第2日 8月1日(木) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Morehampton Townhouse --- Iveagh Gardens ---
Dublin市内(St. Stephen's Green, Grafton Street, Trinity College, O'Connell Street,
Garden of Remembrance, Moore Street, Henry Street, Temple Bar, Guinness Storehouse) ---
Powerscourt House --- Sally Gap --- Morehampton Townhous
今日の走行距離 105 km
今日の万歩計 29,800 歩
出発時の外気温 16.5 ℃
モアハンプトン・タウンハウス Morehampton Townhous
ダブリンの第1夜が明けた。昨日の疲れも感じずすっきりと目覚めた。空模様は曇りだが、空は明るい。
”一日のうちに四季がある”といわれるアイルランドの天候だ。お天気に一喜一憂していられない。雨対策は十分にしてきた。
朝食はオレンジジュースとフレッシュフルーツにヨーグルトをたっぷり掛けていただいているとホットミールのオーダーを取りに来る。
お待ちかねのフルアイリッシュ・ブレックファストを頼んだら案の定ブラックプディングとベイクドビーンズが付いてきた。
明日からこの2つはパスしよう。マッシュルームが付いていないのが残念だ。トーストはセルフで焼くシステムだ。
ブラウンを1枚、美味しいバターをたっぷり塗り、ミルクティーと共にいただく。
ここアイルランドはバター、ミルク、ヨーグルトなどの乳製品が殊のほか美味しいのだ。
イーバー(イベラ)・ガーデン Iveagh Gardens
今日はダブリンの街をゆっくり散策の予定だ。最初に訪れたのはB&Bから最も近いイーバー・ガーデンだ。
ギネスビール創始者の孫のベンジャミン ・ギネスによって1863年に造られたガーデンだという。
隣接のイベラ・ハウスはアイルランド外務省が入っている。官庁街のビルの谷間のオアシスのような佇まいだ。
9時10分、路上に駐車して入場。市民に公開されているといってもこの時間では人もまばらだ。名物の滝もまだ水が出ていない(写真下左)。残念だ。
直径10mほどの池の中央の岩の上に立つ女神の噴水は南北に2つシンメトリーに置かれている。女神が持つ水盤は5mほどの高さだ。
これも水が出ていればかなりの迫力だろうが、時間が早すぎたようだ。
噴水の南側にローズガーデンが同じように円形に築かれている。デザインが統一されていてすっきりしている。
残念ながらバラの花はすでに終わったようだ。
アイルランドのガーデンを検索していて気づいたことはモニュメントやオーナメント、スタチュー、スカルプチャーなどが多用されていることだ。
この旅ではそういったものを探すことも楽しみの一つとしたい。その対象を調べることでアイルランド人のものの見方、
ガーデンのコンセプトなども見えてくるかもしれない。
イーバー・ガーデンのスタチューは右のようなギリシャ神話の女神と思われる一連の像があった。他の一つは首が落ちており、
もう一つは台座だけになっていた。
"John Count McCormack"の像がある(写真下右)。朗々と歌い上げる姿に威厳がある。アイルランド出身の20世紀前半に世界的に有名だった
テノール歌手だそうだ。2008年に建てられたもので実物大だという。
作者はElizabeth O'Kaneだ。作者のサイトに詳細が載っている。
セント・スティブンス・グリーン St. Stephen's Green
セント・スティブンス・グリーン・ショッピング・センターのパーキングに車を入れダブリンの街散策に入る。
最初はダブリン子の憩いの場所であるセント・スティブンス・グリーンだ。高さが揃った美しいビル群(ジョージアン・スタイルという)に囲まれた
550m×450mの公園だ。元は周囲の住民のプライベートガーデンだったが、ここでもギネスビール創始者の孫でイーバー・ガーデンで記した
ベンジャミン ・ギネスの兄のアーサー・ギネスが登場する。彼が市民への一般公開を提案し、議会に掛け合い、資金提供し今の形に造り替えて
1880年に一般公開に至ったものだという。周囲を樹木で囲まれた緑の芝の中に池や噴水などを配したスケールの大きな整形式ガーデンだ。
周囲は大きな樹木が茂っている(写真下左)。広大な芝生の中に華やかな花壇が点在し、ベンチや東屋も数多くある(写真下中2枚)。
一角にあるヘッドガーデナー・ハウスの小さな庭も見事なデザイン植栽だ(写真下右)。
ここにも数々の彫像がある。
下左から ・"Lord Ardilaun" 上述のアーサー・ギネスの座像 公園西側の彼が援助したRoyal College of Surgeonsを見つめている。
・ "Theobald Wolfe Tone" 1798年のアイルランドの反乱(Irish Rebellion of 1798)のリーダー。
