第4日 6月23日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Harwood House --- Beth Chatto Gardens --- East Bergholt Place ---
Constable Country Walks(Flatford Bridge Cottag, Flatford Mill) ---
Kersey --- Lavenham --- Dalham --- The Grove House
今日の走行距離 245 km
今日の万歩計 24,000 歩
今日の出発時気温 16 ℃
ハーウッド・ハウス Harwood House
今朝は6時30分まで眠れた。時差ボケも取れすっきりした寝覚めだ。荷造りを手早く済ませ、朝食前にガーデンを再び巡る。
ゲラニウムの中にオダマキが咲いている。背の低いゲラニウムに背丈のあるオダマキが映える。この手法は真似をしよう。
オレンジジュース、ヨーグルト、グレープフルーツとプラムのコンポート、昨日と同じ組み合わせのホットミール、トーストにバター、
そして、ミルクティー、大満腹のフルイングリッシュ・ブレックファストだ。
出発前にハーウッド・ハウスの建物も忘れずに撮影する(写真下右)。第1日目の到着時に驚いた“部屋数をはるかにオーバーする車の数”の理由が
ハーウッド・ハウスのホームページを見ていて分かった。ハーウッド・ハウスはスタンステッド空港に近いので"Park & Fly"というサービスを行っているのだ。
すなわち、搭乗前後どちらかにハーウッド・ハウスに宿泊すれば、パーキングと送迎のサービスをするというものだ。
あれだけの数の車があるということはこのサービスの利用者が多いということだ。
そういえば、朝食時もチェックアウトの時もイアンがいなかったが、ハーウッド・ハウスから道路に出ようと安全確認をしているとドアーをノックするイアンがいた。
「出かけていたのでごめんなさい。またのお越しをお待ちします」とのことで握手を交わす。お客さんを送ってきたのかもしれない。
ビレッジ・サイン NO.25 エルムステッド・マーケット(Elmstead Market)
今日の最初の訪問先ベス・チャトー・ガーデンのある村エルムステッド・マーケットにもビレッジ・サインがあるとの情報だ。
A133沿いの村の中心部のグリーンベルトにサインはあった。この村はこの先の "Clacton" 、 "Frinton" と "Harwich" の各町と
コルチェスター、さらにはロンドンに繋がる交通の要衝で1253年からマーケットとフェアーが開かれ、1914年まで続いたという。
サインの図柄は大きな木を背景に3つの盾形紋章が描かれている。村の名前はフルネームではなくエルムステッドと省略されている。
それらが何を意味するのか? 情報は全くのゼロだ。サインの下の大きなプランターには花が植えられ、
周りにばベンチが置かれ村の人々の憩いの場となっているのが見て取れる。
最近になってA120が開通しこの村の交通量は激減したようだ。
ベス・チャトー・ガーデンズ Beth Chatto Gardens
ベス・チャトー・ガーデンズは“奇跡の庭”と呼ばれ、ガーデナーのベス・チャトーさんは
“世界一のプランツウーマン”と謳われる。ベス・チャトーは英国王立園芸協会の最高栄誉賞であるビクトリア・メダル・オブ・オナーを受賞し、
チェルシーガーデンショーでは10年連続金メダル受賞という実績を持つ。
この土地はベスさんの夫の実家の果樹園であった場所だという。イギリスで最も降雨量の少ないこの地域は、乾燥した砂利の土地か湿地帯のような粘土質の土地で
果樹が上手く育たなく、当時は荒廃したままだったという。1960年にこの地に移り住んだベスさんご夫妻は、ここにガーデンを作るという強い意志と豊かな知識、
深い情熱と愛情、そして自然への畏敬の念を持って、まず元駐車場で砂利だらけの場所に雨以外の給水を一切しない“グラベル・ガーデン”を造ったのだ。
そして、粘土質の不毛の土地には自家製の有機肥料やグラベル・ガーデンから出た大量の砂利を混ぜ合わせ、試行錯誤を重ねながら土壌改良を行い、
今は亡き夫・アンドリューさんの植物への深い専門知識に支えられ、この土地に合う植物を世界中から集めて素晴らしいガーデンに仕立て上げたのだ。
90歳を超えた今も尚、現役としてスタッフを牽引しているという。2度目の訪問となるが、一段と進化した素晴らしいガーデンになっていた。
ベスさんの並々ならぬ情熱が感じられる。目を見張るばかりで、もっともっと我々も努力しなければと痛感する。
パーキングからイチイの高い生垣に囲まれたガーデンに入るとそこが有名な“グラベル・ガーデン”だ。
20m程の幅で80m程の奥行の砂利の中に幾つかのアイランドが点在する(写真上3枚、下左)。
この辺は6mも掘り下げても砂と石ばかりの土地だったという。その全てを入れ替えたわけではなく、表土を保水ができるよう土壌改良し、
砂利や砂で表面を覆うことで雑草を生えにくくし、雑草に水分を奪われることを防ぐ工夫をしたという。
また、背丈のある草木で適当な日陰を作ったり、グランドカバーの植物で表面を覆うことで乾燥を防いでいる。
それでも乾燥が進んだ時は、刈り込みや剪定を強めにして、植物の体力の消耗を防ぎ、植物が必要とする水分を抑える工夫をするのだという。
ただし、新しく植物を植え込んだ時は根付くまでは水やりをするという。ローメンテナンスのガーデンといわれたりもするが、
むしろ地域の特性に合わせたガーデニングといった方が良いと感じる。砂漠に現れたオアシスを思わせる。写真上中の大きな木はユーカリだ。
