2017年の旅 アイルランド 北アイルランド コッツウォルズ

花花

第10日 7月2日(日)水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       Belfast B&B --- Ardgillan Castle Victorian Gardens ---

             Dublin Port 〜Ferry〜 Holyhead --- Meadow Rise
今日の走行距離     520 km
今日の万歩計      9,000 歩
今日の出発時気温    15.0 ℃

ベルファスト B&B   Belfast B&B

Belfast B&B Belfast B&B

今朝は久々に陽光を拝めた。セグウェイを楽しむ予定なのでどうしても晴れて欲しかったのだ。
今日のフル・アイリッシュはトマトを除き、卵はスクランブルにしてもらった。ボリューム満点だ。ヨーグルト、バターの乳製品も最高だ。
アンドリューの姿が昨日から見られない。訊ねると土日はいつもゴルフなのだという。モーナに洗濯をお願いすると、 「部屋のドアーの横に置いておけば、今日中に仕上げておくわよ」とのことだ。ありがたい。

セント・ジョージズ・マーケット   St. George's Market

セント・ジョージズ・マーケットは 1604年から市場が開かれており、1890年から96年に掛け段階的に建築された屋内市場では英国最古といわれる。
数々の賞を受賞し"Best in Britain"とか"Best Market"などの称号を与えられている。市場が開かれるのは毎週金・土・日の3日間で、 それぞれオープン時間や内容が異なる。トレーダーの数は300を超える。今日土曜日はシティー・フード・アンド・クラフト・マーケット(City Food and Craft Market)と称し、 食品と手芸・工芸品が出店している。9時からのオープンだ。9時30分に訪れたが、意外と空いている。

St. George's Market St. George's Market St. George's Market

先ずは一巡りしてみる。港町ベルファストだけにシーフードが素晴らしい。新鮮な魚介類が山積みだ。魚臭さは全く感じられない。値札はキログラム当たりの値段が “鰯(Sardine)£7 KG”とか“鱈(Haddock)£15 KG”、“シーバス(Sea Bass)£10 KG”、“ホタテ(Scallop)£26 KG”などと表示されている(写真上左・中)。 量り売りなのでKg当たりの価格が表示されているのだ。。上中の写真の中央の黒い山はムール貝だ。
八百屋の野菜、果物も新鮮だ(写真上右)。パックされていないものが多い。ここでも個売り、量り売りなのだ。
デザートの店は素朴な雰囲気だ(写真下左)。パエリアとタパス(Paella & Tapas)の店では大きな鍋でパエリアの調理中だ(写真下中)。 美味しそうな香りが漂うが、フルアイリッシュでまだお腹はくちい。

St. George's Market St. George's Market St. George's Market

一回りして、目星を付けた店を再び訪れる。食品は本日はパスする。まず、バッグ屋さんだ。友人へのお土産に2つ選ぶ。 フクロウのグッズを集めている知人にフクロウの形のバッグをゲットする。面白い買い物をした。(写真を撮っておけば良かった)

St. George's Market

ニット帽子を並べてある"FfrogCreations"という店がある。 これは嵩張らないし軽い、友人へのお土産にはうってつけだ。帽子とそれに付ける小さなアクセサリーがセットで、組み合わせは自由だという。 友人に似合いそうな色・形、組み合わせを考えるのも楽しい。2組ゲットする。店番の男性が編んでいるのかと思い訊ねると「女性の友達の店だが、今日は留守番だ」という。 妻のジャケットに合う色のアクセサリーをサービスしてくれた。それを襟に付けて男性と記念写真をお願いすると、妻に商品の帽子を被せ、自分も被ってポーズを取った(写真上右)。
大小の油絵を並べた店もある。妻は作風が気に入ったと買う気満々だ。それを見透かしたか、作家だという女性が熱心に対応してくれる。 名刺によると一昨日訪れたリネン・センターの街・リズバーン在住の"Lyn Chambers"という女性作家だ。 イギリスのどこでも見られそうな光景を描いた小さな1品(26×21cm)を求める(写真右)。ここでも記念撮影をさせてもらう(写真下左)。 すると、隣の店の女性が出てきて3人の写真を撮りましょうという(写真下中)。
楽しいショッピングをして表に出る。マーケットの建物はヴィクトリア様式の瀟洒なものだ(写真下右)。

St. George's Market St. George's Market St. George's Market

セグウェイNI   Segway NI

この旅2度目のセグウェイはベルファストからM1で西に30km余りのセグウェイNIの アドベンチャー・ツアー・オフロード(Adventure Tours Off Road)を選んだ。
ネットでの予約も出来たが、一つ心配がある。集合場所が確認できないことだ。ホームページにも予約票にも集合場所として"Once you enter Tannaghmore Gardens, take your first left towards the Animal Farm Car Park. Park you car here and exit the car park and walk across the road to the"としか記されていないのだ。 これがイギリス流の地図なのだ。グーグル地図で"Animal Farm Car Park"は確認できたが、その先が分からない。 ストリートビューで何度確認してもそれらしいものは見つけられないのだ。

