第6日 6月25日(水) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 The Grove House --- Green Island Gardens --- Ickworth House --- Bury St Edmunds(Abbey, Cathedral, Town) ---
Bardwell Windmill --- Helmingham Hall(Music in the Gardens) --- The Grove House
今日の走行距離 197 km
今日の万歩計 25,600 歩
今日の出発時気温 14 ℃
ザ・グローブ・ハウス The Grove House
昨日の雨が嘘のようなピーカンだ。今日は楽しみにしている"Music in the Gardens"というイベントがあるので、ぜひ晴れて欲しかったのだ。
今日も朝から食欲全開、絶好調だ。私のホットミールはベークン、メッシュルーム、トメート、アンド、2フリャードエッグとした。
妻はここのフルから「エクセプト ベイクド・ビーンズ」にした。普段は11時頃にブランチなのにイギリスに来ると朝からこのボリュームが
抵抗なく入っていくのが不思議だ。“旅は非日常”ということで胃袋も非日常のようだ。
ビレッジ・サイン NO.47 デダム(Dedham)
今日の最初のビレッジ・サインはデダムだ。一昨日散策したフラットフォードはストー川をわずか2km東に行ったところだ。
コンスタブルはこの村のグラマー・スクール(Grammar School)に通っていたのだ。ドゥームズデーブックにも大きな村として載っており、
中世にはウール 取引のセンターとして栄えた村だ。
さて、ビレッジ・サインはB1029ミル・レーンのパーキングの入口にあった(写真上左3枚)。表と裏、いや両面でデザインが異なる。
1面(写真上左から2枚目)には左後方に教会がある。15世紀に建てられたというセント・メアリー教会(Church of St Mary's)で間違いない(写真右)。
右後方の尖った塔の建物は現在の"Dedham Art & Craft Centre"だろう。前方には4つの建物が描かれている。
左の白い家は"Marlborough Head Inn"だろう。1125年に建てられたという美しいティンバー・フレームの建物だ(写真下左)。
左から2軒目のピンクの家は"The Essex Rose"だ。とても有名なティールームで2003年の訪問時にはクリムティーをしたことを懐かしく思い出す(写真下中)。
他の2つの建物については分からない。建物の前の芝にはヒツジと自転車に乗っていると思われる人間が描かれている。
もう1面(写真上右から2枚目)のデザインは後方は上記の裏返しだ。教会には大きな木が描かれているが今も同じだ。
教会の塀も今と変わらない(写真下右 スタンドの付いていない自転車のための専用パーキングが面白くて撮った)。
前方に4段の土台の上に立つ白い"War Memorial"が描かれている。これも今と同じだ(写真上右)。1919年に建てられたものだという。
良く見ると左下に赤いシャツを着た絵描きがイーゼルを立て白いカンバスに向かっている姿が描かれている。
コンスタブルを表しているのだろう。コンスタブルの時代と現在がごちゃまぜになってきた。コンスタブルはデダムを多く描いている。
写真右の拡大写真の中でセント・メアリー教会が描かれた絵8枚の展覧会開催中。入場無料、クリックして見るべし。
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この村はいつの日か再訪してじっくり散策したいものだ。
ビレッジ・サイン NO.48 アードリー(Ardleigh)
B1029を南下5km、A137との交差点にアードリーのビレッジ・サインを発見する(写真下左2枚)。
デザインは正方形のボードにベルトが円形に描かれている。その円を村名で十字に仕切っている。左上の部分に麦の穂、豚、ビーツ? が描かれている。
村の農産物を表しているのだろう。右上に赤十字がある。その意味はわからない。
左下は波紋が描かれている。村の南西郊外にあるアードリー貯水池(Ardleigh Reservoir)の水の恵み表しているのだろう。
農業用水としてだけでなく釣りやウォータースポーツの場としても親しまれているという。右下部分はバラの花、リンゴ、トマトが描かれている。
同じく農産物を表していると見ていいだろう。飽くまでも私の推測の範囲だ。
交差点のいたるところに花が飾られている。街路灯にはハンギング・バスケット、歩道や分離帯にはコンテナが置かれている(写真下右2枚)。
見えている教会はセント・メアリー教会、1500年ころに建てられ、1882年に修復されているという。豊かな雰囲気の村だ。
グリーン・アイランド・ガーデン Green Island Gardens
グリーン・アイランド・ガーデンはアードリーからB1029を南に2km、
景色は見渡す限り農園が広がる。この辺は昨日も雨が降らなかったのか巨大なホース・リールからホースを伸ばし散水している。
