2014年の旅 イーストアングリア

花花

第7日 6月26日(木) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程        The Grove House --- Green Island Gardens --- Ickworth House --- Bury St Edmunds(Abbey, Cathedral, Town) ---
                Bardwell Windmill --- Helmingham Hall(Music in the Gardens) --- Homefield Guest House
今日の走行距離     200 km
今日の万歩計       18,000 歩
今日の出発時気温    18 ℃

ザ・グローブ・ハウス  The Grove House

今日でサフォークを離れ、ノーフォークに向かう。旅の前半はお天気にも恵まれ順調に旅程をこなせた。後半も同様であってほしいものだ。
今朝も洋梨のコンポートとオレンジジュースをたっぷりいただく。ヨーグルトはルバーブにしてみた。これが結構いける。
今日の卵料理はスクランブル・エッグにした。卵2つ分だから溢れ出しそうなボリュームだ。美味しく完食。8時40分にはスタートだ。

Grove House Grove House Grove House

ビレッジ・サイン NO.64  ストラットフォード・セント・アンドリュー(Stradford St. Andrew)    NO.65  ヨックスフォード(Yoxford)

今回は移動の経路にある街や村についてはビレッジ・サインの有無を調べ、有りと分かった場合は所在地を調べ、ナビ子ちゃんにピンポイントでインプットしてきた。 ただし、幹線道路の経路の街や村は移動効率を考えパスすることに決め、調査していない。
B&BをスタートしてA12を10分も走るとリサーチ外のストラットフォード・セント・アンドリュー村でビレッジ・サインを発見する。 見つけたサインを素通りする手はない。直ぐ様脇道に入り、車を止め撮影する(写真下右2枚)。

Village Signs Village Signs

デザインはお洒落なアイアンの枠に嵌めたプレートを5分割し、それぞれに図案が描かれている。上左に緑の牧草地に豚を放牧している図、 上右にスコットランドの国旗を背景に教会、真ん中には紋章、下左は文書が、下右には風車と川と橋を背景にブラックスワンが描かれている。
養豚は村の重要な産業だという。教会は村の名前にもなっている"St Andrews Church"に違いない。 故にスコットランドの国旗、セント・アンドリュー・クロスが描かれているのだろう。
紋章(Coat of Arms)は"Ranulph de Glanville"のものだという。グランビルはこの村の生まれで12世紀のヘンリー2世統治下の"Chief Justiciar of England"だ。 グランビルはイギリスの法律に関する最も早い論文である"Tractacus de Legibus et Consuetudinimus Regni Anglie"の著者であり、 それが下左に描かれている文書として表されているらしい。
下右の風車は1906年まであったというこの村の風車を表しているようだ。川と橋は村の北を流れる"River Alde"と考えられる。 そして、ブラックスワンは嘗てあった宿"The Black Swan Coaching Inn"を表しているという。

ビレッジ・サイン NO.65  ヨックスフォード(Yoxford)    NO.66  レイドン(Reydon)

A12を北上、ヨックスフォードの村の入口あたり、オールド・ハイ・ロードへの分岐点にビレッジ・サインを発見(写真下左2枚)。これもリサーチ外だ。
デザインは赤い牛が水色の波紋の上を歩いている図だ。ヨックスフォードの村名はヨックス川(River Yox)の浅瀬(Ford)に由来する。 そこで、Yoxfordの"Y"を取り除いて"Ox"+"Ford"、すなわち”牛”が渡る”浅瀬”とシャレたのがこのサインだ。という説がこのサインに関する唯一の情報だ。 愉快なので支持しておこう。

A12からA1095に入りしばらく走り、B1127とのT字路のビレッジ・グリーンにレイドンのサインがあった(写真下右2枚)。
このサインの情報は幸いに村のホームページに詳しく載っている。 高尚な理念で理解しづらいが、下段のレンガは数の力と団結を意味するという。真ん中の黒い輪は歯車で進歩と発展を表わし、 また、歯車の中の十字は全ての中心であるキリスト教を表しているという。
上段の緑の木は昔からこの地でよく育ったレイドン・オークを表し、船や建物、農機具などの木材として利用されたことを示している。 また、村の自然の美しさも表している。オークの両脇に描かれているのはライ麦の束で村の名前の由来、すなわち、"RYE-on-the-HILL"を表しているという。 麦束はまた村の基盤産業である農業を表してもいるのだ。

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ビレッジ・サイン NO.67  サウスウォルド No1(Southwold)    NO.68  サウスウォルド No2(Southwold)

今日の最初の訪問地サウスウォルドには2つのビレッジ・サインがあるとの情報だ。
1つはA1095の街の入口、ブス川(Buss Creek)に架かるマイツ橋(Mights Bridge)の袂にあった(写真下左2枚)。
2010年に造られた"Modern Town Sign"だ。一般的なサインとは趣が異なる。アイアン製で高さ3.5mあるという立派なものだ。 アイアン製なのはこの街では伝統的に鍛冶屋が栄えていたからだという。街の名前の上下には海を表わす波紋が見られる。 トップには手作りだという原寸大のカモメが止まっている。

