第11日 8月10日(土) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 College Crest Guest House --- Ross Errilly Friary --- Ashford Castle --- Cong Abbey ---
Kylemore Abbey --- Brigit's Garden --- Galway市内(Lynch's Window, Church Market,
Shop Street, High Street, Spanish Arch) --- College Crest Guest House
今日の走行距離 195 km
今日の万歩計 25,100 歩
出発時の外気温 19 ℃
カレッジ・クレスト・ゲストハウス College Crest Guest House
カレッジ・クレスト・ゲストハウスでの最初の朝だ。
最初の朝はフル・アイリッシュ・ブレックファストと決めている。ブラック・プディングとベイクドビーンズが付いている。
残念なことにマッシュルームがない。フライドエッグが2つだが、ちょっと焼き過ぎだ。しかし、味は良い。フリーレンジで育ててられた鶏の卵だからだろう。
ベーコンも美味しい。噛めば噛むほど肉汁が出てくる。塩加減も上等だ。
ブラック・プディングとベイクドビーンズも嫌いということはないが、自ら注文してまでは食べないという代物だ。明日以降はエクセプトしよう。
目覚めが早く9時前のスタートになる。最初はゴールウェイの街の散策を予定していたが、時間が早すぎて店が開いていないかもしれない。
その次に予定したガーデンのオープン時間にも早すぎる。ルート変更は時間のロスになる。考えた末、スケジュールを逆からこなしていくことにする。
ロス・エリリー修道院 Ross Errilly Friary
ロス・エリリー修道院の情報は極めて少ない。
"National Monuments"に指定され"The Office of Public Works(OPW)"の管理であることは間違いないようだが、OPWのホームページで検索しても出てこない始末だ。
情報をキャッチしたのも出発間近になってからだ。しかし、ウェブの写真で見るその規模と保存状態の良さは魅力で優先順位 ◎ にした。
そして、Googleの航空写真とストリート・ビューを駆使し、場所を特定して来たのだ。
N84を北上、(Headford)でローカルロードに入り、南側からの車1台がやっとの取り付き道路を進むと前方に美しい廃墟が見えてくる。
1351年に設立されたフランシスコ会士修道院で現在の廃墟は15世紀半ばの建物だという。修道院は1530年代のヘンリー8世の修道院解散や
1650年代のクロムウェル侵略など没収と返還の繰り返しという不幸な歴史を繰り返した末、1832年に閉じられたのだ。
先ずは外回り、西側(写真上左)から全体像を撮る。タワーの右手のランセット窓が西正面入口。南に回ると南翼廊が2つ見られる(写真下左)。
東に周り東端の美しいランセット窓を眺める(写真上左から2枚目)。
西正面入口から内部に入る。身廊を通りタワーの下から内陣を望む(写真上右から2枚目)。屋根は落ちているが、良く保存されている。
2つの南翼廊に入る(写真下中2枚)。翼廊にしては大きい。その上、2棟が並んでいるのは珍しい。(専門知識はないが、見てきた範囲では初めてだ)
その癖、北翼廊が見当たらないのだ。ウェブで見つけた唯一の図面にも北翼廊の姿はない。
この図面によれば信仰の場より修道士の生活の場の方が広い。予想するところ増改築の際に北側廊と翼廊が取り払われ、
南翼廊が付け加えられたのではないだろうか。
回廊のアーチも見事に保存されている(写真上右)。回廊の北側には食堂、キッチンなどの居住区が次々に展開する。少々狭苦しい感がしないでもない。
西側からの俯瞰の写真を見つけた。保存状態の良さが分かる素晴らしい写真だ。
OPWは740以上もの"National Monuments"や"Historic Properties"を管理しているというが、有料に値する多くの素晴らしい資産を無料開放している。
観光立国アイルランドだが、おおらかなことだ。往きも帰りも大型コーチと入れちがい、狭い取り付け道路を譲ったり譲られたりしたが、
