2014年の旅 イーストアングリア

花花

第9日 6月28日(土) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程        Homefield Guest House --- Sandringham House (Guide Tour) ---
                King's Lynn(Custom House, Town Walk) --- Homefield Guest House
今日の走行距離     287 km
今日の万歩計       12,900 歩
今日の出発時気温    15.5 ℃

ホームフィールド・ゲスト・ハウス  Homefield Guest House

Homefield Homefield Homefield

Homefield

ホームフィールドはA149沿いで道路をを隔てて先は北海までわずか500m、緑地が広がっているだけだ(写真右)。 沖を大きな船が右に左に航行しているのが見られる。
外観は白を基調にしたすっきりしたデザインだ(写真下左)。破風の黒いティンバーが印象的だ。
ダイニングも過剰な装飾はなく、かといって殺風景でもなく、清潔感のある部屋だ(写真下中、右)。
今朝は良く晴れている。昨日の土砂降りが嘘のようだ。ホットミールのオーダーを取りに来たケビンも「昨日の雨は凄かった」と驚いている。 「今日も予報では土砂降りがあるかもしれない」と嫌なことを言う。室内を撮していると「二人の写真を撮ろう」と言ってくれる(写真上中)。
今日の卵料理はスクランブルエッグにした。これが美味しい。食欲全開だ。
今日はランドリーの受け取りもあるし、予定を大幅に削ってゆとりある計画にした。今日のマストはサンドリンガム・ハウス(Sandringham House) の14時からの"Guided Garden Tours"のみだ。食後も部屋で少しのんびりする。

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ビレッジ・サイン NO.94  ルーダム(Ludham)

さて、ビレッジ・サイン・ホッピングに出発しよう。昨日パスしたサインでどうしても気になるものがある。サンドリンガム・ハウスとは反対方向で効率は悪いが、 これを逃すときっと後悔するに違いないと決意したのだ。
その気になるサインのある村ルーダムだ。村のサインはA1062(ヤーマス・ロード)とハイ・ストリートの交差点のグリーンにあった(写真下左2枚)。
デザインは中央に“王様らしき人物”が座っている。左に“聖人らしき女性”が立ち、右に“修道士らしき人物”が跪く。
何やら物語がありそうだ。調べると意外にも情報が沢山見つかった。このサインのオリジナルは1970年に木製で造られたものだ。 それが腐食したため1990年にグラスファイバー製に替え、2010年には塗り替えを行っているという。
物語は1019年にクヌート 王(King Canute)が聖ベネット大修道院(Abbey of St Benet)の修道士にルーダムの邸宅(Manor of Ludham) を与える文書を渡している場面だ。左は教区教会の守護聖人である聖キャサリン(St Catherine)で彼女のエンブレムは“車輪(Wheel)”だという。
ここまでスッキリ情報が揃うとこちらの気持ちもスッキリする。同じグリーンに円形の花壇とスチール製サンダイアルがあった。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

ビレッジ・サイン 番外  クロッシング(Crossing)

ビレッジ・サインの交差点からハイ・ストリートを南に下り、ステイス・ロード(Staithe Rd)が小川を渡ったところにクロッシングのサインがあった。
ビレッジ・サインで検索していてこの写真を見つけた時は衝撃を受けた。 このサインを作った方の優しい気持ちが伝わってきた。昨年のアイルランドの旅で小人の妖精のレプラコーンが渡る "Leprechaun Crossing"も愉快だったが、それに増す期待が膨らんだ。
グーグルのストリート・ヴューを駆使してサインの 場所の特定 が出来た時は欣喜雀躍、有頂天外、狂喜乱舞したものだ。
この村もノーフォーク・ブローズの真っ只中で水路が巡っている。その一つの小さな小川を渡る細道だ。こんなシチュエーションはブローズの中に数知れずあるだろう。 その中でこんなに優しい配慮がされている場所が他に幾つあるだろう。写真撮影している時通り掛かった住民に最敬礼しておいた。
川の畔の民家の庭への扉にもアヒルのアイテムが付けられていた(写真下右)。本当に嬉しくウキウキしてきた。思い切って訪れて良かった。

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ビレッジ・サイン NO.95  ポッター・ヘイガム(Potter Heigham)

ルーダムから東に4kmのA1062のサーン川(River Thurne)に架かるポッター・ヘイガム橋(Potter Heigham Bridge)の袂にサインはあった。
両面で異なるデザインになっている。南からの面(写真下左2枚)は上部に“ポッター・ヘイガム橋”の風景が描かれている。 この橋は1385年に造られたもので村のシンボルとなっている。橋桁が低く干潮の時に小型クルーザーだけが、かろうじて通過できるのだという。 橋の上を農民が馬車で麦束を運んでいる姿と橋の下を帆船が行く姿が描かれている。
下部は3つに分かれている。真ん中には“ろくろを回し陶器を作るローマ人”が描かれている。この村ではローマ時代に良い粘度が取れ陶器作りが発展したという。 その名残が村名の"Potter"に表れている。
右には“聖ニコラス教会(Church of St Nicholas)”が描かれている。村の教会で聖ニコラスは“漁師と子供の守護神”なのだそうだ。 教会のタワーの円形部分は12世紀のもので上部の8角形の部分は14世紀に造られたものだという。 左はこの教会の“洗礼盤(font)”で15世紀のもので8角形をしており、レンガで造られている。レンガ造りはレアなのだという。

