第13日 6月 11日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Eastwrey Barton --- Barrington Court Garden --- Lytes Cary Manor --- Stonehenge --- Heathrow
LONDON 19:15 ===== TOKYO 12日 14:15 (JAL 402)
今日の走行距離 293km
今日の万歩計 9,000歩
出発時点の気温 15℃
イーストウェリー・バートン Eastwrey Barton
とうとう最後の朝を迎えた。今までの悪天候を取り戻すようなラブリーなお天気だ。
食事前にガーデンで遊ぶ。下左の風景がこのガーデンのベストのシーンだ。
フルイングリッシュ・ブレックファストの私にとってのベスト・セレクションはこの4品に尽きるようだ。ソーセージも捨てがたいが、食感が今一つ好きになれない。
ベイクトビーンズやブラックプディング、揚げパンも歓迎ではない。
チェックアウトには今まで姿を見せなかったホステスのシャロンも顔を見せた。妻と再会を喜びハグをしている。とても慎ましやかな女性だ。
美味しい料理とパトリックのサービスに感謝し、少し多めのチップを渡す。またの訪問を約束し、お別れする。
バーリントン・コート・ガーデン Barrington Court Garden
バーリントン・コート・ガーデンは10年ぶりの訪問だ。
キッチン・ガーデンとガートルード・ジキールが植栽計画をした3つのフォーマル・ガーデンを持つウォールド・ガーデンがある。
順路に従いキッチン・ガーデンに入る。入り口で麦わらで作られた犬が歓迎してくれる(写真下左)。1辺が70m以上あろうかという正方形の庭は高い壁に囲まれている。
田の字の通路が設けられ、様々な野菜が整然と育てられている。リンゴや西洋梨がこれも見事に整枝され壁を這っている。
16世紀からマナーハウスの住人に新鮮な野菜と果物を提供してきたのだ。現在もここのレストランや地元の小学校の給食に供しているらしい。
中央の通路の交点に噴水がある。"The boy and his swan"と名付けられている。この池は"Dipping Pond"と呼ばれ、ガーデナーが如雨露(Watering Cans)で
水を汲み取った灌漑用の池だったのだ。その奥にもガーデンの花と野菜を守るアキレスの像が立っている。
時間は十分ある計画だが、何が起こるか分からない。少しでも早くヒースローに近づいておきたいという気持ちがあり、落ち着かない。
順路を急ぐ。キッチンガーデンを出ると壁の外側はロング・ボーダーだ(写真下右から2枚目)。10年前、ここでトリトマの名前を初めて知ったことを思い出す。
全体に花が遅れているようだ。陽だまりにもトリトマを入れているが、残念なことに、こちらのようにスクッと立たないのだ。
キッチン・ガーデンの南東角にガーデナー・ハウスらしきものがあり"Information and Plants Sales"になっている。その壁のつるバラの誘引が美しい(写真下右)。
花の美しさだけでなく、幹の美しさも素晴らしい。こんな風に誘引をして見たいが、その前に、こんなに広い壁がない。高望みだ。
ウォールド・ガーデンとお屋敷は濠に囲まれている。だから小さな木橋を渡り華やかな花色が覗く小さな入り口を潜る(写真下左)。
その花はキャットミントとシャクヤク、ジャーマンアイリスだった(写真下中2枚目)。煙突の沢山ある赤レンガのハウスはストード・ハウス(Strode House)だ。
バーリントン・コートは16世紀半ばに建てられたマナーハウスだ。17世紀にストード・ハウスが建てられたのだが、何と厩舎として立てられたというから驚きだ。
ナショナル・トラスト(NT)のホームページにも"a very grand stable"と記載されている。2台の馬車と12頭の馬がここで管理されていたのだ。
しかし、マナーハウスが19世紀始めに火事になり、その後住む人もなく荒れ放題になっていたところをNTが購入したのだ。