無料でこれだけのものが見られるからツアー会社としては便利なのだろう。この修道院は幾つかの映画のロケ地としても使われているようだ。
アッシュフォード城 Ashford Castle
美しい古城ホテルを見つけた。アッシュフォード城だ。
1228年に建てられた城で幾多の所有者の手に渡り増改築がなされ、1852年にビールのギネス家の所有となり、更に拡大されたのだ。
1939年にはノエル・ハガードにより古城ホテルとしてオープンされ、1951年には映画”静かなる男(The Quiet Man)”の監督・ジョン・フォードや
主演のジョン・ウェイン、モーリーン・オハラなどが宿泊したことでも知られている。この際スタッフ一同がホテルの素晴らしさに浮かれ、
しばらく撮影が始められなかったという。超豪華な有名ホテルと知られる割には経営者は何度も変わり、最近では2007年に5000万ユーロで購入した経営者が、
2012年10月に半値の2500万ユーロで売りに出したが、2013年になって2000万ユーロで現在の所有者の手に渡ったという。
ホームページの空撮の動画を見たら、是非泊まってみたいと思うのは自然なことだろう。しかし、このハイシーズンにここに宿泊することは私達にとっては高嶺の花だ。
あっさり諦めるとして、ガーデンの散策なら5ユーロで可能だ。すぐ近くには静かなる男のロケ地のコング村もあるし、コング・アビーもある。
そんな訳で優美な古城ホテルを訪れることにした。
R334を北上、R346に移り西に進む。左手に長い石塀が続いた後、突如として立派な石のゲートが現れる。ゲートを潜るとゲートに負けない立派な体躯の門番が立ちはだかる。
無用のものは1歩たりとも通さぬという姿勢だ。「ガーデンを見たい」と伝えると「10ユーロ」と言う。
10ユーロ渡すと「道なりに進むと橋が見えるから橋の手前のパーキングに止めて歩きなさい」とのことだ。レシートは愚かチケットもパンフレットも寄越さないが大丈夫かな?
支持されたパーキングに止めたところで大粒の雨が降ってきた。しばらく車内で待機すると間もなく上がる。これがアイリッシュなお天気だ。
いかつい形の門塔が建つ橋の袂にも立派な体躯の門番が立っている。しかし、こちらはスマートなイケメンだ。妻はすかさず記念写真をお願いする(写真上左)。
城塔の間に城門と城が見える。橋の上から城の南に広がるコリブ湖(Loch Coirib)のクルーズ船が見える(写真上左から2枚目)。
コリブ湖はアイルランド共和国最大の湖(アイルランド島では2番目)で運河でゴールウェイ湾に繋がっていて風光明媚だという。
橋を渡りきり城門を振り返る(写真上右から2枚目)。先に進むと城の北正面入口となるが宿泊の身でないものは入れない。城の西側を回り込み南面に出る。
美しい大きな城だ(写真上右)。思うにこの城は戦いのための城ではなく居住用の城だったのだろう。何とも優雅な佇まいだ。
南のテラスは一面芝生が敷き詰められ、大きな円形ポンドには噴水が上がる。また、芝生が幾何学模様にカットされ草花が植えられている(写真上左)。
通路には大きなコンテナが高々と置かれ、花が溢れている(写真上左から2枚目)。
ホームページの空撮写真をご覧いただくと、橋を渡って南テラスまでの様子が良く分かる。
テラスから南のコリブ湖を眺める。この位置からでは先の方は良く見えないが365もの島があるという。確かに島が多そうだ(写真上右から2枚目)。
ここのガーデンは1852年にギネス家の所有となってから造成されたものが多いという。
このテラスの西側の森の中に造成されている。ガーデンについての情報はほとんど見当たらない。
ホームページのこの写真を頼りに歩く。最初に目に入ったのは森の芝の中の円形ポンドの噴水(写真上右)。
極めて単純、何の変哲もない。ただ、森の木は珍しいものが多く、年代を経て大きく育っている。
さらに西に進むとトンネルがある。これを潜るとウォールド・ガーデンだ(写真上左)。トンネルに続いてガーデンを2分するようにブドウのトンネルが走る。
見事に四角に狩り込んである(写真上左、下左)。
トンネルの北側はダブルボーダーが走る(写真上中2枚)。植栽はシルバーリーフと銅葉を上手に使ったビビットな色遣いで、
