第18日 6月7日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 The School House --- Tolquhon Castle --- Pitmedden Garden --- Haddo House --- Fyvie Castle ---
Deer Abbey --- Huntly(Dean's, Castle) --- Findlater Castle --- Castle Hotel
今日の走行距離 253km
今日の万歩計 16,000歩
The School House スクールハウス
スクールハウスも今日でお別れ、更に北上する。と言っても直線距離でわずか25km程なのだが…。実はインバネス(Inverness)周辺に3泊の計画なのだが、
例により、大都市を避けて検討した中でハントリー(Huntly)のカッスル・ホテル(Castle Hotel)が気に入った。予算は少々オーバーするが、
長い旅なのだから1度位はこんなことも良かろう、ということで3泊の予約を入れたところ、最初の2泊しか空いていないとのことだ。
2月のことだったから、余程人気のホテルなのだろうと期待しているところだ。
スクールハウスはとてもアットホームでB&Bらしい素朴さがあった。控えめなホスピタリティーも好感が持てた。
Tolquhon Castle トルクホン城
今日の最初はトルクホン城だ。
ヒストリック・スコットランド(Historic Scotland)のレセプションの建物を通って中に入ると、石塀に囲まれた芝の広場の1本道の先に良く保存された廃城が見える。
アプローチのワクワク感が堪らない。
この城は15世紀初めの所有者が建てた"Preston Tower"を一角に取り込んで、16世紀の所有者ウイリアム・フォーブ(William Forbes)が建てた
長方形の中庭(courtyard)を囲む城だ。
Gatehouseが素晴らしい。これを門番小屋と訳すと別物になってしまう。門楼でも城門でもぴったり来ない。両サイドの円塔に装飾が施された銃眼(gun ports)はあるが、
実際の防御のためではなく、一種のデザイン的なものらしい。アーチ門の上には精緻な彫刻が飾られている(写真下左)。
写真下左から2枚目のGatehouseの左側が15世紀のPreston TowerでGatehouseの上に見えるのが16世紀のThe Main Houseだ。
写真中がThe Main Houseから見たPreston Tower、右から2枚目がGatehouseを潜った所から見たThe Main Houseだ。
石を積み上げて造ってあるが、石の一つひとつが大きく、隙間を小さな石で埋めている。色といい姿といい実にエレガントだ。部屋も広く保存状況が良い。
Pitmedden Garden ピットメデン ガーデン
私の旅の計画作りは、得られた情報をガーデンは緑、城や教会はオレンジ、その他は赤などの付箋紙を地図に貼り、その数や分布を見て、どの辺りに何泊するかを振り分ける。
一方その情報は訪問予定先リストにし、住所、オープンの曜日・時間、料金などと共に優先順を◎、○、△の3段階で付けるのだが、中には3重丸や花丸を付けたい施設もある。
その上で取捨選択し、いつどの施設を訪れるかの日程表に仕上げて行く。今年は最終的に200に近い施設が日程表に上がっている。
その花丸中の花丸がピットメデンだ。オリジナルはピットメデンの初代准男爵Sir Alexander Setonが
1675年に築いたが、19世紀初頭の火災で破壊してしまった。1950年代にナショナル・トラスト(The National Trust for Scotland NTS)の所有となり、
17世紀のオリジナルのガーデンを再現しようとしたが、設計図などはその火災で焼失してしまい、発掘調査でも手掛かりはつかめず、
エジンバラのホリールード宮殿の17世紀のガーデンのデザインで復元したものだ。インターネットなどの写真を見て必見としてきたのだ。
受付を済ませ、ショップを通り抜けてガーデンに入ると2匹のうさぎの像が目に付く。戯れているように見えるが、"Boxing Hares"というから戦っているのだろう。
