第2日 6月21日(土) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Harwood House --- Saffron Walden(Bridge End Gardens) ---
Kentwell Hall and Gardens(Tudor Timetravel) ---
Audley End House & Gardens --- Finchingfield --- Harwood House
今日の走行距離 130 km
今日の万歩計 15,000 歩
今日の出発時気温 15.5 ℃
ハーウッド・ハウス Harwood House
ぐっすり眠れたものの6時に目が覚めてしまったのは幾らか時差ボケか? コーヒーを淹れテレビを見ながら今日のスケジュールを点検する。
ハーウッド・ハウスは朝7時30分から朝食ができるのがありがたい。
選択幅が広いのは良いことだ。
7時40分にダイニングへ行く。1番乗りだ。テーブルにはシリアル、フレッシュ・フルーツ、オレンジジュース、ミルクが並んでいる。
残念なことにフルーツのコンポートとヨーグルトが見当たらない。ジュースを飲んでいるとイアンがやってきて「ホットミールは?」と訊く。
もちろん「フルイングリッシュ」だ。2年振りのフルイングリッシュ・ブレックファストだ。(昨年のフルアイリッシュも大きく変わるわけではないが・・・)
出てきたのは極めてシンプルな組み合わせだが、私はこの組み合わせが1番好きだ。カリカリなのにジューシーなベーコン、
ソーセージの食感も良い。マッシュルームは熱々のジュースと香りが口に広がる。トマトの酸味がえも言われぬ美味しさだ。
フライドエッグは2つ、とろりと味が濃い。ブラウントーストがこんがりと焼けている。バターのこくが深い。3枚頂いた。
ミルクティーもたっぷり3杯お代わりする。大満足の朝食だ。
食後はサンルームを抜けて燦々と降り注ぐ太陽に光るガーデンに出る。良く手入れをされた清々しい庭だ。
試験管ブラシの木とブットレアに良く似た綺麗な花木が満開だ(写真右 この花の名前は後日判明する)。
帰り際、イアンに「あすの朝はヨーグルトを欲しい」と注文を出すと「アッ 忘れていた」と冷蔵庫からヨーグルトを持ってきて
「これで良いか?」と言う。食べる前に言えば良かった。
ビレッジ・サイン NO.2 サックステッド(Thaxted)
サックステッドのビレッジ・サインはB184の南北の入口の2ヶ所ある。先ずはグレート・ダンモウから北上した南の入口に見つける(写真下左2枚)。
道路脇のグリーンベルトに立っていた。もう1つは中心部を通り、カラフルな家並みを抜けた辺りにある。
基本デザインは同じだが、写真で比べてみると微妙に違っている。村名のロゴは同じようだ。その上の2人の男はモリスマンだ。
イギリスに古くから伝わる伝統舞踊でチョッキ(waistcoats)、ストローハット(straw hats)、すねの鈴飾り(bells)が伝統衣装だ。
チョッキの柄が南は赤の縞で北は白地に赤の縁取りだ。ハットの形も違うし鈴飾りの色も違う。サックステッドでは毎年
"Morris Dancing festival"が開かれるのだという。
モリスマンと丸の間にあるのは小麦の束とクロッカスの花だ。この地の名産か? 丸の周りの文字についての情報は見つからなかった。
丸の中のクロスした剣はサックステッドがかつては刃物で栄えた村だということを示している。剣の上の紋様はD字型足枷(fetterlock)といわれるものだ。
面白いのはその中のデザインで南は“ヨーク家の白薔薇”であるのに北は“クロッカスの花”であることだ。その理由は定かでない。
1996年に設置されたものだが、北のものが壊されたため作り直したようだ。素材は木製。彫刻とペイントが施されている。
サックステッド Thaxted
サックステッドは3回目の訪問だ。通りすがりにちょこちょこと停車して写真撮影をする。1450年にできたというギルドホール(Guildhall)は塗り直されたらしく
白く輝いている。後ろに同じ頃できた教会の尖塔が見える(写真下左)。高さは180フィート(55m)だ。
村の名物の1804年に造られた風車は物ぐさをして教会の横の丘から眺める(写真下中)。
教会から北のB184沿いにもカラフルに塗られた家やティンバーフレームの家が並ぶ(写真下右)。この先に北のビレッジ・サインがある。
サフロン・ウォルデン Saffron Walden
今日のメインイベントまでにはまだ時間がある。少し寄り道をしよう。B184を北西に進む。見渡す限り麦畑とジャガイモ畑が広がる。
イギリスをドライブしていると様々な車を見掛ける。ここではリヤカーに屋根を付けたような小さな車が前を走っている。
しかし、どことなく気品と優雅さを漂わせている。ナンバープレートの文字数も6桁と少ないし、色も違う。古い車なのだろうか?(写真右)
寄り道はサフロン・ウォルデンだ。11年ぶりの訪問だ。街の中央のザ・コモン(The Common)のパーキングに車を入れ、
人の流れに乗って短い商店街を通り抜けるとマーケットが開かれている広場に出る。13世紀から毎週火曜と土曜に開かれているという。
妻は目ざとく洋服(ボレロというそうな)を手に取っている。試着して(その間荷物は私が持つ)ゲット。友人分も1着(写真右下)。
