2013年の旅 アイルランド 南部・東部

花花

第6日 8月5日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。

今日の行程        Garnish House --- Blarney Castle --- Cork市内(Queen's Old Castle, Opera House,
                Butter Exchange, Church of St. Anne's Shandon) --- Fota House, Arboretum & Gardens ---
                Cobh市内(Heritage Centre, Cathedral, Barrack Ball Roll) --- Kinsale市内 --- Garnish House
今日の走行距離     125 km
今日の万歩計       30,200 歩
出発時の外気温     17 ℃

ガーニッシュ・ハウス  Garnish House

ガーニッシュ・ハウスの最初の朝だ。昨日は着くなり食事に出て、 帰着したのはどっぷりと暮れてからだから気が付かなかったが、大きなB&Bだ。
写真下右の左のグリーンの建物が本館で、私達の部屋はその右のグリーンの建物の1階だ。他にも近隣に幾つかの建物があり、 合計32室があるという。朝食のダイニングは本館1階と私達の建物の1階の1部にまで及んでいる。こんな大きなB&Bは 今まで経験したことがない。
8時にダイニングに行くと既に大勢のお客さんでごった返している。幸い窓際の席が取れた。様々な種類のコールド・ミールが並んでいるが、 大好きなグレープフルーツと洋ナシのコンポートをたっぷりのヨーグルトと共にいただく。紅茶もミルクも大きなポットでたっぷり出される。 パンも各種がバスケットに山盛りだ。お陰でテーブルが狭くなる。ホット・ミールは”フルアイリッシュ”。最初の朝はこれで決まり。 ここのはハッシュドポテトが付いている。左の隅の丸いものには全く記憶がない。 玉子は2つ、ベーコンカリカリ、ソーセージパキッ、トマト濃縮、全てに熱が入り過ぎの感があるが、これはこれでいける。

Garnish House Garnish House Garnish House Garnish House

ブラーニー城  Blarney Castle

9時過ぎにはB&Bを出発、10分余りでブラーニー城に到着した。 今日もスケジュール満載だから9時オープンはありがたい。
エントランスから花が一杯で良い印象だ(写真下左2枚)。先が楽しみになる。レセプションを通り抜けると広大な緑の中に、 青い空を背景に城やタワーが美しい。心が高揚してくる。自然に早足になり妻に叱られる。この旅は”ゆったり”がキーワードだ。
通路を挟んで両脇の芝の中に桜の並木がある。その木の幹が毛糸の編み物で包まれている。鮮やかな色合いで縞模様や花柄などが描かれている(写真下右2枚)。 日本庭園などで見られる”こも巻き”でもあるまいし、面白いことを考えるものだ。
帰国後調べてみると"Yarn Bombing"あるいは"Graffiti Knitting"という新しいタイプの芸術のようだ。ブラーニー城の"Yarn Bombing"については ここが詳しい。 木に限らず なんでも包んでしまうもののようだ。暖かそうなアートだ。
あるサイトでは"Tree Cosies"と表現していたが、言い得て妙だ。"Cosies"はティー・コージー(ティーポットの保温カバー)のことだ。為念。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

ブラーニー城はマンスター地方の首領マッカーシー家(MacCarthy)の砦として10世紀に木造の城から始まり、1210年には石の城になり、 現在の城は1446年にダーモット ・マッカーシーによって建てられたものだという。
伝説ではマッカーシー家は1314年のバノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn)でロバート1世・スコットランド王(Robert the Bruce)に援軍を送り勝利に貢献したことから、 ロバート1世から感謝の印にスコットランド王の即位式に使われた"Stone of Scone(Stone of Destiny)"の半分を贈られたという。(年表と照らすと矛盾があるが、伝説とはそうしたものだろう)
その石は1446年にブラーニー城の城館(Keep)の最上階25mのところにに組み込まれ、ブラーニー・ストーン(Blarney Stone)と呼ばれる。 このブラーニー・ストーンにキスをすると雄弁になれる(Gift of the Gab, Gift of eloquence)という伝説があるのだ。
その謂れは以下の通りだ。”1600年頃、エリザベス1世はアイルランド各地の首領に対し、戦なしに城を明け渡すよう使者を出したが、 ブラーニー城の城主コーマック ・マッカーシーは雄弁さとお世辞でやんわりとかわし、降伏せずに女王に忠誠を誓い自治権を護り、使者を追い返してしまったのだ。
この報告を受けたエリザベス1世は苛立って「McCarthy was giving her "a lot of Blarney"」と宣言したという。 このことから"Blarney"という単語が”不快感を与えることなくだます”とか”柔らかい話で静める”という意味合いの”お世辞を言う”という単語になったのだそうだ。
伝説や文学や詩歌、楽曲に長けたアイルランド人の面目躍如といったところだ。そんなところからブラーニー・ストーンにキスをすると雄弁になれると言われるようになったのだという。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