何を意味するのかは不明だ。ハウスの壁をクライミングするバラやハニーサックル、ジャスミンの香りがフラワー・ガーデンへの期待を高める。
シンプルなパーテア(parterre 刺繍模様花壇)がある。刈り込まれた柘植で描かれた幾何学模様の中は彩色された砂利だ。これは16世紀のデザインに近い。
素朴なサンダイアルやリンゴの木のアーチに導かれた先はファームハウスだ。農機具が表に出ている。「随分旧式な機械を使っているな」と思ったら、
ここは"Museum of Farming Life"だったのだ。19世紀の農業や農民の生活ぶりが人形などを使って面白く展示してある。
この地域で使われていた農機具であり、動力は馬が使われていた時代のものだ。
19世紀のイギリスの農業の仕組みは、広大な土地を持つジェントルマン(貴族など)が農地を幾つかの農場(Farm)に分割し農場経営者(Farmer)に貸与し、
ファーマーは農業労働者を雇い過酷な労働を課したのだ。ジェントルマンはカントリーハウスやマナーハウスに、ファーマーはファームハウスに、
農業労働者はコテージに住み、その3つは互いに隔離されていたのだ。全てはジェントルマンの所有であり、ファーマーも農業労働者も借家住まいであり、
働けなければ住む所もなくなる不安定な身分だったのだ。
それにしても、ここまでの所は入手した情報とかけ離れている。少し失望しながら、ライムのトンネル(Double rows of limes 写真上右)を歩いて行くと、
突然視界が開いた。
高い壁に囲まれ、サンクン式に1段下がった広大なガーデンが出現した。今までの部分はハウスと同じレベルの"Upper Garden"で出現したのが"Lower Garden"
あるいは"Great Garden"と呼ばれるお目当てのガーデンなのだ。見下ろせば見事に刈り込まれた大きな4つのパーテアが整然と構えている。
はやる気持ちを抑え、先ずは上の段のボーダーを一回りだ。高い花崗岩の壁にはリンゴなどの80種の果樹が見事に這わせてある。
その前面はルピナスのボーダーだ。まだ新しいようで隙間は見えるが、羨望ものだ。一方のサンクンの手摺りの壁には、
信じられないほど大きな鯛釣り草やアルケミラモリスなどの宿根草が繁っている。
いよいよ待望の"Great Garden"へ下りるのだが、4つのパーテアの内、3つがホリールード宮殿のデザインで、南東に位置する1つは初代准男爵
Sir Alexander Setonを称えて、NTSが17世紀の様式に従いデザインしたセトン・パーテア(Seton Parterre)だ。真ん中に”Alexander家の紋章”と
オリジナルのガーデンが始まった”1675”の数字、スコットランドの国花の”あざみ”、スコットランドの国旗”セントアンドリュース・クロス”などがデザインされている。
写真下は左から上の段から見下ろしたセトン・パーテア(手前の花はあざみ)、次があざみのパーテア、そして、セントアンドリュース・クロスのパーテアだ。
今は色味がないが、シーズンになれば刈り込みの間には花が咲き乱れるのだ。その数、実に40,000株とのことだ。
南西の位置には、ライオン・パーテア(Lion Parterre)だ(写真下左2枚)。中心にライオン像が立つ。見事な曲線でパターンが描かれている。造形美の極致だ。
ピットメデンの6つのパーテアの柘植のヘッジの総延長は、5マイル(約8km)とも6マイル(約10km)とも言われている。
北西の位置には、テンプス・フジット・パーテア(Tempus Fugit Parterre)だ。ラテン語でTempusは時間、Fugitは飛ぶを意味する。
日本語で言えば”光陰矢のごとし”というところだ。確かに中央にはサンダイアルが鎮座している(写真下右2枚、3つ下右)。
パーテアの周囲の壁に沿う草本ボーダー(herbaceous borders 写真下左)の植栽、カラースキムに唸る。花は一つもないが、その高低、葉色、葉形、質感だけでここまで美しい。
花が咲いたらどうなるのか、想像するだけで眼が眩みそうだ。ここも満開の季節に訪れたいリストに上げておこう。
ここのThe National Trust for Scotlandのチャリティー・オープンは8月下旬のようだ。その時期が狙い目だろう。