マーケット広場は狭いが店のレパートリーは広い。魚屋には新鮮な魚が色々並んでいる。こんなに種類があるのにどうしてレストランでは出されないのだろう(写真上左)。 肉屋は見ているだけで力が着きそうだ。様々な加工肉も手作りだから安心だ。八百屋には驚くほど大きな野菜、見たこともない野菜がある。 フルーツは完熟で香りが高い。不揃いだから量り売りが多い(写真下左)。花屋の色鮮やかさは目が覚めるようだ(写真上右)。 オリーブをメインに木の実の加工品店がある。お土産にしたいが、瓶詰めはツゥーヘビーだ。中古の工具や農機具の店も出ている。 農機具などはガーデンに置けば味のあるオーナメントになりそうだ(写真上中)。パン屋もスイーツ屋も素朴な品が並んでいる。どの品も大きさにびっくり。 その他様々なクラフト店がテントの下で店を出している。
帽子屋がある(写真下左)。色々かぶってみてストローハットに決める。極めてリーズナブルだ。後で見るとメイドインチャイナだった(写真右上)。
妻は紙製でつばの広いものを選ぶ。生産地不明(写真右下)。
マーケットの中央にマーケットクロスが立つ(写真下右から2枚目)。皇太子の結婚を祝って1863年に建てられたという。なかなかに精巧な彫刻が施されている。
マーケット・スクエアーの周りには古い建物がいくつもある。1つは1879年に建てられたというタウンホールだ(写真下左から2枚目)。
ポーチとティンバーフレームが美しい。現在は "Tourist Information Centre" となっている。
写真下右から2枚目のマーケットクロスの後ろに見える白い瀟洒な建物はかつての穀物取引所(The Corn Exchange)で現在は図書館になっている。1848年の建築だ。
街歩きに出る。サフロン・ウォルデンはその名から連想できるように15世紀から18世紀にはサフランの一大産地だったという。
当時は今のように染料としてだけでなく薬として使われていたようだ。さっき見たサックステッドのビレッジ・サインにもクロッカスがデザインされていた。
街の歴史は11世紀に遡ることができ、中世にはウールで栄え、サフランの後は小麦とホップで栄えた街だというだけに古い建物が多い。
ティンバーむき出しの建物と漆喰をパステルカラーにペイントした建物が並ぶ(写真上中)。人が居住している建物としては街で最も古いという建物は
1490年代に建てられたものだ(写真上右)。最近までユースホステルとして使われていたが、財政難で売りに出されてしまったらしい。
2003年の旅でパブランチをしたエイトベル(Eight Bell)も築600年を越す古い建物なのだ。看板に8つの金色のベルが輝いている(写真下右)。
ブリッジ・エンド・ガーデン Bridge End Gardens
サフロン・ウォルデンのブリッジ・エンド・ガーデンの場所がわからない。そんな時重宝したのが
“Googleの航空写真”だ。
街の北に見事なフォーマルガーデンが見つかった。今度は入口がわからない。そこでお役立ちが
“Googleのストリートビュー”だ。
ベグマン(オレンジの人形のアイコン)をクリックしカッスル・ストリートにドロップし移動していくと
民家の間に1m程の幅の小さなゲートが見つかった。便利なアイテムだ。
ゲートの向かい辺りの民家の壁をクライミングする素晴らしいバラが見られた。草花も見事に咲いている。
日当たりの悪い北向きの壁際で良くここまで育てたものだ(写真下左)。
ゲートはなんなく見つかった(写真上左から2枚目)。通路にはギャラリーがある。ガーデンは入場無料だ。狭い通りに建物が密集する街中からは
想像できないほど広くて静かなガーデンがあった。人影もほとんどない。
1840年にアトキンス・ギブソン(Atkins Gibson)によって造られ、1870年に息子のフランシス(Frances Gibbson)によって改造されたという。
最初に現れたのはダブルボーダーだ。一方は宿根草とシュラブを組合わせた所謂ボーダーだ(写真下左)。しかし、もう一方は
よりシンプルにフォーマルな植栽のボーダーだ(写真下中)。
その隣にフォーマルガーデンがある。ガーデンの全体像はこの写真でご覧いただこう。
トピアリーを多用したダッチガーデンだ。中央に噴水がある(写真上右から2枚目)。ヘッジの紋様も複雑だ(写真上右)。
7つのガーデンで構成されているというが、ガーデンマップもなく彷徨う。一隅にサマーハウスのある広場(Lawn)に出た(写真下右)。
雲一つない抜けるような空だ。そういえばB&Bのイアンが「信じられない天気だ」と叫んでいた。心地よい散策だ。
広場(Lawn)の出入り口のアイアンゲートの前に孔雀の像が立っている(写真上左)。一隅のロンデルガーデンは中央の男性像をヘッジで囲んでいる(写真上左から2枚目)。
ここもオランダ式だ。"Poets Corner"と名付けられている(多分・・・)。他にもそこかしこに像が置かれている(写真下左)。19世紀らしいガーデンといえよう。
ローズ・ガーデンがある。ここも大きな円形のガーデンだ(写真上下右2枚)。入口も中央のアスリート像も重厚な雰囲気だ。
バラは正に今が満開で芳醇な香りがに満ちている。しばし憩う。
迷路(Maze)とウォールド・ガーデン(=キッチンガーデン)は今日はクローズド。丁度予定の時間となる。街を散策しつつパーキングに戻る。
ケントウェル・ホール&ガーデン Kentwell Hall and Gardens
B1053、B1054、A1017、A1092と繋いで東進すること50分でケントウェル・ホールに到着する。11時のオープンに10分遅れた。
ケントウェル・ホールは不定期のオープンデーかイベントのある時しか入れない。