あまりに巨大でユーモラスでさえある(写真右)。パーク・ロードに入りブロムリー・ロードと交わる三角地帯の20エーカー(東京ドーム2個弱)の個人のガーデンだ。
1987年の嵐で破壊された森林地帯をフィオナ ・エドモンド(Fiona Edmond)と夫が1996年に購入し、ガーデン造りを始め、
1999年からオープンしているガーデンだ。2008年に訪れた時は、4月で花が少なかった所為もあるし、
造成から10年で草木同士の融合が不十分だったこともあり物足りなさがあった。
しかし、昨年から陽だまりにも“アイランド・ガーデン”と名付けたガーデンを造り始めた。
何かヒントを見つけようと、再び訪れたのだ。(勿論スケールの違いは承知の上だ)
オープン時間前に到着する。パーキング周辺の切り株や倒木を使ったオーナメントで遊ぶ。妻は切り株の椅子を玉座に見立て女王を気取ってみたり、
自由の女神になったりして童心に返っている(写真上左)。
ナーサリーを覗いているとオープン時間になった。建物の周辺に“テラス・ガーデン”や“グラベル・ガーデン”や“ジャパニーズ・ガーデン”が配されているのだが、
8年前の印象と変わらず、ちまちま、ごちゃごちゃしたガーデンだ。ガーデンとしての構成を欠くように感じる。ただ、植物単体で見ると素晴らしいものがある。
ホスタとロベリア・チュパは伸びやかな生育だ(写真上左から2枚目)。綺麗な色のブラシの木が見られた(写真上右から2枚目)。
白色のつるあじさいとクレマチスのパーゴラも見事だ(写真下左)。名前は分からないが美しいブルーの花も咲き乱れていた(写真下右)。
メインのアイランド・ガーデンに入ると真っ赤な花を着けた木が目に入る。近づいてみるとつるバラがクライムしていたのだった(写真上右)
アイランド・ガーデンの一つひとつの島の膨らみが違う。大きな樹木を中心に潅木が囲み、多年草が外周を彩る。 6年前の印象と比較して季節の違いを考慮しても明らかに進化している。アイランドの土が見えないほどに植物が重なり合うように生育しているが、 煩雑さを感じさせないのが素晴らしい(写真上右、下3枚 下中の拡大写真に6年前との比較をのせた)。
樹木の種類もバラエティー豊かで、スケール大きく伸び伸びとしたデザインで植栽されている。爽やかな散策だ。
ウッドランド・ガーデンの中にツリー・ハウスが建っていた(写真上右)。6年前に2歳くらいに見えた男の子は大きくなって、
このハウスで冒険心を満たしていることだろう。子供の遊び場はハウスの近くにもありトランポリンやうさぎ小屋もある(写真下右)。
ウォーター・ガーデンも植物が茂り素晴らしいボリューム感溢れる光景だ(写真下左)。
このガーデンの6年前の印象とのギャップは“やればできる”という勇気を与えてくれる。
ビレッジ・サイン NO.49 ニュートン(Newton) NO.50 ホーリンガー(Horringer)
次の目的地に向かうA134沿いにリサーチ外のビレッジ・サインを発見し横道に入る。そこはゴルフ場の中だった。
A道路の脇5mもないところにティーグランドがあるのだ。そこに車を止めて撮影に走る。
道路脇のビレッジ・グリーンの中に生垣に囲まれてサインは立っている(写真下左2枚)。デザインは長方形のボードに様々なイラストが描かれている。
左上にサッカーのボールとゴールが、続いてクリケットのバットとウィケット(三脚門)、次にゴルフのクラブとボールが見られる。
これらは広大なビレッジ・グリーンでこれらのスポーツが行われるということだろう。ゴルフにいたってはサフォークで最も古いゴルフ場といわれる
ニュートン・グリーン・ゴルフ・クラブの18ホールの内、8ホールはこのビレッジ・グリーンにあるのだという。
サインの右半分の右上には教会が描かれている。14世紀に建てられた"All Saints Church"に違いない。
中段に4本の樹木と乗馬姿の二人が描かれている。調べて見たが手掛かりも掴めない。その下は青いトラクターと赤い鋤と見た。
その下のウシとヒツジと共に村の産業・農業を表しているものと思う。
ボードの木枠と支柱部分に描かれた9つの盾形紋章(Coats of Arms)も興味深いが、情報が全く見つからない。
目的地"Ickworth House"のある村・ホーリンガーのサインはA143とメドー・ドライブのT字路の角にあった(写真下右2枚)。
茅葺の屋根がついた重々しい雰囲気がする。デザインは赤い水車のホイールと思われるものがある。その左横に鎌とフォークの農機具がある。
ここも村の産業・農業を表しているものと見られる。ホイールの前に大きな金床がドンと座っている。右下に鍛冶屋の道具がある。
19世紀頭初にはこの村に3つの鍛冶屋があったというから、そのことを表しているのだろう。
"E11R 1977"はエリザベス2世女王のシルバー・ジュビリーを祝って立てられたことを示しているとみて間違いないだろう。
さて、なんとも解釈できないのが右側に立つ動物だ。ネコ科の動物に見える。素直に見ればライオンだろうか? 黄色の丸い斑点はヒョウに見えなくもない。不可解だ。
支柱に描かれた動物は雌シカとヒツジ(サフォーク種)だ。ハンティングとウール産業を表しているか?
