第5日 8月4日(日) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Rosquil House --- Curraghmore House --- Lismore市内(Castle Garden, Cathedral, Memorial Park) ---
Swiss Cottage --- Cahir Castle --- Cashel市内(Croke Memorial, City Hall,
Back of the Pipe, Dominican Abbey, Ladyswell, Rock of Cashel) --- Garnish House
今日の走行距離 303 km
今日の万歩計 26,500 歩
出発時の外気温 17 ℃
ロスキール・ハウス Rosquil House
ロスキール・ハウスを離れる朝だ。空は晴れ上がっている。ここの朝食時間は週末は9時からとなっている。
週末は夜遅くまで遊ぶお客さんを気遣ってのことだろうし、従業員も週末は遅くまで楽しむからだろう。睡眠時間も十分で爽やかな朝だ。
フルーツコンポートの先客の女性を見ていると、先にボールにヨーグルトを入れ、後からフルーツを入れている。
「これだ!」と歓声を上げそうになる。私はいつも先にフルーツを入れるので、写真に撮るとヨーグルトしか見えなくなってしまい、
「良い画ではないな」と思ってきたのだ。何故こんなことに気が付かなかったのだろう。正に”コロンブスの卵”だ。早速真似をする。良い画が撮れた。
今日は玉子をスクランブルにし、ソーセージもエクセプトしてもらう。妻は好物のスモークサーモンだ。パンも様々いただく。力が湧いてくる。
クラグモア・ハウス Curraghmore House
クラグモア・ハウスの情報も極めて少ない。
しかし、ネット上で見たジョージアン様式の邸宅とフォーマルガーデンの写真は私を惹きつけて止まない。
アドレスは"Portlaw, Co, Waterford"と出ているだけだ。最初はその位置さえ確認できなかった。"Google Map"の
”航空写真”
で見つけたクラグモア・ハウスは雲に隠れ、フォーマルガーデンの一部が覗くだけだったが、見つけた時には小躍りしたものだ。
ナビ子ちゃんにその地点を指示して出発したのだが、ナビ子ちゃんが選んだ道には入り口がないのだ。敷地が広大で近くに公道がないのだ。
山の中をうろつくこと暫し、"Portlaw"の村に指示し直し、村外れにゲートを見つける。30分のロスだ。
ここでアクシデント発生。ゲートからハウスまでの道はスピードを出せないように所々にランプ(Ramp)という段差がある。
普通は道路脇にランプの所在を示す注意標識があるものだが、その1ヶ所の標識がなかったのだ。最近乱視が強くなって視力が落ちている上に、
並木の木漏れ日で視界が揺らいでいたのでランプを見落としてしまった。さほどのスピードではなかったが、車は大きくジャンプし前部から着地した。
その衝撃でエンジンルームの底のプラスチック部品が壊れたようだ。走行には支障がないようなので部品を外して出発する。
クラグモア・ハウスの先祖は12世紀にこの地にやってきたデ・ラ・ポエル家(de la Poer family)で4つの城を建てたのだ。
最後のクラグモア城が残ったのだが、他の3つの城(viz. Dunhill城、Kilmeaden城、Clonea Power城)の廃墟もウォーターフォード州に残っている。
現在のハウスは12世紀のオリジナル部分を残しつつ、18世紀の初代ウォーターフォード侯爵が建てたものだ。
ハウス正面の広大な広場はコンクリートンの打ちっ放しで殺風景だ(写真右、下左から2枚目)。
壁のニッチには美しい女性像が幾つも立っている(写真下左)が、蜘蛛の巣だらけで撮影意欲がわかない。
