第6日 6月 4日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Danehurst House --- The Manor House, Upton Grey -- Hinton Ampner House --- Houghton Lodge ---
Mottisfont Abbey --- Waldrons(NGS) --- Furzey Gardens --- La Fosse at Cranborne
今日の走行距離 293km
今日の万歩計 23,700歩
出発時点の気温 9.5℃
ダーンハースト・ハウス Danehurst House
今朝も雨模様で寒さを感じる。ダーンハースト・ハウスの最後のフル・イングリッシュ・ブレックファーストだ。5泊といえば長いようだが、
あっという間に過ぎてしまった。訪問予定先リストの内、幾つもスキップしてしまったが、またのお楽しみとしておこう。
ダーンハースト・ハウスはアンジェラとマイケルのホスピタリティー、清潔な部屋、美味しい食事、ロケーションと素晴らしいB&Bだった。
ただ一点、ベッドが小さかったのが難点だ。正直、良くベッドから落ちないで5泊を過ごせたと我ながら感心する。(これは他の旅行記でも指摘されていた。)
もう一つ心に引っかかるのは愛用の携帯めがねの紛失だ。パッキングをしながら、全ての持ち物をチェっクする。
最後に部屋の中も入念にチェックしたが、見つからない。謎だ。
ザ・マナーハウス,アプトン・グレイ The Manor House, Upton Grey
今日の最初の訪問地はハンプシャーのアプトン・グレイという村のザ・マナーハウスだ。
情報収集の中で美しいガーデンが見つかったが、Opening Timesは"Visitors to the Garden are welcome strictly by appointment"となっている。
しかも、5月から7月の平日のみ(Closed Weekends and Bank Holidays)となっている。今年の旅の日程とロケーションから、今日しか機会がない。
例年なら”5月最終月曜日”がバンク・ホリデーなのだが、今年はダイアモンド・ジュビリーのお祝いのため今日に振り替えとなっているのだ。
”ダメで元々”と1ヶ月前ほどに電話を入れてみた。”案じるより団子汁”と言うもの「6月4日、午前に2名ね、どうぞ」との返事だ。
名前を名乗ったら「必要ない」と拍子抜けだ。それだけに、ザ・マナーハウスに向かいながらも一抹の不安は残る。
取り付け道路の入り口には小さな"The Manor House"の看板はあるが、"Garden Open"の文字は見られない。恐る恐る進むと、
右手に荘重なカントリーハウス、左手に小さめな住宅がある。住宅の方に声を掛けると男性が出てた。「アポイントメントを取ってあるが・・・」と言うと、
「聞いているよ。こちらへどうぞ」とカントリーハウスに案内される。背の高いスリムなご主人様らしき方が出てきた。握手をしながら
「良く来た。裏で妻が案内するから裏に回ってくれ」と言う。自ら出てきて挨拶してくれるところが嬉しい。最初の男性はヘッドガーデナーらしい。
裏に案内されると奥様が出てきて小さな博物館のような部屋(写真下右)に通され説明が始まる。
このハウスは15世紀後半のものだが、アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)の重鎮だったチャールズ ・ホーム(Charles Holme)が
1902年に購入し、ハウスを修復し、1908年にガートルード ・ジーキルにガーデンのデザインを依頼し出来たものだ。
再び荒廃し、現在の所有者のジョン&ロサムンド・ウォーリンガー(John and Rosamund Wallinger)が1984年に購入したときにはジャングル状態だったという。
購入時にはガートルード ・ジーキルがデザインしたガーデンのことは知らなかったのだという。
ガーデニングの知識は少ない二人だったが、このガーデンの歴史を研究し、
Jekyll's Designを手に入れたことで、回復に着手したのだという。
妻はガートルード ・ジーキルのデザイン画を見てその綿密さに感動したようだ。植物の本質を熟知してこそのデザインといえよう。
先ずハウスに沿ったテラスのボーダーがさすがジーキルと唸らせる(写真上左)。次はハウスの東側に広がるフォーマルガーデンを巡る。
ハウスより1段下がったテラスが"Rose Lawn"だ(写真上中2枚、下4枚)。石垣と生垣に囲まれた長方形の芝生の中に写真下左のような石の造形物が2ヶ所あり、