イックワース・ハウス Ickworth House
イックワース・ハウスに遣ってきた。このユニークな建物は"Rotunda"といわれ
"a huge bulk, newly arrived from another planet"とも"an overgrown folly"とも揶揄される建物だ。野次馬根性をそそる情報だ。
ハウスは第4代ブリストル伯爵がイタリアを中心とするヨーロッパ生活で集めた膨大な絵画や財宝を展示するためにイタリアの建築家に建てさせたものだ。
工事は1795年に始まり、1829年まで掛かったという。しかし、その財宝はローマに侵入したナポレオンに奪われてしまったのだ。
伯爵はその回収に奔走するが1803年に亡くなり、5代伯爵がハウス建築の後を引き継ぐが展示するものもなく、自分たちの住む東翼のみ内装を完成させ、
西翼はただ単に左右対称になるように外見のみ完成させたものだという。正に"folly"(金ばかり掛かり役に立たない愚かなもの)だ。
ゲートからパーキングまで1.2km程あった。受付を通り入場するが、木々に遮られあの建物は全く見えない。"Walled Garden"の案内がある。
ウォールド・ガーデンは元来、ビクトリア朝のキッチンガーデンだったところが多い。野菜や果樹を育て、ハウスで消費したのだ。
だから、当主が訪れるところではないからハウスから遠く離れている。しかし、時として壁際のボーダーが美しかったり、フラワー・ガーデンに改造してあったりする。
ここのウォールド・ガーデンはどちらか? とにかく行ってみることにする。
このパークは1800エーカー(東京ドーム155個)の広さを誇る。4代伯爵は1769年、ここに"Capability Brown"に命じて"Landscape Garden"を造らせたのだ。
当時は貴族の子弟は家庭教育が終わるとグランド・ツアーという大陸周遊の旅をする慣わしがあり、お土産としてイタリアの風景画を持ち帰った。
平地の多い英国人は起伏のあるイタリア風景画に憧れこれを自分の庭に再現したいと願った。こうして生まれてきたのがランドスケープ・ガーデン(英国式風景庭園)だ。
その一人者が“ケーパビリティー・ブラウン”であり、時代の先端を行くガーデンだったのだ。
緩やかな坂道を下っていくと教会がある(写真上左)。歴代の伯爵家族が眠る墓があるという。牧草地の中をだらだらと下っていく。
帰り道が心配になるくらい歩いたところに広大なウォールド・ガーデンが現れた。長篇200m、短辺150m程ありそうだ。
しかし、懸念した通り耕作はほとんどされておらず牧草地が広がる中、温室が3棟並んでいる。赤レンガのサマーハウスも残っている(写真上中)。
ガーデン南面は壁がなく"Canal Lake"と名付けられた湖に水草が茂り、静かに水を湛えていた(写真右)。人影も少なく静かな雰囲気だ。
“行きは良い良い帰りは怖い”長いダラダラ坂が傷めた膝に応える。ハウス南面のイタリアンガーデンに入る。外周を一段高いテラスで囲んでいる。
生垣の手前にバラのアーチが連続している(写真上左)。
私のカメラではガーデンの隅まで引いても全景が写せない。そこでこちらの写真をご覧いただこう。
南からの映像だ。実に美しい姿だ。真ん中の円形の建物がロタンダ(Rotunda イタリア式円形建造物)で、右に展開するのが嘗ての伯爵家族の住まいで
現在はホテルとなっている東翼だ。そして、対称的に左に伸びるのが西翼で現在はナショナル。トラストの施設が入る。
写真上中はロタンダと西翼、実によく整備されていて気持ちが良い。通路の脇は丸くトピアリーされた木が並び、
建物の脇のブルーのーキャットミントが鮮やかに咲き誇る(写真上右、下右)。南北の中心軸と交差する東西のユー・ウォークの両端には
お決まりのように壺(写真下左)とサマーハウス(写真下中)がデザインされている。きっちりイタリアンだ。
写真下左はイタリアンガーデンへのエントランス。この広いガーデンへの入口はここただ一つなのだ。ロタンダは写真下左から2枚目のように柱で仕切られた面が
20面くらいで構成されている。その1階と3階の胸壁には帯状の浮き彫り彫刻が施されている。傷んできた部分もあるが、精巧な彫刻だ。
何か物語があるのだろう。各面でデザインは異なるが理解できない。(拡大写真で彫刻のアップをご覧あれ)
さて、正面の北側に回ってみる。前庭を一番端まで下がっってみても全景は写せない(写真上中)。玄関のイオニア式ポルチコ(Ionic Portico 前廊)が
重厚さを見せる。その車寄せ下の植え込みが素晴らしい(写真上右、下右)。西翼への階段のコンテナの植え込みがシンプルで渋い(写真下右から2枚目)。
スケールの大きな庭だからこそ映えるのだろう。
ショップを覗く。孫娘が喜びそうな可愛いこうもり傘を見つける。妻は自分用のピアスもゲット。
バリー・セント・エドモンド Bury St Edmunds
バリー・セント・エドモンドの街歩きは一昨日の予定だったが、通行止めの迂回で時間を取られたのでカットしたのだ。
今日この後の予定の"Bressingham Steam"と天秤にかけバリー・セント・エドモンドに変更したのだ。
運良くエンジェル・ヒルのパーキングにスペースがあった。アビーゲート・ストリートを西に進む。お天気も良く観光客で賑わっている。
通りには大きなハンギング・バスケットが吊り下がったポールが並んでいる(写真下左)。各商店のハンギングも美しい。
