第10日 8月9日(金) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Crystal Springs --- Ring of Dingle(Inch Strand, Minard Castle, Dunbeg Promontory Fort, Beehive Forts,
Slea Head, Coumenoole Beach, Three Sisters, Gallarus Oratory, Dingle) ---
Connor Pass --- Adare --- College Crest Guest House
今日の走行距離 313 km
今日の万歩計 18,400 歩
出発時の外気温 18 ℃
クリスタル・スプリングス Crystal Springs
楽しみな朝食の席に着く。ビュッフェ・テーブルからたっぷりのミックス・フレッシュフルーツとヨーグルト、オレンジジュースを取る。
ホット・ミールは数あるメニューの中から、妻は "Pancake (French style crepe with lemon syrup) and fruit" 、
私は "Smoked Salmon with Scrambled Eggs on Toast" をチョイスする。これが見事な盛り付けで登場した。思わず歓声をあげる。
食欲も弥増そうというものだ。パンケーキにフルーツはメニュー通りだが、スモーク・サーモンにもフルーツが盛り付けられ嬉しくなる。
味は言うまでもない。
次のキラーニー訪問時も迷わずここにすることだろう。
インテリアが素晴らしい。暖炉の上にもいろいろなものが乗っている。その割に雑然さがないのがセンスか?
写真下左は赤・白・ロゼのワインをグラスに注ぐ様が表現されている。愉快な発想だ。
左から2枚目のオブジェも楽しい発想だ。バイオリンが奏でるメロディーが聞こえてそうな気がする。
右から2枚目の枝垂れの木は柳か? 桜か? 、こんな木の下で憩いたいものだ。
右は廊下のシャンデリアだ。白い壁と天井に赤とピンクのバラが映える。
廊下の突き当たりのスペースのソファーの上に大きなゴリラのぬいぐるみが微笑みかける。
ここのオブジェは陶磁器製のもので統一されている。全体に乙女チックな雰囲気だ。ホステスのアイリーンの趣味なのだろう(写真上右)。
ディングル半島周遊(インチ・ストランド) Ring of Dingle (Inch Strand)
B&Bを9時15分にスタート、どのルートを通ったかは記憶にないが(なびこちゃん頼りの欠点だ)、50分でインチ・ストランドに着いた。
一昨日訪れたアイベラ半島のロスバイ・ストランド(Rossbeigh Strand)との位置関係は右の地図の通りだ。
Google地図
で見ると、より分かり易い。実に不思議な地形をしている。2つのストランドで隔てられた東が"Castlemain Harbour"、西側が"Dingle Bay"で大西洋に繋がっている。
朝から雲が厚く気温は20度に達していないが、パーキングはサーファー達の車で溢れている。写真下左の車はバイクも積んでいる。
サーフィンだけでなくサイクリングも楽しもうという算段だ。豊かなバカンスを楽しんでいる様子が窺える。
砂浜にはサーフィン・スクールの大型トレーラーが2台が店開きをしている。そのうち1台は小学生と思われる子供十数人の教室のようだ(写真下中2枚)。
ゴールデンサンド(golden sand)と呼ばれる非常に細かな砂はしっかりと締まっているので車が入っても砂に埋もれることはないのだろう。
私達が波打ち際まで歩いても足跡さえつかないくらいだ。その癖、砂浜には綺麗な風紋が広い範囲に見られるのが不思議だ(写真右、下左から2枚目)。
この砂浜が4.8km沖まで続いているのだが、先の方は霞んでよく見えない。映画「ライアンの娘(Ryan's Daughter)」のロケ地にもなったという。
また、ここは"the most beautiful place on earth"(by the National Geographic)とか"the top 100 destinations in the world"(by Trip Advisor)などと
高く評価されている。それにも関わらず、パーキングの前に小さなレストランが1軒あるだけだ。人の数に比べ静かな浜辺だ。
