第11日 6月30日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Homefield Guest House --- Priory Maze and Gardens ---
Alby Crafts and Gardens --- Blickling Estate --- Homefield Guest House
今日の走行距離 236 km
今日の万歩計 8,200 歩
今日の出発時気温 16 ℃
ホームフィールド・ゲスト・ハウス Homefield Guest House
今朝は青空が広がる素晴らしいお天気だ。すっかり指定席となった窓際のテーブルはガラス越しに入る日差しが暑く感じる。
今日はケビンの姿がなく奥さんのジョージィがサービスをしてくれる。妻に言わせると、とても聞き取りやすい英語を話すとのことだ。
ホットミールは昨日の組み合わせからソーセージを除いた。簡略化して気に入ったものだけになっていく。黄身が3つもある。幸せだ。妻は昨日と同じセットだ。
全体のボリュームはカリカリ三角トーストとジャムやバターで調節する。今朝もお腹いっぱいいただいた。
ダイニングの隣には立派なシッティング・ルームがある。神風かっとび急ぎ旅の癖が抜けない私達には豚に真珠、猫に小判、犬に論語というものだ。
昨夜は寒かったバルコニーも今朝は心地良い場所だ。前の道路は車の往来が激しいが、その先のグリーンは長閑な朝だ。
北海にはゆったりと進むフェリーが見える。
ビレッジ・サイン NO.92 ビーストン・レジス(Beeston Regis)
27日に訪問済みのビーストン・レジスのサインをチェックミスで再び訪れてしまった。陽が当たっているので良い写真が撮れた。再掲しよう。
近くのバス停の待合室にもビレッジ・サインの中央のプレートだけが掲げられていた(写真下右2枚)。
ビレッジ・サイン NO.125 シェリンガム(Sheringham)
B&Bのあるウエスト・ラントンの西隣の街シェリンガムのビレッジ・サインは街の中心部、ステーション・ストリートが
ハイ・ストリートに突き当たる手前の歩道に立っていた(写真下左2枚)。
高々とした土台の太い支柱に街の名が彫られている。その支柱に取り付けられた木彫りの紋章は
“シェリンガムの紋章(Sheringham Town Crest)”なのだ。
トップに鎮座ましますは“ロブスター”だ。カニと共にシェリンガムの海の幸を象徴するものだ。金色で描かれているのだ。
次に“兜と飾りリボン”だ。リボンは緑色と銀色だ。
その下の“盾形紋章”には“2つの松ぼっくり”と“3本マストの帆船”が描かれている。松ぼっくりはシェリンガムの海岸の”松林”を表している。防風林だ。
帆船は“16世紀の漁船”でシェリンガムの富が海に由来していることを表しているのだ。
一番下は“街のモットー”が記されたリボンだ。"Mare Ditat Pinusque Decorat"とラテン語で記されている。英語では"The Sea Enriches and the Pine Adorns"
であり、“海は豊かにし、松は引き立てる”という意味だという。
1977年のエリザベス2世のシルバー・ジュビリーを祝って立てられたものだ。
ステーション・ストリートとハイ・ストリートのジョイント部分に"Town Clock"が建っている(写真下右)。
1862年に建てられたもので元は“街の井戸”だったが、1901年に時計が付けられ、現在の時計は戦後のものだという。
ビレッジ・サイン NO.126 アッパー・シェリンガム(Upper Sheringham)
シェリンガムからB1157を2km南下、ザ・ストリートとチャーチ・レーンの三角グリーンにサインがあった(写真下3枚)。
デザインは円形プレートの外周の上部に“1952 E U R 1977”、下部に“DIAMOND JUBILEE 2012”とある。
円の内部は“遠くクリフの丘の上に教会”があり“海には帆船”が浮かぶ。
腕木に“村名”があり、腕木の支えに“人魚”が描かれている。このサインのオリジナルは
1977年のエリザベス2世のシルバー・ジュビリーを祝って立てられたものだが、2012年のダイアモンド・ジュビリーにオリジナルを尊重して
リデザインして立て替えられたものだ。
“1952 E U R 1977”はオリジナルを残したものだ。“DIAMOND JUBILEE 2012”は2012年に付け加えたものだ。
オリジナルも背景に海岸があるがリデザインの方がリアルで教会が加えられている。教会はサインの後ろに写っている"Church of All Saints"だ。
帆船についての情報は見つからないが、上述のシェリンガムのサインに習えば漁船ということになる。
人魚の描き方も新旧では若干変わっている。人魚については地元に600年前から伝わる伝説がある。“ある嵐の日に嵐を避けて丘の上の
教会まで疲れ果てて辿り着いた人魚が、"North Door"を開け中に入ろうとすると、「人魚は入ってはいけない」と締め出されてしまった。
そこで人魚は人目を盗んで忍び込み、ドアの近くの席に座り込んだ。そして、
今も肘掛の彫刻となってそこに居るのです”というものだ。
同じ三角グリーンに小さな池がある。村の貯水池であり水くみ場だったようだ(写真下右)。
反対側から見たほうが貯水池らしく見える。
1814年に造られたもので水は丘の泉から引いていたという。
ビレッジ・サイン NO.127 ウェスト・ベッカム(West Beckham)
B1157を南下、A148を横切りシェリンガム・ロードを下がること2kmのザ・ストリートとのT字路の三角地帯にサインはあった(写真下3枚)。
デザインはカラフルで興味深いアイテムが並んだ賑やかなものだ。その上、両面でデザインが異なるのだ。
一面(写真下中)は“川”の向こうに“ハウス”があり、“タワーが2基”立っている。川の中に建っているのは“廃墟”だろうか。
川の手前は“畑”で“トラクター”が耕している。下部に“1984”の数字が見える。その両脇に小さな“円形プレート”に意味不明の図柄がある。
腕木に“村名”があり、支柱の両脇に“盾形紋章”がある。
他の一面(写真下右)は丘の上に“ハウス”があり、その上に“BECCHEHAM”の文字が見られる。
手前の畑には“麦束”があり、“鎌を持った農夫”と“藁を持った農婦”が作業をしている。“円形プレート”や“盾形紋章”は他の一面と同様だ。
これだけのアイテムがありながら、これらに関する情報はほとんど見つからない。
2基のタワーは1936年に建てられた"Radio Masts"だという。この辺は氷河期に隆起して海抜300フィートとノーフォークでは
最も高い地点のためラジオ塔が建てられたらしい。
廃墟を含めハウスが3棟描かれているが、それに相当する情報は、嘗て村には"West Beckham Workhouse"という救貧院があったという記録があるくらいのものだ。
“BECCHEHAM”は村名の11世紀の表記を示しており、“1984”の数字はサインが立てられた年号だろう。
“畑”や“トラクター”、“麦束”、“鎌を持った農夫”、“藁を持った農婦”は村の主要産業が農業であることを表しているとみて良いだろう。
ビレッジ・サイン NO.128 ハイ・ケリング(High Kelling) NO.129 ヘムステッド(Hempstead)
ウェスト・ベッカムから西へ4km、A148(クローマー・ロード)とセルブリッグ・ロードの角にハイ・ケリングのサインがあった(写真下左2枚)。
図柄は“深い森”の中に“建物”があり、“ウサギ”と“リス”が遊んでいる。支柱に“アスクレピオスの杖”が取り付けられている。
建物は現在は"All Saints Church"となっているが、元来は1924年にサナトリウムのチャペルとして立てられたものだが、1955年にサナトリウムは閉鎖され、
村人の祈りの場に変わったものだ。“森”や“ウサギ”や“リス”はサナトリウムが静かな森の中に建っていたことを表しているのだろう。
“アスクレピオスの杖”はギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの持っていた“蛇の巻きついた杖”で“医療・医術の象徴”とされている。
上記のサナトリウムのことを表していると思われる。
ハイ・ケリングから南に2km、ヘムステッドの北の入口の変則十字路の三角地帯にサインがあった(写真下右2枚)。
腕木に“村名”が彫られている。地を赤く塗った派手なものだ。腕木の上に“王冠”らしきものが載っている。それだけのシンプルなものだ。
情報もシンプルで写真が数件見つかるだけだ。この王冠らしきものは何なんだろう?