バター・マーケット通りを北に進む。通りではマーケットが開かれていた。毎週水曜日と土曜日にバター・マーケット通りとマーケット・スクエア、
コーンヒル通りで開かれる。今年の旅では各街のマーケット開催日に上手くスケジュールがマッチしている。マーケットの雰囲気はとても好きだ。
観光客だけでなく土地の人々の生活が垣間見られるような気がする。八百屋 、洋服屋 、ペットフード店 、花屋 、シーフード店 、靴屋などの店が出ているが、
八百屋と花屋がカラフルで華やかで良い(写真上、下)。
コーンヒル通りを南に下る角に"Market Cross"と呼ばれる建物がある(写真上右)。1780年に建てられたものでジョージ王朝風だという。
コーンヒル通りを南に下り、アビーゲート・ストリートとの角に"Corn Exchange"が建っている(写真下左)。こちらはビクトリア朝で1862年の建築だ。
アビーゲート・ストリートを東へと少し戻ったザ・トラバース通りとの角に"The Nutshell"がある(写真下中)。“イギリス最小のパブ”なのだ。
イギリス最小のパブについては2012年の旅の6月6日の項で述べたが再掲しよう。“西ドーセットのGodmanstone村のパブ・スミスズ・アーム(間口3m、奥行き6m)が
イギリス最小のパブを謳っているとベリー・セント・エドマンズの "Nutshell"というパブから「こちらが最小だ」とクレームがついた。
論争の末、1982年にフットボールの試合で決着をつけることになり"Nutshell"が勝ち、今や”イギリス最小のパブ”としてギネスブックに載っているのだ。
こちらの方が間口2.1m、奥行き4.5mと確かに小さいようだ。実際の寸法でけりをつけるのでなく、フットボールで決着をつける辺りが粋だ。”
小腹も空いた。是非ここで何かいただこうとするも満席だ。暫く表で待ってみたが、空く様子はない。仕方なくアビーゲート・ストリートの
ティールームでお茶にする。スコーンとエクレア、ソーセージのパイを二人でシェアする(写真下右)。飲み物はこの旅初めてのコーヒーとする。
後から入ってきた老カップルのおじいさんは紅茶にシュガーを5袋も投入している。呆れた。
アビーゲート・ストリートをエンジェル・ヒル通りまで戻ると正面が"Abbeygate Tower"だ(写真下左)。14世紀の建物だ。
右手に"St Edmundsbury Cathedral"も見える。こちらは16世紀初めのものだ。
振り返れば壁面を蔦で覆われた"Angel Hotel"が見える(写真下中)。蔦のグリーンとウインドー・ボックスのピンクの花のコントラストが鮮烈だ。
タワーをくぐってアビー・ガーデンに入る(航空写真は こちら )。
左手のトイレの前の築山の植え込みに"Bury St Edmunds Magna Carta 800"と描かれている(写真上右)。
マグナ・カルタはラニーミードにおいて1215年に制定されたのだが、それに先立つ1214年にここバリー・セント・エドモンドのアビーで起草され、
アビーに集まった貴族がジョン王にこれを認めさせようと宣誓した歴史があるのだ。そして今年が800周年ということで祝賀しているのだろう。
アビー・ガーデンの花壇は直径75m位の円形広場を十字の通路で4つに区切り、シンメトリーな植え込みをしている(写真下左)。
中央にバラのオベリスクを立て、周囲は銅葉のダリアが囲んでいる(写真下中)。周りは緑の芝生の中に長方形、円形、三日月形の花床を刻み
カラフルな植え込みがされている(写真下右)。
洒落たアイアンフェンスで囲まれてプールがあった(写真下中)。小さな噴水の水音と波紋が涼しげで嬉しく感じる好天気だ。
その東側に修道院の廃墟(Abbey Ruin)が広がっている(写真下左)。11世紀から始まった修道院で幾多の破壊と再建を重ね、
ヘンリー8世の修道院解散令により1539年に破壊された廃墟が今に残るものだ。イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)の管理だが、
こんな歴史的プロパティーが入場料もなく、自由に歩き回れる状態で保存されていることが素晴らしい。
アビー・ガーデンの南西隅にセント・エドモンドバリー大聖堂(St Edmundsbury Cathedral)がある(写真下右)。
ガーデンからは入れないので再びゲートを通って表に回る。
エンジェル・ヒル通りの玄関(Porch)から入場すると回廊(Cloisters)に素晴らしいバラの花が咲き乱れている(写真下左2枚)。 今はない回廊の列柱の代わりのように中庭を囲んでいる。アプリコットの優しい色合いに何ん度もシャッターを切る。
大聖堂に入る。身廊の天井の装飾が美しい(写真上左から2枚目)。西正面のステンドグラス(The Great West Window)は中央上部のキリストを囲む
多くの人々が描かれている。その下に洗礼盤(Font)と天蓋が煌びやかに建っている(写真下左)。
西正面左手の壁に"James Reynolds Memorial"が大理石で掘られている(写真下右から2枚目)。18世紀初頭の弁護士で大聖堂に葬られているという。
内陣(Choir)にも厳かな気が流れている(写真下右)。
ビレッジ・サイン NO.51 バードウェル(Bardwell) バードウェル・ウインドミル Bardwell Windmill
時刻は16時前、ガーデン・コンサートのイベントの18時までビレッジ・サイン巡りのドライブを楽しもう。
