2014年の旅 イーストアングリア

花花

第1日 6月20日(金) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程        TOKYO HANEDA 11:20 ===== LONDON HEATHROW 15:50 (JL 043)
                Heathrow Airport --- Great Dunmow Harwood House
今日の走行距離     130 km
今日の万歩計       15,000 歩

旅の準備

今年の旅はイーストアングリアだ。08年のブルーベルを訪ねる旅でエセックスとサフォークの極一部を2度目の訪問をしたが、ノーフォークは11年ぶり2回目となる。 イギリスの中では観光地として余りポピュラーではない地区だけに後回しになっていた感がある。
そして、この地区にしたのにはもう一つの訳がある。昨年結婚した知人への結婚祝いとしてコレクタブル・ティーポット(面白いデザインの変わり種ティーポット)が 彼女に相応しいと思い、08年に訪れたポタリーを再訪することだ。

今年はマイレージのマイルが貯まり特典航空券を求めることにしたが、こちらの希望通りの日程でチケットが取れるものではないのだ。 毎日が日曜日の私達だが、第2、4木曜日から日曜日までの浜松遠征と、第1、3木曜日の歌の会は出来る限り潰したくない。 費用を考えると旅の日数も2週間程度にしたい。そして何より、バラの美しいシーズンに訪れたい。
そんな条件で検索した結果、6月20日出国、7月3日帰国の便が取れそうだ。これならバラの盛りであるし、浜松遠征と歌の会も1回のお休みで済む。 私のチケットを取り、続いて妻の分を取ろうとしたら“キャンセル待ち”と出た。案の定だ。特典航空券がスムーズに取れた例がない。 これが1月末のことだ。そして、キャンセル待ちが取れたのが3月末だった。(その後、家族プログラムに登録した。次回からは2人分同時に取れるだろう)

2月初めに13年の旅の旅行記が完了し、14年の旅の準備に入った。
“イーストアングリア”を基本キーワードに、“ガーデン”、“ドライブ”、“アトラクション”、“アクティビティー”、“イベント”などの キーワードで検索し、吟味・厳選してリストアップした情報は200件を超えた。そこで訪問地を原則エセックス、サフォーク、ノーフォークの州に絞ることにした。 それでも地図上にプロットした情報は100件を越した。情報の多くはガーデンと街歩きだ。
プロットの数に応じてエセックス3泊、サフォーク3泊、ノーフォーク5泊、最後の1泊はハートフォードシャーと決め宿探しに入る。 最初のエセックスはヒースロー空港から1時間余りのドライブで到着できるグレートダンモウ(Great Dunmow)とする。 サフォークは大都市イプスウィッチ(Ipswich)を少し外したウッドブリッジ(Woodbridge)、ノーフォークも大きな街クロマー(Cromer)と シェリンガム(Sheringham)の中間のウエスト・ラントン(West Runton)に見つかった。
最後の1泊はヒースロー空港まで1時間程度の場所にしたい。検索をしているとハットフィールド・ハウス(Hatfield House)の イースト・ガーデン(East Garden)の週1回のオープンの水曜日と重なることを発見。近くの宿泊先を探すと英国王立国立バラ協会(The Royal National Rose Society) のガーデン・オブ・ザ・ローズ(Gardens of the Ros)があるセント・オールバンズ(St Albans)に素敵なホテルが見つかった。良い日程が組めたと自負。

ビレッジ・サイン(Village Signs)

イギリスの村や街でしばしば目にするのが“ビレッジ・サイン”だ。日本の高速道路にある市町村堺標識(カントリーサインというそうだ)とは似て非なるものだ。 それよりもずっと小型で、ず〜っと装飾性が高い代物だ。
イギリスのビレッジ・サインの数は3000とも4000とも言われている。その内、ノーフォークに500、サフォークとエセックスに各350が集中しているようだ。 この地域の検索をしているとビレッジ・サインの情報が目につくのもむべなるかなだ。
それもその筈、その歴史を辿るとノーフォークが発祥なのだ。ビクトリア女王が皇太子(後のエドワード7世)のために1862年に購入したサンドリンガム・エステートは その後4代に亘り英国王室の宮殿として使われている。その皇太子が1912年にサンドリンガム周辺の4つの村にビレッジ・サインを作らせたのが始まりだという。 その目的は各村の共同体意識とアイデンティティの促進ともドライバーの援助のためともいわれる。

