第8日 6月 6日(水) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 La Fosse --- Cranborne Manor Garden --- Tintinhull Gardens --- Montacute House --- Cerne Giant ---
Smith Arm --- Kingston Maurward Gardens --- Chesil Beach View point --- Bennetts Water Gardens ---
Isle of Portland --- Osmington W --- Durdle Door --- Lulworth Cove --- La Fosse
今日の走行距離 258km
今日の万歩計 22,600歩
出発時点の気温 15.5℃
ラ・フォセ La Fosse at Cranborne
曇り空だが部屋ではそんなに寒さは感じない。しかし、ダイニングルームの暖炉には火が入っている。これもお持て成しなのだろう。
さて、今朝も私はフルイングリッシュ、妻はまたしてもスモークトサーモンとスクランブルエッグをオーダーする。
するとどうだろう、スクランブルエッグの中にスモークトサーモンが混ぜ込んである。初めて見る調理法だ。サーモンはスライスでなく厚みがあって、
歯応えがあるそうだ。塩気も丁度良いらしい。しっかり腹ごしらえしていざ出発。
クランボン・マナー・ガーデン Cranborne Manor Garden
と言っても、目的地はわずか500m先の
クランボン・マナー・ガーデンなのだ。
到着は9時丁度。一番乗りかと思いきや、大型コーチからぞろぞろと人が降りている。イギリスにもこんな団体さんがいるものなんだ。
こんな団体に巻き込まれたら、喧しくていけない。入場して直ぐのガーデンセンターは後回しにして先に進む。垂涎物のオーナメントが置いてある。
最初は"Walled Kitchen Garden"だ。50m四方の壁に囲まれた庭を4つに仕切り、それぞれ意匠を凝らしたデザインがなされている。
一つは右の扇方にデザインされた果樹園だ(写真上右から2枚目)。スイトピーかインゲンかの支柱でガゼボにしようというデザインも面白い(写真上右)。
手造りのベンチもある。後ろ中央に見える緑の四角形はイチイを刈り込んだベンチだ。(座ってはいけないのだそうだ)
周囲の白い壁をクライミングするバラが丁度見頃に咲いている(写真上左2枚)。おっと、団体さんが押し寄せた、次に移ろう。
マナーハウスまでは"Orchids and Wild Flowers"と称するメドウ(Meadow)ガーデンだ。野生蘭は見つからないが、
爽やかにそよぐWild Flowersの中にブロンズの牡牛が悠然と立っている(写真右)。"Druid"と名付けられている。
ドルイドとは”ケルトの祭司”あるいは”オークの賢者”ということが、その意味するところは分からない。
マナーハウスの横に素敵な並木道がある(写真下左)。プラタナスだろうか、樹皮の白さが良い。メドウの先に"Gatehouses"が見えてくる(写真上左)。
ジャコビアン様式というらしい。なかなか優雅な姿だ。アーチゲートの下の古びた石の象の像が印象的だ(写真下左から2枚目)。
アーチゲートを潜ると"South Front"だ(写真上右3枚)。中央の大きな芝のサークルの真ん中に池があり斬新なオーナメントがある(Angela Connor作)。
玄関ポーチのアーチも優雅なら、脇をクライミングするバラの色もシックに抑えられている。品が良い。
このマナーハウスは1207年にジョン王(King John)によって建てられた"Hunting Lodges"なのだ。ジョン王はこの猟場に22もの家を所有していたという。
17世紀の初めにソールズベリー伯爵(1st Earl of Salisbury)の手に渡った時にはほとんど廃墟だったものを、
1608年から改造したのが現在のマナーハウスなのだ。
South Frontを出てハウスの西面に出る。ここの壁も藤とバラがクライミングしている(写真上下右)。センスの良い色彩だ。
西面に広がるのが"Croquet Lawn"だ(写真下左から2枚目)。その片隅にイチイを刈り込んだトピアリー"Rooms"がある。
1989年に植えられた比較的新しいものだが随分大きく育ったものだ。面白いアイディアだ。
白いベンチブランコも優雅だ(写真下右から2枚目)。また一隅には奇妙な頭の像がある(写真上右から2枚目)。Elizabeth Frink作の"In Memoriam"という作品だ。
ここのガーデンはソールズベリー伯爵が17世紀のガーデニングのパイオニアであるジョン・トラデスカント(John Tradescant)に造らせたもので、
20世紀に当時のデザインで植栽し直されたものだ。
クリケット・ローンの西に"Sundial Garden"がある。菱形のマウンドが築かれ、マウンドのトップにはサンダイアルが立っている(写真下左2枚)。
マウンドの周りは4つの柘植のヘッジで囲われたベッド(Box-Edged Beds)がありラベンダーが植栽されている。更に外側に4つのベッドがあり
バラ、クレマチス、シャクヤク、ゼラニウムなどが潅木と共に厚く植えられている(写真下右)。バラのオベリスクも大型だ(写真上左)。
わずかな高さのマウンドだが、見下ろすパルテール(Parterre)は見晴らしが良く心地良い。これが17世紀のファッションだったとは知らなかった。
ヘッジの脇に円柱形に刈られたイチイ(Drum-shaped yew trees)の姿が直立する門衛のように見えて面白い。