驚くことにベス・チャトー・ガーデンズといえばグラベル・ガーデンを思い起こさせるこの部分は無料なのだ。
ナーサリーやティールームを訪れるお客さんへのサービスなのだろう。写真下中のゲートを通って本園(有料園)に入る。
ゲートを潜ると緩やかな斜面の下に“ウォーター・ガーデン(Water Garden)”が広がる。“緑滴る”という言葉がぴったりのガーデンだ(写真上右、下3枚)。
樹木、潅木、草本、水草、芝生が見せてくれる緑色の種類と量の洪水に押し流されそうだ。思わず歓声をあげる。
緑の中の草花の色は白と黄色のみに抑えられている。植物の土地への適性だけでなく、草木の高低差、葉色・樹皮色・花色、樹形・葉形・花形
なども計算済みの植栽なのだ。中でもグンネラが存在感を放つ。
緑と水が心地よい涼を呼び、しっとりと静かな気が流れる。前回の訪問から11年、この進化に触発されるものがある。
ガーデンマップにはエリア毎に幾つかの名前が付けられているが、明確な区分はなく連続したガーデンになっている。
ウォーター・ガーデンの東側の芝生の経路に点在するアイランドの植栽はグラベル・ガーデンとは一転し優しい柔らかな色彩だ(写真上3枚)。
アスチルベ、シモツケソウ、フウチソウ、リクニス、ゲラニウム、ホスタなど陽だまりでもお馴染みの草花も多く見られる。
そのさらに東側の経路は“ロング・シャディー・ウォーク(Long Shady Walk)”と名付けられている。西側に大きな木が立ち並ぶ気持ちの良い木漏れ日の小径だ(写真下3枚)。
ここには日陰に適したホスタやシダ類が多く植えられている。草木は活き活きと茂り、美しい景色を見せてくれる。
植栽は密で生い茂っているのだが、一つひとつの草木が大きく元気に育っている。無潅水、無肥料なのだからきっと無農薬なのだろう。
葉っぱが虫に喰われているものもあるが、勢いが良い(写真上左、中)。そして、背丈のある草花も支柱なしでしっかりと自立して元気に育っている(写真下左3枚)。
それぞれの草花に適した土作りと環境作りが出来ているからだろう。見習うべし。
写真下は左からカンパニュラ、バーバスカム・ウエディングキャンドル、エルサレム・セージ(Phlomis Russeliana)とか。
ウォーター・ガーデンの池は3つが南北に並びその南に更に大きな2つの池(Reservoir)が東西に並んでいる。
この地域はGoogleの地図で見るとこのような池が沢山見られ、"Brook"と呼ばれる小川で結ばれている湿地帯なのだ。そこを上述のように土壌改良し、
条件に適合する植物を探し出して作ったのが、ウォーターガーデンであり、東西に並ぶ2つの池の北側に広がる“リザーボイア・ガーデン(Reservoir Garden)”なのだ。
リザーボイア・ガーデンはウォーター・ガーデンより開放的で明るい雰囲気に満ちている。生え揃ったふかふかの芝生の中に大きなアイランドが点在する。
一つひとつのアイランドには背の高い樹木・潅木があり、適度な日陰を落としている(写真上3枚)。
樹木が大きいのは果樹園時代からの木も残しつつ、この地に合う木を植えてきたからだろう。50年を越すガーデンの歴史を感じる。
草花の色はぐっとカラフルになり明るい気持ちにしてくれる。写真下左はアニス(Pimpinella major 'Rosea')とペンステモン、
中2枚はオリエンタルポピー、右はゲラニウムとエリンジウム、なんとも伸びやかに咲いている。我を忘れ、歓声を上げ続ける。
リザーボイア・ガーデンから南に"Wildlife Area"と"Woodland Garden"が展開していいるが、私の好みではないのでパスする。
ティールームやナーサリーと並んでベスさんのお住まいがある。その壁を飾るのはブッドレア(Buddleja crispa 写真上左)だ。
お住まいの周囲のガーデンを“スクリー(Scree)”と名付けている。スクリーとはがれのことだ。グラベル・ガーデンと似たような感覚で受け止めた。
ここは通路も芝生でなく、砂利が敷かれている。
セダム中心の植栽のガーデン(写真上中)や、グラス類やユーフォルビアなどを植え込んだガーデン(写真上右)などがある。
降雨量が少ないため、ホースを使って水道水をガーデンへ散水することが制限されるこの地区のガーデナーには参考になることだろう。
写真下左はスクリーで見たディエラマ(Dierama pulcherrimum)。
再びウォーター・ガーデンを通り、ゲートを経てティールームに向かう(写真下中2枚)。
ナーサリーを覗いても持ち帰れないのでストレスになるばかりと分かりつつ覗いてしまい垂涎する。その種類の豊富さに驚嘆する。
写真上右はナーサリーで見つけて持ち帰りたいと思ったポピー(?)。
ショップを覗く。ポストカードとアイスクリームを求め高揚した心を鎮める。
ビレッジ・サイン NO.26 イースト・ベルゴルト(East Bergholt)
"Constable Country Walk"のスタート地点にイースト・ベルゴルトのビレッジ・サインが立っていた(写真右)。
デザインはセント・メアリー・ヴァージン教会(Church of St Mary the Virgin)にある16世紀の木造の鐘の小屋(Bell Cage)を表していると思われる。
セント・メアリー・ヴァージン教会では1525年からヘンリー8世治下の大法官・トマス・ウルジー枢機卿の援助で鐘塔の建設を始めた。
しかし、トマス・ウルジー枢機卿の失墜により資金が途絶え、鐘塔の建設はストップしてしまい、やむなく敷地内に"Bell Cage"を建てたのだ。
そして、“鐘塔のない教会”として有名になったのだ。