その周りに幾何学的な植え床が刻まれバラを中心とした植栽がなされている。穏やかな色遣いと植物の背丈・姿形、葉の色・形などの多様さ、バランスが極めて良い。
ジーキルのデザインにしては曲線が少ないように感じる。
写真下右3枚もローズ・ローンの写真だ。河原ナデシコ、ペンステモン、ルピナス、シャクヤク、アイリス、フロックスなど背丈の高い草花が目立つ。
写真下右はハウスのレベルからローズ・ローンのレベルに下りる階段とオークのパーゴラ。パーゴラには蔓バラがクライミングしている。
ローズ・ローンから更に1段下のテラスが"Boling Lawn"で、更に1段下のテラスが"Tennis Lawn"と緑豊かに展開している(写真下左)。
それにつけても、ジャングル状態から30年以上掛けて、ここまで回復したロサムンドとジョンの苦労が偲ばれる。
フォーマルガーデンの北に"Orchard"と"Kitchen Garden"が展開する。フォーマルガーデンとキッチンガーデンの間にボーダーガーデンがある。 ローズ・ローンとは異なるカラースキムがなされている(写真下4枚)。写真下左は花は傘咲きルピナスそっくりなのだが、 余りに巨大さに本当にルピナスなのか自信はない。左から2枚目のポピーといいどうしてここまで大きくなるのだろう。
ハウスの西側にフォーマルガーデンと並ぶ目玉の"Wild Garden"がある。入り口は天使の像が載る門柱としゃれたデザインのロートアイアンのアーチが架かり(写真下左)、 アーチを潜ると半円形に刻まれた芝の段差が斬新なデザインだ(写真下中2枚)。ステージのようでさえある。
しかし、その先は一転、非整形式ガーデンとなる。様々な樹木・潅木の林の下の伸びたグラスを刈り込んだグラスパス(Grass Paths)が程よく蛇行する。
道がカーブし行く先が見えなくなるから、その先に何があるのかと期待感が湧いてくるのだ。
奥に小さな池が掘られ睡蓮や菖蒲など水生植物がコントロールされて植栽されている。植栽の多彩さには目を瞠る。
写真上右のニワトリの色の多彩さも花の色に負けていない。動きも面白く愉快な気分になる。生きたオブジェだ。
ダイアモンド・ジュビリー Diamond Jubilee
ワイルド・ガーデンの南は"St Mary's Church"と接している。ロサムンドが教会で何かのイベントがあるから寄ってみると良いと言っていた。
ハウス横の木戸から教会に通ずる小路が通っている。ウォーリンガー家専用通路だ。教会の玄関は花で飾られ、タワーにはダイアモンド・ジュビリーを
祝賀する垂れ幕が下がっている(写真上下右)。"Upton Grey Celebrate HM Queen ElizabethU Diamond Jubilee"と記されている。
恐るおそる入ってみると、マダム3人が和やかに出迎えてくれた。「どこから来たの? マナーハウスのガーデンは見てきた?」と質問攻めだ。
教会内は至るところに生花のアレンジメントが飾られている。「入場料は?」と聞くと「どうぞ先にご覧ください。そして、このポストカードを購入していただくと
チャリティーになります」とのことだ。全部で20個くらいだろうか、素晴らしい作品が厳粛な雰囲気の中、見事にディスプレイされている。
素材の一つひとつがため息が出るほど素晴らしい。そして、その組み合わせはガーデニングの参考にもなりそうだ。
とても良いものを見て満足だ。ポストカードを4枚購入し、わずかだがドネーションをしてサヨナラする。
ハウスに戻りロサムンドに礼を言うと「週末は雨が降ったので手入れをしてなかったの」とのことだ。やはり、この4連休はオープンではなかったのだろう。
特別に入れていただけたようだ。道理で貸しきり状態だった訳だ。
そんなところに車が1台到着した。お孫さんを連れたご子息かお嬢さんの家族のようだ。これから家族水入らずのランチが始まるのだろう。
”ジキルのデザインのガーデンで最も正確に修復されたガーデン”と評価されるガーデンをこうして見せていただいた幸運に感謝し辞する。
ヒントン・アンプナー Hinton Ampner House
次はナショナル・トラストのプロパティーのヒントン・アンプナーに来た。
お館は18世紀から幾度も改修を重ねられたが、1960年の火災で大きな損傷を受けラルフ ・ダットン男爵(Baron Ralph Dutton)により改築されたものだ。
白いエントランスや窓枠が美しく招くが(写真下左)、ここは幽霊が出ることで有名なのだ。君子は危うきに近寄らずとか、ガーデンに回ろう。
第8代(最後の)シェルボーン男爵だったラルフ ・ダットン卿は1930年代に父からエステートを受け継ぐと家を改築し、”20世紀デザインの傑作”
