2012年の旅 サウス・イースト サウス・ウエスト

花花

第4日 6月 2日(土) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       Danehurst House --- Canterbury(Cathedral, River Tours) --- St Augustine's Abbey ---
                         Secret Gardens of Sandwich --- Titsey Place --- Danehurst House
今日の走行距離     294km
今日の万歩計      19,600歩
出発時点の気温     13.5℃

ダーンハースト・ハウス  Danehurst House

雨が降り寒い朝となった。10年の旅で味を占めたホットエアーバルーンは昨年は不発に終わった。安くはない引換券(Voucher)は1年有効とはいっても、 旅人にとっては数日のチャンスを逃せば、ただの紙切れになってしまう。今年も”英国の庭園”と形容されるケントの豊かな自然を上空から 眺めてみたいと切望するが、引換券を購入するのは逡巡する。そこで、現地で直接電話して当日の予約が取れないものか試してみることにした。 この地区で今夕のフライトを計画しているホットエアーバルーンのサイトを見つけ、このピンポイントに賭けていたのだが、 電話を入れてみると"All flight are stopped"のアナウンスがむなしく流れるのみだ。
10年の旅のホットエアーバルーン・サイトのホームページには”年間300回のフライトを計画して実際に飛んだのは80回程” と出ていた(それでも確率が高いと自負しての記載だろう)。その確率を痛感する。また来年の楽しみとしよう。

Danehurst House Danehurst House Danehurst House

写真をご覧いただいても清潔さがお分かりいただけるだろう。このシチュエーションなら食事も美味しくなるというものだ。フレッシュ・フルーツが美味しい。 殊にブドウが旨い。ブドウってこの季節のものだったろうか? ヨーグルトをかけると更に美味い。相変わらずフルイングリッシュも美味い。 今日のパンはクロワッサンとブリオッシュだ。
ご覧の通り、シッティングルームも素晴らしい雰囲気だ。しかし、私達の神風かっとび急ぎ旅ではここでのんびり過ごす時間が取れないのだ。

ランドリー・サービスをお願いする。部屋に纏めて置けば、夕方までに仕上げてくれるという。お薦めのレストランの予約もお願いする。 「トラディショナル・レストランで20時スタート希望」でお任せする。

Danehurst House Danehurst House Danehurst House Danehurst House

カンタベリー大聖堂  Canterbury Cathedral

10年ぶりにカンタベリー大聖堂に遣ってきた。 ガーデンがメイン・テーマの私たちの旅に大聖堂は余りフィットしない。
しかし、昨年の旅で訪れたダラム大聖堂で厳粛な儀式に遭遇し、荘厳な建築美に日頃不信心な私だが感動した。 そこで今年は”大聖堂”も旅のテーマの一つにしたのだ。(実は廃墟には少し食傷気味になっているのも一つの所以だ)
カンタベリー大聖堂はいわずと知れたイギリス国教会の大本山であり、世界遺産でもある。今年の一つ目の大聖堂に相応しい。
何故? 何時から? カトリックの聖地がイギリス国教会の大本山となったのか?
カンタベリー大聖堂の歴史は597年にローマ教皇から送られた聖アウグスティヌス(St Augustine)がこの地に大聖堂を設立した時に始まる。
1170年、時の国王ヘンリー2世と対立した大司教トマス・ベケット(Thomas Becket)はカンタベリー大聖堂内の祭壇で祈っているところをヘンリー2世の騎士に暗殺される。 死後、ローマ教皇から列聖されたことや、重病人や瀕死の怪我人の元にベケットが現れて次々と治すという奇跡を起こすようになり、 このベケットの奇跡はすぐに大評判となり、カンタベリーは聖地として世界中から巡礼者が詣でるようになる。
1534年、ヘンリー8世は自らの婚姻無効(離婚)を認めぬローマ教皇と断絶し、自らを首長とするイギリス国教会を創設したのだ。 ヘンリー8世はカンタベリー大聖堂の大司教に離婚を認めさせ、以降カンタベリー大聖堂を国教会のトップに位置づけた。
1559年、エリザベス1世の「統一令」により、カンタベリー大司教は、カンタベリー大主教と改められ英国国教会の総本山の地位を獲得したというわけだ。