もう1つは街の中心部、A1095(ハイ・ストリート)とビクトリア・ストリートの交わる角に立っていた(写真下右2枚)。
デザインは2隻の船が描かれている。1672年の"Battle of Sole Bay"でオランダ軍と戦ったイギリスとフランスの連合軍のガリオン船を描いたものだ。 左がイギリス軍、右がフランス軍だ。イギリス軍の国旗に注目したい。現在のものと少し違っている。1672年当時はイングランド(ウエールズは統合済み)と スコットランドが連合(1606年)した初代のユニオンジャックの時代だったのだ。そして、1801年に北アイルランドが連合し”グレートブリテンおよびアイルランド連合王国” となり現在のユニオンジャックとなったのだ。(その経緯については こちらを参照
トップの円形のものはサウスウォルドの街の紋章(Southwold Town Seal)だ。街のモットーの"Defend They Ryght"の文字も見える。 1951年に作られたという伝統あるサインだ。

Village Signs Village Signs Village Signs Village Signs

サウスウォルド  Southwold

Southwold Southwold Southwold

サウスウォルドの桟橋(Pier)が美しいと聞いて遣ってきた。イギリスでは多くのピアが斜陽気味の中、このピアは人気があるのだという。
オリジナルは1900年に造られ、T字型で250mもの長さがあったという。以来、嵐や戦争による破壊と再建を繰り返し、 現在の桟橋は2002年に完成したもので長さは190mだという。朝日に輝く波の中に美しく桟橋が浮かんでいる(写真上左)。 桟橋北側の海岸に下りる。ここは湾ではなく直接北海に接している割には波が穏やかだ。潮の香りもほとんどしない。 桟橋の下に伸びる水平線が心を洗う(写真下左)。この先200km足らずでオランダなのだ。
海岸にはカラフルな小屋がズラッと並んでいる(写真下中、右)。壮観だ。"Beach Huts"と呼ばれ、個人用海の家だ。サウスウォルドの海岸に300軒もあるという。 土地の所有権はなく、水道もなければ電気も通っていないこの小さな小屋が7万ドルもするという。さらに年間コストに500ポンドが掛かる。 あるのは素晴らしい景観と隣人との交流だとか。この国も格差が大きいようだ。

Southwold Southwold Southwold

Southwold Southwold Southwold Southwold

サウスウォルドのもう一つの売りが灯台(Lighthouse)だ。車を移動させ遣ってきた。灯台は密集する住宅の中に美しい頭部を見せている。 ここでも海岸に下りる。ビーチ・ハットとライト・ハウスの取り合わせが良い感じだ。
海岸沿いの道路脇に小さな三角緑地帯がある。"St James Green"と呼ばれている。沿岸警備隊のマストが置かれている(写真上右)。 嘗てはこのマストの上から沖の警備船にシグナリングを送ったのだろう。ここに2つの小さな大砲が置かれている(写真上右から2枚目)。 18世紀に難破船から上がったものだという。
密集地ながら小さなスペースに花や緑を欠かさないライフスタイルはこの国では当たり前のようだ(写真下中、右)。

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小路を進んでいくと"Adnams Brewery"の建物(工場)だらけの一帯に出る。地元の醸造所でビールの他ジン、ウォッカ、ウイスキーを造っている。
工事中の建物の壁に面白い人形を発見する(写真下左)。“サウスウォルド・ジャック(Southwold Jack)”と呼ばれ"Adnams Brewery"の 商標になっている人形だ。オリジナルは街の聖エドモンド教会(St. Edmund's Church)にある 時刻を知らせるために時計のベルを打つ"Clock Jack"と呼ばれる人形だという。15世紀のバラ戦争の兵士をモチーフとしたもので右手に斧、左手に剣を持っている。
サウスウォルドで一番小さなパブといわれる"The Sole Bay Inn"と灯台(写真下右から2枚目)の間の道を行くとユニークなフィギュアが目に入る。 王冠を戴いた女性の上半身の像だ(写真下右)。これは元は船首に飾る船首像(Ship's Figurehead)だという。普通の民家とみられる家の玄関の上に鎮座していた。

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ハイ・ストリートの南の起点で小さなマーケットが開かれていた(写真上左)。花の苗が激安だが、持ち帰れない。一角にタウン・ホールがある(写真下左)。 2階のテラスの手すりにビレッジ・サインに描かれていた街の紋章が見える。
流石に観光地のハイ・ストリートだ。平日の午前だというにお客さんで賑わっている(写真上中)。ハイストリートの北の起点にビレッジサインがある。 その近くの"The Little Shop"という小さな店のショー・ウインドウに可愛いワンピースが見つかる(写真上右)。4歳になる孫娘に1着ゲット。
続いて"Gun Hill"に移動する。北海を望む芝生の広場に6門の18世紀の大砲が並んでいる(写真下中、右)。 この大砲は1842年皇太子の誕生を祝う祝砲の際に1門が不発に終わり、その砲身を兵士が点検している時に爆発し兵士が亡くなったので、 それ以降は使われていないのだという。

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ビレッジ・サイン NO.69  レンタム(Wrentham)

A12に戻り北上すると15分足らずでレンタムに着く。B1127との交差点角にビレッジ・サインがあった(写真下)