最初はバードウェルだ。サインはクエーカー・レーンとアップ・ストリートの角にあった(写真下左3枚)。
一面のデザインは紋章が描かれている。赤い盾形紋章の中に跳ねる銀色のヤギがある。金色の角と蹄を持っている。その上には騎士のヘルメットがあり、
その上に金色の角のヤギの頭が載っている。ネットで調べたところ“バードウェル家の紋章(Coat of Arms)であるらしい。
その意味するところは良く分からないが、この村は11世紀からバードウェル家の領土であったという。
もう一面は違うデザインだ。背景に風車と城があり、馬に乗り、槍と上記紋章の盾を持った騎士が川を渡ろうかという図柄だ。
風車はこれから訪れる"Bardwell Windmill"、城は"Church of St Peter and St Pau"で間違いないだろう。
騎士は馬着に書かれている"Sir William de Bardwell Knight"、流れる川は"The Black Bourn"と思われる。
スクール・レーンに風車はあった(写真下右)。1823年に建てられ、1925年まで風力で動き、その後石油エンジンで1941年まで働いたという。
その後荒廃していたものを1985年に修復し、現在に至っているが、その維持には大変な苦労があるようだ。
大きな4つの帆と直角に取り付けられた丸い風車のような"Fantail"が美しい。その形だけでなく機能を含め素晴らしいと見入る(写真上)。
ビレッジ・サイン NO.52 バーミンガム(Barningham)
バーミンガムのビレッジ・サインはB1111沿いのビレッジ・グリーンの片隅に立っていた(写真右)。
デザインは教会と製粉工場と思われる建物を背景に馬車から穀物を下ろす男性や麦の穂束灘が見られる。
中央にはピクニック・バスケットを抱えた女性が娘に何かを渡している姿が描かれている。
教会が1440年に建てられた"Church of St Andrew"であろうこと以外は、もどかしいほどに何の情報も見当たらない。
ただ、面白いことを発見した。全景写真の茅葺屋根の家の後ろの白い建物がビレッジ・サインの背景の製粉工場と思われる建物と瓜二つなのだ。
Googleのストリートビュー
で確認すると煙突こそなくなっているものの、23日のフラットフォード・ミルの項で述べた"Lucam"という荷物を運び入れる設備も、
3階の屋根裏部屋の窓もそっくりだ。どうやら、嘗ての製粉所兼パン屋の建物が現在は住宅として幾つかに分譲されたもののようだ。
ビレッジ・サイン NO.53 マーケット・ウェストン(Market Weston)
バーミンガムから北へ1.5km、B1111を右に外れてマーケット・ウェストンのビレッジ・ホールの前にサインを見つける(写真下右)。
デザインは中央上に“王冠と1263”、その下に“教会と風車”、“村名”の下に“8人の男女”が描かれている。
“王冠と1263”は1263年に王から"Market Charter"を授かったことを示しているだろう。“8人の男女”はそのマーケットでの人々の生活ぶりを表していると考える。
想像の翼を(花子も終わってしまった)広げてみよう。
左下の男は子羊を抱えている。足元の豚と合わせて肉屋ではなかろうか? その右の女性が持っている黒いものは毛糸かと思うが、一色なのが疑問だ。
その右の男は布地を売っているのだろう。足元に色違いもある。次の男性が捧げているのは壺のようだ。蜂蜜でも売っているか?
下中央の男性は果物を扱っているように見える。その右の男性は隣にグースがいるので鳥肉をあつかっていると見た。
次の青い洋服の女性が並べているのはパンではないか?
次の緑の洋服のバスケットを下げた女性はマーケットに買い物に来た女性と想像した。各々の顔が穏やかに感じる。
“教会と風車”の教会は14世紀から続く村の"The church of St Mary"だろう。風車は隣村テルネサムの風車ではなかろうか? 長閑な風景だ。
ビレッジ・サイン NO.54 ホプトン(Hopton) NO.55 ガーボールディシャム(Garboldisham)
マーケット・ウェストンから北へ1.5km余り、B1111のポストオフィスと教会のある交差点にホプトンのサインがあった(写真下左2枚)。
デザインは円形のボードの中央に村名が書かれ、その上部に教会が描かれている。写真の背景に写っている"All Saints' Church"だろう。
下部には黄色の麦束、緑色のオークの葉と木の実、茶色の壺が描かれている。正体不明は白色の物体と褐色の細長い物体だ。鋤(plough)かもしれない。
麦束はお馴染みの通り農業を表していると思う。オークについては上部の教会横の大きな木もオークだろう。オークはイギリスの象徴の木だ。
別の面のデザインは下部が波紋になっている(写真右)。地図を見る限り村を大きな川が流れていたり、湖があったりはしない。これも意味不明た。
サインを撮影の間に妻は切手を求めてポストオフィスに入ったが、なかなか帰ってこない。迎えに行くと先客に時間が掛かっているようだ。
コンビニを兼ねておりレジは行列ができている。待つ間に売り場を冷やかしていると携帯用靴磨きセットを発見、アイスクリームとともに求める。
靴磨きは旅行中大いに役立った。アイスクリームは歯が痛くなるほど甘かった。
ホプトンからさらに北へ3km余り、B1111とA1066の交差点角にガーボールディシャムのサインがあった(写真下右2枚)。
