第5日 6月24日(火) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 The Grove House --- Ipswich(Ancient House, Cornhill, Giles Statue,Cardinal Thomas Wolsey Statue,
Major Statue at Major's Corner,Question Mark Sculpture, Wolsey's Gate etc.) ---
Haughley Park --- Carter's Teapot --- Framlingham Castle --- The Grove House
今日の走行距離 200 km
今日の万歩計 22,000 歩
今日の出発時気温 18 ℃
ザ・グローブ・ハウス The Grove House
グローブ・ハウスも朝食は7時30分からいただける。ありがたいことだ。食事前にハウスの外回りをぐるっと一回りする。
ホストのポールがハンギング・バスケットや花壇に水遣りをしていた。ハンギング・バスケットなどは業者が作ったもので定期的に手入れに来てくれるが、
水遣りだけは自分でするのだという。バスケットは全部で8つ、見事に花が溢れている(写真下左2枚)。
室内は非常にシンプルな装飾だ。大きめのスリムな女性像が2体、窓際を飾り(写真下右2枚)、壁に幾つかの額が掛かっているのみだ。
このB&Bが男性二人の共同経営だということを思い起こす。
いつも通りにフル・イングリッシュをオーダーする。ジュース。ヨーグルト、フルーツ、ホットミールはベイクド・ビーンズとフライドポテトがついている。
すべてを美味しく平らげる。
グローブ・ハウスではランドリー・サービスはないという。男性の経営では期待するのが無理というものだ。
隣の町メルトン(Melton)にランドリー・ショップがあるというので地図を描いてもらい開店の9時30分を目指して出発。
地図の通りに来たはずだが、そこは何かの工場か倉庫のような広場だ。道を尋ねたいが、見受けられるのはアフロヘアーの黒人二人組だ。
気後れしていると向こうから声を掛けてきて親切に教えてくれた。隣りの細い道を入ったエリアだった。午後3時以降ならいつでも引き取りOKとのことだ。
懸案事項を一つ片付けて一安心。
ビレッジ・サイン NO.35 ハスクトン(Hasketon) NO.36 バーフ(Burgh)
イプスウィッチ(Ipswich)の街歩きの前にイプスウィッチ周辺のビレッジ・サインをいくつか回っておこう。
最初はB&B近くのハスクトンだ。サインは教会の斜向かいのビレッジ・グリーンに立っている(写真下左2枚)。
デザインは2頭の馬に鋤を牽かせて畑を耕す農夫と畑の畝がシルエットで表されている。周りに燕のように見える鳥が3羽飛んでいる。
その意味するところの情報はない。ただ、この村も1086年のドゥームズデイ・ブックに"1 men's ploughteams"と記載されている。
"1 ploughteams"は8頭の牛を所有していたことを示すとのことだ。美しいシルエットを後ろの大木が邪魔しているのが残念だ。
ハスクトンからローカルロードを西北西へ2kmでバーフ村の中心の交差点に着く。その一角にサインはあった(写真下右2枚)。
一般的なポールにサインボードという形ではない。ミル・ストーンに村の名前を刻んだだけのものだが、立派なビレッジ・サインだ。
サインの西200mのところに1842年に造られた風車が残っているというから、
それを表現しているものと思う。人口200人の小さな村で風車は自慢なのだろう。風車で使われていたミル・ストーンかどうかは不明だ。
ビレッジ・サイン NO.37 グランディズバラ(Grundisburgh) NO.38 ウィットネシャム(Witnesham)
バーフから西へ1kmでグランディズバラだ。大きな村だ。中心部に気持の良いビレッジ・グリーンが現れた。大きな柳の木と教会を背景にサインは立っていた(写真下左)。
デザインは黒いボードに金色のライオンの頭が3つとシンプルながら豪華な雰囲気だ(写真下左から2枚目)。
下部に"Garter banner of 2nd Baron Cranworth"と記されている。これを頼りにリサーチすると背景の教会"St.Mary's Church"の
洗礼盤の上に掛かっている旗に様式化された3頭のライオンが描かれていると判明した。
元はウインザーの"St George 's Chapel"にあったものだという。それにつけても、良い雰囲気の村だ。
グランディズバラから西へ直線距離で4km、車で回り道をして15分でウィットネシャムに着く。B1077沿い、村の南の入口辺りにサインは立っている(写真下右2枚)。
アイアン製のシルエットだが、カラフルなサインだ。このサインは1977年にエリザベス女王のシルバージュエリーを記念して建てられたものだ。
この村に1947年から1995年まで住んでいた風刺漫画家のカール・ジャイルズ(Carl Giles)がデザインし、除幕したものだという。
(彼は40年間に亘り、デイリー・エクスプレス(Daily Express)紙に風刺漫画を掲載していたのだ。その最も人気のあるキャラクターformidable matriarch "grandma"
の像はこの後のイプスウィッチの街歩きで訪れる予定だ)
デザインされているのは金色で示される“小麦の束”と白色で示される“5本のバーのゲート”とピンク色で示される“5匹のブタ”だ。