そして1917年からライル大佐(Colonel Lyle)に貸し出され、大佐によってマナーハウスが一新され、ストード・ハウスは3つのフォーマル・ガーデンにされたのだ。
その植栽計画(Planting Plans)は当時の人気ガーデン・デザイナーであったガートルード・ジーキルに依頼したのだという。豪壮だ。
この40mほどのダブルボーダーを行くと突き当たりに古い牛小屋(Calf pens)がある。ここの壁にもつるバラが美しく仕立ててある(写真下左)。
さて、ダブルボーダーの南側に3つのフォーマル・ガーデンがある。それぞれ壁と生垣で区画されたガーデン・ルーム形式のガーデンだ。
最初にローズ&アイリス・ガーデン(Rose and Iris Garden)に入る。真ん中に大きなコラム(像が載っていたのかもしれない)があり、
芝が広がる。芝を切ってベッドとしバラを植えてある。周囲の壁にはバラを這わせたり、アイリスを含む植栽のボーダーがある。
デザイン、植栽とも極めて単純でガートルード・ジーキルのものとは思えない。
続いてホワイト・ガーデン(White Garden)に移る。こちらも同じようなデザインだ。中央に像がある(写真下左から2枚目)。フォーン(Faun)と名付けられている。
ローマ神話のファウヌスのことでヤギの耳・角・後脚を持った林野・牧畜の神が踊っている像だ(拡大写真にアップの写真)。芝を切ったベッドがあり、
壁際はボーダーだ。ボーダーの白い縁取りのホスタが爽やかな感じだ。クランベ(ジャイアントかすみ草)も強いインパクトを与える(写真下右から2枚目)。
壁には白いつるバラ、その前にアヤメ、オステオスペルマムが咲いている(写真下左)。壁の丸窓がなかなかお洒落だ。
次がリリー・ガーデン(Lily Garden)だ。リリーといってもユリではない。睡蓮(water Lily)の池があるガーデンのことだ(写真下右)。睡蓮の花も遅れているようだ。
それにつけても、この大きなハウスが厩舎であったとは驚きだ。いろいろな角度から見ると10本以上の煙突がある。
ということは、それ以上の暖炉があるということを意味する。今はレストランとショップになっている。
マナーハウスは更に多くの煙突を持つ。それは拡大写真からどうぞ。マナーハウスはストード・ハウスの隣にあるが、大きく迂回しなければならない。
今回はパスすることにする。
ライツ・キャリー・マナー Lytes Cary Manor
今日の訪問予定地はA303沿いのアトラクションから選んでいる。次は
ライツ・キャリー・マナーに遣ってきた。
初めての訪問だ。このロケーションにあって今まで訪れていないのが不思議なくらいだ。ここもナショナ・トラスト(NT)のプロパティーだ。
この20分余りの移動の最中にゲリラ豪雨のような雨だ。さっきまでの快晴が嘘のような雨だ。意外に狭いパーキングは轍に水が溜まり、駐車不能の場所さえある。
小止みになるのを待つ余裕はない、小さな折り畳み傘では役に立たないが気は心、傘を広げて入場する。
入場者は皆ハウスの中に避難しているのだろう。ハウスの東面(East Front)に広がるこのガーデンの名物"Apostle Garden"にも人っ子一人いない。
お陰で良い写真が撮れた(写真下左)。この変わったイチイのトピアリーが使徒(Apostle)を表している。使徒が両側に12人整列しているので”十二使徒の庭”という訳だ。
十二使徒の庭と言えば、どこかで訪ねた筈だ。調べてみると2008年にストラットフォード・アポン・エイボン近郊にあるパックウッド・ハウス(Packwood)に
あったのだ。それとは大分趣が異なる。
このもこもこしたイチイもどこかで見たような(写真下中2枚)。この旅でも訪れたモンタキュート・ハウスのとろける生垣だ。
モンタキュートはライツ・キャリーとバーリントン・コートの中間辺りにある。モンタキュートは3回も訪れているのにどうしてライツ・キャリーが初めてなのか、改めて謎だ。
振り返るとグランドに鉄扉(Iron Gate)を透かして鳩小屋(Dovecote)が見える(写真下右)。嘗てはこちらが入り口(House Gate)だったのだ。