と賞賛されるガーデンを造ったのだ。20世紀デザインということはガートルード ・ジーキル等が確立したアウトドア・ルーム方式ということだ。
しかし、ここのアウトドア・ルームはスケールが大きい。一つひとつのルームが大きく、その接続も緩やかなものになっている。さすがに男爵様のデザインだ。
ハウスの東面に回り込むと"Lily Pond and Lawn"が端整な佇まいだ(写真上左から2枚目)。今日の気温では噴水が肌寒さを助長する。
その並びに"Yew Garden"がある(写真上右から2枚目)。整然と刈り込まれたイチイの生垣に囲まれている。半球の刈り込みも素晴らしい。
残念ながら植栽はチューリップと勿忘草からダリアへの端境期だが、ベッドの縁取りはフウチソウの種類だろう。鮮やかな色だ。
ハウスの南面がメインのガーデンだ。4段のテラスに整形式(フォーマル)ガーデンが配置されている。ハウスの壁に沿ってボーダーが連なるのが1段目のテラスだ。
2段目はエリゲロンが見事に張り巡った階段(写真右)を下りた広大な芝のテラスだ(Main Lawn)。1段目との段差の斜面に100mを超える潅木と宿根草のボーダー・ガーデンがある。
更にエリゲロンの階段(写真下左)を下りたテラスが"Long Walk"と名付けられたガーデンだ(写真上4枚、下2段8枚)。
ロング・ウォークの名の通り170mを越える長さだ、ここがこのガーデンの目玉となろう。
階段を下りた左右はキノコ型(私には宇宙人のように見える)のトピアリーが特徴的なガーデンがある。(ここの植栽も植え替え期のようだ。)
その先には整然と並ぶイチイの並木の両脇に重厚な植え込みのボーダーが続く。一場面一場面が驚きとため息の連続となる(写真上左から2枚目)。
上右から2枚目はジャーマンアイリスとバラ、下左はセイヨウオダマキとバラ、2枚目がジギタリスとバラ、シャクヤクとバラといった具合だ。
そして、ロング・ウォークの西の外れにはサンダイアルが(写真上右)、東の終わりには女猟師ダイアナの像がある(下右)。フォーカルポイントにも長大息。
サンダイアルで折り返し、イチイ並木の南側のボーダーを歩く。写真下左は白いジギタリスと黄色のセイヨウオダマキの組み合わせがなんとも爽やかだ。
2枚目は”今日の見頃の花”の表示があり、人が群がっていたシャクヤク。香りも良くまさに満開だ。
3枚目はキャットミントとジギタリス、バラだ。馥郁たる香りが立ちこめる。背景のハウスとも見事にマッチする。
そして、右はゲラニウムの葉だが花の形が少し違う珍しい植物とバラの組み合わせだ。
花にばかり注目が行くが、ラルフ ・ダットン卿が"My interest lies more in shrubs than in flowers"と言っているように潅木が効果的に多用されている。
潅木が草花を支え、潅木の葉色や形が草花を引き立てる。真似したくても難しい芸当だ。
宇宙人のトピアリーの東側のボーダーに"TheTemple"が建っている。小さなものだが、なかなかにロマンチックな風情がする。
カップルがお喋りしていて正面からの撮影が出来ないのが残念だ(写真下左)。
メインガーデンから離れ、林の中を北に進む。ここでも大きな樹木の下に潅木と草花が組み合わされている(写真上右)。
その先に教会が現れる(写真右)。ラルフ ・ダットン卿始めご先祖の墓があるが、ナショナル・トラストの所有ではない。
"Walled Garden"の隣にユニークな形のトピアリーの生垣に囲まれたロッジがある(写真下左から2枚目)。こんなロッジに住んでいたら心弾む毎日だろう。
ウォールド・ガーデンは16世紀にはホップ園だったという。一部にボーダーはあるが(写真下右2枚)、主に果樹と野菜のキッチンガーデンとして、
2006年から一般公開されている比較的新しいものだ。
20世紀初期のガートルード ・ジーキルのザ・マナーハウスと中期のラルフ ・ダットン卿のヒントン・アンプナーという20世紀を代表するガーデナーの
素晴らしいガーデンの2連発にいささかノックアウト気味だ。安全運転で次に向かおう。
ホートン ・ロッジ Houghton Lodge
初めて訪れるホートン ・ロッジだ。優先順位は◎、期待感は高まる。
エントランスから続くのが温室(Greenhouse)だ。その白い壁が見事な色彩で飾り立てられている(写真下左2枚)。色鮮やかなペチュニアのハンギングだ。
しかし、良く見るとバスケットがない。横に張った太い管のようなものに植えつけてあるのだ。どうやら水耕栽培(Hydroponics)のようだ。