全体的にざっくりした植え込みで少し物足りない気がする。夏の草花がのびのびと咲いているが、カラー・スキムとしては物足りない(写真下中2枚)。
トンネルの南側は芝生の中に果樹が植えられ、一部に柘植の木でヘッジされたフォーマルガーデンがある(写真上右)。この植栽も今一だ。
このホテルはコリブ湖のクルージング、ゴルフ、乗馬、鷹狩り、クレー射撃、フィッシングなど多くのアクティビティーを用意しているが、
ガーデンにまでは手が回っていないようだ。宿泊客の大半がアメリカ人だろうからそれで良いのだろう。軽い失望を抱きつつ戻る。
コング Cong
城の敷地内は一方通行だ。森の中を北に進むと小さな教会が現れたりしてロマンチックな小道だ。 (この教会も静かなる男に登場する) どこまでが城の敷地なのか分からないが、細いけれど流量豊かな川を越えるとコング修道院の廃墟が目前だ。 その脇にパーキングがある。車を止めてコング村の散策を開始する。
村を巡って一番の印象は美しい水路に囲まれ、島のようになっていることだ(写真上左、下左3枚)。それはこの村のロケーションによる。
北にマスク湖(Lough Mask)、南にコリブ湖があり、村の地下には豊富な水路が巡ているからだ。それを示すエピソードがある。
コリブ湖からゴールウェイまでアイルランド初の運河が12世紀に造られたことは既に述べた。この運河をマスク湖まで延そうと1850年に、
かのビールのベンジャミン・ギネスが5年の歳月を掛けて3マイルを掘ったところで試運転すると、
水は多孔性石灰岩に吸い込まれ哀れ失敗に終わったというものだ。そのコング運河(Cong Canal)は”ドライ・カナル(Dry Canal)”と呼ばれ今も残っているという。
そんな水郷の水辺は美しい。橋桁や岸辺にも花が飾られている(写真下左2枚)。岸辺の民家の丸太の柵のデザインには思わず歓声を上げる。
このフェンスは真似てみたい。(拡大写真にフェンスのアップ写真もある)
"Quiet Man Cottage Museum"がある(写真上左から2枚目)。
主人公の生家・ホワイト・オモーニン荘(White-o-Mornin Cottage)のセットを再現したものだ。
(ここのドアーも昨日ディングルで見たハーフ・ドアーだったのだ) すったもんだの末にホワイト・オモーニン荘を手に入れ、
ペンキを塗り直しているシーンが良い。壁際にはバラが植えられ、窓枠には鉢花が置かれている。
ここに二人乗り自転車で訪れる牧師夫妻からもさくら草の鉢植えがプレゼントされるシーンがある。アイルランド人も花好きなのが嬉しい。
映画だけでなく実際にこの村は民家もショップも花が美しく飾られている(写真上右2枚、下右)。
村の中心部を周回する道路は一回り500m余りしかない。家々の花が本当によく手入れされ美しい。
静かなる男で村人が集まるバーの"Pat Cohan's Bar"が通りの角に建っている(写真下左から2枚目)。撮影当時は雑貨屋で外観だけ撮影し、
中のシーンはハリウッドで撮影されたのだという。雑貨屋はその後も看板はそのままに雑貨屋を経営していたが、2008年から人手に渡り、
実際にバーとして経営が始まったのだ。しかし、観光客は店に入っても写真を撮り、トイレを使って何も飲まずに帰ってしまうので、
経営不振に陥ってしまい、2013年に売りに出され、5月に386,000ドルで売られたという
ニュースがある。
バーの前のT字路のセンターラインにマーケットクロスがある(写真下右)。1350年に作られたものでオリジナルの一部が残っているもののようだ。
(このマーケットクロスも静かなる男に登場した) その先にダナハーズ・ホテル(Danaher's Hotel)がある(写真下右から2枚目)。
主人公の敵役(モーリーン・オハラ演じるヒロインの兄)の苗字・ダナハーから取ったものだろう。他にも映画にまつわるものが数多いというが、ここまでとしよう。
コング修道院 Cong Abbey
7世紀創設のアウグスティヌス派の修道院の廃墟だ。現在残る建物は12世紀に時のハイ・キングにより建てられたもので、 16世紀にヘンリー8世の修道院解散令により壊され廃墟となったものを、かのギネス(今日の項だけで何度登場しただろう) により1850年代に復旧されたものだ。
廃墟の周りは墓地となっておりケルト十字のハイクロスも沢山見られる(写真上左、下右)。北の入口から入ると身廊だ。