嘗ては村の北を流れるグラヴェン川(River Glaven)に大きな水車があったらしい。それを示す歯車かもしれない。邪推に過ぎない。
ビレッジ・サイン NO.130 プラムステッド(Plumstead)
ヘムステッドから南東に4kmでプラムステッドだ。チェリー・ツリー・ロードがチャーチ・ストリートに突き当たるT字路にサインがあった(写真下3枚)。
プラムステッドといえば昨日訪れたリトル・プラムステッド(隣にグレート・プラムステッドという村もある)と同じスペルだが、遠く離れた場所にある。
デザインは“雄大な田園風景”だ。遠景の森の中に“教会”と“村落”があり、手前は緩やかに重なるパッチワークのような“農地”が広がる。
教会は"Saint Michael Church"に違いないし、雄大な田園風景は正にこの村の風景なのだ。
裏と表ではデザインは同じだが、色合いを反転させてある。
そして、トップの円形プレートの彫刻のデザインも異なる。一方は“葉”で、もう一方は“花”が彫られている。植物の種類は不明だ。
土台の“AD2000”はプレミアムを祝って立てられたことを示している。
ビレッジ・サイン NO.131 マットラスク(Matlaske)
ウェスト・ベッカムから東へ2km、ザ・ストリートとウィックミア・ロードとのT字路にマットラスクのサインはあった(写真右)。
デザインは縦に3分割されている。その中央は上空に“飛行機”が飛び、真ん中に“教会”があり、手前に“キジ”と“麦穂”と“ポピー、
マーガレット”などが描かれている。左の部分には遠く“教会”の見える丘陵の農地で“馬に鋤を牽かせる農夫”がいる。
右の部分には“ハウス”と“金床など鍛冶屋の道具”が描かれている。
飛行機は英国空軍の戦闘機“スーパーマリン・スピットファイアー(Supermarine Spitfire)”らしい。第2次大戦中には、村の南に空軍の飛行場があり、
ここから大陸に向け出撃していったのだという。
教会は"Church of St Peter"で間違いないようだ。ノーフォーク特有のラウンドタワーの一部は11世紀からのものらしい。
麦穂と左部分の馬に鋤を牽かせる農夫は主要産業が農業であることを示しており、右の金床など鍛冶屋の道具も農機具などと関連しているのだろう。
キジ、ポピー、マーガレットはカントリー・サイドの豊かな自然を謳っているものだろう。
ビレッジ・サイン NO.132 ベッシンガム(Bessingham)
マットラスクから北東に3km、ザ・ストリートの路側にベッシンガムのサインはあった(写真下3枚)。
真新しい彫刻のサインだ。“村名”の刻まれた腕木の上に“大きな2本の木”があり、その下に“教会”がある。
その教会を掠め、木の下を“フクロウ”が潜り抜ける図だ。見事な作品だ。
この戸数40戸という小さな村の初めてのサインは4年の資金調達期間を経て、2012年9月に立てられたものだ。
2年経っている割には美しくメンテナンスされている。村人に大切にされているのだろう。
2本の木は“オーク”だという。そして教会は"St Mary's Church"だ。
フクロウは“メンフクロウ(Barn Owl)”という種類だ。和名はお面をつけているように見えることから付いたという。
英名は納屋(Barn)に営巣することから付いたということだ。野生生物保護を訴えているのだろう。
裏から見るとフクロウの後ろ姿が丁寧に彫られている。羽の形などから2匹のフクロウに見えるが、これで1匹のフクロウを表しているのだという。
ビレッジ・サイン NO.133 グレシャム(Gresham) NO.134 イースト・ベッカム(East Becham)
ベッシンガムから北に2kmでグレシャムだ。チャーチレーンとイースト・ベッカム・ロードの角の教会の前にサインがあった(写真下左2枚)。
デザインとして驚いたことにサインの上に“大きな金色のバッタ”が堂々とうずくまっている。
その下に“村名”が刻まれている。
ボードの上部には“盾形紋章”が4つ並んでいる。中央には“城”と思われる建物がある。そして、下部に“風車”と“水車”が並んでいる。
4つの盾形紋章は中世からのこの地の支配者のものと思われる。左から“パストン家(Paston Family)”、
“チョーサー家(Chaucer Family)”、3つ目は不明で4つ目が
“グレシャム家(Gresham Family)”だろう。
大きな金色のバッタはグレシャム家の紋章の兜飾り(Crest)だったのだ。16世紀のグレシャム家のトーマス・グレシャム(Thomas Gresham)が設立した
グレシャム ・カレッジ(Gresham College)の校章や
王立取引所(Royal Exchange)の風見鶏にも黄金のバッタが使われている。
グレシャム家の言い伝えによると“創始者のロジャー ・デ ・グレシャムは北ノーフォークの茂った草原の中に捨てられたが、
バッタに誘導された女性により見つけ出された”のだという。美しい伝説だ。
中央の城は1319年に建てられたもので1辺40mの正方形の建物で4隅に直径11mの円形タワーがあり、濠で囲まれていたという。
現在は基礎を残すのみの廃墟だという。
風車は19世紀半ばのものでノーフォークで最も高い地点の1つに建てられていたので当時は40km先まで見通され、36の教会が見えたという記録があるという。
また、水車は1819年に建てられものだが、1977年の時点で姿を消しているという。
最下部に刻まれた“1978”はサインが立てられた年号だろう。
グレシャムのサインからイースト・ベッカム・ロードを1km余り北上するとイースト・ベッカムだ。ジビット・レーンとの角にサインがあった(写真下右2枚)。
デザインはアイアンのシルエットで“ハウス(屋根がない)”、“木”、“道 or 川”、“アヤメ or スイセン”、“フクロウ”、“蔦の葉”などが見られる。
しかし、それらに関する情報は絶無だ。屋根のないハウスから連想するのはウエスト・ベッカムの項で述べた“救貧院”だが、関係は?
フクロウはベッシンガムのサインにあった“メンフクロウ”に顔のシルエットが似ている。蔦の葉の一部が白くペイントされているのは何故だろう?
謎だらけだが、上の三角部分にある“2000”はミレニアム記念で立てられたことを示しているのは間違いない。
プライオリー・メイズ & ガーデンズ Priory Maze and Gardens
ようやく、今日最初の訪問予定先プライオリー・メイズ & ガーデンズ のオープン時間になった。
宿泊地ウエスト・ラントンとシェリンガムの間のA149沿いに位置する家族経営のガーデンだ。
今日は"Sculpture Fair"が開かれていてエントランスからライオンの彫像に出迎えられる(写真下左)。
元々あるものとフェアーで置いてあるものでどこを歩いてもスカルプチャーだらけで楽しい散策となった。
通路脇に様々な自動車の形のコンテナが並んでいる(写真上下5点)。鉛の鋳物で出来ている。夢の膨らむアイテムだ。 これらはショップの商品サンプルなのだ。陽だまりのルドルフ・ガーデンに置きたくなる代物だが、いかんせん重すぎる。
最初はアロマティック・ガーデン(Aroaic Garden)と名付けられた小路を行く(写真下左)。ハーブや香りのある花木やブッシュが密に植え込まれている。
その合間にスカルプチャーが展示してある(写真上)。チップの散策路は足に優しく歩きやすい。
右から2枚目の木の下で瞑想する人物像と小さな動物の像や右の修道僧の像は元々あったものに見える。
園内には2つの池があり、それに流れ込み、2つの池を繋ぎ、流れ出る水路がある。"Ponds and Streams"だ(写真上右2枚、下左)。このガーデンのハイライトだろう。
池の畔は水生植物の見本市や〜!(最近テレビで見なくなった) 中でも、色々な柳のフォルムと色合いが美しい。
大きなグンネラがアクセントとなる。水面には水草が繁茂している。
水路には堰があり、そこから落ちる水音が心地良い。落差によって水音が変わるのが新鮮だ。岸辺も水生植物が溢れ返っている。それでいて清々しいのは水の力か?