右手に持っているのは何かと良く見ると誰かが悪戯に折り畳み傘を吊るしていったようだ。
・ "Tom Kettle" 詩人、エッセイスト、政治家 この像を置くことに多くの論争があったという。
・ "Constance Markievicz" 1916年のイースター蜂起に参加 ヨーロッパ初の女性大臣(アイルランド労働大臣)。
下左から ・ "Robert Emmet" イギリスとの連合に反対し、1803年にロバート・エメットの蜂起を首謀し処刑 25歳だった。
・ "Jeremiah O'Donovan Rossa" フェニアン団の創始者(Irish Fenian leader) 葬儀には1万人以上が参列したという。
・ "Great Famine" 1845から1850年のジャガイモ飢饉のメモリアル 痩せさらばえたその像は正視を躊躇うほどだ。
・ ”噴水” 公園中央の整形式ガーデンの東西にシンメトリーに2基
下左から ・ "James Clarence Mangan" 19世紀前半の詩人
・ "Rabindranath Tagore" インドの詩人、思想家、音楽家 ノーベル文学賞を受賞(1913年 アジア人で初受賞) インド国歌作詞作曲。
・ "James Joyce" 言わずと知れた”ジェイムズ・ジョイス”。
・ "Fusiliers' Arch" 20世紀のボーア戦争に加わったロイヤルダブリンフュジリア連隊のメンバーを記念し1907年建築 高さ5.6m、幅3.7m。
他にもウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)を始め様々な彫像があるとの情報だが、この辺りにしておこう。
グラフトン・ストリート Grafton Street
フュジリア門を潜ると目の前がセント・スティブンス・グリーン・ショッピング・センターだ(写真下左)。白いアーチ枠取りが美しい。
その交差点から北に伸びるのがグラフトン・ストリートだ。ダブリン(=アイルランド)一のショッピング街だ(写真下左から2枚目)。
入り口左にチョコレートの"Butlers Chocolates"もあるが、夏のお土産には少々不安があるので見送る。
Anne Streetとの交差点で右を望めば"St Anne Church of Ireland"の優美なバラ窓が見える(写真下右から2枚目)。
街頭のハンギングバスケットも見事に咲き揃っている。
露天の花屋も開店準備に大忙しだ。手際よく並べられていく様に見蕩れる(写真下左)。この通りはバスカーズ(Buskers)や
ストリートパフォーマー(Street Performers )が多いとの情報だが、11時ではまだ見当たらない。と思いきや、銅像に見えたのは
ストリートパフォーマーではないか。このスタイルでじっと動かない(写真下左から2枚目)。籠にコインを入れると微かに頭を下げた。
通りの中ほどに有名な"Bewleys Oriental Cafe"がある(写真下右から2枚目)。もうすでに満席状態の繁盛ぶりだ。私達にとってはお茶の時間ではないので、
お土産に紅茶を求める。この旅の初お土産。
この通りは帰りにも通るので軽く流してSuffolk Streetとの交差点の先のモリー・マローン像(Molly Malone Statue)にやってきた。
”17世紀の行商の魚屋の娘が熱病のため若くして亡くなり、その後幽霊となって今も街を行商して歩く”と言う話に基づき、
ダブリン千年祭(1988年)の記念に造られたものだ。荷台のかごの中や外に魚や貝がリアルに表現されている。
また、誰が作ったともなく”モリー・マローンの歌”が歌われるようになったという。
アヴォカ トリニティーカレッジ バイキングスプラッシュツアー
Avoca Trinity College Viking Splash
Suffolk Streetを西へ30mも進むとファッションと雑貨で人気の店との情報のアヴォカがある。
1723年にアイルランドのウィクロー州、アヴォカ村の小さな毛織物工場からスタートした店で今や世界中に進出しているのだという。
妻はこの情報は知らなかったようだ。店に入るなり「わ〜! これ素敵!」、「わ〜! これも可愛い!」の連発だ。
売り場は変わった構造で中地階、1階、中2階、2階があり、階段にも商品が沢山並んでいる。
妻は時間をかけて往復した後、子供たち3人と自分用のスカーフをピックアップ(写真右は自分用スカーフ)。
孫へのバースデーカードとして3Dの"Swing Card"も2枚見つけた(写真右下)。
3階はカフェでここも人気らしく満席だ。地階は食料品売り場だ。何やらオイシそうなデリカテッセンが並んでいる。
"Secret Rooftop Garden"もあったらしい。調査不足だった。次回の楽しみとしよう。
O'Connell Streetを目指して歩いていく。右側にトリニティーカレッジが見えてきた。
今日はパスの予定だったが、行きがけの駄賃とばかりキャンパスに入る(写真下左から2枚目)。観光客でごった返している。
