2014年の旅 イーストアングリア

花花

第3日 6月22日(日) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程        Harwood House --- RHS Garden Hyde Hall --- Coggeshall Grange Barn ---
                Easton Lodge --- Gibberd Garden --- Harwood House
今日の走行距離     190 km
今日の万歩計       10,800 歩
今日の出発時気温    19 ℃

ハーウッド・ハウス  Harwood House

Harwood House Harwood House

今朝も6時に目が覚めてしまった。時差ボケの気配ありだ。今日の行程等チェックしたり、絵葉書を書いたりして過ごす。
7時30分にダイニングに降りる。リクエスト通りヨーグルトが用意されている。フルーツのコンポートも並んでいた。これでなくっちゃ・・・。
今日は玉子料理をスクランブルエッグにした。ここのホットミールはこんがり熱々が自慢のようだ。
トーストもバターもミルクティーも全てが美味い。

ビレッジ・サイン NO.14  ビックネイカー(Bicknacre)     NO.15  ウッダム・フェラーズ(Woodham Ferrer)

Village Signs Village Signs

朝食時間が7時30分からということで出発時間が早くなり、最初の目的地・ハイドホールのオープンまでに時間の余裕ができる。
ハイドホール付近のビレッジ・サイン情報は2つある。
先ずはビックネイカーに遣ってきた。B1418沿いの緑地帯にサインを見つける。デザインは緑の木々に囲まれた廃墟の美しいアーチだ(写真右2枚)。 サインの直ぐ西にある13世紀の小修道院の廃墟で身廊と北翼廊の境のアーチのみが現在も残っているのだという。

B1418を2kmあまり南下すると道路脇に家が1kmほど立ち並ぶウッダム・フェラーズの村に入る。その中心部オーモンズ・クレッセントという 緑地帯にサインがあった。両面でデザインが異なる。
片面には左右に村の名前が記され、4つの盾形紋章がある(写真下左2枚)。上の2つは教会関連だと思うが情報は見当たらない。 下左の3本の剣はエセックスの紋章だ。右の鍛冶屋の金床、水車、蹄鉄、麦束はこの村の産業を表しているものと思われる。
反対の面には上に村の名前、下にミレニアムを記念した”2000”が記されている(写真下右2枚)。中央に村の景色と思われる図柄と大きな蹄鉄が描かれている。 馬の絵も見られるので農業に馬を使ったか、競馬が行われたかしたのだろうが、それらしい情報は見つからない。自動車の図柄にいたってはお手上げだ。 右の紋章は上記の通りだが左の十字の紋章に関しても不明だ。

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王立園芸協会 ハイド・ホール  RHS Garden Hyde Hall

英国王立園芸協会(Royal Horticultural Society RHS)は4つのガーデンを持つ。 ウィズリー(Wisley)、ハーロウ・カー(Harlow Carr)、ローズムーア(Rosemoor)とハイド・ホールだ。過去にウィズリーには1回、 ハーロウ・カーとローズムーアは2回訪れている。ハイド・ホールにはなぜか今日まで訪れることができなかったのだ。
英国王立園芸協会は1804年に始まるエリザベス女王を総裁とするガーデニング・園芸の奨励を目的とする慈善団体だ。 従ってこの4つのガーデンはモデルガーデンとなる。他にはチェルシーをはじめとする数々のフラワー・ショーを開催したり、 ブリテン・イン・ブルーム(Britain in Bloom)という自治体単位の花の町コンテスト、”ザ・ガーデン”をはじめとする雑誌の出版などを行っている。