突如生垣の向こうに廃墟が見えびっくりする(写真上左)。そういえばガーデンの名前が“プライオリー”だ。27日と今朝に訪れたビーストン・レジスの
ビレッジ・サインに描かれている"Priory of St Mary's"が正にこの修道院廃墟だったのだ。
Ponds and Streamsのフカフカの緑の芝の通路(Lawn Walk)のそこかしこから眺められる(写真上右)。
プライオリーだけにガーデンのいたるところに修道僧の像が見られる(写真下左3枚)。これらも元々あったものだろう。
ハーブガーデンで見られた“少年が蒸気機関車のおもちゃで遊ぶ像”が可愛らしい(写真下右)。持ち帰りたい気分だ。
ハーブの香りが漂うハーブガーデン(写真上左)とバーバスカムが咲き誇るリビエラ・ガーデン(Riviera Garden 写真上中)の左右に映る生垣が
このガーデンのタイトルのメイズ(迷路)だ。方向音痴の卦がある身としては今日のところはパスとしよう。
パイン・ウォーク(Pine Walk)と称する松林の中に間伐で作られた小屋があった。入口に狐の像が有り、"Mr. Ferdy Fox's House"の表札がある。
子供たちが大喜びで出入りしている。大きな子供も喜んで窓から顔を出す(写真上右)。
ストリームの水鳥のスカルプチャー(写真下左)、リビエラ・ガーデンの犬と猫(写真下中、右)など発見の喜びがある。
パイン・ウォークの猪(写真上左)、再びアロマティック・ガーデンで女性胸像(写真上中)、オベリスク(写真上右)なども発見する。
リビエラ・ガーデンの“読書をする少女像”に心奪われる(写真下左)。この子を陽だまりのローズガーデンの芝生に座らせたい。
余り熱心に見ていたのでフェアー関係者が営業に現れた。「日本から来ているので持ち帰れない」と言うと「送れます」と言う。
確かにその通りだが、こちらにも予算というものがある。「ノー サンキュー」。
同じくリビエラ・ガーデンのグラス製オーナメントと陶器のオーナメント(写真下中)、この類は幾つも置かれていた。
カフェの入口に吊るされていたフクシアのハンギングバスケット(写真下右)は垂涎、持ち帰りたい。羨望を越え嫉妬さえ覚える。
最後にショップによる。最初に見た鉛のオーナメントは無理としても何かを期待させる雰囲気がある。
案の定、素敵なアイテムが並んでいる。真っ先に“フェアリー”を発見する(写真右)。膝小僧を抱えてまどろむ姿が可愛い。躊躇なくゲット。
次に見つけたのが、如雨露のついた糸巻きだ(写真下左)。如雨露はマイガーデンのテーマ・アイテムの一つだ。幾つあっても楽しい。迷わずゲット。
次に選んだのが“蛇口”と“スコップ”がモチーフのフックだ(写真下中。右)。これも逡巡なくゲット。
もう一つ、キッチンガーデン用のネームプレートだ。一般的に育てられる野菜の名前がプリントされた黒い石板製のものだ。
これは陽だまりへのお土産とする。
他にも“大人買い”したくなるほど楽しいものがあるが、そこはそれ、大人の分別を示そう。
ビレッジ・サイン NO.135 ホルト(Holt) NO.136 ミル・コート(Mill Court)
さて、再びビレッジ・サイン・ホッピングだ。最初はA148沿いの大きな街・ホルトからだ。ハイ・ストリートの歩道にサインはあった(写真下左2枚)。
大きな一枚板に彫刻された重厚なものだ。デザインは“大きな木”の上部に“町名”が彫られ、木のトップに“フクロウ”が刻まれている。
大きな木については"Holt"はアングロサクソン語で“木”を意味するという。
フクロウに関しては街の伝説に"Holt Owl"というものがあるらしい。内容については良く理解できないが、その昔のフクロウに関する愚行を忘れないために
フクロウを象徴(Badge)に決めたものらしい。
このサインのオリジナルは1976年に既述の婦人会(Women's Institute 's)から寄贈されたもので、1990年に一般からの寄付により立て替えられたものだという。
ホルトのビレッジ・サインから僅か北300mにミル・コートという通りに面する住宅街がある。そのパーキングの一角にこの住宅街のビレッジ・サインがあった(写真下右2枚)。
デザインは“街の名”が入った腕木の上に“風車”、何棟かの“ハウス、”ホルトのビレッジ・サインにあった“大きな木”が2本描かれている。
ここには1790年に建てられた"Holt tower mill"が1973年まであったという。
2000年に高級住宅街に造成され、ビレッジ・サインも建てられたようだ。
ビレッジ・サイン NO.137 ソーネージ(Thornage)
ホルトからB1110を西へ3kmでソーネージに着く。村の中心部のホルト・ロード沿いにサインを見つける(写真下3枚)。
ペイントが剥げ落ち、いささか傷みが激しいみすぼらしいサインだ。一面のデザインは“聖職者”(赤い法衣がかろうじて分かる)と後方に“建物”が描かれている。
もう一面はすっかりペイントが剥げてしまい何が描いてあるのか分からない。
ネットから状態の良かった頃の写真(それ自体が極めて少ない)を拝借すると聖職者の面の建物は
村の教会(Church, All Saints')ではないようだ。検索すると
ソーネージ・ホール(Thornage Hall)に良く似ている。
その背後に白いラウンドタワーのようなものが見えるが、教会のタワーとは似ても似つかないし、他の情報も見当たらない。
もう一面には工場で働く人々の姿が描かれていたのだ。この村は19世紀には真鍮の鋳物工場で栄えたらしい。
白く立ち上るのは水蒸気だろうか? 工場の熱気が伝わってくる。
サインのトップには両面とも“鳥”が描かれているが、残念なことにこれについても情報がない。
1977年のエリザベス女王のシルバー・ジュビリーを祝って立てたものだという。お節介だが、そろそろ修復の時期だ。
ビレッジ・サイン NO.138 ブリニンガム(Briningham)
B1110を南に2km下り、ブリニンガムへのザ・ストリートとのT字路の三角地帯にサインがあった(写真右2枚)。
オークの一枚板に彫刻が施されているが、逆光と木の葉でデザインが分かりにくいのでネットから借用した写真で見ると、
左から中央にかけ大きく“教会”が彫られており、右側に“タワー”がある。中央上に“馬に乗った騎士”がいる。
腕木の支えには左に“鍛冶屋の金床”、右に“鍛冶屋のハンマーとやっとこ”が、支柱には“麦穂”刻まれている。
教会は"Saint Maurice Parish Church"で問題ないだろう。
タワーは"Belle Vue Tower"だという。フランス語で“美しい見晴らしの塔”という意味でオリジナルは16世紀に建てられた見晴台だった。
1721年に風車に建て替えられたが、1781年に再び見晴台としての機能を屋上に追加したのだという。金持ちの遊び心の建築物 = "Folly"というわけだ。
鍛冶屋の道具と麦穂は村の主要産業が農業であったことを物語っている。馬に乗った騎士については情報が見つからない。
ビレッジ・サイン NO.139 ブリントン(Brinton) NO.140 シャーリントン(Sharrington)
ブリニンガムからB1110を1km北へ戻り、ストーティー・ロードに入り1km北上するとブリントンだ。
サインはザ・ストリートに突き当たる交差点にあった(写真下左2枚)。
デザインは極めてカラフルでユニークだ。オレンジの大きな腕木に赤色で“村名”が書かれている。その上に“派手な装束の少年”が左脇に何かを抱えて座っている。
腕木の下には“E U R 1953”の文字が見られる。
E U R 1953はエリザベス2世女王の1952年の即位を祝い1953年に立てたことを表しているものと思われる。
情報の全くない中、ネットサーフィンすること数時間、ようやく面白い写真を見つけた。
村の“聖アンドリュー教会”の16世紀のベンチの肘掛の彫刻だという。“大樽が燃えている” = “Burning Tun” = ”Brinton”という判じ物(Rebus)だったのだ。
同じ教会の別の肘掛けにサインの派手な装束の少年に酷似した彫刻があることも発見した。
この彫刻をモチーフとしたことは疑いないだろう。
ブリントンからザ・ストリートを北へ1kmでシャーリントンだ。アッパー・ホール・レーンとロワー・ホール・レーンが
分岐する三角グリーンにサインを発見する(写真下右2枚)。