ここのオープンは火・水・木曜日と第1・3日曜日とタイトながら私達のスケジュールと上手く合致してくれた。しかし、広場に止まっている車の数も多くはない。 一隅に車を置き、見渡してもレセプションらしきところはない。広場両側に連なるハウスの中に人影を見つけノックする。 出てきた女性によれば「11時のガイドツアーはスタートしてしまった。次は14時だ」とのこと。「ガーデンオンリー」ということで入場する。
ハウスの北側に素晴らしいテラスガーデンが広がっている。階段の両袖にある彫像が凄い迫力だ。1組は猟犬が猪(写真上左)、狼(写真上右)と闘っている。
もう1組はそれぞれ子持ちの狼(写真下左)と猟犬(写真下右)とが互いに威嚇し合っているデザインだ。力強い迫力に圧倒される。
階段から先は森を切り裂くようにパスが伸びている。"Google Map"の ”航空写真”を上のほうにスクロールすると2km余り先まで真っ直ぐなパスが見える。
テラスは雄大に弧を描いてハウスを囲むように展開する。石の欄干も見事なデザインだ。欄干下の植栽も重厚だ。今はアジサイが花盛りだ(写真下左から2枚目)。
樹木の葉色の豊かさにも目を瞠る(写真下左)。ここの樹木はは1830年代に植栽されたものが多く、壮大な森になっている。
中にはアイルランド一高い50mにもなるトウヒ(Sitka Spruce)もあるそうだ。写真下右から2枚目の真ん中奥に聳える木もかなりの高さだ。
ハウスの裏手・西面に壮大なフォーマルガーデンが広がっている。私のカメラではどんなに引いても納まらない広さだ。
このガーデンは2500エーカー(300万坪)の広さがあるというから東京ドームなら216個分、東京ディズニーリゾートなら10個分、
、皇居に換算すると7個分の広さということになる。
フォーマルガーデンの芝の広場を十字に区切った真ん中に大きな池がある。池に映るハウスも優雅だ(写真4つ上右から2枚目)。
写真上右はハウス前からのフォーマルガーデンの眺望。中央の池の先に人造湖があり、その先は遥かに牧草地が広がる雄大な眺めだ。
ハウス3階からの眺めはさぞかしだろう。あの牧草地の中に
不思議な石があるとの情報だが、
そこまで歩くほど酔狂ではない。
人造湖も森に囲まれ静かな佇まいだ。水草も適度に茂り、白鳥やグースが優雅に浮かぶ。水の透明度が高く清々しい気持ちになる。
この広いフォーマルガーデンの縁も素晴らしい石の欄干で延々と仕切られている。豪壮たるものだ(写真下右)。
また、ここには"Shell House"と呼ばれる世界中から集めた貝殻で装飾された壁を持つハウスがある(写真右)という。
18世紀の当主夫人が自ら造ったものだという。ガイドツアーでないと見せてもらえないようだ。
リズモア街歩き Lismore Town Walk (Castle Garden, Memorial Park, St Carthages Church)
リズモアの街にやってきた。06年の旅では時間切れで通過したのみだが、
しっとりした良い街との印象だった。
街に入る手前でリズモア城が見えてくる。
06年はN72の車の流れの中で撮影場所を失ったが、今回はしっかりとパーキングを見つける。
ブラックウォーター川(River Blackwater)に架かる橋の上から木立に包まれた美しいリズモア城が見える(写真下左2枚)。
ブラックウォーター川という名前の通り黒い色だが澄んでいる水が滔々と流れている。この橋を入れた城の姿を撮りたいと橋の向こうまで行ってみたが、
河畔は私有地で入り込むのは難しい。支流に架かる橋(写真下右)を納めて引き返す。
タウンセンターのパーキングに車を入れて街歩きの開始だ。最初にカッスル・ガーデン(Castle Garden)に入る。
ガーデンは写真下左の城門の通路を挟んで左が"Upper Garden"、右が"Lower Garden"となっている。
(右の写真では左手に城門、左上方がUpper Garden、左下方がLower Gardenとなる)
19世紀にデザインされたというLower Gardenに入るが見るべきものもなく、城門で繋がっているUpper Gardenに移る。
Upper Gardenは17世紀のウォールド・ガーデンだが、半分は果樹園とキッチンガーデンで占められ、特筆するものはない。