Segway NI

「まあ、行けば分かるだろう。少し早めに行って、探してみよう」と10分前までに集合とされていたが、30分前に到着した。 パーキングに車を駐め、道路を渡ったところはただの空き地でそれらしきものは無い。道路を進むと湖に出る。ジョギング大会が開かれていて大賑わいだ。 その受付らしきところで訊ねると「ああそれなら戻ったところの右側の空き地だよ」と教えてくれる。戻ってみるが何もない。周囲は森だ。 森の中に道がある。これを進んでみるが見つからない。まもなく10分前になる。"Any problems give me a call ? ○○○○"に電話を入れる。 「今どこにいる」、「パーキングの道路を渡った森の中だ」、「元に戻りなさい。森を出た所だ」ということで、森を出ると、先ほどはなかった車が止まっており、 セグウェイを下ろしているではないか? 早く着いたのが、仇だったのだ。帰国後ホームページを確認すると、上記案内の続きが"Segway NI Van - this is the starting point." と記されているページもあるではないか。しっかり統一しておいてほしいものだ。

Segway NI

さて、ツアーが始まる。参加者は4組9名だ。セグウェイは8台しか用意されていなくて1組のカップルは交互に使うようだ。当日の飛び込み客なのだろう。 操縦方法の説明の後、一人ずつ順番に操縦する。前進・停止・後退、右折・左折と技術を試される。全員経験者らしく一発合格する。 続いて、コーンを並べてスラロームのタイムトライアルをするという。インストラクターに続いて試走の後、1人2回トライする。 終わると、更に難しいコース設定にして2回のタイムトライアルがある。速く走りたいが、スピードを上げるとコースアウトしてタイムロスしてしまったり、 なかなか難しいが、面白い。つい熱が入ってしまう。記録はツアーの最後に発表するのだという。
いよいよ、森の中の専用コースのトレッキングに入る。インストラクターの先導で1列に並んで進む。最初からの流れで何となく私が最後尾だ。 今までに経験したトレッキングの中で最も狭いコースで路面も荒れている。木立の間を進むとスピード感がありスリルも感じる。 さすがに、このコースではカメラ片手に撮影はできかねる。それでも、最後尾を良いことに、前(妻)との間隔を開けておいてハイスピードで追い着いたりして楽しむ。
トレッキングコースは1つだけではなかった。次に入ったコースはカーブもアップダウンもより激しいコースだ。ここも、インストラクターを先導について行く。 昨日までの雨でまだぬかるみもある。インストラクターが水たまりを突き進むから後に人も同じように水を跳ねて進む。 この時も前との距離を開けようと一旦停止して様子を見ていると、脇にスペースがあるのに皆は水たまりを進む。よし、自分はあの水たまりを避けて行こうと発進する。 勢いよく進み、水たまりの脇を右に避けた途端にスリップした。ここのセグウェイは時速20km出る新鋭機だから、バランスを崩して転んだ所は幸い水たまりを過ぎていた。 しかし、左足の靴がセグウェイのステップに嵌まってしまい、セグウェイが円運動をして木立にぶつかり止まるまでの間に、これでもかと足首と膝の関節を捻られる。 膝がちぎれるかと思うほどの痛みが走る。前との間隔が開いていたので先行する仲間は気づいていない。大声で助けを求めると妻が引き返してきた。

Segway NI

インストラクターを呼んでくるよう告げる。脳裏をよぎるのはこの後の旅程だ。この痛みでは運転は無理かもしれない。明日のブリテン島へのフェリー、 3日後の搭乗券はキャンセルか? 絶望に力が抜けたのか、左足がするりと抜けた。痛みをこらえて立ち上がる。幸い骨折や脱臼はなさそうだ。 そこにインストラクターと妻が駆けつけてくれた。インストラクターが体を気遣ってくれる。何とか歩けそうだ。スリップの原因は、木の根っこだった。 跳ねた水で濡れた剥き出しの木の根で横滑りしたのだ。インストラクターが水たまりの中を進むのには訳があったのだ。 あるいはそんな注意もあったのかもしれない。私の英語力のなさと悪戯心のなせる事故だった。セグウェイも壊れることなく再始動し、 それに乗って元の広場に戻ると仲間も心配そうに迎えてくれた。ツアーの残り時間も少ないし、皆に迷惑を掛けるといけないのでここでドロップアウトを申し出る。
痛みはあるが、歩けないことはない。パーキングに戻り、ベンチを探して一休みとする。こんな時はいつものようにアイスクリームだ。

グリーンマウント・ウォールド・ガーデン   Greenmount Walled Garden

グリーンマウント・ウォールド・ガーデンは College of Agriculture, Food & Rural Enterprise(CAFRE)という農業大学のグリーンマウント・キャンパスにあるガーデンで年に数日だけ一般にオープンされるのだ。 今年最初のオープンが今日なのでベルファスト滞在をこれに合わせたのだ。このウォールド・ガーデンは礎石によれば1801年に造られたものだ。 この時期に盛んに造られたウォールド・ガーデンは野菜と果物を供給する目的で造られたのだが、その維持・管理には人手が掛かったので、 労働コストが上がった20世紀初頭には多くのウォールド・ガーデンが荒廃してしてしまったのだ。ここも荒廃していたのだが、 1912年に創設したCAFREの園芸学科の学生の園芸訓練の場として活用されてきたのだ。 そして、2000年のミレニアムのために再開発・整備されたのが現在のガーデンなのだ。