Village Signs Village Signs

デザインは一番上に村名があり、その下に左にユニオンジャック、右に星条旗、その間に円形の建造物がある。
その下に"RESEARCHED BY CHILDREN OF WRENTHAM C.P. SCHOOL 1988"と記されたリボンがある。その下の段は麦束と人参が描かれている。
その下に波紋が描かれ、最下段には民家とその庭先と思われる風景が描かれている。
確かな情報はないが、調べた範囲で推測すると1988年にWRENTHAM C.P. SCHOOLの子供たちの調査研究によりデザインされたものらしい。
英米の国旗はこの地からにマサチューセッツ移住した人を表していると思われる。マサチューセッツにはレンタムという町がある。
麦束と人参はこの地の特産品を示し、波紋はこの地方の豊かな水路を示しているのだろう。相まって主要産業が農業であることが表されている。
最下段の風景は子供心に村の日常の情景を描いたものだろうが実に長閑で平和な情景だ。

サマーレイトン・ホール&ガーデン  Somerleyton Hall and Gardens

Somerleyton Somerleyton Somerleyton

レンタムから北上し、途中でイギリス最東端の街ローストフト(Lowestoft)を通過し、(これでブリテン島の東西南北の最端を訪れたことになる) およそ40分サマーレイトン・ホール&ガーデンに到着する。 この旅の期待のガーデンの一つだ。俯瞰図で東京ドーム10個分というその広さと美しさを実感いただける。
入場するとそこは120m×90mのウォールドガーデンだ(写真上左)。キッチンガーデンとも呼ばれるが、現在は野菜や果樹は極一部分だけだ。
南に面した壁に温室がある(写真上中)。ジョセフ・パクストン(Joseph Paxton)の設計によるものだ。パクストンはかのチャッツワースのヘッドガーデナーであり、 1851年にロンドンのハイドパークで開かれた第1回万国博覧会の会場の水晶宮(Crystal Palace)の設計者として有名だ。
"Ridge and Furrow Greenhouse"と呼ばれ屋根に峰と溝を設け太陽光線を効率よく取り込む設計だ。2棟あり、現在はティールームとして使われている。
ウォールドガーデンの真ん中をダブルボーダーが貫く(写真上右)。植え込みは厚く高く、色合いもビビッドで迫力満点だ(写真下3枚)。 伝統的ブリティッシュ・ハーベイシャス・ボーダー・ガーデンといえよう。

Somerleyton Somerleyton Somerleyton

サマーレイトン・ホールの歴史は13世紀に遡る。以来、幾多の手を経て1863年にヒュー・クロスリー(Hugh Crossley 第4代サマーレイトン男爵)の所有となり、 現在もクロスリー家の家族が住んでいる。ホールには13世紀からのサマーレイトン・ホールの所有者14家族の紋章が飾られているという。
現在の建物は17世紀のチューダー・ジャコビアン朝の建物を基礎に1844年から51年にかけて当時の所有者であったモートン・ピート卿(Sir Morton Peto)が ジョン・トーマス(John Thomas)に依頼して広範な改修をしたものだ。赤レンガとクリーム色の石(Caen stone)が組み合わされたとても美しく瀟洒な建物だ(写真下3枚)。 ジョン・トーマスはウェストミンスター宮殿(現在の国会議事堂)の彫刻を手掛けた彫刻家だ
下左の写真の左手の時計塔の時計は英国王室御用達の時計職人のベンジャミン・ヴリアミー (Benjamin Vulliamy)が作成したものだ。また、下右の写真の右端の塔もイタリア風で美しい。上述の温室もピート卿が依頼したものだ。
このようにピート卿は惜しみなく金をつぎ込んで改修したが、その後破産し、ヒュー・クロスリー男爵に売り渡す羽目となったのだ。

Somerleyton Somerleyton Somerleyton

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ウォールドガーデンのホール側のゲートも物々しく重厚だ(写真上中)。このゲートから続く壁の南面にも温室が美しい姿を見せる(写真上左)。 こちらは"Peach House"と呼ばれ果樹が育てられている。
ここからホールまでの広大なグリーンの中には針葉樹の巨木が見られる。モンキーパズル(写真下左)やアメリカスギ(写真下左から2枚目)などだ。
まだイギリスに常緑植物の少なかった17世紀にプランツ・ハンターによってもたらされた植物を最も最初に取り入れたガーデンの一つなのだ。

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ホールの北西角にウインター・ハウスがあり、その前にサンクン・ガーデンがある(写真上右2枚、下3枚)。 白い枠の上部が半円の大きなガラス窓がウインター・ハウスで、中にはコンテナに植えられたカラフルな草花が並んでいてお茶もできるようだ。 外壁にも彫刻が飾られている(写真下右)が、中にはさらに高価そうな大理石の彫像が並んでいる(写真2つ下左)。
そのテラスから1段下げられたサンクン・ガーデンの中央に噴水がある(写真下左、中)。植栽は白を基調とした優しく美しいガーデンだ(写真上右2枚)。 4つある白いベンチはカップルで埋まっている。