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

オープン前にパーキングに到着する。既に相当数の車が止まっている。エントランスホール周辺は再整備されたばかりのようで今も工事箇所がある。
ガーデンに入ると目に映るのは緩やかな緑の丘だ。お目当ての花のあるガーデン"Hilltop Garden"は遥か先の方だ。 広々とした芝の広場にスケールの大きなアイランド・ガーデンが点在する(写真上左、中)。この辺は"Clover Hill"と名付けられている。 大きな樹木、こんもり茂るシュラブ、背丈の高い宿根草、低い宿根草と立体感ある壮大なアイランド・ガーデンだ。一斉に入場した人達はどこに散らばったのか人影もなく静かだ。
丘を登っていくとロックガーデンが立ちはだかる。"Dry Garden"と名付けられた乾燥に強いグラス類、エキウム、ユーフォルビア、セダムを中心にした植栽のガーデンだ(写真上右、下左、中)。 全体に色調は抑え気味で落ち着いた雰囲気だ。この種のガーデンにありがちな荒れた雰囲気がなく良い感じだ。
丘を登りつめると"Hilltop Garden"だ。こちらは一目で華やかな色合いに満ちた心浮き立つガーデンだ。"Hilltop Garden"は幾つものガーデンで構成されている。 最初は睡蓮などの水草が浮く"Upper Pond"が涼を呼ぶ(写真下右)。一番高い場所にどこから水が流れてくるのか、澄んだ綺麗な水だ。

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

次は"Herbaceous Border"だ。厚いイチイのヘッジで6つに仕切られたベッドに趣の異なる植栽をしている(写真上下)。 ビビッドな色合いあり、パステルカラーあり、RHSだけにガーデナーの参考になるよう工夫している。草木の名前も分かり易く表示されている。 このように高いヘッジで保護されていれば、背丈のある草花も真っ直ぐ生育できる。

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

その並びに"Modern Rose Garden"がある。ツゲのヘッジで仕切られた6つのベッドが整然と並んでいる(写真上3枚)。バラは正に今が満開。 絢爛華麗さに目が覚める。手入れも行き届いて、これぞお手本だ。
ところで、RHSの4つのガーデンにはそれぞれの名を冠したバラがある。いずれもデビッド・オースチン(David Austin Roses)の作出で、 2004年にRHSの創設200周年を記念して作られたものだ。ハイド・ホールの名のバラは写真上右と下左だ。 ピンクの中輪・八重の花が華やかに咲いている。
その他の3つのRHSガーデンのバラは 2012年の旅日記“英国王立園芸協会 ローズムーア”の項をご覧あれ。
"Hilltop Garden"の南の端は"Rose Rope Walk"だ。50mほどの小径の両側を支柱に渡したロープをつるバラが伝う(写真下中、右)。 バラの壁の間を行くような感覚だ。

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

"Hilltop Garden"の南東角の"Lower Pond"を越えて東面の"Shurub Rose Border"に入る。バラが主張しすぎない見事なボーダーだ(写真上左2枚、下左、中)。 これがガートルード・ジーキルの提唱する“色彩計画(Colour Schemes)の見本だろう。正に絵を見ているようだ。
"Shurub Rose Border"の先には"Gold Border"が続く。コニファーを主体にゴールドカラー・リーフの草木が植えられている。 黄金シモツケのピンクの花が鮮やかだ(写真上左)。"Upper Pond"に戻り"Hilltop Garden"を一周りした(写真下左)。

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

建物の東裏手の谷に"Robinson Garden"がある。ハイドホールをRHSに寄贈したロビンソン夫妻の名を冠したガーデンだ(写真上左、下左)。 岩場の斜面に様々な植栽がなされている。谷に架かる木製の橋は郷愁を呼ぶ。
続いて建物の西側の斜面の"Queen Mother's Garden"を歩く。つづら折れの散策路を行くと美しい葉色の樹木に囲まれた広場が斜面の段々に展開する(写真上中2枚)。
エントランスホールの横にもフラワー・ガーデンがある。コーナー毎に素晴らしいカラースキムを見せている(写真上右、下中、右)。
2時間余りを過ごす。あっという間の時間だ。ショップで草花の種を求める。7袋で16ポンド。1袋400円余は安くはない。円安を痛感する。(痛っ)

Hyde Hall Hyde Hall Hyde Hall

ビレッジ・サイン NO.15  ウィザム(Witham)