土の替わりにパーライトとバーミキュライトを使用した栽培法だ。
ブドウも水耕栽培されている(写真下左)。他にも花や野菜が栽培されている。水耕栽培は土による栽培より水が少なくて住むと表示している。
水資源の少ないイギリスらしい発想だ。
温室は"Walled Kitchen Garden"の一角にある。95m×65mの壁は"Chalk Cob"という石灰石の粉に藁を混ぜて練り上げたものなので白い壁だ。
この白にバラや果樹の緑が映える。
通路で仕切られたベッドに野菜や果樹が植えられている。通路にはバラのアーチが架けられ足元はシャクヤクなどで縁取られている(Peony Walk 写真下中
拡大すると満開時の写真も)。
壁際には"Herbaceous Border"もある(写真右)。古い井戸もフォーカルポイントだ(写真下左から2枚目)。
写真上右のゲートから外に出る。壁の外も東向きだけに素晴らしい"Herbaceous Border"が連なっている(写真下右2枚)。
屋敷の南から東側をテスト川(River Test)が緩やかに蛇行し、分岐して流れている。テスト川はニジマスの釣り場として世界に知られているそうだ。 そのテスト川までの湿性草地は"Water Meadows"と呼ばれる。その草地にアルパカ(Alpacas)が放たれていた(写真下左)。 名前はTom, Dick and Harryということだが、どれがどれやら分からない。昨日のグルームブリッジ・プレイス・ガーデンにもいたが、最近はアルパカを飼うことが流行りなのだろう。
次に現れたのが"The Peacock Garden"だ。イチイの生垣の中央にクジャクの像があり、周囲は柘植で幾何学模様のヘッジが刻まれているトピアリー・ガーデンだ(写真上左から2枚目)。
2004年から真菌の感染で立ち枯れし始めたため、土壌も焼いて殺菌し、病気に強い種類に植え直したものだという。
イチイの生垣のトピアリーもクジャクらしいのだ(写真下左から2枚目)。中の2羽はこちら向き、外の2羽は外側を向いているクジャクらしい。
写真下左の角度から見ると、クジャクに見えなくもないといったところだ。
瀟洒でロマンチックなハウスが現れた(写真上右から2枚目)。設計者などは不詳なのだが、18世紀の"Cottage Ornes"あるいは"Rural Retreats"と呼ばれる”
田舎の隠れ家”だという。テスト川を見渡す丘の上(写真上右)に建つ"Fishing Lodge"だったのだという。”釣り小屋”と訳して良いのだろうか?
茅葺の屋根(Thatched roofs)と高い煙突(Tall Chimneys)が、白い壁にフランス窓が何と優雅なことか。(チムニーとタワーベルのアップ写真はハウスの拡大写真からどうぞ)
この時代イギリスでは”人工的幾何学的整形式庭園”が批判され、あるがままの自然(ピクチャレスク)な”ランドスケープ・ガーデン(英国式風景庭園)”が生まれる。
そんな流れを汲んだのがこのハウスなのだ。
この芝の広場で日本人カップルに出会う。ここで出会うはよほどのマニアックと踏んだが、案の定、イギリス・カントリーサイドの旅を重ねているのだという。
さりげなく(あからさまに?)”花と英国”の名刺を渡してお別れする。
モティスフォント・アビー Mottisfont Abbey
モティスフォント・アビーは3回目の訪問だ。
"Visitor Reception"でメンバーズカードを提示し真っ直ぐ進むと橋がある。ホートン ・ロッジを流れていたテスト川だ。こちらが少し下流となる。
とうとうたる流れに畏怖の念を抱く。Mottisfontの名前の由来となっている泉(font)も湧き出ているのだ。
川の西側に広がる広大な美しい芝の広場の樹齢300年のスズカケの木(The Mottisfont Plane)も健在だ。
何か懐かしい故郷に帰ってきたような心持にさせてくれる優しい光景が広がる(写真下左2枚目)。
モティスフォント・アビーは1201年に建てられた聖アウグスチヌスの小修道院(Augustinian priory)に始まり、ヘンリー8世の修道院解散の後、民間の手に渡り、
その後多くの所有者の変遷と盛衰を経て、18世紀にバーカー ・ミル 家(Barker Mill family)により現在の外観となったものだ。
1934年からモード&ギルバート・ラッセル(Maud and Gilbert Russell)の所有となり、1957年モード・ラッセルからナショナル・トラストに寄付されたのだ。