北東の位置には、デイジー・パーテア(Daisy Parterre)だ。名前の通りデージーのデザインだ。この日はNTSの職員がパーテアの中にベゴニアを植え込む作業をしていた。
道糸でラインを引き丁寧に植え込んでいる。この地道な作業が大切なのだと意を強くする。
NTSのガイドツアーに出会う。大勢の人が熱心に聞き入る姿は”庭師の国”というフレーズを納得させる。質問も沢山出てちっとも前に進まない。
シャッターチャンスがなかなか訪れない。このパーテアはアップガーデンのもう一つのもので、前述した彩色した砂利を入れたパーテアと同じデザインで、
こちらは間にラベンダーなどのハーブ類を植栽している。彩色した砂利のものより少し進んだ形だ。
オーナメントも重厚な雰囲気でガーデンの品格を高める。ハウスから"Great Garden"を貫く軸線は両脇をトピアリーに挟まれた芝生のロングウォークだ。 そこのオーナメントは写真下左から、"Upper Garden"の噴水、"Upper Garden"と"Great Garden"の段差の階段、"Great Garden"の噴水、 テンプス・フジット・パーテアのサンダイアルだ。階段の上から見下ろす4つのパーテアの光景は筆舌に尽くし難い。
Haddo House ハドーハウス
ハドーハウスもNTSのプロパティーだ。
門を潜ってから3km余り走って到着したパーキングから接近すると先ず眼に入るのは、黒光りする木造の建物"Haddo House Hall"だ。
年間を通じて様々な文化的イベントが開催される。
続いて、お目当てのハウスが見えてきた(写真下左から2枚目)が、これは南西側の部分だ。左側から回り込んで北西側の正面に来て驚きの光景だ(写真下右2枚目)。
真ん中に3階建て7面の窓があるメインの建物、左右に2階建て5面の窓の建物があり、これを四半円形の渡り廊下で繋いでいる。
腕を広げたような半円の形の建物は壮大な雰囲気だ。そして左右の円形階段から2階のバルコニーへ直接登られるデザインが優雅だ。
1732年に建てられ、1822年に改装されたジョージ王朝風のパラディオ様式(Georgian Palladian style)の大邸宅だ。
500年の歴史があるゴードン家(Gordon family)のハウスとガーデンがNTSの管理となって公開されている。9百万坪という広大な敷地を持つ
ハドーエステート(Haddo Estate)は事業を継続している。
ハウスの周りにはいろいろなオーナメントがある。城ではないのに大砲もある。教会の前の2匹の犬の像は伯爵夫人が可愛がっていた犬の像だ。
片方が死ぬともう一方も後を追うよに亡くなったというどこかで聞いたような表示がある。1905年のことだ。
ハウスの裏側は広大なテラスガーデンだ。整形式で左右対称のデザインだ。その中央に大きな噴水がある。1800年代のものだ。
テラスガーデンは植栽の真っ最中だ。作業に勤しむガーデナーに声を掛ける。にこやかに対応してくれて気持ちが良い。
2階への階段を這うバラが丁度見頃だ。その2階から見下ろす風景は爽快だ。やはり、建物や高低差はガーデンに広がりを持たせる。
幾何学的デザインのローズガーデンのバラの開花はまだまだ先のようだ。草本ボーダー(Herbaceous Border)の植栽はシンプルだが、植栽の厚さに唸る。
ハウス北東のチャペルは小さいが美しい。1891年建築だ。テラスから南西に延びるシナノキ(Lime)の並木道の両側にもコンテナが並んでいる。
何処までも楽しませるデザインだ。
2種類のサンダイアルが見られた。サンダイアルはそこにあるだけでガーデンの格を上げる。テラスガーデンの下の段にかなりの樹齢と思われる古木が並んでいる。
葉色の違いが面白い。
ショップでガーデン友達のためにティーコジーを、孫達に羊のマグネットを求める。
Fyvie Castle フィビー城
フィビー城もNTSの所有だ。歴史は13世紀初頭まで遡るという。
1390年までは国王の城(Royal Stronghold)として使われ、この旅行記でも何度も登場しているロバートT世(Robert the Bruce)の名も出てくる。
1390年以降は5つの一族(Families)に受け継がれてきたのだ。その一族がそれぞれにタワーを増築し、今の壮麗な形になったのだ。
