第9日 8月8日(木) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Gap of Dunloe Tours(Crystal Springs --Bus-- Ross Castle --Boat-- Lord Brandons Cottage --Jaunting Car--
The Gap of Dunlon -- Bus--Crystal Springs) --- Killarney市内 --- Ladies View --- Crystal Springs
今日の走行距離 48 km
今日の万歩計 17,800 歩
出発時の外気温 18 ℃
クリスタル・スプリングス Crystal Springs
クリスタル・スプリングスの第一夜が開けた。素晴らしいB&Bだ。 部屋は静かで清潔で良い眠りを得た。街にはちょっと遠いが素晴らしいロケーションにある。フレスク川(River Flesk)の神秘的な黒い流れの岸辺に白い瀟洒な建物が映える。 玄関ポーチがとてもロマンチックだ。上のバルコニーに立ってみたいものだ。玄関やシッティングルームの調度や内装も素晴らしい。しかし、今朝はゆっくりしていられない。
最初の朝はフルアイリッシュ・ブレックファストだ。ごくシンプルなものが出てきた。大好物のマッシュルームがないのが残念だが、 素材はそれぞれ満点で極めて美味しい。メニューはバラエティーに富んでいる。明日は何にしようか、今から楽しみだ。
今日はこの旅のお楽しみの一つ”ダンロー峡谷ツアー(Gap of Dunloe Tours)”の日だ。キラーニー国立公園をコーチ、ボート、馬車で周遊するツアーだ。
宿への送迎サービスがあるのだが、日本からネットで予約を入れた時点では、まだ宿を決めていなかった。そこで、昨日電話でB&Bの名前を連絡したところ、
「10時15分にクリスタル・スプリングスへ迎えに行くから表で待っているように」とのことだ。迎えに来るまでに済ませなければならないことがあるのだ。
クリスタル・スプリングスにはランドリー・サービスがない。代わりに街のクリーニング店を紹介してくれた。今朝出して夕方には受け取らないと着替えが不足する。
ホステスのアイリーン(Eileen)が教えてくれたクリーニング店は昨夜食事をしたハイストリートにある。後続車を気にしながらできるだけゆっくり進んだが、見つからない。
一方通行だから引き返すことはできない。大きく迂回してもう一度通るが、やはり見つからない。ツアーのピックアップの時間が気になる。
3度目は路上に駐車して歩いて探す。何のことはない。"Tru Care Dry Cleaners"と立派な看板が出た角の店だった。
先客が大量の洗濯物を預けている。重量で値段が決まるようだ。暫し待たされ、受け付けてもらう。夕方には出来上がるという。良かった、良かった。
ダンロー峡谷ツアー Gap of Dunloe Tours
ダンロー峡谷ツアーの業者は幾つかある。色々検討したが大きな差はないようだ。ネットで最初に情報を得た業者
"Gap of Dunloe & Lakes of Killarney Day Tours"に申し込んだ。
どうしても参加したいツアーだし、参加するとしたら日程的に今日しかない。天気によっては中止となるようだが、ホットバルーン(熱気球)と違って、
料金は当日現地払いなので無駄になることはない。宿を決める前に早々と予約した。
クリーニング店から戻り、玄関ポーチに出て待つが、約束の15分になっても迎えが来ない。昨日の電話は確かに通じたのだろうか?