北からの面(写真下右2枚)も上部は“ポッター・ヘイガム橋”だ。写真下右から2枚目の左に写っている。現在はA1062だが、 幅が狭いので車の通行は信号による交互通行だ。橋は馬の背になっていて中央部からのサーン川の眺望は素晴らしい。 (車で通過したからほんの一瞬だったが息をのむ美しさだ) 橋の上は同じように農民の馬車が走る。こちらの橋の下は“白鳥が浮かび”、 川岸では“農民が麦を束ねている”。
下部中央は“サーン川の風景”が描かれている。遠くに“風車”があり、“ヨットに興ずる人”、“フィッシングをする人”、“ペットの犬とウォーキングをする人”が 描かれている。この村には嘗ては幾つかの排水用風車や粉ひき風車があったという。
左は“アオサギ”、右は“サンカノゴイ”と推測した。ブローズは水生動植物の宝庫なのだ。
ポッター・ヘイガム橋周辺の ボート ・ヤードの美しさを示す空撮写真をご覧頂こう。右上にポッター・ヘイガム橋がある。
同じくグーグルの航空写真でも ボート ・ヤードを確認いただきたい。 写真の右手“ブリッジ・ロード”と記されたところがポッター・ヘイガム橋だ。

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ビレッジ・サイン NO.96  レップス・ウィズ・バストウィック(Repps with Bastwick)

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ポッター・ヘイガム橋を渡って南に1km、A149の路側帯にレップス・ウィズ・バストウィックのサインがあった(写真右)。
図柄は円形の枠の中に“教会”があり、円に沿って“水生植物”が伸び、それに“アゲハ蝶”と“水鳥”が止まっている。
教会は"Church of St Peter & St Paul"で間違いないだろう。
教会の下に放射状に伸びているラインは農地、特に麦畑を表現しているように考えられる。サーン川の豊かな水の恵みで村の周辺は麦畑だらけだ。
アゲハ蝶は"Old World Swallowtail Butterfly"でブローズで保護されている珍しい昆虫の一つだという。
水鳥はアオサギと考えて良いだろう。
赤い花(実?)のついた水生植物と思われるものについては手を尽くして調べたが、残念ながら全く分からない。

ビレッジ・サイン NO.97〜101  マーサム(Martham)

ルーダムのクロッシングサインがこの方向に走らせた要因だが、もう一つ後押しした要因がマーサムの5つのビレッジ・サインだ。 1つの村で5つもまとめて見られるお得感が魅力だ。それは村に通じる4つの道路の入口にそれぞれ"Welcome Village Signs"があり、 村の中心部にメインのビレッジ・サイン(Ornamental Sign)があるという訳だ。順不同だが、メインのサインから紹介しよう。
レップス・ロードがホワイト・ストリートとヘムズビー・ロードに別れるビレッジ・グリーンにメインのサインはあった(写真下4枚)。
このサインは1975年にオリジナルが造られたが、傷んできたので2010年に同じデザインで新しくしたものだ。両面でデザインが異なる。
一面は“教会”を背景に“バイキングのガレー船(Galley Ship)”があり、侵略者の“バイキング”と“女性”を守る勇敢な“騎士(Knight)”が対峙している図だ。
教会は"Church of St Mary the Virgin"で別名"The Cathedral of the Fleggs"として知られる大きな教会だ。 タワーの高さは98フィート(30m)あり、屋根の上の尖塔がサインでは誇張されている。
村の中心地から北海まではわずかに5kmだからバイキング時代には侵略もあったのだろう。ナイトの盾の“セント・ジョージ・クロス”が印象的だ。

もう一面は、遠く“風車”があり、水辺に“背丈の高い草”が茂り、川には“帆船”が浮かんでいる。ブローズの18世紀の姿を描いたものと思われる。
風車は湿地帯を牧草地に替えるための排水用で村には2基の風車(wind pump)があったという。背丈の高い草は“茅(Thatch)”と思われる。 湿地で沢山採れ、屋根を葺く材料となったのだ。帆船は"Wherry"と呼ばれブローズを人や荷物を乗せて運ぶはしけだったのだ。 テムズ川やノーフォークで18世紀末から19世紀初頭に発展した帆船だ。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

2004年に教区議会が"Welcome Village Signs"のデザインを募集したところ住民や学童から1000を越す応募があったという。 審査の結果、特定の入賞者は決められず、提案の多かった村の生活や歴史を表す図柄を合体させて2007年に完成したのだという。

Village Signs

最初は鉄板の切り絵で透けて見えたのだが、背後の木が邪魔になり効果的でなかったので、2011年に白い板で裏打ちして見えやすくしたというエピソードがある。

1つ目は西のレップス・ロード(Repps Road)の村の入口にあった(写真下左2枚)。
図柄は“ブローズ”の向こうに“朝日”が昇る。それを“三姉妹”が木の下で見つめている。といったところか?  村の北には"Martham Broad"が広がっているのだ。

2つ目はロールスビー・ロード(Rollesby Road)から村に入った地点にサインがあった(写真下右2枚)。
図柄は放牧場の柵の中で“馬が2頭駈けている”。空には“水鳥”が飛んでいる。川縁に“ベンチ”があり、川には“アヒルが2羽”浮かんでいる。 川辺に生える草は“ガマの穂”か?
豊かな村の風景がいかにも動いているように描かれている。実際に道路で乗馬を楽しむ人がいた(写真右)。


Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

3つ目はヘムズビー・ロード(Hemsby Road)からの入口手前にサインがあった。このサインには上述の白い板の裏打ちがない。 案の定、背後の木が邪魔になっている(写真下左)。少し斜めからアップの写真を撮る(写真下左から2枚目)。
デザインは川の対岸に“立木が3本”と“風車が”立っている。上空には“水鳥”が舞う。川面には“ヨット”が浮かび、“白鳥”泳ぐ。 川のこちら岸では“釣りする人”がいる。“ガマの穂”も見られる。
これも現在の村の風景を描いたものだろう。上空の水鳥は2度目の登場だ。野生の水鳥の豊富さを語っているのだろう。

4つ目はサマートン・ロード(Somerton Road)から少し村に入った地点にサインがあった(写真下右2枚)。これも裏打ちが外れている。
図柄は中央に“教会のタワー”、左に“ブローズに浮かぶヨット”、右に見えるのは“風力発電のプロペラ”と見た。 手前には”アヒルの親子が3匹”並んで泳いでいる。
この村には4つの教会があるが、タワーの形からここに描かれているのも上述の"Church of St Mary the Virgin"のタワーのようだ。 何とこのサインの背景に写っていたのだ。写真下右から2枚目のパネルの左下角の左の森の隅の四角い建物がタワーなのだ。 このストリート・ヴュー でご覧いただくと一目瞭然だ。このストリート・ヴューを左手にたどると何と何と風力発電のプロペラも見られるのだ。正に現代の村の風景が描かれているのだ。

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ビレッジ・サイン NO.102  ウエスト・サマートン(West Somerton)

マーサムの4つ目のウエルカム・サインから2km足らずでウエスト・サマートンのビレッジ・グリーンにサインを発見(写真下左、中)。
図柄は極めてシンプルに“教会”と“風車”と“帆船”が大きくシルエットで描かれている。教会は村の "Church of St Mary's"だろう。風車は嘗て排水用に用いられた "Drainage Mill"で間違いなかろう。ビレッジ・グリーンからサーン川の向こうにその水車が見える(写真下右)。 ノーフォーク・ブローズには1800年代には240基もの排水用水車があったという。
帆船は上述の"Wherry"だ。ビレッジ・グリーンのサーン川の岸辺は教区の船着場(Parish Staithe)だ。嘗てはウェリーが荷物の積み下ろしをしたのだろう。 現在は教区居住者のレジャー用ボートやヨットの船着場になっている(写真下右)。

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ビレッジ・サイン NO.103  インガム(Ingham)   NO.104  ボダム(Bodham)

思いは叶えられた。ランドリーの受け取りに向かう。その道すがらインガムのタウン・ロード脇で予定外のサインに出くわす(写真下左2枚)。
デザインは上中央から“教会のタワー、“麦の穂”、“薪にくさび?”、“グース(白鳥?)”、“人参?”、“かぶ?”、“ざくろ?”、“盾形紋章”だ。 大胆な構図だ。これらに関する情報は一片たりとも見つからない。想像できるのは教会がその歴史を13世紀に遡るという "Holy Trinity Church"であること、縦型紋章が14世紀からこの地を治めている インガム家のものであることだけだ。残りは村の産業と特徴を表しているのだろう。

クローマーに戻りランドリーの受け取りをする。例により駐車場所がなく妻のみが向かう。昨日預けた時に伝票も出してくれなかったが、 顔を見ただけで洗濯物の袋が出てきたそうだ。やれやれ。一旦B&Bに戻り、洗濯物を部屋に置くと12時丁度だ。 サンドリンガムに13時30分に到着を目処にビレッジ・サイン・ホッピングの再開だ。

最初はボダム、B&Bからビーストン・レジスを経てA148を西進8kmでザ・ストリートとの交差点にサインはあった(写真下右2枚)。
図柄は背景に“大きな美しい樹”の下に“コテージが3軒”建っている。前面には“中世の人々”と思しき行列がある。 “村名”の下には“1冊の本”と“鎌”、そして“ポピーの花束”のような“農産物”のようなものが描かれている。
この村のオリジナルのビレッジ・サインは1977年のエリザベス女王のシルバー ・ジュービリーを祝って建てられたものだ。 損傷が激しく、2011年に新しく建て替えられたのだが、デザインのコンセプトは同じだ。
椅子に座っているのは1086年のドゥームズデーブック(Domesday Book)に記載されている収税吏(Tax Collector)のボダ(Boda)だ。 "Boda"に税を納める人の行列を描いたものらしい。現金で税金を収められない人々はブタやガチョウなどの家畜などを収めたのだという。 一人目はブタ、、二人目はガチョウ、三人目は子羊、四人目は不明、五人目は麦を持っている。
村名のボダム(Bodham)の由来は“ボダの村(Boda's Ham)”だという。"Ham"は"Village"の古語なのだ。
下部の本はドゥームズデーブックを表しているのだろう。ポピーの花束のようなものに関連する情報は村の北を走る鉄道"North Norfolk Railway"が "The Poppy Line"であることと、クローマーのサフィールド・パーク(6月26日訪問)がポピーランドと呼ばれていることだ。

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ビレッジ・サイン NO.105  ヒリントン(Hillington)