Greenmount Greenmount Greenmount

ガーデンの北側のガーデン・オフィスとガーデン・スタジオの外壁のハンギングとベッドの植栽がホットだ(写真上左)。
入場するとガーデン・スタジオの前にミレニアムの記念碑が立っている(写真上右)。ガーデンの正式名は"The Richardsons Walled Garden at Greenmount"のようだ。 "Richardsons"は再開発の財政的スポンサーの名前だという。
ガーデンは100m四方のほぼ正方形で中央に彫像のあるプールを配し、通路でシンメトリーに幾つかのガーデンがデザインされている。実に美しいデザインだ。 中央の彫像は“阿波踊りか風の盆”を踊る女性のようなたおやかさが感じられる(写真下中・右)。
何か物足りなさを感じる。このガーデンで最もフォトジェニックな白く美しいコンサバトリーが見当たらないのだ。 写真下左のこの辺りにあるはずなのだ。よく見ると灰色の塀で囲われている。どうやら工事中のようだ。 美しい曲線美のコンサバトリーなのに残念。  

Greenmount Greenmount Greenmount

Greenmount Greenmount Greenmount

輝くばかりに明るいライトグリーンの芝の中に低い柘植のヘッジで囲われたベッドにはトピアリングされたイチイの木や宿根草が植栽されている(写真上左・中)。 ガーデンの境界は背丈のあるイチイのヘッジで仕切られ、足下はボーダーが走る(写真上右)。手が行き届いた素晴らしい管理だ。
ポタジェ( Potager)の一角だったろうか、房咲きの1種類のバラだけのコーナーも見られた(写真下中)。また一角のホットなフラワー・ベッドは中央に銅葉で黄花のダリア、 真ん中にピンクのベコニア、外側にブルーの上げラータムというショッキングな色遣いだ(写真下右)。

Greenmount Greenmount Greenmount

一角に"Pleached Lime Trees"がある(写真下中)。セイヨウシナノキの枝を絡め合わせて塀のように仕立てる技法だ。 イギリスの大きなガーデンでは良く見られる。ブナ(Beech)も同じ手法で使われることが多い。
その傍らにオットセイの形に見えるトピアリーがある(写真下右)。とても明るい葉色のコニファーで作られている。

Greenmount Greenmount Greenmount

Greenmount Greenmount Greenmount

本来のウォールド・ガーデンの南側の壁に隣接してローズ・ガーデンがある(写真上下)。ホームページに寄れば"DARD Rose Garden"となっている。 "DARD"を調べると"Department of Agriculture and Rural Development"の頭文字のようだ。“農業・農村開発省”ということになる。だからどうなのかの情報は見つけられない。
30m×25mほどの小さなガーデンだ。ガーデン・デザインはバラの花一輪をモチーフとした通路の周りにフロリバンダローズ (房咲きの木立性バラ)が植栽されている。今正にたわわに咲き誇っている。
中心のアイアン製のガゼボ風構築物とオベリスク(写真上右)、アーチ(写真下3枚)が統一性があって落ち着く。 これらの構築物はガーデンに高さを加えることと、とりわけ冬場にもそのフォルムを楽しんでもらうことを目的としたものだ。意図が良く理解できる。
ここで作出したバラは昨日訪れたサー・トーマス & レディー・ディクソン・パークの国際バラ園で毎年開催されるインターナショナル・ローズ・トライアルの フロリバンダローズ部門で何度も受賞しているのだという。

Greenmount Greenmount Greenmount

Greenmount Greenmount Greenmount

ローズ・ガーデンの隣が"The BBC Greenmount Garden"と名付けられている。一角にロック・ガーデンが築かれている(写真上中)。
ここまで頑張って歩いたが、膝と足首が疼き出した。この辺で切り上げることにする。"Pleached Lime Trees"が対称の位置にもあり、 こちらのトピアリーはブタに見える(写真下右)。愉快だ。このトピアリーはそろそろ刈り込みの時期だろうが、全体として素晴らしいメンテナンスだ。 芝生も見事に刈り込まれている。1機だけロボット芝刈り機があった(他にもあったのかもしれない 写真下中)。 ジョンディア(John Deere)というアメリカのメーカーの製品で“タンゴ(Tango)”というらしい。ロボット掃除機の“ルンバ”を思い起こす。(どちらもダンスだ) 上記ホームページの動画にタンゴの活躍する様子が見られる。また2015年の旅のカンボ・ビクトリアン・ウォールド・ガーデンで機種は違うが初めて ロボット芝刈り機を見たときの動画はこちら(1分27秒)だ。
このガーデンを見て言えることは、良いデザイナーがいて、優秀な知識・技術を持ったガーデナー(学生)が大勢いれば美しいガーデンになるのは必定ということだ。

Greenmount Greenmount Greenmount

バンガー城・ウォールド・ガーデン   Bangor Castle Walled Garden

私の英国旅行はもっぱらマニュアル車だ。イギリスでは未だにマニュアル車が主流で、オートマチックのレンタルには加算料金が掛かるのだ。 それより何よりマニュアル車でのドライブが楽しいのだ。しかし、痛めた左膝にはマニュアル車のクラッチが重い。今日ばかりはオートマチック車が欲しい。 40分のドライブでキャッスル・パークの駐車場に到着する。パーキングは広大だ。パーキングの北側に東西100m、南北120m、高さ3m以上のレンガの壁で囲われた バンガー城・ウォールド・ガーデンがあった。 入り口近くのスペースを探し駐車する。
1840年代にワード家(Ward family)に野菜や果物を供給するために造られたものだ。その後長く荒廃していたが、ノース・ダウン自治区評議会(North Down Borough Council)の所有となり、 整備されて2009年に一般公開されたものだ。