この後のウォーキングでセント・メアリー・ヴァージン教会の前を通り正面の写真は撮ったのだが、この情報を知らなかったので教会の裏にある
"Bell Cage"は見落としたのだが、 この写真でお分かりの通り間違いなく"Bell Cage"がサインのモデルだ。
5つの鐘は吊り下げてあるのではなく、逆さまに歯車に固定され手動で鳴らされるのだという。
見逃したのは返す返すも残念だが、次回のお楽しみとしよう。
支柱に彫られた“1945 8 MAY 1995”は1945年5月8日にオリジナルが建てられ、
50年後の1995年に作り直されたものと勝手に解釈して良いだろうか? 1945年5月8日といえば、“ヨーロッパ戦勝記念日・VEデー”だ。
そんなにタイミング良く作製できたのだろうか? そして数ヵ月後、VJデーとなり第2次大戦が終結となるのだ。
コンスタブル・カントリー・ウォーク(フラットフォード・ブリッジ・コテージ フラットフォード・ミル)
Constable Country Walks(Flatford Bridge Cottag, Flatford Mill)
ナビ子ちゃんの指示通り走っていると、ウォーキングの後に寄る予定の
East Bergholt Placeの前を通りかかる。
寄ってみたが目ぼしいものは見つからない。草花の種を10袋求める。ここでも1袋2ポンド平均で決して安くはない。
コンスタブル・カントリー・ウォークは2003年に訪れた時から次の機会には歩いてみたいと思ってきた。
あの時歩きたいと思ったデダム(Dedham)までの往復では能がない。検索したところ"The AA"のサイトに周回コースの
こんな案内を見つけた。
6km、1時間30分のウォーキングは正に手頃、これに決めた。
イースト・ベルゴルトのポスト・オフィスの前に空きスペースを見つけ駐車する。
ビレッジ・サインを撮影して出発、直ぐのところで鍛冶屋さんのサインを見つける(写真右)。周りの飾りが如何にもお手の物といった感じが良い。
まだ真新しい。Googleのストリートビューで見ると
違うデザイン
になっている。新しい方が断然良いと思う。(画面の右下の“+”をクリックすると拡大する。Googleの写真はいつ頃のものだろうか?)
ポスト・オフィスから小路を西に進むとすぐに道は消え、フットパスとなる。牧草地の境の有刺鉄線と野茨に挟まれた狭いパスを行く(写真上左)。
野茨のシュートが行く手を遮る。やがて牧草地の境界となるブッシュの谷間のトンネルのような細道を南に進む(写真上中)。
途中で今度は倒木に行く手を遮られる。土手をよじ登り倒木を乗り越え、土手をずり落ちて元の道に戻る。谷間は風もなく暑い。
今度は農地の中を東に向かう。涼しい風が吹き抜けて心地よい(写真上右)。この道がストー川(River Stour)に沿っているが、まだ姿は見えない。
そしてパスは適度な木漏れ日の林へと変わる(写真下左)。牧草地では顔の黒い羊さん達が暑さを避け木陰に群れている(写真下中)。
牧草地の出入り口には牛や羊が逃げ出せないよう工夫がされている。木戸形式の出入り口もあるが、簡易型の人だけが通れる“スタイル(Stile)”と呼ばれるステップが面白い。
写真下右がそれだ。どうして通るかは拡大写真で確認あれ。
牧草地の中を歩いていくと、道路の草刈をしている男性から声がかかる。「そこはフットパスではないよ」と。「あちらのスタイルを越えてこちらに来なさい」とのことだ。
その通りにすると、男性は作業を終えて車に草刈り機などを積み込んでいる。車はナショナル・トラストのものだった。
そういえばフラットフォード一帯はナショナル・トラストのプロパティーだった。「この先を道なりに行くとフェン・ブリッジ(Fen bridge)に出るよ」と教えてくれる。
やがてストー川が見えてくる。ストー川はこの辺りではいくつにも分岐して流れている。その支流でも悠々たる流れだ(写真上左、中)。
護岸工事などの人の手が加わっていないのが良い。静かな流れだ。そしてストー川の本流に架かるフェン・ブリッジを渡る(写真上右)。
橋を渡るとフラットフォード・ブリッジ・コテージから1kmほどだからウォーキングをしている人が急に増えてくる。
ここまでは一人の農夫と出会っただけだ。やはり、ウォーキングは人と出会って挨拶を交わすほうが楽しい。川岸の牧草地は水の恵みで一段と緑が濃い。
NHKの朝ドラ“花子とアン”のオープニングのシーンを思い出し、サフロン・ウォルデンで求めた帽子を空に投げてみる(写真下左)。
ストー川にはボートを浮かべる人も見えてきた(写真下中)。手を振って挨拶する。川岸の古木が奇妙な形をしている。
風によるものか、川の流れによるものか自然の造形美だ(写真下右)。こういうものを見ると直ぐ登りたがる人が約1名。
川に落っこちたら大変だから、陸地にあった枯木に登っていただくことにする。(拡大写真でどうぞ)
川幅は広いところでも20m程度、流れは決して真っ直ぐではなく蛇行している。悠々たる流れに美しい白鳥が優雅に浮かんでいる(写真上左)。
川岸の大きな木の木陰で沢山の牛がのんびり休んでいる(写真上中)。長閑な風景だ。
ストー川といえば他にもあったような気がして調べてみた。なんとイギリスにはストー川が5本もあるのだ。このサフォークのストー川は
21日にビレッジ・サイン巡りで訪れたロングメルフォード、キャベンディッシュ、クレア、ストーク・バイ・クレアも流れていて、全長76kmもあるのだ。
最終的には長さ10km、幅2kmもの湾のような流れとなって北海に注ぐのだ。
この辺はその湾のような部分まで10km足らずの距離なのが信じられない程、自然のままの細い流れなのだ。