不安とイライラに駆られる。(相当短気なのだ) 20分、クラクションと共にボンネットバスが現れた。窓枠は木で出来ているレトロなコーチだ。
先客は7名、2組のカップルと3人連れの若い女性だ。気持ちの良い挨拶で迎えられ乗り込む。
コーチはキラーニーの美しいカントリーサイドの小路を走り、立派なファームハウスに着いた。少し待たされ、恰幅の良い老夫婦が乗り込んだ。
ボンネットバスはサスペンションが悪く、小さな凸凹でも大きくバウンドする。その都度若い3人娘が喚声を上げる。
釣られて他の乗客も声を合わせる。運転手もわざと凸凹を選んでいる節がある。
ハイストリートのオフィスに着くと、そこに待っていた人が乗り込む。総勢17名満席になった。10時45分、いよいよスタートだ。
コーチはロス城(Ross Castle)に着いた(写真上左2枚)。業者のホームページのアニメでは反時計回りにコーチで"Kate Kearney's Cottage"に行き、
そこから馬車で"Gap of Dunloe"を越えて"Lord Brandon's Cottage"に行き、そして、ボートで3つの湖を繋いで"Ross Castle"に着き、
宿に送ってくれるツアーになっていたが、逆の時計回りの周遊になるようだ。
いざボートにと意気込んでいたら、「ここで1時間のフリータイム」ということだ。ロス城の見学時間を取ってくれたようだが、
15世紀の廃城であるロス城は内部はガイドツアーしかない。外回りを一巡し、湖畔を散策する。水鳥の数が半端でない(写真上右から2枚目)。
対岸の"Gap of Dunloe"の方角の雲が厚い(写真上右)。先程からパラパラし始めている。残念ながらお天気は期待できそうもない。
ロス城からの参加者もいるようだ。ツアー客の体格を見て2つのグループに分けられる。そして船頭に指示された席に乗り込む。
我々のボートには大人12人(定員らしい)が乗りスタート、もう12時になっている。ツアーは効率が悪い。
乗客は鮮やかなオレンジ色の救命胴衣を着けさせられる。救命浮き輪も完備しており不安はないが、お天気だけが心配だ(写真上左)。
この湖は3つの内の最も下にあり、最も大きい湖でレイン湖(Lough Leane)という。B&Bの横を流れていたフレスク川もこの湖に注ぐのだ。
ロス城がだんだん遠ざかり(写真上中2枚)、郷愁のようなものを覚える。湖面には優雅な白鳥の姿も見られる(写真上右)。
写真下左のボートのように、私達のボートも船頭の両脇に4人ずつが向かい合って座り、舳先の方に二人ずつが向かい合って座った。
私達は舳先の前向きの席で”一番良い席”だと喜んでいたら、湖の真ん中に出ると波が高くボートは大揺れ、波にぶつかる舳先から飛沫が飛ぶ(写真下左)。
上は防水のヤッケを着ているから大丈夫だが、下がいけない。向かいのドイツ人の新婚カップルは準備良くリュックからオーバーズボンを取り出し穿いた。
さすがドイツ人だ。準備周到だ。引き換え、私達のオーバーズボンは車のトランクの中だ。リュックにあったビニールシートを膝に掛けるが、焼け石に水だ。
後ろ向きのドイツ人より前向きの私達のほうが、もろに水を被ってしまうのだ。お陰でズボンはびしょびしょだ。船頭が「ヘイ! ジャパニーズ、こちらに来なさい」
と呼んでくれる。後ろの席には大きな赤いシートが用意してあり、皆で膝にかけて飛沫を避けることができたのだ(写真下右から2枚目)。
いよいよレイン湖から2つ目の湖、マックロス湖(Muckross Lake)に入る。18世紀半ばにできたという形の良い石橋(Brickeen Bridge 写真上右、下左)
を潜ればマックロス湖だ。橋の上から手を振る人に手を振って応える。ボートは湖の西の端を進むのでマックロス・ハウスの姿は見えない。
マックロス湖の湖畔は穏やかだ。ナショナル・パークの豊かな森が美しい(写真下中2枚)。ダンロー峡谷の山々は雲の中で姿を見せてくれないのが残念だ。
マックロス湖から最も上のアッパー湖(Upper Lake)までは"Long Range"と呼ばれる4km余りの曲がりくねった水路を行くことになる。