サンダイアル・ガーデンの北を東西に走る"Yew Allee"の旧いイチイの木の間を通ってハウスの北側の"White Garden"に入る。
ガーデンの中央にテラスから真っ直ぐ通路が走っている(写真下左2枚)。両側の果樹はリンゴだ。足元には最盛期を過ぎたがセラスチウムが銀葉を輝かせている。
周囲には潅木、バラやクレマチスなど例年なら咲き始めているだろう植物の蕾が固い。やはり、今年の春は遅いようだ。
その証拠にハウスのテラスの巨大なクリスマスローズがまだ咲いている(写真右)。同じくテラスに年季の入ったイチイの部屋に大理石の像が立っている
(写真下右から2枚目)。歴史を感じさせる。
通路の鉄の扉の向こうは芝生の広場にプラタナスの並木がある。まだ若い木は病気に感染して植え替えられたからだ。
ガーデンセンター、キッチン・ガーデンの南側にも幾つかのガーデンが並んでいる。
一番西側に"Green Garden"がある。ブナの木の生垣で囲われた中に、中央の池を取り囲み幾何学模様にヘッジがシンメトリーに刻まれている。
中の草花が入れ替えられたばかりで余り美しくない。生垣の中に猟師(Hunter)の像がある(写真右)。ただ像を置くだけでなくヘッジの縁取りを付けるところが味噌だ。
その東に"Chalk Walk"が走る(写真下左)。ダブル・ボーダーの真ん中を歩き向こうのドアを開けるとハーブガーデン(Herb Garde)だ(写真下右3枚)。
ここが美しかった。ハーブはもちろんのこと、バラ、クレマチス、ジギタリス、デルフィニウム、ポピー、リクニス、ゲラニウム、ヒューケラなどなど、
色彩と芳香に思わず歓声が出る。最後に素晴らしいガーデンに出合え大満足でガーデンセンターに向かう。
まずはオーナメントの売り場に入る。入り口には美しいバラにコンテナが置かれている(写真下左)。こんな風に仕立てたいものだ。
バラの間にサンダイアルが見える(写真は下左の拡大写真でどうぞ)。これも売り物だ。これが似合うガーデンはおいそれとはないだろう。
次はコンテナや壷のコーナーだ(写真下左から2枚目)大小さまざまに取り揃えてある。多くが対で置かれている。
この展示スペースそのものがガーデンだ。叶うことなら、2つ3つ持って帰りたい。
次のコーナーは素材の違うオーナメントが並んでいる(写真右から2枚目)。可愛いものがいっぱいで、これももって帰りたい。後ろに並ぶ資材や樹木の苗も豊富だ。
バラの苗のコーナーで持って帰れないと分かりつつ立ち止まる。さほど大きくない苗だが、大輪の花をつけている(写真下右)。お値段もリーズナブル。
でも持ち帰れない。垂涎、落涙、その内鼻水まで垂らすといけないので立ち去ることにする。
ティールームのハンギング・バスケットは夏バージョンにしたばかりだ。1ヶ月もすればバスケットが見えないくらいに茂るのだろう(写真右)。
ティンティンハル・ガーデンズ Tintinhull Gardens
クランボン・マナーでも時折パラパラきて雷鳴も聞こえたが、次に向かう途中から本降りになってしまった。今年は天気に恵まれない。
明日は馬車に乗る予定だ。日本から予約を入れると「前日に電話をしてください」と言われていた。
電話をすると「天気が良ければ、11時30分にスタートする。10時に確認の電話を入れてください」とのことだが、この分だと危ないかもしれない。
今年のイギリスの天気は例年と少し違うように思う。イギリスの気候については”1日の中に四季がある”と言われるように変化が激しい。
雨もスコールのように急に降り出したかと思うと、あっという間に止む。(ウインブルドンのテニスの中継などでお馴染みだ)
それゆえイギリス人は傘を持っていても差さないのだという。しかし、今年の雨は日本の梅雨のようにだらだらと降り続ける。これも異常気象か?
”オードリー・ヘップバーンが愛した庭”と謳われては弱い。だが、3度目の訪問となる
ティンティンハル・ガーデンズは酷い土砂降りの中だ。
車内でやり過ごすこと10分、小降りとなってきた。
このガーデンは17世紀の地元の石"Ham Hill stone"を使って建てられたマナーハウスをフィリス・ライス(Phyllis Reiss)夫人と
夫のキャプテン・ライス(Captain Reiss)が1933年に購入し、ヒドコート・マナーのアウトドア・ルーム方式で造成したのだ。
フィリスは”自分自身の喜びのためにだけでなく訪問客のために”ガーデンを造ったといわれ、1954年にナショナル・トラスト(NT)に寄贈してからも
1961年になくなるまでここでガーデンの世話をし続けたのだ。
ハウスの西テラスから西に向かってレンガや生垣で区分された3つのルームがあり、その北側に同じく3つのルームが造られ、
それぞれ異なる趣向のデザインがなされている。テラスの北側のドア(写真右)から"Cedar Court"に入る。
3面を1720年に積まれたという赤レンガの壁で囲われ、隣のルームとは生垣で仕切られている。通路や芝は水溜りがそこかしこだ。
東側の壁沿いのボーダーに平行に作られたアリウムとアヤメとアイリスのベッドが記憶を呼び起こす(写真上左)。そういえば2度目の5年前も雨だった。
ボーダーは後ろの壁にローズとセアノサス、ベッドに木バラ、ジギタリス、アルケミラモリスなどが見られる(写真上左から2枚)。色調はパステルカラーだ。
西側の生垣に沿ったボーダーは赤を基調にした植え込みだ。シュラブやセダムの銅葉色もアクセントとなる(写真上右から2枚)。
北の壁沿いのボーダーもウツギなどのシュラブやバラなど背丈のある植栽にリクニスやゲラニウム(フウロウソウ)
などの宿根草がバランスよく植栽されている(写真上右)。そんな中に日時計が隠されていた。地球の上に船が載っているデザインだ(写真右)。
一つ気になるのは南の壁際に大きな針葉樹(Cedar)が2本立っていることだ。壁は北に面するからボーダーに適さないまでも、