ビレッジ・サイン

1920年にはヨーク公(後のジョージ6世)がロイヤル・アカデミーで " welcome the revival of the village sign or emblem , as a help to the visitor in a strange land " とのスピーチを行ったことでイギリス全土に広がっていったという。 そして、エリザベス女王の即位(1952年)、シルバー・ジュビリー(1977年)、ミレニアム(2000年)、ゴールド・ジュビリー(2002年)などの 節目を祝ってビレッジ・サインが増えていったもののようだ。
ビレッジ・サインの形は写真右のように支柱の頂部に様々な形の看板をつけてある。大きさはせいぜい1辺が7、80cm程度だろう。 素材は当初はほとんどが木製で彫刻をしたり、ペイントされていたが、最近ではアイアン製やアルミ製、プラスチック製に変わってきているようだ。
デザインは村の名前と共に村の歴史や特徴を表現したものが多く、とても興味を惹かれるしユーモラスなものもあって、楽しめる。 立っている場所は村の入口か中心部の広場など人の集まる場所だ。車で通過するだけでは見過ごしてしまうことが多い。
今回はビレッジ・サインを紹介する面白いサイトを見つけ、沢山の情報が得られた。場所もピンポイントでナビ子ちゃんにインプットした。 さて幾つ見つけることができることやら。(写真右はサンドリンガム周辺の村・ダージンガムのビレッジ・サイン)

旅の始まり

テイクオフは11時20分だ。空港第2ビル着8時33分の成田エキスプレス9号のチケットを取った。 出発1週間前にe‐チケットを点検していた妻が叫ぶ。「大変、羽田発よ」と。昨年はヒースロー空港でダブリンへの乗り換えがあったため 初めて英国航空運行便にしたが、それまで12年間は成田発12時のJL401便と決まっていたので11時20分に変わっていても、 さほど疑問を抱かず成田発と決め込んでいたのだ。よく見れば便名もJL043と今までと違う。危ないところだった。しっかり確認の上、NEXはキャンセルする。
6時30分自宅を出る。梅雨の最中だが、天気予報に反してピーカンの中、いつもの通りスーツケースを転がして駅に向かう。 新宿までは総武線(早朝深夜は我が東小金井駅も走っている)に乗ると空いているし、ホームを変えずに山手線・内回りに乗れる。 しかし、そこから先は通勤時間帯に入り混雑の中、大きな荷物が恐縮だ。品川で京急本線快特に乗り換える。ここでも通勤客と旅行客で大混雑、立ちん坊だ。 8時20分にはターミナルに着いた。
NEXに比べ所要時間・運賃とも若干節約できるものの、ワクワクする旅の始まりというより忍耐の移動という実感だ。 乗り換え回数も増えるし、東小金井からではあまり便利になったとは言い難い。

チェックイン・カウンターは空いていてスムーズに進む。身軽になったところで、先ずは腹ごしらえだ。NEXの時は車内で朝食ができたが、 山手線と京急ではそうは行かない。大きな荷物を持っての移動はお腹が空く。京急の駅から出発ロビーに向かう途中に“玉ひで親子丼亭”があった。 人形町の玉ひでの出店のようだ。これは見逃せないと向かってみると「本日休業」の張り紙だ。残念!!! 思えばこれがこの旅の“食に恵まれない”前兆だったのだ。 やむなく4階の“江戸小路”で探すが、ピンと来るものがない。日本食のお店が多い。お値段も私の感覚からすると高すぎる。 うどんの「つるとんたん」という店に入る。ユニークな創作メニューが並んでいる。冷明太子うどんと冷おろしうどんをオーダーする。 うどんの玉が1から3玉までお値段同じというのも変わっている。両方とも1.5玉でお願いしたが難なく完食した。特に美味しかったわけではないが・・・。

