15日 6月4日(金) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Tigh Na Leigh --- Braemar(Shopping, Castle, View Point) --- Balmoral Castle --- Glenbuchat Castle ---
Kildrummy Castle --- Leith Hall Garden --- Maiden Stone --- The School House
今日の走行距離 197km
今日の万歩計 22,100歩
Tigh Na Leigh タイ・ナ・リー
今年の旅は30泊32日の旅程だから15泊目の今日で前半が終了となる。タイ・ナ・リーに別れを告げ、正真正銘アバディーンに入る。
写真は左からタイ・ナ・リーの外観。玄関の右側の部屋が3泊した部屋。左側がリビングルーム(2枚目の写真)、ここでウエルカムのスコッチをいただいた。
次はダイニングの一隅のソファー、ここで常連さんからガーデン情報をいただいた。次が調理したブレックファストの前に自由にいただけるシリアルやフルーツ、
ジュースやヨーグルトのコーナー。外観に比べ斬新なデザインが明るい気持ちにしてくれる。
妻は食欲がないと言って、フルでなくハムとスクランブルエッグにした(写真右)。
Bettinaが近郊で採れたブルーベリーが美味しいから食べろとボールごと置いていくが、そんなに食べられません。
昨夜の電話番号騒動を知っているから「The School Houseが見つからなかったら、今夜は空き室があるから帰っておいで」
とからかわれて出発する。
Countryside カントリーサイド
真っ直ぐアバディーンに向かうならA90を北上すれば済むのだが、それでは楽しいドライブにならない。地図を眺めたり、インターネットでサーチした結果、
A93を北上しブレイマー城(Braemar Castle)、バルモラル城(Balmoral Castle)を訪れた後、さらに北上し、リース・ホール(Leith Hall Garden)まで訪れるプランになった。
A926をラットレイ(Rattray)の街で右折、A93に入る。しばらく北上するとシー峡谷(Glen Shee)だ。景色は荒涼としたムーアの様相だ。
スコットランドならどこでも見られる羊の姿さえない。写真下左2枚の真ん中に見える形の良い山がケルンウェル(The Cairnwell 標高933m)だろう。
あの中腹の峠まで登り坂が続く。山以外には何もない。1000m足らずの山々だが、北向き斜面の至る所に白いものが見える。雪渓だろうか?
A93は地図に"Old Military Road"と記されている。嘗ての旧道には"DevilのElbow"と呼ばれる急勾配のヘアピンカーブがあったそうだ。走ってみたかった。
それでもかなりの急勾配を登り切ると、そこがケルンウェル峠(Cairnwell Pass)だ。標高670mでイギリスの公道では最も高い所を走っているのだ。
(因みに、日本の国道の最高地点は国道292号線の渋峠で標高は2172m。いかにイギリスが平坦かが分かる。)
峠付近はスコットランドの最大のスキーセンターGlenshee Ski Centreだ。
道路の両側にリフトが林立している。登山客だろうか、ティールームには大勢の客がいる。トイレ休憩する。英国で一番高い所にあるゴルフ場も近くにあるそうだ。
Braemar ブレーマー
15km程下るとブレーマーの村に着く。
ロイヤル ディーサイド(Royal Deeside)の西の端の村だ。
ロイヤル・ディーサイドとは、ブレーマーから東はドラム城(Drum Castle)の辺りまでのディー川(River Dee)沿いの一帯の通称で、
150年前にビクトリア女王がこの辺りを夏の避暑地として以来、ロイヤルファミリーや貴族の避暑地として発展したものだ。
ブレーマーは標高300mの街で、英国で最も高く最も山の多い教区と言われているように、24のマンロー(Munro 3000フィート級の山)があり、
登山、ポニートレッキング、マウンテンバイク、ハンググライディング、スキー、スノーボード、ゴルフ、サーモン釣りなどのアウトドアーの娯楽が楽しめるリゾートだ。
車を止め、沢山並ぶ土産物店を冷やかす。街並みも高原のリゾートらしい雰囲気だが、何となくロイヤルな趣も感じられる。周囲の山には白いものが残る。
土産物は如何にもといった物が多く食指は動かないが、"Gifts & Gardens"
という小さな店で知人用にハンドバッグを見つける。店員に「山の中腹の白いものは何か?」訊ねると、やはり雪渓だった。