学生は落ち着いて勉強できるのだろうか? 他人事ながら心配になる。(だったら寄るなの声が聞こえる)
表通りをバイキング帽を被った一団を乗せた黄色いバスが行き来する。時折一斉に「ウォー!」と喚声を上げる 。
帰国後調べるとバイキングスプラッシュツアー(Viking Splash Tours)の水陸両用車と判明。
写真を良く見ると納得できる。1時間15分掛けて市内観光と運河(Grand Canal)を走るのだ。調査不足だ。これも次回の楽しみとする。
オコンネル・ストリート O'Connell Street
ダブリンの街を東西に流れるリフィー川(River Liffey)に架かるオコンネル橋を北側に渡るとオコンネル・ストリートだ。 ここもダブリンを代表する大きなショッピング街だ。グラフトン・ストリートが幅10mくらいの通りなら、 こちらは中央分離帯だけでもそれ位あり、全体では幅40mもある大きな通りだ。
この中央分離帯にダブリンゆかりの人物の彫像が並んでいる。
最初は ・ "Daniel O'Connell" カトリック解放運動の指導者 カトリック初のダブリン市長 1882年完成(写真右)
台座の4隅に勝利の女神 その上を取り巻く30以上のフィギュアは市民の象徴 John Henry Foley設計
1916年の蜂起と22年御内戦のときの銃弾痕がオコンネルの像や勝利の女神に残っているという
写真下左から ・ "William Smith O'brien" 青年アイルランド党(Young Irelander Movement)のリーダー 1929年移設
頭の上でカモメが羽を休めているのが愉快だ
・ "Sir John Gray" 政治家 新聞社主 ダブリンの上水道供給確立 シチリア大理石製 1879年完成
・ "James Larkin" 労働組合指導者 1913年"Dublin Lock-out"主唱者 1980年完成
当初、ラーキンの出生年を誤って”1876”として台座に刻み、”1874年”に訂正してある
写真下3枚の像に後ろに写っている塔は"Spire of Dublin" 2003年完成 公式名称は"Monument of Light"だそうだ。
ステンレス製で高さ121.2m、基部の直径3m、先端の直径15cmの円錐形。夜間は先端と基部がライトアップされる。
写真上右 ・ "James Joyce" "Spire of Dublin"の足元をNorth Earl Streetに曲がったところに飄々とした姿で立っている。
タイトルは"The Prick with the Stick " 1922年完成
ダブリン子に人気が高く、台座に座り続ける人が多く全身の撮影ができなかった。
写真右 ・ "Charles Stewart Parnell" アイルランド自治運動の指導者 農地改革推進 、“王冠なき国王”と称された
オコンネル・ストリートの北の終わりに立つ高さ17.4mのオベリスクを従えた像 1911年完成
この通りでは素敵なデザインの時計も幾つか見つけた。写真下左から
・ "Eason's Clock" アイルランド全土に60以上の店を持つ本屋さんチェーンの時計
・ "Cleary's Clock" 老舗の デパートの時計 "Under Clerys' Clock"と呼ばれ待ち合わせの場所となっているという
・ "The McDowell's Happy Ring House Clock" 宝石店の時計 創業1870年を誇る
・ "General Post Office" 中央郵便局の時計
このアナログが街の景観にアクセントを加えている。調べてみるとこんな時計もあったのだ。
見逃してしまった。これも次の楽しみとしよう。
オコンネル・ストリートで最も有名な建物が中央郵便局(General Post Office)だ(写真下左2枚)。1818年に完成した後期ジョージ王朝様式建築だという。
ギリシャ様式の6本柱の前廊(Greek Hexastyle Portico)が重厚な雰囲気をかもし出す。
1916年のイースター蜂起の時には蜂起軍の司令部として使われたためイギリス軍の攻撃を受け破壊され、1929年に修復されたが、
その時の銃弾痕が柱に残っているというので探してみたが良く分からない。中は高い天井でひんやりしていた。記念に絵葉書を求める。
オコンネル・ストリートは歩道に各1列、中央分離帯に2列の街路樹が並び整然としている。North Earl Streetは街灯には大きなハンギングが掛かり、
歩道には同じ草花を使った背の高いコンテナが立ち並ぶ(写真下右から2枚目、上ジョイスの彫像の背景)。美しい通りだ。
記念公園 ムーア・ストリート ヘンリーストリート ハーフペニー橋 テンプルバー ギネスストアーハウス
Garden of Remembrance Moore Street Henry Street Ha'penny Bridge Temple Bar Guinness Storehouse
