第12日 8月11日(日) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 College Crest Guest House --- Ballyvaughan(Crafts Market) ---
Burren(Poulnabrone Dolman, Leamaneh Castle, Kilfenora Cathedral, Ennistimon Cascades) ---
Cliffs of Moher --- Burren(Doolin, Lisdoonvarna, Corkscrew Hill, Corcomroe Abbey) ---
Kilmacduagh Monastery --- Dunguaire Castle --- Galway --- College Crest Guest House
今日の走行距離 210 km
今日の万歩計 24,900 歩
出発時の外気温 18 ℃
カレッジ・クレスト・ゲストハウス College Crest Guest House
今朝はフレッシュ・フルーツが出ていた。オレンジとプラムを取る。ホット・ミールは予定通り「フル・アイリッシュ エクセプト
ブラック・プディング&ベイクドビーンズ」をオーダーする。これはもはやフル・アイリッシュではないか?
妻はスクランブルエッグとソーセージとトマトだ。ベーコンが美味しい。玉子も美味い。カリカリトーストにバターがまた美味い。
近くのテーブルに日本人らしきカップルがいる。耳を澄ますと日本語で会話しているようだ。食事を終って話しかける。
岡山を昨日朝出発し、昨夜遅くゴールウェイに着いたという。新婚さんで、今日イニシュモア島(Inishmore Island)に渡り、
あす二人きりで結婚式を挙げるそうだ。結婚を祝し、末永い幸せを祈ってサヨナラする。この旅で日本人とお喋りしたのはこの時が最初で最後だ。
今日も9時すぎの出発だ。B&Bの外観は小ぢんまりしているが、奥行があり、屋根裏部屋もあるので部屋数は多いのだ。
写真の右、半円の広い窓の部屋がダイニング、2階の入口すぐ左の窓が私達の泊まった部屋だ。
バリーバガン Ballyvaughan
今日の目的地はバラン高原の小さな村や遺跡とモハーの断崖だ。ゴールウェイを出てN67を西進する。今夜のお楽しみのデューングラ城のあるキンバッラの村を通過し、
最初の村らしい村がバリーバガンだ。
この村では毎週日曜日にクラフト・フェアーが開かれている。
そこに出展されている面白いデザインの時計に惹かれてこの方面を日曜日に組んだのだ。
村に入るとすぐ左手に"Village Hall"があり、ここが会場だ(写真下左2枚)。ホールの前のパーキングは満車なので、向かいの空きスペースに車を止め降りると、
前の民家から女性が出てきた。「駐車を叱られるかな」と思ったら、「おはよう。フェアーに来てくれたの?」と歓迎の挨拶だ。彼女は出展者の一人だったのだ。
小さなヴィレッジ・ホールに十数店の出店がある。ギャラリー、アイリッシュ・ドール、アランニット、レザークラフト、キャンドル、ポタリー等々だ。
"Gemstone Jewellery"の店(写真下右から2枚目)で友人にブレスレットを3つ求める。ここでも、まとめ買いの値引き交渉だ。
"Stained Glass"の店(写真下右)でケルト紋様の窓飾りが目に留まる。現在居間の窓に飾ってあるものより気に入った。迷わず求める(写真右)。
さて、肝心の時計屋さんが見つからない。入口で会った女性(アイリッシュ・ドール屋さんだった)に「ケルティック・クロックの店は出ていないのか?」と尋ねると
「マイケルは手を痛めて今は作っていないの。でも、あなた達は時計が見たいのね。だったら電話をしてあげる」と自宅に電話をしてくれたが留守のようだ。
「この時間はカフェにいるかもしれないわね」とカフェに電話を入れてくれるがいないという。「もしかすると家族で船に乗っているのかもしれない。