その"Long Range"がマックロス湖に入る水路とレイン湖に入る水路に別れる地点が"the Meeting of the Waters"と呼ばれる。(正確には"Parting of the Waters"なのだが・・・)
マックロス湖から"the Meeting of the Waters"に入る地点で水路は狭まり水深も浅くなり難所なのだ。船頭の指名を受けた3人(私も指名された)が、
ボートの舳先を浅瀬に突っ込んだ瞬間にボートの後部から舳先に移動してシーソーの要領で浅瀬を乗り越えるというのだ。
1度目は失敗し、一旦後退する。2度目は4人が船頭の合図で移動し、上手くいった。
"the Meeting of the Waters"の直ぐ上流の"Old Weir Bridge"(写真下右)を潜るのに水深が浅いため乗客は一旦ボートを下り川岸を歩くことになる。
この2連アーチの石橋は起源は定かでないが、1780年に半廃墟の記録があるというから、かなり古いものだ。
ボートに残ったのは5名で内一人は船頭の補助役を命ぜられた乗客なのだ(写真下左)。この辺りはとても神秘的な雰囲気が漂う。妖精が隠れ見守っているようだ。
再び乗船してスタート。始めにボートに赤ん坊の泣き声がした時には驚いた。プエルトリコから来たというカップルが、生後3ヶ月という乳児を連れていたのだ(写真下左から2枚目)。
レイン湖の大揺れの時にはシートの下に入れていたので、揺れと暗さが怖かったのだろう。今はどうやら落ち着いたようだ。
写真下左から2枚目の赤ちゃんの右側の二人がファームハウスから乗った老夫妻だ。キラーニーには何度も来ており、今回は奥さんの誕生日のお祝いの旅行だという。
ダンロー峡谷も今までは車で周遊していたが、前回岩に車をぶつけてしまったので、今回からはツアーにしたと言う。おっとりした旦那とちゃきちゃきした奥さんだ。
"Long Range"は流れも穏やかで眺望も素晴らしい(写真上右2枚、下左2枚)。しかし、1938年には増水の中、ボートが転覆し、
5人の観光客が亡くなったという。船外機の登場で安全性は格段意高くなったという。私も危険性は感じられなかった。
アッパー湖に入り更に穏やかになる。いくらか晴れてきたか、遠くの山も見え始めた(写真下左2枚)
ボートの上で立ち上がって体を動かす姿も見られるようになった(写真下右2枚)。1時間のボートの旅が終わろうとしている。
乗せられている青いバイクは一人旅の青年の物だ(写真下右)。ボートを下りると11kmのダンロー峡谷を越えるのだが、方法は3つある。
1つはウォーキングで追加料金なし、乗馬とジャンティングカー(馬車)は追加料金がいる。
青年はこのボートだけの客で後はバイクでサイクリングするのだ。船頭がダンロー峡谷越えの方法を訊ねる。ジャンティングカーに手を挙げたのは私達だけで、
残りは全員ウォーキングだという。老夫妻は足元が覚束ないと見えたが大丈夫だろうか? 人事ながら心配になる。
ボートを下りると"Lord Brandon's Cottage"がある。1700年代の狩猟小屋が始まりだという。昼時だから信じられないほど大勢の観光客でごった返している(写真下左)。
船頭にジャンティングカー乗り場を訊ねると御者を紹介してくれる。御者は「先に食事をしなさい。向こうで待っているから」と言って去ってしまう。
この先ダンロー峡谷には他に店がないから親切で言ってくれたのだろうが、私達は食事は必要ないし、お茶もいらない。
ジャンティングカーの溜まり場に向かう。コテージの敷地内にロバが2頭飼われている。その内の1頭がとても愛想が良く、愛嬌の良い顔をしている(写真下左から2枚目)。
まさかこの子が人を乗せて峡谷越えをするのではないだろう。乗馬はポニーか馬と聞いている。石橋を渡り、ゲートを潜るとジャンティングカーが沢山待っている。
その内の1台に乗ると、早速記念写真を撮ってくれる(写真下右から2枚目 拡大写真に石橋の写真あり)。目指せギャップ・オブ・ダンロー。