図柄は“村名”の腕木の上部に“ロバが索くカート”が描かれている。下部のプレートには“蜂の巣と大樽”が描かれている。“蜜蜂”も飛んでいる。
このサインについても情報探しは難航したが、ブリントンの大樽が燃えている写真を見つけたサイトでまたまた
面白い写真を見つけた。正にサインと同じ図柄だ。
サイトの筆者は“シャーリントン(Sharrington)の村名の判じ絵だろう”としているが、その答えは見つけていない。
私の推理では大樽(Tun)が蜜蜂に蜜を分けて(sharing)いる図と見た。すなわち、"Sharing + Tun" = "Sharrington"という訳だ。我ながら名推理と一人悦に入る。
ビレッジ・サイン NO.141 ベール(Bale)
シャーリントンからベール・ロードを西へ2km、道はシャーリントン・ロードに変わり、フィールド・ダリング・ロードに突き当たって右角に
トーテムポールのような一風変わったサインがあった。
デザインは支柱の正面に“ケルト文様に囲まれ村名”がある(写真下左)。支柱の他の3面もケルト文様で飾られている。
支柱の上には三角柱が載ており、各面に様々なものが刻まれている。正面には“豚と農夫”と“犬と職人”とみられるものが彫ってある(写真左から2枚目)。
一面には“麦束”が刻まれ(写真下右から2枚目)、もう一面には“牧草の束”が彫られている(写真下右)。
この地には1860年まで"Bale Oak Tree"と呼ばれる大きな木が立っていたという。
その木は幹周り36フィート(11m)、樹齢1000年だったと言われ、ベールのシンボルだったそうだ。
そのベール・オーク・ツリーを記念して建てられたビレッジ・サインなのだ。
その木の大きさは直径36フィートと謳うサイトもあり、その木の洞穴では“靴屋が店を出した”とも“農夫が豚を飼った”とも語り継がれるほどの大きさだったのだ。
その逸話が正面に彫られている。職人は“靴屋”で犬は“ラブラドールレトリバー”だったのだ。
麦束や牧草の束は農業を表し、サインに打ち付けられたアイアンのオブジェも鍛冶屋の存在を示すものだろう。
ビレッジ・サイン NO.142 ビナム(Binham) NO.143 ハインドリンガム(Hindringham)
ベールからフィールド・ダリング・ロードを5km北上するとビナムだ。フロント・ストリートとバック・ストリートが交差するグリーン帯にサインがあった(写真下左2枚)。
テニスのラケットの形をしたサインだ。図柄は“教会の廃墟”のようだ。11世紀後半に設立された
"Benedictine St Mary 's Priory"の廃墟だ。1539年のヘンリー8世の修道院解散令で閉じられた後、
教区教会として再び使われているもので、12、3世紀の建物だという。
ウエストエンドのステンドグラスの窓だっただろう部分が赤レンガで埋められ、それはそれでとても美しくて廃墟に見えないが、
裏に回れば立派な廃墟なのだ。廃墟は現在"English Heritage"の管理となっている。
ビナムからハインドリンガム・ロードを3km南下すると道路はビナム・ロードに名を変え、更にザ・ストリートに変わる。
教会隣接の"Church Farm"の前のスペースにサインがあった(写真下右2枚)。
“村名”が刻まれた腕木の上に一枚板に彫刻が施されている。デザインは“教会”、“風車”、“大きな箱”などが刻まれている。
そして、腕木の支えには“1953・1978”とあり、支柱には“W”と“麦穂”が彫られている。
教会はサインの直ぐ後ろに見える“聖マーティン教会(St Martin's Church)”だろう。14世紀のものだ。
グーグルのストリートマップ
でご覧頂こう。画面を左クリックし、右に振ると右の写真の“赤い荷車”が見えてくる。また“+−”ボタンで拡大・縮小が出来るのでお試しあれ。
右の荷車とストリートビューの荷車では異なるが、ディスプレーとしていつもここに置かれているようだ。
風車はハインドリンガムのハムレットのLower Greenにあるる"Lower Green Tower Windmill"だという。
1844年に建てられ1908年まで動いていたが、現在は住宅として使われている。
大きな箱は聖マーティン教会にある“ひつ(Chest)”を表しているのだという。
12世紀のものでイギリスでは最も古いものだという。
1953|1978はエリザベス2世の即位とシルバー・ジュビリーの年号だろう(正確には1952|1977だ)。
シルバー・ジュビリーを記念して村の婦人会(Women's Institutes)が立てたサインだ。それが支柱に刻まれてWで表されている。
支柱の麦穂だけでなくボードにも農業に関わると思われる麦束、金床などに見えるものが刻まれているが、細かいディテールは見つからない。
サインの後ろの納屋の壁のプレートに1991年の"Norfolk Best Kept Village Competition"で人口500人未満の部で受賞したと誇らしげに書いてある。
この村には素晴らしいガーデンを持つ"Hindringham Hall"があるのだが、水曜日と日曜日の午後しかオープンしていないため日程が合わず、
今回も見送りとした。次の機会には訪れたいガーデンだ。
ビレッジ・サイン NO.144 サーズフォード(Thursford)
ハインドリンガムからサーズフォード・ロードを2km南下し、ノース・レーンを西に1km、ノース・レーンがザ・ストリートに変わる地点の
ビレッジ・グリーンにサインがあった(写真下3枚)。
表と裏で異なる図柄のサインは興味を呼ぶ沢山のアイテムが描かれているのに、それらに関する情報は一つだに見つけられない。
全くの憶測だが、調べた限りで関連しそうな事項を記そう。
両面ともトップには“セント・アンドリュー・クロス”が掲げられている。これは教区教会が"St Andrew's Church"を示しているものと思われる。
メインのボードの“村名”下には両面とも“蒸気機関車”らしきものがある。これは村の博物館"Thursford Collection"を表しているようだ。
この博物館は蒸気機関の乗り物や、オルガンのコレクションとクリスマスのショーで有名だという。
一面(写真下中)の下部の馬車が“浅瀬(Ford)”を渡っている様子が描かれている。取りも直さず、村の名前の由来を語っている。
この馬車ともう一面の”鋤を索く馬と農夫”などは主産業が“農業”であることを表していることは想像に固くない。残念ながら推測もここまでだ。
ビレッジ・サイン NO.145 リトル・スノーリング(Little Snoring) NO.146 ケトルストーン(Kettlestone)
サーズフォードからA148を西へ4km、ザ・ストリートに入り北に1km足らず、ザ・ヒルとのT字路のグリーンにサインは立っていた(写真下左2枚)。
デザインは円形のサインを“プロペラ”で3分割し、その1つに“教会”、1つに“飛行機と滑走路”、下の一つに“トラクターと倉庫”が描かれている。
腕木に“村名”が刻まれ、接続部に“麦穂”と“フクロウ”が彫られている。とても美しいサインだ。
教会はサインの場所からタワーが見える"St Andrew's Church"で間違いないだろう。
その教会の裏手には第2次大戦中英国空軍の基地があったという。滑走路やプロペラはそれを表しているのだろう。
飛行機はドイツへ向けて出撃した“爆撃機”を示しているようだ。
滑走路の一部は現在も“個人の滑走路”として使われているが、残りはじゃいも畑となり格納庫は倉庫に使われているという。
そんな大規模農業を表しているのが下の部分のトラクターだろう。麦穂も農業を表しているに違いない。
この地では"Barn Owl"と"Little Owl"のウォッチングが出来る自然が残っていることをフクロウで示していると思われる。
蛇足だが、この村はその名前故に人気があるのだという。すなわち“小さないびき”という可愛い意味があるのだ。逆に、隣村の"Great Snoring"はあまり歓迎されない名前だ。
リトル・スノーリングの方がグレート・スノーリングより面積が大きいというのも面白い。
リトル・スノーリングからA148を挟んで南1km足らずにケトルストーンが位置する。
スノーリングからザ・ストリートに入って100m先の左手にサインがあった(写真下右2枚)。