A148を西に向かう。経由地の村のビレッジ・サイン情報は沢山あるが、サンドリンガムに近づいておこう。およそ50kmでヒリントン村に達する。 A148沿いのヒリントン・ホールの南門(South Gate House 写真下左)の向かい側、バスチャー・クローズとの交差点にサインがあった(写真下4枚)。
デザインは両面で異なる。東から見た面(写真下左2枚目)は上部に“マーケットクロス前を行く馬車と乗馬の人”が、次の段に“村名”があり、 その左に“弓を射る兵士”、右側に“鯨”が描かれている。
次の段がメインとなるようだ。楕円形のフレームに“教会を背景に蒸気機関車が煙を吐いて走り、その前面に大きな鎌で麦を刈る農夫”が、 下段には“麦束とマーガレットとポピー”が描かれている。
西から見た面(写真下右2枚目)は周囲は同じ構図でメインの楕円のフレームに“南門を背景に馬に鋤を索かせる農夫”が描かれている。
トップのマーケットクロスの図柄はイギリスで最も古い道路であるイクニールド街道(Icknield Way)を行く巡礼者の姿だという。 村は1086年のドゥームズデーブックに記載さている古い歴史を誇っているのだ。
弓を射る兵士については情報のかけらも見当たらない。まさかクジラを狙っているのではあるまい。 鯨に関しては近くの港町キングス・リン(King's Kynn)に水揚げされた鯨はこの村の水車小屋に運ばれ、油を絞っていたらしい。 (夏場には異臭が酷く街から離れた場所で作業したのだという)残った骨は肥料にされていたという。
下段の麦束とマーガレットとポピーは主要生産物を表しているのだろう。ポピーの種は食料として、あるは油を絞って使ったようだ。
メインのフレームの教会は"St Mary the Virgin"だろう。蒸気機関車は1959年までこの村を 通っていた鉄道を示している。一方のヒリントン・ホールの南門だが、本体のホールは1946年に壊されてしまい 今は公園となっている。ゲート・ハウスだけが残っているのだ。
大きな鎌で麦を刈る農夫と馬に鋤を索かせる農夫は主要産業の農業を表現しているということだろう。

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ビレッジ・サイン NO.106  インゴールディズソープ(Ingoldisthorpe)

まだ少し時間があるので近場の村を巡ってみよう。

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ヒリントンから北に8km、インゴールディズソープのサインはリン・ロード(B1440)とザ・ドリフト通りとの角に立っていた(写真右)。
図柄は“野原の木の下に二人の女性が立っている”。左に“キジと麦穂?”、右に“ウサギとアザミ?とポピー”が見られる。 下部の枠には“オークの葉と実”が描かれている。絵本の挿絵のようだ。
このサインは2012年に新しく更新されたものでオリジナルは1968年に造られたもので、 デザインは同じく二人の女性だ。
この二人は有名な慈善家の村人で"Eleanor Coates Tylden"と"Agnes Bigge"だ。サインの左の女性が領主夫人のエレノアで1928年に105歳でなくなったが、 100歳の誕生日には6人の女王がお祝いに訪ねたという。6人の女王はメアリー、アレクサンドラ(共に後のサンドリンガム・ハウスの項で登場)、 そして、ノルウェー、スペイン、ルーマニア、ロシアの女王達だ。
右の女性はアグネスで聖職者の娘で教会に多くの寄付をしたらしい。
キジやウサギはこの辺のBロードでしばしば見られるし、麦穂、アザミ、ポピー、オークも当たり前の風景だ。

ビレッジ・サイン NO.107  スネッティシャム(Snettisham)   NO.108  スネッティシャム(Snettisham)

インゴールディズソープからB1440を北上して1km足らず、村に入って直ぐの道路脇にスネッティシャムのサインがあった(写真下左2枚)。
デザインはトップに“馬蹄型のもの”が鎮座している。次の段に“海上に帆船”が浮かぶ、“長靴の男が二人”、両脇に“タツノオトシゴ(Seahorse)”が 描かれている。 次に“村名”があり、下部には“帆立貝”が並んでいる。
オリジナルは1960年に造られたものだが、風化で破損し、2006年に新しくされたものだ。
馬蹄型のものは何と“1kgの金の首飾り”なのだ。1950年にこの村で発掘されたもので、紀元前75年のものとみられるケルト人の首飾り "Snettisham Torc"なのだという。1.9mmの金の細線を8本を撚り、それを更に8本撚ってあるのだ。
この村では他にも1948年から1973年の間に180個もの装飾品"Snettisham Hoard" が発掘されているのだという。驚いた。
支柱の足元にも首飾りが飾ってある(写真下右から2枚目)。
長靴の男二人は”密輸業者”だという。左の男はピストルを持っている。帆船は二人の密輸船ということか? タツノオトシゴについては情報なしだ。

村の中央に入ってリン・ロード(B1440)とオールド・チャーチ・ロードの交差点にスネッティシャムのもう一つのサインはあった(写真下右2枚)。
ガラス張りの額縁に4枚の絵が飾ってある。ガラスが反射してわかりにくいが、上左は上述の “Snettisham Hoardの出土の写真”だ。こんなに綺麗な形で出土はしないだろうからきっとイメージ図だろう。
上右は村の"St. Mary's Church"だ。14世紀の建造で52mもの高さの尖塔が素晴らしい。 内部の装飾も見事だという。
下の“森の小径”と“海のヨット”は村の周りに広がる豊かな森が広がっていること、西へ4km足らずで穏やかな湾に面し釣りの名所であることを示しているのだろう。 古い歴史と豊かな自然を備えた村であることを誇っているサインだ。

