2012年の旅 サウス・イースト サウス・ウエスト

花花

第10日 6月  8日(金) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程       La Fosse --- Shaftesbury --- The Bishop's Palace and Gardens --- Wells Cathedral --- East Lambrook ---
                         Hestercombe Gardens --- Burrow Farm Gardens --- Killerton garden --- Eastwrey Barton
今日の走行距離     274km
今日の万歩計      24,000歩
出発時点の気温     13.5℃

ラ・フォセ   La Fosse at Cranborne

La Fosse

ラ・フォセの最後の朝を迎えた。今朝もフルイングリッシュをいただく。 ここの3回のディナーはとても美味しかった。それを持ってしても、 サマセット・モーム(Somerset Maugham)の「イギリスで美味しい食事を取るならば3食朝食を食べるべき」との皮肉は、けだし名言であろう。 フルイングリッシュはどれだけ続けても飽きないし美味しい。
この4日間、奥の調理場から子供の声は聞こえていたが、姿は現さなかった。チェックアウトをしていると寝起きのパジャマのまま可愛い姿を見せた。 アメリー(Amelie)といい2歳だという。孫娘と同じだ。人見知りが激しいようだ。
二人に見送られ出発、ダートムーアを目指す。その間に幾つかのガーデンに立ち寄る計画だ。しかし、今日も天気には恵まれそうもない。 西の空は真っ黒だ。最初の訪問地はシャフツベリーのゴールド・ヒル。3度目にしてようやくその光景を拝めた。 取り立てて騒ぐほどの光景ではないのだが、10年間想い描いた光景なのだ。(写真は5日に掲載)

ビショップス・パレス・ガーデン   The Bishop's Palace and Gardens

ウェルズ大聖堂(Wells Cathedral)は2004年の旅の最終日に車窓から眺めた。立派な教会に「いつか必ず」と誓ったものだ。 あの日は道に迷ったり、探した店が見つからなかったり、カメラをスーパーのトイレに置き忘れたりのアクシデントが多かった。 ピクシーの仕業ではないかと思っている。今日は気をつけよう。

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

大聖堂の隣にビショップス・パレス・ガーデンがある。 サウス・ストリートのカーパークに車を止め、通りを行くとマーケット・プレイスに出る。ここで目に付いたのが白鳥のオーナメントだ。 1.5mくらいの大きさで同じ形だが、デザインが違うものがあちこちにある。 "Swans of Wells 2012"という女王のダイアモンド・ジュービリーを祝うイベントで、 60周年に因み60個のオーナメントが異なるアーティストによりデザインされたものだ。この6月から9月までウェルズの街を始めサマーセットの各所に展示された。 そして9月の末にはオークションに掛けられその収益はチャリティーとして寄付されるのだという。
(ホームページによれば11万ポンドの入札額になったという。約1500万円、1個平均25万円、妥当なところだ。 因みに、アーティストには入札額の25%が渡るのだという。26th NOV 2012)

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

Bishop's Palace

マーケット・プレイスの""The Bishop's Eye"というゲートを入り"Palace Green"を進むと濠の向こう側に立派な"Gatehouse"が構えている(写真右)。
跳ね橋を渡りゲートを潜ると"The Croquet Lawn"だ(写真下左)。正面に見えるランセット窓が"The Chapel"だ。 ここまでは入場無料だが、鎖の向こうに進むにはチケットが必要だ。
13世紀当初に大聖堂が築かれる前からここにはガーデンがあったという。大聖堂の主教の宮殿の庭としては歴代の主教の手により変化・発展してきたものだ。 19世紀中頃の一主教が16世紀に建てられた"Great Hall"の廃墟の南の壁を取り除き、残った部分を装飾的カーテンに見做したのだ。 緑の芝生(South Lawn)と中世の透かし彫り飾りの窓が見事に調和している(写真下中2枚)。

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

サウスローンに寂寥として立つ像に身震いする(写真下左)。気温が低く雨が降っている所為ではない。 ”巡礼者(Pilgrim)”と名付けられた像は廃墟の庭に余りにマッチして物悲しい。
宮殿の北側に回るとフォーマルガーデンがある。中央に大きなコンテナがある(写真上右)。陽だまりのメインコンテナに良く似た形だ。 これを中心に十字の通路で4つのボックス・ヘッジに仕切られている。