内陣東端の壁はよく保存されている(写真上右、下左から2枚目)。身廊から南側のエリアに出ると回廊のアーチが良く残っている(写真上中2枚)。
チャプターハウスへの出入口のアーチの彫刻も見事に残っている(写真下左)。
道を隔てた向かい側に教会の廃墟もある。こんな歴史遺産が人口200人足らずの村にあることが信じられない。
コング修道院といえば"Cross of Cong"も忘れてはならない。
1123年にアイルランドで作られたもので"True Cross"を中央の真珠の裏に収めた装飾十字で、高さ760mm、幅480mm、厚さ35mmのものだ。
権威者の笏杖の上に取り付けられるように設計されているという。12世紀半ばにはコング修道院に移され保存されていたのでこの名前がつけられている。
修道院閉鎖後はコングの聖職者の手で守られ、1890年からは国立博物館(National Museum of Ireland)に収蔵されている。
カントリーサイド・ドライブ Countryside Drive
次の目的地は、06年のアイルランド旅行で最も印象に残り翌年の年賀状を飾ったカイルモア修道院(Kylemore Abbey)だ。
晴れ間も見えてきて喜んでいたのに、走り始めたら雨が降り出した。コリブ湖の北岸をR345で西進するがほとんど霧で手探り状態だ。
R336に出て北上、N59に突当った街がリーナーン(Leenane)だ。アイルランド唯一のフィヨルド・キラーリー湾(Killary Harbour)の湾奥に位置する。
今日は週末でこの雨にも拘わらず自転車レースが開催されており、自転車優先で車の渋滞が出来ている。
地図にビューポイントマークがある。小休止を兼ねパーキングに車を入れて海岸を散策するが、霧雨と干潮が妨げで絶景とは言い難い。
干上がった浜が赤いのは海藻の色だ。この旅では美しい海の光景を目にしている割に潮の香りを感じたことがなかったが、久々に潮の香りがする。
カイルモア修道院 Kylemore Abbey
カイルモア修道院は今年も緑豊かなDruchruach山に抱かれ、
その瀟洒な姿をPollacappul湖に映していた。
現在はカイルモア修道院だが、その外観からも分かるように元は居住用の城だったのだ。城は見た目もロマンチックだが、
その建築には、それに勝るロマンチックなエピソードがあるのだ。
イギリスのマンチェスターの富豪・ミッチェル・ヘンリー(Mitchell Henry)の新妻マーガレット(Margaret)は1849年に新婚旅行でこの地を訪れ、
ここにあった狩猟小屋をいたく気に入ったのだ。そこでミッチェルはこの地を買い入れ、1867年から4年の歳月を掛けて城とガーデンを建てたのだ。
その美しさに何度もシャッターを押す(写真下左2枚)。城と水面に目が行き勝ちだが、裏山の中腹(写真下右から2枚目の赤丸の中)に
白い像が見える。標高500m余りのDruchruach山の中腹300mのところにあるイエス・キリスト像(Sacred Heart Statue)だ(写真下右)。
ヘンリー夫妻は9人の子供と幸せに暮らしていたが、城に住んでわずか3年後の1874年のエジプト旅行の際、 マーガレットは赤痢に罹り死亡してしまったのだ。ミッチェルはマーガレットを埋葬するためにイギリスの大聖堂を模したミニチュア大聖堂を 1877年から4年をかけて建設した。それがゴシック教会(Gothic Church)だ。外観も美しく気品がある(写真下左3枚)。 内部は正面祭壇のウインドウのキリスト像から神聖で厳かな空気が流れている(写真下右から2枚目)。ミッチェルが愛する妻のため アイルランド全土から集めたという3色の大理石のコラム(支柱)が素晴らしい。緑の大理石は当地コネマラ産、赤の大理石はコーク産、 黒の大理石はキラーニー産だという。(拡大写真からご覧あれ) 美しいいステンドグラスも見られる(写真下右)。
ミッチェルはその後、娘の一人を亡くした為この地を離れ、1909年にはマンチェスターの公爵に売却する。さらに1920年には
第一次世界大戦でベルギーから逃れてきたベネディクト派の女子修道士の手に渡り、修道院と女子寄宿学校となったのだ。
荒れたままだった6エーカー(25000u)のウォールド・ガーデンは1996年から改修が始まり2000年に再開されたものだ。