Somerleyton Somerleyton Somerleyton

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このガーデンには上述のジョン・トーマスの彫像が数多く置かれているという。相応しい彫像はガーデンに品格と風格を醸し出している。
写真上中2枚はジョン・トーマスの作、牧童のペアーだ。左は鹿を押さえ込み角笛を吹く牧童、右は牧羊犬に命令を出す牧童に見える。 この像は"Old Lime Avenue"の入口に立っている。このアベニューは19世紀半ばまではホールへの入口だったという。先にはB1074が走っている。 アベニューのずっと向こうにも白いスカルプチャーが見える
ホールの西フロントにフォーマルなパルテールが広がる。その中央に8角形の台座に高々と載った美しいサンダイアルが立っている(写真上右)。 これも1850年のジョン・トーマスの作だ。金色の地球儀に12の星座が彫られている。写真を撮るのに台座に寝そべる女性が邪魔なのだが、 写真下中の女性像でも気取っているのか(邪魔な女性も写っている)、スピリチュアルを感じているのか、それとも単に昼寝をしているだけなのか、 長いこと動かない。
ホール前の通路の先端に素敵なテラスがある。手摺りや欄干の彫刻が素晴らしい(写真下右)。(ベンチがちょっとみすぼらしいが・・・) 壺が載る台座に絡む赤いバラと足元のラベンダーの紫が良い雰囲気にマッチしている。

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サンクン・ガーデンの西、パルテールの北にパーム・ハウス(Palm House)の遺構がある(写真下3枚)。その一端の壁にも素晴らしい彫刻が刻まれている(写真上左)。 ジョン・トーマスの作だ。中央に”女の羊飼い(Shepherdess)”の像があり、両側には王の丸いレリーフも見られる。
パーム・ハウスの南面の壁に沿ってパーゴラが築かれている。円柱(コラム)が優美だ。藤の太い幹が歴史を物語る。バラも咲いている。

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幾つもの新しい彫像も見られる。写真下左は"Stairs"というタイトルのブロンズ像だ。リン・チャドウィック(Lynn Chadwick)の1991年の作だという。
ウォールド・ガーデンの東の壁に沿って南北に90mのパーゴラが走る(写真下右)。ここは藤のトンネルが売りなのだが、今はバラがそこここを飾っている。 木漏れ日の下の散策が心地よい。

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ここの最大の名物とも言えるのが迷路(Maze)だ。1846年にウィリアム ・ネスフィールド(William Nesfield)によって設計されたイチイの生垣の迷路だ(写真下3枚)。 サイトによっては1846本のイチイが植えられていると記述されているが、製作年との混線だろう。1846本より多いか少ないかは分からないが、 厚く密な生垣で仕切られており、空けて隣が見えることはない(写真下右)。同じグループやカップルと何度も行き交うから顔馴染みとなり、 情報交換をしたりして中心を目指す。迷わず歩けば800ヤードで中心に到達するというから10分足らずで着くはずだが、 入口の写真(下左)から中心の丘の塔の写真(下中)の“プロパティ”で調べると19分経過していたから倍以上歩いたことになる。 空撮写真を見るとその美しさが良く分かる。
帰りは迷うことなく出口に辿り着いた。ショップで美しいホールの写真がプリントされた缶入のショートブレッドと アイスクリームを求めおよそ2時間の散策でほてった体を冷ます。

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Village Signs Village Signs

ビレッジ・サイン NO.70  サマーレイトン(Somerleyton)

ホールからB1074に戻るとザ・ストリート沿いのビレッジ・グリーンにサインはあった(写真右)。
デザインはバイキングと思しき人物とバイキング船が描かれている。色使いがのセンスが良い。それにも増して、周囲のアイアンのデコレーションが素晴らしい。
このサインはサマーレイトン卿夫妻が自分の銀婚式を記念して1949年に立てたものだという。歴史あるサインなのだ。
バイキング時代にはスカンジナビアからのバイキングは北海からウェイブニー川(River Waveney)を遡ってこの地にまで来襲していたことを表しているのだろう。
サインのあるビレッジ・グリーンを馬蹄型に囲んでデザインが統一された美しい家が立ち並んでいる。これは1844年にサマーレイトン・ホールを購入した モートン・ピート卿が村人のためにジョン・トーマスの設計で建てた住宅だ。同じデザインで学校も建っているのだ。

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ビレッジ・サイン NO.71  ハディスコー(Haddiscoe)

次の目的地までの経由地の幾つかの村にビレッジ・サインがある。
B1074を北上し、A143に入り3kmあまり南下したレクトリー・ロードとの交差点にサインはあった(写真右)。

Village Signs Village Signs

図柄はトップの“2013”は制作された年号だ。パネルの上段にはラウンド・タワーのある教会が描かれている。ラウンド・タワーはサフォーク地方独特なものだ。 サインの向かいの丘に建つ聖メアリー教会(St Mary's Church)だ。境内のお墓と大きな木が左右に描かれている。
下段には運河とその畔で草を喰む牛と幾つもの水生動植物が描かれている。この辺は上述のウェイブニー川と北を流れるヤー川(Rivers Yar)を結ぶ“ニュー・カット(New Cut)” という運河があり、その水の恵みで牧草と水生植物や野生の鳥や動物を育んでいることを表していると推測する。
このサインはちょっと見ではパネルに筆で描いたものに見えたが、検索しているとサインを作成した 鉄工所(St Mary's Forge)の"facebook" にその制作過程が載っていた。それぞれのパーツを切り抜いて貼り付けてあるのだ。丁寧な仕事をしている。