過去2回の当地訪問時はスケジュールが合わなかった。今回は今日と明日開催されるチューダー・タイムトラベルを最優先のイベントと位置づけスケジュールを組んだ。
天気も上々なので今日遣ってきたのだ。
チューダーへのタイムトラベルに備え入口でチューダーのコインに両替をして(コインは小さく形も不揃いだ)、
特設のタイムトンネルを抜けるとそこはチューダー時代だ。
早速、門衛に扮した男性と記念写真を撮る。傍らでは賑やかな歓迎の音楽を奏でている(写真上左、中)。
広大なフロント・ローン(The Front Lawns)の向こうに16世紀初めに建てられた赤レンガのホールが見える。
広場のあちこちにテントが張られチューダー朝の衣装を着た人々が何やら準備をしている(写真上右)。
ハウスを囲む濠(The Moats)を渡りハウスの右手(東側)の広場に出る。"Cedar Lawn"と名付けられた広場だ。
名前の通り大きなヒマラヤスギに囲まれた芝生の広場だ。
そのヒマラヤスギの下でダンスに興ずる貴族の姿がある(写真下左)。
一角に"Carved Tree"が立っている(写真右)。木陰に椅子を出し読書をするテューダーの女性(全員がチューダーの人になりきっているのだ)に訊くと
「20年ほど前に嵐で損傷を受けた樹齢300年のヒマラヤスギを“バベルの塔”をテーマに彫刻したもので、
この種のものではイギリスで最も大きなものだ」と教えてくれた。20年の歳月に風化して朽ち落ちたものが下に転がっている。
片付けたり保護したりしない、あるがままがイギリス流だ。
並びのローズガーデン(Rose Garden)の脇に巨大なスモークツリーの木がある(写真下中)。これで1本の木だ。
ローズガーデンは中央に重厚なオーナメントがあり、周囲の芝をカットしたベッドに満開のバラが咲いている(写真下右)。
ハウスの裏手(北側)に回る。芝生を張った広場だ。堀との境に若いイチイの生垣が奇妙な形に刈り込まれている(写真上左、中)。
"Pied Piper Topiary"と呼ばれ、ドイツの伝承“ハーメルンの笛吹き男”をモチーフにしたトピアリーだ。新芽が伸びて形がシャープではないが、
笛吹き男の笛の音に踊らされた子供や犬が左の方向に連れられて行く図だ。樹齢300年という15mものイチイの木も見られる。
濠の向こうにウォールドガーデンが見える。紫のキャットミントとピンクのバラのコラボレーションが美しい(写真上右)。
この写真が"Pied Piper Topiary"とウォールドガーデンの全体を捉えている。
濠には2つの橋がある。北西の角の橋を渡った広場で料理をする人々がいる。小さなナイフで野菜を刻んでいる(写真下左)。
「何を作っているのか?」尋ねると「チューダー時代はこうして料理をしていたの」と鍋のところに案内して説明してくれる(写真下中、右)。
下右の写真のテントでは少女が果物やクッキーを並べている(写真右)。「これは売りものか?」と尋ねると「そうだ」と言うので、人の形のクッキーを1つ求める。
支払いは先ほど両替したチューダーのコインだ。チューダー気分になってきた。
北の森の中から破裂音が聞こえ、煙が立っている。歩いていくと何やら混ぜては煙を出したり破裂させたりしている。
「何をしているのか?」訊ねると「私は"Alchemist(錬金術師)"だ。動植物、鉱物から人の役に立つものを作っている」と言う。
「私たちは薬剤師だ」と伝えると、熱心に色々な実験を見せてくれた(写真上左 左の方で発火している 一生懸命説明を聞いていたので他の写真は撮り漏らした)。
ガラスの原料となる功績を見せてくれたり、様々な動物の眼球が入ったガラス瓶を見せられたり、大きなサソリを箱から取り出した時にはびっくりさせられた。
「これらも薬にした」とのことだ。
森の中を歩いていくと今度は篭を編んでいる人たちに出会う(写真上中、右)。主に柳の枝を使って編むようだ。皮を剥いた白い枝で編んだものが高級品なのだという。
「どこから来た?」と訊くので「東京からだ」と応える。「大分掛かっただろう」と言うので「飛行機で12時間だ」と応えると
「今はチューダー時代だから船で何日も掛かって来たんだろう」と言う。すっかりその気でいるようだ。因みに当時の挨拶は"Hello"ではなくて"Good-day"のようだ。
ウォールド・ガーデン(Walled Garden)に入る。壁は厚く高く重みがある(写真右)。ハーブガーデン(Herb Garden)でハーブを摘んでいた女性が案内してくれる(写真下左、中)。
ハーブを摘んで「口に入れて味わえ」と言う。それぞれチューダー時代にはどんな使い方をしたのかを説明してくれる。
10種類以上のハーブを試させられた。
並びにポタジェ(pottager)がある(写真下右)。野菜より花の方が多い。それがポタジェだ。果樹園も充実している。
ハウスの裏手から見えたキャットミントとバラの植え込みに来た(写真上左)。年代物の壺を中央に円形に整形式の植え込みをした
ガーデンが南北に2セット配置されている。清々しく爽やかな気持ちにさせてくれる。私好みのガーデンだ。
さっき渡った濠の北西の角に架かる橋"Back Bridge"が美しい姿を見せる(写真上中)。
ウォールド・ガーデンの東側にも遊び心溢れるガーデンが点在する。"Sunken Garden"は花がなく寂しい(写真下左)。、
"Ice House"は草に埋もれそうだ(写真下中)。"Yew Castle"はイチイの木で象られた城だが、全体像を写真では示しきれない(写真下右)。