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

壁で囲われた部分の南側3分の2が十字の通路で4つに仕切られている。東側の入り口から西に伸びる通路は大きなアーチが架けられている(写真上左)。 アーチはクライミング・ローズで覆われている。アーチの外側も上述の"Pleached Lime Trees"で仕切られており重厚感を醸す(写真上中・右)。
十字の通路の交差点には立派なオーナメントの噴水のあるプールが鎮座している。オーナメントのタイトルは"The Twister Twisting"という(写真上中・右)。 高さ2.4m、直径1.8mのステンレス鋼製だ。北アイルランドのリネン産業、ノースダウンの海洋漁業そしてビクトリア朝の早口言葉を表しているという。 ステンレスの花はリネンの材料となる亜麻(フラックス)の花を表しており、らせん状に吹き上がる水は撚った糸を表すのだという。 花の雌しべのような突起はらせん状に立ち上る魚の形をしていて、海洋漁業を表しているのだ。 また、"The Twister Twisting"は早口言葉"Tongue Twister"に掛けていて、プールの縁の石にはビクトリア朝の早口言葉が刻んであるのだ。
交差する南北の通路は幅の広いダブル・ボーダーに挟まれている(写真下3枚)。この植栽も真似ができない。なぜなら陽だまりでこれだけ混植したら蒸れてしまうことだろう。

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

中央の噴水から北に進んだ突き当たりの壁際にもユニークなオーナメントがある(写真下左)。タイトルは"Curved Horn"だ。バンガーの歴史からインスピレーションを得ているのだという。 バンガー(Bangor)という町の名前はアイルランド語の"Beannchor"に由来し、"Curved Horn"を意味するのだという。城の北500mにある港の形も"Curved Horn"に似ていることも関係している。 また、"Curved Horn"は海洋漁業を示す船の船首を連想させる形をしている。そして、本体にはバンガーの歴史に登場する “人魚”、“バンガーの鐘”、“鯨の金の歯”や“ビクトリア朝に蒐集されたシダ”などが彫られている。
十字の通路で仕切られた北西に位置する部分がキッチン・ガーデン(Kitchen Garden)だ(写真下右)。柘植のヘッジや木製の柵で幾つにも分割し、多種類の作物が育てられている。 木や蔓で作ったオベリスクや竹の支柱も美しくデザインされている。レンガの壁はお馴染みの果樹のエスパリエ仕立てで飾られている。 収穫するためだけでなく、見ても楽しむためのガーデンなのだ。

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

南西の位置にあるガーデンは"Swamp(Damp) Garden"と名付けられている。湿性植物を中心に植栽されているガーデンだ(写真上中・右、下左・中)。 その植栽の厚さには驚くばかりだ。大きな流木が装飾として使われている。

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

中央の噴水で交差する南北の通路の南の端にカラマツの木(Larch Tree)のテラコッタが置かれている(写真上左)。黒塀に松、何となく日本風に見える。
続いて南東に位置する区画に入る。"Flower Garden"だ(写真上右、下左・中)。芝の中にシンメトリーにシャムロック(クローバー)の形をした花床を切ってある(写真下左)。 シャムロックはアイルランドにキリスト教を伝えたセント・パトリックがシャムロックを手に“三位一体”を説いたことから、アイルランドの国花になっている。 ここはイギリスだが、アイルランド島だ。民族の問題は難しい。夏の草花に入れ替えしたばかりで盛りはこれからだ。
もう一つの北東の区画は"Herb and Topiary Garden"となっているが、見るべきものはないようだ。 それにしても、これだけのガーデンが無料公開されているのだから素晴らしい。

Bangor Castle Bangor Castle Bangor Castle

マウント・スチュワート・ハウス & ガーデン   Mount Stewart House & Gardens

マウント・スチュワート・ハウス & ガーデンは2006年に訪れているが、 閉園間際の到着で、15分だけの駆け足見学だった。今年の旅で最も楽しみにしてきたガーデンだ。足が痛いからといってパスするのは忍びない。30分のドライブで到着。
ナショナル・トラスト(NT)のプロパティーだ。入場料は1人£9.45だが、メンバーカードを提示すれば無料の上、ウェルカムの挨拶も最上だ。 レセプションの係員がパンフレットのガーデン・マップに回る順路を書き入れてくれる。今日は時間もたっぷりある。それに従って巡ることにする。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