ディングル半島周遊(ミナード城) Ring of Dingle (Minard Castle)
R561はインチ・ストランドからしばらく海岸線を走る。スタートすると間もなく道端にトロピカルな植栽の家が有り撮影ストップ(写真下左)。
そしてR561は内陸部に入る。R561を離れ1車線のローカルロードを進む。道路脇から覆い被さるようにフクシアの自生が連続している。
北の方向を見やれば、なだらかな丘陵地に緑の牧草地が広がり、その先に山脈が連なる(写真下中2枚)。
道路が再び海岸線に出たところで廃城が目に飛び込んでくる。ミナード城だ。
嘗てアイルランド全土を支配したフィッツジェラルド(Fitzgerald)家の城で16世紀中頃に建てられたものだ(写真下右)。
そしてクロムウェルの侵略により破壊されたという。360年も前のことだ。それにしては良い形で残っている。
緩やかに湾曲した海岸のすぐ波打つ際に立つ残骸は哀愁を誘う。玉砂利というには大き過ぎる丸い石がゴロゴロと積み重なっている海岸は
今は穏やかだが、一旦荒れたら激しい波が打ち寄せることを窺わせる。
ディングル半島周遊(ダンベッグ砦) Ring of Dingle (Dunbeg Promontory Fort)
ミナード城からN86に出て西進すると間もなくディングル(Dingle)の街に入る。名前の通りディングル半島の中心の街だ。
厳密には、ここを起点に半島の西部を一回りする30マイル(48km)の周回コースを"Ring of Dingle"と呼ぶ。"Dingle Loop"とも呼ばれる。
ディングル半島には5000年以上の歴史があり、神秘と伝説に満ちた場所だ
リング・オブ・ディングルのドライブはリング・オブ・ケリーとは逆に時計回りが推奨されている。ディングルの街の観光は後の楽しみとして通過し、
R559を更に西進する。ミルタウン(Milltown)、ベントリー(ventry)などの小さな村をも通過し、ミナード城から45分で
ダンベッグ砦に着いた。
ダンベッグ砦はケルト以前の先史時代(鉄器時代)からの遺跡だ。1970年代に発掘調査され紀元前580年ころからの遺跡と確認されている。
現在残っているのは8、9世紀と10、11世紀のサイトだという。
ビジター・センターに車を止め、小さな料金所で入場料を払い、岬に向かって下りて行くと、石を積み上げた約幅5mの壁が現れる(写真上左3枚)。
壁のトンネルを潜り中に入ると直径十数メートル余りの円形の建物(Circular Beehive Hut)が建っている(写真上右)。面白いことに建物内部は正方形なのだ。
この砦は岬の30mの断崖の上に建てられたのだが(写真下左2枚)、使われなくなって1000年の歳月の波や風雨の侵食により石壁が海に落ちてしまったという。
その姿がこの写真で良く分かる。
”砦”と呼んでいるが、このサイトがどんな目的で使われたかは発掘調査でも明らかにできなかったようだ。ロマンがあって良い。
断崖の縁に野草のように咲いているのはシレネ・ユニフロラではないか(写真右)。羨ましいことだ。断崖には1条の滝が流れ落ちている(写真下左)。
岬への小道の脇の牧草地では羊がのんびり横たわってこちらを見ている(写真下右2枚)。
ディングル半島周遊(蜂の巣小屋) Ring of Dingle (Beehive Huts)
ダンベッグ砦から僅かに2kmほど西に進むとビーハイブ小屋がある。道路脇のパーキングに駐車し、丘に向かって登っていく。かなりの急坂だ。
振り向けば美しいディングル湾の海が見渡せる(写真右)。一番奥に突き出る岬がダンベッグ砦がある岬だろう。少し霞んでいるが心洗われる美しい光景だ。
この遺跡は紀元前2000年まで遡るという。11世紀まで住居として使われていたらしい。石を積み上げた壁(写真下右)で囲われた敷地の中に
幾つかの住居の廃墟がある(写真下左)。1つだけ原型を留めた住居がある(写真下左から2枚目)。蜂の巣の形をしていることから、
”蜂の巣小屋”と呼ばれる。中に入ると天井から日が射し込んでいる(写真下右から2枚目)。長い年月による風化の所為だろう。
この石積みの家の工法はドライ・ストーン(Dry-stone)と呼ばれる。石と石の間にモルタルを使わず、石の噛みあわせで積んでいく工法だ。