夕方には戻るでしょうから、自宅に行ったらいいわ」と地図を描こうとする。「地図を描くより、自宅に案内してあげるわ。あなた運転して」と
さっさと外に出ていく。彼女を助手席に乗せて3分程で彼の家に着いた。しかし、当然留守だ。「あなた方は何時頃ここに戻れるの?」、
「午後3時頃になる」、「分かったわ。何かメモするものは持っていない?」と言うのでメモ用紙を渡すと
「『日本のお客さんがわざわざあなたの作品を見に来た。午後3時に訪ねるから待ってあげて』と書いておいたから、訪ねるといいわ」とメモ用紙をドアに挟んでくれた。
彼女をビレッジ・ホールに送り、村の散策をする。N67に沿って100mほどにギフトショップやクラフトショップ、ホテルやB&B、イン、バーやティールームなどが
10軒余り並んでいるだけだ。
T字路の小さな広場に"Burren Waterworks Fountain"がある(写真右)。村の給水設備の完成記念碑で1875年に造られたものだ。
この辺は石灰岩の地層なので普通に水路を掘ったのでは水は染み込んでしまうので鋳鉄パイプを使用したのだ。
"In the desert a fountain is springing"と誇らしげに刻まれているのが難工事を思わせる。
この村を訪れる楽しみの一つに道路標識があった。T字路の突き当たりにそれは立っていた(写真右)。14枚の案内板が取り付けられている。
常識からいえば十分多い数だが、ウェブで見た写真に比べて余りにすっきりしている。
嘗ては22枚の案内板が取り付けられていたのだ。この煩雑さで交通標識、案内標識の役に立つのだろうか?
首を傾げると同時にアイルランド人のいい加減さ(良くも悪くも)に嬉しくなってしまう。
元々はアイルランド道路局が立てた交通標識だが、地元の商業施設の人が勝手に案内標識を取り付けてしまい、足りなくなると、短いポールを1本追加して
案内板を増やして行った結果なのだ。ところが、2011年6月にアイルランド道路局は安全・効率的な通行の妨げになるとして、
商業施設の案内板を撤去してしまったのだ。(左の短いポールは道路局のものではないので商業施設の案内板が付いている)
交通局のこの行動に対して地元はもちろん大きな抗議活動が起こり、新聞紙上でも論議が起こったという。
参考ブログ
有難いご好意に報いるため午後3時に再び訪れなければならない。急ぎバレン高原のビレッジ・ホッピングをスタート。
バレン高原 巨人のテーブル(プールナブローン・ドルメン) The Burren (Poulnabrone dolmen)
バレン高原のバレンとは、ゲール語で”石の多い場所”という意味だという。
しかし、村を離れてもN67沿い豊かな緑の牧草地が広がっている。かのアイルランドを侵略し虐殺を重ねたオリバー・クロムウェルが
”バレンには、人をつるす木もなく、溺れさせる水もなく、生き埋めにする土もない”と不毛の地であると評したというが、今や豊かに拓かれている。
R480に入ってしばらく走るといよいよ石の世界になる。岩がひび割れ、割れ目から草が伸びている。
荒涼とした眺めに胸がざわざわする。
両脇を石積みされた曲がりくねった道を走ると左側によく整備されたパーキングが現れる。生憎小雨が降り始めたが、
地元の人に習って傘は差さずにヤッケのフードをかぶり巨人のテーブルまで歩く。およそ紀元前4000年から3000年前頃の墳墓の遺跡だ。
正直なところ”巨人のテーブル”は言い過ぎの感がする。しかし、美しい姿で残っている。傾き具合など良い遺跡ぶりをしていると評しておこう。
四方から写真を撮る(写真下4枚)。
クロムウェルは不毛の地と評したが、野生の動物や植物の宝庫
でもあるのだという。薄紫の可憐なカンパニュラが風に揺れて咲いていた(写真右)。バレン高原に広く分布し、
"Harebell(Campanula rotundifolia)"と呼ばれる。日本では”イトシャジン”に当たる。
バレン高原 リーマナー城 The Burren (Leamaneh Castle)
R480を南下し、R476に突き当たるT字路の右角の牧草地の中にリーマナー城の廃墟が見える(写真右)。