何はさて置き向かったのはウォールド・ガーデン(Walled Garden)だ。小修道院のキッチン・ガーデン(Kitchen Garden)を1972年にグラハム・トーマスのデザインにより、 300種以上のバラを植栽したローズ・ガーデンなのだ。もちろんバラだけでなく、潅木、宿根草や一年草の花たちと組み合わせ自然な雰囲気に植栽している。
ウォールド・ガーデンの前庭のトイレとキオスクのあるエリアに入っただけで衝撃の光景に出合う。むせ返るような芳香も襲撃する。
写真上左は入って直ぐ右側の壁、2枚目が左側の壁だ。見事に対照をなす植栽だ。
その色彩と芳香に酔ったのかゲストは皆、ハイテンションになっている。カメラを構えて右往左往、交わす言葉も上擦り勝ちだ。
かくいう私達も例外ではないのだ。3枚目のトイレの近くに咲くバラを見て「どうしてこんなに花付きが良いの?」、
「トイレの横だから?」などと馬鹿な会話を交わす始末だ。
ウォールド・ガーデンの外の壁際にはその名もグラハム・トーマスのバラもスタンダードに仕立てられ、美しい花を見せている(写真上右、右、下左)。
ここはまだローズ・ガーデンの外なのだ。写真下左3枚も外壁をクライミングするバラたちだ。
ようやくウォールド・ガーデンに入る(写真上右から)。ウォールド・ガーデンは65m四方の四角形の部分とその先の三角形の部分の2つからなっている。
四角形の部分は通路で4つに分かれている。中央部には噴水がある。いつの間にか陽も射し始め暑いくらいだ。
興奮に疲れたゲストがベンチを争うかのようにぐったり座っている(写真右)。
壁にはクライミングのバラが伝う。その枝の誘引具合が自然で無理がない。大いに真似たい。足元は柘植のヘッジで仕切られ、ブッシュのバラや
スタンダード仕立てのバラ、そして、宿根草や1年草、ハーブなどが植栽されている。カンパニュラ(写真上右)、セイヨウオダマキ(写真下右)などが見られる。
色、質感、形が計算されつくし、調和が取れている。
今年の旅は反時計回りが決まりだ。バラに埋もれ、人の波に揉まれて夢遊病者のように彷徨う。
噴水を中心に南北の通りが主軸で入り口から奥の三角形のガーデンに通ずる通路だ。
これに交差する東西の通りはバラが絡むスケールの大きなパーゴラの下を進む通路だ(写真右)。その両端に名物の白いベンチが置いてある。
東端のベンチの後ろの壁のバラはまだ十分な開花ではなかったが。西端の壁のバラが今、正に満開だ。
コンスタンス・スプライ(Constance Spry)という名のバラだ。
ベンチ周辺は写真を撮りたそうな人がうろついている。こちらでは、そんなことはお構い無しにのんびりお喋りをしている人が多いから混雑を極める。
しばらくやり過ごしていると、運良くベンチが空いた。すかさず記念撮影だ(写真上左)。
今日訪ねたザ・マナーハウスもホートン ・ロッジも多くのサイトで”パラダイス”と謳われているが、
そのフレーズは敢えてモティスフォント・アビーのために残しておいた。正にここがパラダイスだ。用意の日本茶など飲んで人心地付く。
中央部は背の高い樹木やトピアリー、丸太を半割りにしたもので組んだラティスなどで高さを出し、足元に潅木、宿根草やハーブなどを植栽した
ベッドが通路に沿って刻まれている(写真下左)。
バラ以外ではクレマチス、ペンステモン、ラムズイヤー、キャットミント、ラベンダー、ジギタリス(写真上右)、ジャーマンアイリス(写真下右)などが見られる。
ウォールド・ガーデンの一番北側、三角形の部分に入る。中央の大きなサークルを八面のアーチで囲ったスペース(写真右)から放射線状に通路が走る。
植栽は基本的に同じだが、よりダイナミックな印象だ(写真上左3枚)。
三角形の2つの角を利用して東屋になっている(写真下左)。お約束のサンダイアルも賑々しく立っている。
バラのオベリスクやラティスも丸太で素朴な雰囲気に作られている。気取らないところがイングリッシュだ。
さて、最後に前2回は見逃した"The Mottisfont Angel"に会っていこう。探し当てた場所はパルテア(Parterre 装飾花壇)の脇の建物と建物の隙間だ。
エンゼルは静かに祈りを捧げていた(写真下右)。作者はロシアのアーティストBoris Anrep、モデルはモティスフォント・アビーの最後の所有者モード・ラッセル。
二人は恋人同士だという。それって不倫では・・・? それはさて置き、エンゼルならぬ妖精が飛び交っていそうなスズカケの木の川縁を歩きパーキングへ戻る。
ポストコードと地図 Postcode & Map
今年も旅のテーマの一つにしているナショナル・ガーデン・スキーム(NGS)のウォルドロンズを目指す。
ナビ子ちゃんにはポストコードを入力してあるのだが、このポストコードというのは日本の郵便番号と同じで地域を示している。