ビレッジ・サイン NO.72  サールトン(Thurlton)     NO.73  レイブニンガム(Raveningham)

ハディスコーからB1136を西へ2k余り進みベックレス・ロードを北に1kmのポスト・オフィスの前にサインを発見する(写真下左2枚)。
デザインはシンプルだ。村名の上にトラクター、ウインド・ミル、チャーチが並んでいるだけだ。推測するにトラクターは農業が盛んなことを示しているだろう。
ウインド・ミルは1806年に造られ1949年まで動いていた風車があったというからそれを示しているのだろう。 その風車は別名"Goliath Mill"と呼ばれる4階建ての巨大な風車だったという。現在は住宅となっているそうだ。
教会は村の"All Saints Church"で間違いないだろう。

UターンしてB1136を横切り、サールトン・ロードからストーニー・レーン、ベックレス・ロードとローカル・ロードを繋いでいく。 ベックレス・ロード沿いのレイブニンガム・パークの一角にサインを見つける(写真下右2枚)。
デザインは地味だ。と言うよりちょっと気味が悪い。屋根付き木枠に填った木板にカラスが彫られている。カラスは壊れたレンガの塀に止まっている。 後方には城と思われる塔が彫られている。
カラスは"Crow"ではなく大きなワタリガラスを意味する"Raven"だという。すなわち村名の頭の"Raven"と掛けてあるのだ。 さらに"Raven"はスカンジナビア人の名前"Hraefn"が訛ったものでRaveninghamは“Hraefnの人々の家(Home)”という意味になるのだそうだ。
城(Castle)はこの地の所有者だったカステル家(Castell Family)を判じているのだという。 現在はカステル家に繋がるベーコン家(Bacon Family)の所有となっているという。ややこしいことだ。

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レイブニンガム・ホール&ガーデン  Raveningham Gardens

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レイブニンガム・パークに沿って1km足らずでレイブニンガム・ホール&ガーデンの入口に到達する。
パーキングの隅にオネスト・ボックス(Honest Box)が置いてあり、それにアドミッション・チャージを“正直”に入れて入場する仕組みだ。 我々はコンセッションの£3.5×2を入れる。(この旅日記記載時点で、2015年は£4.5に値上げされている)
ウォールド・ガーデンの手前に開発中と思われる一角がある。その一つが“タイム・ガーデン(Time Garden)”(写真上左)だ。 正方形に内接する円形の芝生の中央に変わった形のサンダイアルが立っている(写真下左)。 正方形の4隅にできたスペースに春・夏・秋・冬それぞれの植栽がなされている。ナイスアイディアだ。
赤いレンガの壁で囲われたウォールド・ガーデンに入る。いわゆるビクトリア朝のキッチン・ガーデンだ。 ビクトリア朝の温室の白いフレームが赤いレンガに映える。憧れだ(写真上中)。壁には果樹が行儀よく誘引されている。 柘植のヘッジで仕切られたベッドには野菜と草花が混植されている。むしろ花の方が多い(写真上右)。

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このキッチン・ガーデンは現在の当主ベーコン卿の母親が1950年代にリモデリングしたもので、当主ご夫妻もガーデニングに力を入れているとのことだ。 ガーデンは柘植のヘッジで十字にきっちり仕切られている(写真上左から2枚目)。中には多種類の果樹や野菜類が植えられており、 エステートでの需要を満たすに十分なスペースだ。(エステートの生産物は日々の生活には供給されないのかもしれない)
アーティチョークとスイトピーのコラボは背が高く迫力がある(写真下左)。こちらは食べられるえんどう豆とのコラボだ(写真下中)。 ルリタマアザミの色が見事に鮮やかだ(写真上右から2枚目)。
ウォールド・ガーデンを出たところにハーブ・ガーデンがある(写真上下右)。ここも比較的新しい開発に見える。 シロタエギクの一種でエッジングされたハーブ・ガーデンは背丈が低い。目線を上げるように潅木が配されている。 周囲を囲む壁や生垣の前はバラを中心にした植栽がなされている。見て香って、とても爽やかな印象だ。学びたい。

Raveningham Raveningham Raveningham

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ウォールド・ガーデンと道を隔てて南東に建物群がある。ホールの手前の建物には瀟洒な鐘楼がある(写真上左)。
ホールは赤レンガのエドワーディアン・スタイルと呼ばれるデザインで重厚にして優美な建物だ(写真上中)。 ポーチの周りの植栽がシックな色合いで落ち着きを感じさせる。現在もベーコン・ファミリーがお住まいなのだ。
ホールの北側にはミレニアムを祝って掘られたという湖が見える。湖畔の牧草地で馬が草を喰んでいる姿は優雅なものだ(写真下左)。
ホールの東側には新しいローズ・ガーデンがある。バラの木も若く成長盛りを感じさせる(写真上下右)。