フラットフォード・ブリッジに到着、懐かしい橋だ(写真上右)。ここでウォーキングは丁度半分だ。ナショナル・トラストのビジター・センターでトイレを借用。
ストー川の南岸を川下に歩く。橋の袂のフラットフォード・ブリッジ・コテージ
の茅葺きの屋根が美しい(写真下左)。16世紀の建築だ。屋内にはコンスタブルに関する資料が展示されており、屋外はティーガーデンとなっている。
その隣が"The Flatford Granary"だ。18世紀の建物でジョン・コンスタブルの父が
所有していたウール店だったという。その後穀物倉庫などを経て、現在はB&Bとなっている(写真下中)。貸しボートはここで借りられるようだ。
曜日によってはボートツアーもあるようだ。
その下流にロックがあった(写真下右)。1705年に"An Act for making the River Stower navigable from the town of Manningtree, in the county of Essex,
to the town of Sudbury, in the county of Suffolk"という法律ができ、幾つかのロックを設け、下流のマニングツリーと上流のサドバリーの間を航行可能にしたのだ。
2次大戦後は使われなくなっていたが、1968年に"The River Stour Trust"が設立され、ロックを修復し市民が航行できるように整備したのだという。
コンスタブルが描いたフラットフォードの絵のコピーを5点持参し、実際の風景と見比べてみた。
18世紀のコンスタブルの世界が21世紀の今ここで見られるのは素晴らしいことだ。リバーサイドの時間を堪能し、ウォーキングの続きに向かう。
橋を渡りブリッジ・コテージのショップを覗く。アイアン製の羊の置物があった(写真右)。自家用に1つ求める。
今見たばかりの風景のポストカードも“2 for 3”とあったので3枚ゲット。
ストー川の左岸の道を進むみThe Flatford Granaryの大きな建物(写真上左)を通り過ぎるとフラットフォード・ミルが現れる(写真上中)。
1731年からの建物で1742年からジョン・コンスタブルの父のおじの所有となったものだ。1768年からはジョンの父が相続し、更にジョンの弟へ相続された。
ホームページに面白い記述があった。写真上中の建物の右につきだした部分を"Lucam"といい、この部分から穀物を2階に運び入れたものらしい。
その位置がジョンが1811年に描いた絵と異なっているというのだ。
見比べると現在の"Lucam"は道路側に向いているが、当時は池側を向いた破風の部分にあったことが分かる。変わっていないようで変わっているのだ。
フラットフォード・ミルの隣にウィリー ・ロッツ・ハウス(Willy Lott 's House)がある(写真上右)。
Gibbeon's Gate Farmの小作人だったウィリー ・ロットが住んでいた家で16世紀の建物に17世紀に増築したものだ。随分モダンに見える。
ウォーキング・マップではウィリー ・ロッツ・ハウスからフットパスを北に進み、途中から東に向かえばスタート地点に戻るはずだったが、
羊も木陰に涼をとる炎天下(写真下左)、道を聞こうにもオートキャンプのテントは無人だし(写真下中)、完全に道を失った。
民家らしきものが見える方向に歩き、やっと人影を見つけた。道を問うと親切に教えてくれたが、「え〜、歩くの遠いわよ。私にはとても無理」なんて言っている。
イギリス人はウォーキング好きと信じている身には、そんなことを言われると歩く足も重くなるが、歩くしかない。ようやく目印の"King's Head"に辿り着く。
ここまで来ればもう直ぐだ。セント・メアリー・ヴァージン教会(写真下右)も裏手に素晴らしいものがあったなど露知らず通過し、ゴールに急ぐ。
締めて2時間50分のウォーキングは終了した。ポスト・オフィスで冷たく甘すぎるファンタを求め喉を潤す。美しい風景のピクチャー・ポスト・カードも求める。
ビレッジ・サイン NO.27 ホルトン・セント・メアリー(Holton St Mary) NO.28 レイドン(Raydon)
今日のメインイベントを終了し、これからは小さな美しい村とビレッジ・サイン巡りだ。欲張って情報は仕入れてきたが、どこまでこなせるか? いざ出発。
イースト・ベルゴルトからB1070を北へ2kmでホルトン・セント・メアリーに着く。村の中心(とは言っても人口200あまりの小さな村だ)のT字路の角に立っていた(写真下左2枚)。
小さな村にしてはなかなか立派で美しいサインだ。図柄は大きな木の下で白髪(銀髪?)の男性とスカートの女性が向き合い握手をしているように見える。
下部には木の葉がデザインされている。しかし、ネットで調べる限り情報がほとんどない。サインの写真は3枚ほど見つかり、その一つに
"Don't know what this sign is about, but it looks like a modern love story."とのコメントがあったが、支持できる情報とは思われない。
更にB1070を2kmあまり北上するとレイドンに着く。サインはB1070脇、村の南の入口に立っている。図柄は赤と白の格子模様に十字の盾形紋章だ。
上にランセット窓のある教会があり、盾の縁は金色の麦の穂と思われるもので囲んでいる。こちらも写真が4、5点見つかったが、サインの位置情報以外は見つからない。
ビレッジ・サイン巡りを思い立ち情報収集を始めた時は、先ず1番に目的地への移動経路にある村や、目的地周辺の村のビレッジ・サインの有無の情報。