2002年には ヨーロッパ・ノストラ 賞という名のある賞を受けている。
右のガーデンマップの右(東)部分のフォーマル・ガーデンと左(西)部分のキッチン・ガーデンに分かれている。
シャトルバスで5分、右下のティー・ハウスに到着する。ティー・ハウスの周りの草花の元気なことには呆れる(写真下右3枚)。
芝生の中のヒツジのベンチが愉快だ。一つひとつ微妙に違うところは手作りだろうか。ナイスデザインだ。
ガーデンマップの右下の石壁を潜ってウォールド・ガーデンに入ると眼下にフォーマル・ガーデンが広がる(写真下左)。 手前(南)が高く真ん中に向かってなだらかなスロープに円形のベッドが3つ刻まれ草花が植栽されている。中央通路が最下段で奥(北)に向かって上りのスロープで また異なるデザインのベッドが刻まれている(写真下左から2枚目)。通路脇に刻まれたベッドのS字型デザインもユニークだ(写真下右から2枚目)。 壁際の細長い植え込みはリボン・ベッド(Ribbon beds)と名付けられている。
リボン・ベッドの白い帯の植物には"Anaphalis triplinervis)"(アナファリス・トリプリネルビス)の
ラベルがあった。調べてみるとヤマハハコ属で和名はコダマギクという。まだ蕾の段階だ(写真下左)。
北のスロープの上の段に温室(グラスハウス)とフォーマル・ガーデン(写真下右から2枚目)とヘッドガーデナーズ・ハウス(写真下右)がある。
その一角に目にも鮮やかに咲く黄色い花はヘリクリサム・エバーラスティングか。シルバー・リーフの草花と交じり合って爽やかだ(写真下左から2枚目)。
水路を木橋で跨ぎ、西部分のキッチン・ガーデンに入る。ビクトリア朝のウォールド・ガーデンは元来はキッチン・ガーデンなのだ。
ツゲやイチイなどできっちりとヘッジされている。手入れの良さが清々しい。ここで採れたものは修道院でも使うしレストランでも供される。
このエリアにはロック・ガーデン、ナーサリー、ハーブ・ガーデン(写真下左から2枚目)、カットフラワー・ガーデン(写真下右から2枚目)などもある。
ゲートも高々と重厚だ(写真下右)。東西に2門ある。このドアーの緑を帯びた青色がこのガーデンのテーマカラーのようだ。
ヘッドガーデナーズ・ハウスや橋なども同じ色で塗られている。
キッチン・ガーデンと言えども効率オンリーではない。フォーマル・ガーデンの中央通路から繋がる通路の両脇はダブル・ボーダー・ガーデンとなっている(写真上4枚、下左2枚)。
後ろに生垣、手前通路との境界は芝生できっちり仕切られたベッドに見事に厚い植栽がなされている。一つひとつの植物が大きいのには改めて驚かされる。
それがスッキリと収まっているから不思議だ。
写真上右から2枚目はエリンジウムだろう。右は"Lobelia tupa"(ロベリア・チュパ)のラベルがあった。
チリ原産で別名”悪魔のタバコ(Devil's Tobacco)”というそうだ。(帰国後、ネットショップで5株見つけて買い占めた)
繊細なセンスは感じられないが、ダイナミックな植栽と管理の良さにに力づけられる。
シャトルバスで戻り、もう一度城の美しさに見蕩れ、アイスクリームで興奮を鎮める。
カントリーサイド・ドライブ Countryside Drive
予定ではN59を西に進み、クリフデン(Clifden)から"Sky Road"のドライブなど楽しみにしていたが、時間切れだ。
ゴールウェイの街歩きを優先することに決めR344でショートカットして戻る。N59の並木には今年も木霊か妖精かが飛び交っていた(写真下左)。
R344は360度コネマラの山々の光景が広がる快適なドライブだ。山といっても最高峰がダイヤモンド・ヒルの425mだから、
日本人から見れば穏やかな丘陵だ。この地域の地図を見ると虫が喰ったように無数の湖が見られる。遠い氷河時代の名残なのだ。
折からの天気の所為もあり荒涼とした風景に郷愁をかられる。
ブリジッツ・ガーデン Brigit's Garden
ゴールウェイに戻るN59沿いに予定していたブリジッツ・ガーデンがある。
ケルティック・ガーデンと謳っている。ケルトの季節ごとの4つの祭典("Samhain"、"Imbolc"、"Bealtaine"、"Lughnasa")をテーマにしたガーデンとのことだ。