「4週前は店先も雪に覆われていた」と言う。ディー川の支流は幅は細いが、水量は豊かだ。橋の袂には幾つかのモニュメントが立っている。
Braemar Castle ブレーマー城
ブレーマー城は村から1km程北にある。オープンは週末のみだが、
沢山の訪問予定地の組み合わせから今日のスケジュールになった。ガーデンはないので入場の必要はない。
城は17世紀にマー伯爵(Earl of Mar)の狩猟小屋としてスタートし、例により戦いの歴史を経て18世紀にファンカーソン家(Clan Farquharson)の居城となり、
現在は地元の慈善団体に貸し出されている。パーキングは開いていた。車を止め、林の小径をしばらく歩くと姿が見えてきた。
真ん中の円形のタワーと円形の小塔が特徴的で面白い形をしている。星型をしているという周囲の壁には銃眼が並んでいる。戦いの城なのだ。。
ブレーマーの地図に2つのビューポイントのマークが目についた。パーキングから近いのでブレーマー城のすぐ南の小山(Creag Choinnich)の中腹のビューポイントを目指す。
地図ではほんの200m位と見えたが、あに図らんや、厳しい上り坂を500mは進んだろうか、ようやく絶景ポイントに着く。
ブレーマーの村全体が見下ろせ、蛇行するディー川も光って見える。爽快な気分だ。
登りでは背にしていて気が付かなかったが、林の中にセント・アンドリュース・クロスを掲げたブレーマー城も見える。登った甲斐があった。
Invercauld Bridge インバーコールド橋
A93を東に向けて進む。ブレーマー城を出て4km余りでディー川を渡る橋の上で右手にちらっと古い橋が見えた。一瞬のことであり走り去ったが、気になって仕方がない。
しばらく走ってUターンして戻る。橋の手前を左に入ると車両進入禁止だが、古い橋への上り坂が見える。車を脇に止め、私有地のようだが、河原に沿って下る。
河原に下りられる地点を見つけ下りる。大きな橋だが華麗さはない。無骨な程荒削りな感じだ。6つのアーチは両脇が小さく、真ん中が大きい。したがって、太鼓橋となる。
妻は徒歩で橋に登ってみたが、途中で通行止めだったという。欄干から手を振るから低い欄干かと思ったら、誰が積んだか、顔が出せるよう石が積んであったそうだ。
帰国後の調査で、1752年に出来た軍用橋と分かる。前述のOld Military Roadに繋がる道路に架けられた橋なのだ。旅行記作成の楽しさだ。
ディー川にはルアーを振る釣り人が見られる。サーモン釣りだろう。しばらく眺めていたが、当たりはないようだ。
Balmoral Castle バルモラル城
ビクトリア女王は1842年に初めてスコットランドを訪れ、この地を大変気に入り、"my dear paradise in the Highlands"と言ったといわれる。
1848年から15世紀に建てられたバルモラル城を借りて夏を過ごした。1852年には夫のプリンスアルバートが所有者のロバート・ゴードンからこの城を購入し、
拡張を計画、1856年に完成したのが現在のバルモラル城なのだ。
爾来、歴代のロイヤルファミリーが避暑地として使用している。そのためこの地域をロイヤル・ディーサイドと呼ばれるようになったのだ。
エステートの地所は5万エーカー(600万坪)あり、自然、野生生物、建物など保護・保存されている。
王室の避暑地なのだから、当然のこと8月から10月初めまでクローズドだ。
駐車場からディー川に架かる橋を渡って敷地に入る。チケットオフィス前にトラクターに牽引されたトレーラーが止まっており、係員が「これに乗りたいなら急いで受付をしなさい」と言う。
急ぎチケットを求め乗り込む。ブレア城で子供たちが乗っていたのと同じだ。決して乗り心地は良くないが、これも話のタネだ。洒落たアイアンゲートを通り、2、3分でお城の前に到着。
大きさに仰天する。白亜の壁に白い窓枠、壁から突き出した小塔、緑青色やブロンズ色の屋根など、どこを見ても美しい。さすがに王室の所有する城だ。
一番高いサークルタワーには黄色地にレッドライオンのスコットランド王家の旗が翻る。ただ、建物の周りの広い範囲が舗装されているので、城だけをみると無機質な感じは否めない。
実際には城の南側には広大な芝のグランドが広がっており、北側はディー川との間に整備された林があり、その外側を広大な森や放牧場が取り囲んでいる。
なにせ、600万坪なのだから。空前絶後の壮麗な城だ。(因みに、我が街小金井市や東京中央区のおよそ2倍の面積なのだ)
城の前の広大なグランドの東側の"The Avenue of Conifers"を通りガーデンに来たが、菜園という感じだ。エディンバラ公が拡張した"The vegetable garden"だ。