その地域の範囲が郵便番号よりかなり狭いからポストコードでかなり絞れるし、大きな施設なら地図に表示されるから直ぐに分かる。
しかし、田舎に行くとその範囲が広くなるのかもしれないし、一般の家ではこの辺りという目安にしかならないのだ。
ニューフォレスト国立公園の森の中でナビ子ちゃんが「目的地周辺に着きました」と言った辺りには2、3の家はあるがNGSの黄色の案内は見当たらない。
NGSのホームページの"click here for a map"をクリックしても表示される地図はそのガーデンの実際の位置を示すのではなく、
"Streetmap"のポストコードの位置が表示されるだけなのだ。事前に"Google Map"の航空写真でチェックするとポストコードで示された地点は
"Streetmap"と同じ位置で、そこにはプールのある家が存在する。てっきりこれだと思い込んでしまったのだ。
オープン時間の17時が迫っている。焦りながらも見当をつけて住所の"Brook"村の中心辺りに向かうと黄色の案内板が見つかった。
直線距離にすれば500mくらいしか離れていないが、人気もない森の中であるし、民家も入り口から家までは取り付け道路が長くて、
道を尋ねるのも憚られる状況の中で直ぐに見つかったのはラッキーだった。
私(たち日本人?)は目的地を確認するのに具体的な地図を思い浮かべる。しかし、イギリス人は目的地までの経路を文字で表そうとする。
ホームページなどの"How to get here"や"Directions"などもほとんどが文字で説明している。ウォルドロンズのNGSのホームページでも
"4m N of Lyndhurst. On B3079 1m W from J1 M27. 1st house L past Green Dragon PH & directly opp Bell PH "と説明している。
「"Lyndhurst"の北4マイル」では大まかな位置が示される。「M27のジャンクション1から西へ1マイル、B3079上」で"Brook"村に行き着く。
次の「"Green Dragon"パブリックハウスを過ぎて最初の左の家、"Bell"パグリックハウスの真向かい」で具体的な位置が分かる。
帰国後"Google Map"のストリートビューで試したら、そのまんま・ぴったんこカンカンだった。今後は私もイギリス流も取り入れることにしよう。
ウォルドロンズ Waldrons
そんな訳でウォルドロンズに着いたのは
16時50分になっていた。小さな木戸から覗くとご主人らしき方が玄関前の小さな机に座ってにこやかに迎えてくれた。
「道に迷って遅くなったが、大丈夫でしょうか?」と訊ねると「ノープロブレム ユー・アー・ウエルカム 奥の庭に妻がいるよ」とのことだ。
受付はご主人、説明役は奥さんという訳だ。
この辺りはニューフォレスト国立公園(New Forest National Park)の一角にある。厚く高い生垣で囲われ大きな木も沢山ある。
18世紀のニューフォレスト小屋(New Forest cottage 写真下左)の周りの芝生の広場に島のような花壇(The mixed island beds)が
幾つも刻まれているスタイルのガーデンだ。花壇ごとに植栽を変えて異なる雰囲気を作っている。
奥さんらしき方はは別のゲストと話している。会釈して見せてもらう。
このガーデンはメージャー(Major)氏と奥さんの手で1984年以降、設計・開発され、1994年に始めてNGSに登録されオープンしたのだという。
設計から10年という時間に重みがある。栄誉あるNGSの登録にはその位の時間が掛かるものなのだ。陽だまりはまだ6年目、急ぐことはない。
そして、設計から28年のガーデンがここにある。決して奇をてらわない真面目なガーデンだ。
植栽計画などは毎年ご夫妻で論じられ決まるのだろう。構築物も新旧手造りされていることが見受けられる。積み重ねだ。
ガーデン・ファーニチャーやオーナメントも素朴だが、思わず微笑みたくなるようなものばかりだ。
着いた時には数組いたゲストも残り一人だけだ。ひょっとしたら、お手伝いのボランティアかもしれない。
NGSの基準に”ゲストを45分間飽きさせない”とあったが、時間外に長々お邪魔するのも失礼だろう。名残尽きないがお暇する。
ファージー・ガーデン Furzey Gardens
ニューフォレスト国立公園の中心(Heat of New Forest)にとてもロマンチックなガーデンを見つけた。
ファージー・ガーデンという。また、学習障害(Learning Difficulties)の若者の