Canterbury Canterbury Canterbury Canterbury Canterbury

カンタベリーの市街地は城壁(City Wall)で囲まれている。道も狭く入り組んでおり、混雑している。そういう所には入り込まないのが懸命だ。 ウェスト・ゲート・タワー(West Gate Towers)の直ぐ脇で城壁の外に"North Lane car park"を見つけてあった。 ナビ子ちゃんの案内でスムーズに到着したが、満車だ。一つ空きはあったのだが、隣の車がラインぎりぎりに止めてあるのでスペースが狭い。 今年は大きな車を借りてしまったので狭いスペースへの駐車は困難なのだ。暫し待ってみるが空く様子がない。 意を決して狭い場所にチャレンジする。通路の幅も少ないので苦労する。迷ナビの誘導(これが案外当てにならない)を借りて、 何度も切り返しをしてようやく収まった。3時間のチケットを買いダッシュボードに貼り付けて、いざ出発というところで空きが出来た。
ウェスト・ゲート・タワー(写真上左)は飾り気のないどっしりした武骨な姿だ。タワーを挟んでパーキングとは反対側に ウェストゲート・ガーデン(Westgate Garden)がある(写真上左から2枚目)。お堀にしては綺麗な流れだと思ったら、 "Great Stour"という川だった。両岸に花壇が設けられている。夏の草花がまだ十分に生育していないが、 その手入れの良さから夏の美しさが伺える。雨は来る途中から、すっかり上がり、観光日和だ。
ゲートを潜り"St Peters Street"を進むと"High Street"に繋がる。11時前だが、すでに観光客か巡礼者か、人で溢れている。 Great Stourの支流の橋の上にカンタベリーでのお目当ての一つ"Canterbury Historic River Tours"の客引きが立っている。 「予約は必要か?」と訊ねると「15分おきに出ているから必要ない」とのことだ。橋の袂の家は"The Old Weavers house AD 1500"と表示してある(写真上右から2枚目)。
不信心者ながら、ここでは先ず大聖堂詣りが先というものだろう。ハイストリートを200mほど進み、左にゲートタワーが見える通り(Mercery Lane)を左折すると "Butter Market"という広場に出る。目の前にクライスト・チャーチ・ゲートウェイ(Christ Church Gate)が聳えている(写真上右)。 1517年に出来たというが、中央のブロンズ像は1642年に破壊されていたものを1991年に復元したものだ。石の古色とマッチせず浮いて見えるのは仕方がない。 キリストが両手を広げ巡礼者を招いているデザインだ。キリスト像の両側には天使像、下の列には紋章がずらりと並んでいる。
広場は新旧の建物に囲まれ、中央には戦争記念碑が立ち、屋台も出ている。 カフェやレストランのテーブルや椅子が並び、ゲートウェイの右隣にはスタバもある。 ”世界で最も写真を撮られた場所”といわれるが、撮影もままならないほどに人でごった返している。

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実は、パーキングに車を止めてからまだ大聖堂の姿は建物に阻まれて一度も見えていないのだ。ゲートウェーの下でチケットを求める列に並んでいると 始めてその姿が現れた(写真上左)。唐突ともいえるその出現は感動を覚える。見えたのは大聖堂の西の端の"West Tower"だ。
大聖堂の建物は1070年〜1180年に掛けて建設されたロマネスク様式と1379年〜1503年に掛けて建設されたゴシック様式が混在しているという。 東西全長157mという荘厳な建物は私のデジカメではこの角度でないと全部は収まらない(写真上左から2枚目)。大まかに言って中央のタワーより向こう (東側)がロマネスク様式、手前(西側)がゴシック様式といえる。左のペアのタワーが"West Tower"の"Oxford Tower"(手前)と"Arundel Tower"(奥)だ。 Oxford Towerは15世紀、Arundel Towerは19世紀に再建された。中央のタワーが"Bell Harry Tower"15世紀末の建設だ。 3つのタワーで最も高いのがArundel Towerで58mある。
Oxford Towerのポーチから入場する(写真上中)。入ったところが身廊だ。幅24m、長さ54mと壮大だが、なんといってもその高さに目を見張る。 整然と林立する石柱は金色に輝く優雅な丸天井を支え、その高さは24mもあるという。天井の精巧なディテールは石造りとは思えない。 この垂直性を極端に強調した垂直式ゴシック様式(Perpendicular Gothicr Style)は上昇感(高揚感)と下降感(抑圧感)がせめぎ合う不思議な感覚を覚える。 写真上右から2枚目は身廊西から聖歌隊席方向を、右は身廊東端から西端のステンドグラス(後出)を望む。その荘厳さを表しきれていないのが残念だ。

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大理石のアーチウェイ(写真上左から2枚目)を潜って聖歌隊席(Choir)に入りる(写真上中)。荘厳さに厳粛さが加わり身が引き締まる思いだ。 人は大勢いるのだが静寂ささえ感じる。何が尊く、どこを撮れば良いのか分からない。
トリニティー礼拝堂(Trinity Chapel)に入って美しい撮影ターゲットが見つかった。それがステンドグラスだ。幾つか撮った内、説明のつくものだけ掲載しよう。 写真上右は上述の聖トマス ・ベケットの生涯と死後の奇跡を描いた8枚のステンドグラス(Thomas Becket Window)の内の4番目と5番目だ。 1220年の作だという。
大聖堂の最も東の端はコロナ(Corona)といわれる円形の部分だ。そこのステンドグラスが下左の写真だ。
その中央のグラスは"The Corona Redemption Window"といわれ旧約聖書のキリストの受難と復活の5つの場面を表している。 左のグラスは"Tree of Jesse Window"と呼ばれる。共に1200年の作品だ。
下左から2枚目はThomas Becket Windowシリーズの7番目の作品で同じく1220年作という。
真ん中は聖サンセルム礼拝堂のステンドグラスで"St. Anselm's Window"だ。これは新しく1959年の作だ。
右から2枚目は南東袖廊(Southeast Transept)の" Peace Window"だ。在天のキリストが全ての国の子供を迎えている様子を表す。1956年作。
右は身廊の西の端の"West Window"だ。大聖堂で最も古いステンドグラスである"Adam Delving"を含んでいる。1176年の作だという。 Adam Delvingは一番下の列の真ん中のグラスだ。拡大写真は写真をクリック。