しかし、17世紀らしい整形式ガーデンの面影は随所にうかがえる(写真下右など)。
城は1185年にイギリスのジョン王(King John)によって建てられ、変遷を経て1753年に第4代デボンシャー公爵のキャベンディッシュ家に渡り、
第6代公爵が19世紀に建て直したのが現在のゴシック式の城だ。この美しい城を近くで眺めたいと思ったが、ガーデンからは城の姿はほとんど見えないのだ。
現在もキャベンディッシュ家のお住まいということで、近付くことはできないようだ。これで入場料8ユーロは辛いところだ。
ガーデンからパーキングを挟んで"Millennium Park"がある。緑の芝の中に豊かに噴出す噴水があり、モニュメントやオーナメントが点在し、
それを繋ぐパスがなだらかに蛇行し、心落ち着く雰囲気だ(写真上左、下左2枚)。
写真下左は雷に打たれて枯れた木に直接彫った、リズモアの守護聖人聖カルタゴの像だ。聖カルタゴは7世紀にリズモアに来て修道院を創設したという。
N72沿いの公園の石塀と街灯に掛けられたバスケットにも花が溢れている(写真下中)。
街の中心の交差点(ランドアバウトでなく変則十字路)の真ん中に立つモニュメントにも歴史を感じる(写真上左から2枚目、下右から2枚目)。
Millennium Parkに聖カルタゴのモニュメントがあったことを裏付けるようにこの街には聖カルタゴを冠る大聖堂と教会があるのだ。
情報が錯綜していて何が正しいのか判別しがたい状況だ。
聖カルタゴ教会(St Carthages Church)は
1884年に出来上がったもので地元で採石した赤い砂岩と白いライムストーンが鮮やかなロンバード-ロマネスク様式(Lombardo - Romanesque style)の教会だ。
右側の鐘楼は高さ36mある(写真右の左)。
中は極めて小ぢんまりしていて明るく、清らかで厳かな雰囲気に満ちている。バラ窓のステンドグラスはモダンなデザインだ。
しかし、下から見上げるとパイプオルガンに半分隠れてしまう(写真右の右)。
教会までの"Churcg Street"沿いの民家の軒先の花が美しい(写真上右2枚、下右)。僅かなスペースに工夫と丹精を込めて育てている様子が手に取るようだ。
微笑ましくもある。
ヴューポイント View Point
リズモアの街の北外れでN72からR668に入り北上することおよそ15km、大自然の中のなだらかな坂道を登る。
Knockshanahullion山(652m)とKnockmealdown山(794m)の峡谷を上り詰めた地点が"The Vee"と名付けられたヴューポイントだ。
地図では"The Gap"と載っている。ウォータフォード州とテッペラリー州の境界だ。"The Vee"という通りV字谷の遥か先にテッペラリーの平原が見渡せる(写真右)。
オレンジ色の人型のアイコンを"Google Map"
の中央下の”バリーニリー”辺りのR668の青いライン上に”ドラッグ&ドロップ”するとその光景をバーチャルで楽しめるのでお試しあれ。
R668を進むととんでもないヘアピンカーブに差し掛かる。"Vee Hairpin"とか"V Shaped Gap"とか"Switchback / Hairpin turn"表現される名物カーブだ。
上の"Google Map"で右上に見えるカーブだ。この鋭角のカーブの前後がヴューポイントになっており素晴らしいパノラマが展開している(写真下)。
この辺りは5月下旬から6月上旬に掛けては自生する石楠花で覆われるという。その素晴らしい光景はこちら
スイス・コテージ Swiss Cottage
このスイス・コテージも写真を見て虜になった訪問先だ。
17世紀頃からヨーロッパの貴族の間では”田舎暮らしごっこ”が流行したのだという。ここもバトラー家(昨日のキルケニー城で登場した)のオーモンド伯爵が
客を喜ばせるために1810年頃に建てたもので、シュア川(River Suir 写真右)の畔の小高い丘の上に建っている。