レセプシンを出てハウスの北側に回る。ネオクラシック建築(Neo-classical architecture)の建物は余分な装飾を抑えた重厚な雰囲気がする(写真上左)。 初代ロンドンデリー侯爵が1744年に購入したもので、その後、著名な建築家であるジョージ・ダンス(George Dance)とウィリアム・モリソン(William Morrison)により 増改築されたものだ。
ハウスの北側に位置する森の中の湖を周回するパスの分岐に大きなコンテナがある(写真上中)。コンテナの中も外もバラが満開だ。 周囲にはアジサイ始め様々な花木があり、その先は深い森だ。
湖に到達する。湖岸では幾種もの水鳥が羽を休めている。湖は長径200m。短径100mほどの小さなものだ。 向こう岸の樹木の色合いや形が柔らかい(写真上右)。別の方向の対岸の丘の上に建物が見える(写真下左)。ガーデン・マップによれば"Tir n'an Og"と出ている。
パスは湖を離れ森の中に入る。この辺りは"Rhododendron Hill"、"Ladies’ Walk"と名付けられたパスだ。針葉樹の高木の中に鮮やかな赤色のシャクナゲが見られる(写真下中)。
さらに進み、湖の北岸のパスは"Rock Walk"と呼ばれる。パスから奥まった芝生の広場に真っ白な鹿の彫刻が現れる(写真下右)。タイトルはそのまんま"White Stag"だ。 ケルトの神話では白い鹿は天国への案内者と思われているという。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

"Rock Walk"の北側の丘の上に対岸から見えた"Tir n'an Og"が建っている。7代侯爵ご夫妻他のプライベート墓地だという(写真上中)。 装飾的なアイアンゲート(Ornamental Gates 写真上左)や小塔のある壁(Turreted Wall 写真上右)、 アイルランドの聖人(Irish Saints)に保護された厳かで静寂な空間だ。 芝生の中に幾つもの棺が置かれている。何か出てきそうで背筋が寒くなる。
"Tir n'an Og"から"Rock Walk"に下りて、湖の西側のパスを"Lake Walk"という。湖の眺めが美しい(写真下左・中)。水生植物や湿性植物も豊かな表情を見せる。 パスと森の先には様々な花木が植えられている(写真下右)。足の痛みも忘れて一巡りする。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

第7代侯爵夫人のエディス(Edith)はマウント・スチュワートに住むことになった時、ここを“世界で最も寒く、最も暗く、最も湿った場所”と思ったという。 (侯爵ご夫妻はここに移り住む前はロンドンに暮らしていたのだ) そこでエディスは1921年より類稀な発想でハウスの周りにフォーマル・ガーデンをデザインしたのだ。そのデザインはフランスのフォーマル・ガーデンと イギリスのアウトドアー・ルーム・ガーデンをミックスしたもののように感じらる(あくまでも私の感想)。 彼女は幼少時代をスコットランドのダンロビン城(Dunrobin Castle)で過ごしたとの情報だ。 ダンロビン城は19世紀半ばの城主がフランスから迎えた奥方のために フランス様式(フォーマル)に改修した素晴らしいガーデンがあるのだ(城そのものもフランス様式に変えたのだ)。 一方イギリスでは20世紀初頭から庭を幾つもの部屋に区分するアウトドアー・ルーム方式が流行していたのだ。 エディス夫人はその2つを取り入れてデザインし、更に各ガーデンにアイリッシュやケルトの神話やおとぎ話の世界を表現しようとしたようだ。素晴らしいガーデンが展開する。 ガーデンの配置はグーグルの航空写真でご覧いただこう。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

最初のガーデンはハウスの西面のサンクン・ガーデン(The Sunk Garden 沈床式庭園)だ(写真上中)。エディス夫人が後述のイタリアン・ガーデンに次いで着手したガーデンで、 あのガートルード・ジキール(Gertrude Jekyll)もデザインに加わっているという。50m余りの正方形のガーデンだ。 1辺はハウスのテラス、他の3辺はパーゴラのある通路で囲み(写真上右)、中央を1段低く(沈床)した造りだ。 パーゴラはバラを始め、つる性植物がクライミングしているが、今は花が少ない。沈床の4つのコーナーはブルー、パープル、イエロー、オレンジの草花を組み合わせた分厚い植栽だ(写真上左)。
サンクン・ガーデンの西側がシャムロック・ガーデン(Shamrock Garden)だ。上述の航空写真でも分かるようにシャムロック(クローバー)の形のイチイの生け垣で囲われたガーデンだ。 ここにもエディス夫人のアイルランドの神話や民話から触発されたデザインが満載だ。
先ず生け垣のシャムロック型はバンガー城の項で述べたようにアイルランドの国花であり、聖パトリックに繋がるデザインだ。
次にクローバーの上の葉の部分にアイリッシュ・ハープのトピアリーが鎮座している(写真下左)。アイリッシュ・ハープはハープの元祖であり、アイルランドの象徴だ。 アイルランドの国章イギリスの国章にも描かれている。
左右の葉の真ん中に赤色のサルビアを手の形に植え込んだ花床がある。眺めていると、見知らぬ紳士が手招きして説明してくれる。 大昔のことアルスター王国(アイルランド島北東部)の後継者を決めるために“ボートで一番早く彼の地に手を触れたものを王とする”レースが行なわれた。 アルスターを愛し、王位を強く望んでいた参加者がレースに負けそうだと感じた時、自らの左手を切断し、岸に向かって投げつけて一番乗りを果して王となったというアイルランドの神話に基づくものらしい。 この手形のことを“アルスターの赤い手(The Red Hand of Ulste)”と呼ぶのだという。“”切断され真っ赤な血に染まった手”というわけだ。この手形はアルスター地方の旗嘗ての北アイルランド政府の紋章にも描かれているのだ。なかなかに生々しい。季節ごとに赤い花の植物に入れ替えるのだ。
紳士の説明では切断された手は左手だったが、紋章には右手が描かれている???