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ホール周囲の森や牧草地の中に現代風の彫刻がいくつも置かれている。素晴らしい作品だ。現当主夫人の作品が多いという(写真上中、下左2枚)。 下右2枚はローズ・ガーデンにあった彫像とサンダイアルだ。オーナメントはガーデンに風格と品位を与えてくれる。不可欠と思う。
パーキングの車の数に比べると人の姿が見えない。ウッドランドや湖周辺に散らばっているのだろう。 こちらの方は1ヶ所のガーデンで1日中ピクニックを楽しむのがやり方だ。

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ビレッジ・サイン NO.74  ヘイルズ & ヘッキンガム(Hales and Heckingham)     NO.75  ロッドン(Loddon)

レイブニンガム・ホールからB1136に戻り1k余り、スクール・レーンとの十字路にサインはあった(写真下左2枚)。
デザインは分厚く飾り立てられた村名の書かれた台座の上に、丘に建つ教会の模型が載っている。この地方特有の円形タワーがある教会だ。 隣村ヘッキンガムにある"Church of St Gregory"と形が同じだ。残念ながら他に情報は見つからない。

ヘイルズから2kmほど北にあるロッドンの街のハイ・ストリートのFarthing Greenにサインを見つける。
デザインは街の名前が書かれた正方形の台座に男性像が立っている。この形は初めてであったが、像が小さくちょっと貧弱に感じる。 この男性は11世紀のこの地の大地主の"Aelfric Modercope"だ。貧しい者に手を差し伸べ、人々の尊敬を受けたという。 これを讃え教区議会(Parish Council)により1961年に立てられたという。

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ビレッジ・サイン NO.76  チェッドグレーブ(Chedgrave)     NO.77  フェルブリッグ(Felbrigg)

ロッドンからローカルロードを1km足らず北のチェッドグレーブの村のラングリー・ロードとレクトリー・レーンの角にサインがあった(写真下左2枚)。
デザインはロッドンと同じように腕木で支えられた台座に村名が彫られ、その上に教会の塔が立っている。驚くほど小さなものだ。
このサインについては教区議会のサイトに詳しい説明があった。議会からは、A.三次元のビレッジ・サイン、B.自然素材を用いる、 C.最も古い建物の一部を取り入れる、との基準が示され、議会の古いメンバーのジャック ・バーウィック(Jack Barwick)によって1991年にデザイン・作製されたものだ。
見たとおり三次元(A)だ。地元で育ったオーク材(B)を使い教区で最も古い教会"All Saints Church"のタワー)(C) をモチーフしたという。3基準が満たされている。
その上、撮影の時は気づかなかったのだが、台座の村名は3種類あったのだ。それは1086年のドゥームズデイ・ブックに記載されている 村名"Scatagrava"と1158年の文書に登場する村名"Chattegrava"と 1560年から使われている現在の村名"Chedgrave"の3種だ。面白い話だ。

ここから先は次の目的地に向けてまっしぐらだ。走ること1時間あまり、フェルブリッグに着いた。 目的のホールの前にB1436沿いのビレッジ・グリーンにあるビレッジ・サインで一旦停車だ。
図柄は上部に“建物”が描かれている。村にあるフェルブリッグ・ホールを表している。 ペンキが剥げて木板を継なぎ合わせていることが見て取れる。
中央に村名が刻まれている。そして、下部中央に“人の姿”が描かれている。1316年からのフェルブリッグ・ホールの主だった "Sir Simon de Felbrigg"だという。ホールの敷地にある"St Margarets Church"にその肖像があるのだ。
肖像の左は“オークの葉”だ。ここではナショナルトラスト(NT)のシンボルとしてのオークの葉だ。なぜならば、フェルブリッグ・ホールがNTのプロパティーだからだ。 右側のヒツジはイギリスならどこに行っても羊はいるが、この村の産業も羊毛であることを示していると思われる。

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フェルブリッグ・ホール&ガーデン  Felbrigg Hall

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フェルブリッグ・ホール&ガーデンは11年振り2度目の訪問となる。 前回の訪問でとても好印象が残っている。
既に16時30分を回った。17世紀の優雅なホールを遠目に見て(写真上左)ウォールド・ガーデンに向かう。 ホールの北側に巨大なウッドランドが広がる。壮大な森だ。リスがあちこちでちょろちょろしている(写真下左)。
ウォールド・ガーデンは約100m四方で3つに分かれている。最初の部屋は伸びた芝に通路を刈り込んナチュラルな グラス・ガーデンだ。ナチュラルといっても雑草はなくしっかりコントロールされている。 お洒落なベンチも置いてある(写真下左から2枚目)。
2つ目の部屋は高い壁際のボーダー(写真上中、右)と東西に走るダブル・ボーダー(写真2つ下左)がある。 植栽は若干エキゾチックな雰囲気でビビッドな色合いだ。ダブル・ボーダーにはコンテナも取り入れられている。11年前の印象と異なる。