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

各ボックス・ヘッジの植栽は樹木、潅木、宿根を取り込んだスケールの大きなものだ(写真下左)。壁の植栽も極めて重厚だ(写真下中2枚)。 その一角の像は”アダムとイブ(Adam and Eve)”と題されている(写真上右)。エデンの園から追放される二人を表しているという。木製で1946年作だ。
北側の濠を渡る木橋が架かっている。大きな柳の枝垂れる枝で覆われている(写真下右)。渡った先の芝生の中に十字架を支える(縋りついているようにも見える) 子供を表した彫刻がある。”我々の罪の重み(The Weight of our Sins)”と題されている。地球上の子供たちに対する虐待を告発するものらしい。 各々の子供が大量虐殺、エイズ、麻薬、地雷、ホームレスなどの虐待の象徴なのだ。心痛む。

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

Bishop's Palace

木橋の上から堀を悠々と泳ぐ白鳥が見える(写真下左)。コブハクチョウ(Mute Swan)らしいが、この白鳥についての面白いエピソードがある。 1870年代の主教の娘が、この堀の白鳥にゲートハウスの窓から吊るしたベルを鳴らすと餌をもらえるよう訓練したらしい。 それが伝統となり150年間続いているのだという。
管理人が在室中は紐の付いたベルを窓の外に吊るしておき、白鳥が餌を求めてベルを鳴らすと窓から餌を与える。という誠にのどかな伝統なのだ。 (不在の時には白鳥を失望させないようベルは外しておくのだ)
ところが、前の白鳥が死んでしまい、この6月から新しい番いの2羽が訓練中なのだが、それがなかなか難しいらしい。2羽は飲み込みが遅いだけでなく、 カモなどこの濠に居ついた水鳥の妨害を受けているらしい。
張り紙の"Swans in Bell Trainning"が面白い。(詳しくはこのサイトを 写真右もこのサイトから)
宮殿の北、隣接する大聖堂の東に"The Well Pool"がある。ウェルズの街(City of Wells)の名前の由来となった泉で1秒間に100リットルの水を湧出するという。 水は濠を満たし、シェッピー川(River Sheppey)に流れ込んでいるのだ。この神聖な泉の近くに8世紀からサクソン人の修道院があったのだという。 その水に映る大聖堂が美しい(写真下中2枚)。
"The Well House"という小さな建物がある(写真下右)。1451年にマーケット・プレイスに建てられた市民のために水を供給する井戸小屋を ここに移したものだという。屋根の上の像は時の主教の愛犬(Talbot Dog)だ。

Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace Bishop's Palace

ウェルズ大聖堂   Wells Cathedral

マーケット・プレイスに戻り、今度は"Penniless Porch"というゲートを潜って、 ウェルズ大聖堂の西正面(West Front)に立つ(写真下左から2枚目)。
美しい。”大聖堂の女王”とも呼ばれるのもむべなるかなだ。1175年から1490年に掛けて建築されたゴシック様式の建物だ。 ”イギリスで最も詞的な大聖堂(The most poetic of the English Cathedrals)”とも謳われるという。
西正面は幅46m、高さ30mと大きくはない。黄色い石の壁面は折からの強風で殴り付ける雨に洗われ深みを増している。 その壁面には当初は500以上ものニッチがあり彫像が立っていたという。そして、現在でも300のオリジナルの彫像が残っているのだ。 気品に満ちた壮麗な佇まいだ。
"Admission Free"だが、大聖堂のメンテナンスには1日ポンド4000が必要だという。シニアの"Donations"の目安は£4ということだ。 回廊(写真下左)を進むと大聖堂の入り口に”写真撮影の許可証”の自販機がある。£3だ。
身廊に入る。彫刻された石の柱が林立する。2、3階のランセット窓の隊列、、天井の精密な装飾が荘厳だ(写真下右)。

Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral

身廊と翼廊がクロスする部分に有名な"Scissor Arches"がある(写真下左2枚)。はさみ型アーチは"Inverted Arch"とも呼ばれる。 これは1313年からクロス部分にメイン・タワーが増築されたが、基礎が不十分なため、その重量で倒壊の恐れが出てきた。 そこで補強のために1338年から10年掛けてこの独特なアーチが3ヶ所(クロスの西、北、南)加えられたのだ。 初めからのデザインではなく、必要に迫られての仕事がこの美しい造形を生み出したのだ。

Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral

西のはさみ型アーチに十字架に掛けられたキリストの像がある(写真下左)。これに関する写真はあまた見られるが、このことに関する記述は一切見当たらない。 何か意味するところがあるのだろうか?