その上、雨水が入り込まないよう、石の向きを外に、そして下に向かって傾斜させて積んであるのだという。
先程のダンベッグ砦も同じ工法で造られている。昔の人の知恵に感心する。
ディングル半島周遊(スレア岬) Ring of Dingle (Slea Head)
蜂の巣小屋から10分余り西に進むとスレア岬に至る。アイルランド本土の最西端、ということはヨーロッパの最西端ということだ。
そんな場所なのにパーキングはない。1車線の道路のカーブの途中に車3台も止まれば満杯の路肩のスペースがあるだけだ。
うっかり通り過ぎてしまいUターンして戻る。運良く1台がスタートして、入れ替わりに駐車できる。
左方向を見るとアイベラ半島が霞んで見える。右手にはブラスケット諸島(Blasket Islands)が並んでいる。(写真下左)。
その間は大西洋の水平線だ。下を覗き込めば白波が岩に砕けている(写真下左から2枚目)。
道路を挟んで山側には有名な十字架が建っている(写真下右)。射し始めた陽光に眩しく輝いている。
映画”ライアンの娘”のプロローグはここスレア岬で撮影されたという。”主人公のロージーがスレア岬の突端で海を眺めていると、
突風が吹いて、ロージーが持っていたお気に入りの日傘がスレア岬の崖下に向かって飛ばされていく。”というシーンだ。
映画のポスターもこのシーンを使っている。
実際のシーンは下左から2枚目の写真と雰囲気が似ている。
正確には最西端は下右から2枚目の写真の手前に写っているダンモア岬(Dunmore Head)の突端だ。
そこからブラスケット諸島が連なるのだ。アメリカに最も近いということで、ブラスケット諸島のことを"Next Parish America"とも呼ぶそうだ。
1950年代に強制的に退去させられてから無人島になっているが、島へのクルーズがあるようだ。
ディングル半島周遊(カミーノール・ビーチ) Ring of Dingle (Coumenoole Beach)
ダンモア岬の付け根の険しい断崖(写真右)の下に美しい砂浜が広がっている。
その一つのカミーノール・ビーチを上から見ると若者たちが楽しそうに遊んでいる(写真下左)。私達も急坂の細い道を浜辺に下りてみる。
ここの砂もインチ・ストランドと同様に細かな砂で締まっている。波打ち際で写真を撮っていると若いカップルが「撮りましょうか?」
と声を掛けてくれる。お言葉に甘え(写真下左から2枚目)、お礼に二人の写真を撮ってあげる。
砂に字を書いて楽しんでいる若者がいる。私達もイニシアルを書いてみる。やがて大きな波が来て、綺麗に消し去って行く。
左手にアイルランド本土最西端のダンモア岬(写真下右から2枚目)、背後は大きな岩が聳え立っている(写真下右)。
今日は穏やかに晴れ上がって久しぶりに半袖で過ごせるが、嵐の日は波が岩山まで届くのだろう。この砂浜も”ライアンの娘”のロケ地だ。
ディングル半島周遊(三姉妹) Ring of Dingle (Three Sisters)
心地良いスラロームとアップダウンを繰り返しつつR559を北上する。左手の海と右手の山に挟まれた緑豊かな牧草地を走る快適ドライブだ。
カミーノール・ビーチから10分余り、上り坂を右にカーブし、登りきったところに素晴らしい光景が現れた。
海の向こうの岬に美しい似たような形をした山が3つ行儀良く並んでいる。名付けて”三姉妹”とは良く言ったものだ。
路肩に駐車して岩がゴロゴロ剥き出しになっている牧草地に入り、写真を撮る。
これは”ケスタ地形”といい、堅い地層と柔らかい地層が交互に堆積したものが、地殻変動などによって傾き、
柔らかい部分が早く侵食が進むためこのような地形なったものだ。いくら眺めても飽きない光景だ。
1927年に”スピリット・オブ・セントルイス”で初めて大西洋単独無着陸飛行に成功したリンドバーグ(Lindbergh)が
ニューヨークを発ってから初めて目にした陸地のランドマークが三姉妹だったという。
ディングル半島周遊(ガララス礼拝堂) Ring of Dingle (Gallarus Oratory)
ディングル半島周遊で最も有名なガララス礼拝堂に遣ってきた。
ビジター・センターを通り牧草地を200mほど歩く。通路の片側はフクシアの生垣だ。呆れるほど美しく沢山の花を着けている(写真下右)。