Felbrigg Felbrigg Felbrigg Felbrigg

3つ目の部屋は半分以上ある大きな部屋だ。キッチン・ガーデンと呼ばれる部分だ。中央の池を中心に十字に通路が走り、 きっちり刈り込まれたヘッジで4つに区分されている。中央の池には見事に咲き誇るアルケミラモリスの中に少年像がある(写真上右から2枚目)。 この少年の下半身をよく見るとウロコのようなものが見える。 "Armless Merman"なのだ。男の人魚は珍しい。
壁に沿ったボーダーの植栽はカラースキムも良く、11年前の印象が蘇る(写真下中)。ハーブを中心とした植栽のガーデンもあり目だけでなく香りも楽しめる。
果樹のコーナーには驚くことにオリーブの木がたくさん植わっている(写真上右)。実もたくさんつくのだという。

Felbrigg Felbrigg Felbrigg

池からの通路の突き当たりに8角形の鳩小屋(Dovecotes)が建っている(写真下3枚)。池と共にフォーカルポイントになっている。 1750年代初めのものだが、現役で使われているのだ。白い鳩が群れて舞い立っては、また下りてくる(写真下右)。美しく平和な光景だ。   

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ビレッジ・サイン NO.78  ノース・レップス(North Repps)     NO.79  オーバースタンド(Overstrand)

17時30分になる。少し回り道をして今宵からの宿に向かおう。フェルブリッグから東に直線距離で約5kmにノース・レップス村がある。 ローカルロードのブルズ・ロウとナット・レーンの交わる点にサインはあった(写真下左2枚)。
図柄は分厚い木板の台座に赤枠に水色で“村名”と“1977”が書かれている。面白い事に先ず村名が間違えているという。 "NORTH"と"REPPS"と区切らないで"NORTHREPPS"が正しいのだという。どうしてこんな間違いが起きたのだろう。
“1977”はエリザベス女王のシルバー・ジュビリーの年だ。それを記念して立てたものだろう。
その上に数々のアイテムがてんこ盛りといった感じだ。一番上には“教会のタワー”がある。 村の"Church of Saint Mary the Virgin"に違いない。
その下の左半分を拡大した写真で見ると“羽根のあるハートを剣で突き刺した図柄の盾形紋章”がある。意味不明だ。
その左は“ロープで救助されている人の姿”が見える。この救助装置"Breeches Buoy"を19世紀に広めたのがNorthrepps Hallのガーニー家(Gurney family)の アンナ ・ガーニー (Miss Anna Gurney)なのだという。
その下の白いものは彼の有名な自動車“ロールス・ロイスのラジエーター”なのだ。小さいが“RR”のエンブレムが描かれている。 というのは、ロールス(Charles Stewart Rolls)はNorthrepps Hallのガーニー家に滞在中にこのラジエーター・グリルを設計したのだという。 尚、ガーニー家は彼の有名なバークレイズ銀行(Barclays Bank)の創始者なのだ。
その下には黄色い“楽器”のようなもの、白い“鎖”、赤い“花弁”のようなものがあるが全く情報がない。
真ん中の赤い赤い大きな道具は"Gallus plough"という農機具の鋤なのだ。これは1830年にこの村の"Northrepps Foundry"が開発したものだという。
右半分を拡大した写真も見てみよう。“杖のようなものと王冠と白い手袋の図柄の盾形紋章”と“樽”が 描かれているが、こちらも情報ゼロで見当もつかない。

ノース・レップスから北に直線距離なら1kmあまり、クローマー・ロードとハイ・ストリートの交差点のビレッジ・グリーンにサインを発見(写真下右2枚)。
この村は釣り産業で発展し、その美しい海岸があることから別荘地としても栄え"The Village of Millionaires"と呼ばれているそうだ。
この村の最初のビレッジ・サインは1977年にシルバー・ジュビリーを祝って立てられたが、直ぐに壊れてしまったので、 1993年に村の"Belfry School"の子供たちにデザインを提出してもらい、彫刻・ペインティンし立てられたものだ。2010年に修理している。 以上の経緯は村の教区議会のホームページに載っているが、デザインについては何ら触れられていない。ネット検索を駆使して想像の翼を広げてみよう。
村名の上部は村自慢のビーチとクリフの景色だ。ビーチには侵食防止の“木の防波堤(Wooden Groynes)”と思われるものが突き出ている。 クリフへの道を犬を連れた男性が登ってくる。下部には左に“カニ”、右に”船”が描かれている。カニはこの地域の名物だ。船は釣り産業を表現しているのだろう。
この時は裏側をチェックし忘れたが、裏のデザインは異なっていたのだ。 裏のデザインは上部に“教会”が、下部には“ポピー”と“樹木”が描かれている。教会は"St Martin's Church"と思われる。 ポピーはClement Scottが1883年にここを訪れ、この地を"Poppyland"と名付け、小説に書いたことからそう呼ばれるようになったという。樹木は不明だ。

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ビレッジ・サイン NO.80  サフィールド・パーク(Suffield park)     NO.81  イースト・ラントン(East Runton)