2番目にサインがあることが判明したら、何処にあるかの位置情報がありがたかった。そんな情報収集の中でもサインが何を表しているかという情報も幾つか見られたので、
写真を撮って帰り、旅行記作成時に調べれば良いと簡単に考えていたが想定外の情報の少なさに戸惑うばかりだ。
トップの教会についてはこの村の"Church of St. Mary's, Raydon"の写真をご覧いただけば、相違ないことは納得いただけそうだ。
ビレッジ・サイン NO.29 カージー(Kersey)
レイドンを発ってまもなくB1070が工事のため通行止めとなっている。カントリーサイドの1本道がストップしたら、お手上げだ。
大変な時間のロスをしてA1141にたどり着く。
カージーは2003年の旅でも訪れた。フォードと呼ばれる橋の架けられていない浅瀬を車が通行する場所があるとの情報で訪れたのだ。
今回はほかにも興味ある情報を仕入れた。一つはもちろんビレッジ・サインだ。村の南の入口、チャーチヒルへの階段下にあった(写真右2枚)。
階段と教会のタワーを入れて良い絵が撮れた。
さて、デザインだが、ユニークな形をしている。全て木材を彫刻したものに見える。屋根の下の三角部分には“1987”の文字と盾形紋章がある。
紋章上部は左に植物の図案と思われるもの、右には動物と思われるものが彫られている。下部にはポピーの花(?)と思われるものが3つある。
その下の部分も重厚な造りだ。以上はあくまでも私の印象だ。
ネットから得られた情報は“1987年に"Phil Darby"という人がデザインし手作りした”ということだけだ。図柄に関する情報は皆無だ。
カージー Kersey
ビレッジ・サインの背景、チャーチヒルの上に建つセント・マリー教会の最も古い部分は12世紀に遡るという。 聳えるタワーは15世紀のものだ。
チャーチヒル通りはかなり勾配がある。古いティンバーハウスを挟んで修理中の家、モダンな家が並んでいる(写真下左)。
この街も昨日述べたドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)に1086年に記載されているという。それによれば当時の人口は150人だった。
15、6世紀には羊毛産業で発展し、カージー布(Kersey Cloth)として広くヨーロッパに輸出していたという。
人口は増加し、19世紀の中頃に800人となりピークに達したという。しかし、19世紀末には急速に減少し、
現在と同じ350人に減ってしまったのだという。
車をスタートさせ坂道を下りる。一番下がったところがフォードだ。地元では"Splash"と呼ぶらしい。車がフォードを通る時に水をはね散らすからだろう。
細い流れだが、れっきとしたブレット川(River Brett)の流れで先はストー川に注ぐのだ。
イギリスには“○○○フォード”という地名が多いが、このフォードが名前の起源となっている。
フォードからチャーチヒル通りの家並みを通して教会のタワーを写し込んだ写真は我ながら良い構図だ(写真右)。
フォードから通りはザ・ストリートと名前を変え、再び登りとなる。両サイドには古い家並みが続くが、
中でも目立つのがベル・イン(Bell Inn)だ(写真下中)。14世紀に建てられた白壁に漆黒のオークのティンバーの模様が美しい建物だ。
軒に大きく突き出しているベルの看板がユニークだ。ご多分に漏れずここも幽霊が出るとの噂だ。
ザ・ストリートを登りつめる辺りに"Kersey's old village pump"を発見(写真下右)。木の箱に収められている。大切に保存されているのだろう。
後ろの茅葺きの家は"Holiday Cottage"で宿泊することができるようだ。
ビレッジ・サイン NO.30 セマー(Semer)
次の小さな美しい村はお馴染みのラベナムだが、その経路に幾つかのビレッジ・サインの情報がある。
少し遠回りになるが最初はセマー村だ。サインはB1115の村の入口にあった。デザインは太い木枠の中に切り絵のような教会と大きな木がある。
枠の上には馬に鋤を牽かせている農夫がいる。素晴らしいデザインだ。
全ては憶測だが、大きな木は村の北にある古代の森"Semer Wood"を表しているのだろう。
教会は14世紀に建てられたという村の"All Saints Church"に違いない。
さて、上の馬に鋤を牽かせている農夫だが、単純にこの村の産業を表していると考えたが、
"Wikipedia"に面白い記述を見つけた。
1086年のドゥームズデイ・ブックに" It is recorded as having enough ploughland for 3 lord's plough teams and 3 men's plough teems"
と記載されているのだという。良くは分からないが plough = 鋤 という言葉が出ている。古くから鋤を使っていたことを誇っているように思える。
ビレッジ・サイン NO.31 ビルデストン(Bildeston)
続いてB1115を北に6kmでビルデストンだ。サインは村の南の入口辺りのB1115沿いにある。
図柄は奇っ怪な風体の人型のように見える。村名の上は鉄兜をかぶった髭面の男の顔だ。体の部分には左に時計塔、右に教会が彫刻されている。
またまた物語を展開しよう。上部の人の顔は7世紀に当地に侵入し定住したデンマーク人のリーダー"Bildr"の顔を表しているようだ。
下左の時計塔は村の中央のスクエアーにある"Bildeston Clock Tower"で1864年に赤レンガで造られたものだ。