支柱の土台の周りに石製の花床があり、華やかな植え込みがしてある。支柱にも彫刻がなされている。下から“盾形紋章”、“ヒツジ”、“馬蹄と金床”、
“ハサミ(おそらく)”、“ベル(おそらく)”、“シカ”だ。
支柱の上には村名の書かれた横木があるだけだ。なんとなくバランスが悪い。中途半端な感じだ。それもその筈、本来は
3Dのこんな形の筈だったのだ。支柱に“1980”の文字があるから30年余の歳月で風化して壊れてしまったのだろう。
村にはこの形の風車があるのだ。
ビレッジ・サイン NO.56 サウス・ロファム(South Lopham) NO.57 ノース・ロファム(Lopham)
A1066を東に4km、左に折れてチャーチ・レーンを進むと教会前の緑地にサインがあった(写真下左2枚)。
図柄はガマの穂と蜘蛛が描かれている。この辺りは湿地帯で貴重な水生植物や動物が多いのだという。中でも絶滅危惧種の"Raft Spider"という蜘蛛が保護されていて、
この蜘蛛は捕食のために水上を進むことができ、水中に潜ることもできるという。足も入れると7cmにもなるそうだ。
水泡が湧き出しているのは水質の良さを表しているのだろう。芸が細かい。空にも雲が浮かぶ。(クモ繋がりだが英語ではシャレにならないか・・・)
枠に“2000”と刻まれている。ミレニアムを祝って立てられたものだろう。
サウス・ロファムからローカルロードを北へ1kmでノース・ロファムだ。村の中心ザ・ストリート沿いにサインはあった(写真下右2枚)。
屋根付きの重厚な佇まいだ。一枚板に細かな彫刻が施されている。デザインは中央に機織りの様子が描かれている。
その上に暖簾のようなものが、左右に植物の図柄が見える。下左は糸巻き車に見えるが、右は良く分からない。
この地域は16世紀からリンネル類の生産で有名なのだ。機織りや糸巻き車はそれを表していると見た。
左の植物はその原料となる亜麻(リネン)であり、右は苧麻(ラミー)を描いたものに違いない。それにつけても情報の少なさには呆れるばかりだ。
ビレッジ・サイン NO.58 ブレッシンガム No1(Bressingham) NO.59 ブレッシンガム No2(Bressingham)
A1066に戻って東に5km足らずでブレッシンガムに着く。A1066から北に入りハイ・ロードのビレッジ・ホールの敷地内に1つ目のビレッジ・サインを見つける(写真下左2枚)。
デザインは中央に大きな木に囲まれた教会がある。"Church of St John the Baptist"だろう。以下すべて私の憶測による解釈をしていこう。
上に“オーク”の葉と実が描かれている。オークはイギリスを象徴する木だ。下部に麦の穂束が描かれている。農業が盛んなことを表している。
ボードの4隅に正方形の縁取りがされた図柄がある。左上は蒸気機関車の図だ。この村にある
"Bressingham Steam & Gardens"を示している。
右上はオリーブの枝をくわえた鳩だ。謂わずと知れた平和の象徴だ。左下は花の図柄だ。村の重要なビジネス
"Blooms Garden Centre"を表している。
そして、右下は村の小学校のロゴが描かれている。自慢の学校なのだろう。
この村にはもう一つのビレッジ・サインがあるのだ。ハイ・ロードを東に進んだ。コモン・ロードとの角に立っている(写真下右2枚)。
デザインは教会と聖職者らしき人物が描かれている。教会の形から教区が同じファースフィールドのセント・アンドリュース教会と思われる。
しかし、人物については情報皆無だ。
ビレッジ・サイン NO.60 ロイドン(Roydon) NO.61 パルグレイブ(Palgrave)
ブレッシンガムからA1066を東に2kmでロイドンだ。A1066沿いのビレッジ・ホールの入口にサインはあった(写真下左2枚)。
レンガ製のどっしりした土台に比べサインが小さい。村名の横木の上に教会が載っている。この村の"Church of St Remigius"に違いない。
丸いタワーはノーフォークに多いらしい。1035年のドゥームズデーブックに載っているというから古い教会だ。
このビレッジ・サインについてもネット上に写真は見受けるが、具体的情報は零・無・皆無・絶無・空無・ナッシングだ。
しかし、面白い写真が1枚見つかった。このサインのタワーの反対側に嘗ては大きな木があったのだ。
風で飛んでしまったのだろう。メンテナンスが遅れるのはどちらのお役所も一緒か?
変わった形のビレッジ・サインの情報がある。A1066を南に外れ1km余りで池に面したセント・ピーター教会前のビレッジ・グリーンに
パルグレイブのサインを見つける(写真下左2枚)。
赤シャツの男は地元では"The Palgrave Man"として知られているらしいが、意外と小さく極めてみすぼらしい。ペンキは剥げているし
、何かを手にしていたと思われるが無くなっているようだ。少なからずがっかりだ。手押し車でも押していたように見たが、調べてみると
金床で熱した鉄を打ち鍛える鍛冶屋だったのだ。大きな金床がどうしてなくなったのか? 疑問だ。
ウェブの写真によれば2013年8月撮影のものには残っていたが、2014年2月撮影の写真では無くなっている。
土台のプレートには“教区民の寄付により1985年に立てられた”とある。こちらもメンテナンスが追いつかないのか? それとも“あるがまま”を貫くのか?