カール・ジャイルズはこの村で280エーカーのブタを飼育する農場を所有していたという。
こんなふうに情報が見つかるとこの企画も楽しいというものだが・・・、さて・・・。
サインの脇のパーキングの斜面がお花畑になっていた。
イプスウィッチ街歩き Ipswich "Ipswich Sculpture Trail"
イプスウィッチの街歩きの情報を探していて"Ipswich Sculpture Trail"(PDF)
なるサイトを見つけた。これに幾つかの別の情報を加えシティーセンターを一巡りするコースを作った。
パーキングはシティーセンターの"Cromwell Square Car Park"とウォーター・フロントの"Waterfront Car Park"をナビ子ちゃんに登録済みだ。
先にウォーター・フロントを済ませることにしよう。お目当ては水ではなく“クエスチョンマーク(Question Mark Sculpture)”だ(写真下 Ipswich Sculpture 1)。
"University Campus Suffolk"のキャンパスにある彫刻で20万ポンドを費やして2011年に完成したが、「税金の無駄遣い」という否定派と「芸術は人生にとって重要」、
「疑問を持つことは成長に繋がる」との肯定派の間で大論争になったのだという。私の野次馬根性をくすぐる情報だ。見るべし。
"University Campus Suffolk"は2007年に開学したばかりの大学だから建物もピカピカだ。クエスチョンマークがガラスに映りこんでいる。
建物もモダンなデザインだ(写真上右、下左)。
来てみれば何のことはない、大理石製と思われる巨大な“?”が転がっているだけだ。オセロのように表と裏で白黒に分かれている。
作者は何を語りたかったのか? これが芸術かどうかは分からないが、学生にとって“?”は大切な事だろうと思う。
私の好奇心は満たされた。キャンパスは一般人も自由に往来できるオープンな雰囲気だ。
ウォーター・フロント・キャンパスと呼ばれるくらいだから道路一つ隔ててネプチューン・マリーナが見える(写真上中)。
マリーナのゲートも素晴らしいデザインだ(写真下左 Ipswich Sculpture 2)。マリーナといっても海ではなくオーウェル川(River Orwell)に繋がり北海までは20kmほどある。
歩道から見えるフラット(日本でいうマンション)の中庭の海神ポセイドンの三叉の銛と網(Trident and Nets)のオーナメントもマリーナらしい雰囲気だ
(写真下左から2枚目 Ipswich Sculpture 3)。
次はシティーセンターのパーキングをナビ子ちゃんに指示しスタート。さすがに大都市だ。一方通行の多い込み入った道路ばかりだ。なかなか辿り着かない。
「ナビ子ちゃん大丈夫か?」と危惧し始めたころに、無事到着した。3時間のペイ&ディスプレイをしてトレイル出発だ。
パーキングの出入り口にラグビーボールを抱えた男性像が立っている(写真下右から2枚目 Ipswich Sculpture 4)。ロシア人のPrince Alexander Obolenskyの像だ。
彼はイングランド代表選手としてオール・ブラックス(ニュージーランド代表)と戦い大活躍をして伝説の人となったものらしい。
カントリーサイドのビレッジ・サイン探しの難点はトイレがないことだ。このパーキングにもトイレがない。先ずはトイレを探そう。
セント・ニコラス・ストリートを北へ、ファルコン・ストリートを東に歩くと巨大なバターマーケット・ショッピング・センターが見えた。
バーが開いていたので迷わず入る。「オーダーは後でするからトイレを借りたい」と案内を乞い、トイレを済ませる。
テーブルに座ってオーダーしようとすると「トイレは自由に使って良いですよ。オーダーは必要ありません」とのことだ。お言葉に甘えて散策開始。
クイーンズ・ストリートを北上しプリンシズ・ストリートと交わる角にお楽しみの一つジャイルズの“グランマ”(Giles "Grandma")がみつかった(写真下右 Ipswich Sculpture 5)。
ウィットネシャムのビレッジ・サインの項でも述べたようにジャイルズが1945年に発表したジャイルズ・ファミリー(The Giles family)の主人公の
おばあちゃんがこのデブっちょのグランマだ。花柄の帽子にゴーグルのようなメガネ、ロングコートを着て、右手に傘を持ち左手に鍵の着いたハンドバッグを持っている。
彼女が向いている先にはカール・ジャイルズが40年務めたデイリー・エクスプレスのオフィスがある。
この像に登場するその他のキャラクターについては拡大写真の中で紹介しよう。クリックしてご覧あれ。
キング・ストリートを西に進むと右手に"Corn Exchange"と"Exchange Chambers"が並んでいる(写真上右)。エクスチェンジ・チェンバーの出入り口の上の
半円の窓の脇に二人の女神の像がある(拡大写真でどうぞ Ipswich Sculpture 6)。エクスチェンジ・チェンバーは両替と果物、野菜の市場として栄えたという。
エルム・ストリートに進み暫く行くと右手にセント・マリー教会(St Mary at the Elms Parish Church)が現れる。前庭のバラが美しい(写真上左)。
ここの玄関ポーチの上にモダンな彫刻が見られる(写真下左 Ipswich Sculpture 7)。2006年に造られたもので中央は世界の救世主
"Salvator Mundi"としてキリストを表しているという。左は聖処女マリアを"Salvator Mundi"として描写し、右は宣教師"St John"を表しているという。