下右の教会は"St Mary Magdalene Church"の塔だ。この塔は1975年に崩れ落ちてしまい、
ミレニアムを記念して立て直されたため、現在の姿とは少し違うようだ。
ということから、このサインは新しい塔が建つ前に古い塔をデザインしたものだと推測する。
ブリッジ・ファーム・バーンズ Bridge Farm Barns
A1141のモンクス・エリーの少し北、ブレット川の畔にブリッジ・ファーム・バーンズがある。
2003年の旅で偶然に見つけ、コーン・クラフト人形を求めた。コーンの皮やストローを使って作った人形で、なかなか素朴な味のある人形なのだ。
お土産にしても良いし、自家用にもう1つあっても良いと思い立ち寄ることにした。
店の手前でこの旅初めての雨が降り出した。小さな美しい村歩きまでに上がって欲しい。
店中探し回ってもそれらしいものが見つからない。店員のおばさんに訊くと「今は沢山扱っていないの。地階に少しあるわ」と案内してくれた。
ハンドベルの形のリースが気に入った。ただ、これらの商品は売れ残りの可能性がある。お土産にはできないので、1点のみ求める。
ビレッジ・サイン NO.32 モンクス・エリー(Monks Eleigh)
モンクス・エリーはA1141とチャーチヒル通りのT字路のグリーン地帯にあった。デザインは二人の聖職者が支えるボードに4つの図柄が描かれている。
左上に“クロス・キー”、右上に“麦穂の束”、左下は“橋と水の流れ”、右下が“開かれた本”だ。ボードの上には“盾形紋章”が戴かれ、
ボードの下に“AD991”の文字がある。
村の名前に"Monks"とあるが、この村には修道院はなかったのだ。この村はAD991の"Battle of Maldon"以後カンタベリー大聖堂の所有地であり特別教区
となったのだ。そのためこの名が付いたのだという。それを下の“AD991”で示されている。
そして、上の“盾形紋章”はカンタベリー大主教の紋章なのだ。このあたりの整合性は納得できる。
右下の“開かれた本”は"Notes on the History of Monks Eleigh"という唯一確かな村の歴史を著した本のことらしい。
“橋と水の流れ”はブレット川の恵みを、“麦穂の束”は農業を、そして、“クロス・キー”は村の教会"church of St. Peter"を表していると思われる。
ミレニアムを記念して2000年1月1日に除幕されtものだ。
ビレッジ・サイン NO.33 ブレント・エリー(Brent Eleigh)
モンクス・エリーからA1141を西へ2k余りでブレント・エリーの村だ。A1141少し北に入った三叉路の真ん中のグリーンベルトにサインはあった。
図柄は燃え盛る炎のみ込まれる騎士(Knight)の上半身がある(写真下左、中)。奇妙なデザインだ。村名の"Brent"は"burnt"を意味するという。
この村は歴史の数ポイントで火事を経験してきたともいう。情報は“ただ〜それだけ〜〜”。2000年建立の情報も・・・。
この村もドゥームズデーブックに載っているという。それによれば、1086年の人口は、上述のモンクス・エリーと合わせて61人だったという。
そんな小さな村まで調査されていたとはウィリアム1世もなかなかのものだ。
そんな村だから今でも人口180人という小さすぎる村だ。三叉路の2辺は林だが、1辺にこんな素晴らしいエリザベス朝ティンバー・フレーム・ハウスが建っている
(写真下右)。隣には茅葺き屋根のコテージ、その隣は赤レンガの大きなフラットがある。味のある村だが、今日は車窓見学としよう。
ビレッジ・サイン 番外 ラベナム(Lavenham)
ラベナムのパーキングはセント・ピーター・アンド・セント・ポール教会(St Peter and St Paul's Church)の前だ。
それは、教会の隣のビレッジ・グリーンにビレッジ・サインが立っているからだ。2003年と2008年に訪れて木製の渋い味わいのサインだとの印象が強い(写真下左)。
”Googleのストリート・ビュー”
でも確認してきた。ところが、それがないのだ。よく見ると土台だけが残っている(写真下中)。木製だから風化で壊れてしまったのだろう。
そいいえば、08年の旅行記では“少し古びてきたように見える”と記している。
“観光地だから、いずれ新しいものが建つだろう。”と思って村の散策に入ったのだが、この項を書いていてとんでもないことを発見した。
既に新しいものができているのだ。しかも、2007年10月に。場所は村の北の入口に変わっていたのだ。
アイアン製で3面に“ギルドホール”、“セント・ピーター・アンド・セント・ポール教会”、“米国陸軍航空隊”が描かれ、
周囲には農業に関するアイテムが散りばめられた3Dの素敵なサインだ(写真下右)。
2008年4月に訪れた時には既に西と北の入口2ヶ所にサインがあったのだ。その後西の木製サインは朽ち果ててしまったのだろう。
むしろ、そのことを見越して新しいものが建てられたのかもしれない。ラベナムのサインは教会の隣のビレッジ・グリーンという固定概念で固まっていた
我が身が呪わしいが、新しいサインは次回の楽しみとしておこう。
ラベナム Lavenham
ラベナムは小さな美しい村というより、愉快な村という印象だ。建物も通りも何処かひしゃげているというか歪んでいるというか、
この村に居ると何だか体がもぞもぞとよじれてくる。それが楽しいのだ。雨はすっかり上がった、村歩き開始。
ラベナムは中世以降、農業と羊毛で栄え、今の街並みはほぼ15世紀に建てられたものだ。しかし、その後の産業革命から取り残され、