“王冠なき国王”パーネルのオベリスクから北へParnell Square Eastを進むと左手に"Abbey Presbyterian Church"が見えてくる(写真上右)。
1864年建築の長老派教会だ。ゴシック式尖塔が美しい。
その手前左側に記念公園がある。1916年のイースター蜂起で命を捧げた人々を記念して蜂起50周年の1966年に造られた。
中央のプールは十字架の形をしている。プールの底にはゴシックで武器の絵が描かれている。
古代ケルトの習慣で”戦いが終わると武器を川や湖に投げ入れ神に返した”ことから、平和への願いを込めて描かれたものだ。
Google地図で見ると十字架の形が良く分かる。右上にゴシックの教会も見える。
十字架の上の部分は高くなっており"Children of Lir"というタイトルのスクラプチャーがある(写真下左)。
”海の神リー(Lir)の3人の子供は、まま母の嫉妬心から魔法で白鳥に変えられ、900年間を湖で過ごさなければならなかった。
900年が経過し聖職者により魔法は解けたが、高齢のため死んでしまった。”というアイルランドの伝説をモチーフにしている。
プールの周りはベンチで囲まれており、大勢の市民が静かに憩っている。私たちも暫し休憩する。
一息ついて再び散策だ。オコンネル・ストリートの1本西側のムーア・ストリートに行くと沢山の露天が出ている。
果物・野菜の店が多いが、魚屋や花屋も見受けられる(写真上右2枚、下左2枚)。果物も野菜も完熟しているから色艶が良く美味そうだ。
値段も極めてリーズナブルだ。イチゴやブルーベリーに思わず手が出そうだが、買っても食べるチャンスがないことは経験済みなのだ。無駄にするのは勿体無い。
続いてヘンリーストリートを歩く。ここもショッピングストリートだ。東を望むとスパイアが見える(写真下右)。
孫娘に着せたい洋服が並んでいる。しかし、娘はこの手のものを着せたがらないのだ。もう少しカジュアルなものを探そう。
ストリートミュージシャンが何組もいる。その1組の演奏が気に入り、暫し立ち聞く。トランペットがとても良い音色だ。CDを1枚10ユーロで販売しているので
1枚求めると「3枚セットで20ユーロだ」と言うので3枚求めることにした。"Summertime"というグループだ。演奏中の写真を撮り損ねた。
ヘンリー・ストリートを左折しリフィー・ストリートを南下するとリフィー川に出る。ここに架かる歩道橋がハーフペニー橋(Ha'penny Bridge)だ(写真下左)。
1816年の完成同時は通行料として半ペニーを徴収したことからそう呼ばれるという。
後に1.5ペニーになったのでペニー ・ハーフペニー橋(Penny Ha'penny Bridge)と呼ばれたが、正式名称はリフィー橋(Liffey Bridge)なのだ。
このロマンチックな橋を渡りダブリン随一の繁華街テンプルバーに入る。
ハーフペニー橋の階段を下りると突き当りが"Merchant's Arch"だ(写真下左から2枚目)。1821年に建てられた"Merchant Guild Hall"で現在は
"Bar & Restaurant"として飲食店が入っている。その右脇の通路がいわゆる"Merchant's Arch"で川からテンプルバーへの小路で盛んに人が行き交う。
狭い小路の両脇の"Bar"(アイルランドでは"Pub"と呼ばないようだ)からは音楽が漏れてくる。この界隈では平日でも昼から生演奏があるのだ。
小路の最初の通りを右に曲がると直ぐ右側が有名な"The Quay's Bar"だ(写真上右2枚、下左)。
各国の国旗をはためかせ昼過ぎというのに人の出入りが盛んだ。それにつけてもこの繁華振りには驚き、こちらの気分も浮き浮きしてくる。
その先の一角にも人だかりが見える。行ってみるとここがテンプルバーの中の"The Temple Bar"だ(写真下右3枚)。
真っ赤な壁が鮮烈だ。壁面のハンギングバスケットもこれでもかと言うくらい沢山ぶら下がっている。ワクワクドキドキ、シャッターを押し捲る。
今夜は何としてもこの界隈をぶらつき、生演奏のアイリッシュ・ミュージックに浸りたい。
検索済みのアイルランド伝統料理店"Shack Restaurant"は"The Temple Bar"と道1本隔てた隣にあった(写真下左)。
店内はランチ客でごった返している。入り口で暫く待つと、お客さんかと思える私服の男性が「どこでも空いてる席で待ってください」と言う。
「今夜のディナーの予約をしたい」と伝えると「何時が良い」と言うので「8時に2名」と応える。
「7時以降の予約は受け付けていないが、その時刻に店に来てくれれば、そう長くは待たせない」とのことだ。
お客さんかと思ったが、どうやら店のスタッフだったようだ。とにかく8時に来てみることにしよう。
もう少しぶらついていると人だかりがあり大きな声が聞こえる。行ってみるとどうやら屋外ステージでミュージカルが始まるようだ。
幾重にも人が取り巻いている(写真右)。ここは"Meeting House Square"という
屋根がパラソルのように折り畳みできる屋外ステージなのだ。暫し観賞するが、全てを観るに時間はない。