クローマー(Cromer)の街はクローマーとサフィールド・パークの2つの街からなるらしい。オーバースタンドから約2km、 ステーション・ロードにリスト外のサフィールド・パークのサインを発見する(写真下左2枚)。路上に駐車し、撮影に走る。
レンガと玉石で造ったガッチリした土台にパステルカラーの優しい雰囲気のサインが乗る。図柄は遠くに“海”を望み、クリフの上に“教会や住宅”が見える。 一方のクリフには“灯台”が描かれている。"Cromer Lighthouse"だろう。
その下で“ゴルフに興ずる人々”、“サッカーを楽しむ子供達”がいる。森の中にも“住宅”があり、その手前を“蒸気機関車”が走っている。
一番手前に“原稿を手に演説をしている人”が見える。海岸で“バケツを持って潮干狩りでもしているような子供”も見える。 浜辺で”釣具の網を手入れしている漁師”も描かれている。街の営みが手に取るようだ。観光パンフレットにもなりそうだ。

クローマーからA149を北海沿いに西に2kmでイースト・ラントンだ。フェルブリッグ・ロードを左に入ると小さな池があるビレッジ・グリーンが現れ、 そこにビレッジ・サインがあった(写真下左2枚)。
図柄はクリフの上空を“カモメが舞い”、海岸には“釣り船”がある。クリフの崖を釣り船を索いていく車も見える。そして波打際には“カニ”が1匹いる。 イースト・ラントンの海岸風景なのだろう。
ここでも裏側のチェックを忘れていた。裏のデザインは奥に“ビアダクト”と“風車”が見える。 中段に“羊が牧草地で草を食み”、“住宅”がある。そして、ビレッジ・グリーンの“池にはアヒルが遊ぶ”姿が見える。この村の情景を描いたものだ。
ビレッジ・グリーンの直ぐ南にダブルのビアダクトが通ている。 一つはクローマーとシェリンガムを結ぶラインで、ひとつは今は使われていないのだという。風車は1826年に造られたものだが、現在は住宅となっているそうだ。

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クッキーズ・クラブ・ショップ  Cookies Crab Shop

18時30分、今日から5泊するB&B"Homefield Guest House"に到着する。荷物を運び入れ、ガイダンスを受け、食事処を尋ねる。 近くのパブを薦めてくれる。シーフードの店を尋ねると「それなら少し遠いが一押しがある」と クッキーズ・クラブ・ショップの場所を説明してくれる。 例によってこちらは"Direction"であって"Map"ではない。分かりにくいことこの上ない。店の名前と住所をメモしてもらう。 何故か「閉店時間が迫っているから早く出かけろ」と急かせる。まだ19時なのにおかしいなと思いつつ出発する。

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A149を海岸沿いに西へ10km余り、サルゾウズ(Salthouse)村に店はあった。小さな店の冷蔵ショーケースにバラエティーに富んだシーフードが並んでいる(写真下左)。 美味しそうだ。しかし、客席が見当たらない。訊ねると店の外を指差す。そこには木製プレハブとテントが並んでいる。何だか期待が薄らぐ。 訝りながらもメニューを見るが、良く理解できない。“スターター”とメインの“ロイヤルサラダ”と追加メニューの“エクストラ”があるらしい。 ロイヤルサラダはバースの“エビ、ザルガイ、ザリガニの尾、蜂蜜マスタードのニシン、アンチョビ、色々なスモークした魚と自家製サラダ”に お好みで“カニ”、“サーモン”、“ロブスター”あるいは“ザリガニ”のメインを付けるものと判明。カニとサーモンをオーダーする(写真中、右)。 スターターは“エビのスープ”とした(写真上左)。この間にもテイク・アウェイの客がひっきりなしだ。大きなお皿持参で持ち帰る人もいる。再び期待が膨らむ。

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ここで事件は発生する。シーフードだから白ワインにしようとオーダーすると、何と「ワインは置いてない」と言う。大事件だ。 「そんな馬鹿な!」と念を押しても答えは同じだ。虚しくミネラルウォーター・スティルをオーダーし大きな番号札を渡されプレハブに向かう。意気消沈。
そういえば店の名前は“ショップ”だ。“レストラン”ではないのだ。B&Bのホストのケビンが「閉店時間が迫っている」と言った意味が分かる。 “旅は非日常”だからこの旅では“休肝日は返上と決めていたのに、ワインなしのディナーになろうとは。 スープは熱々でワインなしでもまだしもだったが、シーフードはミネラルウォーターでは台無しだ。 ましてや、真ん中の席で地元の常連らしき客が持込みのワインを飲み、店主らしき男と大きな声で喋っている。耳障りでならない。
最悪の食事を早々に切り上げB&Bに戻り、アイスキューブを頼むと「ない」との返事だ。やむなく、バレンタインをストレートで飲る。 窓から見える北海に沈む夕焼けがモヤモヤした気分を慰めてくれる。

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F.U写真集  F.U Photo Album

今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。

写真下左から順に
サウスウォルドの"Beach Huts"    ビーチ・ハウスは他所でも見たが、これだけの数が美しく並ぶ光景は初めてだ。
サマーレイトン・ホール&ガーデン  ピート卿が惜しみなく金をつぎ込んだ遺産だ。
フェルブリッグ・ホール&ガーデン  ボーダーのカラースキムは11年前と変わらない。

F.U Photo Album F.U Photo Album F.U Photo Album

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