園芸教育センター(Horticultural Training Centre)という他所では見られない慈善団体であることにも関心を抱く。
そしてもう一つ特筆すべきことは今年のチェルシー・フラワーショー(RHS Chelsea Flower Show)でゴールドメダルを受賞したことだ。
複数のサイトにオープン時間が"10-dusk"と記載されていた。夕暮れまでとはありがたやと17時25分に到着した。パーキングに車の数が少ない。
いやな予感がする。エントランスに行くと女性が二人後片付けをしている。「オープンは17時までよ」とのことだ。(帰国してホームページを調べると"10-17"となっている)
期待が大きかっただけにガッカリした顔が出たのだろう。「少しだけなら見てもいいわよ」と言ってくれる。ここは入場料ではなく"Donation"するシステムと知っていたので
それなりの寄付をすると、ガーデンマップをくれて「1時間くらいなら出口を開けておくは。でも、ウッドランドの奥の方に行っちゃあダメよ」と柔軟になった。ありがたや。
写真上左がエントランスで"Main Gallery & Refreshment"でもある。ダイアモンドジュビリーの飾り付けが茅葺のハウスには相応しくない。
隣の茅葺屋根のコテージ(Forest Cobb Cottage)は16世紀のものだという(写真上左から2枚目)。コテージの前にはキッチンガーデンがある(写真上右から2枚目)。
案山子もおもちゃの兵隊さん風で楽しい(写真下左2枚)。ガーデンの真ん中にサンダイアルが鎮座していた。
その隣が"Thaching Project & Childrens' Straw House"と表示されたエリアだ。子供の遊び場として小さなストロウ・ハウスがあり、
茅葺の道具や材料が展示され、工事の工程が分かるように展示されている。茅葺屋根の付いたベンチなど子供が喜びそうだ(写真上右、下右2枚)。
池がある方に向かう。ここは湿地帯のようだ。湿地の好きなサクラソウが群生している(写真上左)。かなり大きい池が見えてきた。 周囲の樹木の植栽が素晴らしい(写真上左から2枚目)。林の中に可愛い"Thached Shelter"が立っている(写真下左)。 池には素朴な太鼓橋が架かり、睡蓮や黄菖蒲が咲いている(写真下左から2枚目)。良い雰囲気だ。太鼓橋のたもとの木陰に"Elf Bower"がある(写真上右から2枚目、下中)。 ”妖精の東屋”という訳だ。ここで一つ目の"Fairy Door"(後述)も発見する。いよいよ妖精が現れそうな雰囲気になってきた。 林の下の豊かな植栽の小道を行くと石楠花に埋もれそうな木橋の向こうに面白いものが見える。
それが"Typhoon Tower"だ(写真上5枚)。第二次大戦中に墜落したイギリスの戦闘機"The Hawker Typhoon"が見えた場所なのでTyphoon Towerなのだという。
古びた木材と茅葺の屋根はノスタルジアを覚える。狭い入り口(写真上中)を入ると中には細い階段があり2階に登ることができる。
妻は早速登って歓声を上げている。小柄な妻だから出来ることだが、”何とかと煙は高いところが好き”とは良く言ったものだ。
小さな子供達には冒険心をそそられ堪らない場所だろう。夢も希望も膨らむ。
それにつけても、フェンスの材木の天然の曲がり具合の美しさに、思わず撫でてみる。暖かな手触りだ。
先に進むと、天然木で組まれた素朴なアーチにつる性植物が絡むトンネルがある(写真下左2枚)。ここでは"Fairy Door"を幾つも見つけた。
"Christian Retreat House"といわれる大きな茅葺のハウスが見えてきたが非公開だ(写真下右から2枚目)。ハウスの周りはジギタリスが沢山咲いている。
その先の美しい石楠花の間に、また面白い建物が見えてきた。
"Tree Houses"だ(写真下左から2枚目)。ここは"Childrens' Play Area"で、小さな三角屋根の丸いハウスや地面を這って通るトンネルなどがある。
子供にとっては天国だろう。妖精も子供たちと一緒に飛び交っていることだろう。しかし、今は誰もいないのでツリーハウスに登ってみる。
下から見ればわずかの高さに見えるが、登ってみると見晴らしが良い(写真下左)。(やっぱり私も”高いところが好き”な口だ)
Christian Retreat Houseの反対側を通って戻ることにする。ザ・マナーハウスで見かけた巨大傘咲きルピナスがここにもある。こちらは藤色で更に鮮やかだ(写真下右から2枚目)。
茅葺の巨大ガゼボがある(写真下右)。ここではガゼボの中の大きな一枚板でできたテーブル"Giant Table"が自慢らしい。
