第13日 8月12日(月) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 College Crest Guest House --- Trim Castle --- Hill of Tara --- Hill of Slane ---
Ardgillan Castle --- Skerries Mills --- Holiday Inn --- Dublin Airport --- Dublin --- Holiday Inn
今日の走行距離 305 km
今日の万歩計 19,100 歩
出発時の外気温 16 ℃
カレッジ・クレスト・ゲストハウス College Crest Guest House
観光は今日が最後の日程となる。今日は一気にアイルランド島を横断し、ダブリンの北に位置するタラの丘を始めとするケルト以前からケルトにかけての
遺跡群を一巡りする。夜は空港でレンタカーをチェックインした後、ダブリンでお楽しみのショーも予定している。
朝食は、先ずオレンジジュースとヨーグルト、バナナ、プラムをいただく。昨日に続いていただいたプラムは美味しくて癖になりそうだ。妻はネクタリンではないかと言うが、
その違いは分からない。ホットミールは昨日と同じ「フル・アイリッシュ エクセプト ブラック・プディング & ベイクドビーンズ」とする。
天気は上々、雨の心配は全くなさそうだ。それにつけても、お天気に恵まれた旅だった。そのため一つ見損なったものがある。虹だ。
アイルランドでは降っても直ぐ上がり、日が射すので虹が発生しやすいのだが、今回は1度も見られなかった。
トリム城 Trim Castle
東に向けてスタート。しばらくナビ子ちゃんの指示通り走ったが、違和感を覚える。ナビ子ちゃんの地図が古いため新しくできた道を把握していないので、
道路標識とナビ子ちゃんの指示が異なるのだ。ナビ子ちゃんをオフにして、久しぶりに我が家の迷ナビのご登場だ。
M6からM4と繋いで快適な高速ドライブを楽しむ。最高時速160km(100マイル)まで出た。当初のナビ子ちゃんの到着予定時間を1時間短縮してトリム城に到着した。
南からキャッスル・ストリートに入って間もなく、右手一帯の緑のマウンドに重厚な城壁が連なり、中に荘厳なキープの姿も見えてくる。
写真を撮りたいが車を止める場所がない。通り過ぎて城の北側にパーキングを見つける。
パーキングの直ぐ脇が城への入口だった。極めて細い通路の先が城門(North-West Gatehouse)だ(写真下左)。大群が押し寄せないための工夫だろうか。
ウェブにこんな想像図を見つけた。当時はボイン川(River Boyne)の水を引いた堀があったのは頷ける。
堀を渡る橋は跳ね橋だったかもしれない。堅牢な防御態勢の城だったことが想像できる。
ここもThe Office of Public Works(OPW)の管理だ。
城門をくぐると目の前のマウンドにキープが聳えている。圧倒される荘重さだ(写真上下右から2枚目)。12世紀後半から13世紀初頭に掛けて
ヒュー ・デ ・レイシー(Hugh de Lacy)と息子のウォルター(Walter de Lacy)により30年掛けて築かれたアングロノルマン様式の城でアイルランド最大だという。
3階建で十字の形をしており、20面体の構造をしている。中に入るにはツアーガイドに参加しなければならない。例によりパス。
左(北東)を見やればボイン側の向こうに廃墟が見える(写真上左から2枚目)。イエロー・スティープルの塔(The Yellow Steeple)といわれるアウグスティヌス派の修道院の
14世紀の鐘楼(Bell Tower)の廃墟だ。右(南西)にはゴシックスタイルの美しい聖パトリック教会の尖塔が聳えている(写真上右)。
深い歴史の底にいるような気持ちになる。
時計回りに歩く。北の角に大ホール(Great Hall)の廃墟がある(写真上左)。基礎石と北東面の壁が辛うじて残っている。
大ホールには地下室が掘られていたのだ(写真上左から2枚目)。宴席のための食料やワインを貯蔵していたのだろう。
東側の城壁は全く残っていないが"South-Central Mural Tower"の残骸だけがポツリと残っている(写真2つ上左から2枚目)
広々として清々しい城域だ。南の角の城門は"Barbican Gate"だ(写真下左から2枚目)。良く保存されており構造も堅固だ(写真下右から2枚目)。
城門越しにキープとイエロー・スティープルのを撮ってみる(写真上下右)。
この航空写真が全体像を掴み易いかもしれない。中心にキープ、上が入口、下がBarbican Gate、右上が大ホールだ。
(上の想像図とは上下が逆なので要注意) Barbican Gateの下のアーチは堀が流れていた証拠だ。
タラの丘 Hill of Tara
”タラの丘” 名状しがたい懐旧というか郷愁の念に駆られる響きがある。前回訪れられなかったので今回の旅のマストの訪問先だ。