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ウィザムのサインは街の真ん中、ニューランド・ストリートの歩道に立っていた(写真右)。花がこぼれるハンギング・バスケットが吊るされている。 街灯にも同じバスケットが下がり、歩道にはコンテナも置かれている。美しい街だ。デザインは幾つもの建物、1つの橋と馬車が1台だ。
上右の教会は"St Nicolas Church"で間違いなかろう。上左の大きな建物は13世紀の納屋 "Cressing Temple"と推察する。
橋は"Blue Mill Bridge"ではないかと思われる。(これらは全て私のネットリサーチによる推測だ。為年)
ウィザムはミステリー作家、詩人、脚本家、エッセイストとして知られるドロシー・L・セーヤーズ( Dorothy L Sayers)の生まれ育った街でもある。 街の図書館の向かい側の歩道脇の木陰に銅像が立っている。愛猫"Blitz"と共に上空を見つめている。

ビレッジ・サイン NO.16  リベンホール(Rivenhall)

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リベンホールのサインは村に入って直ぐの広場にあった(写真右2枚)。図柄は3つに分かれている。左はトラクターと羊で村の産業が農業と牧羊を表しているのは想像できるが、 上部のマークはアメリカ陸軍航空軍(United States Army Air Force)のマークだ。第2次大戦中はここに飛行場(Rivenhall Airfield)があり、 英国空軍とともに米陸軍航空軍も駐留していたことを示すものだろう。
中は教会と書き物をする男性の図だ。意味するところはわからない。上部のマークはテンプル騎士団(Knights Templar)のマークのようだ。 ウィザムのサインにあった納屋 "Cressing Temple"と関連しているものと思う。
右は大きな建物が背景にあり4頭立ての馬車が走っている。何を物語っているのか興味は尽きないが、情報がない。 上の赤・白・青の円形マークはラウンデルといい英国空軍(Royal Air Force RAF)のマークだ。

ビレッジ・サイン NO.17  ケルブドン(Kelvedon)

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街中のハイストリート沿いにサインはあった。一枚板に見事な彫刻が施されている。色合いもなかなか渋い雰囲気だ。背丈も低い(写真右2枚)。
デザインは遠景に教会がある。タワーの形から"St. Mary the Virgin Church"と思われる。手前に橋がある。"The old Packhorse Bridge"かもしれない。 下の川では水鳥が泳いでいる。
左上に“ローマ時代の兜”のように見えるものがある。反対の右上に“えんどう豆”がある。ケルブドンは"'Kelvedon Wonder"というえんどう豆の種を始め 野菜や花の種を多く生産しているという。
左下は“水車”、右下には“本”と思われるものが刻まれている。残念ながら、これに関する情報は得られなかった。
いずれもカントリーサイドとはいえ、町や村の中心部にあるビレッジ・サインの撮影は駐車場所探しに時間が取られる。

ビレッジ・サイン NO.18  コッゲスホール(Coggeshall)

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コッゲスホール(Google地図の表記に倣う)のサインは教会(The Parishs Church of Saint Peter Ad Vincula)の向かいの歩道脇のグリーン・ベルトの中にあった。 周りをバラに囲まれている。
デザインは一方がシトー派修道士が羊を飼っている様子を(後ろに教会も見える)、もう一方は織機の前に立つ業者だという。 どちらもコッゲスホールに繁栄をもたらした羊毛取引を表している。
サインはオーク材に彫刻されており、2000年にミレニアムを祝って建てられたものだ。

コッゲスホール修道院納屋  Coggeshall Grange Barn      コッゲスホール  Coggeshall

ケルブドンとコッゲスホールのビレッジ・サインの中間に コッゲスホール修道院納屋がある。 時間は押しているが、ナショナルトラストのプロパティーなので外観だけでもと立ち寄ってみる。
木造にしては巨大な建物だ。13世紀のシトー派の大修道院が所有していたものだ。(コッゲスホールのビレッジ・サインと関連しそうだ)  広大な屋根が波打っているようだ(写真下左)。パーキングの脇に農業用のカートの展示もあった(写真下左から2枚目)。