Wells Cathedral

北翼廊の壁にこれも有名な時計(Wells Clock)がある(写真上右2枚)。1390年に製作されたもので現在動いている機械製の時計としては世界で3番目、 イギリスでは2番目に古いものだという。ただし、現在ここにあるものは1838年にレプリカに置き換えられ、本物はロンドンの"Science Museum"で動いている。
文字盤の中央に地球があり、周りを太陽と月が回る構造は天動説の時代のものであることが分かる。24時間表示で一番外側の太陽が時間を示す(真上が昼の12時)。 写真上右から2番目では太陽を表すマークが真上にあるので昼の12時ということだ。。次の円で星が分を示しており、写真では4分の位置にあるのが分かる。 私の時計とほぼピタリだ。一番内側の円で月が回って月齢を1から30で示す。写真では白い月が15を指しており満月となる。 この月は満ち欠けをし、新月には白い部分が黒くなるのだという。中央の茶色の円が地球を表している。
時計の上に突き出した台座では15分毎に馬上の騎士の人形が駆け回り (動画はこちら 音声も出ます)、 そして、"Jack Blandifers"と称される人形が右手のハンマーと両足のかかとで鐘を打つ (写真右 動画はこちら 音声も出ます)。
丁度12時で動き出した。その賑やかなことといったら静粛な大聖堂に似合わないと思うのだが、これもユーモラスだ。

Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral Wells Cathedral

Wells Cathedral

ここには2つのパイプオルガンがあった。一つはメイン・タワーの下、はさみ型アーチのない東面の頭上高くに迫り出している(写真右)。 もう一つは聖歌隊席(Choir)の一角にあった(写真上右)。
大聖堂の東の端(East End)に聖母礼拝堂(Lady Chapel)がある。1326年に建てられた8角形の礼拝堂だ。その5面のステンドグラスが下左5枚だ。 1325年から30年の作製だという。最東端のステンドグラスの下の祭壇は聖母マリアだろう(写真上左から2枚目)。 司教が毎朝ここで朝の礼拝をすることから大聖堂の一日が始まるのだという。その天井が上右から2枚目の写真だ。精緻を極めた装飾だ。
聖母礼拝堂以外にもステンドグラスは沢山あるが、古いものは南側の内陣通路にある2つのステンドグラスだ。1310年から20年のものだという(写真下右)。

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北翼廊の出口から参事会会議場(Chapter House)に上る階段は、長い歳月の使用で磨り減っている(写真下左)。 1265年から80年にできたというから730年以上経っているわけだ。雨に濡れて滑りやすく怖い。
参事会会議場は1286年から1306年に建築された八角形の建物で中央の1本の柱で天井を支えている(写真下左から2枚目)。 壁際の聖職者が座る席に絵画がずらりと並べられ展覧会が開かれていた。
ヴィッカーズ・クロース(Vicars' Close)は14世紀中ごろに造られた教区牧師の集合住宅で完璧な姿で残っているイギリス最古の建物と謳われる(写真下右から2枚目)。 土砂降りの中、大聖堂の西正面を通り北側のクロースまで歩く。ゲートに着いた時雨脚が更に強くなった。ゲートの下で雨宿りをしていると、 銃剣を担いだセーラー服の兵隊がバスからぞろぞろ降りてきてゲートに飛び込んでくる(写真下右)。お陰でこちらは押し出され、雨に濡れる羽目になった。 これからパレードが行われるらしい。見たい気持ちもあるがこの雨ではスタートが遅れるだろう。先を急ぐことにする。

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イースト・ランブルック・マナー   East Lambrook Manor Garden