昔ながらの質素な温室箱の中で野菜の苗が沢山育っている。既に整然と植え込まれたところもある。有機栽培で8月からの滞在時に収穫できるよう栽培しているのだろう。
お洒落だが小ぶりの温室(Victorian glasshouses)がある。中には鉢植えの草花が所狭しと置かれており、色鮮やかだ。場内を飾るための花だろう。
菜園の温室箱といい、この温室といい、古いものを大切にするイギリス人の精神が見える。
城を正面に見る位置に噴水がある(写真下右)。1925年にメアリー王妃が考案したもので半円形に積まれた石垣で囲まれている。
噴水の石段の上のアイアンゲートには入口のお洒落なゲートと同様、ジョージ5世とメアリー王妃のイニシアルGR、MRがつけられている(写真下左から2枚目)。
城のスケールからするとガーデンも噴水も質素なものだ。
その先にガーデン・コテージが(Garden Cottage)ある(写真下右から2枚目)。ビクトリア女王が時々朝食をとったり日記を書いたりした場所だという。
1863年に完成したコテージは木造だったが、1895年に現在のコテージが完成した。中の調度品もガラス越しに見られる。
城に戻る。城の西側のテラスには鹿の像の噴水があり(写真下左)、その前が1段低くサンクン・ローズガーデンになっている(写真下右)。
残念ながらバラの開花は女王の到着を待ってからだろう。
城の北側から舞踏室(Ballroom)に入る。銀製品、食器、美術品やドレスの展示が興味深い。一角で王室滞在中の様子をビデオで見せてくれる。
エリザベス女王が孫のウィリアム王子やヘンリー王子と遊んだり馬車に乗ったり、チャールズ皇太子らが乗馬やポロに興じたりする姿に
グランドの広さが納得いく。ロイヤルファミリーの微笑ましい光景に時を忘れて見入る。
このボールルームはバルモラル城で最大きい部屋で夏にはロイヤルファミリーがダンスに興じるのだという。その様子もビデオで見られた。
ショップで友人へのお土産としてティーストレーナーを求め、ディー川が垣間見える林の中の散策を楽しみながらパーキングに戻る。
Countryside カントリーサイド
B976を北上する。この道もOld Military Roadとなっている。荒涼たる荒野の中、適度なアップダウンの快適ドライブだ。
Gairnshiel LodgeでA939に合流、左折すると直ぐにアーチ橋(Gairnshiel Bridge)に出合う。大きなアーチの橋だ。橋を登って行くと視界は空を見上げるばかりだ。
正に全くのBlind Summitだ。1車線しかない狭い橋だから対向車を確認し譲り合わないと橋の頂上で正面衝突するだろう。
この橋も前述のインバーコールド橋同様、軍用橋として作られたものだというから、250年以上の歴史があるのだ(1749年に造られたとの情報だ)。
Glenbuchat Castle グレンブチャット城
A939からA944を東へ、そして、A97を北へ3km程でヒストリック・スコットランド管理の
グレンブチャット城に到着。
1590年にジョン・ゴードン(John Gordon)の結婚を祝って建てられた城だ。長方形を3つ斜めに並べた、アルファベットのZの形をした設計でZプラン・タワーと呼ばれる。
18世紀にはジャコバイトの強力な支持者であった別のジョン・ゴードンの居宅となり、後に政府に没収されたということだ。
他に訪れる人もなく、廃墟の周りを一巡り、10分足らずの滞在だ。
Kildrummy Castle キルドラミー城
キルドラミー城は
13世紀にEarls of Marのために建てられた城だ。レセプションのお喋りな女性の歓迎を受ける。訪問者が少ないから人恋しいのだろう。
真っ直ぐなアプローチを近づくと美しい廃墟に否が応でも期待感が高まる。
ここまで廃墟になると返って美しいと感じる。しかし、13世紀の城の輪郭は完全に残っている。アプローチからの入り口には"Twin-Towered Gatehouse"
の基礎部分がしっかり分かる(写真下左から2枚目)。6つの円塔の跡とそれを繋ぐ城壁の跡も良く分かる。
最も高かった円塔は"The Snow Tower"と呼ばれ7階建てだったというが、今残るのは基礎の部分だけだ。
例により戦いの歴史の中で、この城も幾多の所有者の手に渡っている。写真下右は16世紀の持ち主が建てた"Elphinstone Tower"だ。初期の6つの円塔とは違うものだ。
形が一番残っているのが"Warden’s Tower"と呼ばれる円塔だ(写真下右)。壁の厚さからその堅固さが分かる。
チャペルのエレガントな窓(Lancet Window)も良く残っている。写真下右から2枚目の右の3つの細長い窓がそれだ。
同じ写真の手前に広がる部分が大ホール(Great Hall)の跡だ。