写真では分かりにくいが、Z形をしており、それぞれのタワーに小塔が迫り出していて、実際より大きく見せる効果があるという。
城(Castle)でありながら要塞宮殿(Fortress Palaces)と呼ばれるのも頷ける。
保存状況完璧な5階建ての美しい城に見せられ、珍しく中も見学する。階段や廊下には武器や武具が並んでいる。複雑に入り組んだ各部屋は家具、
タペストリーなどが展示されている。各部屋の暖炉も多彩で興味深い。肖像画も沢山飾られている。図書室、ビリヤードルームなど部屋数も多い。
この城も出るという噂が高い。"Grey Lady"に"Green Lady"、"Phantom Trumpeter"に"Bagpiper"などなど色々出るという。深夜のお城は騒がしいことだろう。
その謂われは、余りにも生々しくてここには書けない。興味ある方は"Fyvie Castle"、"haunted"のキーワードで情報ぞろぞろだ。
18世紀のウォールド・ガーデンが再開発されたばかりだ(写真上中2枚目、下左3枚)。Fruits and Vegetables GardenとAmerican Gardenと説明されている。
確かにイングリッシュガーデンとは違うようだ。像やオーナメントも斬新だ。American GardenにしたのはNTSに移る前の最後の所有者がアメリカの実業家リース家
(Leith Families)だったからだろう。
まだまだこれから、というところだ。
城の周囲のコンテナなども重厚な代物だ(写真下右2枚)。城のすぐ南にフィビー湖(Loch of Fyvie)があり、周囲がランドスケープとなっている。静かな湖畔だ。
Deer Abbey ディアーアビー
ディアーアビーを
目指してA950を快走する。またしても案内標識に気付いた時には通り越していた。Uターンして戻る。長い石塀に修道院の入り口には似つかわしくない門がある。
その脇に数台路上駐車が出来るスペースがあるが、今はバイクが1台止まっているだけだ。入場フリーのヒストリック・スコットランドのプロパティーだ。
愛想の良くないライダーが引き揚げた後は我々のみだ。
1219年設立の修道院の廃墟だ。正に廃墟だ。これだけ崩れてしまうと郷愁も湧きづらい。芝の中に石の基礎の線が見えるだけの所が多いが、かなり大きな修道院であったことは窺える。
身廊は長さ50mで十字形をしていたというが、見た限りではどこがそうなのか分からない。正面に見えるいくらか建物の形をなしている部分は、
修道院長の家(The abbot's house)と食堂(Refectory)などのようだ。
Countryside カントリーサイド
イギリス・カントリーサイド・ガーデン巡り・ドライブ旅行10年目にして初めてポータブルカーナビを使用している。操作方法もすっかり慣れ、重宝している。
が、ナビ子ちゃん任せで、ルートについて何も考えていない自分がいる。旅は点から点への移動ではなく、その軌跡をなぞる線にしたい。
更に面から空間に広げられるものだと思う。時空だ。
何より好奇心を持って行動することだ。今夜のホテルのあるハントリーに向けてB9024を西進していると脇道に馬に乗った人がいる。
カントリーサイドでは別段珍しいことではないが、何やらウエディングドレスのような白いものを着ていたようだ。妻と顔を見合わせる。
間違いないようだ。急ブレーキで停車。少しバックして、馬を驚かせない位置で車を降り歩いて行くと、やはり馬上にウエディングドレスの女性がポーズを取り、
もう1人の女性が写真を撮っている。話を伺うと夕方からパーティーがあるが、その前に記念の写真を撮っているのだという。
お祝いを言い、許可を得て写真を1枚。楽しい写真が取れた。
洒落たサインボードに"Drakemyre Farm"とあるのでファームの娘さんが乗馬好きで、ウエディングドレス姿の乗馬の写真を撮っているのだろうと思っていたが、
サインボードの下に記されている"Craigie Equestrian"について検索してみると、
馬を訓練・調教するファームのようだ。娘さんであれ、従業員であれ、なるほど納得。
Huntly ハントリー
ハントリーの街にやってきた。私達の場合、宿泊する街は往々にして、ろくに観光しないで終ってしまう。出発時にはまだ店が開いていないし、