その先はキャリー川(River Cary)へ繋がる。このハウスの最初の居住者ライト家(Lyte family)とこの川の名前から"Lytes Cary Manor"と名付けられたという。
この鳩小屋は本当は水道塔(Water Tower)なのだという。"Avebury Manor"のDovecoteに似せて造ったものらしい。
十二使徒の間をハウスに向かい、ハウスの前で左に曲がると壁を潜る小さな入り口がある(写真下左)。その先は"Main Border"だ。
ここでライツ・キャリー・マナーの歴史に触れておこう。13世紀から18世紀までライト家(Lytes Family)が住んでいた家で、
一番古い部分は14世紀のチャペル(Chapel)だという。その後各世代に増改築が繰り返されて来た。その後ライト家の財政難で人手に渡り、
お決まりの何人かの手を経て荒れ放題になっていたものをウォルター ・ジェンナー 卿(Sir Walter Jenner)が買取り、ハウスを改修し、
"West Wing"を増築し、ガーデンを改造したのだ。
ライト家の16世紀のヘンリー ・ライト(Henry Lyte)は植物採集者であったという。"Lyte's Herbal"というハーブ療法の本を出版し、
当時のハーブ療法のスタンダードであり、シェイクスピアのロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)の中でも引用されたという。
また、ウォルター ・ジェンナー 卿の父はビクトリア 女王の医者であったという。なかなか役者が揃ったものだ。
ウォルター ・ジェンナー 卿はガーデンを当時大流行していたアーツ・アンド・クラフト形式(Arts and crafts style)にデザインした。
すなわち、アウトドア・ルーム方式のガーデンだ。ウォルター ・ジェンナー 卿は1948年に亡くなり、ハウスとガーデンはNTに寄贈されたのだ。
メイン・ボーダーも長さ35m、幅5mほどの壁に囲まれ、通路の両側が2mほどのダブル・ボーダーだ(写真上右3枚、下左2枚)。
1965年にNTの最初のガーデン・デザイナーであったグラハム・スチュアート・トマス(Graham Stuart Thomas)がデザインし直したという。
植栽は壁をバラやクレマチスがクライミングし、スモークツーリやメギなどの銅葉のブッシュも効果的に入っている。
宿根草はまだ開花していないが、1ヶ月もすればさぞやと思わせる生育振りだ。また、場所によってカラーテーマが変えられているようだ。
赤色、ピンク、ブルー、紫、白などのコーナーが見て取れる。
ボーダーを見終わった頃には靴の中は洪水状態だ。そんな雨にも拘らず、NTのガーデナー達は薄手のウインドブレーカーのようなものを着て手入れをしている。
ビックリ仰天。ボーダーの外れを右折すると"Raised Walk"だ。左手に円柱状にトピアリーされたアイリッシュ・イチイ(Columns of Irish Yew)が立ち並び、
右手は"Orchard"が広がっている。果樹園といえども、効率的な生産を目的とする訳ではなく、デザインされている。対角線に通路が敷かれ、
それに沿ってリンゴや洋ナシが植えられている。通路の交点にはサンダイアルが置かれている(写真下右)。
下草はスイセンと野生の草花で早春にはさぞかし美しいことだろう。
果樹園の対角線を進むとハウスの南面(South Fron)に出る(写真下左)。ライムストーンが美しい。エバーグリーンの芝、段だら模様の舗道、
コントロールされたボーダーと相まって優美だ。中央の出窓部分の1階の居間(Great Parlour)と2階の寝室(Great Chamber)から
眺められるようデザインされた3つのガーデンが南に向かって展開している。
一番手前がクロッケー・ローン(Croquet Lawn)だ(写真下左から2枚目)。白いフープ( hoops 門)が幾つか見える。
2007年の旅でB&Bの家族と楽しんだことがあるが、技術だけでなく、駆け引きもあって楽しいゲームだった。
その様子はこちらからどうぞ。
その南に2つ目の"Lavender Garde"がある。イチイのヘッジで囲われた方形のローン・ガーデンの4つの角に柘植の生垣でデザインされたベッドが切られ、