端正なデザインのサインだ。上部に“村名”が記されている。下部の"KETELSTUNA"は古い村名と推測したが、グーグルではヒット“0”だ。
中央に描かれている“鳥”は“シロハヤブサ(Gyrfalcon)”だ。中世には国王だけが所有できるハヤブサだったという。
ケトルストーンの領主であったトーマス・デ・ハービル卿(Sir Thomas de Hauville)が国王の鷹匠(Keeper of the King’ Hawks)で、
村の教会の塔からハヤブサの飛ぶ姿を観察していたという。
その“教会”が"All Saints Church"だ。13世紀の八角形の塔はハービル卿が寄付したものだという。
左右の2つの盾形紋章については手掛かりが掴めない。残念だ。
ビレッジ・サイン NO.147 スティバード(Stibbard)
ケトルストーンから南に約4kmにスティバードがある。ムーア・エンド通りの川の縁にサインがあった(写真下3枚)。
感動もののユニークなサインだ。“骸骨の農夫が鋤を押している”かと思った。実物大だから余計にリアルだ。暫し動けず。
プレートには“1976年に村の婦人会(Womens Institute)の創立50周年を記念し村に寄付した”と記してある。
さらに調べると、婦人会が女流彫刻家"Ros Newman"に依頼したもので“農夫”は骸骨ではなく様々な農機具の部品や兵隊のヘルメットなどを組み合わせて造られているのだという。
地元では“フレッド(Fred)”と呼ばれ親しまれているのだという。しかし、“鋤”は鋼鉄製で黒くペイントされているのが不気味だ。
また、手入れも余り良くないのでクモの巣が張っておどろおどろしい。その上、土台が棺のようでいただけない。
ビレッジ・サイン NO.148 ウッド・ノートン(Wood Norton)
スティバードからローカルロードを東に3kmでウッド・ノートンだ。チャーチ・ロードとレクトリー・ロードのT字路の三角グリーン地帯にサインがあった(写真右2枚)。
図柄は極めてシンプルだ。“村名”のボードの上に“教会”が描かれている。
全体に色褪せている。空の色も木の色もあまり綺麗ではない。沢山の墓石がリアルに描かれていて少し退ける。
教会は村の"Church of All Saints"で間違いない。14世紀の建物だという。
タワーの下半分のベージュ色の部分が14世紀からのフリント石で造られたもので、上半分は18世紀末にレンガで再建された部分だ。
サインでは色褪せてその対比が分かりにくい。2001年に立てたと支柱に記されている。
土台が大きくしっかり造られている。簀の子が張り巡らされてベンチとして利用できる設計だ。
ビレッジ・サイン NO.149 ビンツリー(Bintree)
ウッド・ノートンから南に5kmでビンツリーだ。A1067からザ・ストリートに入って直ぐのグリーンにサインがあった(写真下3枚)。
一面には“教会”と“大きな木”が描かれており、もう一面には“川の畔”に“大きな建物”が描かれている。
サインに関しての情報は皆無だが、教会は"St Swithin's church"と見て良いだろう。
12世紀に始まる教会でタワーは14世紀のものだという。大きな木については村名に"Tree"が入っているので関連を探したが見つからない。
大きな建物は予想した通り"Bintry Mill"で間違いない。1454年からここに水車があり、
現在の建物は1750年代に建てられたものだという。4階建てだから当時としては大きなものだっただろう。
ビレッジ・サイン NO.150 フォールシャム(Foulsham) NO.151 フォックスリー(Foxley)
ビンツリーから北東に2km、ハイ・ストリートのビレッジ・グリーンにフォールシャムのサインがあった(写真下左2枚)。
重厚なアイアン製の枠にアイアンのシルエットで“火事の教会”と“消防ポンプと消防士”が描かれている。
火とポンプと消防士が色付けされていることや消防士の帽子の形が愉快だ。
これは1770年の"Great Fire of Foulsham"の様子を描いているらしい。火の手が上がっている教会のタワーは
"Holy Innocent's Church"の15世紀に建てられたタワーだが、実際には被害を逃れて現在も残っているのだ。
この村のオリジナルのサインは1977年のエリザベス女王のシルバー・ジュビリーを祝って建てられたもので現在とは別の場所にあり、
表裏でデザインが違っていたのだという。一面は今と同じで"Great Fire of Foulsham"を描いているが
(こちらではタワーは燃えていない)、もう一面については情報がない。
現在のサインは2012年のダイアモンド・ジュビリーを祝福し、現在の場所に立てられたものだ。
フォールシャムから南に3kmでフォックスリーだ。A1067からオールド・フェイクナム・ロードに入った三角グリーンにサインがある(写真下右2枚)。
“ブルーベル”の咲く草原に“笑い顔のキツネ”が佇むという珍しいデザインだ。キツネの"Fox"と村名の"Foxley"を関連付けたものであることは容易に想像される。
この村のオリジナルのサインは1989年に作られたものだが、
風化により傷んできたので2013年に同じ場所に立て直したものだという。
村の東方1kmにあるフォクスレイ・ウッドは"Norfolk Wildlife Trust"に登録されており、古代の森が残されているという。
4月の末ともなればブルーベルの海になるのだ。村の自慢の森にキツネが生息するかは定かでないが、村のイメージとしているのだろう。
アルビー・クラフト&ガーデンズ Alby Crafts and Gardens
アルビー・クラフト&ガーデンズに遣ってきた。クラフト見学とショッピングを楽しむつもりだ。
しかし、パーキングには1台の車もない。余り人気のない施設なのかなと疑いたくなる。
レセプションのドアーは閉まっている。工房にも人影がない。奥の方に1軒だけ数人で作業をしている店があった。
訊ねてみると「今日は休みだが、ガーデンは入れるよ」とのことだ。私の作成した訪問予定先リストでは“セブンデイズ・オープン”のはずだが、ミスったようだ。
「ガーデンは入れる」とは言われても料金はどこで支払うのだ? ガーデナーらしき若い男が通ったので訊ねると「2人で£8」というので支払う。
(旅日記作成時、資料を見ると1人£2.5のはずだ)
各工房のウインドーボックスの寄せ植えが見事に溢れている(写真上左)。お休みでもガーデンアイイテムやオーナメントは屋外に出しっぱなしだ。夢のあるグッズだ(写真下左・中)。
ガーデンは4.5エーカーというから東京ドームで言えば半分以下の大きさだ。全体がエバーグリーンの芝生が敷き詰められ、
その中にアイランド・ベッド(Island Beds)を切って樹木、ブッシュ、草花が植えられている。周囲は大きな樹木の下にボーダー・ガーデンが広がっている(写真上中・右)。
工房の周りから始まってガーデンのいたるところにスカルプチャーが置かれている。工房の作品の見本なのだろう。写真上右は"The Alby Spider"と名付けられた大きな蜘蛛だ。 写真下4枚の女性裸像は同じ作者のものだろうか? このガーデンには似つかわしくない。
全体にパステルカラーを基調とした穏やかな色彩だ(写真上下)。中にアクセントとしてホットでビビッドな色彩も見られる(写真上右)。
アイランドの樹木が大きいので、その隠された部分がどうなっているのか、先に進むのが楽しみになる。"A Hidden Path"と名付けられている。
どこを切り取っても樹木の葉色・葉形・背丈、草花の花色・葉形・背丈などのカラースキムが見事に完成している。池も4つあるようだ。
写真下左 正に"A Hidden Path"そのものだ。足元の芝はフカフカとして心地良いウォーキングだ。
写真下中、右 ハウス周辺のボーダー・ガーデン。厚く高く茂っているのにすっきりしている。これがなかなか真似できないのだ。
樹下に餌をついばむニワトリはブロンズ製(写真上左)。池の端に現れたワニは樹皮のついたままの木材製、剥がれかけた樹皮がワニの革を上手く表現している(写真上中)。
角材をチェーンソーで彫り出した彫刻も素朴で面白い(写真上右)。
木の根っ子にもたれて本を読む女性像(写真下左)は悪くないが、壺を支える女性裸像(写真下左から2枚目)はガーデンに合わないように感じる。