妻は落ちている花をピアスに引っ掛けて喜んでいる。フクシアは別名”女王様のイヤリング”なのだ。(写真は妻の肖像権の許可がおりないため掲載できない)
入口でチケットを確認されてサイトに入ると、なだらかな山を背景に円形の低い石壁に囲まれた石積みの建物が見える(写真下左)。
初期キリスト教時代の遺跡で6世紀から9世紀のものとも12世紀のものともいわれる。
近くの海岸の断崖の砂岩を切り出して積んだものだ。ダンベッグ砦や蜂の巣小屋と同じくモルタルを使わないドライ・ストーン工法だ。
しかし、ダンベッグ砦や蜂の巣小屋より明らかに進んだ技術に見える。ボートを逆さまにしたような形で精巧な石積みだ(写真右)。
建築当時のままで何の手も入れてないが、今でも雨水が内部に入ることはないという。
入口は高さ1.7m程だ(写真下左から2枚目)。中は奥行15フィート(4.5m)、幅10フィート(3m)、高さ4.5m。
「これが礼拝堂?」と思うほど小さな建物だ。入口の反対側の壁に小さな窓が切られているが、薄暗くひんやりする(写真下中)。
信仰心のない私だが、当時の修道士の慎ましく、厳しく、敬虔な修業の姿が偲ばれる。この窓をくぐり抜けて外に出ると身が清められるという伝説があるそうだ。
この建物は円形の蜂の巣小屋の礼拝堂から長方形の中世以降の教会の形への移行期にあるという。入口が西を向いているのは現在と同じだし、
東のエンドの窓はステンドグラスが填められたアプトへと移行していったのだろう。
礼拝堂の外の建物跡とみられる長方形の石を敷き詰めた部分の東のエンドに1m程の石が立っている(写真下右から2枚目)。
丸に十字の模様が彫ってある。これはケルト十字に似ているように思う。他にも模様や文字らしきものが刻まれているが、判読できない。
礼拝堂を背にして西の方角を見遣るとスマーウィック湾(Smerwick Harbour)の海面と岬の山々が美しい姿を見せている。心洗われる。
ディングル半島周遊(ディングル街歩き) Ring of Dingle (Dingle Town Walk)
ディングルの街に戻ってきた。ビジー な街だ。市内にパーキングスペースが見つからず、街外れの路上に止めて歩く。
まず目指すのはアイスクリーム屋だ。アイルランド一美味しいと評判のマーフィーズ(Murphy's)だ(写真下右)。
ダブリンとキラーニーにも店があったのだが、寄り損ねた。ディングルの本店で是が非でも評判のアイスクリームをいただきたい。
ストランド・ストリートの店までかなりの距離を歩いた。店はかなり混んでいる。順番が来て20種類(写真下左から2枚目)の中から
ラムレーズン(時には変わったものをと思いつつ、いつもこれになる)をオーダーすると、「大きさはどれにする?」と尋ねられる。大・中・小とある。
「スモール」と応えると「カップか? コーンか?」と返ってる。「コーン」と応えてようやくゲットだ。
スモールなのに結構な大きさだ。
美味しく食べている間に少し客足が減った。すかさず店員から「どこから来た?」とか「ディングル半島はどうだ?」とか質問される。
「写真を撮ってあげよう」と撮ってくれたのだが、ピントが甘い(写真下右から2枚目)。
ホームページによると"Flavours"の種類は日によって変わるようだ。現在の種類や発売予告、過去に作った種類などが記載されていて面白い。
"WORST FLAVOUR WE EVER MADE"は"Smoked Salmon Ice Cream (horrible)"ということだが、妻は喜びそうだ。
"BEST WEIRD FLAVOUR"は"Goat's Cheese and Caramelised Shallot"となっているが、試してみたい気もする。
ディングルの最大目的は達した。街をぶらつきながら戻る。いくつかの土産物屋に入ったが、欲しいものは見当たらない。
建物がカラフルで、なかなかにお洒落な雰囲気だ(写真下左2枚)。ディングル港の海沿いに歩いていくと広場で20人ほどが、
アコーディオンの伴奏で合唱している(写真右から2枚目)。アイリッシュ・フォークだと思うが、良くハモって声量も高く迫力ある合唱だ。
指揮の女性が踊るように動作が大きく、お尻を振ったりして笑わせる。地元の人のようには見受けられないので旅行者なのだろう。
何の目的で歌っているのか分からないが、楽しそうだ。
(動画を " YouTube" にアップロード)