興味は尽きないので30分だけ寄り道する。
最初は"Samhain Winter Garden"だ(写真下左)。"Festivals of Samhain"はケルトの一番大事なお祭りで収穫期の終わりと冬の始まり(新しい年)を祝う祭りだ。
10月31日から11月1日に掛けて行われるということはハロウィンに通じるものがあるのかもしれない。
”春に備え眠っている地球を表している”という。島の上で膝まづき眠っている女性像は
銅製の葉っぱで形作られている。池の周囲を囲む樺の木の落ち葉と関連付け”再生”を意味しているように感じる。
この日は死者の魂が家に帰り、妖精が現れやすい日だという。メドウ・ガーデンに潜むとぼけたオーナメントはその妖精かも(写真下右)。
順路に従い籠細工のブランコで遊び(写真上左から2枚目)、ワイルド・ガーデンを行くと2つ目の"Imbolc Spring Garden"に至る。
"Festivals of Imbolc"はケルトの春の祭典で2月1日から2日に行われ、現在は聖ブリジット・デー(St. Brigit's Day)と呼ばれる。
羊の子が生まれ、スノードロップが咲き出す、新しい生命の季節を祝うお祭りだ。
周囲より1段低いサンクン・ガーデン(沈床式庭園)は円形に石が敷かれ、聖ブリジットのシンボルだという
3つの螺旋模様が刻まれている(写真上右から2枚目)。
4つのガーデンの中心に藁葺き屋根のケルトの円形小屋(Roundhouse)が建っている(写真上右)。小さな素朴な小屋だ。
3つ目は"Bealtaine Summer Garden"だ。"Festivals of Bealtaine"は4月30日から5月1日にかけて行われる夏の到来を祝う炎の祭典だ。
青年が性に目覚め、結婚、冒険をする時だ。ガーデンはは2列に並んだ立石の両サイドに炎を示すモニュメントが立っている(写真下左から2枚目)。
炎の祭典を表しているのだろうが、パンフレットの説明でも今ひとつ理解できない。
4つ目は"Lughnasa Autumn Garden"だ。"Festivals of Lughnasa"は7月31日から8月1日にかけて行われる秋の収穫の始まりを、
収穫物を捧げ、ダンスをして祝う祭りだ。8の字型の立石で囲まれたガーデンは祝宴とダンスのスペースのようだ(写真上右から2枚目)。
中で踊っているように見える柳の枝で編まれた像はこの期間だけの展示のようだ。(上述のとぼけた妖精も下のおとぼけお猿もそのようだ)
一角に折り紙が沢山吊るされた木が数本ある。"Wishing Tree"だ。折り紙とペンが用意してあったので願い事を書いて吊るす(写真上右)。
森の中を散策する。樹陰に跪く女性像(Kneeling Statue)が置かれている。何を祈るのか(写真下左)。
藁葺き屋根の小屋がもう一つ現れた(写真下左から2枚目)。"Crannog"という古代ケルトの湖上住居だ。
直径16mもの日時計がある。日時がわかる"Calendar-Sundial"だ(写真下右から2枚目)。1.75mの樫の木の針の影が
15本あるラインのどこを指すかで日時が分かる仕組みのようだ。
ガーデンにコンセプトやテーマは必要だが、余りにに複雑過ぎるのも考えものだ。若干の疲れを感じるのは歩いた所為ではなく、
色々考えたからだろう。
ゴールウェイ街歩き Galway Town Walk
16時30分、ゴールウェイに到着。ナビ子ちゃんは首尾良く指定したマーケット・ストリートのパーキングに案内してくれた。
今日をゴールウェイ街歩きに選んだのは毎週土曜日にマーケットが開かれるからだ。午後では開いている店は少ないかと心配したが、ラッキーにも沢山の露店が出ている。
その前に、この通りの聖ニコラス教会の横にある”リンチ家の窓(Lynch's Window)”を見る(写真右)。15世紀のゴールウェイの市長ジェームズ ・リンチの息子が
スペイン人商人を殺してしまった。罪を裁く立場にあった市長は、自ら息子に死刑の判決を下し、自ら処刑したのだという。
断固として貫かれた正義を記念して19世紀にこのモニュメントが造られたのだ。
マーケットを冷やかして歩く。マーケットといえば魚屋や野菜・果物の生鮮品が面白い。しかし、旅の身では求めることは叶わない。