こんな大木が南側にあったら、日当たりを妨げることになると心配してしまう。
プール・ガーデン(Pool Garden)に遣ってきた。前2回で最も印象に残っているルームだ。4m×20mほどの小さなプールだが緑の芝の中、存在感がある(写真上中2枚)。
プールの4隅に黄菖蒲が、水面には睡蓮が浮かぶ。睡蓮が茂り過ぎないようコントロールされているから爽やかに感じるのだろう。
サマーハウス(Summerhouse)も可愛いものだ。右側からは蔦がクライミングし、後ろの壁にはピンクの蔓バラの大輪が鈴生りだ(写真上左)。
そして、右側からは真っ赤な大輪の蔓バラが絡まっている(写真上右)。
4隅の大きな寄せ植えのコンテナやサマーハウスの中のホスタのコンテナなども良く管理されている。
サマーハウスから見て左側(東)はブルーを基調にしたパステルボーダー(写真下左、右)、右側(西)はレッドとオレンジを中心にしたホットボーダー(写真下右)だ。
この構成はCedar Courtと同じだ。一貫性がある。
このプールガーデンは元はテニスコートだったが、1942年に第二次大戦で戦死した英国海軍航空隊戦闘機パイロットの甥を偲び、
戦勝を祝って1947年に改造したものだ。サマーハウスにそのプレートが誇らしげに掲げられている。
プール・ガーデンの西がキッチン・ガーデン(Kitchen Garden)だ。このガーデンの作物はこの後訪れるモンタキュート・ハウス(Montacute House)のレストランで
使われている現役なのだ。しかし、収穫量を優先させるファームではなく、あくまでもガーデンなのだ。
今、最も目を奪うのはキャットミントのボーダーだ(写真上左から2枚目)。支柱が余りに整然としていることと竹であることがちょっと気に入らない。
キャットミントのボーダーとクロスする通路には同じ薄いピンクのナデシコとバラのボーダーだ(写真右)。
野菜の紹介が最後になったが写真上右から2枚目がそれだ。まだ収穫には少し早いようだ。
ルバーブ、ハーブ、ベリー類なども植えられている。更に西側には果樹園が広がっている。
面白い話がある。ライス夫人は生涯の間、訪問客は家庭菜園に入ることを許さなかったという。"For eating not looking at"ということらしい。
キッチン・ガーデンとかポタジェの概念はすでにあった時代だと思うが、夫人の哲学だろう。
スケールの大きなキッチン・ガーデンだ。キャットミントの通路を南に進むと"Fountain Garden"に入る。
噴水といっても極めてシンプルなものだ。直径3mほどの小さな池の中央から一筋の水が噴き上がるだけだ。今日は特に水圧が低いようだ。
周囲は生垣で囲まれ植栽はホワイト一色のはずだが、今年は生育が遅れているようで寂しい(写真上左)。
Fountain Gardenの西側にイチイの生垣で囲まれた隠れ家のような小さなルームがある。そして、南面の生垣の切れ目の壁にバード・バスがある(写真上左から2枚目)。
ホワイトガーデンの中で黒龍? が一際目立つ。
生垣の東面の切れ目から出て、階段を数段上がると"Middle Garden"へと進む。通路脇に8つのイチイのトピアリーが並び、
芝生が広がり壁際に潅木や宿根草が植えられている(写真上右から2枚目)。再び雨が降ってきて、ゆっくり見て回ることもできない。
イーグルの像が載ったオリジナルの門柱(写真上右)で振り返ったMiddle Gardenが右の写真だ。見事なトピアリーだ。
門柱を抜けてイーグル ・コート(Eagle Court)に入る。イーグル ・コートも同じデザインで8つのトピアリーがある(写真下左)。壁際の見事な植栽はバラ、
ボタン、ユーフォルビア、アイリス、ディコンドラ、ヒューケラなどなどだ(写真下左から2枚目)。
バラに見られるように(写真下右から2枚目)色彩が抑え目で上品な感じだ。
イーグル ・コートと一体化したテラスと玄関ポーチ(写真下右)も雨に濡れている。いつもは開いているドアーも雨が吹き込むので閉められている。
逆に階段のコンテナのロベリアは水をもらって生気がある。黒法師も雨に濡れ黒々と光っている。
1.5エーカーの小さなガーデンだが、このガーデンでは”調和”と”一貫性”の重要性を感じる。"Gardener's Paradise"と称されるのが頷ける。
フィリス夫人は"'My garden is, I think and hope, a happy one."と言ったという。私も陽だまりに関し同感だ。
モンタキュート・ハウス Montacute House
モンタキュート・ハウスも3度目の訪問となる。
ティンティンハルとは直線にしたら3km、車で5分ほどで着いてしまうから、3回ともセットだ。
ここの林の中のパーキングはナショナル・トラスト(NT)にしてはレセプションの近くだ。メンバーズカードを提示し入場。ハウスの西面が嘗ての玄関だ(写真下左から2枚目)。
この華やかなエリザベザン・マンションは16世紀の末にエドワード・フィリップス卿(Sir Edward Phelips)が建てたものだ。無名の建築家の設計だという。
ティンティンハルと同様、地元の石"Ham Hill stone"が用いられている。20世紀までフィリップス家が住んでいたが、1927年にNTの所有となった。
振り向けば遥かかなたにゲートが見える(写真下左)。この"West Drive"は映画"Sense and Sensibility"で有名になったという。
北面のテラスの西端にオランジェリー(Orangery)がある。前2回は巨大なフクシアがあって妻を喜ばせたが、今日はその姿がない。
”生あるものは必ず死あり”ということだ。