コッゲスホールのビレッジ・サインの向かい側に大きな美しい教会がある(写真下右から2枚目)。 茂った樹木で見通しが悪いが"The Parishs Church of Saint Peter Ad Vincula"だ。ゲートの屋根も重々しい。
教会の隣のティンバーハウスの"The Woolpack Inn"が瀟洒な雰囲気だ(写真下右)。15世紀の建物で18世紀初めからインを営んでいるという。

Coggeshall Grange Barn Coggeshall Grange Barn Coggeshall Coggeshall

イーストン・ロッジ  Easton Lodge

イーストン・ロッジは1590年にエリザベス女王からヘンリー ・メイナード(Henry Maynard)に与えられた 1000エーカーもの領地だ。そこには1302年からイーストン・ロッジと呼ばれる狩猟小屋があった。そのため現在もその名で呼ばれている。
大邸宅の建築と火事による損失が繰り返され、第二次世界大戦には軍部に摂取され1万本もの木が倒され空軍(RAF)の飛行場が造られたのだ。 その飛行場が現在のスタンステッド空港(London Stansted Airport)となっている。
イーストン・ロッジの住人で最も有名なのは“デイジー”と呼ばれたフランセス・エヴリン・メイナード(Frances Evelyn Maynard)だ。 彼女は1861年に生まれ、4歳の時にエステートを相続した。莫大な財産と美貌ゆえに多くの王侯貴族との親交があったという。 しかし、彼女はワーウィック伯爵と結婚し、ワーウィック城とイーストン・ロッジで暮らした。 そして、晩年は社会主義者となってイーストン・ロッジに住み、1902年にハロルド・ピート(Harold Peto)に庭を再設計させたのだ。 そのガーデンが現在のイーストン・ロッジ・ガーデンの基礎となっているのだ。
1971年民間人のブライアン&ダイアナ・クリージーが荒れ果てたガーデンを購入し、修理・復元を始めたのだ。 その後ボランティアやトラストが設立され、現在も修理・復元が続けられているいるという。

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

イーストン・ロッジ・ガーデンのオープンは月に1日だけだ。そのオープンデーにこの地に滞在しているのだから訪ねずにはいられない。
最初に入ったのは"Upper Lawn"と名付けられた広場だ。芝生の中に8つの正方形のベッドが築かれ、コニファーと草花が植えられている(写真上左)。 真ん中にはコラムが立っていたようだが、多くは崩れ落ちている。落ちた柱がそのまま転がっているが、数は足りない。誰かが持ち去ったのか?
8つのベッドは4つずつ2列に整然と並んでおり、その両端にカップ型の素敵なデザインのコンテナが置かれている(写真下左)。
森の片隅に樹齢150年のブナの木に彫ったという彫像がある(写真下左から2枚目)。 “美と愛の女神”アフロディテ(Aphrodite = ビーナス)がコリント式コラムの上に乗っている図だ。(拡大写真にアップの写真も)
今は焼失してしまった邸宅の"South Lawn"に入る。整形式ガーデン(Formal Garden)の名残が見られる。ダブルボーダーの突き当たりには "Peto Pavilion"が建っている(写真上中)。上述の1902年の設計者ピートの名がここに残っている。 ボーダーにはバラやデルフィニウムなどが盛りと咲いている(写真上右、下左2枚)。古びたコンテナにロベリアが涼しげだ(写真下右)。

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

一隅にピンクの美しい花を着けたチェストナッツの木が聳えている(写真下左)。昨日オードリー・エンド・ハウスで見たのは白花だったが、 ピンクはさらに美しい。日本の栗とは違うので調べたところ、"Horse-chestnu"といい日本語では“セイヨウトチノキ”であり、 フランス語では"marronnier"すなわち“マロニエ”のことだと判明。
同じ広場に変わった形に刈り込まれたイチイのトピアリーがある。よく見ると日時計だ。生きた木で出来ているから"Living Sundial"と呼ぶらしい。 イチイが時針 (ノーモン) となり、ツゲの木をローマ数字の形に刈り込んで時刻を示す文字盤としているのだ(写真下中)。 ブライアン&ダイアナ・クリージーがミレニアムを記念して造ったものだ。