民有地にあるということで近くには寄れない。路上に駐車し、シャッターを2度押す。
15世紀にオブライエン家(O'Brien family)の5階建ての城館として始まり、17世紀に4階建ての邸宅を建て増したものだという。
写真の右端が城館の塔の部分で左の方が邸宅部分だ。当主は17世紀末には30kmほど南のより大きな
ドロモランド城(Dromoland Castle)に移ったため、この城は18世紀末には衰退してしまったものだ。
ドロモランド城は今も素晴らしいキャッスルホテルとして残っており、
20世紀初めにリーマナー城から移された立派な城門はドロモランド城のウォールド・ガーデンを飾っているという。
バレン高原 キルフェノーラ大聖堂 The Burren (Kilfenora Cathedral)
R476を西に進み、R481に接続する村がキルフェノーラ(Kilfenora)だ。道路脇のパーキングスペースに車を車を止める。
この大聖堂は7世紀にSt. Fachtnanによって創設された修道院が起源だ。現在残っている建物は12世紀から15世紀のものだという。
大聖堂というには小さな、むしろみすぼらしげな建物がそれらしい。
ケルト十字が林立する墓地を通って中に入る。そこは身廊の部分で改修され屋根がついており(写真下右)、今も教会として使われているようだ。
窓際に四角い石の洗礼盤が置かれている(写真下中)。1200年代のものだという。東の端に祭壇が置かれている(写真下右から2枚目)。
身廊の東側の内陣は屋根が落ちている。狭いスペースだ。12世紀の建物だ。東端のランセット窓の柱頭の彫刻が良く保存されている(写真下左)。
内陣の祭壇横のゴシック様式の司祭席も良く保存され美しい(写真下左から2枚目)。
この大聖堂では”7つの十字(Seven Crosses)”と呼ばれるハイクロスで有名なのだという。元々は墓標や教会の聖域を示す目的で建てられたものだから
野外にあったのだが、風化から守るために2005年に北翼廊にガラスの屋根を付け、そこに展示している。
最も有名だというのが"Doorty Cross"だ。その東面が写真下左だ。上部に教皇冠を被った教皇が笏杖を持って立っている。
その肩にはエンジェルが止まっている。その下に二人の聖職者が腕を組み、笏杖を持って立っている。
裏側の西面(東面の拡大写真で)は風化が激しくかすれているが、上部にキリストが手を広げて立っており、両肩と両腕の下に鳩が止まっている。
下部にはケルト文様や人や動物と思われるものが刻まれている。
北の十字(North Cross)は墓地の北西角に立っていた十字だ(写真下左から2枚目)。高さはおよそ2mある。
十字中央のイボ状の飾りは”宇宙(Cosmos)”を意味するらしい。下の2つの螺旋模様は”生死”を表しているという。
裏面(西面)にはケルト文様が刻まれていたらしいが、裏に回れない。
南の十字(South Cross)は南壁の近くに立っていものだ。現在はシャフトの下部のみが残っている。高さ4mはあったと予測されるそうだ(写真下中)。
両面とも上部に組紐文様のそうしょくがあり、最下部には北の十字と似たような螺旋模様が刻まれている。
敷地の西に立つ十字はハイクロス(High Cross)と呼ばれ、7つの中では最も高く4.5mの高さだ。堂々たる風格がある(写真下右から2枚目)。
保存状態も良く、今も一つだけ野原に立っている。(風化で傷んだものを保護するなら、状態の良いものも今から保護したら良いのにと思ってしまう)
東面の十字の中にはキリストの立像が刻まれている。その足場から下に2本のロープ状のラインが伸びている。
キリストの頭の上には動物らしきものが載っている。その他の部分は組紐文様がぎっしりと刻まれている。
裏面(西面)はかなり風化が進んでいるが、一面に組紐文様が刻まれていることは分かる。
司教の姿を刻んだ墓石の彫像(Tomb Effigy)が身廊内に寝かせてあった(写真下右)。14世紀のもので、嘗ては内陣の壁に立て掛けてあったらしい。