林を抜け、荒涼たる牧草地を行く(写真下左)。山登りは取り付き道が長いのだ。急な坂道を一気に登っていくと右手にアッパー湖が見える(写真下左から2枚目)。
小さな島を幾つも浮かべた湖だ。更に登ると後方彼方にガミーンダフ湖(Lough Gummeenduff)の姿も見える(写真下右から2枚目)。
この辺りがブラック・バレー(Black Valley)と呼ばれる地域だ。アイルランドでも最も未開の地で、電気が通ったのは1976年のことだという。
峠が見えてきた(写真下右)。ここからがギャップ・オブ・ダンローの真骨頂といえよう。時折ぱらついていた雨もすっかり上がったようだ。
馬には山を登ったご褒美として水を飲ませる(写真下左)。牛飲馬食と言うが、馬の飲みっぷりも良い。
峠から北を見遣ればV字谷が見える(写真下左から2枚目)。ギャップ・オブ・ダンローは西側(左側)のアイルランド一高い山"Carrauntoohill"(1032m)や
2番目に高い"Caher Mountain"(973m)を含む山脈"MacGillyduccy's Reeks"と東側(東側)の"Tomies Mountain"(735m)や"Shehy Mountain"(571m)を
含む山脈"The Purple Mountains"に挟まれた峡谷のことだ。あのV字を越えた向こう側までジャンティングを楽しめるのだ。
ここから九十九折の下り坂になる(写真下中2枚)。登りの胸突き八丁でもそうだったが、急な下りでも御者は馬車を降り手綱を持って歩くのだ。
急な登りや下りは馬にとっても怖いものなので、その不安を和らげるために寄り添ってやるのだという。ウォーカーや車と擦れ違う度に道を譲り譲られ、挨拶を交わし、
人を追い越し、車に抜かれる時も挨拶を交わしつつ谷底を暫く進むと橋が見えてきた(写真下右)。ネットは多くの情報が得られるが、必ずしも正しいとはいえない。
ギャップ・オブ・ダンローの橋で検索すると驚くほど情報が交錯している。ということで、この端の名前は”不詳”としておこう。
馬車の上からの撮影は動いているからシャッターチャンスを逃すこともあるし、ぶれてしまうこともあり難しい。
この橋の手前でも石橋を越えたのだが、撮り損ねた。道は再び上り坂となる。
ギャップ・オブ・ダンローには5つの湖があり、その湖はそれぞれロエ川(River Loe)で繋がっているのだ。 そしてその湖と川の畔を縫うように細い道が走っている。道は時に川の右を時に左をと石橋を渡って岸を代える。 最初に見えてきた湖は"Black Lough"だ(写真下左から2枚目)。この湖はアッパー湖に注ぎ込むようだ。 "Black Lough"を過ぎた辺りがダンロー峡谷最高地点・分水嶺と見える。橋を渡り(写真下右から2枚目)、見えてきた2つ目の湖がオーガー湖(Augur Lake)だ。 この湖からは南のディングル湾に注ぐことになる。道の両脇に落石と言うには大きすぎる岩が迫り出している(写真下右)。
"Turnpike Rock"と呼ぶらしい。通る車も最徐行だ(写真下左)。ファームハウスからのご老人がぶつけたのはこの岩に違いない。
"Turnpike Rock"を少し過ぎた辺りが記念撮影スポットらしい。先客が撮影している(写真下左から2枚目)。
入れ替わりで私達も撮ってもらう(写真下右から2枚目)。背景北側から望むV字谷だ。残念だが、もやに霞んでクリアではない(写真下右)。
道は左に鈍色のオーガー湖、右に切り立つ岩山が続く。岩山の中腹には落ちては来ぬかと心配になる不安定な石がハングし、
道脇には大きな岩がごろごろ転がっている。
廃屋のある辺りから道はオーガー湖畔から別れ谷底の牧草地を行く。ウォーカー、車、ジャンティングカーと引っ切り無しに行き違う。
アイルランド屈指の観光地だけに交通量は多い。アイルランドも左側通行だからジャンティングカーも左側、従って御者は右側だ(写真下左)。
左手にガッシュバリー湖(Cushvally Lake)は道路より高い位置にあるらしい。一瞬姿を見せただけだ。下がるに連れ、羊の姿も多く見られるようになる(写真下左から2枚目)。