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

現在に残る建物は1918年の火事で消失した後、デイジーの住まいとして再建された西翼(West Wing)のみだ。小ぢんまりしたものだ。 それが"Warwick House"と呼ばれ、現在クリージー夫妻が住んでいる(写真上右、下左)。
その西側に幾つかの像が立っているスペースがある(写真下左から2枚目)。さらにロックガーデンが現れた。 キリスト像のようだから"Scripture Garden"かもしれない(写真下右から2枚目)。
その先に見える赤レンガの正方形の建物は"Dovecote"だ(写真下右)。17世紀終わりに造られたものだ。

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

"Warwick House"の裏手に噴水がある。嘗ての大邸宅の中庭に当たるらしい。直径15m位の色のついた玉石を埋め込んだサークルの中心に噴水が立つ(写真下左)。 そこから流れ出た水が玉石の間を流れていく仕組みのようだ。玉石の中には星形のデザインの排水口がある。(この日は噴水から水は出ていなかった)

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

最初に入った"Upper Lawn"とその北の"Criquet Lawn"の間に長さ40mの"Yew Walk"がある(写真下左)。 お決まりのように両端にはフォーカルポイントとしてコンテナや壺が鎮座している。
"Criquet Lawn"の北に"Italian Garden"がある。サンクン・ガーデン風に1段下がったところに美しい欄干で仕切られた睡蓮のプール(Lily Pool)があり、 周囲をフラワー・ベッドが囲んでいる(写真上中、右)。おしゃれなガーデンだが、傷みが酷く立ち入り禁止だ。トラストが修復中のようだ。
1902年にピートがこのイタリアン・ガーデンを造った頃の写真がある。   焼け落ちる前のジャコビアン朝の大邸宅の写真もご覧いただこう。。
"Criquet Lawn"にクラシック・カーが並んでいる。アメリカ国旗をつけた軍用車が2台とオートバイが1台(写真下中)。 そして、乗用車が4台ある。いずれも現役で動いていると思われる。その証拠にプランツ・センターで求めた苗木が持ち帰り用に車の前に置いてある(写真下右)。

Easton Lodge Easton Lodge Easton Lodge

ビレッジ・サイン NO.19  リトル・イーストン(Little Easton)

Village Signs Village Signs


イーストン・ロッジのある村リトル・イーストンのサインは村の真ん中のT字路の角に立っていた(写真右)。
デザインの飛行機はイーストン・ロッジの敷地に造られた飛行場を戦時中に飛んでいたB29を表しているのだろう。
鹿は嘗てのイーストン・ロッジの"Deer Park"の鹿と考えて良いだろうだろう。
教会もこの村のセント・マリー教会と推測して間違いない。
上部の左右にある王冠とMとWのイニシアルの意味するとこらは何か?
村名の下の文字は何語で何と書いてあるのか? 右下の緑の葉っぱに黄色の実のように見えるものは何か? 全く情報が見つからない。
(? ? ? イライラは募るばかりだ。)
   

ギッバード・ガーデン  Gibberd Garden

ギッバード・ガーデンに遣ってきた。2003年の旅でも訪れたが、 花がなく彫像だけが展示されているガーデンに失望しながらも写真1枚取らなかったことに後悔もしたものだ。 この11年で私のガーデン観も若干変化してきているし、週3日しかオープンしていない中で日程がジャストヒットした。訪れるべしだ。
ギッバード・ガーデンのオーナーでありガーデナーのギッバード卿(Sir Frederick Gibberd)はガーデンの西5km余りのニュータウン・ハーローの設計者なのだ。 ニュータウンは第2次大戦後のロンドンの過密状態緩和とドイツ軍の空襲で家を失った人のために計画された街造りだ。 また、ギッバード卿はヒースロー空港のターミナルビルなど数々の有名なビルなどを設計しているのだ。
ギッバード卿は"Garden design is an art of space, like architecture and town design."と述べている。共感するところがある。
ギッバード卿がこのガーデンを設計し始めた1972年には3つの彫像しかなかったという。1984年に亡くなった時には80点余になっていたという。