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

まだある。シャムロック型のイチイの生け垣の上に幾つものトピアリーが作られている。当初は24個ものトピアリーがあったのだという。 モチーフはエディス夫人が1928年に著わした"The Magic Ink-Pot"という奇妙な子供の物語らしいが、詳しくは分からない。トピアリーは現在6つしか残っていない。
1つ目のトピアリーは“帆船”だ(写真上中)。物語の初めにスチュワート家が北アイルランドに渡っているシーンだ。船尾(写真右手)で角笛を吹くのがエディス夫人で 3人の子供が乗っているのが分かる。他にも正体不明なものが乗っているように見える。トピアリーでここまで細部を表現するとは驚異だ。
2つ目は“動物に跨がる何者か”といったところか? (写真上右)。3つ目は“悪魔”か? (写真下左)いずれも良く分からない
4つ目は“うさぎ”に違いない(写真下中)。子供たちが可愛がっていたのだろう。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

5つ目は“馬に乗り角笛を吹きながら白い鹿を追うエディス夫人”との説明だ(写真下左)。エディス夫人は乗馬の達人だったという。
6つ目は“捕らえた白鹿を手にしているエディス夫人”だという(写真下中)。このトピアリーは躍動感に溢れ素晴らしい。
(トピアリーについては、極めて少ない資料から英語力のない私が理解した内容だから信憑性は保証できない)
サンクン・ガーデンのパーゴラの下を通ってハウス南側のフォーマル・ガーデンに向かう。パーゴラの高さがエディス夫人にしろジキールしろ女性のデザインとは思えないスケールの大きさだ。 重厚感を醸す。また、クライミングする植物も通路の両脇の植え込みも極めて厚い。それでいて、決して暴れていない。良くコントロールされている(写真上右、下右)。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

サンクン・ガーデンの外側も森までのフィールドにオーナメントや樹木がきっちりデザインされている(写真下中)。 南側のフォーマル・ガーデンのフェンスの外側に呆れるほど巨大で美しいルピナスのような草花が咲いている(写真下中)

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

ハウスの南のイタリアン・ガーデン(The Italian Garden)に入る。ハウスの広いテラスから1段低いレベルにおよそ80m×40mのガーデンが展開する。このテラス式が正にイタリアンだ。 ガーデンは通路で2つに仕切り、それぞれの中央に円形プール(写真下中)を配し、十字の通路で更に4つに仕切るデザインだ (グーグルの航空写真参照)。 このデザインはエディス夫人が育ったダンロビン城のフォーマル・ガーデンに酷似している。
オベリスク(写真上右)やオーナメント(写真下右)を使ってガーデンに高さを演出し立体感を感じさせる。 写真下右のオーナメントは“ヘルメス柱像”と呼ばれる、魔除けの役割をするものでギリシア神話に基づくものだ。同じデザインの物が何基も立っている。

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イタリアン・ガーデンの中央の南端にサークル・ガーデンがある(写真上左)。真ん中のモニュメントは井戸だ。エディス夫人が1926年のチェルシー・フラワー・ショーで買い求めた物だという。
ここから南の斜面に幅20m、長さ40mのガーデンが突き出ている。これがスパニッシュ・ガーデン(The Spanish Garden)だ(写真上中)。ここにも中央にプールがある。 何より、周囲の生け垣が素晴らしい(写真上右)。イトスギ(Cypress)という檜木のような針葉樹で作られている。エディス夫人はスペインの ヘネラリフェ・ガーデン(Generalife Garden)からヒントをえているというが、 大聖堂の柱のようでもあり、神殿のコラムのようにも見える。
植栽のコンセプトは青緑の葉とサーモンピンクの花だ。ガーデン底の東屋も良い雰囲気を出している。光沢のある屋根瓦がスパニッシュな趣だ。
スパニッシュ・ガーデンの入り口の左右に2対のモニュメントがある。1つは紋章の盾を持った獅子の像だ(写真下左)。どことなくユーモラスだ。 もう一つが2本のコラムの上にペガサスが載ったモニュメントだ(写真下左から2枚目)。高さは5mは優に超えるだろう。立派なものだが、これに関する情報は見つけられない。
イタリアン・ガーデンの東半分に移る。巨大なユーカリの木が植わっている(写真下右)。すべからくデザインが大胆でスケールが大きい。
バラの花も健やかに咲いている。葉っぱにも虫喰いや黒点など見られない(写真下右から2枚目)。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

東部分も対称に中央にプールがある(写真上中)。今日は噴水の水の勢いが寂しい。植栽は対称というわけではない。東部分の方が比較的ビビッドだ(写真上右、下左・中)。 それにつけても、草花が大きい。ここはガーデンの直ぐ西側に広がるストラングフォード湖(Strangford Lough)と大きな森に保護され、温暖で湿度に富む亜熱帯のような環境なのだ。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