帰着時には店が閉まっているからだ。それだけ”神風かっとび急ぎ旅”をしてきたということだ。そろそろそれは卒業しようと思ってはいるのだ。
街の中心部に入る。"Gordon Street"と"Duke Street"が交わるところが"Huntly Square"だ。そこがパーキングになっている。
その真ん中には大きな像が立っている。18世紀にこの街の改造を計画したゴードン公爵(5th Duke of Gordon)の像だ。通りの名前もこの人に因んでいるのだろう。
1863年に建てられたという。その隣には噴水がある。この街の銀行家を記念して1882年に造られた"Robertson Fountain"だ。スコットランド銀行のすぐ前だ。
この街にはショートブレッドの工場がある。"ディーンズ(Dean's)"だ。
奥さん(Helen)の焼いたショートブレッドは家族や友人に"melt in the mouth"といわれて評判だった。夫(Bill)は自分の所属するpipe bandの資金集めに
妻のショートブレッドを使うことにする。バンドの遠征はこのショートブレッドの名声を広げることになり、店を開くことになったという。1975年のことだ。
家族経営のこのブランドは、1898年創業のウォーカー(Walkers)ほど有名ではないが、"melt in the mouth"の口当たりは知られた所だ。
お土産として持ち帰るなら、スーパーマーケットでも空港の免税店でも求められるが、”気は心”本店の味をお土産にしよう。
スクエアーからぶらぶらとウインドーショッピングをすること15分でディーンズのビジターセンターに着いた。先ずは工場見学をお願いすると2階に案内された。
ガラス窓から工場が見えるが、15時30分なのにラインは止まっている。店の歴史などの展示もあるが、早々にショップに戻る。
迷いながらも大・中・小合わせて18個のショートブレッドを求める。買い物籠が歪むほどの重さだ。これを持って15分歩くのは辛い。
私1人で車を取りに走る。妻はその間、店員と英会話のレッスンだ。
Huntly Castle ハントリー城
ハントリーの観光スポットといえば"ハントリー城"が
1番に挙げられる。スクエアーから北へ1km足らずの所にある。
14世紀にロバートT世(Robert the Bruce またまた登場)から1180年からある城を与えられたゴードン家が1410年に木造の城から石の城に建て替えたのだ。
しかし、この城は紛争で破壊され、1460年に建てられたタワーのある城が現在残るものの基礎らしい。
壁の至る所に彫刻や文字が刻まれている。これはかなり精緻で装飾的だ。栄華が偲ばれる。
城は小高い丘の上に立つ。裏に回ってみると、廃城が残っている。最初に出来た石の城の跡だろう。後の城との対比は際立つ。
このすぐ北に今夜のカッスルホテルがあるはずだが、深い森に遮られ見えない。つい最近までここからも橋を渡って行けたのだが、
台風で落ちてしまったという案内がホテルから届いている。
Castle Hotel カッスルホテル
ということで、もう一度立派なゲートハウス(Gatehouse)を潜り、豪奢な鹿の像を見て、一旦街を出てA96からB9022を経てホテルに向かう。
カッスルホテルは数多かろうに、ここは単に
"カッスルホテル"と名乗る。
ポーターに荷物を運んでもらい部屋に案内される。前述のゴードン公爵が1769年にハントリーキャッスルの廃墟の石を使って建てたものだ。
第2次世界大戦時は軍事病院として使われたという。廃墟の石でできた傷病兵が使った部屋と思うと背筋がぞくぞくしそうだが、明るくて大きな部屋だ。
内装もシックでゴージャスだ。可愛いテディーベアーもウエルカムしてくれる。
Findlater Castle フィンドレーター城
優雅にホテルライフというのが身についていないので一休みして、19時30分のディナーを予約し、もう一度お出掛けだ。
行く先は、北海に突き出る小さい半島の断崖に立つという廃城フィンドレーター城だ。1246年にはここに城があったという記録があるそうだが、
今残っている廃墟は14世紀後半以降のものだという。
車をパーキングに止め、北海からの強い風に向かって草原の中をかなり歩く。"Findlater"の語源は"fyn"(white) 、"leitr"(cliff)だという。