ビレッジ・サイン NO.62 フラムスデン(Framsden)
パルグレイブからA143、B1077と繋いでおよそ25km、ガーデン・コンサートの行われるヘルミンガム・ホールの手前の
フラムスデンでサインを発見する(写真右)。急なカーブの三叉路にあるので駐車に困る。
デザインが変わっている。樹木の枝に建物などが乗っているような感じだ。樹木の上の方に点在するモジャモジャしたものはオークの葉に見える。
一番上に村名がある。カラスが止まっているのかと思ったら、これも作り物でサインの一部らしい。よく見ればフクロウの形だ。
近くにある"Suffolk Owl Sanctuary"を表していると思われる。
左上部の建物は風車だ。右の全景写真の右の建物の上にその風車の帆が見えている。
1760年に建てられたものが様々な人の手を経て、1966年からボランティア・グループの手で改修されたものだ。
右上部の建物は形から見て村のパブ"The Dobermann Inn"だろう。
オリジナルは1600年ころのものだという。
その下の建物は教会だ。"St. Mary's church"と見ていいだろう。14世紀に遡る教会だ。
他にも色々な図柄があるがよく分からない。幹の部分の見える沢山の小さな6角形の穴は蜂の巣に見える。
下部中央には両の掌を広げている図柄も意味するところが分からない。
ヘルミンガム・ホール・ガーデンズ Helmingham Hall Gardens
ヘルミンガム・ホールはトルマッチ家(Tollemache family)の15世紀から続く住まいだ。
現在の建物は1510年に建てられたもので、幾多の改修がなされている。堀に囲まれ、跳ね橋(Drawbridges)は今でも毎晩上げられるのだという。
ここは2003年に訪れ、ガーデンの美しさと品格に感動したものだ。あの頃は週1日しかオープンしなかったが、現在は4日開いてくれる。
しかも今回は"Music in the Garden"なるイベントが6月に4回開かれる内の1つと運良く日程がマッチした。幸いに天気は上々、暖かな一日だ。
開始の18時に3分遅れてパーキングに到着した。既に演奏の音が聞こえてくる。ホールの南のふわふわの芝を踏みしめ入口に向かう(写真下左)。
ホールへの跳ね橋はまだ下りているようだ(写真下左から2枚目)。
演奏はホールの西側のウォールド・ガーデンの入口のパルテール(Parterre)で行われている。アドミッション6ポンド(1人)を払って入場する。
空撮写真をご覧いただくと真ん中が濠(House Moat)に囲まれたホール、左端に見えるのがパルテールだ。
ご覧のようにウォールド・ガーデンも濠(Garden Moat)に囲われているのだ。2つの濠の間が"Wide Grass Causeway"だ(写真下右3枚)。
イチイのドーム型トピアリーが両脇に並び、両端には女性像が立ち、中央にはサンダイアルが置かれている。おおらかな造りだ。
濠を渡ってパルテールに入る。演奏はテントの中で行われている。聴衆はパルテール全体に散らばって自ら持参のチェアーに座っている。
テーブルを用意している人達もいる。何とベンチが一つ空いている。これはラッキーだ。バンドは"The Suffolk Phoenix Brass Band"だ。
お馴染みの曲も演奏されたりして、暫く楽しく鑑賞する。19時近くなってお腹も空いてきた。周りの聴衆は食事を楽しみながら聞いている(写真上下)。
売店が出ていたので尋ねると「ワインはThe Coach House Tearoomsある」という。ホールの東側のコーチハウスまで濠沿いに歩く。
ワインボトルとサンドウィッチを求め戻ると、妻がどこへ行ったかと心配していた。演奏を楽しみながら美しいガーデンでのディナーは最高だ。
ワインを半分ほど空けたところで休憩となる。残りのワインをベンチに残し、ガーデンの散策に入る。
パルテールは大きな石の壷を囲んでいる2つの円形ベッドをコーン型にトピアリーされたイチイや低い柘植のヘッジでシンメトリーに型どられたベッドで囲んでいる。
ベッドの中にはシルバーのコットン・ラベンダーが植えられている(写真上下)。清々しいガーデンだ。
その周囲はバラと宿根草が折り重なるように分厚く植栽されたボーダーガーデンだ(写真上左・中)。色と香りの洪水だ。
このボーダーのバラはハイブリッド・ムスク(Hybrid Musks)ばかりだ。淡いピンクの“フェリシア(Felicia)”、アプリコットの“バフビューティー(Buff Beauty)”、
プリムローズの“デイブレイク(Daybreak)”、クリームの“ムーンライト(Moonlight)”、ピンクの“ペネロープ(Penelope)”の
6種類が植えられている。いずれも淡い色合いで心安らぐ。それにカンパニュラの乳青色や縁取りに植えられたラベンダーの紫色が良くマッチしている。
これだけ厚く植えたら日本ではバラは蒸れてしまうだろう。これで無農薬で育てているというから信じられない。
まさに今がピークのパルテールに出合えた。ベンチの写真は座って直ぐに撮影したもの。この後、ベンチの後方にも大勢が座り鑑賞していた。
ウォールド・ガーデンへの入口の門柱の上にはペガサスの頭(トルマッチ家の紋章の一部)の像が置かれ、アイアン製の門扉がはまっている(写真上中、下右)。
重厚感溢れ、ワクワクしながら潜る。約60m四方のガーデンは芝生の通路で十字に4つに区切られ、それぞれがスイートピーやひょうたんなどの
アーチトンネルで2つに仕切られ、都合8つのコンパートメントで構成されている。それに周囲の壁際を含めると大変な長さのボーダーになる。ホームページの解説では
"Herbaceous Borders"、"Shrub Borders"、"Grass Borders"、"Annual Border"、"Spring Border"、"Late Summer Border"、そして "Tunnels"などと名付けられたボーダーがある。
壁際のボーダーにトピアリーのコーナーがある。このガーデンは当代男爵夫人が1978年から造り始めたものだというから、まだ35年の歴史だが、
スノーマン(写真上左)やカタツムリ(写真下左)、ミツバチ(写真下中)などイチイの木でもここまで育つものなのだと感心する。
ほかにも様々な形のトピアリーがあり、何を象っているのかを考えるのは楽しい。上左から2枚目はエッグスタンドに入ったゆで卵を連想する。