最初に「ロマンチックなガーデンを見つけた」と書いた。それは"Fairy Doors"という妖精の家がガーデン各所に30以上あるというのだ。
妖精の東屋で妻が一つ目を見つけた(写真上左)。木の幹に組み込まれたドアーは極めて素朴で目立たない。回りが汚れているのは子供たちが妖精に捧げた花や手紙だ。
この後がなかなか見つからない。台風タワーの周りには絶対ありそうだと探し回ったが、見つからなかった。
素朴なアーチのトンネルで妻が2つ目を見つける。私が写真を撮っている間に、妻は次々と見つけていく。ここでは4つ見つかった(写真下左4枚)。
どのドアーも高さ20cmくらいの小さなドアーだ。私が屈みこんで写真を撮っている間に沢山見つけて鼻高々の妻が憎たらしい。
Childrens' Play Areaにもあるに違いないと探したが、見つからなかった。Giant Tableの近くの潅木の下でまた妻が見つけた。
丸太をくりぬいた家だ。窓もあってモダンな家になっている。ドアーが開いていて妖精が見える。(これは小さなキューピー人形に違いないが、
余り細かく詮索しないが互いの幸せというものだ) 郵便受け? には子供たちの手紙や花束が置いてある(写真上中2枚)。
この家を作ったのは屋根葺き職人のサイモン(Sinkinson)だという。子供たちだけでなく大人にもとても夢と希望をもらえるアイディアだ。
写真上右の一輪車に乗った茅葺屋根の小屋にはクジャクと思われる鳥のオブジェが幾つも入っている。ユーモラスだ。
丁度1時間が経った。出口に行くと先ほどの女性が出てきた。待っていてくれたのだ。礼を言い「Fairy Doorsを6つしか見つけられなかった」と言うと、
「明日も来たら良いわ」とにっこりする。「明後日に来るよ」と応える。(この時は本気だったのだが、大雨でフェアリー探しには不向きだったのだ)
ラ・フォセ La Fosse at Cranborne
今宵から4泊はRestaurant with Roomsのラ・フォセだ。
宿泊はB&Bを主体とする私達が宿泊施設付きレストランを選んだのには訳がある。
2002年、2度目の個人旅行のことだ。”宿も決めずに自由気ままな旅”というフレーズに憧れてチャレンジした。結果は散々な目にあった。
時間をとられるばかりでストレスは溜まるばかりだった。それが丁度この地区だった。自由気ままとはいえ、候補の宿は調べておいた。
第1候補が見つからず、第2候補の宿泊施設付きレストランは好印象なのに満室だった。これを思い出し、第1候補のB&Bを思い当たる地区で
検索したがそれらしいB&Bは見当たらなかった。10年前のことだから、閉鎖されたのかもしれない。それでは第二候補の宿泊施設付きレストランで
検索すると、2002年のレストランとは違うが気に入ったものが見つかった。それがラ・フォセだ。部屋数6というのも丁度良さそうだ。
寂しくなく、騒々しくないだろう。宿探しには気を配りたい。それが旅のクオリティーを大きく左右するからだ。
ラ・フォセに着いたのは18時50分、荷を解き、ベッドに横になり一休みする。身だしなみを整えレストランに行く。
ヨークから来たというカップルが暖炉の前のソファーで寛いでいた。ご主人はドイツ人、奥さんはイギリス人だという。
ドイツ人らしい生真面目なご主人だ。言葉は分からなくとも、雰囲気で分かるものだ。きっとこちらも生真面目な日本人と写っているのだろう。
ここがお気に入りで何度もリピートしているのだと言う。我が選択に誤りなしと自信を持ち、期待が膨らむ。
オーダーは前菜が ・ Laverstock buffalo mozzarella on a warm Romsey tomato salad と ・ Sopley Farm asparagus with poached duck egg
メインが ・ Dorset Down mushrooms stuffed with green leaves と ・ Grilled sole fillets with green leaves and marsh samohire だ。
味は極めて満足いく。宿泊客2組と外来客2組をシェフのマーク(Mark)一人でサービスするのは忙しすぎる感じだ。
食後はアイスキューブをいただいて、部屋でナイトキャップを楽しむ。満ち足りた時間だ。
写真満載の旅行記をご覧ください
行程表 戻る |
5月30日 旅行記 |
5月31日 旅行記 |
6月1日 旅行記 |
6月2日 旅行記 |
6月3日 旅行記 |
6月5日 旅行記 |
6月6日 旅行記 |
6月7日 旅行記 |
6月8日 旅行記 |
6月9日 旅行記 |
6月10日 旅行記 |
6月11日 旅行記 |