ラベンダーが整然と植栽されている。花穂が一斉に伸びている。開花も間近だ。南北のヘッジの中央は出入り口、東西のヘッジの中央のベンチが置かれている。
シンプルなガーデンだ。
一番奥に"Pond Garden"がある(写真下右)。ここも方形のイチイの生垣に囲まれた芝生の真ん中に円形の池があり、噴水があるだけで植栽はない。
生垣の4つのコーナーはヘッジにニッチが切り込まれ彫像とコンテナが置かれている。こちらもシンプルにして重厚感溢れるガーデンだ。
ハウスの南東角に14世紀に建てられたチャペルがある(写真下左)。その壁は一面つる性の植物で覆われている。周囲の植栽も厚い。
写真を拡大してステンドグラスの写真もお楽しみあれ。
West Wingの南にサンクン・ガーデン(sunken Garden)がある(写真下中2枚)。ハウス前より1段低くしたガーデンだ。
上からの見晴らし効果を狙ったものだが、低くした段差への植栽もガーデンに厚みを持たせる効果があるようだ。この拡大写真にもお楽しみが・・・。
20世紀に建てられたWest Wing(写真下左から2枚目)は現在NTにより"Holiday Cottage"として貸し出されている。その西面のガーデンが"Cutting Garden"だ(写真上下右)。
ハウス内に飾る切花を育てるガーデンだろうが、タイムのベッドで囲まれた(写真下右)銀葉の樹木があるなど装飾的だ。
Cutting Gardenの南の一角はガーデンマップには特別な記載もないが、ホワイト・ガーデンと名付けたくなるコーナーだ(写真下左3枚)。
芝生の真ん中に苔むしたコラムが立っており白色のクレマチスが程よくクライミングしている。周囲の植栽は控えめながら白が基調ですっきりしている。好みだ。
懸案のウォール・アーチの梱包用の段ボール箱を求めてショップに入ると同じウォール・アーチが置いてある。「別のNTで求めたものだが、
あれと同じものを梱包できるようなダンボールはないか?」と訊ねると裏の倉庫に案内され探してくれたが、大きなダンボールがない。
もう待ったなしだ。やむなく隅にプチプチシートが沢山積まれていたのでそれをいただいた。ご親切ありがとう。
雨は相変わらず降り続いている。パーキング横に年代を感じさせる納屋の跡のような建物があり、雨はしのげる。。その下でランチをしている人がいる。
こちらの方はサンドウィッチなど持って道路脇などで気軽にピクニックを楽しむが、今日は雨のためここを借りているのだろう。
車の中で梱包するつもりだったが、ここを拝借しよう。車から旅の常備品の梱包セットを取ってきて、セロテープとビニール紐でガッチリ、パッキングする。
これで懸案解決。空は重いが、心は軽く、ストーンヘンジに向け出発。
ストーンヘンジ Stonehenge
ストーンヘンジを始めて訪れたのは1999年のことだ。
”緑の平原にその巨大な石組みが突如現れた時には胸が締め付けられ、ザワザワするようなる感動に言葉を失った”と99年の旅に記している。
その当時は確か、まだ石に直接触れることができたものだ。
その後もA303やA344を通る度、その石舞台に心のざわつきを覚えたが、それもだんだん弱くなり、5回目くらいからはそれがなくなってしまったのだ。
今回は久々に入場し、身近に接し、それを取り戻そうと思ってやってきた。
パーキングに到着したが、相変わらず強い雨が降りしきる。しかし、パーキングは満車状態だ。コーチの数も断然違う。受付は長蛇の列だが、
メンバーは専用の受付があり、スムーズに入場する。"Audio Tours"が無料ということで日本語のものを借用する。
地下道でA344を潜りサイトに近づく。ロープで仕切られたストーンヘンジを人がぐるりと囲んでいる状態だ(写真下左)。
特にオーディオ・ツアーのポイントが混雑している。このオーディオ・ツアーが恐ろしく長い。横殴りの雨と風で寒くて全部聴いていることができない。
確かめたかった、胸を締め付けられるようなざわつきも戻ってこない。順路はストーンヘンジをぐるりと一回りするのだが、途中から引き返すことにする。