当時の街並みがそのまま残ったのだ。それは"the most complete medieval town in Britain"と謳われる。340ものの指定建造物(Listed Buildings)があるという。
奇跡だ。その貴重な歴史遺産を保存するため外観には手を加えないので、ティンバー・フレームの柱は傾ぎ、スレートの屋根は波打ち歪んでいる。
道路は何処も微妙に曲がりくねっているし、土地もイギリスにしては珍しく高低があり坂道が多い。体がよじれる所以だ。
教会からChurch Streetを下っていくとベアーズ・レーンBear's LnとのT字路の角にティンバー・ハウスが現れる(写真上左)。
ここからティンバー・ハウスの洪水が始まる。その向かい側に小さなティンバー・ハウスが連なっている(写真上中)。この村にはピンクに塗られたハウスが多い。
さらに下ってA1141に合流するWater StreetとHigh Streetの角に
"The Swan Hotel"の建物群が並ぶ(写真上右)。看板がかかった入口は4軒目だ(写真下左)。
Water Streetへ入り1区画進んだ角の建物は"The Old Wool Hall"で1464年の建築だ。これもスワン・ホテルの1部だ(写真下左から2枚目)。
この一角の建物は全てスワン・ホテルなのだ。
Water StreetからLady Streetに入る右角にあるハウスも15世紀のものだ(写真下左)。カフェ・バーへの変更許可が出されたという。
向かい側は"The Old Wool Hall"。どちらも2階が迫り出している(写真下中、右)。
Lady Streetを登っていくと広場に出た。マーケット・プレイスだ。南面を占めるのが
ギルドホール(Guildhall of Corpus Christi 写真下左)だ。
1530年の建設で現在はナショナル・トラストの所有となっている。ラベナムにはウール取引を管理するために4つのギルドが設立されたという。
それだけ取引が盛んで繁栄したということだ。16世紀にはイギリスで14番目に税金を支払った街だという。州都であるヨークやリンカンより多かったというのだ。
同じマーケット・プレイスにギルドホールと同じくらい古く見えるが可愛いハウスがある(写真下中)。これが村の不動産屋だ。
古い建物を使用しながら大切に維持していくイギリス流だ。
マーケット・プレイスの東面にちょっと不釣り合いな色合いの建物がある。"Little Hall"だ(写真下右)。1390年に織物業者の家として建てられたという。
その後1700年代までに6つの家族のホームとなる間拡張されていったのだ。そして、現在は博物館として使われている。
中庭のガーデンが良いとの情報だが、既にクローズだ。
曲がりくねった"Market Ln"を通って"High Street"に出る。ハイストリートはかなり勾配のある狭い坂道だ。その坂道に件の"Crooked House"が建っている。
立っているというより、寄りかかっていると言ったほうが当たっている(写真下左)。村がトリックハウスと化しているように感じる。
"Crooked House"を集めた
こんな愉快なページ を見つけた。お楽しみを。
写真下中もスワン・ホテルの建物だ。いくつもの古い建物の集合体のホテルのようだ。中はどう継っているのだろう?
コテージガーデンや回廊式中庭もあるようだ。一度泊まってみたいホテルだが、ご予算は・・・。
ハイストリートのパブ"Greyhound" にセントジョージクロスや各国の国旗をデフォルメしたサッカーのユニフォームの飾り付けがしてある(写真3つ上中・右、下右)。
そういえばワールドカップの最中だ。私たちの旅はバラのこの季節が多いので、2002年の旅ではその熱狂ぶりには驚いた。2006年はアイルランドだったが、
帰りのヒースロー空港のシーフードバーの店員たちの賭けの様子を目の当たりにした。2010年はスコットランドの間はイングランドを応援する気配も感じなかったが、
イングランドに入った途端にその熱狂ぶりが目に付いた。
今年のイングランドは20日までに2連敗して決勝トーナメント進出がならなかったので、残り1試合あるものの盛り上がりに欠けている。
この旅では1度もセントジョージクロスを目にすることがなかった。日本のはどこかと探すと倒れてきたガーナに半分隠され傾いていた(写真3つ上右)。
日本は一縷の望みは残っているとはいえ、結果を暗示されているようだ。
ビレッジ・サイン 34 ダラム(Dalham)
B1085が川を渡り西に向かう橋のたもとにビレッジ・サインがあった(写真右)。かなり古い茅葺き屋根のコテージと川に挟まれた
グリーンに立っている(写真下右)。図柄は教会を背景に風車と大きな炉のようなものが描かれている。茅葺き屋根の家もある。
川で釣りをする人と川に架かる橋も描かれている。のどかな中世のカントリーサイドの風景に見える。
しかし、これらの図柄に関する具体的情報は全く見つからない。村のホームページに珍しく
"Village Sign"のコンテンツを見つけ、期待して開けたがコメントは僅かだ。
仕方がないので独断と偏見の解釈をしよう。教会は村の"Church of St. Mary's"だろう。その歴史を6世紀に遡り、現在の教会は14世紀のものだという。
風車は1790年代に建てられ1926年まで使われていたという。炉のようなものは"Malting Kiln"と呼ばれる麦芽を処理する炉で19世紀前半のものだ。
茅葺き屋根の家はこの村に50もある指定建造物(Listed Buildings)を示していると思われる。釣りをしている川はケネット 川に間違いない。