みすぼらしく見えた大聖堂だが、なかなかに見応えのある大聖堂だった。小さくともこの村はシティーと呼ばれていたのだという。
パーキングの脇の小屋の窓にこんなパブの広告があった。
この村はアイルランド伝統音楽の里としても知られているという。こんなパブの音楽も楽しんでみたいものだ。
バレン高原 エニスティモン The Burren (Ennistimon Cascades)
R481を南下するとエニスティモンの街に出る。意外に大きな街だ。R481の両脇は広く駐車スペースがとってあるが満車だ。
スクエアらしき場所にスペースを見つけ止める。スクエアではブラスバンドのチームが準備を始めていた。
この街の目的はカスケード(Cascad)だ。カラフルな街並み(写真下左2枚)を南に進むと右側に通路があり、その先に川(River Inagh)が見える。
行ってみると確かに水が流れ落ちるカスケードがある(写真下右から2枚目)。ここ暫く雨らしい雨がないから流量も少ないのだろう。
カスケードというより早瀬といったほうが当たっている。
スクエアに戻るとブラスバンドの演奏が始まるところだ。地元の人達に混ざって演奏を楽しむ。
バレン高原 リスカナー The Burren (Liscannor)
エニスティモンからモハーの断崖に向かうR478沿いにリスカナーの村がある。”潜水艦 の 父(Father of the Modern Submarine)”と讃えられる
ジョン P オランド(John P Holland)が生まれた村だ。ジョンは”自分の船で英国の軍艦を沈めたい”という動機で潜水艦の研究をし、アメリカに移住後、
ニューヨークで最初の潜水艦を完成させたのだ。1881年のことで、全長9.4m、排水量19トン、3人乗りの"Fenian Ram号"だ。
潜水艦に乗ったジョンの像がこの村にあると知って注意深く走っていると右側のカフェの前に見つけた。
ジョンの空を見上げる得意げな顔がとても厳しげでユーモラスだ(写真下4枚)。(実際の肖像は こちら)
ジョンの動機を思うにつけ、アイルランド人の反英感情の深さを思い知らされる。
モハーの断崖 Cliffs of Moher
モハーの断崖に遣ってきた。生憎曇り空だ。もう少し晴れた天気だと良いのだが、風が少ないだけ良しとしよう。
広大なパーキングなのに空きを見つけるのが大変なほど混雑している。7年前には工事中だった
ビジター・センターが完成している。景観を壊さないよう地下に建てられている。
しかし、大変な混み様なのでパスして断崖に向かう。断崖は全長8キロメートル、最も高い場所では230メートルに達するという絶壁が大西洋からそそり立っている。
7年前より少し波があり、白波が立っている分美しく感じる。しかし、散策路は整備され過ぎていて断崖の縁を歩くというスリル感は薄れている。
立入禁止ながら多くの人が海を覗き込んでいた大岩も今日は無人だ。
年間100万人もの観光客が訪れるという一大観光地だけに拓けすぎ、整備されすぎて面白みに欠ける。次回はパスかな・・・。
バレン高原 ドゥーリン The Burren (Doolin)
ドゥーリンという小さな村が面白いという情報だ。回り道をして立ち寄る。 R479を行くと右手にウェブで見た景色が現れる。海辺の小さな集落だ。R479を左にそれ小さな川を渡ると 狭い道路の左側に10軒余りのショップやパブやB&Bが並んでいる。その先にある路肩のパーキングはオーバーフローだ。 その先の多分駐車禁止の路肩にも車が延々並んでいる。その隙間に車を止める。大型バスも10台以上並んでいる。
ごった返す村の散策だ。まず。有名なパブガス・オ・コーナー(Gus O'Connor's)がある(写真下左)。 1832年の創業だ。ドゥーリンは”アイルランドの伝統的音楽の発祥の地”と呼ばれるという。他の2軒のパブと共に毎夜ライブセッションが開かれているらしい。バレン高原 リスドゥーンバーナ The Burren (Lisdoonvarna)
次なる街はリスドゥーンバーナだ。街の入口に