今さら”雄弁”になりたいとは思はないし、高所恐怖症の私だが、ここはチャレンジせずには済まされない。狭い螺旋階段を上るが、客が多く遅々として進まない。牛歩の如しだ。 アメリカ人の団体さんに紛れ込んでしまったため、私たちを挟んで階段の上と下で大声で会話をするのがやかましい。(そんなあなた達が、これ以上雄弁になってどうするの? と言いたい。) そこで後ろの女性群に先を譲ったのが運の尽き、以降アメリカ女性の大きなお尻に圧迫されながら狭い階段を上ることになる。 最初はこんな風に手摺も付いていたが、上の方にいくと更に狭くなり 手摺の代わりにロープになる。その上、踏み面(階段の幅)は磨り減っているし 狭いのでかかとはいつも浮いたままよじ登る状態だ。
ようやく城館の屋上に到達。屋根は落ちているから城壁の上を一回りできるのだが、ブラーニー・ストーンまでは、まだまだ行列は続く。 適度に白い雲を浮かべた青空の下、緑が広がり素晴らしい見晴らしだ。周囲は森というよりよく管理された樹木の庭といった感じに整備されている(写真下左から2枚目)。 その中に1874年に建てられ、現在もオーナーが住んでいるブラーニー・ハウスがゴシックリバイバル様式の瀟洒な姿を見せる(写真上右、下右)。
写真上左3枚と下左は地上からの撮影だ。ブラーニー・ストーンの場所は写真下左の左面の最上部の張出し狭間(石落とし)の外壁だ。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

”ブラーニー・ストーンにキスをする”といってもこれが楽ではないのだ。嘗ては下左のイラストのように足首を確保してもらい城壁の上から逆さまに吊るされて 張出し狭間の外側から石にキスをしたのだ。それでも当時から掴まるべき取っ手は付いていたようだ。
後に安全を考慮して(ということは、事故があったということだ)狭間の内側に転落防止の設備をして内側からキスをするようになったのだ。
下左から2枚目の写真は1880年のもので内側からトライしている様子が分かる。しかし、まだ”忍び返し”は付いていないから、 外側からトライする人もいて、相変わらず事故があったのかもしれない。また、屋根は落ちているから内側も危険なのだが、手摺がないのだ。
かくして、右から2枚目の1897年の写真では忍び返しが付いて、外側からのキスができないようになっている。内側の手摺も付けられた。 右は1900年の写真だ。こんな写真がネット上には他にも幾つも見つかる。ネット・サーフィンは面白い。
当時こんな酔狂な遊びができるのは上流階級の紳士・淑女に限っていたのだろう。紳士はスーツにハット、淑女はドレス姿だ。
ブラーニー・ストーンにキスをした有名人にはSir Winston Churchill、Mick Jagger、Milton Hershey、Laurel and Hardyなど、そうそうたる雄弁家が並んでいる。
”鰯の頭も信心から”、信ずるものは救われる。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

下右の写真の右側の一番上の窓の上部の空が抜けて見える部分、ここがキスの現場だ。どうするかというと、先ず城壁の上に仰向けに寝そべる。 係員に助けられ、体を狭間の隙間に乗り出し、壁に付いている取っ手に掴まり、上体を海老反りにして1m(そのくらいに感じられたが、実はせいぜい50cmか?) 下にある石に逆さまでキスするのだ。下左3枚の写真で分かるように転落防止の設備はあるし、係員が掴まえていてくれるのだが、これがなかなかに恐ろしいことなのだ。
写真を撮ろうにも城のカメラマンが良い位置を占めているからアングルがない。大変な賑わいで行列ができているから、流れ作業であっという間に終わってしまったから、 良い写真が撮れない(写真下左)。かくして、帰りに売店で城のカメラマンが撮影した写真を求めることになる。1枚10ユーロ、決して安くない買い物だ(写真下中2枚)。 雄弁だけでなく、商売もお上手だ。
(以上のブラーニー・ストーンに係わる記述はいろいろなサイトの寄せ集めの情報に私の憶測も含んでいる。必ずしも正しいとはいえないだろう。 悪しからずご了解を。諸説あってとても興味深かった。)
さて、夢中でキスしたが、何か唇に違和感を感じる。ふと気になった。”観光客が次々にキスして衛生面は大丈夫だろうか?”と。 この日はディナーまで何度も唇を濡らしてはハンカチで拭いたものだ。これでは雄弁にはなれないだろう。
帰国してネットで調べると”年に何度か洗うから大丈夫”とか”アイルランドは雨が多いから大丈夫”とか出ている。悪いジョークだ。 ”年間40万人の観光客がキスするので石は口紅だらけだ”とも載っている。確かに下左の写真でもキスする部分の石の色が変わっている。 売店にはこんなものも売っている。 "Just a joke"というところだろう。 一方、トリップアドバイザー09年"Top 5 Germiest World Attractions" の栄えある第1位に堂々輝いたという悪い記事も見つかった。 日本語なら「『不衛生な観光スポット』トップ5」を。私の懸念も外れではない。
また、"Top 7 places to share a romantic kiss" というランキングでも2位に入っている。見方を変えればロマンチックなキスなのだ。
2008年にはブラーニー・ストーンが偽者だとする説が浮上したというが、この愉快な伝説を覆すこともあるまい。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