テラスの前に展開する広大な"North Garden"はテラスからでは全貌をカメラに収めきれない(写真下右から2枚目)。
このガーデンの名物"Wibbly Wobbly Hedges"はようやく収まった(写真下右)。
”Wobbly Hedges=ぐらぐら生垣”は他に”Melted Hedge=とろける生垣”とも表現されている。私には人の顔というか、モアイ像の顔に見える(写真下左)。
意識的にトピアリングしたものかと思っていたが、1840年代に植えられ真っ直ぐ立っていたものが、1947年の豪雪で倒れてしまい、
手入れをしたのだが、今の形になってしまったもののようだ。NTの熱心な手入れが図らずもこの名物を誕生させたのだ。
このガーデンは1840年代にお住まいのエレン・フィリップス夫人(Mrs Ellen Phelips)と彼女のガーデナーにより夫人がなくなる1911年までに造成されたものだ。
しかし、ノース・ガーデンの噴水はロバート・シェケルトン・バルフォア(Robert Shekelton Balfour)という建築家のデザインで1894年に置かれたものだという。
ハウスの東面が"East Court"だ。ジャコビアン様式だというガゼボや見晴台、それを繋ぐ回り勾欄がなんとも流麗・優美・優雅な姿だ(写真上下右3枚)。
飽きることなく二周りする。過去2回の訪問時はもっとホットなカラースキムだと記憶しているが、意外とおとなしい色合いだ。
このガゼボは"Pudding Houses"と呼ばれる(写真上右)。メインダイニングでのディナーの後、ゲストはデザートをここで楽しんだという。
それほどゲストを惹きつけたガーデンなのだ。私もここでアフターヌーン・ティーを楽しみたいものだ。
イースト・コートの植栽については当初はエレン夫人のデザインが、シシングハースト城のヴィタ・サックビル・ウェス女史が優しい色彩計画で植栽し、
更にその後、ティンティンハル・ガーデンズのフィリス・ライス夫人が力強いホットなデザインに植栽し直したものだとウィキペディア(Wikipedia)に
載っているが、信じられない面々だ。
過去2回はこの辺りで引き上げてしまったが、今日はもう少し足を伸ばすことにする。東のテラスから真っ直ぐ南に伸びる通路もとろける生垣だ(写真上左)。
その突き当たりに半円形の生垣で囲まれたエリアがある。弦の部分は高いイチイの生垣と内側にコラムが並ぶ荘重なデザインだ(写真下左)。
弓の部分の生垣からは面白い刈り込みのトピアリーが頭を出している(写真下左から2枚目)。アンバランスな気がしないでもない。でも、愉快だ。
半円ガーデン(ガーデン・マップに記載がないので勝手に命名)の南が"Quiet Piccnic Area"だ。ようやく雨が上がってきて、どこからか子供たちの姿も現れた。
子供がいて”Quiet=静かな”訳がない。”Quiet=内緒の”と理解しよう。ここには最初に紹介したWest Driveの脇に"Family Picnic Area"というのもあった。
ガーデンの命名にはガーデナーの意思が込められているものだ。この解釈は当たっているかもしれない。
ピクニック・エリアというに相応しく、落雷か何かで枯れた木を彫ったと思われるイスとドングリがある(写真下左2枚)。
ここまでフォーマル尽くめのガーデンの中に手造りの素朴なオーナメントを見つけ心和む。このギャップは効果的だ。
再びイースト・コートに戻り、雄大・優美・優雅な眺めを楽しむ(写真上右2枚)。ノース・ガーデンの噴水はイースト・コートと同じジャコビアン様式だ。
間近で見るとその規模に圧倒される。ようやく青空も覗いてきた(写真下右から2枚目)。
ノース・ガーデンの周りのトピアリーも一つひとつが違った形で見飽きない(写真下右)。スケールの大きなガーデンだ。
ショップを覘く。妻がポストカードを物色している間にお気に入りが見つかる。ラベルに"Wall Arch Sparn"と記されているが、"Sparn"の意味が分からない。
要はガーデニングのアーチの壁飾りだ(写真右)。サイズも感覚で計ると何とかスーツケースに入りそうだ(実測 77cm×49cm)。
価格は£18と極めてリーズナブルだ。これは求めるべし。「箱にいれるか?」と言われたが、スーツケースに入れる積もりだから、
レジの中にあったプチプチシートを指差し「それでラッピングしてくれ」と頼む。いつものことだが、なんとも不器用な包み方だ。(これには後日談がある)
A352ドライブ A352 Driving
予定を1つ飛ばしてこの旅の通算13個目の”ヒルフィギュア”となる
サーンアバスの巨人(Cerne Giant)に向かう。
例によりナビ子ちゃんは最短距離を走る。”A352ドライブ”としたが、一時車を止めて様子を見るほどの霧のローカルロードを走り目的地直近でA352に出る。
ジャイアント氏にも3度目のお目通りとなる。始めてお目に掛かった時の力強く、荒々しい姿はない。風雨と植物により相当浸食されている。
霧の所為もあってその姿ははっきりしない。(修復直後の姿は下左の拡大写真からご覧あれ)
高さ55m、幅51mはイギリスのヒルフィギュアの中で最大とナショナル・トラストが謳う。右手にしている節くれ立った棍棒でも37mもある。
起源については諸説あるが、最も古い記録は17世紀の末ごろに見られるらしい。豊穣のシンボルとか、ローマのヘラクレスであるとか、
オリバー・クロムウェルのパロディーなどの説がある。地元の伝承では”デンマークの巨人が上陸し羊などを食べて荒らし回るので、
昼寝をしている間に勇敢な農民が彼を打ち殺して、他の巨人への警告として体の輪郭に沿って溝を掘った”と伝えれれる。
また、子宝や縁結びのご利益も言及される。
次は巨人のいるCerne Abbas村からA352を南へ5kmのGodmanstone村にイギリスで最も小さなパブがあるとの情報だ。