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大聖堂の最古の部分はその歴史を11世紀に遡るという地下聖堂(Crypt)だ。祈りを捧げ、黙想を行う場所だということで薄暗く厳粛な雰囲気に包まれる。 写真撮影も禁じられている。信心心のない私には重苦しさが襲う。静かに一巡りして退室する。
新鮮な空気に触れたくて身廊北側の回廊(Cloister)に出るとこの旅初めての日本人と遭遇する。首から提げたネームプレートを示し、 自己紹介を始める。イギリスでは出会ったことがないが、嘗てイタリアやフランスで近寄ってきた胡散臭い人と同属かと一瞬敬遠したが、 英国公認だったかカンタベリー大聖堂公認だったかのガイド資格を取得したばかりの女性で「良かったらガイドさせてください」と言う。 「大聖堂と地下聖堂は見た」と言うと「回廊の説明をしましょう」とレクチャーが始まる。「ここは大回廊(Great Cloister)といい、 15世紀に建設されたものだ」とのこと(写真下左2枚)。見事な建築物だ。回廊は風が通って気持ちが良い。アーチのデザインも清涼感がある。
「天井の紋章をご覧ください」と言われ天井を見ると紋章がいっぱい貼り付けてある。15世紀の回廊再建の功労者の紋章を貼ったものだ(写真下右2枚)。 800以上飾られているという。神社や寺院の奉納札(「金、○○○円也、何野誰兵衛様」と書かれた紙や板)みたいなものだ。さすがに金額までは書いていない。 その後も皇室の紋章や大司教の紋章が追加されているらしい。

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「次は参事会会議場(チャプターハウス Chapter House)をご案内しましょう」と回廊脇の部屋に案内される。1300年代に建造されたもので イギリスで最も大きなチャプターハウスだという。正面(東)と入り口(西)の上部に大きなステンドグラスがある。
正面のものはカンタベリー大聖堂の始まりからビクトリア女王までの歴史に関わった人物が描かれている(写真下左)。
上の列の左から3枚にケント王国のエセルバート王(King Ethelbert of Kent)がいる。聖アウグスティヌスがイギリスに到着して最初に援助を求めた王だ。 一番左が王妃バーサ(Bertha)、二人に挟まれて聖アウグスティヌスがいる。大聖堂の端緒だ。その後は年代順に下の列右のビクトリア女王まで並んでいる。 ちなみにトマス・ベケットは中の列の左に、ヘンリー8世は下の列左から2番目に描かれている。
入り口のステンドグラスには大聖堂にまつわる様々な場面が描かれているという(写真下左から2枚目)。
小さくて分かり難いが、上の列左から3枚目はエセルバート王の洗礼の場面(ベケットが渡った当時は王妃はキリスト教徒だったが、 王はまだ異教徒だった)が、中の列左から2枚目はトマス・ベケットが暗殺される場面などだ。(クリックして拡大写真をお楽しみください)
1400年代初めの天井は高く、その装飾も素晴らしい(写真下中)。オークの木で造られている。両側の窓にもステンドグラスがずらりと並んでいる(写真下右から2枚目)。 現在は多目的ホールとして使われており、民間にも貸し出されるそうだ。結婚パーティーや晩餐会などが開かれるのだろう。
ガイドさんは張り切っている。「今度は古い時代の廃墟や薬草園をお見せしましょう」と奥に進んで行く。 図書館や蔵書館の裏手、大聖堂の北の部分にある、かなり崩れ落ちた石の壁に囲まれたエリアに案内される。個人ではこんな奥まではとても足を運ばない場所だ。 芝の中に石柱の基部なども残っている。何時の時代のものか説明があったろうに覚えていない。そんな中に何ヶ所かハーブらしきものが植えてある。 これが薬草園なのかもしれない。その先の住宅は修道士の住まいなのだという。
その一角に給水塔(写真下右 Norman Water Tower)がある。12世紀に造られたもので、ここから大聖堂に鉛の水道管が引かれていたのだ。
思い掛けないガイドさんとの遭遇で面白いところを見せていただいた。プライベートなことには一切触れず、ガイドに徹したプロだった。

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リバー・ツアー  Canterbury Historic River Tours