この美しい城も一時期は採石場と化していた時代もあったのだ。そして今、このロマンチックな廃墟では結婚式も手配してくれるという。
城内で余り見慣れぬ白と黒の羽にオレンジ色のくちばしと足をもつ鳥がけたたましい鳴き声で威嚇してくる。赤い目が不気味だ。
この旅ではこの後、あちらこちらでお目に掛ることになるのだが、雛でも孵ったのだろうか異常な鳴き方だ。
Kildrummy Castle Garden キルドラミー・カッスル・ガーデン
"Kildrummy Castle"で検索すると、"Kildrummy Castle Garden"と"Kildrummy Castle Hotel"がごちゃまぜで出てくるが、それぞれ別個なものだ。
キルドラミー・カッスル・ガーデンが良さそうだ。
カッスル・ガーデンはお城の廃墟の北側の峡谷にある。12世紀にお城のための石を切り出した採石場に1900年以降に造られたガーデンだ。
峡谷を巡る散策路で何げなく見上げると木の間隠れに廃墟が見えた時には一瞬ドキッとした(写真下左)。
峡谷だから小川が流れており、幾つかの池が築かれている。水生植物が豊富で、陽だまりに池を造る予定があるから足が止まる。
段差があって水音が聞こえるのも良いものだ。
樹木の植栽も素晴らしい。樹木のカラーの見本市と言えるほどだ(写真下右)。樹高、樹の形、葉の色、葉の形、葉の質感、幹の色、
常緑樹と落葉樹などこれ以上ない組み合わせだ。
草花も色々咲いている。ヒマラヤンポピーのブルーの爽やかさはいつ見ても虜にしてくれる。黒紫のフリチラリアと青いシラーの饗宴も楽しい。
オレンジ色はくりん草か? いずれも伸び伸びとしている。
見たことがない大きな銅葉の草本が爽快なほどに伸びている。育てて見たい。すぐ隣のメイプルの若葉色も目に鮮やかだ。その対比が素晴らしい。
池に架かる重厚な橋はアバディーンにある13世紀に出来た有名な橋"brig o' Balgownie"のコピーなのだ。
池や滝は日本の影響を受けているとパンフレットに記載されている。写真下中3枚の写真から峡谷の段差を上手に利用しているのが分かる。
陽だまりにない段差と水のある風景にただただ溜息だ。
いつの時代の物か、石製の古いチーズプレス機が展示されている。
ガーデン内のコテージがミュージアムになっており、中世のものと思われる道具類が展示されている。用途の分からない道具が多いが、興味深い。
全てが磨き上げられ、埃一つかぶっていない。ガーデン同様メンテナンスの良さが心地よい。
林の中の石の円柱が並んで立っているモニュメントも意味不明だ。新しいものではないようだ。静かな心安らぐガーデンだ。
Leith Hall Garden リースホール・ガーデン
ナショナル・トラスト・スコットランド(The National Trust for Scotland NTS)管理の
リースホール・ガーデンは2度目の訪問だ。5年前の訪問ではボーダーの素晴らしさに感嘆した。
しかし、NTSの中でも訪問者数が少ない方なのだという。その理由は"Castle"というマジック・ワードがないからなのだそうだ。
スコットランドにはカッスル・トレイル(Castle Trail)といって、お城を巡るルートが整備されているのだが、そのリストの中から選択する際、
"Castle"でなく"Hall"というのは不利なのかもしれない。それに、カッスル・トレイルの目的を館内の展示とする人が多いのだろうから、
ガーデンを目的とする私達とは判断基準が違うのだろう。お蔭で静かにガーデンを楽しむことができる。
リースホールは1650年にリース・ヘイ( Leith-Hay)ファミリーの居宅として建てられ、現在の姿になったのは1868年だという。1945年にNTSに寄贈されるまで
ファミリーの居宅だったのだ。ホールと名乗っているが、立派でロマンチックな城館だ。
第1次世界大戦の間は仮設病院として500人以上の患者が収容されていたのだという。その所為か”出る”との噂もあるのだ。くわばら、くわばら。
緩やかな斜面に展開するガーデンは6エーカー(7000坪)あり、20世紀初頭の家主がデザインしたガーデンだ。壁や生け垣で仕切られたガーデンとボーダーからなる。
5年前に感動し、ボーダーガーデンのお手本として日頃のガーデニングに取り入れているボーダーは、まだ花が見られず少し寂しいが、季節が違えば、また違った顔を見せてくれる。
NTS管理になってからデザインし直したロックガーデンは水が流れ、ヒースやアルペン植物の植栽が厚い(写真下左)。しかし、こちらも花はまだない。
この時期咲いているのはシャクナゲ、シラー、ブルーポピー、サクラソウなど数少ない。野生で咲いているワイルド・ガーリック(写真上左)とブルーベル(写真下右)も美しい。