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

ガーデンマップと彫像の写真、タイトル、作者、素材が記された詳しいパンフレットをいただき、番号順に辿ってみる。
先ずは門柱の上の"Eagles"だ(写真上左)。力強さを感じる。次は破風飾りの"Coat of Arms"だ(写真上中)。ドンカスター 王立裁判所のものらしい。
スチールとステンドグラスで創られた"Construction 11"は知恵の輪のように見える(写真上右)。"Interlock"という作品も知恵の輪のようだ(写真下左)。鉄を鋳造したものだ。
"Mobile"はずばりモビールだ(写真下左から2枚目)。風に揺れている。"Bride"というタイトルの作品(写真下右から2枚目)。良く分からない。
"Mother and child"という作品が素晴らしい(写真下右)。母親の子を慈しむ顔が良い。(拡大写真でどうぞ)

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

写真上は左から "Bull" "Coiled Pot" "Four Urns" だ。タイトルのまんまだ。それなりに周囲に馴染んでいる。
下は左から "Seed" "Head of Frederick Gibberd" "Stretching figure" "Columns" だ。
Seed"は分かりにくい。"Head of Frederick Gibberd"は2つあった。同じ作者がブロンズとコンクリートで鋳造している。
"Stretching figure"は朝の目覚めの少女か? 小さな作品だ。
"Columns"と"Four Urns"はギッバードが改装したCoutts Bankから持ってきたものだという。林の中に並べて置かれている。 あたかもローマの寺院が出現したかのようだ。(それにしても、建築現場からあれこれ持って来る人だ。手造り感はあるが統一性は欠くことになる)

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

上は左から "Tow dogs" "Daffodils" "Hinge" "Mr Deer" だ。“2匹の犬”、“ラッパ水仙”、“蝶つがい”、“ミスター鹿”と分かりやすい。 鹿くんは木製だが、30年も傷まないでもっているのだろうか?
下は左から "Bifurcation Inflation" "Large jndustrial pot" "Ladle 1" だ。
"Bifurcation Inflation"は“2つに分裂した膨張体”とでも訳そうか。"Please don't jump"と注意書きがあるのに小さな子供が乗って遊んでいた。 作品が変形しないか心配する。 (帰国後ネットの以前撮られた写真と比べるとやっぱり変形していた。これも30年も前からあったのだろうか?)

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

上左から "Woman with kid" "Lucinde" "Gazebo & Grotto"(これは彫像リスト外) "Queen Victoria" だ。
バラのアーチの中の"Kid"“は子ヤギ”のことだ。(拡大写真でご覧あれ) "Lucinde"は女性の名前。艶かしい。Gazeboの2階テラスは8角形だ。
"Queen Victoria"はGrottoの外側にあった。周囲の黒い点はワインボトルの底で、Grottoへの明かり採りだ。疑問に思う。
下左から "Pool"(これもリスト外) "Bird" "Weighty Quaker No3" "City" だ。
"Pool"はガゼボの2階テラスからつながる。睡蓮の生育が見事だ。プールの縁に"Bird"がいる。"Weighty Quaker No3"は意味不明。
"City"はギッバードが最初の妻から結婚記念にプレゼントされたもので、彫像のコレクションのきっかけとなったものだという。 もちろん最初の3つの彫像の内の一つだ。 他にも数多く撮影したが、芸術音痴の私には理解不能のものばかりだ。

Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden Gibberd Garden

ビレッジ・サイン NO.20  シェアーリング(Sheering)     NO.21  ハットフィールド・ヒース(Hatfield Heath)