ハイジャンプのオブジェか?(写真下右から2枚目)。大木をクライミングする白花のつるバラ(写真下右)。休日のガーデンを独り占めしたのだ。
期待以上のガーデンに満足。
ブリックリング・エステート Blickling Estate
ブリックリング・エステートに到着したのは15時40分だ。 ナショナル・トラストのプロパティーはパーキングからレセプションまでが遠いのが常だが、ここはパーキングの隅にチケットハウスがあった。 チケットハウスのボランティアが「ハウスのラストアドミッションは16時よ。急いで」と急かす。日頃は室内のお宝類には興味はないのだが、 時間もあることだから久しぶりに見学しようと思って歩き出す。ところが、チケットハウスからハウスまでが遠い。 写真下左の撮影地点からハウスまででも200mは優にある。瀟洒な建物だ。ハウスに着いたらラストアドミッションタイムにギリギリだ。
入ったところが"The Great Hall"だ。吹き抜けの広いホールに黒光りしたメイン階段の欄干が美しい(写真下中)。ステンドグラスの下が第1の踊り場だ。
そこから左右に分かれる。左に上がった第2の踊り場に“アン・ブーリンの像”が立っている(写真下左)。右に上がった踊り場にはアン・ブーリンの娘“エリザベス1世の像”
が立っている(写真下右)。15世紀末から16世紀初めにかけてここはブーリン家の住まいであり、 アン・ブーリンはここで生まれたのだ。
(アン・ブーリンはロンドン塔で斬首されたのだが、毎年命日になると首なしの御者が駆る頭のない馬4頭立ての馬車に乗ったアン・ブーリンの首なし幽霊が自分の膝に首を載せて、
このブリックリング・ホールにもやって来るのだという。恐ろしや)
1階を先に見学しよう。次の部屋が"Brown Room"だ。ロージアン侯爵家(Marquis of Lothian)の関連のものが置かれているという。 肖像画は第何世かのものだろう(写真下左)。重厚なタペストリーが何枚も懸かっている(写真下中)。天井も変わった装飾だ(写真下右)。
続いて"Dining Room"に入る。テーブルセットは10人分、テーブルクロスもなく意外と質素なセットだ(写真下左)。
暖炉の上の"Coat of Arms"が重々しい。
ダイニング・ルームの隣は"Kitchens"となる。1930年代に改装されたものだという。大きなシンク(写真下左)、レンジはアーガ(Aga)だ(写真下中)。 新品のように手入れされている。調理テーブルはゴシゴシこすり洗いされたのだろう、綺麗な白木だ(写真下右)。働き者のメイド等の姿が見えるようだ。
2階に上がると"Bed Room"が幾つか続く。写真下左が"The "O" Room"、右が"The West Turret Bedroom"と名付けられている。 身分によってベッドルームも変わるものだ。バスルームや次の間の内装なども大きく変わる。
写真下右は"Chinese Bedroom"だ。1760年代に改装されたという。ベッドヘッドの紋章は第2代伯爵のもので後妻・キャロライン・コナリーとの寝室だったという。 (拡大写真に内装の説明を少し ご覧あれ)
次に現れたのは"South Drawing Room"だ(写真下左)。イギリスの邸宅の部屋には"Drawing Room"だとか"Chamber Room"だとか、
辞書を見ても日本の感覚では説明しきれない部屋がある。要はドローイングルームはお客様を応接した部屋と理解しておこう。
右上に写っている天井の漆喰仕上げや中央の暖炉が見所だ。
次は"Long Gallery"だ(写真下中)。このロング・ギャラリーと呼ばれる部屋も日本語では説明しきれないものがある。
現在は“図書館”となっていることが多い(ここでもそうだ)が、初めは武術の道場や雨の日の運動場として造られたものなのだ。
ここには12,500冊の蔵書がある。英国のカントリーハウスの図書館としては最大級だという。
最後は"State Bedroom"だ(写真下右)。この"State"の意味も良く分からない。一番豪華なベッドルームだからメインベッドルームと理解しておこう。
ここのインテリアもお宝物で溢れているようだ。
ガーデンもハウス同様15世紀からの歴史を持つ。歴代のオーナーにより随時改修・増設されてきたのだ。
ハウスを出ると広大なグリーンの先に森に囲まれた湖が見える(写真下左)。晴れ渡る青空を映してとても爽やかな情景だ。これぞ英国貴族のランドスケープ・ガーデンだ。
ガーデンの全体像を掴んでいただくために
グーグルの航空写真
をご覧いただこう。左上がハウスで右下がテンプルだ。
右手に回り込むと、ハウスの東テラスの前に大きなパーテア(Parterre)が広がる。60m×60mはあるだろう。11代ロージアン侯爵婦人が1932年に
デザインを簡素化して今の4分割の形にしたという。綺麗に刈り込まれたトピアリーは以前からあったものだという。
中心に18世紀の豪奢な噴水を配している(写真上中・右)。ずっと向こうにテンプルの姿も見える(写真上中)。
4分割されたガーデンは20m程の正方形で角にドングリ形のイチイのトピアリーを配し、周辺をバラとキャットミントで囲み、
中に多種多様な多年草 、潅木と1年草を植え込んでいる(写真下3枚)。4つが全て同じではなく2種類の植え込みがある。それが写真下の左と右で分かりやすい。
パーテアの東の並びに30m四方のガーデンが2つ並んでいる。その真ん中に21日のケントウェル・ホールでも見た、
月別に定められた位置に立つ人を時針とする日時計があった(写真下左)。案外正確な時間がわかるのだ。
30m四方の2つのガーデンは分厚いイチイの植え込みを刈り込んだ通路になっていて両端に大きな壺がフォーカルポイントとして置かれている(写真下中・右)。
イチイにしろ芝生にしろ、どうして緑がこんなに綺麗なのだろう。
パーテアのレベルから1段上がったところが広大な"Wildernes"だ。その段差の壁際もボーダーガーデンになっている(写真上左)。
階段の上がり口にエジプト風の女性像が立っている(アップ写真に掲載)。
階段を上がったところから真っ直ぐに"Temple Walk"が伸び、正面にテンプルが見える(写真上中)。1720年代に建てられたものらしい。
振り返ればハウスが壮麗な姿を見せる(写真上右)。テンプル・ウォークの両側が"Wildernes"なのだが、
"Wildernes"をそのまま“荒野”と解釈するには余りに概念が異なる。見事に管理・整備されたネイチャー・ワイルド・ガーデンと表現しておこう。
"Wildernes"の北側部分に"Secret garden"があるとガーデンマップに示されている。森に入っていくと入り口付近に犬の像が立っていた(写真下左)。
ガーデンの番犬か? ブナノキの生垣で囲われたところがシークレット・ガーデンだ。分厚い生垣の小さな入口から入る(写真下中)。
シークレット感に満ちている。ワクワクしながら潜る。中は芝生が敷かれているだけだ。白いロマンチックなサマーハウスがお洒落だ。
芝生の中央にあったらしいサンダイアルの支柱は根元で折れている(写真下右)。静かだ。
シークレット・ガーデンから東の端のテンプルまで歩き"Wildernes"の南側部分に移ると、ここでも彫刻の展示会を開いているようだ。
元々あった物との区別はモダンさで一目瞭然だ。写真上左の壺は元からあった像だろう。残りの上下6枚は展示会のものだ。
上左から2枚目の本を読む少女像はアルビー・クラフト&ガーデンズにあったものと全く同じものだ。
上右から2枚目のウサギもアルビー・クラフト&ガーデンズの別の作者の作風に似ているように思われる。
上右に見える像のアップが下左と中だ。ライオンとユニコーンだ。ユーモラスな表情をしていて楽しい。ライオンといえばイングランドの象徴で、
ユニコーンといえばスコットランドの象徴だ。そして、その2つはイギリスの国章に用いられているのだ。
そんなパロディーなのだろう。
出ました。ヒツジの像だ。足の感じが良く出来ていて可愛い(写真下右)。この緑にふさわしい像だ。
"Wildernes"の散策を終え森から抜けると開ける眺望が素晴らしい。ハウスのレベルより高い位置からなのでパーテアとハウスの彼方に湖の光景に感動する(写真上左)。
2015年の年賀状候補に最後まで残った1枚だ。(採用されたのは"Somerleyton Hall"だった)