パーキングから森の中を散策し、シュア川に架かる橋を渡って到着するが、外からは森に囲まれて建物は見えない。
OPWの管理でアドミッション・フィーを支払って入場する。トンネルを通り、階段を上るとそこが丘の上のグランド・レベルとなる。
写真下で見るように2階建てに見えるが、実は入場したところが地階でキッチンやワインセラーなどがあったようだ。
柱や梁が樺などの自然朴でできているから、家そのものが地面から生えているように見える。奇妙な気持ちになる。おとぎ話に登場するような建物だ。
画一的でなく、直線的でないのが田舎家風で寛げる。しかし、萱の厚さはさすがに貴族の建物という感じだ。
このように客を驚かせたり、喜ばせたりする建物を"Cottage Orne'e"、"Ornamental Cottage"、"Fantasy House"などと表現するようだ。
内部のガイドツアーが始まると係員が入場者を集めている。「英語ができないのでパスする」と言っても「素晴らしい内装を見なさい」としつこく誘われて参加する。
田舎暮らしといっても、一つひとつの部屋が趣向を凝らしたデザインで、手描きの壁紙とか、当時最新のパリの壁紙とか、ふんだんに使われた鏡やガラスなど贅沢な内装だ。
素晴らしい螺旋階段(写真右)を含め床など全て木製だ。椅子の足や背もたれにも自然木を利用した素敵な作品もある。
建築当時は2階の窓からこの後訪れる"Cahir Castle"やシュア川の流れも望めたらしいが今は残念ながら木が茂って見られない。
ケア城 Cahir Castle
スイス・コテージからシュア川を遡ること2km、川の中州の島の岩の上に
ケア城が聳え立っている(写真下左)。ケアの町の中心部だ。
ケア城は12世紀に1375年にバトラー家(またまた登場、この地域一帯を支配していたのだ)に下賜され15世紀、17世紀に拡張されている。
18世紀には荒廃し、19世紀には部分的に再建され、1961年にバトラー家から国に戻されOPWの管理となっている。
アイルランドで最も大きく、最も保存状態の良い城といわれる。
城は壁(Curtain Wall)に囲われた3つの区域(Ward)に分かれている。イーグルの像が載った城門を潜り南の区域(Outer Ward)に入るが、石の壁に囲まれているだけで見るべきものはない。 南から北の区域の天守(Keep)の眺望が写真上左から2枚目だ。中央の区域(Middle Ward)は細長い狭いエリアだ。大砲が置いてあるだけだ。
先に見える落し格子(写真上右)を潜ってコートヤードに入る。ここが北の地域(Inner Ward)だ。中庭や塀の上に大砲が備えられている(写真上右から2枚目)。
一角にある"Ggreat Hall"が19世紀に再建されている。天井の木の骨組みが美しい(写真下左)。
落し格子や狭間胸壁、、石落し、銃眼など城の構造を見ても、この城が大砲出現までは堅固な守りを誇っていたのが分かる(写真下右3枚)。
しかし、1599年のエリザベス女王の大砲による攻撃では多きなダメージを受け占領されたのだ。
その際の弾丸が未だに壁に残っているというから驚くというより笑ってしまう。(写真右)。
また、この城は映画"Excaliber"の舞台ともなったのだ。
カシェル街歩き Cashel Town Walk(Croke Memorial, City Hall, Back of the Pipe, Dominican Abbey, Ladyswell)
カシェルの街に遣ってきた。7年前の訪問ではロック・オブ・カシェルを見学のみだが、
今年はこの歴史深き街を散策しよう。
街の中心部のパーキングに車を止め、メイン・ストリートに出たところに"Croke Memorial"が立っている(写真下左)。
1895年にカシェルとエムリー(Emly)の大司教トーマス・クルック(Thomas Croke)を讃えて建てられたものだ。
元はメイン・ストリートとフライアー・ストリートの交差点にあったのだが、交通事故で壊されここに復元されたという。
幅の広い歩道のような分離帯のような場所だ。