バレン・スモークハウス(Burren Smokehouse Visitors Centre)がある(写真右)。
アイルランドもイギリス同様酪農品やスモークトサーモンが美味しい。しかし、これらをお土産として日本へ持ち帰るのは難しいのだ。
チーズは何度かイギリスから持ち帰ったが、やはり温度管理が問題で美味しくいただけなかった。
そうは分かっていてもアイルランドのサーモンの美味しさは、日本に持ち帰って楽しみたい。明後日には帰国だ。淡い期待を抱きつつ店を覗いてみる。
エキシビションのコーナとレストランがあり、スモーク製品以外にもチーズ、蜂蜜などの食品や食品以外のクラフト製品が並んでいる。
しかし、何といっても魅力は大きな冷蔵ショウケースに並んだスモーク製品だ。
サーモンだけでなく鯖などもスモークされている。「持って帰りたいが、日持ちはどの位かな」などと話していると、日本語がわかった訳ではないだろうが
「冷蔵パックで4日は持ちますよ」と言う。冷蔵パックと言っても発泡スチロールなどの嵩張るものでは困る。「どんなパックか?」訊くと現物を見せてくれる。
銀色のアルミ保冷袋だった。「保冷剤を入れれば4日は大丈夫」とダメ押しされ、サーモンと鯖をそれぞれ2種類詰めてもらう。帰国後の楽しみが増えた。
N67を少し進めばリスドゥーンバーナの街のスクエアに出る。ここのパーキングに止め街を散策する。街といっても人口1000人にも満たない小さな街だ。
18世紀に冷泉が発見され鉄、硫黄、マグネシウムを豊富に含む冷泉に入浴したり飲むことが健康に良いと評判になり”スパの街”として発展したのだ。
もう一つこの街には有名なロマンチックで希望に満ちたイベントがある。
お見合いフェスティバル(Lisdoonvarna Matchmaking Festival)だ。
事の始まりは、19世紀半ばには9月になるとスパの観光客がピークになり、収穫が終わった近隣の農民が観光客の中から妻を求めてリスドゥーンバーナに群がるようになり、
男女の仲を仲介をする仲人(Matchmaker)が現れたのが始まりらしい。
お見合いフェスティバルの1ヶ月余りは街のパブやホテルでは昼から伝統音楽とダンスが始まり夜中まで続くのだという。
週末には競馬やダンスパーティなど様々なイベントが開かれ、期間中に4万人の観光客が訪れるという。
スクエアーの広場にはバウロンとフィドルの奏者とダンスを踊る男女の像が立っていて雰囲気を醸す(写真下左2枚)。
フェスティバルのメイン会場はズバリ”ザ・マッチメーカー・バー(The Matchmaker Bar)”だ(写真下左から2枚目)。
表の看板にリスドゥーンバーナの現在のマッチメーカーのウィリー ・デーリー(Willie Daly)さんの顔が出ている(拡大写真を)。
ウィリー ・デーリーさんのおじいさんもお父さんもマッチメーカーだったという。現実に毎年、多くのカップルが生まれているのだという。
フェスティバルはお相手を探している独身だけでなく、楽しい時間を過ごしたい人が集まってくるので、
9月のリスドゥーンバーナの宿泊施設は予約が難しいのだという。この街の建物もカラフルだ。
バレン高原 コークスクリュー・ヒル The Burren (Corkscrew Hill)
まもなく15時になる。時計のマイケルとの約束の時間が迫る。ブラック岬(Black Head)を回っている暇はない。最短のN67を走る。
このルートにもビューマークがついている。コークスクリュー・ヒルからの眺めだ。写真下中の左の岩山がバレン高原で最も高い"Slieve Elva"(345m)から続く丘、
右の岩山が洞窟のある"Aillwee Hill"(306m)からの丘だろう。(左右の写真はそれぞれのアップ) バレンらしい岩山の谷間には豊かな緑の大地が広がり、
その向こうにゴールウェイ湾の青い海が見える。つづら折れの道をバスが下りていく姿がお分かりいただける。つづら折れの様子は
Google地図も確認いただくと面白い。
バレン高原 クレア・ケルティック・クロックス The Burren (Clare Celtic Clocks)