ブリジッツ・ガーデンの後、カイルモア修道院のミニ大聖堂で見たコネマラ大理石を扱う店に寄るつもりでいたのに、うっかり通り過ぎた。
ラッキーなことにコネマラ大理石のアクセサリー専門の露店が出ていた。落ち着いたグリーンが悪くない。娘3人にネックレスと
妻のピアスを求める(写真下左から2枚目)。「4つ買うからサービスを」と言うと、期待した以上に値引きしてくれた。
ショップ・ストリートに出てクラダリング店に入る。7年前にゴールウェイで求めたリングはリーズナブル過ぎてだいぶ傷んできたので、 良いものが見つかれば求めたいと思ってきたのだ。しかし、余りにも大きなものばかりで仰々し過ぎるので他の店を探すが、何処も同じだ。 今持っているのと同じ程度か仰々しいものしかないので、次の機会まで今のものを使うことにする。 クラダリングとは写真下右から2枚目にあるように王冠を戴くハートとそれを両側から抱える手というデザインの指輪で ”手は友情”、”ハートは愛”そして”王冠は忠誠”を表している。その謂れは諸説あるようだが”1700年代初期、 ゴールウェイ近くの小さな漁村クラダ村に住んでいたリチャード・ジョイス という金細工師が、ムーア人の海賊に捕らえられ、ウィリアム王によって解放された時、 感謝の気持ちをこめて献上し、 そのリングをヴィクトリア王女が愛用したため有名になった。”という説が一般的らしい。 発祥の地らしく先程の聖ニコラス教会の敷地の隅にオベリスクが立っており、そこにクラダリングのデザインが刻まれている(写真右)。
洋品店で息子ふたりへのセーターを求めレジに並んでいると妻はレジの後ろの壁に掛けてあるヒツジのデザインのトートバッグを気に入ってしまったようだ。
2つのデザインを下ろしてもらい手にとって一方を選ぶ(写真上右)。ウェブでどなたかがお勧めしていたアクセサリー店に入ると日本人女性の店員がいた。
アイルランド人と結婚してこちらに長く住んでいるとのことだ。閉店間際だが、熱心に対応してくれる。友人にスカーフを1枚選ぶ。
コリブ川畔の”スペイン・アーチ(Spanish Arch)”まで足を伸ばす(写真下左)。ゴールウェイの街を取り囲んでいた城壁の一部で、現在残っているアーチは2つだが、
16世紀にこれが造られた当時は4つあったという。コリブ川には沢山の白鳥が浮かんでいる。
ショップ・ストリートに戻り散策を続ける。派手な衣装を着けた女性の一団が賑やかな声を上げて歩いている(写真下右から2枚目)。
今日は同性愛者のフェスティバルが開かれているようだから、その一行かも知れない。
"King's Head"というバーがある(写真下右)。ここも毎夜セッションが行われているという。看板に"ESTD 1649"とある。古い店なのだ。
バスカーズやストリートパフォーマーの姿もちらほら見える。ダブリンのグラフトン・ストリートにいた4人組のパフォーマーの姿があった。
他にもキラーニーで見たハープ奏者も見られた。彼らは1ヶ所に留まるのではなくあちらこちらを流して歩くようだ。
ミシュラン・スター・レストラン ”アニーア” Michelin Star Restaurant Aniar
旅情報の中でもグルメ情報の収集も楽しみの一つだ。ゴールウェイ初のミシュランの1つ星レストランが誕生したという情報を見つけた。
アニーアだ。
2013年のミシュラン・スター・レストランはアイルランド全土でも8軒しかない。
日本のミシュラン・スターのレストランにも行ったことはないし、過去に ”レストラン 世界 ベスト50”とか
”今、イギリスで最もポピュラーなシェフが経営するレストラン”との触れ込みのレストランを訪れ失望した思いもある。迷うところだ。
しかし、ホームページのサンプル・メニューを見ると極めてリーズナブルな店のようだ。食いしん坊の虫には勝てない。1か月前にネット予約する。
それが今夜20時30分だ。一旦B&Bに戻り、お洒落をしてタクシーで店に向かう。
店は拍子抜けするくらい気取ったところがない普通のレストランだ。案内されたテーブルは小さくテーブルクロスさえない。
インテリアも何の変哲もないし、隣の席との間隔も狭くむしろ雑然としているが、活気がある。