ストーンヘンジは”世界遺産(World Heritage Site)”であり、”世界七不思議”に数えられるストーンサークル(Stone Circle 環状列石)で
”世界で最も有名な先史時代の遺跡”といわれる。紀元前2500年には存在したという。
ナショナル・トラスト(National Trust)の所有であり、イングリッシュ・ヘリテイジ(English Heritage EH)によって管理されている。
その目的は諸説あるが、EHのホームページによれば"The true meaning of this ancient, awe-inspiring creation has been lost in the mists of time"なのだ。
”時間の霧の中に消え去った” 憎い表現だ。
グーグル(google)検索で"Stonehenge"と入力すれば19百万件が、”ストーンヘンジ”のキーワードでは47万件がヒットする。詳しくは
Wikipediaや
ウィキペディアに譲ることにしよう。
ヒースロー Heathrow
15時35分ヒースロー空港のハーツ・レンタカーの営業所に到着する。チェックインの係員は目ざとく左側面全部の傷を見つけ「アクシデントか?」と訊く。 「イエス」と応えると頷いただけでチェックを続ける。左後輪のタイヤの大きな傷を見つけ「これは出発時になかったので補償してもらう」と冷たく宣言する。 補償は兎も角として、この傷は気が付かなかったが、冷や汗ものだ。一つ間違えばモーターウェーでバーストを起こしかねない傷だ。 何時、何処で傷をつけたのか、覚えがない。毎朝の始業点検を怠ったことを反省する。
係員と共にオフィスの係員のところに行き、事故の状況など説明する。係員の説明では「相手はドイツのバス会社」だという。
ということは、向こうもイギリスの左側通行に慣れていなかった可能性が高い。自分の非は棚に上げて、勝手なことを主張したものだ。改めて腹が立つ。
係員に相手のルール違反が原因であることを強く主張する。
「相手バス会社と交渉して、補償が取れれば後日返却するが、今日は一旦規定の事故補償を払ってください」とのことだ。
痛い出費だが、レンタカーの旅を続けている限り、そのリスクの覚悟はしている。怪我がなかったことが幸いだった。
期待もしていなかったが、6ヶ月以上経過したが、振込みはない。
残念なことは孫4人の顔写真入のキーホルダーをレンタカーのキーに付けたまま返却してしまったことだ。
ヒースロー空港のJALのカウンターは修学旅行の女子高生の団体の後ろになった。親御さんの苦労が偲ばれる。
心配したほど時間はかからずチェックイン。セキュリティー・チェック、出国手続きも順調に進む。
免税店で最後のショッピングだ。ダイアモンド・ジュビリー記念の紅茶、チョコレート大小沢山、スコッチ今年は3本、
ブランドネクタイ3本で打ち止めだ。
最後のお楽しみはシーフード・バー(Seafood Bar)での食事だ。オーダーは ・ Shrinp Cocktail(えびのカクテルソース) と
・ Balik Gravlax(Balikというブランドのスモークサーモンのマリネ)とワインは白のボトル。
搭乗時間までの1時間30分余りを、旅の振り返りやら来年の計画やらを話し合いながら過ごす(写真右2枚)。
定刻にテイクオフして間もなく異変が起きる。吐き気がして冷や汗が出る。かといって、吐けはしない。めまいもする。しかし、腹痛や熱はない。
機内食は全て断って、ひたすら堪え忍ぶ。結局一睡もできないまま成田近くなってようやく快復した。
この旅は何かとアクシデントの多い旅になった。来年からはより心引き締めて旅することにしよう。
2012年の旅日記に長々とお付き合いいただきありがとうございます。ご感想など気軽に掲示板にお書き込みください。お待ちしております。
写真満載の旅行記をご覧ください
行程表 戻る |
5月30日 旅行記 |
5月31日 旅行記 |
6月1日 旅行記 |
6月2日 旅行記 |
6月3日 旅行記 |
6月4日 旅行記 |
6月5日 旅行記 |
6月6日 旅行記 |
6月7日 旅行記 |
6月8日 旅行記 |
6月9日 旅行記 |
6月10日 旅行記 |