最大から最小へのギャップも楽しい。道路沿いにあるようだが、何せ最小だから見失わないよう慎重に走ると左手に藁葺き屋根で赤いドアーの小さな建物が見つかる。
スミスズ・アーム(Smith's Arm)だ。間口3m、奥行き6m、天井も低い18世紀の建物だという(写真下中2枚)。
2004年まで営業していたが、今は経営者が病気で閉まっている。現役のときに訪れたかったものだ。この道路は何度も通ったはずだが、
気が付かないで通り過ぎていたのだ。やはり、旅には情報が必要だ。”情報の引き出しが多いほど、旅は充実する”という私の信条は間違っていない。
このパブにも2つの面白いエピソードがある。1つはチャールズ2世(Charles II)が鍛冶屋であったスミスズ・アームに立ち寄り、ビールを提供するよう頼むと、
鍛冶屋は「ライセンスがないから提供できない」と断った。するとチャールズ2世は「今日からライセンスを与える」と言ってビールを提供させた。というものだ。
もう一つは、スミスズ・アームがイギリス最小のパブを謳っているとベリー・セント・エドマンズ(Bury St. Edmunds イーストアングリアの街で2003年に訪れた)の
"Nutshell"というパブから「こちらが最小だ」とクレームがついた。
論争の末、1982年にフットボールの試合で決着をつけることになり"Nutshell"が勝ち、今や”イギリス最小のパブ”としてギネスブックに載っているのだ。
こちらの方が間口2.1m、奥行き4.5mと確かに小さいようだ。実際の寸法でけりをつけるのでなく、フットボールで決着をつける辺りが粋だ。
A352を南下、懐かしいドーチェスター(Dorchester)の市街を通過する(写真下右)。最近は大きな街はすっかり敬遠している。
キングストン・モールワード・ガーデンズ Kingston Maurward Gardens
キングストン・モールワード・ガーデンは初の訪問だ。
ドーセット 州議会の所有で農業と園芸を教えるカレッジとアニマル・パークを併設する変り種だ。
このフォーマル・ガーデンは1915年から1922年の間に造られたものだ。既存の18世紀のランドスケープ・ガーデンやビクトリア朝のガーデンの枠組みの中に、
当時のアート・アンド・クラフツ様式、言い換えればアウトドア・ルーム方式で造られている。
デザインはエステートを購入したセシル・ハンベリー卿とドロシー 夫人による。卿は保守党の下院議員であり父がイタリアに"La Mortola"というガーデンを所有するという
園芸一家だったという。また、有名なRHSのウイズリー・ガーデン(Wisley Gardens)を1903年に寄付した一家だという。"Generous Donation"に驚いた。
最初に現れたガーデンは"Red Garden"だ。イタリアのLa Mortola同様にルネッサンス様式にデザインされているのだという。
プールの周りの敷石のデザイン、緑の芝とサマーハウス、柘植のヘッジで仕切られたフラワー・ベッド、見事なフォーマル・ガーデンだ(写真上左2枚)。
周囲の生垣や樹木が銅葉色で統一されているのもレッド・ガーデンならではだ。
生垣の間のデザインされた階段を上ると丘の上に"Temple of the Four Winds"がある(写真上右)。18世紀にハウスを建てたときの測量のための丘を利用したものだ。
オリジナルのテンプルは1938年にドロシー 夫人がLa Mortolaに移してしまったので、1991年から Weymouth Collegeの学生によって
ポートランド・ストーンで造られたものだという。テンプルはガーデンの南北の軸線の北端に位置し、南側にテラス状に広がるガーデンが見渡せる。
斜面を下った1段目のテラスが"Penstemon Terrace"だ(写真上右から2枚目)。両側がここの自慢のペンステモンのコレクションのダブルボーダーなのだが、
生育が遅れているようだ。
ペンステモン・テラスの下(南)が"Croquet Lawn"だ(写真下左)。ゲームを楽しむカップルがいる。北側のテラスの岩の斜面にはバラを始め多彩な植栽がなされている。
他の3面はイチイの高い生垣で囲われている。その生垣の上に幾つものトピアリーが刻まれている(写真上6枚)。何の形か自由に想像するのが楽しい。
南に1段下りると東西の軸線となる"Terrace Garden"となる(写真下左から2枚目)。南北軸との交点からハウスまで、広い通路の両脇の芝に中にフラワーベッドが
刻まれ草花に溢れている。更にその外側の生垣も厚く、重厚感のあるデザインにトピアリーされている。このガーデンのメインの通路だろう。
東西と南北の軸の交点に"Brick Garden"がある(写真上右から2枚目)。真ん中に円形のヘッジのボックスがあり、その周りを8個のヘッジのボックスが囲む。
通路はレンガ(Brick)だ。更にその外側をイチイの生垣が取り囲み、イチイの4ヶ所にニッチが切られ像が収まっている(写真下左4枚)。
像はウェストミンスター宮殿にオリジナルがあるヘンリー3世 、リチャード3世 、チャールズ2世とアン 女王だ。ダイナミックにして壮麗なデザインだ。
ブリック・ガーデンから南に"Herbaceous Border"が走る(写真上右)。下り坂のダブルボーダーだ。写真では遠くて見えないが、宿根草が数多く咲いている。
1株が大きくゆったりと配置されており、狭苦しさがない。遠くに見えるフォーカルポイントはバードバスだ。バラのオベリスクも3mほどの高さのものが、
林立しており壮観だ。満開時が想われる。100種類以上の宿根草が植栽されていて、7、8月が最盛期だという。