バリーバガンのヴィレッジ・ホールに戻り、アイリッシュ・ドール屋さんの女性に「マイケルから電話があったか?」と訊ねると
「電話はなかったけれど、もう一度自宅を訪ねると良いわ」と言う。彼女と、一緒に親身になって心配してくれたアランニット屋さんの女性に
お土産(縮緬の飾りのついたヘアピン)をお礼としてプレゼントしてサヨウナラする。
朝方訪ねたマイケルの自宅のドアをノックすると老婦人が現れた。メモ用紙を見て、承知してくれていたようで直ぐにマイケルも出てきた。
「あなたのホームページを見て、あなたの作品を是非見たいと思った」と伝えると
「工房に案内しよう」と自宅を抜けバックヤードにある工房に案内してくれた。
壁全面に沢山の作品が掛けられている(写真下左3枚)。太さの違う銅線の曲線を巧みに生かしたデザインの枠に、様々な色のステンドグラスを組み合わせている。
銅の渋い光沢とステンドグラスの魅惑の光沢が思った通りだ。銅とステンドグラスを使った芸術は石器時代からケルトに伝わるもののだという。
我が家の洗面所の時計が不調で新しくしたいと思っているので、是非一つ求めたいのだが、どれも大きすぎる。「もう少し小さいものはないか?」と
訊ねたが「今はこれだけだ。希望があれば希望にそったものを作るよ」とのことだが、オーダーで作るほどの余裕はない。
「ホームページのカタログに載っていたもので手頃のものがあったのだが」と言うと「じゃあ、ネットで注文してくれ」と言うことになった。
帰国後、ホームページから最も小さいサイズの"Celtic Ring"という商品をオーダーした。マイケルとメールで2、3の遣り取りをして、
2週間後に時計が届いた。手作り感にあふれた作品に満足だ。”ケルトの先祖の誇りと伝統的な盾を象徴する”作品だという。
早速洗面所の壁に掛けた(写真下右)。朝に夕に時計を見る度にマイケルの穏やかな笑顔と楽しかったアイルランドの旅を思い起こしている。
バレン高原 コーコムロー修道院 The Burren (Corcomroe Abbey)
コーコムロー修道院はバレン高原の北西の端に位置する。National MonumentsであるからThe Office of Public Works(OPW)の管理だろうが、 OPWのホームページには掲載されていない。いい加減大国とは言っていられない。底力を感じる。
この修道院の創設は12世紀末とも13世紀初めとも言われる。シトー派修道会がこの不毛の地に自給自足の生活を求めリメリック王の支援で 地元の石灰石を使って修道院を建てたのだ。典型的十字形の教会だ。小さいながら南北の翼廊(袖廊)が見られる(写真下中)。 スリムな塔ものこっている(写真右)。西正面入口の上には高くて大きな2本のランセット窓が見事に保存されている。 振り返り東端(East End)は3本のランセット窓の上に1本のランセット窓が載っている(写真下左から2枚目)。 この部分は屋根も残っている。天井や司教席のデザインも素晴らしく、厳粛な空気が流れている。建物の周りの廃墟の中は墓地として使われている(写真下右2枚)。 墓石の先にはバレンの岩山が広がっている。極めて静かな雰囲気だ。その雰囲気を示す南西からの俯瞰写真を見つけた。
キルマクダック修道院 Kilmacduagh Monastery
残るスケジュールは本日のメインイベントとも言える”中世の晩餐会”だ。ダンゴーラ城で17時30分開始の席を取ってある。17時に着けば良いだろう。
その時間までには少し余裕がある。時間があったら見ておきたいものが一つある。その名も「アイルランドの“斜塔”」だ。
ただこの修道院についても情報は乏しく、確かなロケーションは分からない。おおよその位置をナビ子ちゃんに入力しスタートする。
案の定、ナビ子ちゃんに「目的地周辺に到着しました」と告げられも、周辺の見通しは良いのに斜塔の姿は見えない。
走り回るが人通りは愚か車も通らない。1軒の小さな民家を見つける。窓から人影が見える。渋る妻を急き立てノックする。