イースト・ランブルック・マナーは10年ぶりの訪問となる。 結論から言って、雨の後であることを差し引いても、10年前より明らかに荒れている。
幸い雨は上がったが、パーキングの水溜りを避けながら受付に行くと、先客は日本人女性の一人旅のようだ。「こんにちは」と声を掛けたが、 余り反応は良くない。挨拶もそこそこにガーデンに出てしまった。受付の男性は日本人旅行者同士の出会いに驚いた様子だ。 ガーデンに出でると、何やら日本語がボソボソと聞こえる。何事かと思ったら。先ほどの女性が携帯で話しているのだ。 電車内での携帯と同じくガーデン内での携帯も歓迎しがたいものがある。

East Lambrook East Lambrook East Lambrook East Lambrook

このガーデンはガーデナーであり、ガーデニング・ライターでもあるマージェリー ・フィッシュ(Margery Fish)によって1938年から69年まで造られ コテージ・ガーデンだ。1940年代から60年代に掛け"Home of English Cottage Gardening"と謳われ、時のイギリスのガーデニングに大きな影響を与えたという。
従来の花と現代の珍しい花を取り入れ、色彩・質感・形・香りに着眼して一年中花が咲く植栽のインフォーマル・ガーデンを提唱したようだ。
そして、第二次大戦後の労働力不足の中で、庭師を雇うのではなく、自らの手で庭造りをしたのだ。交配をし、種を取り、種まきをし広げていく。 軽石を積み壁を築き(写真上右から2枚目)、石を敷き通路を通す(写真上右)。また、手入れの手間を減らせる植栽計画も研究したという。(その考え方や良し) そんな家庭的規模(Domestic Scale)なコテージ・ガーデンが市民ガーデナーに受け入れられたということだろう。

East Lambrook East Lambrook East Lambrook East Lambrook

ハウスは15世紀のマナーハウスというがそこまでの豪壮さはない。樹木、潅木、宿根草、球根を主体にした植栽で、手間を省く工夫をしている様子が分かる。 銀葉の植物中心の"Silver Garden"が美しい(写真上中2枚、下右2枚)。"White Garden"も爽やかな印象だ(写真上右)。
マージェリーの夫ウォルター(Walter)は彼女のインフォーマルなガーデンよりフォーマルで華やかなガーデンを好んだらしい。私もウォルターの好みを指示する。 実際に彼女がインフォーマルなガーデン造りに邁進したのはウォルターの死後だったようだ。また、このガーデンにはオーナメントの類も少ない。 写真下右のサンダイアルが唯一見つかったものだ。その点でも私の好みと一致しない。

East Lambrook East Lambrook East Lambrook East Lambrook

へスタークーム・ガーデンズ   Hestercombe Gardens

へスタークーム・ガーデンズも3回目の訪問になる。 私が最も感動を受けたイングリッシュ・ガーデンの一つだ。
ここには3世紀にわたる3つのスタイルのガーデンがある。すなわち、18世紀のランドスケープ・ガーデン(Georgian Landscape Garden)、 19世紀のテラス・ガーデン(Victorian Terrace)、20世紀のフォーマル・サンクン・ガーデン(Edwardian Formal Garden)の3つだ。
14世紀からの居住者であるワーレン家(Warre family)が16世紀に建てた家が現在の基礎だ。子孫の Coplestone Warre Bampfyldeが 自ら設計して1750年から1786年に掛けて造り上げたのがランドスケープ・ガーデンだ。
1873年からポートマン子爵家(Viscount Portman family)の所有となり、ハウスの増築が行われ、ヘンリー・ホール(Henry Hall)によりハウスの前に テラス・ガーデンが造られたのだ。
1903年、エドワード ・ポートマン閣下(Hon Edward Portman)がエドウィン・ラチェンス卿(Sir Edwin Lutyens)とガートルード・ジキル(Gertrude Jekyll)に 依頼し、フォーマル・サンクン・ガーデンを造らせたのだ。完成は1907年だ。歴史あるガーデンなのだ。