お楽しみのリバー・ツアーに遣ってきた。ハイストリートの"Kings Bridge"の上で 客引きをしているお兄さんに「ツアーに参加したい」旨伝えると、「Old Weavers houseの脇を入って裏に回れ」とのことだ。Old Weavers houseはレストランになっている。 脇道の入り口にいたお兄さんが案内してくれる。「日本人ですか?」と日本語で聞いてくる。「日本語が上手いね」と言うと「僕は東京に3年いた」と言う。
Old Weavers houseの裏のガーデンの脇に舟乗り場がある。先客は5人ほど、詰めて座らせられる。定員12名で定員になり次第出発らしい。 11人になったが一人客がなかなか現れない。先ほどのお兄さんが遣ってきて「英語のガイドしかないが大丈夫か?」と気遣ってくれる。 後から来た人で、次の舟も定員に近づいてくる。次の舟の漕ぎ手は先ほどのお兄さんだ。仕方なく、11人で出発だ。漕ぎ手のお兄さんがガイドも勤める。 カナダから来たという若い女性3人組が陽気に騒ぎこの舟の主人公となりそうだ。後はカップルが4組だ。
私たちの旅については”見物するだけの旅"でなく、”参加型・体験型の旅”を志している。しかし、経験・体力・年齢を考慮すると思うような アトラクションに巡り合えないものだ。そして、もう一つ問題点がある。英会話力だ。迷ナビはそこそこ話せるのだが、私はまったくダメなのだ。 このようなツアーでは妻に逐一通訳してもらう時間的余裕もないし、会話は他の人に迷惑となる。そこで下調べの事前準備と自分なりの楽し方をすることにしている。 このツアーでもガイドの内容が分からないから、撮影した写真もガイドからピントがずれている。

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このリバー・ツアーは1932年から行われている。ツアーそのものが"Historic"だ。先ずは上流に向かって漕ぎ出す。
下から見上げるOld Weavers Houseの白い漆喰に黒い柱や梁、筋違いが美しい。2階が迫り出している。出窓は川の上に突き出している(写真上左)。
直ぐにハイストリートのKings Bridgeを潜る(1134年架橋)。ハイストリートの部分だと思われる石造りののアーチ部分に続いて木製の部分がある(写真上左から2枚目)。 ここは1180年に出来たという"Eastbridge Hospital"gが 建っている場所だ。"Hospital"といっても現在でいう病院ではなく、貧しい巡礼者を持て成す宿泊施設、古い意味での"Place of hospitality"だ。 カンタベリー大司教の後援で立てられたものだ。
橋を潜り上流から見たのが上右の写真だ。川は浅く流れもさほど早くないが、水は透明だ。水草も青々と茂る。
上右から2枚目のハンサムなお兄さんがガイドだ。カナダ人女性と掛け合いで皆を盛んに笑わせているが、私一人蚊帳の外だ。
直ぐ上流に中州があり川は2つに分かれる。中州の岸に舟を留めて何やら説明がある。この中州は"Franciscan Island"で1267年に出来た "Greyfriars Chapel"やガーデンがあるらしい。
流れに沿って下流に下る。舟乗り場を通り過ぎると左側にマーロー 劇場(Marlowe Theatre)が見えてくる。 昨年出来たばかりの劇場だ(写真下左)。その川岸に巨大な人の顔のオブジェが現れた。鉄製のようだ。人や建物と比較して大きさが分かってこらえるか

Canterbury Canterbury Canterbury Canterbury

その下流の両岸に古い建物がある(写真上右から2枚目)。左側が"Dominican Priories(Blackfriars)"で14世紀の建築という(写真下左も)。 大木と豊かな緑、豊かに流れる水が爽やかな風を生む。歴史ある建物も比較的新しい建物も少しの隙間に植物が植えられている様が見て取れる。 庭師の国・英国の庭園・ケントたる証だ。
さて、40分のツアーを終えてOld Weavers houseの裏庭の舟乗り場に帰ってきた。ここに面白いものがある。 水責め椅子(The Ducking Stool)だ。ガーデンから突き出した柱の先に木製の椅子が付いている。 この椅子の用途は2つある。
一つは、”亭主は口やかましい女房を罰としてこの椅子に縛り付けて川に浸けこむことができる”というもの。何とも愉快な話だ
もう一つは、”魔女と疑われた女性をこの椅子に縛り付けて川に浸る。、3分経って溺れ死んだら人間、死ななかったら魔女と判定する。 魔女と判定されたら、火あぶりの刑にし、死んだ人間には教会から家族に謝罪がある”というのだ。 中世には魔女狩りが盛んに行われた英国だが、これでは疑われた女性は必ず殺されてしまうことになる。惨い話だ。

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聖アウグスティヌス(聖オーガスティン)修道院  St Augustine's Abbey