ハーベイシャス・ボーダーと"Crown Garden"の間に小さなヘッジボックスにバラが植栽されたガーデンがあるが、
ガーデンマップでは名前が付けられていない(写真上右)。
クラウン・ガーデンは周囲のイチイの生垣の刈り込みがクラウンの形をしている。ドロシー 夫人の時代はローズガーデンだったが、バラが病気で取り除かれ、
宿根草中心の植栽に変わったようだ。この鮮やかな黄色の花は花名不詳だ。ジギタリス。オダマキ、フウリンソウ、ナデシコ、ゲラニウムなど多彩だ。
バラとクレマチスのオベリスクもハーベイシャス・ボーダーのものよりお洒落なデザインだ。中央の井筒(Well Head)も洒落ている。
クラウン・ガーデンからテラス・ガーデンを横切りクロケット・ローンの東側にある"Rainbow Beds"に上がる(写真下左)。イチイの生垣で囲われた芝の中に、
ラベンダーでヘッジされた6つのフラワー・ベッドが切られている。中の植物の生育が遅れている。ここも最盛期は7月なのだろう。中央にサンダイアルがある。
テラス・ガーデンの階段を下り、ハウスに向かう。左手に美しい白いポートランド・ストーンで築かれたテラスが見える(写真下左から2枚目)。
"Balustrade Garden"だ。その名の通り欄干の美しいテラスに睡蓮が浮くプールがある(写真下右から2枚目)。周囲はボーダーとトピアリーが飾っている。
この白いハウスは1720年にジョージ ・ピット(George Pitt)が建てたもので、赤いレンガのハウスだったのだ。時の国王ジョージ3世(King GeorgeV)の
軽蔑的なコメントを受け、ポートランド・ストーンで覆ったのだという。このハウスの大半がカレッジの教室だというから学生も豊かな気持ちだろう。
妻は朝のスモークトサーモンが軽すぎたのだろう。時刻も15時過ぎ、空腹を訴える。ハウスの脇にカフェがある。
妻はひまわりとかぼちゃの種が入ったケーキ(余り美味しくなかったらしい)、私はチーズケーキ(美味)、飲み物はカフェオレ(ミデイアムとラージ)でおやつとする。
雨は上がり青空も覗いてきたが、客の姿はほとんどない。カフェのテラスの花壇も極めて重厚だ(写真下左2枚)。
元気を取り戻した所で今まで歩いたと同じ程度遠い"Elizabethan Walled Garden"を目指す。
ハウスの直ぐ前に小さな"Japanese Garden"がある(写真下右2枚)。石灯籠やモミジなど、それらしくはあるが物足りない。
エリザベス朝ウォールド・ガーデンは40m×100mと広大だ。ジョージ ・ピットのハウスの前身の16世紀のマナーハウスと同じ時期に造られたものだ。 当時はハウスに果物と野菜を供給するのが目的だったが、現在は見事な装飾的なデザインでいて、収穫と同時に、どの植物がここの気候に合うのか実験的栽培などの 機能を果たすガーデンなのだ。温室の前のマリーゴールドはコンパニオンプランツとして植えられているのだろう(写真下左)。 壁には果樹と並んでバラが(写真下左から2枚目)、ブッシュや生垣は装飾的だが風除けの役目を果たすだろう(写真下右から2枚目)。 中にはこんなノットガーデンもある(写真下右)。ここまでのキッチンガーデンは初めてかもしれない。イングリッシュ・ガーデンの懐の深さを改めて思い知る。
16世紀のマナー ・ハウスは今はB&Bになったいるようだ。その石垣のバラも見事の咲いている(写真下左)。日本庭園の近くに"Lakeside Temple"が
建っている。子供が池で何かを見つけて大騒ぎしている。
16世紀からの長い歴史のある敷地に、20世紀のアート・アンド・クラフツ様式でデザインしたというが、父親がイタリアのガーデンの所有者というだけに、
どことなくイタリア色が濃いガーデンの印象だ。しかし、このスケールの大きさには脱帽だ。しかし、靴が濡れて重くなっているので歩き疲れた。
世界遺産 ”ドーセットと東デヴォンの海岸” World Heritage "Dorset and East Devon Coast"
世界遺産のドーセットと東デヴォンの海岸は別名ジュラシック・コースト(Jurassic Coast)と呼ばれ、
1億8500年前に形成された三畳紀・ジュラ紀・白亜紀の地層が連続的に露出している海岸だ。東はスウォンジー(Swanage)から西のシドマス(Sidmouth)までの
155kmの海岸線で、アンモナイトや巨大な爬虫類の化石が多く出土し、過去300年亘って地質学的・古生物学的・地理形態学的な貢献があった。
2001年にユネスコにより自然世界遺産として登録された。
右の写真は体長2mの水棲爬虫類”イクチオサウルス”の化石(ウィキペディアより)
難しい学問のことは置いておいて、ネットで調べるとこの世界遺産の海岸線の美しい景色の写真が沢山見られる。
その中から自分勝手に”三大景色”を決めてこれから訊ねることにしよう。
チェジル・ビーチ Chesil Beach View Point
その一つ目はチェジル・ビーチだ。ドーセットのドーチェスターの南の海に突き出たポートランド島 (Isle of Portlans)から北西のウェスト・ベイ(Weat Bay)までの白い小石の海岸のことだ。この海岸は長さ28km、幅は最大200m、海面からの高度は平均11mだという。 その地質学的なことは理解できないが、小石の大きさが北西がえんどう豆ほどで、南東のポートランド付近ではオレンジの大きさになるのだという。
この海岸の中でも特にアボッツベリー(Abbotsbury)からポートランド島までの13kmに亘るフリート・ラグーン(Fleet Lagoon)の美しい光景に惹かれてやってきた。
アボッツベリーからの眺めはCountry Life magazineの投票で"Britain's third best view"に入ったというから見逃せない。