Hestercombe Hestercombe Hestercombe Hestercombe

ハウスの北側の森の小道を通ってダッチ・ガーデン(Duch Garden)に向かう。森が開けたところから見える給水塔と大木の風景は変わらない(写真上左)。 何か故郷に帰ったような感慨がある。
こちらも懐かし"Chinese Gate"(写真上右)から入場しようとしたら今年は閉まっている。前2回はここから入ったのに2010年にオープンした "Woodland Barn"を経由しての順路になったようだ。Woodland Barnでは修復した一連の17世紀の水車(Water Mill)にまつわる展示がされているがパス。
ダッチ・ガーデンは欄干の美しい階段(写真下左から2枚目)を上ってテラスにある。ラムズイヤー、キャットミント、ラベンダー、ローズマリーなどの ハーブを主体としたシルバー・ガーデンだ。通路の石板のデザインも巧妙だ。6つある壷型のコンテナが新しくなっている。以前は白い石製だったが、 今回はテラコッタになっている(写真上中2枚)。植栽も最近改められたのだろう、ボリューム感に欠ける。
階段を下りて西に進むと地元の"Ham Stone"の壁とテラコッタのタイルの屋根が瀟洒な温室(Orangery)がある(写真下右から2枚目)。 温室前の芝(Orangery Lawns)も石板の通路でデザインされている。温室の西の円形の階段(写真下右)を上ると丸い池と噴水があるロタンダ(Rotunda 円形広場)に出る。

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ロタンダの西の円形階段を下りるとハウス前の"Victorian Terrace"だ。中央に噴水を挟み東西に芝の広場がある。その芝にはそれぞれ2つの花壇があり、 それを囲むように9つのスタンダード仕立てのバラが植えられている(写真下左から2枚目)。前回満開だったバラ・アイスバーグは今年はまだ蕾が固い。
ハウス側以外の3方は美麗な欄干で囲まれその足元は背丈を短めにすっきりコントロールされたボーダーだ(写真下右から2枚目)。
ビクトリアン・テラスから南側に一段下がったところを東西に伸びるボーダーが"Grey Walk"だ。2002年始めて訪れた時に衝撃的感動を受けたガーデンだ。 今年は植物の生育が悪く期待が大きかっただけに少し残念な状態だ。
へスタークームのハイライトであるエドウィン・ラチェンスとガートルード・ジキルが造ったフォーマル・サンクン・ガーデンは、 北をこのグレイ・ウォーク、南を70mのパーゴラ(Pergola)、東西をせせらぎが流れるテラス(East and West Rills)で囲われた一段下がった地所(Plat)に造られ "Great Plat"とも"Sunken Parterre"とも呼ばれる。ダイナミックなデザインだ。
その東のテラス"East Rills"が写真下左だ。ロタンダの池から流れ出だした水がせせらぎとなって中央の水路を流れ、水生植物を育てる。 ところどころに円形のスポットがありアクセントとなる(写真を拡大するとその写真も)。写真の右側がフォーマル・サンクン・ガーデンだ。

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フォーマル・サンクン・ガーデンは四隅に円形階段(写真下右から2枚目)があり、対角線上に芝の通路が伸びる。その交点にサンダイアルがある(写真下右)。 ビクトリアン・テラスから見下ろした写真が下左から2枚目だ。手前にグレイ・ウォーク、奥にパーゴラが伸びているのが見える。
写真上右がサンクン・ガーデンの北西角からハウスを見上げた図、下左が南東角のパーゴラの上から見下ろした図だ。 ここも生育が遅れているのか少し寂しい感じだ。潅木や宿根が大きくなりすぎて全体のバランスが崩れているように見受けられる。 ガートルード・ジキルの提唱するカラースキムが崩れては看板が泣く。

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南端のパーゴラは70メートルにも及ぶ(写真下左から2枚目)。石の柱に高々と木の梁と桁が通され。バラ、クレマチス、ハニーサックルなど つる性の植物がクライミングしている。石板の通路の脇にはバラ、ラベンダー、ラムズイヤーなど分厚い植栽だ。
ハウスもガーデンも第二次大戦中は英国軍の第8部隊司令部として使われたり、アメリカの連隊本部としても使われアイゼンハワーも訪れたことがあるという。 その後アメリカ軍の病院として使われ33の建物があったという。
1978年にサマーセット州議会(Somerset County Council)の所有となり、1973年に育苗小屋で発見されたオリジナルのデザイン図を参考に修復作業が行われ、 2003年からは"Hestercombe Gardens Trust"によって管理されている。