大聖堂が世界遺産と記したが、正確には他の二つの重要なキリスト教建築物と共に世界文化遺産として登録されているのだ。その二つとは 聖アウグスティヌス修道院聖マーティン教会(St Martin's Church)である。
聖アウグスティヌス修道院は廃墟なのでパスしようかとも考えたが、イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)の管理でメンバーは 無料だからという、しょぼい考えで寄ってみることにする。ナビ子ちゃんの案内で城壁に沿って半周回り、道路脇のパーキングに止める。 それらしき案内もない。通行人に尋ねると2人は「知らない」とつれない返事だ。世界遺産だよ? 3人目が「この塀の中だよ。 だけど入り口は知らない」という。4人目でやっと入り口が分かる。入り口で出てくる親子連れと擦れ違っただけで、 他に人は見当たらない。30分余りの滞在中、後から来た若者一人しか会っていない。これが世界遺産か? と再度疑う。
聖アウグスティヌス修道院はカンタベリー大聖堂を創設した聖アウグスティヌスがケント王・エセルバートから城壁のすぐ外に 修道院を建てる許しを得て建てたもので、1538年のヘンリー8世による修道院解散令により閉鎖されるまで発展を遂げた。 閉鎖後は解体されヘンリー8世の4番目の王妃・アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves)の宮殿に造り替えられたのだ。 (この結婚は1年と持たなかったというのだから呆れる)
その宮殿は1703年の大嵐で破壊され遺棄されていたものだ。写真下をご覧の通りひどい崩壊具合だ。ここまで崩れると廃墟というよりも遺跡だ。 こうなると廃墟の寂寥感とか哀愁は湧いてこない。虚無感を覚えるのみだ。パスすればよかった
聖マーティン教会は6世紀にその歴史を遡るという。今なお使われている教区教会としてはイングランド最古のものだというが、今日のところはパスする。

St Augustin's St Augustin's St Augustin's St Augustin's

サンドウィッチのシークレット・ガーデン  Secret Gardens of Sandwich

サンドウィッチのシークレット・ガーデンの情報は08年の旅の時には入っていた。 しかし、08年の旅はブルーベルが主目的だったのでリストから外した。今年は満を持しての訪問だ。ナビ子ちゃんが導いてくれたパーキングはマリーナの横だ。 ヨットやモーターボートが沢山係留されている。海かと思ったら、さっきのクルーズのストー川の下流部なのだ。ストー川の蛇行振りには驚くばかりだ。
シークレット・ガーデンのマナーハウスは1911年に週末を海で楽しむための別荘として造られたもので"The Salutation"と呼ばれる。 この家の設計者が昨日訪ねたグレート・ディクスターをデザインしたエドウィン・ラッチェンス(Edwin Lutyens)なのだ。 当然のことながら、このガーデンもガートルード・ジーキルの協力の元デザインされたものだ。したがって、ここもアウトドア・ルーム方式のガーデンだ。
このマナーハウスは25年の放置期間があり、2004年に今のオーナーDominic and Stephanie Parkerの手に渡る。そして、ヘッド・ガーデナーの Steve Edneyと共に、粗石の山の下に隠れ、雑草に覆われていたガーデンを復元し、2007年に一般にオープンされたものだ。

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入園するといきなり派手な色彩の"Tropical Garden"がある。これは期待外れだったかと失望する。この部分は復元の際に加えられたものらしい。
しかし、その先の"Long Border"に入り期待が湧いてくる。60mも続くボーダーだ(写真上左2枚)。その植栽は多様で珍しいものばかりだ。 ちょっと真似が出来ないと別の意味で失望を覚える。樹木が豊富だ。サイトによれば200本以上の樹木があるという。その種類も目を見張る。
ところが、ボーダーの角にある"Work Area"でまた失望だ。一応、囲いはしてあるのだが、バラックや資材が丸見えなのだ。 しかし、囲いの前に並ぶスタンダードのバラは見事なのだ(写真下左2枚)。次に現れた"Vegetable Garden"でまた失望、手入れが良くない。 失望したり喜んだり、期待が大きかっただけに心が揺れる。

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"Main Perennial Borders"に出る。もう文句なし、素晴らしいガーデンが出現した。バラとクレマチスのコラボレーションにラベンダーなどのハーブ、 ユリ、ルピナス、アイリス、ポピー、ゲラニウムなどの宿根草、そして、おびただしい数の1年草が加わって言葉もない (写真は2段上右2枚、上右3枚、下左2枚)。
このメインボーダーの面白いところは2段上右から2枚目や下右から2枚目の写真にあるように、整然と刈り込まれた円柱形のトピアリーの列に挟まれていることだ。 ここのガーデンのラッチェンスのデザインは強い直線が目立つ。後にも出てくるが、真っ直ぐな通路、並木、垣根などがそれだ。 その強さをカバーするのが、円柱の刈り込みや、ジーキルの色彩計画による植え込みだろう。心安らぐ中にも静かな高揚感と感動が湧いてくる。

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写真上右と右、下右の3枚で分かるように2列の円柱形のトピアリーを挟んで川の字型に3本の通路が通っている。この通路を2周した。 メインボーダーの終わりからハウス前の"Main Terrace"までの光景が右上の写真だ。ここの植栽も素晴らしい。 ハウスのシンメトリーと見事にマッチした整形式ガーデンだ。心ウキウキしてくる。
上述の並木道が3つある。この並木でゆったりとガーデンを仕切りアウトドア・ルームを創りだしている。最初の並木道は"Holm Oak Walk"だ。 復元の時点では伸び放題に茂っていたというが、デザイン・植栽はラッチェンスによるものだろう。足元の植栽はラベンダーのヘッジに勿忘草、 アイリスとバラだ(写真2段下左)。
2つ目は"Laburnum Walkk" キングサリの並木道だ。今は花が終わってしまった(写真はHPから借用)。
3つ目は"Poplar Walk"だ(写真下左)。40mほど続く長い並木だ。少々剪定が深いと感じるほど手を入れてある。モニュメントが程よく配置されている。