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ビレッジ・サイン NO.109  ダージンガム(Dersingham)

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B1440を南に4km戻り、ヒース・ロードとの交差点にダージンガムのビレッジ・サインを見つける(写真右)。
オリジナルは1967年のシルバー・ジュビリーを記念して立てられたもので、 2012年のダイアモンド・ジュビリーに更新されたという。
デザインは“2頭のライオンが盾を支えている”。その縦の上左は“王冠が3頭”、右は“帆船”、下左は“ドラゴン”、右は“マスが3匹”描かれている。 そして盾の上の凸凹は“城の胸壁”のように見える。
2頭のライオンは王室所領のサンドリンガムを表している。3つの冠は"The three crowns of East Anglia"でイーストアングリアを表している。 帆船は古代の釣舟の港としてのダージンガムを表している。ドラゴンは“力”の象徴して描かれている。 そして、3匹のマスは釣魚を表しているのだという説明があったが、全体的に今一つ消化不良だ。
また、城の胸壁のようなものは村の"St. Nicholas Parish Church"を表しているのだという。 なるほどタワーの屋上の胸壁が同じ形だ。納得。 

ビレッジ・サイン 番外  フリッチャム(Flitcham)  バビングリー(Babingley)

6月20日の項でも記したようにビレッジ・サインの始まりはエドワード7世王が1912年にサンドリンガム周辺の4つの村に作らせたものだ。

King's Lynn

その内のフリッチャムとバビングリーは今も残っているとの情報は得ていたのだが、情報の整理・記録が悪く、現地で混乱し思い出せなかった。 NO.109のダージンガム辺りはそうかもしれないという思いでいたが、ハズレだった。(バビングリーでのニアミスは後述する)

フリッチャムのサイン(写真右)は7世紀にイースト・アングリアにキリスト教を伝道した聖フェリクス(St. Felix)が船に乗り、 バビングリー川(Babingley River)上がってくる様子が描かれている。1912年のオリジナルのサインは 1950年に現在のものに更新されたが図柄は同じだ。エドワード王の目的の“ドライバーの援助”となるようサインポストも兼ねていたのだ。
Flitchamの語源は“Felix's Ham(フェリクスの村)”から来ているという。

King's Lynn

バビングリー村は今は消滅してしまったらしいが、サインは残っている(写真右)。かなり新しいものに見える。 この写真がいつのものかは分からないが、かなり古いし、嘗てはペイントされていたものらしい。 良く見比べると細かいところで違いがある。1912年のオリジナルから木製なのだから雨風により風化され何回かは更新されたのだろう。
フリッチャムの項で述べた聖フェリクスは村の伝説によるとバビングリー川を上っている時に嵐に合い難破したところをビーバーの群れに救われたのだという。 それに感謝し、聖フェリクスはビバーを司教に任命し司教冠(Bishop 's Mitre)を授けたという。そのシーンがトップに刻まれている。 今のバビングリー川は船が上ったとは信じられない細い流れだ。そも伝説なのだから。
中央の図柄は川と船と聖フェリクスが描かれている。聖フェリクスは後にカンタベリー大司教に迎えられている。

ビレッジ・サインの元祖に関する情報さえ乏しいのだ。だとするとエドワード7世王がビレッジ・サインのもう一つの目的とした “各村の共同体意識とアイデンティティの促進”については果たされていないように思われる。信じ難いことだが・・・。

サンドリンガム・ハウス  Sandringham House

さて、サンドリンガム・ハウスにやってきた。 1862年以来150年余、英国王室の宮殿として、主にクリスマスには王室ファミリーが集うことで知られている。
エステートは2万エーカー(8100ヘクタール)というから東京ドームに換算すると1700個の敷地がある。(ますます混乱する?)
サンドリンガム・ホールは1771年に建てられたものだ。ビクトリア女王は皇太子(後のエドワード7世王(King Edward 7))の 結婚(プリンセスはデンマーク王女アレクサンドラ(Alexandra))に備え1862年にサンドリンガム・ホールを購入する。 しかし、ここに移り住んだ皇太子は手狭に感じ、2年で建て替えを計画、1870年に完成したのが現在のサンドリンガム・ハウスだ。

Sandringham Sandringham Sandringham

ガーデンは24ヘクタールという広さだ。ガーデンといっても私たちの好きなフラワー・ガーデンではなく、ウッドランドやローン・ガーデンが大半なのだ。 しかし、この時期の水曜、土曜の午後2時からのガイド・ツアーでのみウォールド・ガーデンに入場できるのだ。日程を遣り繰りした結果、今日がピンポイントなのだ。
エントランスで"Museum and Gardens Only"と"Guided Garden Tour"のチケットを求める。シニア料金で1人約2000円、お安くはない。 入場したところで待つこと暫し、ガイドがやってきてチケットをチェックして、20名余りのツアーはスタートする。
ハウスを中心に時計回りで回る。先ずは"Woodland Walk"を歩く。樹木やら下に茂る草花やらの説明をしているようだが、聞き取れない。 ハウスを見渡せる場所(写真上3枚)ではハウスの歴史を熱心にガイドしているが、馬の耳に念仏、馬耳東風。
Woodland Walkの終点に素晴らしいアイアン製のゲートが現れた(写真下左)。"Norwich Gates"と呼ばれ、1863年に皇太子ご夫妻の結婚祝いとして ノーフォーク州およびノリッジ市民から送られたものだ。精巧なデザインだ。これは内側から見ているが、 外側からは縦型紋章が飾られ更に鮮やかなのだ。