中央には"Salvator Mundi"の文字が刻まれている。左には"Salvator Mundi"=海星(Star of the Sea)を表現する星と波が描かれている。
右には"Salvator Mundi"のシンボル鷲(Eagle)が刻まれた福音書が描かれている。(3つの彫刻のアップ写真は下左の拡大写真でご覧あれ)
セント・マリー教会の横の三角形のグリーンにあぐらをかいて粘土を丸く捏ねている少女の像がある(写真下左から2枚目 Ipswich Sculpture 8)。
台座に"TAM"と記されている。彼女のニックネームだ。アーチストの娘で彼女も現在はアーチストになったいるそうだ。1995年の作だ。
シビック・ドライブ通りに出て北上すると大きなランドアバウト(Civic Drive Roundabout)がある。そのランドアバウトの真ん中に"The Ship"という
ヨットの形の彫刻が立っている(写真上中 Ipswich Sculpture 9)。1971年に造られたもので
ウォーター・フロントのイプスウィッチを表現しているという。周りの花も美しく管理されている。
次のランドアバウト(St Matthew Roundabout)の一角のビルの壁に意味不明の彫刻がある(写真下右から2枚目 Ipswich Sculpture 10)。
"Sor of Hing"というタイトルだ。新聞社の印刷ミスに関わるものだというが、詳しくは理解できない。
ラウンドアバウトを右に折れ東に向かう。クラウン・ストリートからウェストゲート・ストリートに入ったところの小路"Lady Lane"に小さなマリア像がある。
"Madonna of Ipswich"と呼ばれる(写真下右 Ipswich Sculpture 11)。 右足を上げて岩に座り、キリストを膝で抱えている聖母マリアだ。
左手にはりんごを持っている。元は先述のセント・マリー教会にあったものらしい。また、そこに至るまでには色々とあったらしいが、詳しい経緯は他に譲ろう。
ウェストゲート・ストリートをさらに東に進むと"Cornhill"という広場に出る。街の中心だ。正面に"Town Hall"が鎮座している(写真上右)。
上述の"Corn Exchange"の裏手に隣接している。1866年の建物で現在はアートセンターとイベント会場として使われているという。
2階のアーチ窓の上に"King Richard I"、"Cardinal Thomas Wolsey"、"King John"の円形レリーフがある。その上の欄干の部分に4つの女性像がある。
"Commerce"、"Justice"、"Learning"、"Agriculture"を表しているという。"Commerce"は豊饒の角を持ち、"Justice"は目隠しをされ、権力の剣を持つ、
"Learning"は巻物と本を持ち、"Agriculture"は大鎌と花を持って、それぞれの役割を表している(拡大写真にアップの写真あり Ipswich Sculpture 12)。
"Cornhill"ではマーケットが開かれている。毎週火・木・金・土曜日に開催されるという。兎に角、新鮮で安い。イチゴも、チェリーも1ポンドだ(写真上左)。
ポテトが大きい。妻の握りこぶしよりでかい(写真上中)。ご当地特産のアスパラガスもカリフラワーも不揃いだ(写真上右)。
洋品店も出ている。妻は沢山吊るされたワンピースの中から気に入った柄を見つけゲット。手芸品の店で孫娘にクロスステッチを求める。
(これは夏休みの自由研究になったようだ)
東の一角に"Post Office"がある(写真下中)。ポーチの上にこちらも4つの女性像がある。こちらは"Industry"、"Electricity"、"Steam"、"Commerce"を
表しているという。(こちらも拡大写真にアップの写真を載せた Ipswich Sculpture 13)
ウェストゲート・ストリートがタバーン・ストリートに名前を変え、一大繁華街に入る。ストリートパフォーマー(Street Performers )も出ている(写真右)。
ここで懸案事項を一つ解決しなければならない。というのは2011年にトラベラーズチェックを2000ポンド購入したが、
カントリーサイドの旅では使える店がほとんどなく、現時点で1750ポンド残っている。円安だからこの際全部現金化しようという算段だ。
タバーン・ストリートには銀行や両替屋が集中している。調べるとポスト・オフィスが手数料が安そうだ。
"Twor Ramparts Shopping Centre"にポスト・オフィスが入っている。尋ねると2階にあった。
窓口には長い列ができている。係員に両替の窓口を尋ねると幸いに別の窓口に案内され直ぐに手続きに入る。しかし、それからが長い。
係員の前で全てにサインをしなければならない。その後、アメリカン・エキスプレスに問い合わせの電話が必要なのだが、
相手がビジーで直ぐに対応してくれないのだという。しばらくして電話をかけ直し、確認が取れたらしい。次は希望の紙幣の額の確認だ。
50ポンドは使いにくいので、なるべく10と20ポンド紙幣を多くお願いすると快い返事だ。
ところが、戻ってきた紙幣が、全部使用済みの古い紙幣だからかさ張ること甚だしい。結局30分以上かかって両替が完了した。手数料は額面の1,5%だった。
この間にこの窓口にも行列ができていた。それにつけても、じっと静かに列に並ぶ我慢強い国民性だと感心する。せっかちな私なら怒り出すところだ。