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ポプラ並木のモニュメントが写真上左から2枚目と3枚目だ。高いポプラに目線が上がっているところで、足元のブッシュの影に佇むモニュメントは非常に効果的だ。
ポプラ並木の終点がホワイト・ガーデン(White Garden)だ。復元前は石の山だったところだ。柘植のヘッジで5つに仕切られている。 中央のベッドにはシルバーリーフの木が立っている。他の4つのベッドはバラのオベリスクを中心に、マーガレット、アリウム、ルピナス、スカビオサ、 リクニス、サルビア、ペンステモンなどすべて白色で埋められている。もう花ガ終わったものやこれからのものを含めると何種類あるのか想像も出来ない。 バラにもまだ少し早いようだ(写真上下右から2枚目)。

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続く部屋が"Yellow Garden"だ(写真上右、下左3枚)。ここも秀逸、見事な色彩・植栽だ。黄色にブルーの配色が絶妙というしかない。 ここのバラは見事に咲き揃っている。。芳香も馥郁と心晴れ晴れだ。

ところで、サンドウィッチといえばサンドイッチの発祥の地として余りにもにも有名だ。この地を治める第4代サンドウィッチ伯爵(The fourth Earl of Sandwich)の ジョン・モンタギュー(John Montagu)はトランプ(Card Games)が食事の時間も惜しむほど大好きなギャンブラーだった。そこでトランプをしながら 片手で食べられるように、2枚の焼いたパンに肉を挟んで出させたのが最初だとされる。それが1762年5月13日のことだとされる。
無論、パンに具を挟む料理は古代から色々な国にあったはずで、これは俗説に過ぎないわけだが、面白い話を見つけた。 アメリカにジョン・モンタギューの子孫で11代伯爵が住んでいて、その名もずばり EARL OF SANDWICHR Corporateというサンドイッチ会社を経営しているのだという。
そして、今年はサンドイッチ誕生250周年ということになる。イギリスには "The British Sandwich Association"なる組織があって 記念行事が行われているようだ。当地でも5月13日にイベントがあったという。
サンドイッチの語源についてのもう一つの俗説も面白い。それは「”サンド(砂 sand)とウィッチ(魔女 witch)”以外どんなものでもパンに挟んで 食べられる」ということからサンドイッチと名付けられたというのだ。愉快だ。そういえば、”広東人は二足なら親以外、四足なら机と椅子以外、 走るものなら自動車以外、泳ぐものなら潜水艦以外、空を飛ぶものなら飛行機以外なんでも食ってしまう”なんてのも思い起こした

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閑話休題。 モニュメントはガーデンに欠かせない要素だ。このガーデンにも効果的に使われているし、アート作品の展示会なども盛んに行われるようだ。
写真下左のオブジェはポール・カミンズ(Paul Cummins)という、ダービーシャーの陶芸アーティスト手造りのセラミックフラワーだ。 一つひとつ色・形が異なる美しいバラの造花が沢山ある。ロンドン・オリンピックに関連したアートイベント(London 2012 Cultural Olympiad)の一環として開催しており、 ここ以外にもCastle Howard、Chiswick House、The Houses of Parliament、Blenheim Palace、the Althorp Estateで開催されている。錚々たる顔ぶれだ。
左から2枚目の素敵なフォルムのベンチはラッチェンス・ベンチだ。右から2枚目は"Spring Garden"の馬の親子だ。Emily Stoneという作家の銅製の彫刻だという。 Spring Gardenはスイセンなどの早秋のガーデンなのだろう。今は花の姿は見られない。

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写真上下右は"Bowling Lawn"の”首のない天使像”だ。勝利の女神ニケかと思ったが、少々艶かしい。ポーズも少し違うようだ。 ニケ? の両隣にもラッチェンス・ベンチ置いてある。
下左は"Woodland Garden"の木製の椅子。2、3枚目は上述のEmily Stoneの作品。2枚目は"Arum palaestinum"と題されている。 サトイモ科の花のオブジェだ。3枚目はYellow Gardenにあったキリンの像、高さ2m以上ある立派なものだ。

Secret Gardens

右から2枚目の日時計はBowling Lawnのニケ? の前に置かれている。ニケ? から見た景色が3段上の左から2枚目の写真だ。
ショップを覘く。鉄製のオブジェが色々並んでいる。見た目が気に入っても手に持って諦める。余りにも重い。 それでも諦めきれず、一番小さな物を求めることにする。小さなすずめをレジに持っていくと「これはペアなの」ということで2つになった(写真左)。 高さ4cm、幅6cmの可愛いものだ。
小さなブリキ製の如雨露も求めたはずなのだが、マイガーデンを探しても見つからない。どこへ消えたやら。
陽だまりで使用するための黒い木製ラベルをまとめて求める。白色のペンも付いている。