イタリアン・ガーデンの東端に一段高い石のテラスがある(写真上左)。ステージのようにも思われる。これが有名なドードー・テラス(Dodo Terrace)だ。 ドードーは“不思議の国のアリス”に登場する18世紀に絶滅した飛べない鳥のことで、 このテラスには神話や民話、おとぎ話などに登場する奇妙な動物の石像がたくさん置かれている。 この動物たちは7代侯爵・チャールズ侯とエディス夫人のロンドン時代の個人的な社交クラブ"Ark Club"のメンバーの別称(Epithet)だという。 例えば、イギリスの首相を2度務めたウィンストン・チャーチル( Winston Churchill)は“魔術師のウイニー(Winnie the Warlock)”、チャーチルの前の首相・ネヴィル・チェンバレン (Neville Chamberlain)は“悪魔のネヴィル(Neville the Devil)”と呼ばれていたのだという。当のチャールズ侯は“チーターのチャーリー(Charlie the Cheetah)”、 エディス夫人は“魔女のキケル(Circe the Sorceress)”といった具合だ。当時の英社交界が垣間見えるようだ。
1対のドードーが柱頭に載った門柱(写真上中)を通ってテラスに上がる。台座に横たわるのはチャールズ侯を表わすチーターか?(写真上右)。 それにしては少し威厳が足りない感じだ。恐竜がいる(写真下左)。トカゲのようなものもいる(写真下中)。これはブタだろうか?(写真下右)。 余りにも奇妙な動物たちだ。エディス夫人に会えるなら1体ずつ解説をお願いしたいところだ。

Mount Stewart House Mount Stewart House Mount Stewart House

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アイルランド・ハープを持った人魚も現われた(写真上左)。(他にも色々奇妙なものがあったが、撮影し切れていない)
テラスの反対側のもう1対のドードーの門柱の先が“メアリー・ガーデン(The Mairi Garden)”だ。 1921年に生まれたエディス夫人の一番下の娘・メアリーを記念して造られたガーデンだ。
デザインは中央に小さなプールがあり、その中に可愛い少女像が立っている(写真下左)。少女の持つ幾つものベルから色んな方向に水が噴き出す噴水になっている。 今日は1ヶ所しか水が出ていないが、メアリーが幼少時の暑い日には盛大に噴き出して喜ばせたのだろう。
その周囲の植え込みはブルー&ホワイトのカラー・スキムだ(写真上右、下中2枚)。女の子のためにガーデンらしい。とても爽やかな印象だ。 その中に4本の小さなダブコテージが建っている(写真下右から2枚目)。一角には小さな石のサマー・ハウスも建っている(写真下右)。 サマー・ハウスの屋根もダブ・コテージになっている。当時は白い孔雀鳩を飼っていたらしい。子供心に夢を与えたことだろう。 ダブ・コテージの屋根には旗を持つライオン像が立っている。どこまでも手が込んでいる。このガーデンには完全に脱帽だ。

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エディス夫人はこのガーデンを1957年にナショナル・トラスト(NT)に寄贈している。その後もハウスには末娘のメアリー夫人が住んでいたが、 1977年にハウスもメアリー夫人からNTに寄贈されたのだ。メアリー夫人は2009年にマント・スチュワートで亡くなり、 両親の眠る"Tir n'an Og"に埋葬されている。
よくぞNTに寄贈してくれたものだと感謝する。今時これだけのものを維持管理し、公開できるのはNTを措いて他にないだろう。 NTはハウスも2015年に8百万ポンド(12億円)を掛けて改装したばかりだという。ガーデンのメンテナンスも申し分がない。 エディス夫人の思いを忠実に守っているように思う。シャムロック・ガーデンのトピアリーも24個を再現したいとホームページに記載されている。期待したい。
一方、マウント・スチュワート・ハウス & ガーデンはユネスコの世界遺産登録の仮リストにも搭載されているとのことだ。近い将来実現することだろうが、 余り歓迎しない。この美しく静かなガーデンが人でごった返すのを想像するとおぞましい。

ローワラン・ガーデン   Rowallane Garden

マウント・スチュワート・ハウス & ガーデンを終わって17時30分だ。今日のディナーはベルファスト最後の夜を祝しキャバレーを予約した。 ショーが始まるのは22時だ。ということで、時間はたっぷり残っている。ナショナル・トラスト(NT)の ローワラン・ガーデンは20時まで開いている。 18時到着。日差しも強く、車の車外温度計は久々に20℃を越えている。
ローワラン・ガーデンはジョン・ムーア牧師(Reverend John Moore)が1861年に既存の52エーカーの農地に家を建て、 野菜や果物を育てるためのキッチン・ガーデンとして2つのウォールド・ガーデンを1864年に造ったことに始まる。
A7から森の中の取り付け道路を行くと奇妙なモニュメントがある。大きな玉石を十数段積み上げたものだ(写真下左)。 ジョン・ムーア牧師が作ったものらしいが、何のためかは分からない。2基見たが、他にもあったかもしれない。 私は大きな月見だんごに見立てたが、ネットでは フェレロ・ロシェ(Ferrero Rocher)のピラミッドに見立てた人がいる。1本取られた気分だ。
パーキングも緑に囲まれて気持ちが良い。木々の中を歩いて行くとハウスが見える。 何の変哲もないのでスルーしたが、NTの北アイルランドの本部になっているという。