ハープを奏でるバスカーズ(写真上右)やロバを連れた手風琴を弾くバスカーズ(写真下右から2枚目)などを楽しむ。
ハットと鍋にそれぞれコインを入れ写真を撮らせてもらう。
意味不明のモニュメント(写真下左)やレストランの看板(写真下左から2番目)、民家やショップのハンギングやフラワーボックスなど
一大観光地らしく整備された綺麗な街だ。
ディングルでもう一つの興味ある情報がある。"Half Door"という人気のシーフード・レストランだ。といっても、食事をしようというわけではない。
ハーフ・ドアーに興味があるのだ。ハーフ・ドアーとは、その昔、家畜を家の中で飼っていた時代のドアーで、
家畜が外に出ないよう、来客があった場合は上半分だけを開けて対応できるように工夫されたドアーだという。
車に戻って"John Street"に向かう。2往復してようやく見つけた(写真下右)。残念ながらドアーは上下共開いていた。雰囲気は分かった、満足。
ディングル半島周遊(コーナー・パス、ビューポイント) Ring of Dingle (Connor Pass, View Point)
さて、これからゴールウェイ(Galway)までのロングドライブ始まる。N86でトラリー(Tralee)を経由する道が最短だろうが、
コーナー・パス(The Conor Pass)という峠越えが、アイルランドで最も高い場所を走る山岳道路で悪路として有名だ。
狭くてカーブが多いので通行規制がされている。悪路好きとしてはこれを外す手はない。
ナンバリングされていないローカルロードを進む。しかし、期待した程の悪路でもない。道路整備が進んでいるのだ。20分余りで峠に到着する。
今来た南方向にディングルの街と湾が見える(写真右)。これから向かう北方向には幾つものカール湖とブランドン湾が見える(写真右下)。
素晴らしいスぺクタクルだ。お天気が今一つなのが残念だ。標高約400m、外気温は16度と涼しすぎる。
北に向かって下る道が左が深い谷、右がゴツゴツした岩山の狭く曲がりくねった道で楽しいドライブとなる。
谷底の湖、標高951mのブランドン山など美しいが脇見をしたら谷底に転落か岩に衝突だ。写真撮影ストップする場所もなく、一気に下り降りる。
06年にベラ半島とアイベラ半島、今年はアイベラ半島とディングル半島を巡った。3つの半島それぞれだが、
私には次々に移り変わる景色に感動の連続だったディングルがお気に入りとなった。
次の寄り道はアデア(Adare)だ。トラリー(Tralee)からN21に乗り、キャッスルフィールド(Castleisland)を過ぎた辺りのビューポイントを探す。
この旅の参考資料として司馬遼太郎の”愛蘭土紀行T、U(朝日文庫)"を読んだ。紀行Uにキャッスルフィールドが”城ヶ島”として登場する。
その郊外のN21から見た光景をいたく愛でている。司馬遼太郎が旅をしたのは1987年のことだからN21は当時とはルートが変わっているようだが、
旧道と新道が重なっていると思われる地点にパーキングがあることを”グーグルのストリートビュー”で確認してきたのだ。
パーキングから見る景色はディングルとはまた違う。盆地の底に小さな白いキャッスルフィールドの街があり、その向こうになだらかな丘が続く(写真右)。
司馬遼太郎はこの丘を”神様がひとつずつ丹念に撫でてつくったらしく撫で減りがしているほどに滑らかなのである”と表現している。
流石に大家の表現は美しい。その後ろの険しい山々は今朝発ってきたキラーニーの山脈だ。
キラーニーといえば司馬遼太郎もレディース・ビューの”レプラコーン横断注意”の標識について
”峠の妖精”という項で記述している。同行者が「20年ほど前の旅で『小人が通るから注意』という交通標識を見た」
と記述されているから46年も前の話だ。そんな昔からこのユーモア溢れる標識があったのが嬉しくなる。(標識を出しているレディース・ビューの土産物屋兼カフェで確認すると、
店は46年前からあるとのことだ。何とぴったんこコカンカンだ)
N21を北上する。アビーフィール(Abbeyfeale)を過ぎて暫く行った地点にもビューポイントのマークがある。ちょっと寄り道。
この圧倒的な緑は何ということだろう。”エメラルドの島(Emerald Isle)”と謳われるが、名に恥じない絶景だ。