城の南にある"Stable Yard"の南面に中央の80mのバラのパーゴラを挟んで90mのダブルボーダーが延びている。
パーゴラはまだ新しいようだ。植えられているのは白の"City of York"とピンクの"Francoise Juranville"ということだが、花数が少ない。 ストレートな通路だが、草花が迫り出して良い感じの曲線が生まれている(写真下左2枚)。
Stableの壁面にはクレマチスが這い、背の高い夏の草花が茂っている。こちらも良い感じだ(写真下中)。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

ボーダーのカラーコンセプトはブルーのようだ(写真上右から2枚目、下左3枚)。植物の組み合わせはとても参考になる。
隣の芝生の中に幾つかのオーナメントが置かれている。緑に白が映える。柳のトンネルにカラフルな布のポンポンが取り付けてある(写真下右)。 "Yarn Bombing"の一つの形だろうか? 妖精が踊り出しそうな楽しさがある。"Tree Cosies"と表現したサイトではこれを"Tree Pompoms"と言っている。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

この城にはもう一つ石にまつわる名物がある。"Rock Close"という岩と妖精とドルイド教と自然が織り成すロマンチックにしてミステリアスな空間だ。
森の中を進んでいくと最初に目に入った奇妙な形の木は"Witch's Kitchen"と呼ばれる洞窟のある岩の上に生えている(写真下左)。 その洞窟では夜な夜な魔女が料理をしているとか。その下にリーフグラスのロックガーデンがある(写真下左から2枚目)。手入れが行き届いている。

Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle Blarney Castle

"The Witch Stone"が立っている。鼻の形がいかにも魔女だ(写真下左)。反対側からの顔はよりリアルだ。(拡大写真でどうぞ)
続いて現れたのが"Wishing Steps"という岩のトンネルだ。この岩の階段を目を瞑り、願い事を唱えながら、 後ろ向きに上り下りすると願いは1年以内に叶うということだ。妻の願い事は5年後くらいに叶えば嬉しいことだ(写真下左から2枚目)。
"Wishing Steps"の岩から滝が流れ落ちている(写真中)。滝壺から何やら湧き上がっているようだ。(拡大写真でどうぞ)
次は"Dolmen"、大きな石だ。続いて"Druid's Circle"、苔むし、羊歯が生えている(写真2段上右)。正に古代のストーン・サークルだ。

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"Sacrificial Altar"と呼ばれるテーブルのような大きな岩がある(写真下左)。”生贄の祭壇”だ。ここでドルイド教の儀式が行われたのだろう。
次に入ったのが"Fairy Glade"と呼ばれる森だ。"Tarantula Tree"と名付けられた木がいかにも毒蜘蛛タランチュラに見えて不気味だ(写真下左から2枚目)。 苔むした岩の間に妖精が潜んでいそうに見える(写真下右から2枚目)。所々に置かれた木彫りの小さな椅子の上には妖精へのお供えだろうか?  コインが置いてある(写真上右、下右)。先例に倣い私たちもコインを1枚ずつ供える。
まだまだ見所はありそうだが、妻が"Wishing Steps"で再訪を願ったからきっとまた来られるだろう。今日のところはここまでとしよう。

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コーク街歩き  Cork Town Walk (Queen's Old Castle, Opera House, Butter Exchange)

次はコークの街歩きだ。コークはダブリンに次ぐアイルランド第2の都市だ。グランド・パレード通りにあるパーキングをナビ子ちゃんに指示、スムーズに駐車する。 出てきた所はグランド・パレード通りではなくオリバー・プランケット・ストリートだ。こんなところが大きな都市の怖さだ。 手持ちの地図で現在地を確認し、グランド・パレード通りに戻る。
その交差点の真ん中に噴水が見える。"The Berwick Fountain"だ(写真下左)。 1860年に当時の名判事ベーウィックを顕彰して造られたものだ。なかなかお洒落なデザインだ。後ろのクレーン車のアームように見えるのは街灯だ。これもお洒落なデザインだ。
グランド・パレード通りにもう一つモニュメントがある。 "The National Monument"だ(写真下左から2枚目)。 1906年の聖パトリック・デーに除幕されたという。"The monument commemorates the rebellions of 1798 , 1803 , 1848 and 1867"だという。 1798は”アイルランドの反乱”を、1803年は”ロバート・エメットの蜂起”を、1848年は”青年アイルランダーの反乱”を、1867年は”フェニアン団の反乱”を指す。 いずれも反乱は失敗に終わっている。(各反乱の指導者はダブリンのセント・スティブンス・グリーンとオコンネル・ストリートの彫像で登場した) こうしてみるとアイルランドの歴史はイギリスからの独立運動の歴史に他ならないと言えるかもしれない。
さあコーク街歩きのお楽しみのイングリッシュ・マーケットに遣ってきたが、ゲートが閉まっている(写真下中)。 オープンは月曜から土曜の8時からのはずだ。訳が分からずまごついていたが、ふと思い出す。8月第1月曜日は”オーガスト・バンク・ホリデー”だったと。 これはショックだが、今夜にも明朝の訪問を検討することにして街歩きを再開する。道理でブラーニー城が混んでいた訳だ。