Sandringham Sandringham Sandringham

ハウスの木戸から出てA1440を渡り、いよいよ18世紀のウォールド・ガーデンに入る。ゲートは意外と質素だ(写真下左2枚)。
入った通路の両脇のコラムはバラなどつる性植物を絡める支柱なのだ(写真上中、下左から2枚目)。
ヘッドガーデナー・ハウスもお洒落な造りだ(写真上右)。
入って直ぐにクロスする通路の終点はどちらも茅葺き屋根の可愛いガゼボが建っている。木造で年季の入った建物だ(写真下右から2枚目)。
一つ一つのオーナメントのスケールが大きい。写真下右のオーナメントはベンチか?

Sandringham Sandringham Sandringham Sandringham

Sandringham Sandringham Sandringham

ガーデンとしてはまだ開発途上といった感じだ。デザインもシンプルだし、植栽も種類・量ともに不足している。入場できたのも入口部分だけで全体の5分の1くらいだ。 しかし、流石に女王様のガーデンだ。手入れは細かいところまで目が行き届いている。少々物足りなさを残しハウスの方のガーデンに戻る。

Sandringham Sandringham Sandringham

Sandringham Sandringham Sandringham

ツアー参加者の主なお目当てはウォールド・ガーデンだから"Museum and Stable Tearoom"の前で4割方がドロップアウトしてしまった。
残りで1996年に造られた"Stream Walk"に入る。(本来はこのツアーの名前は"Water Garden"といい、こちらがメインなのだ)
素晴らしい眺めが続く。水の光景のあるガーデンは憧れであるが、ましてや“水の流れ”のあるガーデンは望むべくもない。
伸びやかに美しく生育したシダ・アスチルベ・グンネラなどの水生植物の葉陰からきれいな水の流れが見える。心まで洗われる爽やかさだ(写真上3枚)。
やがて湖に出る。"Lower Lake"だ。湖の畔に美しいコテージが現れる。"York Cottage"と名付けられている。 1893年にエドワード7世が時の皇太子ジョージ(Prince George のちのジョージ5世王)と花嫁(メアリー Mary)のために建てたものだ。 コテージ前の芝生におびただしい数の水鳥が憩っている(写真下右)。

Sandringham Sandringham Sandringham

ロワー湖の北に少し小さめな"Upper Lake"が現れる。湖の水も爽やかな風に静かなさざ波を立てている(写真上右)。
その畔の築山の上に“The Nest(居心地のよい隠れ家)”と呼ばれるサマーハウスが建っていた。エドワード7世が1913年に王妃アレクサンドラのために建てたものだ。 ハウスの下で滝が水音を立て、とてもロマンチックな雰囲気だ(写真下右)。(ハウスの中の美しいタイルとハウスからの素敵な眺めは拡大写真でご覧あれ)
写真下左から“リアトリス”、“ジャイアント・グンネラ”、“アスチルベ”の花々。

Sandringham Sandringham Sandringham Sandringham

Sandringham Sandringham Sandringham

アッパー湖の北東にハウスが建っている。ハウス西側のテラス(The Back Terrace)の前に広がる"West Lawns"に井戸を模した花植え用オーナメントがある(写真上左)。 面白いアイディアだ。テラスのボーダーもパステルカラーで優しい雰囲気だ(写真上中)。
ハウス前のボーダーはハーブを取り入れている。重厚なコンテナも溢れんばかりの茂りようだ(写真上右)。
ハウスの壁を伝うバラや藤も厚みと高さがある(写真下左)。(バラのアップ写真は拡大写真で)

Sandringham Sandringham Sandringham Sandringham

ハウスの並びの北側に"North Garden"がある(写真上右3枚、下3枚)。柘植のヘッジで区画されたいわゆるフォーマル・ガーデンだ(写真上左から2枚目)。 ガーデンの中央にロンデルがあり、真ん中にコンテナが鎮座している(写真上右から2枚目)。ガーデンにはオーナメントが不可欠だ。
ペインテッド・セージ(写真下左)、スイートピーとゼラニウム(写真下中)などここでもパステルカラーを多用している。女王様の好みか?
フォーマルガーデンと並行して走るライム・ウォークが清々しい緑陰を落としている(写真下中)。
フォーマルガーデンの北の終わりに気味の悪い像がある。"Old Father Time Statue"と名付けられている(写真上右)。 大鎌と砂時計を持った髭の老人の妖精だろうか? “時の支配者”にも“死神”のようにも感じられる。“時は金なり”の戒めと受け取っておこう。
ライム・ウォークの北の終点には"Buddha Statue"があった(写真下右)。“17世紀の中国の仏像”との情報がある。狛犬も左右に控えている。 ガイドが私達に仏像と狛犬について質問してくる。日本人は誰でも仏教を信仰していると思っているようだ。 わかる範囲で説明すると熱心にメモをとっていた。他のツアー参加者も興味深げに聞いている。私達の説明で大丈夫か? 汗!
エドワード7世は1907年にガーデンを、ジョージ5世は1930年に博物館を、そしてエリザベス2世は自らのシルバー・ジュビリーの1977年に ハウスを市民に公開している。英国王室の開かれた姿勢が感じられる。
ショップを冷やかして歩く。麦わら帽子の形の良いのが見つかった。売店でアイスクリームを求め一休み。 ツアーの仲間が何組か会釈をしながら通り過ぎた。滞在2時間30分、楽しい時間だった。