トイレで札束とパスポートを胴巻きに入れるとお尻の辺りが膨らんで気になるが、安全第一だ。旅の最中この状態が続いた。
街歩き再開。洋品店でTシャツが"Buy 1 Get 1"となっていた。生地もしっかりしていた色目も良い。息子と娘のパートナー、私の分で4枚を求める。
タバーン・ストリートとノースゲート・ストリートの角辺りに歴史を感じさせる建物がある。木造だろうがしっかりとした造りだ(写真下右)。
その向かいに"Great White Horse Hotel"がある。1518年の建物だという。この宿には46頭の馬小屋が併設され、上述のセント・マリー教会巡礼者を迎えたという。
入口の上に18世紀に造られたホテルのシンボルであるホワイトホースの像がある(写真下左 Ipswich Sculpture 14)。
街歩きでウォーター・フロントに始まりウェストゲート・ストリートなどで同じ大きなプランターに柳の枝で編んだオブジェを飾ったものが見られた。
プランターはもちろんオブジェにも花が植えられている(写真上)。そのオブジェは商店に関連したもののようだ。左からマリーナ、洋品店、
時計屋、ティールームの出展のようだ。"Ipswich Floral Trail Competition"というイベントだ。モバイルフォンで投票して順位を決めるらしい。
投票すると100ポンドの商品券が5名に当たるという触れ込みだ。客の足を拡げようという作戦のようだ。
ノースゲート・ストリートを北に上がると左手に"Royal Oak Inn"が現れる(写真下中)。15世紀の建物で現在は法律事務所だという。
柱や梁に精巧な彫刻が施してあったり、格調高い紋章の彫刻が入口の上に飾ってあったり、窓にはおしゃれなステンドグラスが填っていたりして
絢爛豪華な造りだ。(拡大写真でご覧あれ Ipswich Sculpture 15)
北に進みオールド・ファウンドリー・ロードとの右角に図書館がある。オールド・ファウンドリー・ロードから入った入口の吹き抜けに、グラス製の円盤が
螺旋状に沢山ぶら下がっている。これが"Spirak Vortex"というタイトルの作品だ(写真下右 Ipswich Sculpture 16)。
テーマは“知識”だというが、良く伝わってこない。
A1156に出てクライストチャーチ公園(Christchurch Park)に向かう。ソエイン・ストリートとの角にも歴史を感じさせる建物がある。
どこか微妙な歪みと傾きがあり、目が眩む(写真下左)。
クライストチャーチ公園に入ると広い芝の広場の向こうにクライストチャーチ・マンションが見える(写真下中)。チューダー様式で500年の歴史がある建物だ。
この公園内にも幾つものスカルプチャーが見られるとの情報だ。遠くに兵士像と戦争記念碑が見える(写真下右 Ipswich Sculpture 17)。
しかし、街歩きの行程はまだ半分。残りの距離を考えると、スカルプチャーを探して広い公園内を歩き回る元気はない。
バター・マーケット通りにやってきた。この通りも賑わう繁華街だ。その中ほどに"Ancient House"あるいは"Sparrowe's House"(スパロウ・ハウス)
と呼ばれる建物がある(写真上左 Ipswich Sculpture 18)。この建物の歴史は14世紀に遡るという。
しかし、1603年にロバート ・スパロウ(Robert Sparrow)がここを所有し、その家族が300年間手を入れて住み続けた中で現在の形になったという。
スパロウは食料雑貨商人(Grocer)で世界からスパイスを始めとする食料雑貨を取り寄せ成功を収めたのだ。
それがバター・マーケット通りに面した2階の4つの出窓の壁の漆喰装飾(Pargetting)に表されている。
すなわち、チューダー王朝期の4大陸(オーストラリアはまだ見つかっていない)ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカが表現されているのだ。
バター・マーケット通りから向かって左側から順にヨーロッパが馬に乗った豊饒の角を持つ女性と城で(写真上中)、
アジアは馬に乗った女性とモスクのような建物で(写真上右)、アフリカは槍と日傘を持った裸の男性で(表写真下左から2枚目)、
そして、アメリカが足元に犬を従え、弓矢を持ったインカ族の男性で(写真下右から2枚目)表されているのだ。
中央、アジアとアフリカの間にチャールズ2世の紋章(Royal Arms of King Charles II)が漆喰装飾で掲げられている(写真下左)。
金色を中心に色付けされた豪華のものだ。真ん中の円の中の文字は古いフランス語で"HONI SOIT QVI MAL Y PENSE"と記されている。
英語では"shame upon him who thinks evil of it"になる。下に記されているのは"DIEU ET MON DROIT"で"God and my right"だ。
これは1651年の"Battle of Worcester"で敵から逃れたチャールズ2世がこの家の隠し部屋(secret room)に匿われたことを表しているという。
1660年に造られたものだ。
1階の柱には極めて精巧で立体的な彫刻が施されている(写真下右)。現在は" Ipswich Borough Council"の所有だが、こんな歴史的建物が貸し出され、
普通の商店として使われながら保存されているのが何とも素晴らしい。
スパロウ・ハウスの前に訪れたスカルプチャーも野次馬根性を刺激してくれたものの一つだ。A1156を西に進むと"Major’s Corner"