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ティッツィー・プレイス  Titsey Place

時刻は15時、リストには共に始めて訪れる◎の付いたガーデンが2つある。どちらも17時までのオープンだ。情報を思い起こし比較する。 ここから遠くて時間はぎりぎりになるが、ティッツィー・プレイスの魅力が勝つ。 途中に可愛い村"Chilham"とか十字架のヒルフィギュア"Lenham Memorial Cross"もリストアップしてあるが、ここはパスするしかない。 幾つかのAロードを挟んでM2、M20、M25と繋いでノンストップ高速ドライブとなる。
"Titsey Place"の発音は良く分からない。"google"マップの日本語版では”ティットジー・プレイス”とでるが、"google"マップの日本語変換は 案外当てにならないことを知っている。ネットで検索したところ、唯一"ティッツィー・プレイス"と記載しているサイトがあった。これを採用しよう。
ナビ子ちゃんが珍しくミスった。巨大なエステートの入り口を誤ってゲストは入れない入り口に案内したのだ。さて、正式な入り口探しに手間取った。 ノースダウンの丘陵地の森の中を20分くらい彷徨ってようやく到着したのは16時40分だ。
とりあえずパーキングに車を止め、入り口に行くが受付は閉まっている。ティールームの女性に「道に迷って遅くなったが、入場できないか?」と尋ねると 「チケットは良いから、どうぞ、そこのゲートから入りなさい。でも、戻ってきてもティールームは閉まっているわよ」とありがたい返事だ。

Titsey Place Titsey Place Titsey Place Titsey Place

大きな鉄製の扉を入った所が" Walled kitchen Garden"だが、ここは後回しにして、対角線に横断して反対の出口からハウスの前の広大な芝生の広場に出る。 ノースダウンズのなだらかな傾斜の先に広大な牧草地と農場が広がる。雄大な景色だ(写真上左)。ロングドライブの疲れも忘れる。
このハウスの歴史は16世紀に遡るが、現在の建物は19世紀に再建されたものだ。ハウスの西面の芝生の中を急ぎ足で歩く。時間がないのだ。 ハウスのテラスと芝の境界にはペチュニアが植えられている(写真上左から2枚目)。もう1ヶ月もすれば石垣を隠すようになるのだろう。
ハウスの南面に回って歓声だ。素晴らしいガーデンが現れた。"The Box Link Beds"と呼ばれる(写真上右2枚、下左)。 25m四方ほどの決して広いとは言えないフォーマル・ガーデンだが、植栽が極めて爽やかだ。その色彩が柔らかで優しい。 その背丈・広がりが程好く纏まっている。150年以上前の植栽を維持しているのだという。このセンスは見習いたい。
中央に配された噴水はイートン・カレッジ(Eton College)の回廊にある噴水のコピーだという。大理石だろうか、素敵なフォルムの噴水から 水が滴り落ちる様も水音もこのガーデンの爽やかさの要因だろう。(噴水の拡大写真は こちら
”天国に近い”と称賛したサイトがあった。天国には行ったことがないが、同感だ。ベンチに座ってゆっくり楽しみたいところだが、 もう閉園時間も近い。無料で入場させていただいて、余り遅くなる訳にも行くまい。

Titsey Place Titsey Place Titsey Place Titsey Place

しかし、その先に見えるのは"The Golden Jubiliee Rose Garden"ではないか。エリザベス女王の在位50周年を記念して2002年に造られてものだ(写真上下左から2枚目)。 牛や羊が侵入するのを防ぐためだろうか、ワイヤーで囲まれていて、"WARNING ELECTRIFIED"と黄色いパネルが掛かっているのがぞっとしない。 サンダイアルを中心に円形の芝生、円形通路、その周りが一段高くなっているバラ園だ。残念ながらバラの花はちらほらだ。 4ヶ所に"Four Seasons"と名付けられた天使の像があり、素晴らしいデザインだ。
見渡しても他に人影はない。戻ることにしよう。Walled kitchen Gardenの入り口にヘッド・ガーデナーのロッジがある(写真下左から3枚目)。 職住接近というか常に自分が管理するガーデンの只中に居られることは羨ましい。
このキッチンガーデンがまた素晴らしい。70m四方はあろうかという赤いレンガの壁で囲まれ、広い通路で十字に仕切った区画を更に十字の通路で仕切っている。 16の各々の区画は柘植のヘッジで囲われ、異なる植栽がなされている。壁沿いも栽培ベッドがあり、壁にはりんご、洋ナシ、イチジクなどが誘導されている。 植栽は野菜だけでなくバラや草花もふんだんに取り入れている(写真上右2枚、下右3枚)。
閉園時間を15分オーバーしてキッチンガーデンを出るとティールームの若いスタッフが帰るところだった。遅くなったお詫びとお礼を言うと 「ユーアーウエルカム」と優しい返事だ。ここは再訪したいガーデンのリストに入れておこう。