同じ分離帯の先に"City Hall"がある(写真下左から2枚目)。1866年に建てられ現在は"Heritage Centre"と"Tourist Information Office"になっている。
ハンギングバスケットが幾つも吊るされ花がこぼれている。
その隣が"Back of the Pipe"がある(写真下中)。1842年に市民に水を供給するために造られたものだ。ガーゴイルのとぼけた顔が面白い。
北に歩を向け暫く行くと右手に"Dominican Abbey"が見えてくる(写真上右から2枚目)。
1243年に大司教デイビッド Mc ケリー(David Mc Kelly)によって建てられたものだ。
デイビッド Mc ケリーは1253年の死後、ロック・オブ・カシェルのチャペルに埋葬されている。
更に北に進み、R660にぶつかったところに"Ladyswell"がある。その名は聖母マリアに由来する。この古代の井戸は19世紀末まで巡礼の場でもあり、
40年前ほど前までは市民が水汲みに使っていたという。ここのガーゴイルも愉快な顔だ。
この井戸の前のレストランのペイントも鮮やかで美味しそうに見える(写真下左)。ここはロック・オブ・カシェルの門前で観光客が訪れるのだろう。
"Cashel Folk Village"は時間が遅く入場しなかったが、この藁屋根はスイス・コテージを見てきたばかりの目にはちゃちに写ってしまう(写真下中2枚)。
屋根の上のクジャクも藁で作られたものだ。
岩の丘に立つロック・オブ・カシェルは修復工事中のようだ(写真下右)が、訪ねてみよう。
ロック・オブ・カシェル Rock of Cashel
ロック・オブ・カシェルを直訳すれば“カシェルの岩”だ。
見た目には岩の上の城という印象だが、大聖堂とチャペル跡でもある。
アイルランドは4つの地方に分けられ南部をマンスター地方という。5世紀のマンスターのオブライアン王によってここに砦が築かれ、
同じく5世紀に聖パトリックによりエンガス王がカトリックに改宗した場所である。11世紀にバイキングを撃退したブライアン・ボルー王の居城となり、
12世紀にコーマック王によって教会に寄付され、17世紀のオリバー・クロムウェル軍の侵略までマンスター地方の宗教的中心地として発展してきたのだ。
12世紀にラウンドタワーとコーマック・チャペルが建てられ、13世紀には大聖堂が建てられた。15世紀には城館と"Vicars Choral"が建てられ、
それらが石の壁で囲われた丘の上に保存状態良く纏まっている。建物の周りにはおびただしい数の墓石やケルト十字が並んでいる。
"Vicars Choral"のレセプションからサイトに入ると変わった形のモニュメントが目に付く(写真上左)。"St. Patrick's Cross"だ。 12世紀に聖パトリックのアイルランド来訪800年を祝って建てられた十字架だ。アイルランドスタイルのケルト十字でなく、 ラテンスタイルの十字軸木に平行した2本の支持柱がある形の十字架だったのだ。その上、雷で上部の横木が落ちてしまったのでこの形をしているのだ。 風化して分かりづらいが写真の面(西面)には磔のキリスト像が刻まれ裏面(東面には)聖パトリックの像が刻まれていたらしい。そういわれればそう見えなくもない。
写真上中3枚は大聖堂だ。身廊と翼廊のクロス部分のタワー、内部から見た北翼廊バラ窓とランセット窓、同じく内部から見た南翼廊のランセット窓。
写真上左から2枚目の工事中のテントを入っていった辺りの壁面だったと思うが場所は定かではない。雨囲いをした白く塗られた壁がある(写真上右)。
壁に掛かれたフレスコ画が17世紀のオリバー・クロムウェル軍の侵略の後、絵柄が余りに仰々しいとして英国国教会派によって漆喰で塗りつぶされた跡らしい。
元の画の想像図のパネルが展示してある(写真下右)。そう言われればそのように見えないこともない。
2012年にここを訪れたエリザベス女王もこの壁画をご覧になったのだ(写真右)。
写真上左は西側から見た全体図だ。右側部分が南翼廊、工事の足場が組んである辺りがコーマック・チャペルだ。横に"St. Patrick's Cross"も見える。