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グランド・パレード通りを北に進み、セント・パトリックス・ストリートへと変わる曲がり角左に "Queen's Old Castle"の白く美しい姿が見える(写真下左)。 紛らわしいことに"King's Castle"が刑務所、裁判所を経て1835年頃に"Queen's Old Castle Department"というデパートに建て替えられたのだという。 ここには女王はいなかったのだ。現在はショッピングセンターだ。バンク・ホリデーなのでショップも休業が多い。
次に行き当たったのがゴシック様式の Saint Peter and Paul's Church、1866年の建設だという(写真上右から2枚目)。 更に北上するとリー川(River Lee)にぶつかる。河畔を西に進むと橋の袂に"Opera House" のモダンな建物が見える(写真下左から2枚目)。
橋を渡って北岸に移る。2つのタワーが見える(写真下右から2枚目)。中央が"Saint Mary's Dominican Church"、 右上が"Church of St. Anne's Shandon"だ。ドミニカン教会はゴチックタワーの下の川岸にも6本のイオニア風ポーチコのある教会がある(写真上右)。
18世紀末から20世紀始めにかけてコークのバターはスペインやオランダで人気があり、遠くはケリーの農家もコークのマーケットに売りに来て賑わったのだという。 その取引所が "Butter Exchange"だ(写真下右)。 隣には"Cork Butter Museum"もある。確かにバターに限らずアイルランドの乳製品は美味しい。

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コーク街歩き  Cork Town Walk (Church of St. Anne's Shandon)

バター取引所から聖アン教会(Church of St. Anne's)の特徴的な時計塔が見られる(写真下左)。 タワーの天辺の風見鶏がサケの形をして金色に輝いている(写真下左から2枚目)。タワーの眼下を流れるリー川のサケの恵を表している。
1722年に建てられたものだ。2種類の石が使われている。"Shandon Castle"から持ってきた赤い砂岩と"Franciscan Abbey"から持ってきた白い石灰岩だ。 南、西から見ると白いが(写真下左2枚)、北、東から見ると赤いのだ。別の教会に見える。

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Blarney Castle

妻のコーク街歩きのお楽しみの一つがこの教会の有名な"The Bells of Shandon"で音楽を奏でることだ。ベルは8つあり、最も重いのは1.5トン以上だという。 そのベルは音階になっている。、写真右のように紐に番号が付いているのでマニュアルの番号通りに紐を引くと 力が上階に伝わって(写真上中)、タワーの上のベル(写真上右から2枚目)からコークの街に音楽が流れる仕組みだ。 観光客がベルを鳴らすために列を作っている。お気の毒にタワー周辺の住民は一日中、余り上等ではない音楽を聞かされているのだ。 (動画を " YouTube" にアップロード)
タワーの展望台へ行くにはベルの下を通ることになる。その際には耳を保護するためにヘッドフォンをしなければいけないのだ(写真上右)。 タワーの高さは50m。展望台は35mだが高台にあるから見晴らしは最高だ(写真下)。
アイルランド第2の都市といっても人口12万(我が小金井市と一緒だ)だから、街の郊外は直ぐそこに緑豊かに広がっている。(我が町と違う)

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直ぐ北に聖メアリー&聖アン大聖堂が見える(写真上右)。 1808年の創建でタワーは80mの高さだ(写真下右)。
礼拝堂のステンドグラスが美しい。写真下左は”キリストの変容(Transfiguration)”というタイトルだ。明日6日がその祭日に当たるという。
写真下右から2枚目のタイトルは”聖ルカの治療(St. Luke's Healing)”、まだ新しいのだろう、モダンなデザインだ。聖路加病院を思い浮かべる。

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フォタ・ハウス、森林公園 &ガーデン  Fota House, Arboretum & Gardens