Sandringham Sandringham Sandringham

キングス・リン  King's Lynn

本日のメインイベントは終了した。予定していたガーデンは幾つかあるのだが、これから移動したのではオープン時間が残り少ない。 その上、雨が降り出した。そこでキングス・リンの街歩きに切り替えたが、街のパーキングに着いた頃には本降りになってしまった。 いくらかのスカルプチャー情報を当てに街歩き強行。

King's Lynn

最初の像ははキングス・ステイス・スクエアー(King's Staithe Square)にあるバンク・ハウス・ホテル(Bank House Hotel)の正面玄関の屋根のニッチに発見。 17世紀初めのスチュアート朝2代目のチャールズ1世(King Charles I)の像だ(写真下左)。完全武装の姿で立っているが、ピューリタン革命で処刑された王だ。
スクエアーには移動遊園地が出ているがこの雨では開店休業だ(写真右)。
続いてスクエアーからパーフリート・キー(Perfleet Quay)を隔てた北側の元税関(Custom House)の2階のニッチに像があった。 上記チャールズの息子チャールズ2世(King Charles II)の像だ(写真下左から2枚目)。右手に笏を持っている。 子午線・標準時のグリニッジ天文台はチャールズ2世が設立したのだ。
Custom Houseの西側(海側)にキャプテン・ジョージ・バンクーバー(George Vancouver)の像が立っていた(写真下右から2枚目)。 キングス・リン出身の英国海軍の士官で北アメリカの北西部太平洋岸地方(アラスカ、ワシントン、オレゴンなど)を探検し海図を作成したらしい。 更にハワイやオーストラリアの探検も行っているという。彼の名前はカナダのバンクーバーなどに残されている。 像の後ろの建物がCustom House。像の周りには碇や鎖が置かれている。
キング・ストリート(king Street)を北に歩くと最初のラウンド・アバウトの角のグローブ・ホテル(Globe Hotel)の壁にアトラス像(Atlas)を発見する(写真下右)。 17世紀に"Globe Inn"の名で始まる宿で18世紀の建物だという。ホテルの広告塔としてお馴染みの地球を1人で支えるアトラスが掲げられているのだ。
この後ハイ・ストリート(歩行者専用道路)を歩くが、土曜の夕方とは思えぬ人出のなさだ。めぼしい物も見つからず車に戻る。

King's Lynn King's Lynn King's Lynn King's Lynn

ビレッジ・サイン 番外  ナショナル・サイクル・ネットワーク(National Cycle Network)

Village Signs Village Signs

帰路も道すがらビレッジ・サイン巡りをしていこう。情報ならノーフォークに500あるというサインの内、400は場所を特定してあるのだ。 ナビ子ちゃんに最初に指示したのは上述のバビングリーの積もりだった。ところが、どうしたことか見つかったのはナショナル・サイクル・ネットワークという サイクリング・ルート・ネットワークを拡大するチャリティー組織の立てた道標のようだ。このルートはNO.1のようだ。サンドリンガム2マイル、 キングス・リン7マイルと記されている。ウォーキングのための“フットパス”共々、交通弱者を守る制度が確立している。
実はバビングリーのビレッジ・サインは1本南の道路との交差点にあったのだ。 ナビ子ちゃんへの入力ミスで、わずか300mのニアミスでビレッジ・サインの元祖を見損なってしまったのだ。

ビレッジ・サイン NO.110  セッジフォード(Sedgeford)   NO.111  ドッキング(Docking)

A149からB1454に入り東進する。村の西の入口にセッジフォードのサインが立っていた(写真左2枚)。 図柄は“麦の束”と“大きな羊”のシルエットだ。羊の目が怖い感じがする。サインに関する情報は皆無だ。 村の産業が農業と羊毛ということを表しているのだろう。
検索するとこの村のサインが2つ出てくる。グーグルの“ストリートヴュー”で調べると村の東の入口手前にサインがあった。
こちらのサインもも図柄に関する情報はない。

セッジフォードから東に5km余り、ドッキングの村の中心部B1454とウェル・ストリートの角にサインがあった(写真下右2枚)。
支柱、横木とも太いしっかりしたオークの角材で出来ている。横木に“村名”が彫られている。周囲には精巧な彫刻がなされている。
支柱にも素晴らしい彫刻が見られる(下右の拡大写真でご覧あれ)。上部に“オークの木の中に司教冠”が刻まれている。 11世紀初めの司教アルフリック(Aelfric)のものだという。下部には“二人の人物”が彫られている。村の創始者のドッカ(Docca)とその息子だという。 像の下に"DOCCA"の文字が読める。
その下に"GR 12 MAY 1937"と記されている。サインが1936年のジョージ6世の戴冠式を祝って1037年に建てられたことを示している。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

ビレッジ・サイン NO.112  スタンホー(Stanhoe)