真ん中がクロス部分のタワー、左側は15世紀に建てられた城館だ。大聖堂としては身廊が非常に短かった上、
城館の建設で更に削られたため更に短くなったのだ。そのことが上左から2枚目の図で良く理解できる。
上述の図は黄色は12世紀、青が13世紀、赤が15世紀に建設されたことを示す。丸い黄色で示されるのが、
ここで一番古い建物のラウンドタワーだ(写真下)。高さ28m、屋根は19世紀に回復されたが残りはオリジナルだという。
ラウンドタワーについては既に述べたが、ヴァイキングの来襲に備えてのものという説が有力だ。
墓地の中にあって一際目立つのが"The O'Scully Monument"だ(写真下左から2枚目)。1867年に建てられたもので、
オリジナルは高さ7.5mのケルト十字だったが、1976年の嵐で上部が壊れ落ちてしまったという。元の姿は拡大写真からどうぞ。
写真下中の中央下に転がっている石の固まりも1848年の嵐で城館の角から落ちたもののようだ。
建物の周囲は緑の芝のように見えるが、直ぐ下は岩なのだ。芝の中にはラテン十字やケルト十字、墓石などが林立している(写真下左2枚)。
花が手向けられたものも見える。ゆめゆめ墓石を踏まないよう気をつけねばならない。
写真下左から2枚目の右端のように苔むしたマリア様?が載った墓石もある。
西方向500mほどの眼下に修道院の廃墟が見える(写真下中2枚)。"Hore Abbey"だ。1272年の建築でアイルランド最後のシトー派修道院の跡だ。
エメラルドの国アイルランドらしい緑豊かな大地の廃墟はロマンチックでさえある。
"Vicars Choral"がミュージアムになっている。外にあった"St. Patrick's Cross"は実はレプリカで本物はここにあるのだ(写真上右から2枚目)。
分厚いタペストリーが掛かっている(写真上右)。サブジェクトは"King Solomon"と"Queen of Sheba"らしい。
石棺の一部らしい彫刻の施された石板も展示されている(写真下右)。
14A Restaurant 14A
コーク(Cork)のB&B"Garnish House"は繁華街まで1km足らずの街の中心地にある。私達の宿選びの基本”大きな街をを外したB&B”から外れる。
というのも、アイルランドでは最近、飲酒運転の取締りが厳しいとの情報があったからだ。ナビ子ちゃんの導入も一因だろう。
B&B到着は19時20分だ。お薦めのレストランの地図を貰い、徒歩で街に出る。しかし、それとおぼしき場所にレストランがない。
周囲に思うような店も見つからない。自分でリサーチした情報を宿に置いてきてしまったので、記憶を辿りセント・パトリックス・ストリートまで歩く。
横道(フレンチ・チャーチ・ストリート)に歩道にまでテーブルを出した超ビジーな店があった。”ここは行ける”とピンと来る。
Restaurant 14A、変わった名前だ。
2組ほど先客がいたが、回転も速い店だ。さほど待たされずに席に着く。 オーダーはメイン2品
・ FISH CAKES Salad, Home cut Chips & Chilli Jam と
・ CHICKEN SCHNITZEL Breaded Chicken Breast, Pan Fried Finished in the Oven, Topped with Slices of Mozzarella & Tomatoes, Salad & Fries だ。
直感に誤りなし。味、ボリューム共に大満足だ。ボールに入ったポテトの違いが面白い。"Chips"と"Fries"の違いだ。
こうして食べ比べてみるとイギリスの”チップス”と”フライドポテト”の違いに納得。どちらも美味い。甲乙つけがたい。
(日本でいう”ポテトチップス”はイギリスでは"Crisp"だ)
写真満載の旅行記をご覧ください
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