コーク湾(Cork Harbour)には幾つかの島がある。港湾の最も北の位置に2番目に大きい島フォタ島(Fota Island)がある。 この島にフォタ・ハウス、森林公園 &ガーデンがある。 19世紀前半に造られたものだ。ここにはフォタ野生動物公園(Fota Wildlife Park)も 併設されており、バンクホリデーということでパーキングは満杯だ。最も奥のオーバーフロー・パーキングに車を止めて、 人の流れに沿ってエントランスらしき場所を目指す。これが間違いの元だった。人の流れは野生動物公園に向かっていたのだ。
さて、それから放浪の旅が始まる。広大な森林公園をフォタ・ハウスを求めて彷徨う。標識は少ないし、時折行き交う人に訊ねはするが、 網の目のように走る散策路では「この方向よ」くらいしか教えようがないのだ。良く整備された森林公園だが、楽しんでいる暇がない。 全くの迷子状態に写真すら撮る余裕もない。すったもんだで、ようやく辿り着いたガーデンは「本日は14時よりオープン」と出ている。 後のスケジュールを考えるとそれまで待ってはいられない。泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目、傷口に塩、ダブルパンチ、 アンラッキーこのくらいで諦めよう。
硬く閉ざした門扉からさぞかし素晴らしそうなガーデンが見える(写真右から2枚目)。逃がした魚は大きい、ビッグフィッシュ。
白亜のハウスは70以上の部屋があるそうだ(写真右)。写真左は森林公園内の池。植栽が素晴らしい。左から2枚目はハウス周辺の整形式ガーデン。

Fota Gardens Fota Gardens Fota Gardens Fota Gardens

コーヴ街歩き  Cobh Town Walk (Heritage Centre, Cathedral, Barrack Ball Roll)

コーク湾で最も大きな島が"Great Island"だ。その南部にコーブの街がある。タイタニック最後の寄港地として、アメリカへの移民の港として有名だが、 私達のコーブのお目当ては"Barrack Ball Roll"というイベントだ。坂の多い港町であるコーヴで最も急な坂を6000個ものカラフルなボールを 転がすというイベントだ。そのボールは観客が2ユーロのチャリティーで求め、自分の求めたボールが先着4位までに入れば賞金が出るというお楽しみ付きだ。
そのイベントが毎年8月第1月曜日に開催され、私達のスケジュールと合致したのは正に神のお導き(実は無宗教だが・・・)、訪れねばならない。 イベント会場の"West View"通りに最も近い大聖堂裏のパーキングに車を止める。14時30分、West View通りに遣ってくると歩道に小さな机を出して ボランティアと思しき女性が二人座っている。そこがボールを求める場所のようだ。実際にボールを渡されるのではなく、A3用紙に沢山の升目があり、 そこに数字が記載されている。好きな番号のところに自分の名前とモバイルフォンの番号を記入せよとのことだ。そして、自分のボールが4位以内に ゴールすれば、モバイルフォンに連絡が入るというシステムだ。6000ものボールの分だから用紙は何枚も用意されている。今時珍しいアナログのシステムだ。
そのWest View通りの坂が下の写真だ。笑っちゃう程の急坂(Dizzying Hillsと表現しているサイトがあった)に同じデザインのカラフルな家が 階段のように並んでいる。全部で23軒あり、通称"Deck of Cards"と呼ばれるらしい。 綺麗に扇形に開いたトランプに見えなくもない。嬉しくてワクワクしてくる。
14時30分から"Big Ball Uphill Challenge"なる”大きなボールを3人のリレーで転がして駆け上がる”(小学校の運動会の大球転がし)イベントが開かれるはずなのだが、 まだ準備ができていないようだ。係員が急ぐ様子もなく作業している。暫く待ってみたが始まりそうにない。先に市内観光しよう。
写真下右はBall Rollのゴールとなるコーヴ図書館のアーチ門。この図書館には後述のこの街に絡む2つの沈没船の資料も豊富だという。