時刻は17時20分、ディナーの予約は19時だ。ビレッジ・サイン巡りのスタートだ。
最初はシェアーリング村だ。サインは村の中心、B183沿いのバス停と掲示板やベンチのあるグリーンベルトにあった。
デザインは大きな森を背景に教会がある。村の"St Mary's Church"だろう。真ん中に開かれた本が見える。ウィリアム1世が行った検地の結果を記録した世界初の土地台帳・ ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)を示しているものと思われる。というのは、1086年のドゥームズデイ・ブックにシェアーリングが "Sceringa"という旧名で記載されていたのだ。そのことを村名の上の"Sceringa 〜 1086"で表しているのだと考えられる。 古い歴史を持つことは村民にとっての誇りなのだろう。
ドゥームズデイ・ブックの 内容は単に土地の台帳だけでなく、家畜や財産など細かく調査し、課税の基本としたものだったという。1086年の記録には
"there were 2 cobs , 1 mule (1 of only 2 in the entire Domesday Survey) , 1 ass , 84 sheep , 56 pigs , 3 beehives "と載っているのだ。
すなわち、馬(cob)2頭、ラバ(mule)1頭、ロバ(ass)1頭、羊(sheep)84頭、豚(pig)56匹、3つの ミツバチの巣箱(beehive)の資産があったのだ。 この内ラバとロバが左に、3つの ミツバチの巣箱が左上から右下に描かれている。 (この発見に至るには随分時間を要したが、とても愉快な出来事だった。因みに、ラバは雄のロバと雌のウマの交雑種だ。従ってラバの方がロバより大きいのだ。)
右に麦穂を束ねたものと穀物袋がある。村に繁栄の歴史を見事に表しているビレッジ・サインだ。

B183を2km足らずでハットフィールド・ヒースの村に着く。往きに感じたのが「大きなビレッジ・グリーンが開放的な明るい村」という印象だ。
B183とB1060が交差する周辺に広大なビレッジ・グリーンが広がる。これがクリケット場なのだ。サインはB道路の重なる角にあった。
周囲の鉄枠がお洒落な感じだ。デザインはそのものずばりクリケットの試合風景が描かれている。“クリケットの村”なのだろう。 ビレッジ・グリーンの中には村のクリケットクラブの事務所や選手控え室(Pavilion)もあるという。
その背景にはお決まりのように教会(Holy Trinity Church)が描かれている。また、エセックスの紋章(赤い盾型に3本の剣)も描かれている。

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ビレッジ・サイン NO.22  ハットフィールド・ブロード・オーク(Hatfield Broad Oak)

B183をさらに北東に3km足らずでハットフィールド・ブロード・オークに入る。教会横のグリーンベルトにサインが立っていた(写真下左2枚)。
デザインは上段の半円形の中に大きな木が描かれている。村の北3kmにあるハットフィールド・フォレスト(Hatfield Forest)にある"Doodle Oak"というオークを表しているようだ。 ハットフィールド・フォレストは唯一残る"Royal Hunting Forest"だ。"Doodle Oak"はこの森にあったオークで1295年にはその存在が記録されているという。 イングランドで最も大きな木といわれ1859年に樹齢850年で倒れたもので、街の名前の由来となる。その残骸が今も残るという。(実際には別の木だという説もある) (参照 ナショナルトラスト:Hatfield Forest  ナショナルトラスト:Doodle Oak
左の紋章は村の出身で下院議員を務め准男爵のバーリントン家(Barrington Family)のものだ。
右の紋章はマグナカルタの執行25男爵の一人・ロバート ・ド・ヴィア(Sir Robert de Vere)の紋章だ。 ロバート伯爵は死後、村のセント・マリー教会(Church of St Mary the Virgin)の前身である小修道院(Hatfield Regis Priory)に葬られているのだ。 そのセント・マリー教会が下段右の部分に描かれている。
下段左のポンプはビレッジセンター手前の三叉路のグリーン地帯にあるポンプ(Village Pump)だ(写真下右から2枚目)。ビレッジ・サインの情報収集の中でその存在を知ったので ビレッジ・サインの前に何気なく撮った写真だが、サインの図柄と同じものが撮れていた(写真下右)。 背景の建物のティンバーの部分は傾いている。イギリスでは珍しい無粋な看板が立っている。

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ビレッジ・サイン NO.23  テイクリー(Takeley)     NO.24  リトル・キャンフィールド(Little Canfield)