司馬遼太郎の表現の通り撫で減りがして滑らかな丘が心を癒す。
アデア Adare
ようやくアデアに到着した。この村は19世紀前半にダンラバン伯爵(Earl of Dunraven)が
タウンハウス(Townhouses)建築の際に村の通りも整備し、藁葺きのコテージを賃貸したモノの1部が残ったもので、
19世紀前半の雰囲気を残していることから1976年に”アイルランドで最もかわいい村”コンテストで1番となった村だ。
しかし、06年の旅では有名になり過ぎ、観光客が押し寄せて観光化され過ぎたとの印象だった。
今回は別の目的があって立寄ったのだ。それは”ギネス風味のアイスクリーム”が絶品との情報があったからなのだ。
通りは今日も観光客で溢れ、駐車スペースがなかなか見つからない。行ったり来たりを繰り返し、ようやく駐車する。
今年の村の雰囲気は7年前の印象と変わっている。観光化は変わらないが、良く整備されていてすっきりとした印象だ。
サッチド・コテージのフロントヤードの植栽もとてもセンス良く、色彩も鮮やかで艶やかな白い壁に映える。まるで絵本かおとぎ話の世界だ(写真上下左3枚)。
田舎生まれの私には藁葺屋根に対する郷愁があるのだろう。大きなミルクの缶を乗せた真っ赤な荷車(写真下左)や青と白のツートンに塗られた手押しポンプ(
写真下右から2枚目)などのオーナメントにも郷愁をそそられる。
ウエディング・フォトを撮影中の公園(写真上右)の向かいのヘリテージ・センター(Adare Heritage Centre)に
お目当ての”ギネス風味のアイスクリーム”はあった。早速求めて賞味する。色は極めて薄い茶色だ(写真下右)。
ギネスビールの黒褐色を想像していたから拍子抜けだ。微かにギネスビールの甘苦味がする。絶品という程のものでもない。好奇心が満たされればそれでOKだ。
アデアには他にも幾つもの情報がある。また、ゴールウェイまでの道筋にも幾つもの付箋紙が貼付されているが、時間がない。
全てパスすることにして、リムリック(Limerick)を経由しM18、N18と睡魔と闘いつつゴールウェイ目指して北上、1時間20分で到着する。
ディングルからは4時間30分経過した。
ゴールウェイ 街歩き Galway Town Walk
18時40分、B&Bに到着した。ゴールウエイのB&Bもタウンセンターに徒歩で行ける範囲に選んだ。一大観光地であるし、
都市部ということで危惧していた通り、接客は横柄だ。それもやむを得ない。部屋に荷物を持ち込んだら休む間もなく街に出る。
徒歩10分程でケネディー記念公園(John F. Kennedy Memorial Park) に着いた。以前はエア・スクエア(Eyre Square)と呼ばれたが(今でもこの名の地図が多い)、
1963年にアメリカ大統領ジョン・F・ケネディーがゴールウェイを訪れこの場所で演説したことから1965年に記念公園と改名されたのだ。
ケネディーが演説した場所に記念碑が建っている(写真下左2枚)。フラワーボックスやハンギングもよく整備されている(写真下中)。
ショップ・ストリートを進むと彫像がある。"Statue of Oscar Wilde and Eduard Vilde"とある(写真右)。1999年に公開された
アイルランドの作家・オスカー・ワイルド(左側)とエストニアの作家E・ビルデ(右側)の像だ。面白いことに二人は同世代の作家だが、
実際に会ったことはないらしい。オリジナルの彫像はエストニアにあり、
エストニアのEU加盟を記念して2004年にコピーがゴールウェイに送られたという。
次の角にリンチ城(Lynch's Castle)が建っている。15世紀終わりから16世紀初めのものらしい。リンチ(私刑)の語源となったリンチ家の居城だ。
今はAIB(Allied Irish Bank)の”リンチ城支店”である。
ストリート・パフォーマーの姿も見られる(写真下右)。缶にコインを入れたら手招きされた。近寄ってみると笑顔でビー玉をくれた。
”幸運のビー玉”と名付けて大切にしている。
ゴールウェイ マクドーノフ Galway(Mc Donagh's)
ゴールウェイのレストラン情報はピンからキリまで数多く集まった。今夜は多くのサイトでゴールウェイ一番ともアイルランド一番とも評される
マクドーノフにする。シーフード料理もピカ一とのことだ。