そのビューポイントはアボッツベリーからB3517を1.5kmほど西のアボッツベリー・ヒルを登る斜度17%の急坂の途中にあった。
雨もモンタキュートまでで今は晴れているのだが、もやっていて視界が良くない(写真右)。もう一つのビューポイントに期待しよう。
フリート・ラグーンはチェジル・ビーチの移動により出来上がった陸地との間の塩水の浅瀬で幅は広い所で900m、狭いところは65mの細長いものだ。
深さは2m程度らしい。今年のロンドンオリンピックではセーリング(ヨット)の会場となる。
この説明ではイメージしにくいとおっしゃる方は
"Google Map"をご覧いただこう。
ベネッツ・ウォーター・ガーデンズ Bennetts Water Gardens
ビューポイントの直ぐ近くにガーデンマークがある。ベネッツ・ウォーター・ガーデンズだ。
行きがけの駄賃で寄り道をする。時刻は16時40分だ。受付の女性は片づけを始めていた。「また明日いらっしゃい」とのことだ」が、
「明日は来れない」と粘ると「17時までで良かったらどうぞ。でも、全部は回れないわよ」と素っ気ないが「それでも良い」と入場する。
ここは19世紀からのレンガを焼くための粘土を採掘した抗の後に1959年からベネット家によって開発されたガーデンだ。
フランスのジヴェルニーの”モネの庭(Monet 's garden in Giverny)”に睡蓮を供給したナーサリーから取り寄せた睡蓮らしい。
8つの池があってそれぞれにテーマを持って睡蓮(Water Lilies)が植えられているようだ。急ぎ足で一巡りする。
モネの絵でお馴染みの太鼓橋(Monet style Japanese Bridge)はモネが"Water Lily pond 1899"を描いてから100周年を祝って1999年に架けられたものだ(写真下右2枚)。
他に"Mini Red Japanese Bridge"も見られる(写真下左)。湖畔に優雅なガゼボやベンチなども置かれている。時間があればゆっくり座って楽しむところだが、ままならない。
この池は様々な野生生物の保護にも大きな貢献をしているとのことだ。17時丁度、愛嬌も愛想もなく送り出される。
ポートランド島 Isle of Portland
一つ目のビューポイントが空振ったので、2つめのチェジル・ビーチのビューポイントを目指す。
A354でポートランド港とフリート・ラグーンを繋ぐ水道の橋を渡り、チェジル・ビーチの上を1kmも走れば
ポートランド島だ。
ナビ子ちゃんは最短距離を指示してくれるから、途中からA354を離れ旧道に入り込んだ。「勘弁してよ」と言いたくなるシングルトラックの道路は、
ますます狭く、急勾配になってくる。登りきったところからしばらく走ると、ビューポイントの大きなパーキングに出た。
待望の景色だが、まだもやが晴れてはいない。それにここからだとこの時間は逆光となる(写真右)。写真にすると更に写りが悪いが、
左から右に湾曲する白いラインがチェジル・ビーチだ。美しい曲線がお分かりいただけると思う。中央右に半円の海が見える。
これがポートランド港、その上に三角形に見えるのがフリート・ラグーンだ。
この島の産業の一つがポートランド・ストーンだ。1日に訪れたゴディントン・ハウスのプールに使われていたり、今日訪れたキングストン・モールワードの
ハウスやテラスに使われていた石だ。上述のGoogle Mapの写真でも島のあちこちに白い部分が見られる。それが石切り場だ。
この島にも見るべきものは多いようだが、私達の今日の目的はチェジル・ビーチのビューポイントだったので次に向かうことにする。
ナビ子ちゃんは先ほど来た道を指示するが、無視してA354を走る。「再検索中」を繰り返し五月蝿い。お喋りなナビ子ちゃんだ。
丁度夕方のラッシュアワーに当たったようだ。ウェイマス(Wymouth)の街で渋滞に嵌る。車窓見学のウェイマスだが、コーストのリゾートらしく
エキゾチックな香りがする街だ。。
本当はそうしてのんびりしている暇はないのだ。まだこれから”三大景色”のうちの2つを訪れなければならないのだ。
オスミントン・ホワイトホース Osmington White Horse
A353を東に進むと左手の丘にオスミントン・ホワイトホースが現れる。 高さ98m、幅85mと大きなものだ。ナショナル・トラストはサーンアバスの巨人が最大と記述しているが、こちらのほうが大きい。
このホワイトホースがユニークなところはイギリスで唯一の人が乗っている白馬だということと、イギリスに4つしかない右を向いている白馬だということだ。
このフィギュアはウェイマスがお気に入りで、度々訪ねられたジョージ3世王(King George V)に敬意を表して1808年にカットされたものだ。
したがって、乗っているのはジョージ3世王ということになる。
右向きに関して伝説がある。右を向いているということはウェイマスから出て行く形になり、、王が歓迎されていないことを意味すると王の怒りを買ったのだという。
王はその後病気になり、再びウェイマスを訪れることが出来なかった。それゆえ、王がこの白馬を見ることもなかったのだという。
フィギュアは2012年オリンピックのセーリング競技が地元で開催されることから復旧プロジェクトが
2009年に組織され、オリジナルに戻すため研究・準備をし、2010年から2年がかりで余分な石160トンを取り除くなどの修復が行われたのだ。
それだけに輪郭もきりっとした精悍なジョージ3世王と愛馬に出会うことができた。
ダードル・ドア Durdle Door
”三大景色”その2はダードル・ドアだ。ハイライトと言って良いだろう。
A353からA352に入り東進、右折してローカルロードをWinfrith Newburgh村を抜けて南下すると