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東西のせせらぎが流れるテラスはパーゴラとの交点で小さな方形のリリー・ポンドに流れ落ちる。池には睡蓮が咲き金魚が泳いでいる(写真下左から2枚目)。 またパーゴラの東西の壁には楕円の窓が開けられ、緑豊かな田園風景が見渡せる(写真上左)。
石の壁や敷石の隙間などにはエリゲロン、セラスチウム、カンパニュラなどが程良く蔓延り、心を和ませてくれる(写真上右から2枚目)。 この程の良さはどうコントロールしているのか、うらやましい光景だ。
West Rillsの北端、東のロタンダに対応する場所に小さなローズ・ガーデン(Rose Garden)がある(写真上右)。 エドウィン・ラチェンスがデザインしたガーデンだ。ここのバラは勢いも良くこれからが楽しみだ。
18世紀のランドスケープ・ガーデンの入り口だけ眺めて帰ることにする。南の端に"Pear Pond"がある。洋ナシの形をした池だ。 白鳥が悠然と泳いでいる。池の北の高台に"Temple Arbour"というトスカーナ風東屋が見える(写真下左)。あそこまではちょっと遠いので、 極入り口の"Octagon Summerhouse"の下までで終わりにする。今度来る時にはランドスケープも一巡りしよう。

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バーロウ・ファーム・ガーデンズ   Burrow Farm Gardens

バーロウ・ファーム・ガーデンズは今年の旅の情報収集の終わりごろに見つかった。 "East Devon's Secret Garden"と謳われている。写真も美しい。まだまだ発見できてないガーデンが沢山あることだろう。丹念な情報収集が大切だ。
すでに16時になろうとしている。予定を1つスキップして優先順位の高いバーロウ・ファームに向かうが、この地区の中心都市トーントン(Taunton)で渋滞に嵌る。 この後予定のガーデンはありがたいことに2つとも19時までのオープンだから焦らずに済む。

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

バーロウ・ファームはイースト・デボンの深く豊かなカントリーサイドにあった。ファームの入り口にオネスト・ボックス(Honest Box)が置いてある。 £12を投入し、入場する。ティールームに2組のカップルが見える他はガーデンにも人影はない。独り占めのようだ。
反時計回りに散策を開始、最初はミレニアを記念して1998年から2年がかりで造った"Millennium Garden"だ。 素朴な石垣で囲まれたガゼボ(写真上左)の周辺がとてもメルヘンチックな雰囲気のガーデン。何度も潜りたくなるゲート(写真上左から2枚目)。 入り口の両脇に立つ蓮の葉に水を汲む少年とバスケットを手にする少女の像が微笑ましい(写真下左2枚)。見晴台の真ん中のコンテナも素朴だ(写真下中)。 二つの噴水からこぼれた水が、ガゼボの前に広がる芝生のガーデンを細い流れ(Rill)と下り、その先の池に流れ込んでいく。 池にはショウブやスイレンの花が、芝生の周りはバラ、フジ、ウツギ、マーガレットなどが咲いている。

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

池の回りも見事に整備されたフォーマルガーデンだ(写真上左)。その辺縁から見るカントリーサイドの景色は絵に描いたように美しい。 左下に展開するのはグラス・ガーデンのようだ(写真下左から2枚目)。このなだらかな起伏が素晴らしい。 花の大きさは変わらず茎の短い矮性アリウムは珍しい(写真下右から2番目)。
ハウスの前(東側)にプールと並んで展開するのが"Pergola Walk"だ。パーゴラはフジとバラで覆い隠されている(写真下左)。 この少女像は”はにかんだ可愛い少女”との印象を持ったが、帰国してホームページに"The Shy Maiden"の名を見つけた時には得心した。 このはにかみ少女を中心に南北に分かれているパーゴラはそれぞれ10m余りなのだが、両側の植え込みの中に幾つもの壷が見られる。 これも素朴な味がする。パーゴラ・ウォークの花は遅れているようだが、しっとりとした落ち着いた雰囲気が感じられるガーデンだ。