Cobh Cobh Cobh Cobh

図書館のアーチ門の前に立つのが"Lusitania Memorial"だ(写真下左)。1915年にニューヨークからリバプールに向かい キンセール沖を航行していた英国籍の客船ルシタニア号がドイツ海軍の潜水艦の魚雷により沈没し、1198名の犠牲者が出た。その慰霊碑だ。 生存者は761名に過ぎなかったという。上に犠牲者を慰霊する女神像、下にその生存者の憔悴し切った姿の像だ。正直なところ不気味でさえある。
しかし、街はビビットな花で飾られ、建物もカラフルに塗られ明るく開放的な雰囲気に満ちている(写真下左から2枚目)。
街角のアイスクリーム屋さんで”ジャンボコーン”を求め、歩道に出されたテーブルで楽しむ(写真中 左下にジャンボコーンを入れてみた)。 ルシタニア・メモリアルの向こうに大聖堂の尖塔が見える。
タイタニック号は1912年の処女航海の北大西洋上で氷山に接触し沈没、犠牲者1513名という当時世界最悪の海難事故に合う。生存者は711名だったという (犠牲者、生存者の数については諸説あるようだ)。そのタイタニック号の最後の寄港地となったコーヴにはタイタニック号に関する様々なモニュメントがあり、 その一つが"Titanic Memorial"だ(写真下右から2枚目)。タイタニック号最後の生存者であるミルビナ・ディーン(Millvina Dean)さんにより2000年に除幕されたものだという。 ミルビナ・ディーンさんは生後9ヶ月で事故に合った最年少の乗客で、2009年に97歳で亡くなっている。そして昨2012年が事故100年目であったのだ。
写真下右はヘリテージ・センターにあったタイタニック号の処女航海のポスター(レプリカ)だ。下から2行目に"Queens Town"とあるのはコーヴのことだ。 元はコーヴ(Cove))と呼ばれていたが、1849年にヴィクトリア女王の訪問を記念してクイーンズタウンと改名され、1922年のアイルランド自由国の誕生で アイルランド語の綴りに近いコーヴ(Cobh)に復元されたのだという。

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"Lusitania Memorial"の前でもボランティアの方が"Barrack Ball Roll"の受付をしていた。升目も大分埋まってきているようだ。 賞金は1位が500ユーロ、2位が300ユーロ、3位が200ユーロ、4位が100ユーロとなっている(写真下左)。 5000個で1万ユーロ、差し引き8900ユーロのプラスだ。その収益は医学研究機関に寄付される。宝くじより遥かに夢がある。
バンクホリデーで街は賑わっている。ヘリテージ・センターまでの海岸に公園がある。"John F. Kennedy Park"だ。 鮮やかな花色の花壇に目を瞠る(写真下右から2枚目)。1849年にヴィクトリア女王の訪問のために造られたという豪華な演奏壇 (Bandstand)がある(写真下右)。大砲も2門、海に向けて構えられている。

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ここからも大聖堂の尖塔が見える。前は穏やかな海、後ろは美しい街並み、360度どこを切っても絵になる(写真下左)。
変わったデザインの像がある。"The Navigator"だ(写真下左から2枚目)。ボート形のタブの中の男の手に小さな折り紙のボートが乗っている。 今は水が止まっているが、手から水が零れる噴水になっている。男はSt. Brendanという6世紀の修道士で水夫の守護神を表す。 脆弱な航海を紙のボートで表し、それを守護神が保護するデザインのようだ。上述の2つの沈没事故への追悼も込められているのかも知れない。
1845年から1950年の間にアイルランドから北アメリカへ600万人が移民したという。その内250万人がここコーヴから出発したのだ。 コーヴ・ヘリテージ・センター(Cobh Heritage Centre)の前に有名な”アニー・ムーア (Annie Moore)と兄弟の記念碑”が立っている(写真下中2枚)。1993年にメアリー・ロビンソン(Mary Robinson)大統領によって除幕されたものだ。
アニー(14歳)は弟アンソニー(9歳)とフィリップ(7歳)を連れて、先にニューヨークに移民している両親の元に向かおうとしているのだ。 アニーは心残すものがあるのか後を振り返り悲痛な表情をしている。アンソニーはアメリカへの希望を込めて乗り込む船を指差しているように見える。
1891年12月20日にコーヴ(当時はクイーンズタウン)を発ち、1892年1月1日この日からオープンしたニューヨーク 港エリス島の出入国管理ステーションに 登録された最初の移民となったのだ。アニーの15歳の誕生日だったという。3人はこの後無事に両親と再会したのだ。 ニューヨーク 港エリス島にもアニーの像があるという。 今やアイルランド移民の子孫は4000万人にもなったという。アニーも結婚し、11人の子供に恵まれたということだ。

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さて、そろそろ"Deck of Cards"に戻ろう。坂道の下方、"Deck of Cards"の家並みが始まる辺りの歩道に腰を下ろすに丁度良い段差がある。 そこに座って待つことにする。もう既に老若男女大勢並んで待っている(写真下左2枚)。大球転がしリレー"Big Ball Uphill Challenge"の 決勝は3時30分からとなっているが、一向に始まらない。係の人に聞いても要領を得ない。16時頃になってようやく始まった。 3組・3選手のリレーのようだ。第2走者とアンカーが坂を上ってくると盛大な拍手が沸く。 しっかりしたがたいのイケメンチームと可愛子ちゃんチーム(ユニフォームに"Beauty Chambers"と書いてある。美容師さんのチームか?)が 並んで上ってくるが、もう一組の男女混成チームはここまで歩くだけで遅れている。大丈夫かい?
スタートしたら案の定、イケメンチームがリードした。2番手は可愛子ちゃんチーム、混成チームの男の子は最下位だ(写真下右)。 2枚目の目の前の写真はズームバックが遅れてピンボケでお見せできない。3枚目は第2走者へのリレーが終わった後になってしまった(写真下右から2枚目)。