石英の含まれた白い崖の中に組み込まれたような形で城が立っている。海から15mの高さだという。半島の入り口で行こか戻ろか逡巡していると、
後から来た若いカップルが追い抜いて城に向かう。見ればかなりタイトな尾根を風に煽られながら下って行く。人ごとながら、危険を感じる。
それに、帰りの登りを考えたら、ここは自重自戒しておこう。若いカップルが城に着くまで見守って、「ヤッホー」と声を掛けたが、聞こえないようだ。
草原の中に白いドームのようなものが見える。寄り道してみると"Findlater Doo'Cot"だ。
16世紀のこと、フィンドレーター城で食べる鳩を飼育していたものだという。余り食指は動かない。
Moray Coastal Trail
モレー海岸(Moray Coast)の中でもカレン(Cullen)からバッキー(Buckie)の村々が美しいとの情報だ。フィンドレーター城から程なくカレンに入ると、
目の前に入江とビアダクトが現れる。車の流れで通り過ぎると今度は2連の橋を潜る。これは見逃せない。Uターン場所を探し戻る。
漁港の脇に車を止めフォーカスポイントを求め彷徨っていると、何とこの村には3つのビアダクトがあるのだ。興奮だ。
人気の街道なのだろう交通量が多い。流れに乗って走っているとポートノッキー(Portknockie)でビューポイントの標識を見つけるが、ここも直ぐには曲がれない。
次の角を曲がって辿り着いた海岸で見たものは"Bow Fiddle Rock"と呼ばれる奇岩だ。バイオリンの弓に例えているが、同意するにやぶさかではない。
角度の違いということもあるだろう。
ポートノッキーやフィンドックティー(Findochty)の街並みは変わっている。この辺りはスカンジナビア半島に極めて近い。直線距離ではロンドンよりも近いのだ。
そのためスカンジナビア半島から移り住んだ人も多くスカンジナビアの建築様式の家が立ち並んでいるのだという。窓の周りのデザインが独特だ。
この辺りの海岸にはアザラシ(seal)が、沖合にはイルカ(dolphin)が見られるとのことだが、今は叶わない。
Castle Hotel カッスルホテル
19時帰着、シャワーを浴び、一張羅でお洒落をして1階に下りる。係の女性がバーに案内してくれる。ここで食前酒をいただきながらメニューを決めるのだ。
先ずはエールビールだ。シャワーの後のビールはまた格別だ。"Shef's Special"にする。スターターは
・ Smoked Breast of Duck Celeriac Roulade Mustard と ・ Breaded Button Mushrooms with Garlic Mayonnaise
メインは二人とも ・ Beef Tomato Fried with ratatouille, Goats Cheese and Basil だ。この雰囲気ではサイドプレートを貰ってシェアするのは憚られるので、
別々にオーダーを考えたら、メインは一緒になった。
ワインもオーダーし、準備が整うとメインダイニングに通される。公爵家のダイニングは少々堅苦しく感じるが、この緊張感も楽しみの一つだ。
スターターはどちらも「ジューシー」が感想。メインはチーズが少々多かったが、完食する。
デザートは ・ Chilled Lemon Possett with Pistachio biscuits と ・ Ice Cream & Sorbets にした。どう考えても量が多い。
コーヒーはバーへ戻っていただく。ここでもチョコとタブレットを何度も運んでくる。明日のおやつに1つずつもらっておく。
私はコーヒーをパスしてシングルモルトをいただく。メニューが多すぎて迷う程、さすがに本場だ。
2階のダイニングで何かの会合が終ったらしく、お客がどっと押し寄せる。そんな中を陽気に挨拶して回っているカップルがいる。
顔の広い人だと思って見ていると、我々の所にもやってきて「どこから来た? 楽しんでいるか?」と訊ねる。
どうやら、こちらのホストとホステスのアンドリュー(Andrew)とリンダ(Linda)のようだ。
最後にグラスに氷をいただいて部屋に戻りエドラダワーをもう1、2杯。熟睡。
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