白樺(Silver Birch)並木がある(写真右)。若草色の葉色と白い幹が良い感じだ。まだ最近作られたばかりのようだ。
その並木の先に"Mystical Circle of hornbeam"がある(写真上右)。シデの木で囲まれた円形ガーデンの真ん中にオーナメントが立っている。
何となく神秘な雰囲気を漂わせている。木が育って周囲から遮断されるようになればより神秘的だろう。
オーナメントの像はサンダイアルになっている(拡大写真からご覧あれ)。
"Butts Avenue"なる通りに遣ってきた。射撃の練習をする場所のようだ。遠くに土塁が築かれ、並木の枝から標的がぶら下がっている。
そこに向けてチューダーの男女が弓矢を放っている(写真上左)。
「私にも撃たせてくれ」と頼むと「矢を放つことはさせられないが、弓を引くだけなら」と弓を差し出した。和弓やアーチェリーのような弓と違って
1本の棒(イチイの木だという)の両端に弦を張っただけのものだ。最初に渡された弓を何とか引くと「それは女性用だ。この男性用を引いてみなさい」と太い弓が渡された。
渾身の力を込めても弓はしならなかった(写真右)。
並木の木に枝を括り、枝の先に赤ん坊を吊るしてあやしているファミリーがいた(写真下左)。チューダーに扮している人達はこの時代の生活を研究し、
再現することを趣味とする愛好家達らしい。夜は草原に張ったテントで寝泊まりしているのだ(写真上中)。
炊事をするのも生活ぶりを見せるとともに自分たちの食事を作っているのだ(写真上右、下左から2枚目)。スプーンも木を削って手作りしている(写真下右から2枚目)。
一方、上流階級は優雅にカメラに収まっているだけだ(写真下右)。
こちらではお菓子を作っている(写真上左)。どうやらマジパンに近いもののようだ。色素も植物から抽出していると言う。
色を着ける筆も手作りのようだ。ブラックベリーやラベンダーの花なども添えて実に細かい細工がされている(写真上中)。
形も様々だ。鹿あり、羊あり、兎もある。木の葉や魚の形もある。家紋もあれば十字架もある(写真上右)。
これらを皿に並べてストーリーを描くのだろう。
ハウスの周りを一巡りしてハウス前に戻る。濠を囲むバラが見事に満開だ。同じピンクに見えるが2種類のバラがあるようだ(写真下3枚)。
左はハウス東翼を望む。中は"Back Bridge"を望む。右手に見える美しいガーデンはプライベート・ガーデンとなっている。
右は人間の影を針にする“人間日時計”とバラ。この日時計が面白い。足元にある長方形の石に月名が彫ってあり、該当月の石の上に立ち、
自分の影が示したところが時刻なのだ。時計と比べると1時間の差がある。「昔の日時計は正確ではないんだね」と話をしていると
近くにいた外国人男性が「夏時間だから1時間ずれているんだ」と教えてくれた(英語で)。私たちの日本語の会話が分かったのだろうか?
一角に立派な"Dovecote"がある(写真右)。白い鳩が盛んに出入りしている。
芝生にシートを広げアクセサリーを並べているチューダーの職人がいる。ブレスレットをお一つ購入。
最後にハウスに入る。順路はキッチンからだ。大勢の人が立ち働き、竈には赤々と火が燃える(写真上左、中)。それぞれがチューダー人を気取って演技している。
食材にはチーズ、キノコ、木の実などもふんだんで美味しそうだ。
出来上がったサラダらしきものが並んでいる(写真上右)。真ん中にアーティーチョークがドンと乗っている。ドレッシングも添えられている。
別の部屋では洗濯物にアイロンをかけたり、襞襟や装飾品に糊付けしたりの様子が見られる(写真下左)。襞襟とは襟に着けた蛇腹のような飾りものだ。
居間(Drawing Room)に移るとテーブルの上に先ほど見たマジパンのようなお菓子が並んでいる。色も形も精緻で素晴らしい作品だが、
皿の縁に置かれた小さなものには虫のようなものもある(写真下中)。少し気味が悪い。もう一方の皿には食材がテーマのようだ(写真下右)。
カニ、ウニ、サカナ、ヒトデが見える。ニンニク、キノコ、ニンジン、エンドウ、ネギがある。ハリネズミや豚の顔の皮まである。
別の皿にはポタジェのジオラマと思われるものがある(写真右)。こうなると食べるというより見て楽しむもののようだ。
居間(Drawing Room)には賑やかな音楽が流れ上流階級の男女がダンスに興じている(写真上左)。"Cedar Lawn"で踊っていたのはここでのダンスに備えて練習していたのだ。
踊っている男女は襞襟を着けている。音楽はもちろん楽団による生演奏だ(写真上中)。
次の間は極彩色の天井画と真っ赤な壁の部屋だ。その壁には肖像画が所狭しと飾られている(写真上右)。部屋では貴族達が優雅に談笑している。
そこで私達もティールームに移りお茶の時間とする。クリムティー1つとケーキを1つ、お茶はもちろんミルクティーだ(写真右)。
沢山歩いてお腹が空いていたからあっという間にお腹に収まった。ここではチューダーのコインは使えないそうだ。
中庭(Courtyard)には迷路(Maze)がある(写真下左)。生垣などで仕切ったものではなくレンガで一筆書き(unicursal)の模様を描いてある。
デザインは"Tudor Rose"だという。
帰路に就くと橋の上で入口で演奏していた楽団とすれ違う(写真下中)。赤ん坊を3人乗せたベビーカーとすれ違う(写真下右)。
ショップでガーデン・ラベルとポストカードを求める。残ったコインを全部出して「これで足りるか?」と訊くと「丁度だ」と言う。本当に?