の建物の屋上に変なおじさんが、変わった形のものを振りかざしている像がある(写真上左 Ipswich Sculpture 19)。
手にしているのは”ハエたたき”だ。壁にハエが2匹とまっている(拡大写真でどうぞ)。実はここが公衆便所という落ちまで付いているのだ。
スパロウ・ハウスの脇を抜け、トイレを借りたバターマーケット・ショッピング・センターの横を通り、古い建物(写真下左)を眺めつつ、
サイレント・ストリートを進むとスタートしたセント・ニコラス・ストリートに戻る。その角に威風堂々の像がある。
昨日のイースト・ベルゴルトのビレッジ・サインの項で登場したトマス・ウルジー枢機卿(Cardinal Thomas Wolsey)の像だ(写真下中 Ipswich Sculpture 20)。
トマス・ウルジーはイプスウィッチの肉屋の息子でオックスフォード大学を出てヘンリー8世に認められ、枢密院議員、ヨーク大司教、枢機卿、教皇特使となり
1515年には大法官となり権勢を誇った。ヨーク大司教ロンドン公邸には、常時500人の使用人がいたといわれ、ハンプトン・コート宮殿は彼の私邸だったのだ。
しかし、ヘンリー8世の離婚問題でローマ教皇との交渉が不首尾に終わり、ハンプトン・コート宮殿を王に献上するも大法官を罷免されてしまったのだ。
そんな彼はイプスウィッチの市民にとっては誇りとする英雄なのだろう。広い歩道の真ん中にウォーター・フロントを向いて鎮座している。
ウルジーの像の後ろ側にも年代を感じさせる建物が建っている(写真下右)。
セント・ペーター・ストリートを南に下り、スター・レーンを越えた左手にセント・ペーター教会がある(写真上左から2枚目)。
入口のアイアンゲートが美しい。(拡大写真からどうぞ Ipswich Sculpture 21)
南側の入口のドアーの彫刻がファンタジーだ(写真上右から2枚目)。デザインは二人の音楽の天使がフルートとホーンを吹いている。
足元には魚が描かれており、背景は波を表しているように見える。これは教会がウォーター・フロントに接していることを表しているようだ。
背景の上の半分は星が散りばめられている。これは天使が星空を飛んでいることを表している。その天使の翼が管楽器の共鳴器なのが楽しい。
(拡大写真からアップ写真をどうぞ Ipswich Sculpture 22)
セント・ペーター教会の東隣りの建物もかなりの年代ものだが、修理中のようだ。ゲートが重々しい(写真上右)。
ここまででイプスウィッチのスカルプチャーを22個楽しんだ。この歴史ある街は他の切り口でも楽しめるだろう。再訪したいものだ。
ホウリー・パーク Haughley Park
バリー・セント・エドマンズに近いホウリー・パークに遣ってきた。
ここは毎週火曜日午後2時から5時30分までのオープンなのだ。”限定”とか“今だけ”に弱い私としては見逃せない。オープン時間に合わせて遣ってきたのだ。
ここはメアリー 女王(Queen Mary)からジョン・サルヤード卿(Sir John Sulyard) に付されたもので当初は2500エーカーもの広さだったという。
1620年に現在の赤レンガのジャコビアン朝のマナーハウス(写真下中)が建てられ、紆余曲折を経て現在は個人の所有で250エーカーの広さだという。
到着するとパーキングには多くの車が止まっている。しかし、人影は見当たらない。ハウスの前に池があり睡蓮が咲いている(写真下左)。
池の中にガラス製の彫像が建っている。池の向こう側の丘にもある。"Danny Lane"の2006年の作品でハウスの前庭やバーンの前庭などのもあった。
ハウスはプライベートとなっているので、バーン(納屋)に向かう。納屋の中に大勢の人がいた。しかし、会議でもしているのか、我々に一瞥しただけで何の反応もない。
納屋は17世紀にできたもので屋根の高い堂々たる構えだ(写真下右)。裏手にも幾つもの納屋がロの字に建てられている。
周囲を歩き回っても受付らしきものも見つからないので、情報に何か誤りがあったのかもしれないと引き上げることにする。
車に乗り戻りかけると広大な芝生を刈っている男性がいる。今日は休みなのか聞くと「そうではない。何が見たいのだ?」と言う。
「ガーデンが見たい」と答えると「この全部がガーデンだ」ど言う。「フラワー・ガーデンはないのか?」と訊くと
「キッチン・ガーデンに咲いている。着いて来なさいと」歩き出した。車をパーキングに戻して着いて行くと小さな入口からウォールド・ガーデンに入られた。
一旦消えた男性はパンフレットを持って再び現れる。「料金は?」と訊くと首を振っていってしまった。
壁に囲まれたガーデンは柘植のヘッジで仕切られたボックスに野菜やハーブが整然と植えられ、すっきりした雰囲気だ。
壁にはバラを始めつる性の植物がクライムしている(写真下左)。
キッチンガーデンの一角にはクリムティーでもしたくなるコーナーがある。満開の紫陽花が美しい(写真下中)。
1本の木をくりぬいて作られたと思われる彫像は納屋の前の"Barn Lawn"に立っていた(写真下右)。
期待が大きかっただけに少し拍子抜けの感があるが、広大なウッドランド・ガーデンを評価できないこちらの所為だ。
芝刈り中の男性に声をかけたが、機械の音で気がつかないようだ。「ご親切ありがとう。さようなら」。
ビレッジ・サイン NO.37 エルムズウェル(Elmswell)
エルムズウェルのビレッジ・サインは駅の直ぐ東の踏切近くのビレッジ・グリーンにあった(写真下左)。
両面に異なる図柄がある。一面のデザインは背景にセント・ジョンズ教会(St Johns church)が見られる。教会の前で1433年にヘンリー6世が訪れ、