左手に見えた4つ目のブラック湖(Black Lake)の脇に民家が幾つか見られた。国立公園でもあるし、この辺鄙な場所に民家があることに驚きだ。
ブラック湖が終わり、次の"Coosaun Lough"(読みが分からない)との間のロエ川を東から西に渡る。
その橋が"The Wishing Bridge"と呼ばれる。例の”橋を渡りきる間に願い事をすると叶う”というものだ。
御者は”願い事を沢山言えるよう”心得てゆっくりと渡ってくれる。お心遣いに甘え幾つかの願い事を唱える(無信心なのだが・・・)。
橋の上から見た5つ目の"Coosaun Lough"が写真下右だ。今は渇水期のようで川の流れがほとんどない。
斜面にコニファーや躑躅、石楠花、白樺などを沢山植え込んだ民家が現れた(写真下右から2枚目)。ダンロー峡谷越えもお仕舞いだ。
ダンロー峡谷越えの北の基点であるケイト・カーニーズ・コテージの手前の溜まり場でジャンティングカーを降りる。1時間30分の充実した旅だ。
二人で40ユーロはお値打ちだ。感謝を込めて御者にチップを渡す。喜んでくれて握手で分かれる。
ケイト・カーニーズ・コテージ(Kate Kearney's Cottage)は19世紀の
このコテージの女主ケイトに始まる。ケイトは疲れた旅人のために非常に度数の高い密造ウイスキーを蒸留し振舞ったのだという。もちろんそれは違法だった。
年代不詳だが、そんな時代のものと思われる写真を見つけた。ロマン溢れる。
今のコテージも外見は控えめに見えるが、中は結構広い。お土産売り場、レストラン、バーがある。
ウォーキングの仲間たちは11kmの山道を歩くのだから健脚でも3時間、普通なら4時間近く掛かるだろう。
だからバスの迎えは早い便で16時30分だ。2時間はたっぷりある。屋外を暫し散歩した後、土産物売り場を冷やかす。
然る後にバーでギネスタイムとする。私は1パイント、妻はハーフパイントだ。
シーフードチャウダーとスモークサーモン・オン・グラウンブレッドもオーダーする(写真下左2枚)。
ギネスを飲み始めたところに赤ちゃん連れのプエルトリコのカップルが入ってきた。まさか歩きでこんなに早く着く訳がない。訊いてみると、
やはりジャンティングカーに乗ってきたのだと言う。続いてファームハウスからの老夫妻も着いた。こちらもジャンティングにしたと言う。
まだまだ時間はある。アイルランドで試したかったものの一つがアイリッシュコーヒーだ。カウンターでオーダーするとグラスに入ったものが出てきた(写真下右)。
冷たいのかと思ったら、これが温かいのだ。平たく言えば、濃い目のウインナーコーヒーにアイリッシュウイスキーを垂らしたものだ。
温かくて甘い上に、ウイスキーの量もかなり入っているようで、結構温まる。
16時15分にボンネットバスが到着する。一緒にボートに乗った仲間はまだ6人しか帰っていない。見知らぬ客が運転手に乗せてくれと交渉しているが、
色々話した末、断られている人も多い。何か条件があるのだろう。そこにドイツ人の新婚さんが帰ってきた。3時間で歩ききったのだ。
疲れた顔をしている。このカップルは無条件で乗せてもらえた。
16時30分、17名満席で出発。今日もキラーニーの街周囲は渋滞が激しい。途中、何ヶ所かで順次降ろしていく、
プエルトリコもドイツも手を振ってシティーセンターで降りた。17時丁度、私達がクリスタル・スプリングスで降りた後はファームハウスの老夫妻だけになった。
キラーニー街歩き Killarney Town Walk (Deenagh Lodge, St. mary's cathedral)
B&Bで一休みした後、ランドリーに向かい、無事洗濯物を受け取る。ありがたいサービスだ。
キラーニーで見て置きたい美しい藁葺き屋根のロッジがある。それが"Deenagh Lodge "だ。近くの路上に駐車スペースがない。
付近を行ったり来たりしていると空きができた。すかさず車を入れる。ロッジは公園のゲートを潜ると直ぐそこにあった(写真下左3枚)。