Durdle Door Holiday Parkのオートキャンプ・サイトの先のパーキングに着く。
ペイアンドディスプレイをしてパスを下る。
パスは水溜りがあって歩きにくい。猛烈な風が海から吹いてきて寒く感じる。手を繋いでいないと妻は飛ばされそうだ。それでも行き交う人は多い。
こんな人込みはヒースロー以来かもしれない。「帰りが厳しいな」と思うくらい下ってようやく美しい湾が見下ろせる場所に出た(写真右)。
ダードル・ドアの東側の"Man O' War Cove"だ。お目当ては近い、つい急ぎ足になり、妻を置き去りにして苦情が出る。
突き出した岩の西側に回ると待望のダードル・ドアのアーチが見える。唯唯美しい。というしかない。海の浸食で軟らかい岩が削られ出来た
自然の石灰岩(Portland limestone)のアーチだ。ジュラシック・コーストで最も写真を撮られたランドマークといわれる。海岸まで下りられるが、その元気はない。
ダードル(Durdle)とは古英語で穴を意味する"thirl"に由来しているとのことだ。小説や映画の舞台としてしばしば登場しているのも頷ける。
少々移動した所でアングルは変わらないのだが、シャッターを押し続ける。風の強さをしばし忘れさせる衝撃的感動だ。
目を西の方向に転じれば白亜の断崖が見える(写真下右から2枚目)。
Bat's Head"という小さな岬だ。
拡大写真で赤い矢印の白い点のように見える部分も洞穴なのだ。長い自然の浸食により、いつかはダードル・ドアのような岩になるかもしれない。
悠久のロマンだ。
”行きは良い良い帰りは怖い”、斜面を上る。幸い風は追い風で幾分助かるが、冷たい。草むらを這って上る子供がいた。
どうしたのかと思ったら、父親が「本人はタイガーのつもりなんですよ」と説明してくれた。そういえば口を大きく開けて「ガォー」と言っている。
イギリスの野原は羊や犬の落し物が沢山あって余り綺麗だと思わないが、父親は助長するようにからかっている。
ラルワース・コーヴ Lulworth Cove
”三大景色”その3はラルワース・コーヴだ。
ダードル・ドアから東へ2kmのところにある小さな入り江だ。パーキングから海岸に下りる小道はすっかり観光化されているが、それはそれなりに楽しい。
レストラン、カフェ、土産物屋、パブ、B&B,インなどが並んでいる。茅葺屋根の家も見られる。
メイン・ロードを途中で逸れて牧草地に入る。海岸からではなく、崖の上からコーブを見下ろそうという訳だ。美しい弧を描く海岸線とコバルトブルーの入り江があった(写真右)。
しかし、崖っぷちからの撮影では私のカメラでは全体が入らない。かといって、下がれば崖が邪魔で入り江が隠れてしまうというジレンマだ。
この入り江の形成過程を簡単に説明するのは難しいが、簡単に言えばジュラシックコーストの海岸は海側に硬いPortland LimestoneとPurbeck Limestoneのラインがあり、
その内側に軟らかい粘土(Clays)とGreensandの帯がある。その内側にまた硬いChalkのラインがあるという構造なのだ。
そこに先ず、何かのきっかけでLimestoneに波の浸食により隙間が出来、次の軟らかいClaysとGreensandの帯が浸食されていく。
そして、Chalkのラインに達すると浸食は横に広がり次第に円形になっていくのだ。
およそ1万年掛かって現在の姿になったのだ。説明しているこちらも俄か勉強だから、おそらくお分かりいただけないだろう。
しかし、美しい風景であることはご理解いただけたことと思う。 (右の航空写真は上記HPより)
ラ・フォセ La Fosse at Cranborne
今宵のディナーはラ・フォセに20時スタートで予約してあった。ラルワース・コーヴを発ったのが19時20分、飛ばしたがB&B到着は7分過ぎていた。
マークに遅れを詫びると「ノープロブレム」と笑顔を見せてくれる。部屋に戻るとお願いした洗濯物がキッチリ畳んでベッドに置いてある。
下着までアイロンが掛かっている。手を洗い、簡単に着替えてダイニングに行く。今夜のオーダーは、前菜に
・ Mussels cooked in an apple jus と ・ Laverstock buffalo mozzarella on warm Romsey tomoto salad 主菜は
・ Whole Smoked haddock with bubble and squeak with a mustard sauce と ・ Seared monkfish liver with rhubarb comport and asparagus とした。
バッファロー・モッツァレラは一昨日妻が食べてとても美味しかったと言うのでオーダーしたが、暖かいトマトと実に良くマッチして上手い。
妻は大好きなムール貝に満足げだ。リンゴジュースで蒸すのも珍しい。
メインはモンクフィッシュのレバーといえば”あんきも”ではないか。これは美味しそうと思ったが、心配した肝の苦味が強かった。
妻の方はスモークトハドックにポテトやキャベツなどの野菜の炒めたものが添えられておりマスタードソースも合っているようだ。
満足してバーに席を移して、私はシングルモルト・オンザロックをダブルで、妻はシェリー酒をオーダーし、マークと話し込む。
ダイニングの壁に飾っているオブジェが気に入ったので、どこで求めたか訊ねると
「あれはマーケットで買ったものだけど、似たようなものが置いてあった店を紹介しよう」ということで明日の楽しみが増える。
今日モンタキュート・ハウスで求めたウォール・アーチもこれが頭にあったので目に付いたのだ。
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