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

スロープを登り、門扉(写真左)抜けるとハウスがある。もちろんプライベートだ。ハウスの周囲も良く手入れされている(写真上右3枚)。
ハウスの裏側(西側)の階段を上がるとテラス・ガーデン(Terrace Garden)がある。ホームページでは"Cottage Garden Style"と言っているが、 私には"Italian Garden Style"に見える。砂利道(Gravel Paths)に石の階段やエッジ、様々な像やオーナメントなどがその理由だ(写真下)。 本来相容れないものが融合した形だ。

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

ホームページの年表を見るとこのガーデンはオーナー夫妻が酪農をするために1959年にここに移り住み、 1966年から奥さんが4人の子供の助けを借りてガーデン造りを始めたものだ。1975年にはナショナル・ガーデン・スキムに登録されている。 1983年にはご主人が酪農業を引退したとあるから、その後は二人で協力して造り上げてきたのだろう。 一つひとつ積み上げてきたことが良く分かる。時間と労苦の積み重ねだ。感慨深いものがある。
帰り際、入る時にはなかった一輪車があった。人影は見かけなかったが、ちゃんと手入れをしていたのだ。

Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm Burrow Farm

キラートン・ガーデン   Killerton garden

時刻は17時10分、次のキラートン・ガーデンまでは30分、キラートンのオープンは19時まで、キラートンからB&Bまでも30分、B&Bの食事の予約は20時、 余裕のスケジュールだ。ところが、物事計算通りばかりには行かない。ここでもホニトン(Honiton)の街で渋滞に出合った。 ”今年はゆったりした旅”が目標だったはずだ。であれば、この辺りでB&Bに目的地変換したら良いのに、まだ諦めない。 いつの間にかいつもの”神風・かっとび・急ぎ旅”になっている。
キラートン・ガーデンに着いたのは18時になった。 19時までオープンしているのは間違いないが、入り口にはオネスト・ボックスが置いてあり、ティールームやショップは閉まっている。 ナショナル・トラスト(NT)のプロパティーゆえボランティアを中心に運営されているのだから当然だ。ガーデンだけでも開いているのが御の字としなければいけない。 会員なのでオネスト・ボックスは無視して入場。NTの常でパーキングからガーデンまでが遠い。広大な敷地は寒風が吹き荒んでいた。これは冬の寒さだ。

Killerton garden Killerton garden Killerton garden Killerton garden

キラートン・ハウスは1778年にトーマス・アクランド卿(Sir Thomas Acland)がここに移るために土地の名もない建築家に、 仮設の住居として建てさせたものだ(写真上右から2枚)。その後、大邸宅を立てる予定であったが、同年に息子を亡くし、建築を断念したという。 そう言われればマナーハウスとしては外観上もシンプルなデザインだ。それにつけても、仮設住居がこれだから驚く。
ハウスの南西に見晴台があり(写真上左)、デボンのカントリーサイドの光景が広がる。そこから西にパルテア(Parterre)が伸びている。 ウィリアム・ロビンソン(William Robinson)のデザインで、1805年に造られたものだ。15m×50mほどでさほど大きくはないが、 バラを始め植栽された植物の活きがすこぶる良い(写真上右3枚)。パルテアの東西に優雅な壷が置かれている(写真上右から2枚目、下右)。
ハウスを取り巻く広大なランドスケープ・ガーデンは1977年からジョン・ビーチ(John Veitch)により造られたものだ。 ジョン・ビーチは職を探してエジンバラからロンドンまで歩いてきたという逸話の持ち主だ。