川に架かった橋は現在ケネット 川架かっている橋と瓜二つだ。
村のホームページに"Church"、"Windmill"、"Malting Kiln"、"River Kennett"のコンテンツがあるので参照されたい。
ダラム Dalham
空は低く暗いが、真っ直ぐB&Bに向かうには少し早い。かといって、次の目的地はB&Bと反対方向で往復すると倍の道程になる。
悩むところだが、後悔しないためには悩んだら実行だ。ハンドルをダラムに向ける。ナビ子ちゃんは見事にローカルロードを繋いで
ダラム村に通じるB1085に案内してくれた。しかし、そこに辿り着く前に、見渡す限り農地しかない道で、滝のような雷雨に見舞われる。
夜のように暗くなり、ライトを点灯し、ワイパーを全速にして徐行運転する。ダラムに到着すると雨は上がったものの道路は水溜りだらけだ。
道路の路肩に駐車し、村歩きを始める。南北に流れるケネット 川(River Kennett)に沿って発展した村だ。
川の西側(写真下左)と川に沿って走るB道路の道路の西側(写真下中)に家が立ち並ぶ。川の西の家には白い橋を渡って行き来するのだ。ロマンチックだ。
サインのある橋のたもとの茅葺き屋根の家の向かい側は村のパブ"Affleck Arms"だ(写真下左)。オリジナルは16世紀に建てられたという。
店の名前は領主の"Sir James Affleck"に由来している。
川の東の道"The Street"を北に進むと茅葺き屋根の家が立ち並んでいる(写真下中、右)。庭にはどの家にも必ず草花の姿が見られる。
ガソリン Petrol
魅力ある村だが、足元が悪いし、時間も迫ったのでB&Bに向かうことにする。
そろそろガソリンが少なくなってきた。カントリーサイドではペトロール・ステーションがどこにもあるという訳ではないので早めの給油が肝心だ。
この度初めての給油をする。イギリスはガソリンをペトロールといい、スタンドといわずステーションという。セルフサービスだ。
日本でもガソリンの値段が上がっていたが、こちらの値段を見てびっくりだ。今日の値段は1リットル1.389ポンドだ。
この旅のペトロールの平均価格だ。今年のVISAでの換算価格は1ポンドが平均177円だから1リットル245円ということになる。
厳しいお値段だが、それを気にしても楽しくない。B&Bまで約1時間快速・快適ドライブを楽しむ。
グローブ・ハウス The Grove House
グローブ・ハウスに到着したのはほぼ20時だ。到着が遅くなることはダラムを出発時に電話連絡した。
幸いにもグローブ・ハウスは食事もできるB&Bだ。出迎えてくれたホストが「食事はするかい?」と来てくる。「30分後で良いか?」、「OK」となる。
荷物を運び入れ、荷を解いて、着替えをしてレストランに行く。宿泊客だけでなく地元のお客さんもいるようだ。2コースがとてもリーズナブルなお値段だ。
スターター、メイン、デザートともメニューにある3、4点か、黒板の"Neal's of The Moment"(写真下左)の中から選ぶシステムだ。
私はスターターに・ Prawn and Avocado Cocktail served with Brown Bread and Sauce メインに・ Chinese Pork Steak with Soy and Pepper Noodle を。
妻はそれほど食欲がないと言いメインに・ Delice Seared Salmon served on A bed of Spinach topped with a White Wine sauce
デザートに・ Lemon Curd Ice Cream をオーダーする。
朝ごはんの後はベスチャトーでのアイスクリームとウォーキングの後、移動しながらB&Bに置いてあったクッキーを甘すぎるファンタで頂いただけだから、お腹はペコペコだ。
最初に出されたオリーブの実とパン(写真上中)をかじりながら待つこと暫しし、プラウンとアボカドのカクテルが出されるや否や手を出していた。
写真の撮り忘れに気付いた時は誤魔化しも不可能な始末だ。チャイニーズ・ポーク・ステーキはピリ辛のチリソース味で、肉も硬すぎず歯応えはあり美味い。
ヌードルは中華麺でなし、パスタでなし、得体は知れぬが、麺喰いの私にはOKだ(写真上右)。見事完食。
妻の方は大好物のサーモンが美味しいとご満悦だ。ソースもよく合うようだ。下にはほうれん草だけでなくニューポテトの茹でたものも丸ごと3つある(写真下左)。
付け合わせの茹で野菜も二人でほぼ完食した(写真下中)。デザートのアイスクリームはとてもさっぱりして口当たりが良かったという。
食後の移動がないということは本当に助かる。アイスキューブを頼んだら、大きなアイスペールに山盛りのキューブが入っていた。
部屋に戻り、オンザロックで美味しくナイトキャップを楽しむ。熟睡間違いなし。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。
写真下左から順に 今日の写真には小生が3枚に写っている
ベス・チャトー・ガーデンズ グラベル・ガーデン
ベス・チャトー・ガーデンズ ウォーター・ガーデン
ベス・チャトー・ガーデンズ ウォーター・ガーデン 優しい色の三尺バーベナだ
写真下左から順に
ベス・チャトー・ガーデンズ バーバスカム・ウエディングキャンドル
コンスタブル・カントリー・ウォーク ストー川・フェン・ブリッジ
ラベナム チャーチ・ストリートの家並み
写真満載の旅行記をご覧ください
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