初老の男性が現れる。「キルマクダック・モナステリー?」では通じない。(多分この発音ではないのだろう)「Leaning Tower ?」で通じた。
外に出てきて懇切丁寧に説明してくれる。「ご親切ありがとう。庭のバラが綺麗ですね(写真下左)。さようなら」
キルマクダック修道院は直ぐに見つかった。大きなサイトだ。おびただしいケルト十字や墓石に囲まれて修道院の廃墟がある。
一段と目立つのは高いラウンドタワー(円塔 Round Tower)だ(写真下左から2枚目)。この修道院は7世紀の創設されたもので
現在残る建物は古くは11世紀のものだという。時間がないのでタワーのみの見学とする。ラウンドタワーは10世紀の建造といわれる。
高さ34mでアイルランドのラウンドタワー(66あるという)の中で最も高いのだ。そして入口が地上7mというのも極めて異例の高さなのだという。
何より特異なのが中心から60cmも傾いているということだ(写真上右4枚)。見る角度によっては自分の平衡感覚がおかしくなりそうでとても愉快だ。
ピサの斜塔に習って"Leaning Tower of Kilmacduagh"とも"Ireland's Pisa"とも呼ばれている。
また、高さは111フィート11インチ(111 feet and 11 inches)との情報がある。その意味するところも興味深いが情報不足だ。
タワー横のメインの建物の他にも周りに幾つもの廃墟がある。緑の牧草地の中に美しくも厳粛な佇まいを見せている。時間の余裕を持って再度訪れたい。
ダンゴーラ城(デューングラ城 ダンガイア城) 中世の晩餐会 Dunguaire Castle (Medieval Banquet)
ダンゴーラ城には余裕を持って到着した。城はキンバッラ(Kinvara村の東、ゴールウェイ湾南東の深い入り江の小さな岩の多い岬に立っている。
16世紀の城館で23mの塔がある(写真下左から2枚目)。現在は数多くの歴史的な 観光名所を管理する
Shannon Heritageの所有だ。
ここでは夏の間毎夜、中世の晩餐会を模したエンターテインメントが開かれている。とても興味深く、楽しみにしてきたイベントだ。
少し離れたパーキングで少しお洒落な洋服に着替え城に向かうと、コーチから団体客がぞろぞろ下りている。賑やかな晩餐会になりそうだ。
風が強く城の中庭で待つ間が寒いくらいだ(写真下左)。
17時15分受付が始まる。受付が済むと食前酒(Aperitif)のはちみつ酒(Mead)が中世の衣装を着た女性から手渡され(写真上右)、1階の大ホール(Great Hall)に入る。
大ホールとはいえ、50人もが入ると満員だ。小さなステージにハープが置いてあったので、その近くで甘いミードを飲んでいるとハープの演奏が始まる(写真下左)。
中世の衣装を着た男性一人と女性2人による城の歴史の説明のようなものがあるが、ちんぷんかんぷんだ。
ようやく2階の宴会ホール(Banque Hall)に案内される。一方にステージがあり、長くがっしりしたオーク材のテーブルが3列並んでいる。
ステージの反対側にステージに向かって1列の席がある。椅子も長いベンチ式で跨いで席に着く。50人が座るには狭苦しいくらいだ。
中世の晩餐会の始まりだ。
ハープの演奏があり、男性のエンターテイナーが何やらひとしきり喋った後、キングとクイーンがお客さんの中から指名される。
ステージに向かう席の真ん中に座った恰幅のある夫妻が選ばれた(写真上右から2枚目)。
男性エンターテイナーの掛け声を3度復唱して乾杯をする。笑いが起きるのに珍糞漢なのは寂しいことだ。食事が始まる。
前菜は"Irish Oak Smoked Salmon with Traditional Soda Bread"だ(写真上左から2枚目)。フォーク・スプーンがなく手で食べるとの情報もあったが、
フォークはセットされていた。アイルランドでサーモンが美味しくないわけがないが、ケッパーが酸っぱ目だ。生野菜もたっぷりで美味しい。
スープは"Traditional Leek and Potato Soup"だ(写真上右から2枚目)。スプーンはセットされていないのでボールに口をつけて飲む。こってりしたスープだ。