ダブリンの街をゆっくり散策予定ではあるが、近郊に2ヶ所ほど行きたいところもある。これまでの散策が順調に行ったので、
この後お楽しみのギネスストアーハウスを訪れて街の散策をお仕舞いにすれば間に合いそうだ。
タクシーを拾うために大通りDame Streetに出る途中に"Wall of Fame"の前を回って行く(写真下左から2枚目)。
名誉の殿堂"Hall of Fame"をもじったものだ。アイルランドの人気のミュージシャン12名の写真が飾られている。
時間節約のためDame Streetでタクシーを拾う。"Christchurch Cathedral"を右手に見ながら7年前、この道をひたすら歩いたことを思い出す。
あの時はまだナビ子ちゃんもなく、ヒューストン駅でタクシーの運転手に聞いたシティーセンターからは遙かに遠い駐車場に車を止めてしまったのだ。
あの時にはタクシーに乗ることすら思い浮かばず唯々歩いたものだ。
ギネスストアハウスで飲むギネスが殊のほか美味しいとの情報だ。
”出来立てを工場直送だから美味しい”、”生ビールは移動したら味が落ちる”等々、かまびすしく述べられている。そうと聞いたら外すわけには行かない。
地階のホールに入るとチケットを求める人の行列だ。ここはビールの製造工程などを展示している博物館なのだ。だから入場料はシニアで13ユーロだ。
料金の中にギネスビール1パイントの試飲が出来るチケットが入っているのだ。
1階から5階まで色々展示してあるが、さして興味もないし時間もないのでスルーして階段を登る。6階に辿り着くとレストランがある。
試飲券を出すと「それは上だ」と言う。更に階段を2つ登り8階に辿り着く。ここが"Gravity Bar"だ。大きな円形カウンターにビールサーバーが
ずらりと並んでいる。それでも客がいっぱいで順番を待つ。ようやくストアハウスのギネスにありつけたが、席がない。
仕方なく人込みの中で立ち飲みする。間違いなく美味い。暫くするとスタンド・テーブルが空いた。ここに落ち着きダブリンの街を見下ろしながらギネスを楽しむ
(写真上右)。360度のパノラマは確かに美しい。特にウイックローの方角が美しい(写真下左2枚)。窓に書かれた説明に頷く。
帰りも急ぎ足で階段を下りる。1階のショップもパスとしたが、1759年創業からのギネスビールの瓶の展示だけ眺めた(写真下右から2枚目)。その数に驚く。
ギネスの大きな看板前で記念撮影もしておく。"Gravity Bar"は”ダブリンで一番高い場所でギネスを飲める場所”といわれるが、ギネス1パイントのための入場料は
”この旅で飲んだ一番高いギネス”でもあった。それもこちらの勝手な都合であるし、それで満足しているのだが。
グラフトン・ストリート 再び Grafton Street Again
タクシーに「グラフトン・ストリートの入り口まで」と指示するとトリニティーカレッジの前で降ろされた。
グラフトン・ストリートに入るといきなりパフォーマーがいた。梯子に乗ってボールやリングを使ってジャグリングを見せる。
ジャグリングの技は驚くほどではないが、トークで盛んに笑わせている(悲しいかな私は笑えない)。
最後は火の点いたトーチのジャグリングで締めたがまあこんなものかといったところだ(写真下左)。
時刻は15時、バスカーズも沢山繰り出している。このバンドの演奏もなかなか気に入った。CDを買おうか迷ったが、旅にはまだ先がある。
コインを投げ入れて先に進む。
露天の花屋の後ろに"Celtic Cart"と称してアクセサリー店が出ている(写真右)。この女性の手作りだという。
友人へのお土産にペンダントとピアスを求める。2つ買ったのでサービスしてくれた。
4人組のパフォーマーは飛んだり跳ねたりアクロバティックな技を見せる。ここでもつなぎに盛んにトークで笑わせる。
日本式のお辞儀などしてみせる。最後はお客さんを3人並べて、その上を宙返りして跳び越してみせた(写真下右から2枚目)。
変わった楽器を使っての演奏(写真下右)やハープの演奏のバスカーズも興味深いが、そろそろリミットだ。
パワーズコート・ハウス & ガーデン Powerscourt House & Gardens
できれば行っておきたいとところの一つ目はパワーズコート・ハウスだ。
7年前に訪れた時、イタリアン・ガーデンの壮麗さとウォールド・ガーデンの良くコントロールされたボーダー・ガーデンが強く印象に残っている。
パワーズコート・ハウスはその歴史を800年前に遡る。13世紀にはここに"Le Power Family"のお城が建っており、ここに"Powerscourt"の名前が由来している。
1603年にRichard Wingfieldがエリザベス女王から下賜され"Wingfield Family"の所有となる。
現在の建物は初代パワーズコート子爵により1741年に完成したものが基礎で、1787年と19世紀に増築されているという(写真右)。
ガーデンの基礎も1741年ハウス完成時に始まる。1841年第6代子爵はハウスの前のテラス・ガーデンの設計を建築家ダニエル ・ロバートソンに命ずる。