羽田空港

次はB&Bへのお土産の購入だ。ネットで調べたところ“江戸小路”の「風呂敷専門店」があるとの情報だ。ところが4階も5階も隈なく回ったが見つからない。 3階の案内センターで尋ねると以前はあったが、今は別の店になったという。風呂敷を置いてある店を調べてもらうと「Tシャツ専門店」にあるという。 行ってみると木綿のものしか置いてない。品数も少ないが、無いものねだりはできない。富士山をあしらった紺色のものを3点求める。 (やはり事前に準備するべきものと反省)
次は両替だ。昨年はアイルランドだったので、ポンドに両替は2年振りとなる。2012年は円が高い時期で1ポンド120円台だったが、 今年はなんと1.5倍の180円台だ。リタイアーの身には諸々緊縮しないと後が大変なことになる。
セキュリティーチェック、出国審査も何事もなくクリアーし、免税店でのお決まりのショッピングは私がバレンタイン17年、妻はリップスティックだ。 そしてお決まりのラウンジでの旅の安全祈念の乾杯だ(写真右)。旅の始まりを実感する。
ゲート付近に行くと見たことのある顔の婦人がいる。マダム木こと高木絢子さんだ。ミーハーなことに妻は話しかけている。 セレブなロザリアンを多勢引き連れてのイギリスガーデン巡りのツアーだそうだ。 (ネットを調べるとシシングハースト、モティスフォント、ベスチャトーガーデンなどを巡ったようだ)
機内は座席の前後の幅が若干広くなった。それだけでも随分楽になった。機内食もメニューに改善が見られ、テレビの画面も少し大きくなり、全般的に快適に過ごせた。 ところで、エコノミー症候群対策の機内体操がいつの間にかなくなっているが、あの対策は必要なくなったということか? あれは何だったのだろう? フライトは順調で定刻より30分早くヒースロー空港にランディング。入国審査も極めて空いていた。

レンタカー

ところがレンタカーのハーツの手続きに時間が掛かる。ハーツNO.1クラブゴールドの会員になりネットでそれなりの手続きを済ませてあるはずなのに、 「どうしたらこんなにのんびり出来るの?」と問いたくなる悠長さだ。私の嫌いな行動”鈍い”、”のろい”、”モタモタ”のトリオだ。
結局、小1時間を費やし借り受けた車は初めてみるエンブレムが付いている。帰国後調べてみるとチェコのシュコダ・オクタビアという車だった(写真右)。 トランク(ブーツ)は楽々スーツケースが2つ入る大きさで安心だ。書類にない傷を見つける。チェックアウト時に係員に確認させ書類にチェックさせる。
さて、出発したもののナビ子ちゃんの指示がおかしい。当然M25に乗るものと思っていたが、一般道を東に進めとの指示だ。 暫くナビ子ちゃんの指示通り進んでみたが、どうやらシティー縦断の構えのようだ。これは付き合っておられないと判断した時は夕方のラッシュに巻き込まれ、 Uターンもままならない道路事情に嵌まり込む。ナビ子ちゃんをオフにし、強引にUターンを敢行。M4を自力で探し当て、 ジャンクション15でM25に入る。ここでも1時間以上のタイムロスとなった。今年はナビ子ちゃんの地図ソフトを買い換えたが、その所為ではない。 チェックしたところ“距離優先”の案内にセットしてあったためと分かる。“時間優先”に設定し直す。

グレート・ダンモウ(Great Dunmow)

Great Dunmow

この旅の第1夜はロンドンの北北東60km、エセックス州のグレート・ダンモウとした。“ヒースロー空港から1時間余りの位置で大都市を外す”の法則で選んだ街だ。 B&Bは直ぐ探し当てたもののパーキングの車の数に驚く。(部屋数をはるかにオーバーする車の数の原因は最後まで分からず仕舞いだ)
ホストは隣の建物に住んでいるらしい。呼び鈴を鳴らすとホストのイアンが愛想良く迎えてくれた。部屋の案内が終わると明日の予定を問われる。 観光の案内をしてくれるようだが、「ケントウェル・ホールのイベントを予約してある」と伝えると「それは何だ?」と言う。 予約票を見せるとホームページを開き「面白いイベントだ。知らなかった」と感心している。灯台下暗しということだ。
パブかレストランの紹介を頼むと「一押しはここだ」と教えてくれたのはミシュランガイドで調べてあったレストランだ。迷わずそこに行くことにする。