パーテアの南側の一段高いところに並行して"Double borders"が走る(写真上中・右)。柘植で美しくヘッジされたベッドにホットなカラーから
クールなカラーに変わっていく植栽だ。春先が最も美しく見える植栽のようだ。
それに比べて、見下ろすパーテアは今が最も美しい時期だろう。高い位置からだとより美しく見える。ハウスの2階から見下ろしたらさぞかしだろう(写真下3枚)。
飽くことなく眺め続ける。
ハウスの周りは嘗ては濠が巡らされていたようだ。今は濠の底は芝生が敷かれ、石垣にはクライミング性の植物が繁茂して、これは一つの美しいガーデンだ(写真下左)。
濠には瀟洒な欄干の橋が架かったいる(写真下中)。何といってもヘンリー8世の妃であり、エリザベス1世女王の母となるアン・ブーリンが生まれ、
幼少期を過ごした館なのだ。
古本ショップがあるが素通りしガーデン・ショップを覗く。アルビー・クラフトで買い物ができなかったが、ここで友達へのお土産にガラス製の花瓶を見つける。
"RAF museum"もあったが、そろそろ閉館の時間のようだ。満足して後にする。
ショップの入り口に掛かっていたハンギングバスケット(写真下右)。シンプルさが良い。
ビレッジ・サイン NO.152 コーパスティ・アンド・サックソープ(Corpusty & Saxthorpe)
ブリックリング・エステートから西に約7km、サックソープのザ・ストリートにノリッジ・ロードが突き当たった地点のビレッジ・グリーンにサインがあった(写真右2枚)。
“赤く塗られた実物の鋤”が“レンガと玉石の土台”に載っている。以上、簡潔だ。
このサインは村の婦人会(Womens Institute)が1974年に寄贈したものだ。この村の鉄工所で設計・製作された1864年頃の
標準的な鋤(Norfolk Plough)なのだという。
ノーフォークが18世紀に農業革命(Agricultural Revolution)の中心であったことを表しているのだという。
"Norfolk Plough Pudding"なる食べ物があるとの情報だ。
クリスマスと正月が明け、最初の農作業(鋤)をする頃に食べられたプディングだが、現在は1年中食べられているようだ。残念ながらこの旅では遭遇しなかった。
ビレッジ・サイン NO.153 サーニング(Thurning) NO.154 ウッド・ダリング(Wood Dalling)
更に西へ3kmでサーニングだ。リーパム・ロードの"St Andrew Church"への入口脇の木の下に隠れるようにサインがあった(写真右2枚)。
図柄は板に村名が彫られている。それで全てだ。当然ながらビレッジ・サインに関するネットでの情報は小さな写真が1枚だけだ。解説不可能。
リーパム・ロードを南に2km下ればウッド・ダリングだ。教会前の小さな池の端にサインがあった(写真下3枚)。
デザインは木枠のついたブロンズに“教会”を背景に“2頭の馬に鋤を牽かせる農夫”が彫られている。下段に“3つの金床”が見られる。
“村名”は支柱に彫られている。
教会はサインの後ろに見える"St Andrew Church"だろう。タワーは15世紀の建築だという。
2頭の馬に鋤を牽かせる農夫も3つの金床も主要産業が農業であることを表していると考えられる。
ビレッジ・サイン NO.155 サウル(Salle) NO.156 リーパム(Reepham)
ウッド・ダリングから2km余り南東に下がるとサウルのザ・ストリート脇の広大なビレッジ・グリーンの一角にサインを発見(写真下左2枚)。
デザインは中央に“村名”が入った腕木があり、上部に“2頭の牛に鋤を牽かせる農夫”と“麦束”が立っている情景が描かれている。
下部には“リンゴの実と葉”、2つの“盾形紋章”、“2人の横顔”と盛り沢山のアイテムが描かれており帰国後の調査が楽しみになる。
その調査によれば2頭の牛に鋤を牽かせる農夫と麦束は村の基幹産業の“農業”を表していることは言わずもがなである。
盾形紋章については“ セント・ピーター(St Peter)と
セントポール(St Paul)”のものと判明した。これは
村の教会"St Peter and St Paul's Church"を表しているのだ。
この教会にはあのヘンリー8世(Henry VIII)の妃であったアン・ブーリン(Anne Boleyn)のお墓があるのだという。
この村は15世紀にはウール産業で栄え、とても豊かであったたので地元のフリント石でなく、
わざわざピーターバラ(Peterborough)から高価な"Barnack stone"を取り寄せてこの教会を建てたのだという。
2人の横顔は“聖職者の頭”とするサイトがあった。また、こんな面白い写真を見つけた。
St Peter and St Paul's Churchの座席の手摺りに彫られているものだという。なにか関連ありそうな気がするが、情報はない。
このサインは1952年にエリザベス女王の即位を祝って建てられたものだという。
サウルから2km余り南下するとリーパムの街だ。チャーチ・ヒル通りの教会境内にタウン・サインは立っていた(写真下右2枚)。
デザインは背景に“3つの教会”が建っている。手前のグリーンに“3人の黒装束の人”、“3人の農民と思われる人”、“3匹のヒツジ”、“3匹の子ヒツジ”、
そして、“3人の女性”が描かれている。全てが“3”なのだ。
村の俗説(Local Myth)である“3人の姉妹が3つの教会の建設に対しそれぞれの責任を果たした”という話を元に地元の高校生がデザインしたもので、
1992年に立てられたという。黒装束の人は村人を表しているのだという。
実際に中世には3つの教会が同じ敷地に建っていたが、1543年の大火(Great Fire of Reepham)で1つが消失し、
現在はSt. Mary's ChurchとSt. Michael's Churchだけがサインの後ろに残っている。
おとぎ話のようでほのぼのする。
ビレッジ・サイン NO.157 ブートン(Booton)
リーパムから東に僅か1km足らずでブートンだ。ノリッジ・ロードのザ・ストリート入口手前にサインが立っていた(写真右2枚)。
デザインは円形のアイアン枠にシルエットで“教会のタワーのようなもの”が右にある。中央に大きな“トンボ”がいて、左側に“カタツムリ”がいる。
上には“雲”が浮かび、下に“キノコが4本”生えている。
教会のタワーのようなものは実際に村の東にある"St Michael the Archangel 's Church"のタワーなのだ。
この教会の設計は建築家によるものではなく、変わり者の聖職者であるWhitwell Elwinが国中の教会を参考にして設計したものだが、
タワーはエルウィンの想像力だけで設計したという。それゆえに一般的な教会のタワーとは一風変わったデザインなのだ。
また、教会は別名"Cathedral of the Fields"と呼ばれるという。それほどに民家の少ない村なのだ。
他のアイテムは村の南西に広がる公共緑地(Booton Common)の豊かな動物相・植物相を表現たものだ。
ビレッジ・サイン NO.158 スワニントン(Swannington)
ブートンから南に4kmのスワニントンのザ・ストリートとスクール・ロードが接続する三角地帯にサインがあった(写真下4枚)。
デザインはユニークだ。角材の支柱に“村名”が記され、その上に“鉄パイプで組まれた正三角錐”が載っている。
正三角錐のトップには“ヘルメット”が載っている。パイプには様々なアイテムが取り付けられているが、推測できるのは
“トンボ”、“ガマの穂”、“オークの葉と実”、“教会”、“麦穂”などだ。
教区議会のホームページによれば村の名前はこの地域に最初に居住したバイキングの名前の"Sven"と町を表す"Ton"が合体したものだと出ている。
そのことから“バイキングのヘルメット”が載せられているのだという。
(村には英国空軍(RAF)の滑走路があったというのでそちらのヘルメットかと考えたが、違ったようだ)
写真下左から2枚目の左の辺に見えるのは“トンボ”と思われる。同じ面の長方形の構造物の右に立っているのは“ガマの穂”にみえる。
写真下右から2枚目全体に散りばめられているのは“オークの葉と実”に見える。鎖のついた器具は“足かせ”のようにも見える。
写真右の上部に取り付けられた長方形のものが“教会”と思われる。村の13世紀の教会"St.Margaret's Church"だろう。