ロバートソンは痛風を患っていたので一輪車に乗り、1本のシェリー酒で痛みを紛らしながら事業を指揮したという。
それ故、シェリー酒がなくなった時が1日の仕事の終わりであったという。のんびりした時代だ。
しかし、1844年に第6代子爵が亡くなり事業は中断し、第7代子爵によって1958年に再開され、ロバートソンのデザインに他の造園家のプランを加え完成したのが
この広壮なイタリアン・ガーデンなのだ。私のカメラのアングルではこの広壮なガーデンを収め切れないのでホープページの写真をご覧いただこう(写真上)。
その壮麗さがお分かりだろう。
上の写真の中央下のテラスは床がモザイク模様になっている。アイアンのフェンスと相俟って瀟洒で典雅な雰囲気だ(写真下左)。
両脇からテラスを下る階段もモザイク模様が施され優雅な気分で下りていく。踊り場からハウスを振り返る(写真下左から2枚目)。
上の写真の中央部の左右に広がるシンメトリーなフォーマルガーデンは唯々美しい。ため息が漏れる(写真下右2枚)。但し、芝生は"Keep Out"だ。
上の写真に写っていない手前のテラス(グランドレベル)の階段の下り口の両側に厳めしい大理石像が立っている。
ギリシア神話の"Apollo Belvedere"(写真下左)と"Diane Chasseresse"(写真下左から2枚目)だ。
第6代・7代の子爵がヨーロッパに旅行した際に集めたものの一つだという。芸術家に依頼して作らせたものもある。
写真右の"Fame & Victory"はその一つだ。
グランドレベルの像が全て大理石なのに対し、モザイク模様のテラスから下はブロンズの像になる。
アイアンのフェンスの両脇は愛らしい子供のブロンズ像が立っている(写真下中2枚)。そして階段の手摺の各所にはブロンズ製のコンテナがあり、
スイートアリッサムが芳香と共にあふれ出している(写真下右2枚)。沢山あるのにデザインが全て異なるのだ。
噴水も幾つかある。水のある風景は良い。モザイクのテラスの一段下のテラスの噴水"The Sundial Fountain"だ。中央の長方形部分が日時計だ。
その上にアポロの頭部の彫刻がある。男の口から水が噴出しているのは余りぞっとしないが・・・。
テラスの先にあるトリトン湖の畔にペガサスの像が一対立っている。優雅にして華麗な姿だ。晴れていれば後ろに"Sugar Loaf Mountain"も見えるのだが。
トリトン湖の噴水は裸の青年が掲げるほら貝から水が噴出している。強い風に煽られ水が横に流されている(写真下右から2枚目)。
手前の湖畔の白い花はアジサイ、水面は睡蓮に覆われている。
写真下右は"The Dolphin Pond"。7代子爵が19世紀末にパリから運んだものだ。元の池は1740年の"Fish Pond"で、それを改造したものだという。
イルカの口から盛大に水が噴出している。 興味があれば”Googleマップのストリートビュ”で
バーチャル・ツアーも面白いかもしれない。矢印をクリックするとその方向に進むことができる。
その他色々な機能がある。お試しあれ。
トリトン湖の右湖畔を進み、右方向に歩くと"Pet's Cemetery"がある。歴代のウィングフィールド家のペットの墓だ。ペットの墓としてはアイルランド最大という。
斜面にゆったりとした間隔で墓石が並んでいる。ペットといっても犬や猫といった小動物だけでなく、牛や馬も含まれている。幸せなペット達だ。
そこから北に進路を取ると"The Dolphin Pond"に突き当たる。池を回り込んで進むとお洒落なアイアンゲート"The English Gate"があり(写真右)
ウォールド・ガーデンの入り口だ。1873年にイギリスからもってこられたものだ。このゲートの上部にバラ、アザミ、シャムロックのモチーフ見られる。
いわずもがな、それはイングランド 、スコットランドとアイルランドの国花だ(拡大写真で確認できる)。
ウォールド・ガーデンは嘗て野菜と果物をハウスに提供したキッチン・ガーデンで最も古くからのガーデンだ。
大きさは170m×110mもあり、南部分が110m四方の正方形で中央の通路の両脇がボーダーガーデンになっている。
ボーダーの幅は5m以上あり、後ろはイチイの生垣だ(写真上左)。植栽は7代子爵婦人によるもので、ビビットな部分とシックな部分に植え分けられている。
7代子爵は「選び抜いた草花や潅木を植栽し、それらが年々育成し美しくなるのを見るのは私の人生の最大の楽しみの一つである」と言ったという。
誠にその通りだ。
写真上左から2枚目 手前左右がアスチルベの赤と白、後ろの赤はクロコスミア、右の褐色の葉に黄色の花はリシマキア。
同右から2枚目はパープルがアカンサ、藤色はトリカブト。同右の銀葉に黄色の花はバーバスカム。
写真上左は手前がペルシカリア、後ろがルリタマアザミ。同左から2枚目は左からフロックス、クロコスミア、エリンジウム。
同右から2枚目の左の黄色の花はアルケミラモリスだ。(全て妻のお見立てだが・・・)