バリー・セント・エドモンドの大修道院長の歓迎を受けている様子が描かれている。その前には修道僧が皮と肉を得るためにウサギの穴に罠を仕掛けている。
村名のリボンの左上はこの村に救貧院を寄贈した16世紀のアイルランドの最高裁判所長官"Sir Robert Gardener"の墓だという。
右上は1964年に発見された3世紀の窯を表しているという(写真下左から2枚目)。
もう一面には同じくセント・ジョンズ教会を背景に蒸気機関車が描かれている。1846年の鉄道開通を表しているのは間違いない。
横の建物は上述の救貧院だ。その前面に麦を穫る農夫で村の産業である農業を表している(写真下右から2枚目)。
リボンの左上のウサギは述べた通りだ。右上のブタは1911年に村に進出したベーコン工場を表しているらしい。サインは1995年に立てられた。
カントリーサイドを走っているとビレッジ・サインに似たサインを見かけてはブレーキを踏んでしまうことがある。
それは大概パブ・サインであることが多い。パブの名前に因んだデザインが描かれていて興味深いが、これを一つひとつ撮っていたら先に進まなくなってしまう。
エルムズウェルからウェザーデンに向かう時もウェザーデンのパブ・サインで止まってしまった。珍しいデザインなのでカメラに収めた(写真下右)。
"The Maypole"という名のパブだ。5月1日の五月祭に立てた柱にリボンや花を飾り(これをメイポールという)その周りでダンスを踊り、
豊穣の女神を祀り夏の豊穣を祈る行事に因んでいるらしい。子供たちの姿が微笑ましい。
ビレッジ・サイン NO.38 ウェザーデン(Wetherden) NO.39 ホウリー(Haughley)
エルムズウェルから西へ2km、ウェザーデンのビレッジ・サインはセント・マリー教会への小さなゲートの脇に立っていた(写真下左2枚)。
あまりに渋いので直ぐには分からなかった。
風化が進み図柄が分かりにくいが、中央にあるのはこの村の15世紀からのセント・マリー教会だろう。教会の周りにヒツジが4匹いる。
その左の丘の上の方に筋状のものが見える。畑の畝を表しているように感じる。その下に木に囲まれた小さな家が幾つも彫られている。
右の丘には大きな建物が2つと大きな木が見られる。下部には縦型紋章が2つ刻まれている。ただ村の風景を刻んだだけではないだろうが情報はない。
ウェザーデンから西へ2km、ホウリーのサインは村の中心部ザ・グリーンがオーロド・ストリートに変わるあたりにあった。(写真下右2枚)。
このサインに関する情報は写真以外に何も見つからない。デザインから勝手に想像の翼を広げてみる。アーチの中の四角いものは城だと見た。
上部の凸凹は胸壁に見える。"Haughley Castle"は11世紀に作られ12世紀に破壊されたという。城の下の斜めの線で表現されるのは土塁を表すと思う。
そして、楕円形の中の波型は濠を示すものと思われる。アーチの説明はつかない。
ビレッジ・サイン NO.40 アール・ストナム(Earl Stonham) NO.41 ストナム・アスパル(Stonham Aspal)
A14からA1120と繋いで東に進むとフォーワード・グリーン(Forward Green)の広大なビレッジ・グリーンにサインを見つけた(写真下左2枚)。
支柱の根元の飾りが珍しい。ペイントが剥げかけてきている。デザインはトップに教会が鎮座している。村のセント・マリー教会(St. Mary's Church)に違いない。
この教会は1066年のドゥームズデー・ブックに記録されているという歴史あるものだという。現在の建物は14世紀と16世紀の建築がミックスしたものだ。
村名の下の真ん中は2頭建ての二輪戦車に乗ったローマ人だろうか? その左に鍛冶屋の働く姿、右に農夫が働く姿が描かれている。村の産業を表しているのだろう。
下部の半円の左はポンプで水を汲む人が描かれている。右は麦束かと推測する。赤い盾型の中の"ER11"はエリザベスU世を、
"1977"は年号を示していると思われる。すなわち、エリザベス女王のシルバー・ジュビリーを記念して1977年に立てたということだろう。
A1120を東進すると村の中心部ザ・ストリートでナビ子ちゃんが「目的地周辺」とアナウンスするが見つからない。
Uターンして再度探すとストナム・アスパルのサインは民家の生垣に隠れるようにして立っていた(写真下右2枚)。運転席の低い位置からだとより見えにくいのだ。
降りてよく見るとシンプルながら立体的な素晴らしいサインだ。デザインされているのは教会のタワーと両脇に5個ずつのベルが並んでいる。
これは村の"St Mary and St Lambert Church"の鐘塔とそこに収められている10個の鐘を表しているようだ。
カーターズ・ティーポット Carter's Teapot
A1120を東へ6km余り、B1077を北に3kmでデベナム村に着く。この村に
カーターズ・ティーポットのショップ兼ポタリーがある。2008年に続いて2度目の訪問だ。
昨年の旅が終わた直後に知人から結婚の報告があった。彼女への結婚祝いを考えた時にここのコレクタブル・ティーポット(面白いデザインの変わり種ティーポット)が
思い浮かんだのだ。今年この地区を旅している由縁の一つだ。
小川の畔にあったと記憶していたが、お店は8年前と少しも変わらず迎えてくれる(写真下左)。質素な店だが、ワクワクするようなポットが沢山並んでいる。
吹き出したくなるユーモアある作品もあり楽しくなる(写真下中・右)。