Killerton garden Killerton garden Killerton garden Killerton garden

Killerton garden

19世紀にはイギリスの富裕層は世界各地にプランツハンター(Plant Hunters)を送り出し、珍しい植物を持ち帰らせた。 ジョン・ビーチもプランツハンターを送ったが、それだけでなく、イギリス中のプランツハンターが持ち帰った植物は、 先ずは気候の温暖なデボンのキラートン・ガーデンで育成されたのだという。そのため、ここにはたくさんの種類の樹木が残されているのだ(写真上左3枚、下左2枚)。
パルテアの北の芝の斜面を登っていくと、ところどころに芝を切ってベッドがある。植栽は石楠花であったり、ハーブ・ヒース類であったりする(写真上左から2枚目)。 トリトマをメインに下植え込みもあった(写真下右から2枚目)。
芝の中の通路にも洒落た壷が1対立っている。散策も優雅な気分になるというものだ。 南を見下ろせば、手前はハウス西の見晴台とパルテアが、遠くカントリーサイドの景色が霞む。
通路から北の芝生の丘の上にサマーハウス(Summer House)が見える(写真上右から2枚目)。19世紀の始めの頃のアクランド家のペットの小屋だ。 そのペットとはサマーハウスの名前が"Bear Hut"ということから分かるとおり”熊”だったのだ。破天荒なファミリーだ。(正しい意味につけ、誤った意味につけ)
破天荒と言えば、このエステートの2590ヘクタール(分かり易く言えば5km四方、そこには20の農場と200を越すコテージがあったという)は 時の当主Sir Richard Aclandが自らの政治的信条(左派党で土地の個人所有を排除した)に基づき、1944年にNTに寄贈されたのだ。 その広さはNTの数多いプロパティーの中でも最大級だという。
この広大な景色の中に人っ子一人見当たらない。気象を軽く見すぎて、ゴアテックを車に置いてきた。 余りに寒いのでロック・ガーデンとアイス・ハウスは断念する。40分足らずの滞在で退散。

Killerton garden Killerton garden Killerton garden Killerton garden

イーストウェリー・バートン   Eastwrey Barton

イーストウェリー・バートンは2009年の旅で訪れたディナーも供するB&Bだ。 この年はグルメも旅の目玉の一つにしてイギリスのNo.1人気のレストランを始めホテルや街のレストランを利用したが、 イーストウェリー・バートンでのディナーが最高の評価となった。次にダート・ムーアを訪れる時にもここと決めていた。
19時10分到着。シャワーを浴び着替えを済ませて1階のバーで食前酒をいただきながら、ホストのパトリック(Patrick)と再訪の訳など話す。 ホステスのシャロン(Sharon)が調理し、パトリックがサーブしてくれるシステムだ。
昨日、確認の電話を入れた時に今日のディナーの予約をすると、シャロンが丁寧にメニューを読み上げ始めた。(その日の朝までにオーダーが必要なのだ) 目の前にあっても英語のメニューは分かり難いのに、電話で並べ立てられて分かる筈がない。「シャロンのお勧めのものでお願いします」とお任せした。
準備が出来、ダイニングに通される。先客は女性の一人客が特等席を占めていた。サウスイーストからの客で、教師をしていると言う。 「息子の結婚式が終わりほっとしている。休暇が余ったのでここに来たの。のんびりしたい時は何時もここに来るの」とのことだ。 イギリスに多いシングルマザーなのだろう。

Eastwrey Barton Eastwrey Barton Eastwrey Barton Eastwrey Barton

スターターはカマンベールチーズ・フライ、ソースはブラックカラントだ。ポピュラーだがワインに良く合う。 メインはアクアパッツア風のものだ。ムール貝がトマトソースとマッチして美味い。魚はタラ、少々大味だ。 量も多過ぎるのでデザートに備え残した。付け合せの野菜も美味しいが、全部はとてもとても。
デザートはその場でオーダーできる。私はアップルパイ、妻はルバーブ・フール(Rhubarb Fool)にする。09年にここで初めてルバーブを食べたことを 思い出したのだ。あの時にもチャレンジして持て余したのに、今日もまた同じことの繰り返しだ。(学習能力を口に出したら角が立つ。言葉を飲み込む)
この旅もこのB&Bが最後だ。トランクに入れてあった購入した土産物を全て部屋に運んだ。6日にモンタキュート・ハウスで購入した ウォール・アーチ(Wall Arch)をスーツケースに入れてみる。幅は少し余裕があったが、高さが3cm長過ぎてはいらない。 スーツケースを運ぶ時の感覚で大丈夫と思ったのだが、キャスターの分の計算が足りなかった。受託手荷物にするしかない。 そのためには梱包をもう少ししっかりした物にしなければならない。どこかでダンボールを調達しよう。

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