Titsey Place Titsey Place Titsey Place Titsey Place Titsey Place Titsey Place

ダーンハースト・ハウス  Danehurst House

Secret Gardens

B&Bに着くとマイケルが迎えてくれる。「ランドリーは部屋に置いたよ。レストランだが、希望の20時は満席だったので21時の予約にした。 遅いけどエクセレントだから行って見なさい。これがメニューだよ」と渡してくれる」。見ればメニューにメモが貼ってある(写真右)。 週末だから二人も食事にでも出掛ける予定があったのだろう。もし我々の帰りが遅かったら、メニューを部屋に置いておくつもりだったのだろう。 "But Excellent"にマイケルの推薦度が感じられる。トラディショナル・レストランとお願いしたのに、まさかインド料理を紹介されるとは思いもしなかったが、 楽しみにしておこう。
イギリスにはインドや中国を植民地支配してきた歴史があり、インド料理店、中国料理店が極めて多い。 しかし、私たちは出来る限り地元の食事をと考え、パブでの食事を楽しんでいる。時に、改まってレストランに行く時はフレンチかイタリアンが好みだ。 なぜならワインに合うからだ。したがって、12回目の旅にして始めてのインド料理店となる。まだ、中国料理店は経験していない。
さて、21時となるとまだ2時間もある。シャワーを浴びてから着替えと思っていたが、紹介がインド料理店なので特にお洒落も必要なかろう。 それに、今日は気温が低く、汗ばんでもいない。シャワーは食事の後にしよう。
折角メニューがあるのだから、メニューを決めておくことにする。電子辞書と首っ引きでメニューを読むが載っていない単語が多い。 160種以上あるメニューの中から食材と調理法を頼りに4品を選び印をつけておく。香辛料の豊富さはさすがにインド料理だ。

ジュナーキ  JUNAHKI

まだ時間が余る。少し早めだが出発し店を確かめることにする。これが良かった。ポストコードでナビ子ちゃんが案内してくれた所と少し離れていた上、 小さな店が沢山並んでいるので見つけにくかったのだ。ようやく探し当てたが、まだ時間がある。。街をドライブしていると雨が降り出した。
少し早いがジュナーキに入ると「そこに座って待ってくれ」とのことだ。 ここで結構な時間待たされる。次々に事前オーダーのテイクアウェイの客が遣ってくる。そういえばメニューに"20% Discount"と書いてあった。 それにつけても、週末のこんな時間にテイクアウェイがこんなに多いとはと首を傾げる。
グループ客が引上げ、ようやく席が空いた。席に通され、用意のメニューでオーダーをしようとすると「これはテイクアウェイ用のメニューです」と。 「似たようなものはどれか?」と尋ねると「シェフに任せてもらえますか?」、「OK」ということで何が出てくることやら待ち受ける。
メニューの"Ipida(appetiser)"の中から選んだ"Goan Fried Squid chilli" Squid marinated in garlic, ginger and green chilies sauteed with crushed cumin, curry leaves and ground spices.(イカのマリネのソテーと理解した)と思われるものが出てきた(写真下左)。
次も同じく"Ipida(appetiser)"の中から選んだ"Salmon Tikka" Salmon cubes marinaded with turmeric powder, white pepper, carraway seeds and yoghurt then cooked in the Tandoor.(サーモンのマリネをタンドーリで焼いたものと理解)と思われるものが出てきた(写真下左から2枚目)。
これがメニュー通りなのか、似たような別物なのかは分からないが、イカは香辛料の辛さだけでは旨味が出ないように思う。サーモンは少々焦げすぎだ。 どちらも辛すぎるというほどの辛さではないが、生野菜と白ワインが辛さを和らげてくれる。
次に出てきたものは"Chefs Reccommendations"の中から"Raja Jingha Molee" King prawns cooked in our Chef's special recipe. (車海老のシェフ特別料理と理解)と思われるものが出てきた(写真下中)。これはエビチリ風でなかなかいける。
4品目は"Khazana'Tandoori Dishes)"の中から"Nawabi Tikka" Tender pieces of chicken marinated overnight in fresh cream, cheese, yoghurt and exotic spices and barbecued in the Tandoor.(チキンのマリネをタンドーリで焼いたものと理解した)を選んであったのだが、チキンではあるが、どうやら別物だ(写真下右から2枚目)。 "Tikka"が被ったので別のチキン料理にしてくれたようだ。これはかなり辛いがタマネギの甘みと生野菜で美味しくいただける。 5品目は生野菜のみのサラダ(写真下右)。付け合せに野菜と全く変わりない。
初めての体験は緊張感があって楽しいが、味の点ではインド料理は私の口には余り合わない。臭いが合わないのだ。 今後積極的に選択することはしないだろう。(日本のカレーライスは別にして・・・)
B&Bに戻ると22時30分を回っている。マイケルの姿は見えず、今夜はアイスキューブ無しのナイトキャップとなる。

JUNAHKI JUNAHKI JUNAHKI JUNAHKI JUNAHKI

   

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