ビレッジ・サイン NO.3 ロングメルフォード(Long Melford)
ケントウェル・ホールのある村はロングメルフォードだ。その名の通りB1064沿いに長い大通り(Hall Street, Little St Mary's)が南北に走る。
その北のはずれのグリーン地帯にビレッジ・サインが立っている。場所は2003年に訪れているから問題なしだ。
覚えのある場所にビレッジ・サインはあったが、新しい。デザインも変わったようだ。先ずは写真撮影する(写真下左2枚)。
木目がはっきりと分かる厚板に彫刻されている。デザインされている中央の丸いは車輪だろうか? その他の図柄は川の流れか?。 織物か?
帰国後調べれば分かるだろうと思っていたが、豈図らんや情報が全く見つからない。2003年の旅日記を見るとデザインは間違いなく変わっている。
前のものは建物が描かれており、表と裏でデザインが異なっていた(写真下右2枚)。
村のシンボルであるビレッジ・サインの更新やデザインについては議論好きのイギリス人なら多くの論議がなされているはずだから、
自ずと情報も多いと踏んでいたが、当てが外れた。どなたか情報がございましたらお教えいただきたい。
ロングメルフォード Long Melford
ビレッジ・サインのグリーン地帯の並びに美しいティンバーハウスがある。"The Bull Hotel"だ。1450年に建てられ1570年からイン(Inn)を営んでいる 由緒あるホテルだ。軒から吊るされたハンギング・バスケットが素晴らしい(写真下)。思わずシャッターを押し続ける。
ビレッジ・サイン NO.4 キャベンディッシュ(Cavendish)
A1092を西に戻りキャベンディッシュに遣ってきた。街の中心部のグリーン地帯にあるビレッジ・サインも2003年に訪ねている。
こちらも綺麗に塗り替えられたか作り直されたかしているが、デザインは同じだ。裏と表(どちらが表かは分からないが・・・)でデザインが異なる。
仮に表はデボンシャー公爵(Duke of Devonshire)の大紋章が描かれている(写真下左、中)。第1代公爵はキャベンディッシュ出身だったのだ。
黒地に3つの銀色の牡鹿の頭の盾形紋章を2頭のバラの首飾りをした牡鹿が支えている。
書かれている文字はキャベンディッシュのモットーの"Cavendo tutus"。意味するところは"Safe through caution"だという。
裏側は戦のシーンが描かれている。1381年に起きた“農民反乱(Peasant's Revolt)”で反乱軍のリーダー・ワット・タイラー(Wat Tyler)が殺される場面だ。
下部に記されている文字は"The Slaying of Wat Tyler (Leader of Peasant's Revolt) by John Cavendish"と読める。
通行止め Road Close
次の目的地に向けA1092を更に西に進みキャベンディッシュを出外れた辺りで停滞する。前の方の車がUターンして引き返して行く。 どうやら交通事故らしい。迂回するといっても道路がわからない。手持ちの地図ではサドバリー(Sudbry)から大きく迂回することになる。 前の車にも待機している人もいるのでそれに倣っていたが、それらの車も徐々にUターンを始める。その内の1台が 「ポリスの話では暫く開通しないそうよ」と伝えてくれた。やむなくUターンする。前を行く車の1台が細い道を右に曲がる。 “この車は道が分かっている”とピンときた。迷わず着いて行くと再び右に曲がった。すなわち、西に向かっている。直感に間違いなしだ。 目的地クレア(Clare)の少し西でA1092に戻った。
ビレッジ・サイン NO.5 クレア(Clare)
クレアのビレッジ・サインも街の中心部のグリーンベルトにあった(写真下左2枚)。デザインは表裏同じだ。ポリウレタン製だという。
上部左に“城(Castle)”、右に“教会(Parish Church)が描かれている。中央部は街で最も古い建物であるパブ"The Swan"の“パブサイン”だという。
金の鎖をつけた白鳥が中央にいる。鎖の首の部分は王冠になっている。ヘンリー4世の紋章だという。
下部左が“小修道院(Priory)”、右が1473年に建てられたパーゲティング(pargeting 漆喰装飾)が施された“由緒ある邸宅(Ancient House)”だ。
柱に取り付けられた盾形紋章はクレアの紋章だ。羊毛産業で潤った豊かな歴史が偲ばれる。
ビレッジ・サインの前のお宅の玄関先にチェーンソー・カービングの作品が立っていた(写真下右から2枚目)。
その隣の家にB&Bのバックヤードに咲いていたのと同じ種の花が咲いている。見事な花着きだ(写真下右)。
ビレッジ・サイン NO.6 ストーク・バイ・クレア(Stoke by Clare)
ストーク・バイ・クレアはその名が示すようにクレアから4km西の小さな村だ。ビレッジ・サインは村の中心部の三角緑地帯に立っている(写真下左、中)。
2008年に訪れた時と少しも変わっていない。左の写真の左手の木立の後ろに教会が見える。"Church of St. John the Baptist"だ。
屋根のついたサインボードに描かれている羊は顔と足が黒い。紛れもなくサフォーク種だ。遮眼帯と牽引鞍をつけた馬もサフォーク種だろう。