宿根草とシュラブの組み合わせだが、背丈や花色・葉色とその形・質感など見事に計算されていると感心する。
同右の噴水は"Mermaid Fountain"だ。人魚の吹くラッパから水が吹き出ている。池は楕円で長軸が10m、短軸が7mほどの小さな池だ。
パワーズコート卿がロンドンで見つけたもので"Difficult to Find"といわれるほど高品質なものだという。
2つ目のアイアン製の美しいゲート(写真上左)を潜ると北の部分はエバーグリーンの芝生が広がり、
正面の温室の前を含め四方の壁際にバラが植栽さたローズ・ガーデンだ。
このアイアンゲートは”ベネチア門(Venetian Gate)”と呼ばれ、1900年にベネチアで造られたものだ。幅が広く両開きの立派なものだ。
芝の広場には写真下左のような素晴らしい配色の植え込みが4つ並んでいる。綺麗に刈り込んだ広葉樹も整然と並んでいる。
温室前のバラの前の花壇ではダリアが今正に満開だ(写真下中2枚)。さすがのバラもこのダリアの華やかさには敵わないといったところだ。
ローズ・ガーデン北西の角にある ”バンベルク 門(Bamberg Gate)”と呼ばれドイツのバンベルク大聖堂の門をコピーしたゲートのデザインが面白い(写真上右)。
中央の部分が遠近法で奥行きを感じさせるデザインだ。実際にゲートの先には木立に挟まれたロングウォークが伸びているのだが、
それと見事に重なって、より長いロングウォーク見える。ゲートは240年前のものだというが、ゲートが先か、ガーデン・デザインが先か、興味あるところだ。
ここにはもう一つのアイアンゲートがある。ウォールド・ガーデンの北東のイタリアン・ガーデンへの出入り口にある。
”コーラス門(The Chorus Gate)”と呼ばれ、17世紀のドイツの門のコピーだという(写真右)。トランペットを吹奏する人の顔のフォルムが沢山付いている。
そろそろクローズドの時間だ。ハウス前を通過してイタリアンガーデンを見下ろしながら東の隅の"Tower Valley"まで歩く。
このタワーは子爵のダイニングの胡椒入れをモデルにしたことから"The Pepperpot Tower"と呼ばれるとHPに述べているが、話がうますぎる。
確かにペッパーミルはこんな形をしているが・・・(写真下右)。
ハウスの方角で鐘が鳴り出した。閉門を告げる鐘だろう。スケールの大きなガーデンを十分楽しんだ。ここまででお暇としよう。
サリー・ギャップ Sally Gap
旅の準備の中でこの旅の訪問地がロケ地の映画を2本見た。”静かなる男(The Quiet Man)”と”P.S.アイラヴユー(PS, I Love You)”だ。
”P.S.アイラヴユー”のストリーは「脳腫瘍により亡くなった夫を忘れることができず生活が荒れていく主人公の30歳の誕生日に、
亡くなった夫からカセットテープのメッセージと贈り物が届く。テープは本人の声で「今後いろんな方法で僕からの手紙が届くからそれに従うんだよ」と告げる。
手紙は生前の夫が自分亡き後の妻を想って書きためた物で、身近なある協力者からこっそり届けられる仕掛けだ。
泣く泣く諦めて次の目的地に向かう。映画では上の橋を渡ると直ぐにもう一つの橋を渡るのだが、その橋は実際には20kmも離れたところにあるのだ。
実は、その橋の場所も苦労して見つけ出してあるのだ。
そこに向かって走り出したはずなのに右手に美しい湖が見えた。ひょっとするとテイ湖ではないか? 地図を確認すると間違いない。
どうやら霧の中で錯覚して方向を間違えたようだ。テイ湖は7年前はもっと深い霧の中だったが、今日は美しい湖の形が見える(写真下左)。
白い砂浜と緑の中にぽつんと見えるガゼボがロマンチックだ(写真下左から2枚目)。ここは別名ギネス湖(Guinness Lake)と呼ばれ、
この地域はあのビールのギネス家のエステートだったのだ。白い砂は運び込まれたものだというから驚きだ。この辺りの山はヒースが咲き始めている(写真下右から2枚目)。
黄色と紫が鮮かなインパクトを与える。晴れていればもっと美しいことだろう。しかし、これも道を間違えた怪我の功名、幸運としよう。
その橋はR759を北上し、バリーズマッタン(Ballysmuttan)村の手前に架かる"Ballysmuttan Bridge"だ(写真下右)。1848年に出来たものだという。
下を流れる川はあのダブリンの街の真ん中をを流れていたリフィー川だ。このあたりが源流近くのようだ。
映画に出てきた橋は写真右だ。私の写真とどこか少し違う。よく見比べると橋げたが1つ増えているのだ。映画の公開が2007年なのだが、
橋は2008年の洪水で写真の手前の部分の土台が流されてしまったのだ。修理では川幅を広げ、橋桁を一つ増やしたのだ。
この橋には洪水にまつわる悲しいエピソードが幾つもあるようだ。
”P.S.アイラヴユー”のロケ地はこの近くで他にもあるのだが、時間が来た。テンプルバーのネオンが呼んでいる。宿に引き上げることにしよう。
このロケ地に関して散々調べつくした終わりの頃にこんなに便利なサイトが見つかったのだ。Googleマップの