Rowallane Garden Rowallane Garden Rowallane Garden

その先にウォールド・ガーデンへの入り口が見える(写真上中)。奥に見えるスリムなベルベデーレ(展望台)が印象的だ。期待が膨らむ。
このガーデンはジョン・ムーア牧師から1903年に甥のヒュー・アーミテイジ・ムーア(Hugh Armytage Moore)に託された。 ヒューは世界中の育種家や植物園との交流を築き、珍しい植物の種子や苗木を収集し、キッチン・ガーデンや森の中に植栽したのだ。 その豊かな植栽が見られる(写真上右、下中・右)。
ヒューは品種改良にも取り組み、新しい品種を生み出している。例えば、オオデマリに似た"Viburnum plicatum f. tomentosum 'Rowallane'"、 ボケ(木瓜)の"Chaenomelles 'Rowallane'"、セイヨウオトギリの"Hypericum 'Rowallane'"、 プリムラ(サクラソウ)の"Primula 'Rowallane'"などだ。

Rowallane Garden Rowallane Garden Rowallane Garden

ガーデン・デザインは通路によって仕切られた区画ごとに植栽を変えてあるが、デザイン性は乏しいように感じる。ナチュラルな雰囲気だ(写真上中・右)。
一方、一部には装飾的な柘植の生け垣で囲われたフォーマルな部分も見られる(写真上左、下左)。パーキングの車の数が信じられないくらい人が見えない。 ほぼ独占状態だ。多くの人はウッドランド・ウォークやプレジャー・グランドで楽しんでいるのだろう。こちらの人たちのガーデンの楽しみ方は、 1つのガーデンでゆっくりとピクニックやウォーキングをして1日を過ごすのだ。私達のような“かっとび急ぎ旅”はクレージーなのだ。

Rowallane Garden Rowallane Garden Rowallane Garden

Rowallane Garden Rowallane Garden Rowallane Garden

オーナメントが載ったアーチ・ゲート(写真上左)を潜って、もう1つのウォールド・ガーデンに入る。アーチの上に“1864”の文字が見える。 ガーデンが始まった年だ。玉石のモニュメントやベルベデーレなど建造物はジョン牧師がデザインしたものだ、ヒューはもっぱら植栽を手がけたもののようだ。 こちらの植栽も極めてナチュラルな雰囲気だ。ヒューが集めたであろう様々な灌木と宿根草が厚く植栽されている。この時期なのに咲いている花が少ないのが残念だ。
小さなプールも作られ、湿性植物も数々植えられている(写真上中)。
別のゲートからウォールド・ガーデンを出ると納屋や厩舎のエリアだ。厩舎の壁を伝うバラが満開だ(写真上右)。足下はペンステモンだ。 ここはペンステモンのナショナル・コレクションのホルダーとしても登録されているのだという。その割にはガーデン内で印象に残らなかった。
ロの字の厩舎の中庭からベルベデーレとアーチ・ゲートを望むとイチイ並木(The Yew Walk)が光を浴びて輝いて見える(写真下左)。
イチイ並木の終わりからベルベデーレを振り返る(写真下中)。この並木は樹齢150年を超えている。左右6対、12本が揃って青々と育っている。
ウォールド・ガーデンの入り口の門柱に“1883”と“1928”の文字が見られる。1928はこのゲートを建てた年号のようだが、1883については不明だ。 1955年にNTにより買収され保護、管理されている。

Rowallane Garden Rowallane Garden Rowallane Garden

キャバレー・サパー・クラブ   Cabaret Supper Club

Cabaret Supper Club

B&Bに戻りシャワーを浴び、お洒落をして階下に下りる。モーナに洗濯のお礼を言い、タクシーを呼んでもらう。友達のタクシーを呼んだと言う。 おしゃべりをして待つが、一向にタクシーが来ない。20時には着こうと思っていたのに、その時間になっても来ない。モーナに催促の電話を入れてもらうと 「事故を起こして行けなくなった」と言うのだ。「来れないなら来れないと連絡くらいしろ」と言いたいところだが、我慢、我慢。 他のタクシーを至急呼ぶよう頼むと、「私が送るわ」と身軽に送ってくれた。20時15分に到着。感謝。
キャバレー・サパー・クラブは既に喧噪の中だ。オーダーを済ませ、暗い店内を見渡すと女性のグループが多い。 しかも、かなり羽目を外している様子だ。どうやら、ヘン・パーティー(Hen Party)のグループのようだ。それも1組や2組ではない。7組くらいいるようだ。

Cabaret Supper Club

ヘン・パーティーとは結婚式が迫った花嫁が女友達を集めて行なう独身最後のパーティーのことだ。 元々は男性が独身最後の夜を男友達と楽しんだもので“スタッグ・パーティー(Stag party)”と呼ぶらしい。男共のかなりセクシャルなパーティーを真似て女性版もその傾向にあるようだ。 そんな流れがキャバレーでのヘン・パーティーになるのだろう。羽目を外しすぎないよう、パーティーには母親やおばさまなどが同席することが多いようだ。 グループの数は10人程度から50人を超すグループまで様々だし、各グループごとコスチュームを揃えている。男装のグループ、バニーの耳のヘアーバンドのグループ、 アラビアンな衣装のグループなどだ。ゲームをしたり、花嫁にエロチックなプレゼントをしたりするらしい。だから、姦しいことこの上ないのだ。傍若無人だ。
21時からプレショーが始まる。期待していたものと違う。22時から本番のショーが始まる。期待していたものと違う。これ以上期待しても無理のようだ。 ショーが終わるとダンスタイムがあって25時まで楽しめるはずだったが、23時で切り上げる。

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