中央の2本の麦穂も合わせ羊毛と農業がこの村の産業であることを示している。
中央の図柄についてはよくわからないが下部の水の流れのようなものはストー川(River Stour)の恵みを示すものと推測した。
中央の人物は聖職者、後ろの構造物は教会を表しているのではないかと推察する。サインは4名の小教区民により1993年に寄贈された物のようだ(写真右)。
ビレッジ・サイン NO.7 ヘンプステッド(Hempstead)
B1054を西に進みスティープル・バンステッド(Steeple Bumpstead)のビレッジ・サインを探すが見つからない。諦めてヘンプステッドに向かう。
村の中心のB1054沿いにビレッジ・サインを見つける。茅葺き屋根の家が見えるのどかなシチュエーションだ(写真下左、中)。
小さな屋根付きのボードにかなり立体的に彫刻されている。後ろに教会、手前に刈り込んだ8本の木が環状に並んでいる。
村の出身の有名人2人を表しているという。1人はトラファルガーの戦いでネルソン提督とともに戦ったハービー卿で、
彼が眠っているという教会が描かれていると思われる。
もう1人は18世紀の悪名高き追い剥ぎ(Highwayman)ディック ・ターピン(Dick Turpin)にまつわるもので"Tuppin's ring"
と呼ばれる8本の木だという。
車を止めるため入ったチャーチ・ストリートの脇に井戸があった。由緒は不明だ(写真下右)。
ビレッジ・サイン NO.8 ラドウィンター(Radwinter) NO.9 セワーズ・エンド(Sewards End)
ラドウィンターのビレッジ・サインは村の中心部の交差点の北東角に立っていた。逆光だが、教会を入れて撮影する(写真下左)。
その14世紀にできたという教会(The Church of St Mary)がサインの左上にデザインされている。
右上は小学校(Primary School)だという情報がある。
左下は交差点の北西角のビレッジ・ホール(Village Hall)と思われる(
Googleの"Street View"で確認する限り)。
右下も推測だが、パント川(River Pant)の流域にある村のシチュエーションを示していると思われる。
緑の牧草地に白い点で羊が描かれている。芸が細かい(写真下左から2枚目)。
B1053を西進しサフロン・ウォルデンの直前にセワーズ・エンドがある。村の入口辺りでB1053が大きく左に曲がる左角にビレッジ・ホールがあり、
その広場にビレッジ・サインがある(写真下右2枚)。水仙の写真がプリントされている。これ以上記す情報が見つからない。
オードリー・エンド・ハウス&ガーデン Audley End House & Gardens
通行止めやビレッジ・サイン探しで時間を取られ
オードリー・エンド・ハウス&ガーデン
に到着したのは16時20分になった。ハウスのラスト・アドミッション・タイムを過ぎている。しかし、ガーデン・オンリーのチケットはなく
コンセッションでも13.9ポンドだ。2人で27.8ポンドは、この旅のレートでは5000円近くする。やむなく支払ってパーキングに着くと
(ゲートから結構走るのだ)、どこかで見たようなロゴマークがある。イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage EH)のマークだ。
ここがEHのプロパティーであることを失念していた。私たちは会員だからカードを提示すれば無料だったのだ。
27.8ポンドは円安の中での旅の身にはいささか大きい。払い戻しに行きたいが、ゲートからの通路は一方通行で車では戻れない。
かといって歩くには遠い。そこで、車に乗り込み、一旦出口から出て、公道を大きく迂回して入口に戻る。
係員に会員カードを示し、事情を話すと快く返金してくれた(カードで支払ったから手続きも面倒なのだ)。お手数をお掛けしました。
オードリー・エンド・ハウスは元は修道院だったが修道院解散令により解体され、その後ヘンリー8世の弁護士だったトーマス・オードリー(Thomas Audley)に
譲り渡され、巨額を投じて17世紀初めに建てた宮殿なのだ。当初は現在の3倍の規模だったという。詳しくはホームページに譲ろう。
サービスウイング(Service Wing)のビクトリア朝のキッチンなどをケントウェルのチューダー朝のものと比べてみたかったのだが残念だ。
気を取り直してハウスの東側のコートヤード(Courtyard)に向かう。深紅色のオールドローズ“シャルル・ド・ミル”が満開だ(写真上左)。
振り返れば東面のパルテール(Parterre)が噴水を中心にシンメトリーに展開する。ずーと先の芝生の中にコンコルド神殿(Temple of Concord)が見える(写真上中)。
パルテールは芝を切ったベッドに紫のサルビアを薄紫のキャットミントが囲むベッド、ピンクと白のバラのベッド(写真下左)、
アカンサスモリスのベッド(写真下中)、フロックスのベッド、三尺バーベナのベッド(写真下右)などで構成されている。
三尺バーベナもこのガーデンでは気品を放つから不思議だ。パルテールを通してみるハウスはまるで絵のようだ(写真上右)。
ハウスの周囲は広大な面積の芝生の広場に巨木が点在し、森が広がる。かの有名なランスロット・ケーパビリティ・ブラウンとリチャード ・ウッズの設計による