スイートピーのトンネルはまだ十分育成していない。これからだろう(写真上右)。ひょうたんや、ハニーサックルのトンネルも同様だ。
どこを取っても、どこを切っても絵になる。その美しさを表現する語彙を持ち合わせないが、写真をご覧いただければ伝わるだろう。
芝生の通路が足にも目にも優しい。色合いも総じてパステルカラーで優しい。足元だけでなく背景の建物や壁(1745年に造られた)が
目線を上にあげてくれるので視野が広く開放感を感じる。
トンネルアーチの終わりの2ヶ所に小振りながら気品あるベンチがある。背もたれにトルマッチ家の紋章の一部が入っている。
その隣にイチイをトピアリーしたベンチもある。こちらは実際には座れない。真似ただけだ。
あちらこちらと惹かれるままに動き回ったのでどの辺りを撮ったのか分からなくなってしまった。
バラのアーチも素敵だ(写真上左2枚)。もう一つのアーチトンネルのエンドには素敵なコンテナが置かれている(写真上右)。
赤レンガの前でも映えるだろうに、イチイの緑を加えるところが素晴らしい。左上のクレマチスと右下の草花の紫の配置も唸るところだ。脱帽。
もう一方の門柱の上にはライムストーン製のイーグルの像が置かれている(写真下左)。威嚇するかのように口を開いている。重厚感が良い。
植栽の厚さ高さは何ということだろう。それでいて重苦しさは感じられない。むしろ軽快でさえある。堪能してウォールドガーデンを出る。
まだ演奏は始まっていない。ホールの東側のガーデンを訪れる。この時間になるとホールへの2つの跳ね橋は上げられるようだ(写真上左)。
コーチハウスの裏手に山のように盛り上がって咲いているつるバラが目に飛び込む(写真上中)。見事な茂りようだ。
"Cedric Morris"と"Kiftsgate"だということだが、それにしてはピンクがかかり過ぎているように見える(拡大写真でご覧あれ)。
ローズガーデンを囲むイチイの生垣に額縁のように窓が開いている。ローズガーデンを透して瀟洒なホールが美しい(写真下左)。
正方形のローズガーデンは円と十字でシンメトリーに区画され、その中心に花の女神“フローラ”像が立っている(写真下中)。
足元のユリが像に気品を与える。(“フローラ”のアップ写真は拡大写真からどうぞ)
各区画ではスタンダード仕立てやブッシュのバラがデルフィニウムやジギタリス、ポピー、フラックス、ラベンダーなどの宿根草と競うように咲き乱れている(写真下右)。
見応え十分だ。
ローズガーデンとノット・ガーデンは特別の境界もなくホールが見渡せるデザインだ(写真下左)。
ホールの出窓から見るとフローラがイチイの窓にぴったり収まるのだという。
また、このノットガーデンは1982年に当代男爵夫人・アレクサンドラによって造られたもので8つのコンパートメントからなり、
そのうち2つは夫妻のイニシアルがホールから見えるように刻まれていてのだ。男爵"Timothy"の“T”
と夫人"Alexandra"の“A”だ。仲睦まじい話だ。
ノットガーデンの中も周りもハーブが多種類使われている(写真下中・右)。実に整然として爽やかな雰囲気だ。男爵夫人のお人柄が偲ばれる。
このホールにはエリザベス1世女王が2回訪れているという。然もありなん。
パルテールに戻ると演奏が始まっていた。残りのワインと共に演奏を楽しむ。20時30分を過ぎると退場する人も出てきた。
前の方のベンチが空いたので移動する。奏者の表情まで窺える席だ。21時の終演まで楽しむ。
ビレッジ・サイン NO.63 オトリー(Otley)
B&Bへの帰路B1079沿いにリサーチ外のオトリーのビレッジ・サインを発見する(写真右)。
デザインは上部にオークの葉と実、小鳥が描かれている。その下に盾形紋章があり"Gosnold"の銘が見られる。
その左に北米の地図に麦の穂束が描かれている。右には帆船の図柄だ。
村名の下には野バラに挟まれてブドウが描かれている。興味ある図柄だ。
オリジナルのサインは1977年にエリザベス女王のシルバー・ジュビリーを記念して立てられたものだ。オーク材に彫刻を施したものだったという。
35年間に3回の塗替えをしたが、2012年2月に強風で壊れてしまったため、同じデザインでポリマー樹脂製のものを複製し、
同年6月のダイアモンド・ジュビリーに合わせ除幕されたものだという。
盾形紋章は15世紀からのこの地の荘園の領主であったゴズノールド家の紋章だ。
バーソロミュー・ゴズノールド(Bartholomew Gosnold)は北米のバージニアへの航路を確立し、1602年には帆船“ゴッドスピード号(Godspeed)”で
入植者をバージニアに運ぶことに成功したのだ。これはメイフラワー号がイギリスのプリマスからマサチューセッツ州プリマスまで入植者を運んだ18年前に当たるのだ。
描かれている帆船はその“ゴッドスピード号”だ。
北米の地図に麦の穂束が描かれているのはイーストアングリアの小麦をアメリカに輸出したことを表しているのだろう。
また、ブドウの絵は入植者が北米でブドウ園を設立したことを表しているという。
その他のオークの葉と実、小鳥、野バラはオートリーの豊かな自然を表現していると考えて良いだろう。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年は妻のF.Uもデジカメを持参し、草花を中心に撮影した。花名を記したラベルなどの記録にも便利だったようだ。
自身が選んだ幾葉かの写真も毎日掲載させていただくことにした。どうぞご覧ください。
写真下はいずれもグリーン・アイランド・ガーデン
“テラス・ガーデン”や“グラベル・ガーデン”や“ジャパニーズ・ガーデン”を私は快しとしなかったのだが、妻は気に入ったのだ。
今日の10枚のうち半分をここから選んでいる。この違いが、陽だまりの植栽に関して衝突を生む原因なのだ。
写真下左2枚はグリーン・アイランド・ガーデン
右から2枚目はバリー・セント・エドモンドのアビーゲート・ストリートのハンギング・バスケット
右はセント・エドモンドバリー大聖堂とバラ
写真下左から順に
イックワース・ハウス
ヘルミンガム・ホールのウォールド・ガーデン
ヘルミンガム・ホールのローズガーデン
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