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大球転がしリレーが終わると写真下左の 坂の上に見える箱の中にボールを入れる作業が始まった様子が伺える。いよいよだ。
箱が開いてゲームが始まったようだ。坂の上の方から歓声が聞こえる。しかし、意外に球の転がりは遅いようだ。なかなか下に下りてこない。
1つ2つと通り過ぎる。”神様、私の球でありますように”と願う(実は無信心だが・・・)。と一気にカラフルなボールの波が押し寄せる(写真下左2枚)。 それが意外と長く続くのだ。路面は車のスリップ防止で凸凹しているからボールが大きく弾んで飛び跳ねるのが面白い。 その内に子供達は中に入ってボールをキャッチして投げたり蹴飛ばす子まで現れる。最後は大人も子供も入り乱れている(写真下右)。

Cobh Cobh Cobh Cobh

柵の隙間に挟まって留まってしまったボールもある(写真下左 ボールに番号が書いてあるのが良く分かる)。取り出して戻してやる。興奮の時間は15分位か、 見物客が坂から下りて来る。皆笑顔だ。モバイルフォンが鳴らないかと期待して暫く留まるが、うんともすんとも言わない。夢破れたようだ。
今年の"Barrack Ball Roll"の写真満載のページを紹介しておこう。 "Cobh Edition" さんのページだ。
聖コルマン大聖堂(St Colman's Cathedral)の前に 蒸気機関車型トレーラーバスが止まっていた(写真下右)。大聖堂には49個のベルからなるカリヨンがあるというが時間がない。 街歩きの最中に音は何度も聞いているからそれで良しとしよう。かねてリサーチのフォーカルポイントから大聖堂を1枚。 イベントの興奮から醒めた"Deck of Cards"を前景に、海と空を背景に美しい姿の大聖堂が撮れた(写真下右から2枚目)。大満足。

Cobh Cobh Cobh Cobh

Fery

次なる楽しみに向けてキンセール(Kinsale)のパーキングをナビ子ちゃんに指示する。一旦本土に戻るべくR624を海岸沿いに走る。 左手に美しい海が見える。(海と思っていたが、地図を見るとここはまだコークの街を流れていたリー川なのだ)   その内にナビ子ちゃんが「フェリーに乗ります」と言い出す。「そんな訳ないだろう。また壊れちゃったの?」 (ナビ子ちゃんには過去に何度か訳の分からない所に連れて行かれた経験ありなのだ)と無視して走っていると、左手川岸に車の列がある。 パーキングとは違う並び方だ。通り過ぎたもののなんとなく気になる。もしやと思いUターンして戻ってみると、丁度フェリーが入ってくるではないか。 信じられないが、ここはナビ子ちゃんの指示通りにしてみようと列に並ぶ。"Passage West Ferry"で200人の乗客と27台の車が載るという。 コーク市内の交通渋滞を回避するために設けられたものらしい。僅か5分足らずで対岸に到着した。小1時間の短縮になった。そこでナビ子ちゃんに寄り道を指示する。

キンセール・チャールズ砦  Kinsale Charles Fort

寄り道はチャールズ砦だ。 キンセールの南1km余りのバンドン 川 (River Bandon)の東岸に17世紀後半に築かれたもので、星型(Star-Shaped Fort)をしている。 函館の五稜郭を彷彿させる写真を見て時間が取れれば見たいと思ってやってきたが、閉まっているではないか。情報では18時までオープンのはずだ。 17時30分に到着したので「やれやれ間に合った」と思ったのに、"Last admission: 1 hour before closing"を見逃がしていたのだ。
やむなく外回りを歩いてみると確かに星型と分かる。しかし、写真にして見るとそれが表されていないのでサイトから借用した(写真下右)。
写真下左は砦への入り口、橋を落とせば敵の侵入は困難だ。左から2枚目は星型の尖った部分、大砲の攻撃にも難なく耐えられそうだ。 右から2枚目も星型の尖端と対岸にある"James Fort"(対岸右上の3つの点々)だ。 1602年に建設されたものだ。この地区には他にも要塞が幾つもある。それだけスペインなどの攻撃を受けてきたということだ。

Kinsale Kinsale Kinsale Kinsale

キンセール街歩き  Kinsale Town Walk

今日の最後のお楽しみはキンセールの有名なシーフードレストランでのディナーだ。予約は19時30分、まだ1時間半もある。
道路は車の大渋滞、裏通りは観光客で大賑わいのキンセールの街歩きを開始。その前に公衆トイレを借用。面白い場面に出くわす。 トイレの表示が女性は"MNA"で男性が"FIR"なのだ(写真下右)。最初にこちらに行ったのだが、 "FIR"を見て女性用と思い反対側に回ったら、"MNA"と女性の赤いアイコンがあって一瞬戸惑ってしまった。 アイルランド語ではこうなるのだ。渡愛予定の方はくれぐれもお気をつけを。
Tourist Officeの向かい側に"Methodist Church"がある(写真下左)。1873年に建設された小さな教会だ。教会の横の小路を進む。 カラフルな建物が立ち並ぶ。軒下の低い小さな店だが、ウィンドー・ディスプレイは目を惹きつける(写真下中2枚)。