食事の間もステージでは女性エンターテインメントが歌ってくれるが伴奏がハープのみなのが物足りなく残念だ(写真上右)。
飲み物はワインの赤・白と水の入った陶器のジャグから陶器の足付きカップで自由にいただく(写真下左)。食器が陶器なのが中世の雰囲気だ。
この写真のジャグの隣に"Soda Bread"が見える。これも自由に食べられる。柔らかく、微かに炭酸の香りと味がする。
テーブルにはどっしりしたロウソクが立てられ雰囲気を醸す(写真下左)。この間もローカルな伝統的な民間伝承の物語(ということだ)が語られ歌われる。
ストーリーは分からなくとも美しい歌声は楽しく、食事を進ませてくれる。
メイン料理はステージにセットされたテーブルからのサービスだ(写真上左から2枚目)。中世のメイドに扮した女性が取り分けてくれたのは
"Supreme of Chicken served with a Creamy Mushroom Sauce accompanied by Fresh Seasonal Vegetables & Potatoes"だ(写真下右から2枚目)。
アイルランドの中世の貴族の人達は本当に同じようなものを食べていたのだろうか?疑問ではある。
最後の舞台もよく理解できないが、ロバの形をした椅子が小道具として何度も登場する。釣竿らしきものも小道具として使われていた(写真右、下中2枚)。
デザートに"Apple Pie with Cream, Coffee / Tea"が出て(写真上右)、ハイライトはプレゼントの抽選だ。クラダ・リング(Claddagh Ring)が1人に当たるという。
当たったのは直ぐ近くにいたアメリカ人のツアーの女性だ。クラダ・リングの謂れを知らない様子なので自分の指輪を見せながら説明してあげたが、理解したものやら。
フィナーレも出演者4人では少し淋しい(写真下右)。
ゴールウェイ Galway
中世の晩餐会はフリー・ドリンクだった。フリーと言われると呑ん兵衛には辛いところだが、程々でセーブした。
B&Bまで35分で到着すると、まだ20時過ぎで明るい。ゴールウェイ最後の夜だ。ショップ・ストリートまで歩く。
ケネディー記念公園の周りのフラワー・タワーが美しい(写真下左)。ギャラリーの看板がお洒落だ(写真右)。
ウィスキー・バーがあった。そういえば、まだアイリッシュ・ウィスキーを楽しんでいない。カウンターでお勧めのアイリッシュ・ウィスキーの
ダブルをロックで、妻はハーフパイントのギネスをいただき(写真下左から2枚目)奥に行くと、テレビでアイルランド独特のスポーツ”ハーリング”の中継をしている。
若者たちと相席で観戦する。ケルト族起源のスポーツで紀元前に始まったといわれる。ホッケーに似ているが、野球やラクロスの要素も入っている。
かなり激しいゲームだ。しばし観戦する。
さて、もう一度アイリッシュ・ミュージックを楽しんでおこうと、一昨夜のティ・コーリィに入る。今日のセッションは
バウロン、フィドル、コンサーティーナだ(写真下右から2枚目)。ギネス片手にかぶりつきで楽しむ。バウロン奏者が喫煙タイムで席を外す。
アイルランドでは公共の店は禁煙だが、入口が喫煙場所になっているから開放したドアーから煙が入ってくる。
空気が悪いので表に出ると、バウロン奏者が話しかけてきた。「アイリッシュ・ミュージックは好きか?」「イエス」、
「どこから来た?」、「ジャパン」、「ミュージシャンの○○(日本女性の名前)を知っているか?」、「ノー」、「もぐりだな(そんなニュアンス)」。
潜りも何も、その程度のものです・・・。話はそこで頓挫だ。
22時30分、明日はダブリンに移動だ。荷造りの準備もしなければならない。ぼちぼち帰るとしよう。
ショップ・ストリートでは、まだバスカーズが演奏している(写真下右)。日曜日の夜はまだまだ宵の口といったところだろう。
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