ビレッジ・サイン NO.1  グレート・ダンモウ(Great Dunmow)

Great Dunmow Great Dunmow

B&Bの道路を隔てた直ぐ向かいの小さな広場(Threaders Green)にこの街のビレッジ(タウン)・サインが立っている(写真右)。 広場の脇には茅葺屋根のパブや民家が残っている(写真右上)。
サインの図柄は1956年に紋章院から授けられた市の紋章だという。デザインは当時の有力な7つの荘園(Manors)の各家の紋章から取ったものらしい。 例えば下部中央の赤い盾の中の“銀の職杖を持つライオン”、“2つのフルール・ド・リス(百合の図案)”、“葉がついた柘榴”、“2つのダイアモンド”などだ。 上部の図案の“大麦とホップを咥える青いイノシシ”、イノシシの下の“羊毛梱”は地域の産業“醸造業とベーコン”、“ウール取引”を示しているという。 最下部に書かれたモットー(Motto) "May Dunmow Prosper"は“ダンモウに繁栄あれ”といった意味だろうか。
この旅で訪れたビレッジ・サインは設置場所の雰囲気を伝える写真とアップの写真を掲載するこのスタイルでレポートしていくことにしよう。 表と裏で異なるデザインのものがあったり、3面、4面のものもあったりしてとても楽しく面白い撮影だった。さてさて、全部で幾つ撮ったことだろう。お楽しみに。

スクエアー 1 (Square 1)

Great Dunmow

ビレッジ・サインを撮影し、徒歩で“スクエアー 1”に向かう。20時を回っているが、まだまだ明るい。極めて平凡な街並だ。 ハイストリートとマーケット・プレイスの角に古い建物がある。鐘楼のあるオールド・タウンホールで今は不動産屋のオフィスらしい。 2階が迫り出した設計が如何にも中世のものだ(写真右)。
ここからハイストリートを行くが店が見つからない。高校生と思われる女の子と中学生くらいの自転車を転がした男の子が歩いてきたので道を訊ねる。 「この店なら確かこの先の左側よ」と教えてくれる。歩いていくが見つからない。後ろから遠慮勝ちに声を掛ける人がいる。 振り向くと先ほどの男の子だ。「ごめんなさい。その店は反対側でした」と教えてくれる。男の子は我々が着いてくるのを確認しながらゆっくり自転車をこぐ。 先ほど通り過ぎてきた場所の先の方で女の子が手を振っている。慌てて走り寄ると「間違えてごめんなさい。お訊ねの店はここよ」と言う。 親切に感謝しつつ店に入る。間違いに気付いても「しまった。間違えた」で済まされても仕方がないことだ。親切さと躾の良さにつくづく感心させられる。

Great Dunmow

スクエアー 1は人気があるようでほぼ満席だ。 窓際の良い席が、先客の食器が残ったまま空いていた。準備ができる間暫し待つ。 この間に周りの客の料理のボリュームをしかと見届ける。メインを1品ずつでは少し寂しいかも知れない。 前菜は1品をシェアーすることにして決めたメニューは前菜に
・ Twice baked blue cheese souffle, poached pear, hazelnut salad. 2種類のブルーチーズのスフレ。 メインは妻が
・ Roast cod fillet, roast sweet potatoes, pea puree, crispy bacon, truffle oil. タラのロースト。 私が
・ Grilled marinated chicken supreme, creamy mustard puy lentils, green beans, crispy leeks.マリネしたチキンのグリルだ。
パンと一緒にオリーブオイルにバルサミコ酢を混ぜたものとポップコーンが出てきた。
ブルーチーズは癖がなくて少し物足りない感じがするが、チーズには果物やナッツが良く合う。
タラのローストは身が厚く柔らかく、皮はカリカリして美味しいという。付け合せも見た目も良い。一方、チキンのグリルは見た目が良くない。 少し焼き過ぎの感ありだ。レンズ豆とインゲン豆は美味しい。リーキも香ばしくて美味い。
B&Bに戻ったのは22時15分、空はまだまだ暮れなずんでいる(写真右 スクエアー 1前)。シャワーを浴び早々に爆睡する

Square 1 Square 1 Square 1 Square 1

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