Village Signs Village Signs

ドッキングからB1155を東へ3km余りでスタンホーに到着。道路脇の小さな"Duck Pond"の池端にサインがあった(写真右2枚)。
デザインは家型のボードの左に“教会”、右に“人物”、中央に“1976”と“盾形紋章”が刻まれている。 支柱に“村名”が彫られ、その脇の半円のボードの左に“水を運ぶ農夫”、右に“馬に鋤を牽かせる農夫”が彫られている。
教会は村の"All Saints' church"に違いない。人物は13世紀のノーフォークとサフォークの長官を務めた "Sir Hervey de Stanhoe"らしい。中央の1976はサインを立てた年号だろう。盾形紋章はHerveyの息子"John"の紋章のようだ。
下の半円の図柄はどちらも村の主要産業が農業であることを表すものだ。
サインの足元にはダックス・ポンドに相応しくアヒルがいたが、写真を撮ろうとすると逃げていった。シャイな奴だ。

ビレッジ・サイン NO.113  ノース・クレーク(North Creake)   NO.114  サウス・クレーク(South Creake)

スタンホーでB1155を外れローカル・ロードを西に5km、B1355に突き当り右折して直ぐのビレッジ・グリーンにサインがあった(写真下左2枚)。
大胆なデザインだ。アーチ型のボードでアーチの向こうに“教会”が見える。"Church of St Mary The Virgin"だ。 前面には“2頭立ての馬に鋤を牽かせ畑を耕す農夫”と“金床の鉄にハンマーを打ち付ける鍛冶屋”の姿が描かれている。 馬の躍動感が素晴らしい。農夫も鍛冶屋も動いているように見える。
1988年にデザインのコンペティションを実施し、住民が選んだデザインで費用も住民の寄付により立てられたものだ。

B1355を南に2kmでサウス・クレークの村に着く。B1355とエイボンデール・ロードとの交差点角のグリーンにサインはあった(写真下右2枚)。
B1355に沿って流れていたバーン川(River Burn)は2m程の小川だ。それがエイボンデール・ロードと交わるところに車用の橋はなくフォード(浅瀬)になっている。 この旅では既に何度も見てきたが、無用な開発を加えない考え方に都度打たれる(写真下右から2枚目の拡大写真を)。
デザインは牧歌的な風景だ。丘の中腹にある“教会”は"St Mary's Church"だろう。 手前には“2頭立ての馬に鋤を牽かせ畑を耕す農夫”が描かれている。こちらは農夫も馬もおどけた表情でユーモラスである。
“村名”の下に描かれた"FARMERS GLORY"と書かれた箱は"Corn Flake Factory"を表しており、“金属性のジョッキ”は以前にあった醸造所を表しているという。 農業だけでない産業を誇示しているのだ。
雨が激しかったのでサインの裏を見ることを怠った。裏のデザインは異なっていたのだ。 図柄は村の西にある丘の砦におけるサクソン人とデーン人の戦いを表しているというが、図柄からは緊迫感が伝わらない。しかし、 丘からは死者や負傷者の血が流れ落ちる程の激しい戦いだったので丘は"Bloodgate Hill"と名付けられているのだそうだ。恐ろしや。
このサインは1985年に村人の寄付で立てられ、2009年に大きな修復を加えてたものだという。メンテナンスが良いので美しく保たれている。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

ビレッジ・イン  The Village Inn

朝のケビンの予報が当たって雨に祟られた1日だった。この辺でビレッジ・ホッピングを切り上げて一路B&Bに向かう。 B&Bのパーキングに車を置き徒歩でビレッジ・インに向かう。19時入店、ウェイトレスは顔を覚えていてくれて愛想が良い。嬉しいことだ。
メニューは前菜に昨日の ・ Butterflied Prawn が美味しかったので再び。もう1品はノーフォーク名物という ・ Deep-fried whitebait with brown bread にする。 メインは ・ Slow-braised lamb shank, rosemary & mint sauce, creamed potatoes & petit pois と ・ Fisy & chips とした。
揚げ物がかぶったが好物なのだから・・・。旅は非日常。

Village Inn Village Inn Village Inn

Village Inn

エールビールが油物と合う。エビフライは今日も変わらず美味しい。"Whitebait"は“シラス”と訳されるがワカサギ位の大きさだ。 これもカリカリ衣にふっくらとした身が美味い。白ワインに変えて食は進む。フィッシュアンドチップスの大きさは何としたことか。 厚みもたっぷりある。昨夜ボリュームが少ないと思ったのは間違いだった。
ラム肉も厚くて大きい。骨も太いが・・・。クリーム・ポテトもグリーンピースもたっぷりだ。赤ワインが進む。
2時間たっぷり楽しみ帰る頃には雨も上がった。
外のテーブルの数も尋常ではない。良く流行る店なのだ(写真下中)。
今日もアイスキューブをいただきB&Bに戻る。北海を眺めながらスカッチをいただく。至福の時だ。水平線を盛んに大型船が行き交う(写真右)。 英国側のキングストン・アポン・ハルと大陸のロッテルダム、ベルギーを結ぶ航路が通ているのだ。 次第に空は赤く染まってくる。遠くに風力発電のプロペラ群がみえる(写真下右)。良い眺めだ。

Village Inn Village Inn Village Inn

F.U写真集  F.U Photo Album

今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。

写真はすべてサンドリンガム・ハウス 左から順に
ウォールド・ガーデン    ヘッドガーデナーズ・ハウス 芍薬と三尺バーベナ
ストリーム・ウォーク    水辺のアスチルベ
テラス・ボーダー      ハウスに連なるボーダー キャットミントとデルフィニウム

F.U Photo Album F.U Photo Album F.U Photo Album

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