同じ面の右手に立っているのは“麦穂”で間違いないと思う。(逆光ではっきりしないが・・・)
それらのアイテムが推測通りか、それが何を示すのかについては何一つ情報が見つからない。
ビレッジ・サイン NO.159 ヘイバーリングランド(Haveringland) NO.160 ヘビンガム(Hevingham)
スワニントンから東に3kmでヘイバーリングランドだ。ヘイバーリングランド・ロードとアビー・レーンが接続する地点にサインがあった(写真下左2枚)。
デザインは2本の支柱に填められたパネルの上部に“戦闘機”が飛んでいる。中段に“教会”と“大きなハウス”が描かれている。
下部に“丸い穴が5つ”横に並んでいる。
サインの隣に似たようなものがある(写真右)。支柱と丸い5つの穴が瓜二つではないか。2つをグーグルのストリート・ビューで見ると
こんな具合
なのだ。最初は古いサインの下部がそのまま残っているのかと思ったが、大きさが余りに違う。ふと閃いた。“さらし台(Stock)”ではないかと。
調べるとやはり村のさらし台だ。1804年に造られたものだという。こんなものを良く残しておくものだ。その上、ビレッジ・サインにも取り込むとは・・・。
戦闘機は第2次世界大戦時の"The Mosquito"のようだ。上述のスワニントンの滑走路からヘイバーリングランド上空をかすめて
ドイツに向かったのだろう。地元では"Swannington airfield"は別名"Haveringland airfield"と呼ばれていたという。
中段の教会は"St Peter's church"に違いない。
大きなハウスは"Haveringland Hall"だという。第2次大戦中の徴用がダメージとなり1947年に壊されたとのことだ。
戦争の爪痕を残すサインだ。戦勝国ならではか・・・。
ヘイバーリングランドから東へ4km、ヘビンガムのウエストゲイト通りとウエストゲイト・グリーン通りの交差点のグリーンにサインがあった(写真下右2枚)。
デザインは背景に“川が流れ”、川の向こうに“教会”が見える。手前に“大きな木が2本”あり、“2本のほうき”がクロスしている。
2本のほうきは嘗てのこの村の主要産業である“カバノキのブラシ(Birch Brooms)”を表しているのだという。従って大きな木が2本は“カバノキ”だろうと推測される。
サインのデザインのアイディアはカバノキのブラシ製作者の最後の一人であるワイマー(Wymer)さんによるものだが、
背景の流れる川はフランシス ・ブロムフィールド(Francis Blomfield)が1750年の村の様子を書いたエッセーの"It lay at the confluence of several small streams"
(それは幾つかの小さい流れの合流点に位置しました)を表しているのだという。
教会は"St Mary the Virgin & St Botolph church"だろう。13世紀の建築だという。
現在のサインは2009年に立て替えられたものだが、古いサインもデザインは同じだ。
ザ・グローブ The Grove
今夜がノーフォーク最後の夜だ。概ね順調に予定をこなしたが、一つだけ満足行かないものがある。“シーフード”だ。
ノーフォーク到着の26日の夜、ホストのケビンが教えてくれたクッキーズ・クラブ・ショップはワインがなく、サービスも悪かった。
何より、楽しみにしていた“オイスター”が置いてなかった。
ケビンを頼るのは無駄のようだ。自らリサーチしてきたリストからザ・グローブを第1選択して電話をしてみる。
「今夜のメニューにオイスターはありますか?」と。暫く待たされて「イエス、あります」との返事だ。そこで、19時の予約を取った。
それが午後のビレッジサイン・ホッピングの途中のことだ。
いったんB&Bに戻り、きちんとした洋服に着替え、クローマーのグローブに向かう。19時20分に到着した。腹ぺこだ。
レストランは大きくはない。古い建物だ。しかし、清潔で気品ある内装だ。さて、メニューが来る。私がワインリストを見ている間に妻はメニューを見て
「オイスターがない」と言う。「電話で確かめたのだからそんな訳はないだろう」とメニューを開くが、確かにない。
ウエイトレスに「昼に電話でオイスターがあると確認したが?」と訊ねると、いったん奥に下がって戻ってきた。「オイスターはありません」。
「電話で確認したが?」、「電話を受けた係りは今はいません。オイスターはありません」だ。こうなるとこちらの人は始末が悪い。
他の係りの失敗を謝るなどということは決してしない。「ないものはない」なのだ。他の担当を呼んだところで事態が好転するわけではない。
やむなく、メニューを再検討してオーダーする。余計な時間が掛かって、更に腹ぺこ度は増す。
スターターは妻が ・ "North Sea scallops" North Norfolk samphire, balsamic glaze 写真は上左から順に
私が ・ "Sun-dried tomato & Binham Blue' cheese tart" Fig relish, micro herbs
メインは妻が ・ "John Davies' Cromer crab" Homemade tartare sauce, dressed leaves, Norfolk new potates, garden mint
私が ・ "Norfolk lamb cutlets" Garden rosemary jus, chive mash, baby garden vegetables とした。
妻の前菜に入っている“サンファイア(Sanphire)”は別名“シーアスパラガス”はノーフォーク名物なのだ。少し分けてもらう。
私のタルトに入っている"Binham Blue' cheese"は今日訪ねたビレッジ・サインNO.142のビナムの名産なのだ。少しおすそ分け。
妻は何が何でもシーフードをとクローマー蟹を選んだ。海老もたっぷり付いてきてご満悦だ。蟹を少し分けてもらう。
私はシーフードを諦めて肉料理とする。ノーフォーク産のポーク、ビレッジ・サインNO.160のヘビンガム産のチキンなどもメニューにあった。
ノーフォーク・ターキーも名産という情報だが、ここにはない。迷った末、ラム肉にした。ボリュームもたっぷり、ワインにもぴったりだ。お肉を少しお返し。
オイスターにはありつけなかったが、流石にホテルのレストランだ。文句なしだ。
ナイトキャップ用にアイスキューブを分けてもらい、21時を回ってようやく黄昏始めたガーデンを一巡りして、B&Bに向かう(写真上中・右、下左)。
クローマーの街の北端は北海の断崖ギリギリまで街が広がっている。ラントン・ロード(A149)に入ると海に沈む夕日が美しい(写真上中)。
クローマーの街をゆっくり散策することもできなかった。せめて海岸だけでも眺めておこうと路上に駐車し、道路と並行している遊歩道を散策する。
桟橋の街灯も灯しび始めたようだ(写真上右)。打ち砕ける波の音に混じって歓声が聞こえる。クリフの下の海岸で親子が波が打ち寄せる度にはしゃいでいる(写真下左)。
この旅の唯一の動画もアップした(1分41秒)。
B&Bの部屋の窓からも見えた風力発電のプロペラが遠く霞んで見える(写真下中)。洋上にあったのだ。パリッシュ・チャーチのタワーも暮れ沈もうとしている(写真下右)。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。
写真下3枚はプライオリー・メイズ & ガーデンズ
左 修道院廃墟とストリーム 白いカラーが修道院の雰囲気に合う カラーの花名は修道女の襟(カラー)を連想させるところから付けられたとも
中・右 植栽の豊かさ、厚さに圧倒される 行ったり、来たり ストリーム・ウォークはこのガーデンのハイライトだ
写真下3枚はブリックリング・エステート
パーテアの植栽は2種類 左は 縁取りはキャットミントの中にピンクのバラ 中央はホワイトを基調としている
中は 縁取りはキャットミントの中に赤いばら 中央はイエローを基調としている
右はダブルボーダー東端から湖を見下ろす 感動の情景だ 自然と融合したガーデンだ
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