穏やかな陽射しの中、人に出会うこともなくのんびりと散策を楽しむ。
Maiden Stone メイデン・ストーン
B9002を東に向けて走っていると左手のエニシダの黄色い花で彩られた丘の頂上に何やら立っている。地図を見るとダニーディア城(Dunnideer Castle)のようだ(写真下左)。
スコットランドには廃墟から居城まで目白押しだ。
城だけでなく巨石遺跡も沢山ある。特にアバディーンシャーは多い地区だ。リースホールからB&Bへの道筋に2つリストアップしてきた。1つ目は
メイデン・ストーンだ。
A96からローカル道を1km余り進んだ道端に標識が現れ、通り過ぎるところだった。高さ3m、幅1m、厚さ15cm程のピンクがかった美しい石だ。
9世紀頃のものだと考えられており、かなり風化が進んでいるが、ピクト十字が彫られているのは見てとれる(写真下左から2枚目)。
その下部が右から2枚目の写真だ。円形のケルト模様の中心部が螺旋模様となっている。裏側にはピクトのシンボルなどが彫られている。
片側面にある三角の切れ込みについては例によって地元の伝説がある。"Maiden"は”乙女”のことであり、「乙女が見知らぬ人と賭けをし・・・(中略)・・・。
実は見知らぬ人は悪魔だった。悪魔に騙され、逃げる乙女が神に助けを求め、神が乙女を石にしてしまう瞬間、悪魔が乙女の肩を掴み、そこが切れ込みとなった」というものだ。
Easter Aquhorthies Circle
2つ目はEaster Aquhorthies Circleだ。
ヒストリック・スコットランドのパーキングから300mほど歩くと静かにストーンサークルが迎えてくれる。
石垣で築いた円形の土塁の上に直径20mくらいのサークルがある。4m位の横たわった大きな石の両脇に2.5m位の石が立っている。
それに続く9個のスタンディング・ストーンで取り囲んでいる。横たわった石の前にも2つの大きな石が横たわっている。このタイプのサークルはこの地方独特な形だ。
この上で儀式が行われたとも、月を観測する天文設備ともいわれるが、真相は謎のままが良い。4000年も前のものだというから、その時空を思うとゾクゾクしてくる。
Beekies Neuk ビーキーズ・ニューク
今宵から3泊の宿は、例により大都市を外した田舎のB&Bだ。ニューマチャー(Newmachar)はアバディーンから北へ15km余りの村だ。
スクール・ロード(school Road)のスクールハウス(Schoolhouse)というB&Bだ。その名の通り小路の突き当たりの左側がスクール、右側がB&Bだ。
今年の旅ではどうした訳かレストランが多く、パブを訪れていない。「この村にパブはないか?」と尋ねると「2つある」と言う。「お薦めはどちらか?」と
聞くとビーキーズ・ニュークを薦めてくれる。B&Bから歩いて5分だ。
時刻は20時少し前、店は満員の盛況だ。活気がある。これぞ求めていたパブだ。女性店員が申し訳なさそうに「こちらで飲みながら少しお待ちください」と言う。
いえいえ、立ち飲みしながら待つのがこちらの流儀でしょう。1パイントのエールビールをやりながらメニューを選ぶ。オーダーは
・ "Deep Fried Mushrooms with a garlic mayo" Fresh mushrooms coated in our crispy batter deep fried and served with garlic mayo and salad garnish
・ "Prawn Marie Rose" Tender prawns bound in our marie-rose sauce, served with fresh salad and brown bread & butter
・ "Smothered Chicken" Chicken and bacon smothered in barbeque sauce and topped with mozzarella and cheddar cheese
・ "Seafood Mornay" Succulent pieces of haddock, smoked haddock, salmon and prawns bound in our creamy sauce, topped with tomato, cheese and
fresh breadcrumbs だ。これにチップスとボイルドポテトが付いてくる。さすがに混雑する店だけのことはある。大満足、大満腹。
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