店に入って左半分がフィッシュ&チップスのカウンターとテーブル。右半分がレストランとなっている。
入ると行列が2本出来ている。左はフィッシュ&チップスの列、右がレストランの行列だ。フィッシュ&チップスの列の方は進みが早いが、
レストランの方は遅々として進まない。
観察して見るとフィッシュ&チップスは魚の種類が8種類ある。チップスはレギュラーかラージ。サイド・オーダー(付け合せ)が9種類。
チキン料理が4種類、シーフード・プレート、他にもソーセージだのハギスなど多様なメニューが並んでいる(写真下左)。
カウンターでオーダーし、料理を受け取って店内のテーブルか店の外のテーブルでも食べられる(写真右上)。
大量にまとめてテイク・アウェイする人もいる。人間ウォッチングは楽しいものだ。
レストランの方はと見ると、50足らず? の席は行列から丸見えだ。それぞれに色々なものをいただいている。メニューの代わりになる。
牡蠣は外せない。6個にするか?、12個にしようか?。フィッシュ&チップスも外せない。魚は定番の鱈が良いかな?。
もう1品欲しいが何にしよう?、海の幸色々のシーフード・プラッターはどうだ?。ということで、待ち時間30分もさほど苦もなく過ぎる。
オーダーは ・ 6 Native Oysters ・ Traditional Fish & Chips ・ Seafood Salad Plate とする(写真下右3枚)。
飲み物は先ずはギネスを1パイントずつだ。アイルランドの牡蠣には”白ワインよりギネスが合う”との情報があったからだ。
これを行列の視線の真下でいただく。牡蠣は小さめだが身がプリプリして口に入れるとジュースがほとばしる。
”12個にしておけば良かった”といつも通りの軽い後悔をする。(これくらいが丁度良いのだ) なるほど、ギネスが合う。
フィッシュ&チップスは熱々にレモンとワインビネガーをたっぷり振り掛けていただく。衣はパリパリ、中はふっくらほろほろ、幾らでも頂ける。
出てきた時には”大きい!”と思ったのにいつの間にか平らげている。
チップスには”どうしてこの国のじゃがいもはこんなに美味しいのだ?”とつくづく思わされる。
シーフード・サラダ・プレートにはムール貝、サーモン、カニサラダ、エビサラダと生野菜がてんこ盛りだ。どれも新鮮で満足だ。
白ワインに替えて美味しくいただく。ほぼ完食する。これがまたリーズナブルなお値段なのだ。終わったらさっさと途切れることのない行列に席を譲ろう。
ゴールウェイ ティ・コーリィ Galway(Tig Coili)
ゴールウェイに来たらパブのアイリッシュ音楽を楽しまなければ。幾つかリストアップしてきたが、外から中が見えて何となく安心できたティ・コーリィに入る(写真右)。
ミュージシャンの入れ替えの時間のようだが、中はごった返している(写真下左)。カウンターと壁際に止まり木が幾つかあるだけでほとんどの客は立ち呑みだ。
そのスペースも真っ直ぐではない。曲がりくねって奥に続いている。
カウンターでギネスとオレンジジュース求め、1つだけ空いていた止まり木に妻を座らせ待つ(写真下左から2枚目)。ほどなく音楽が始まる。
ミュージシャンはアコーディオンとギターとバイオリンの3人だ。あのタンバリンのお化けのような楽器はない(写真下右)。
音楽が始まって音が外に聞こえるのだろう。客の入りが一層増してきた。立錐の余地もないとはこのことだ。
ミュージシャンに近い席が空く度に、押し合いへし合いしながらだんだん近い席に移る。その都度、別の客との交流がある。
ダブリンから来たという二人組の男性客やスペインからという10人程の男女のグループなどだ。グループの一人と話し始めると、
次々と仲間がやって来ては輪が広がる。音楽を聞きに来たんじゃなかったの? それがパブの音楽というものなのだろう。
飲んでしゃべって音楽を楽しむ。
かぶりつきの席まで移ったところで仲良しになったスパニッシュが帰る時間だと挨拶に来た。記念の写真を撮ろうと言う(写真下右から2枚目)。
「シー・ユー・アゲイン」と別れを告げる。
週末だから日付が変わるまで続くのだろうが、私たちは1時間ほど楽しんだところで限とする。帰りは安全のためタクシーにする。長い1日が終わる。
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