ハットフィールド・ブロード・オークからB183を5kmほど北上するとテイクリーだ。B1256との交差点にサインはある(写真下左2枚)。
このサインについては"Takeley Local History Society"に詳しい記述があった。 大方のサインにこんな情報があるものと思っていたのに23個目で初めて見つかった。ありがたい。
これによれば、デザインの赤い十字はイングランド国旗の"The Cross of St George"を表している。
左上の3本の剣は既述のようにエセックスを示し、サクソンとの関係を表しているのだという。
右下の教会は村の12世紀に始まる"The Church of Holy Trinity"を表しており、ノルマン人との関係を示すという。
4本の木はトネリコ(Four Ashes)で”教区の中心”("centre" of the parish)を表しているという。また、テイクリーは"Settlement next to open Forest"と 呼ばれ上述のハットフィールド・フォレストに近く、森から切り出した木で住宅を造っていたことも表している。
周囲のアイビーの葉はローマ人との関係を示しているという。ローマ人は家の壁を覆うアイビーは悪魔から守ってくれる幸運の植物と信じているそうだ。

テイクリーからB1256を東に3km、リトル・キャンフィールドのサインは村の東はずれにあった。
盾の形を十字に4等分し、それぞれに村のランドマークや特徴を表す絵が描かれている。中央にはエセックスの縦形紋章がある(写真下右2枚)。
まず左上は"Little Canfield Windmill"だ。1590年から1930年まで使われれていたという。
右上は村の教会"All Saints Church"だ。歴史は12世紀に遡るという。左下は鍛冶屋(Blacksmith)の仕事風景だ。
右下はこの村生まれの16世紀の神秘主義者にして国教会忌避者であったベネット・キャンフィールド(Benet Canfield)が描かれている。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

ザ・グリーン・マン  The Green Man

Green Man Green Man

効率よくビレッジサイン巡りが進んだ。予約時間より50分早くザ・グリーン・マンに着いた。 既にパーキングは満杯だ。少し早すぎるので写真など撮って時間を潰す。パブサインが繊細なデザインで料理も期待できそうな感じだ。 ネットでは建物の壁が店名通り緑に塗られたものも見られ首を捻ったのだが、今は白く塗り替えられている。この方が清潔感がある。
時間を潰すといっても周囲は農地が広がるばかりだ。45分早く入店するが問題なく席に通される。2面が窓の角の上席だ。 真っ白で光沢のあるリネンのテーブルクロスが眩しいテーブルだ(写真右)。気持ちが良い。
日曜日なので客の出が早いのだろ、テーブル席はほぼ満席だ。しかし、屋外の席はほとんど空だ(写真下中)。 白いパラソルには"Piper Heidsieck"と控え目に書かれている。フランスのシャンパン会社の名前だ。 マリー・アントワネットに献上されたというから由緒あるブランドだ。
それは置いておいて、我々はハウスワインの赤としよう。

Green Man Green Man Green Man

さてオーダーはスターターとして ・ Beer battered king prawns with aioli と ・ Greek feta with tomato, cucumber, olive and red onion
メインは ・ Pan roast filet of salmon with Kiln smoked salmon fish cake, watercress and beetroot salad, tartare sauce と
      ・ Roast leg of lamb, Yorkshire pudding, pigs in blankets and cranberry sauce とする。
シェア用の取り皿も快く準備してくれた。どれをとっても申し分なく、本当に美味しい。さすがに“ミシュランガイド”に載るだけのことはある。 とはいっても高級レストランではない。欧米のミシュランガイドには“星なし”の店の方が多く掲載されているのだ。
この店はパブカウンターもあり元はパブであったろうが、もはやレストランだ。

Green Man Green Man Green Man

F.U写真集  F.U Photo Album

今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。

写真下左から順に
ハイド・ホール   "Dry Garden" 濃密な植え込みだ
ハイド・ホール   "Modern Rose Garden" 6つあるベッドは各々カラーポリシーが異なる
コッゲスホール   "The Woolpack Inn" ウインドーボックスもハンギングバスケットも花が溢れている
イーストン・ロッジ "South Lawn" 木の向こうに小生が写っている

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