ランドスケープ・ガーデンだ。ランドスケープとは湖を掘り丘を築き森を造るなど自然らしく設計した庭のことだ。
コンコルド神殿へ足を伸ばすのは止めにして"Tea House Bridge"に向かう。木々の向こうから水音が聞こえる。
カム川(River Cam)の流れに1770年代に造られた滝の落ちる音だった(写真下左)。
滝からカム川に沿って下流両岸周辺を“至福の庭(Elysian Garden)”と呼ぶらしい。少し下ると美しい石造りの橋が見える(写真下中)。
" Tea House Bridge"だ。何とも優美な橋だ。橋上のハウスのベンチでアフターヌーンティーとはいかないが持参の緑茶で暫し憩う。
眺めも最高だ(写真下右)。まさに至福の時だ。
橋を渡り西岸を南に下ると数ある巨木の中でも際立って姿形の良い木に出合う(写真右)。"London plane"というプラタナス属の樹木だ。
その先のカム川とキッチンガーデンの間の細長いスペースに"Pond Garden"がある。1865年に造られたものだ。2つの正方形の池には睡蓮が浮かんでいる。
水のある光景は良いものだが、きっちり正方形は少しつまらない。
オードリー・エンドのご自慢の一つの”オーガニック・キッチンガーデン”に入る。およそ120m×70mの高い壁に囲まれたガーデンだ。
ホームページによればりんごが120種類以上、プラム類が40種類、 その他果物や野菜が60種類以上育てられているという。
ガーデンは1750年に現在の場所に移されたというから正にビクトリア朝キッチンガーデンだ。ハウスで必要とする果実、野菜をここで生産していたのだ。
イングリッシュガーデンの嬉しいところは生産第一でなく、キッチンガーデンでも花があることだ。写真下左はダリアだ。間もなく開花だろう。
下中は満開のシャクヤク、間にアイリスの葉も見える。そして、下右の写真には荷車にナスタチウム、マリーゴールド、コリウスなど夏の花が植えられている。
ハウスを飾る切花とするだけでなく、ガーデンとして楽しんでいる様子がわかる。
温室(Glasshouse)の入口の両側にもスイートピーとラベンダーが美しい姿で目を和ませてくれる(写真右)。この温室は長さ50mにおよび、
桃、蒲萄(ワイン用)、トマト、唐辛子などが育てられている。
厩舎(Stable Yard)を訪れたがお馬さんは散歩に出たようだ。女性係員が掃除に汗を流していた。「間もなく馬達も戻るわ」と言うが時間がない。
クリケット・ピッチ(Cricket Pitch)にでる。広々とした芝生の広場だ。2003年の旅ではクリケットのゲームが行われており、しばし観戦したことを思い出す。
今日は既に17時30分を過ぎた。人っ子一人いないこのフィールドのベンチで静けさを楽しむ。カム川越しに見るハウスは優しい色合いだ(写真下左)。
右手を見ると美しい橋がある(写真下中)。“アダム・ブリッジ”だ。設計者のロバート・アダム(Robert Adam)の名がついている。美しい橋だ。
ベンチで休んでいると水鳥が近づいてくる。すっかり人に慣れて餌をせがんでいるようだ。
クローズドの時間も迫ってきた。芝のクッションを楽しみつつ、巨木の下を歩く。大きなチェストナッツ(Chestnut)の木が花を着けている。
栗の木というが日本の栗の木とは少々違うようだ(この旅ではあちこちで目にした)。チェストナッツの向こうにハウスが見える(写真下右)。ブルーの屋根の曲線が優美だ。
チューダー朝とビクトリア朝、優雅な一日を過ごせた。
ビレッジ・サイン NO.10 リトル・バリー(Littlebury))
オードリー・エンドからナビ子ちゃん任せで次の目的地に向かう。指示に従い右折すると妻が「あった!」と叫ぶ。何事かと思ったら、ビレッジ・サインがあったと言う。
Uターンして戻ると三叉路の路肩の小さな花壇の中にリトル・バリーのサイン立っていた(写真右)。
(帰国後調べるとナビ子ちゃんは遠回りをしていたので予定外のサインに出くわしたのだ。奇怪な行動だ。)
デザインは中央に大きな木造の納屋か工場と思われる建物がある。その左の石の建物も3階建てで立派なものだ。右手に1頭立ての荷馬車が行く。
積荷の形から羊毛産業かと推測するが、いろいろ検索しても情報は何も探せなかった。
ビレッジ・サイン NO.11 グレート・サンフォード(Great Sampford) NO.12 リトル・サンフォード(Little Sampford)
目的のグレート・サンフォードに着いた。サインは教会に隣接する三角緑地帯に発見する。図柄はカワセミと思われる鳥が大きく描かれている(写真下左2枚)。 下を流れる川はパント川(River Pant)だろう。野生生物の保護を表しているものと思う。フィンチングフィールド Finchingfield
フィンチングフィールドの家並みは私にとって原風景の一つといえる。2003年に初めてここを訪れ
“「この光景」 は私の網膜から一生消えることはない”と強く感銘を受け、
住んでみたいと思った村なのだ。2008年に続き3度目の訪問となる。
B1053とB1057が交差する村の中心部は車の往来も多いし駐車スペースも満杯だ。一周りしていると路上にスペースが空いた。
ビレッジ・サインのある広場に行く途中の民家のガレージ前の小さなスペースの植え込みが見事だ(写真下左)。