"PS I Love You locations"だ。
”花と英国”の読者だけにそっと教えよう。
テンプルバー Temple Bar
B&Bの部屋で少し休憩し、タクシーを呼んでもらいテンプルバーに向かう。テンプルバーの中心地辺りで下ろされたらしい。
地図を頼りに歩き始めるとレストランの外のモニュメントに人だかりがある。”ゴガティとジョイスの像(Gogarty & Joyce Statue)”だ(写真下左から2枚目)。
いわずとしれたジョイスとはユリシーズ(Ulysses)の作者ジェームス・ジョイスだ。医師であり作家であるオリバー・セント・ジョン・ゴガティとは友人であったのだが、
ゴガティ家のMartello Tower in Sandycoveに滞在したとき仲たがいをしてしまう。この事件に着想を得て、ジョイスはユリシーズの第一章で、
スティーヴン・ディーダラス(ジョイスがモデル)がバック・マリガン(ゴガティがモデル)と口論するシーンを描いているのだという。
座っているのがゴガティで立っているのがジョイスだろう。これはまだ二人が友人の時代のシーンなのだろう。
歩いていくと椰子をモチーフにしたと思われるベンチが見つかる(写真下左)。お約束の一休み。
お目当てのShack Restaurantは大変な賑わいだが席は直ぐに空いた。隣との間隔も狭く喧騒の中だが、それが雰囲気を盛り上げる。
オーダーはアイルランドの伝統料理の
・ "Bacon & Cabbage" Loin of Bacon, Traditionally Cooked, Served with Buttered Cabbage and Parsley Sauce と
・ "Steak & Guinness Casserole" Tender Beef cooked with onion and mushroom in a rich Guinness sauce, served with baby boiled potatoes にする。
ギネスのハーフパイントを1杯飲み終わる頃に料理が運ばれてきた。車の心配がないからワインに切り替え心置きなく楽しめる。
"Bacon & Cabbage"はほど良い塩加減のジューシーなベーコンが美味い。ベーコン&キャベツというがキャベツの姿はない。
バターの濃厚なソースになっているのだ。パセリも欠かせないレシピだ。付け合せは茹でたジャガイモ、にんじんとピーだ。
"Steak & Guinness Casserole"はキャセロールのフタを開けるどきどき感からご馳走だ。開けてびっくり茶色1色だ。ひたすらビーフなのだが、
テンダーだから脂が少なく食べやすい。良く煮込んであるので柔らかい。タマネギとマッシュルームとギネスのソースがまた絶品だ。
付け合せは茹でたベビーポテト。アイルランドの主食のジャガイモだけに美味しい。食もワインも進む。とはいえ全部は食べきれない量だ。
この店はダブリン在住でアイルランド政府公認ナショナル・ツアーガイドの
ナオコさんのブログで紹介されている所為か日本人の姿もちらほら見える。
隣にいたのも現地在住の語学留学学校の関係者らしいのだが、留学生らしき女性を相手に鼻持ちならないしゃべり方をしている。
お陰で食事の味が落ちたかもしれない。それにも拘らずこの店は美味しい。値段もリーズナブルだ。
後の楽しみがあるので1時間ほどで切り上げる。隣は"Temple Bar"だ(写真下左2枚)。煌々と照らされ、人が激しく出入りしている。
飲み物を持った客が外にもあふれ出している。しかし、音楽の音は聞こえてこない。狭間なのだろう。
歩き出すと賑やかな音楽が聞こえてくる。外からも演奏しているのが見える。店に入ったが、妻がついてこない。この音楽は好みでないという。
その先は先ほどの”ゴガティとジョイスの像”があった"Oliver St John Gogarty Bar"だ(写真右)。ここの音楽は気に入ったというので入る。
ギターとバイオリンの男女の演奏だ(写真下右から2枚目)。ごっただえす中、カウンターに進みギネスを2つゲット。
立ち見をしていると一つ席が空いた。妻を座らせると、近くの席の客がテーブルの下の隠れていたイスを引き出し、妻の隣に座れるようにしてくれた。
感謝を述べて遠慮なく座る。アイルランド人の親切は親日の表れでもあるのだと思う。地元の人やフランスからの観光客などと賑やかに過ごす(写真下右)。
1時間ほど楽しんだところで演奏者が変わるようだ。次はどんな演奏か気にはなるが、時間も時間だ。旅の先は長い、今日はここまで。
B&Bに戻りちょろちょろシャワーを浴びる。ここの悪いところはシャワーの湯量が少ないことだ。旅を始めた2000年代最初の頃はそんなこともあったが、
ここ数年は出くわしたことがなかった。なんだか懐かしい気もする。そんなことが言えるのも真夏だからそんなに寒いと感じないで済むからだろう。
ナイトキャップを楽しみ、眠りに就く。
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