この店は”テロワール(Terroir)”をコンセプトに謳っている。テロワールとはフランスのワイン造りの際、土壌、気候、環境などの要因の組み合わせに 配慮することを指すが、ここでは食材に関してこの考え方を取り入れようとしている。すなわち、地元(Local)の、旬(Seasonal)の、野生(Wild)の食材を集め、 シンプルにエレガントに仕上げようというのだ。メニューを見ても食材が記されているだけで調理法は記されていない。 シェフにお任せということだ。品数も"begin"、"main"、"dessert"がそれぞれ3種類ずつしかない、極めてシンプルなものだ。
オーダーは "begin" が二人共 "brown crab, apple, celery, hazelnut"(写真上右から2枚目)。
"main" は妻が "pollack, cauliflower, cabbage, mussels"、私が "lamb, peas, onion, samphire"(写真下左2枚)
"dessert" は妻が "berries, rosehip, yogurt"、私が "gooseberry, elderflower, oats"(写真下右2枚)とする。
ワインリストを見ても安心してオーダーできる品揃えだ。南アフリカ産の赤ワイン "Provenace " をオーダーする。楽しいラベルのワインだ(写真右)。
ワインと共にアミューズ(Amuse)が出てきた(写真上左から2枚目)。嬉しいサービスだ。野菜のムースのカナッペと甘くないクッキー様なものだ。
前菜はカニのむき身のサラダ風だった。上に乗った緑色のものはメニューにあるリンゴともセロリとも思われない。シャキシャキした歯触りが良い。
同時にパンも出された(写真上右)。小さなパンが3つとバターで、これで二人分だ。
メインのポロックは北大西洋産の白身魚をカリカリにソテーしてある。ソースが濃厚だ。カリフラワーはどこに行ったのか?
ラム肉はレアに焼いてある。柔らかくて肉汁が溢れる。サムファイアーはシーアスパラガスのことだったのだ。
コークで食べられなかったものが、ここで食べられた。塩味が肉に合う。玉ねぎはなくポロネギに変わっている。
デザートも含め、メニューにある食材は大まかなもので、その日入荷の食材でアレンジしているようだ。
ミシュラン・スター・レストランと身構えるような堅苦しいサービスはなく、むしろそっけないほどでリラックスして美味しくいただく。
料金も150ユーロ、当日の換算で2万円丁度、満足だ。
ゴールウェイ街歩き Galway Town Walk
アニーアはコリブ川に浮かぶ中洲にある。隣は情報リストにスパニッシュ・レストランとして載っている"Cava"だ。ほかにもレストランやショップが並んでいる。
これから向かうアイリッシュ音楽のクレイン・バーはショップ・ストリートやケネディー記念公園とはコリブ川を挟んで反対の西側にある。
川に架かる橋の欄干の色もデザインもおしゃれだ。橋を渡った角にある"Monrose Tavern"もレストラン&バーとしてリストに入っている。
ここを過ぎると少し閑散としてきたが、心配したほど治安は悪くないようだ。クレイン・バーがライトに浮かんで見えてきた。
クレーン・バー Crane Bar
クレーン・バーは繁華街とは少し離れているが、アイリッシュ音楽のバーとしては通好みのお店のようだ。
多くのミュージシャンが集いセッションをしているという。日本人のアマチュア・ギターリストがここでセッションをしたことをブログに書いていた。
1階のドアーを開けて入るとさほど混んでもいないし、音楽もない。近くにいた人に「音楽を聴きに来た」と伝えると、「音楽は2階だ」と案内してくれる。
階段を上がり「ここだよ。そこで飲み物を買って、空いているところに掛けなさい」と下りていく。お客さんだったようだが親切なことだ。
2階は中央のミュージシャンの席を囲んで椅子が70席ほど並んでいる。ほとんど満席だ。幸い2席が空いていた。
妻を先に座らせ、私はカウンターでギネスを求める。ミュージシャンは8人もいる。楽器も”バウロン”、”アコーディオン”、”バンジョー”、”フィドル”、
”ギター”など色々だ。客もおしゃべりは少なく、飲み物を傾けながら静かに音楽を聴いている。昨夜のティ・コーリィとは雰囲気が違う。1時間ほど堪能し帰路に就く。
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