高台の家々の玄関ポーチもバラがクライミングしたり、ハンギング・バスケットが下がったり、テラコッタが置かれたりと花が飾られている(写真下中)。
広場(Village Green)の中央にあるのは小さな池だと思っていたが、パント川の支流であるフィンチングフィールド・ブルーク(Finchingfield Brook)を堰止めた程度のものなのだ。
そのブルークの流れの中で懸命に巣作りする黒い鳥が人々の目を和ませている。嘴の赤が印象的だ(写真下右)。
ビレッジ・サインを楽しんだ後、"The Round House"という建物を探しに行く。村の北の外れB1057沿いの高台に見つけた(写真右)。
18世紀末の建物だという。"The Round House"というが、丸くない。6角形をしている。
別名"Pepper pot"とも呼ばれているそうだ。古くて小さな家だが、大切に使われているのだろう。イギリス人気質が見えるようだ。
ビレッジ・サイン NO.13 フィンチングフィールド(Finchingfield)
ビレッジ・グリーンに遣ってきた。この度の計画を練っている時点からこの旅の旅日記を書いている現在時点の
“Googleのストリートビュー”
で見ると
フィンチングフィールドのビレッジ・サインは交通事故にでも遭ったのか、無残にも土台部分から傾き、支柱を含めサインは外されているのだ。
修復されているか危ぶんでいたが、幸い典型的なスタイルで立っていた。
表と裏で(どちらが表でどちらが裏というものでもないだろうが・・・)デザインが違う。東から見た面には遠く丘の上に教会があり
道路を挟んで家々が立ち並ぶ。手前の池では馬が体を洗ってもらっており、白鳥が浮かび、岸にはカモの群れが羽を休めている図だ(写真下左、中)。
その図柄はいつごろデザインしたものか分からないが、現在の景色と全く同じなのだ(写真下右)。
それどころか、この村は1930年代に撮影された写真と比べてもあまり変わっていないのだ。
もう一方の西から見た面には池の向こうには家が立ち並び、橋を越えて2頭立ての馬車が山積みの麦わらを運んでくる。(東からの図柄で体を洗ってもらっていたのはこの2頭の馬に違いない)
手前左に麦の束があり、右にキジがいる(写真下左、中)。村が農耕で栄えたことを表しているのだ。
このサインの図柄も現在の風景と全く変わっていないのだ(写真下右)。ここに同じ構図の1900年代の写真がある。
100年以上経ってもあまり変わっていないのだ。つくづく良い村だと感慨に浸る。美しさの中にペーソスが漂うのも良い。
この村は"the most photographed village in England"と謳われるだけにビレッジ・サインの写真もたくさん見つかったが、
ディテールについて触れているものはほとんどない。ネットで調べれば大方のことが分かると信じていたから肩透かしを食ったような気分だ。
これからの記事作りが憂慮される。
ザ・エンゼル・ハープ The Angel Harp
時刻は18時30分、池の袂のパブ・フォックスイン(The Fox Inn)も人で賑わってきた(写真上右の右端)。
08年同様ここでディナーを楽しむことも考えたが、いささか帰路が遠い。グレート・ダンモウの近くでミシュランガイドに載っていた
もう1軒に電話をすると満席とのことだ。それでは昨日ホストのイアンが教えてくれたもう1軒の店を目指す。
ザ・エンゼル・ハープに着いたのは19時20分。土曜の夜は大賑わいだ。
パーキングは満車、周囲の路上も空きがない。歩道を乗り越えたスペースに1台分空いている。地元の人に倣って歩道を乗り越え止める。
「テーブル席は空いていないが、外ならOK」と言うので外のテントの下の席を確保する。カウンターでお薦めのエールビールをゲットし、
メニューから ・ Mushroom Pancake と ・ Fish & Chips をオーダーし、テーブルで待つ(写真右)。
凄い混みようで料理はなかなか出てこないが、カジュアルなパーティーの一群をウォッチしながらビールを楽しむ(写真下右)。
マッシュルーム・パンケーキは想像していたものと違う(写真下左)。ホステスが運んできた時「オーダーしていない」と言ったら、
引き下がった後「これが注文の品です」と再び持ってきた。失礼しました。味は薄味でボケている。塩とコショウをかけたらまあまあ行ける。生野菜たっぷりは嬉しい。
ワインはグラスで白から赤へと進む。
フィッシュ&チップスは文句なし。衣カリカリ、身はふわふわだ。大きさも手頃だ。チップスもピーも美味い。さすがにイギリスの国民食だ(写真下中)。
この混雑ぶりを見るとあす日曜日のことが心配になる。さっき断られたミシュランガイドのパブに予約電話を入れると、席が取れた。これで一安心。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。
左 ケントウェル・ホール&ガーデン "Cedar Lawn"でダンスに興ずる貴族
中 ロングメルフォード "The Bull Hotel"のハンギング・バスケット
右 オードリー・エンド・ハウス&ガーデン パルテール(Parterre)
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