それもその筈、"Knockreer Estate"の門番小屋(Gate House)として1834年にできたものなのだ。屋根も葺き替えたばかりだし、
壁も塗り替えて間がないので新しい建物のように見えるが、柱などを見ると古いものだということがわかる。
ここはダウン症候群(Down syndrome)の青年の独立を促す訓練の場としてティーショップを経営しているのだという。
ティーショップは丁度閉店時間で、青年が看板などを片付けているところだ。
ゲートの直ぐ向かいに"St. Mary's Cathedral"の荘厳な姿が見える。こちらは1842年から1855年に掛けて建てられたものだ。威風堂々たる大聖堂だ。
レディース・ビュー(貴婦人の眺め) Ladies View
妻が「今日は疲れたので夕食は外で取るよりB&Bでゆっくりしたい」と言う。この時間帯だと街のお店は閉まっている可能性が高い。
郊外のスーパーマーケットかスパー(SPAR)を探すのが賢明と判断する。見つからなければ、ペトロール・ステーションで何か探せば良い。
ならば、レディース・ビューへのN71を走ってみようとスタートする。予想は見事に的中。マックロスハウスの手前でペトロール・ステーションに併設の
スパーが見つかった。まだB&Bへ戻るには早い。そのままレディース・ビューに向かう。N71は右手にマックロス湖を眺めながら、国立公園の豊かな森を駆け抜ける。
アッパー湖が右手に見え始めると道は蛇行し始める。上り坂となり道は益々蛇行を深め、アッパー湖は下に遠ざかる。
この辺りの道は7年前に比べると拡幅され、舗装もされた。悪路好きの私には7年前はもっとスリルに富む楽しいドライブだったように思い出す。
しかし、このカーブの連続する道に”制限時速100km”の道路標識があることに呆れる。この道で100kmは厳しい。何か挑発されているような気分だ。
30分ほどでレディース・ビューの土産物屋兼カフェに到着。先ずは真っ直ぐに、前回見逃して臍をかんだ”レプラコーン横断注意”の標識を撮りに行く(写真下左)。
レプラコーン(Leprechaun)とはアイルランドの妖精伝説に登場する小人の靴屋の妖精で”彼を捕まえると黄金のありかを教えてくれる”というものだ。
そのレプラコーンがこの辺りに出没するらしい。だから、ドライバーは注意せよというのだ。ロマンが嬉しい。7年振りに願いが叶った。
閑話休題、レディース・ビューとは1905年イギリスのビクトリア女王がマックロスハウスに滞在している間に侍女(Ladies-in-waiting)と共に
この眺めに感動したことから名付けられたという。道路脇の崖から見下ろす絶景は先程の峡谷ツアーで通ったブラック・バレーとアッパー湖だ(写真下右3枚)。
見ている間に日が射し始めた。峡谷がみるみる輝いてきた。感動の眺めだ。
土産物屋でレプラコーン・グッズを探す。私は小さな人形を、妻はマグネットを求める。共に7、8cmの小さなものだ。
クリスタル・スプリングス Crystal Springs
レディース・ビューからの帰り道、スパーによって買い物をする。手が掛からないものが良い。一回り当たって、
サンドウィッチが各種ある具材を好きに組み合わせて作ってくれるというので、それにする。1つはツナサラダとレタスで。
大きなブロックのハムが美味しそうだ。「これはどうする?」と訊くと、「スライスします」と言う。「それを1つ」というと、
3枚スライスして「もっといるか?」と訊く。ストップを掛け、レタスも一緒に挟んでもらう。
今日はケイト・カーニーズ・コテージで色々食べたからこのくらいで十分だ。白ワインとミネラルウォーターを1本ずつ求める。
アイリーンに「庭で食事をしたいが」と訊ねると「良いわねー。どうぞ」と快諾だ。ワイングラスを借用する。
しかし、15分もしない内に寒くなってきた。部屋にヤッケを取りに行くより、部屋で食べよう。ということで部屋に戻りのんびりする。
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