彼女のイメージに合い結婚祝いに相応しそうなものを2つに絞る。"Breakfast Table"(写真下左)と"Toast Rack"(写真下中)だ。
しかし、"Breakfast Table"はお茶を注ぐためにポットを傾けると蓋が外れやすい。我が家には5つのコレクタブル・ティーポットがあるが、
飾っておくだけでなく、使ってこそ楽しいものだ。そこで実用にも適する"Toast Rack"に決定する。
見ているとあれもこれも素敵で欲しくなる。自宅用は既に置き場所がない。帰国したら訪れる予定のオープン・ガーデンをしている友人に一つ探す。
茅葺きのティンバーハウスの形のものを選ぶ(写真下右)。我が家にあるものと同じ型のものだ。
これらは委託荷物にはできない。機内持ち込み小荷物とするため、なるべくコンパクトかつステディーにパックするようお願いする。
8年前はこの店の店員のパケージが不器用でイライラしたものだが、今年は期待以上にコンパクトに纏めてくれた。
これならリュックサックに入れて機内に持ち込める。
ビレッジ・サイン NO.42 デベナム(Debenham)
ショッピングを楽しんだあとはこの村のビレッジ・サインだ。デベナムのサインは店からB1077に戻り北に50mほどのところにあった(写真右2枚)。
ビジーな通りでパーキングの場所に苦労する。こんなことなら、ポタリーから歩いてくれば良かった。
デザインは色々アイテムに富む興味深いものだ。まず、全体が橋の形をしているのだ。中央のアーチの中の波紋は川の流れをを表す。
この村が4本の細い川が集まり、デベン川(River Deben)として流れ出す源流であることを示している。それは村名の由来でもある。"ham"は村を表す。
橋の上のヒツジはウール産業で栄えたことを表している。取引で栄えたギルド・ホールが右側に描かれている。
もう一つの建物は見た通り教会だ。14世紀に建てられた村の"Church of St. Mary Magdalene"を示す。
橋の両脇は麦の束だ。これは川の豊かな水と肥沃な土地で農業が盛んであったことを表している。
麦束と波紋の間にある扇形のものは水車を表しているのだ。水車も数多くあったのだろう。村の隆盛を偲ばせる。
1977年のエリザベス女王のシルバー・ジュビリーを祝って建てられたものだという。
さて、次はランドリーの受け取りだ。時間は惜しいが、自分で手洗いすることを思えば、何でもない。
ランドリー・ショップへの細い道に入りそこねて、また工場の敷地経由でランドリー到着。無事ゲットして一安心だ。
次は今夜のディナーだ。この地区のレストランで調べていたら、こちらに在住の日本人の情報で北海に面したオーフォード(Orford)に良いシーフード・レストランが
あるという。出発前に電話で予約をしたら今日はお休みだということで断念。他に調べておいた店に予約電話を入れるが要領を得ない。
丁度この後の道筋なので店に寄ってみると"Sorry Our Restaurant is Closed on Tuesday"の看板が出ていた。美味しそうな雰囲気のお店だった。残念だ。
ビレッジ・サイン NO.43 メルトン(Melton) NO.44 ハチェストン(Hacheston)
ランドリー・ショップの村メルトンのビレッジ・サインはA1152からB1438に入り北へ200mほど上がった右手のグリーンにあった(写真下左2枚)。
デザインは2アーチの橋があり、その上に2つの教会が建っている。大きな木も見られる。橋の下に耕された畑があり、麦の束が立っている。
畑の右の方に農機具らしきものもある。下部の村名の上には木株に乗った金床がある。橋の左下には桟橋と帆掛け舟が見られる。
橋は"Wilford Bridge"と思われる。橋の下を流れるのは上述のデベン川だ。この川を使っての交易を桟橋と帆掛け舟で表しているのだろう。
教会は村のセント・アンドリュース教会(St Andrew's Church)だ。左の四角い塔が14世紀のオールド・チャーチ、
尖塔の方が1868年にできたニュー・チャーチだ。教会には大きな木があるのだろう。
麦束と畑や農機具は農業で栄えたことを表している。金床は鍛冶屋を表しており、農機具や馬の蹄鉄など農産業を支える存在を示していると考えられる。
村名の脇から伸びているのも麦の穂を表していると思う。
支柱のプレートに"MELTON 2012"とあり、周りに"OLYMPIC TORCH , DIAMOND JUBILEE"と刻まれているが、ネットの写真情報ではもっと前に
撮影されたもがあるので、単に記念として取り付けたのだろう。褪色し黒ずんできている部分がある。2012の下のダイアモンドのデザインがさりげない。
次はB1438からA12を経由しB1116を北上するとハチェストンの南の入口マールズフォード・ロードとの交差点にサインを発見(写真下右2枚)。
2段のしっかりした土台の2段目は花床になっていてミニバラがカラフルに咲いている。ランドリー・ショップに向かう途中から
降り出した雨が強くなってきて薄暗くなってきた中での撮影だ。デザインはシルエットで馬に鋤を牽かせる農夫が印象的だ。その下に麦穂のシルエットが見える。
この村もオア川(River Ore)の水の恵みを受け農業で栄えた村だという。その象徴だろう。
トップに戴かれているのは王冠だ。上の半円には"SILVER JUBILEE"の文字と"1952-1977"の年号が記されている。
エリザベス女王のシルバー・ジュビリーを祝って1977年に立てられたものに違いない。
フラムリンガム城 Framlingham Castle
フラムリンガム城は