Kinsale Kinsale Kinsale Kinsale

街角のディスプレイも海の碇とブイであったり(写真下左)、農機具であったり(写真下左から2枚目)多彩だ。 農機具のディスプレイの店は"Milk Market Cafe"、道路に出したテーブルまで客が溢れている。壁の 植物画も素晴らしい。
この一角が特にカラフルな店が多い。あきれ返るばかりの色合いだ(写真下右2枚)。鮮やかなオレンジに塗られた店は "Stone Mad Gallery"という装飾品店だ。正に"Mad"。 怖いもの見たさで入ってみた。狭い店内に超派手な色味、デザインのアクセサリーやファッションが並んでいる。 記念に何か求めるよう妻に話したが、とても手が出せないということでサンキュー・バイバイする。 入り口のコンテナやハンギングバスケットもビビッドな色合いだ。

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"Main Street"を歩く。ここもカラフルなお店が多い。古い建物をペンキを塗り重ねて大切に使っている。
写真下左の店は複雑な形の三叉路の角にあるのだが、壁や屋根の形まで道路のカーブに合わせてあるし、 地面の傾斜も複雑で店の中はどうなっているのか気になる。パスタやさんのようだ。予約がなければ入って見たいほど興味をそそる。
写真下右から2枚目は情報収集でリストに上がった"Max's Wine Bar"だ。良さそうな店だ。

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フィッシィ・フィッシィ  Fishy Fishy

写真上右が今宵予約の"Fishy Fishy"、期待させる雰囲気だ。 予約なしの客が群がっているのも嬉しい。19時ジャスト、30分早いが入ってみよう。
マネージャーらしき男性に予約表を示すと「OK ジャストフューミニッツ」ということで席に着く。
キンセールはグルメ・タウンとして知られ、シーフードが豊富なのは港町キンセールならではとの情報だ。 数ある情報の中でも、シーフードといえばその名の通り”フィッシィ・フィッシィ”がナンバー1の評価と判断した。 この店の始まりは小さなデリカテッセンで、デリカテッセンの評判が上がり、次第に新鮮なシーフードを売りとする カフェ・レストランに発展したのだという。
さて、メニューはと見るとスターターもメインも7、8種類と多くはないが、いろんな魚の名前が並んでいる。Monkfish,、Salmon、White fish、Cod、 Yellow Fin Tuna、John Dory、Hake、Haddock、Smoked Salmon、Oysrer、Mussels、Shellfish、Lobster、Scampi、Prawn、Crab、Scallop などだ。 もちろん調理法も様々だ。迷った末、選んだメニューは
・ "Local Oyster on the Half Shell Six" Supplied by Jamic at Haven Shellfish, Oysterhaven
・ "Fishy Fish Pie" White fish, salmon and shellfish cooked in a cream sauce topped with herb breadcrumbs and mash
・ "Lobster Thermidor" Steamed Lobster out of the shell, finished with a mustard sauce and radish  の3種。ワインは白だ。

Kinsale Kinsale Kinsale Kinsale

スターターは迷わず生牡蠣で決まりだ。地元のOysterhavenで獲れたての生牡蠣だ。日本では“R”の付く月だけといわれるが、 イギリスやアイルランドでは夏もOKなのだ。小ぶりながら滋味豊かで芳醇だ。12個にすれば良かったかな・・・。
フィッシュパイはタラ、サケ、アサリなどが濃厚で滑らかなクリームソースとマッシュに包まれ、 カリカリのパン粉の香ばしさと相俟ってこれまた最高。ワインが進む。
ロブスター・テルミドールは普通はオーブン焼きだが、ここでは茹でただけのロブスターだ。これが塩加減が良くさっぱりしていながら旨味が溢れ出てくる。 マスタードとラディッシュのソースが良く合う。あまりにもおしくて食べるのに夢中でワインを忘れるくらいだ。
付け合せの生野菜、茹でたジャガイモ、パンも程々にいただいて大満足。生牡蠣6個で丁度良かったのだ。デザートはパスする。
店は非常にカジュアルな雰囲気で大賑わいだ。店の調度・装飾もシーフードの店に相応しく好印象だ。 この絵画はシリーズで飾ってある。気に入った。
店を出たのは20時30分、目の前のハーバーにはヨットのマストが林立している。豊かな光景だ。45分のドライブでB&B到着。 ランドリーも出来上がっており、ありがたいことだ。

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