12世紀に始まる城だ。13世紀には13の壁塔があるカーテン・ウォールで囲まれた城だったという。その後15、6世紀に隆盛は頂点を極めたが、
16世紀末には没落し、その後は救貧院、練兵場、裁判所、軍用地などを経てイングリッシュ・ヘリテージのプロパティーとなっている。
到着した時には土砂降りとなってしまった。意を決してパーキングを出て取り付け道路を進む。高い壁に囲まれ、城門が見えてきた(写真下左)。
土塁と濠が見られる(写真下中)。高く築かれた"Motte"と呼ばれる土塁の上に城壁を巡らせる城は10世紀に北ヨーロッパに始まりフランスを経由して
11世紀末にイギリスに伝わったという。当時としては最新形式の城ということになる。上述のホウリーのビレッジ・サインの城もこの形式だったと思われる。
ゲートを潜りレセプションに行くと「5時30分がラストアドミッションです」と言う。時計を見ると35分だ。「外周は見られます」と追い払われるように
ゲートへ導かれる。歩きながらも内部を2枚撮影する。後で調べると当初の大ホール(Great Hall)と礼拝堂(Chapel)があった部分が撮れている(写真下右)。
18時までオープンなのだが、他に客はいないから、私たちが出るとゲートをぴしゃりと締めてしまった。寒く感じたのは雨の所為だけではないようだ。
写真上中の左下に見えるパスを歩く。左下に見える土塁の下の塔は刑務所(Prison Tower)だったという。雨に濡れて滑りやすい道を進むと刑務所の裏に
地元の高校生くらいの男女が数人屯していた。みんな雨に打たれてずぶ濡れだ。「寒くないかい?」と訊くと「平気、平気」と元気が良い。
どの写真にも空に向かって突き出している煙突が見える。12世紀当初のものとチューダー期のものがあるようだが区別がつかない。
周囲の景色は雨に霞んでいるが美しい(写真下中)。この辺は赤レンガの家が多い。湖(The Mere)の向こうに見える赤レンガの立派な建物はフラムリンガム大学だ。
下右の写真は土塁と城壁を濠(今は水はない)から見上げたもの。左側の壁は"Prison Tower"に通じる壁だ。
ビレッジ・サイン NO.45 フラムリンガム(Framlingham) NO.46 バトリー(Butley)
来る時に見掛けたが先に城を見てからと見送ったフラムリンガムのビレッジ・サインは村の中心部の道路が一方通行でなので回り道をして遣ってきた。
マーケット・ヒルのパーキングの一角にある(写真下左2枚)。
フラムリンガムのサインについては沢山の情報が見つかった。先ず、1991年に立てられたものだ。
上段に城と教会がある。城はもちろんフラムリンガム城だ。教会はセント・マイケル教会(Church of St Michael)で古い部分は12世紀のものだ。
中段の真ん中の紋章は"Village Coat of Arms"だとする情報もあるが確証は得られない。
むしろ、私には15世紀に城を修復したハワード家の紋章に良く似ていると感じる。
紋章の左にビクトリア朝の郵便ポスト(Pillar Box)、右にビレッジ・ポンプが描かれている。街の繁栄を表すシンボルなのだろう。
下段は城から見えた湖を表している。この辺は湿地が広がり、自然保護区として豊かな動植物が見られるという。
サインは村人の意見を取り入れ村の鍛冶屋の妻がデザインし、夫が作製し、そして妻がペインティングしたものだという。アットホームだ。
雨も降っていることだしディナーは今晩もグローブ・ハウスでということにした。となれば、もう少し寄り道をしよう。
B1084を東に進むと人口200人余りの小さな村バトリーのサインが左手の草むらの中に立っていた(写真下右2枚)。
デザインはスイセンの花が3本。村には早春にはスイセンが美しい森があるのだろう。以上、想像の翼も広げようがない。
何だか、がっかりして雨も降りしきるので本日の観光を打ち切ることにした。
ザ・グローブ・ハウス The Grove House
グローブ・ハウスに戻ったのは18時45分。ポールに19時30分のディナースタートを予約する。
靴を脱ぎ、ベッドに横になってしばし休憩の後、着替えてレストランに行く。
今日はガッツリいただきたい気分だ。今日の黒板の"Meal's of The Moment"には"80 oz Sirloin Steak"とある。二人ともこれに決める。
ソースは割り増し料金(Extra)で"STilton Souce"を一つ付ける。
ワインは赤。先に出されたオリーブの実とパンでワインを楽しんでいると、チップス、マッシュルーム、トマトの上に肉がドカンと乗ったプレートが出てきた。
"of The Moment"とは”一押し”といった意味だろうか? 正に正解だった。美味しい肉だ。昨今、柔らかい肉が一番のように言われるが、
肉なのだから歯応えがあった方が良い。噛むほどに肉汁と旨味が染み出して美味しい。スチルトンの香りも最高だ。
パンとチップスを少し残してお腹一杯だ。
今晩はアイスキューブを大き目のタンブラーでいただいて部屋に戻る。“旅は非日常”旅の間は休肝日は棚上げだ。ナイトキャップが進む。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。
写真下左から順に
ウィットネシャム村のビレッジ・サイン脇のパーキングのお花畑
イプスウィッチのウォーター・フロントにあった“クエスチョンマーク・スカルプチャー”
イプスウィッチのラウンドアバウトにあった“ザ・シップ・スカルプチャー”
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