(旅のハイライトとして、敢えて旅の最後に組み込んだ)
アイルランドにおける先史時代からの142人の上王(High King 王の中の王)がタラの丘で戴冠し、タラの名において支配した聖地なのだという。
エメラルドの国と謳われるに相応しい、唯ひたすら緑の農地と牧草地の中のローカルロードを突き進むと、突如開けた空間にコーチや車が溢れ、人の渦がある。
何とかスペースを見つけ駐車、小さな森への通路を進む。森の石塀の手前に聖パトリック像が立っている。
聖パトリックはアイルランドにキリスト教を布教するに当たって最初にこのタラの丘を訪れ、上王の許可を得たといわれる。
通路の扉を通れば良いのだが、”妖精の出入り口”なるものがあるとの情報だ。そうと聞いては見逃せない。探すとすぐ先の石塀に切れ目がある。
”ここを妖精気分で、す〜っと通り抜けることが出来れば再びタラへ戻ってくることができる”というのだ。す〜っと通り抜けた(写真下左)。
この航空写真をご覧いただくとタラの丘の全体像が分かり、これからの記事がご理解いただき易いだろう。
森の中には小さな教会の建物がある(写真下左から2枚目 航空写真のA)。
現在はOPWの"Tara Heritage centre"となっている。
覗いてみるとVTRを上映している。女性スタッフが出てきて「見ますか?」と訊く。「ノー。アドミッションフィーはどこで支払うのか?」と
訊ねると「ヘリテージ・センターに入らないならフリーよ」とのことだ。森には墓石や立石が林立し、大木が聳えている(写真下中)。
神秘の気が満ち、間違いなく妖精が住んでいる。
森を抜けると見渡す限りの草野原だ。しかし、明らかに人工的なマウンドや土手のような起伏がある。
一番近くにあるマウンドが”人質の塚(Mound of the Hostages)”と呼ばれる横穴式石室だ(写真上右から2枚目 航空写真のB)。
この遺跡の一部は最近の研究で紀元前2500年前のものであることが分かったという。この旅日記の10日のブリジッツ・ガーデンの項で述べた
ケルトの祭日の"Festivals of Samhain"と"Festivals of Imbolc"の日には朝日が玄室に差し込むのだという。神秘なことだ。
その先に2つの大きなリングが接するように並んでいる。その一つが”王座(Forradh or Royal Seat)”だ(写真下左 航空写真のC)。
この丘で最も高いマウンドだ。その中心にモニュメントが2つ立っている。1798年のアイルランドの反乱(Irish Rebellion of 1798)の記念碑(写真上右)と
運命の石(Stone of Destiny or Lia Fail)と呼ばれる立石だ(写真下右)。立石は高さ1.5m程で男根を象ったものといわれる。
アイルランド全土の小王国の王たちが年に1回集まって宴会を開き、王の中の王となる上王を決める時に使用された石だ。
上王に相応しい王がこの石に触れると石はうなり声(Roar)を3回上げたという。私も触ってみたが石は沈黙のままだ。
もう一つのリングは”コーマックの居城(Teach Chormaic or Cormac's House)”だ(写真下左から2枚目 航空写真のD)。
有名な伝説的な上王コーマックに因んで名付けられている。ここは周りの土塁で高く、中が低い 構造だ。
その真ん中にこんな看板が立っている。味気ない。
”人質の塚”、”王座”、”コーマックの居城”を取り囲む大きなリングがある。”王の砦(Raith na Riogh or The Fort of the Kings or the Royal Enclosure)”だ
(写真下左 航空写真のE)。卵形で長軸(南北)が318m、短軸(東西)が264mあるという。
タラの名前の解釈の一つに”壮大な展望の場所(Place of Great Prospect)”という意味があり、王座の運命の石からはアイルランド島の国土の
4分の3が見渡せるとも半分が見渡せるともいわれる。それは大袈裟にしても32州の内13州が見渡せる、は信憑性があるかもしれない。
360度眺望を遮るものはなく見晴らしは最高だ(写真下左から2枚目他)。吹き抜ける風が冷涼で心地良い。パーキングの混雑ぶりに比べると丘は嘘のように静かだ。
”王の砦”の土手の木の2本に色々なものが吊るされている(写真下右から2枚目)。”妖精の木”と呼ばれ。身に着けていたものを吊るすと願いが叶うという。
私はリュックサックの中を探しコンパスにつけてあった紐を外して吊るす。妻はハンカチを吊るした。願いは「タラヘ」だ。
広いサイトを目標物を探しては歩き回わる。意外に起伏があり歩き難い。
その上、羊や牛の落し物に気をつけなければならない。
しっかり保護されたケルト十字(Celtic Crosse)がある(写真下右)。こちらも1798年のアイルランドの反乱の150周年記念として
1948年に立てられたという情報だ。どうやら情報が混線気味だ。
”タラの丘”は”タダの丘”と揶揄している人がいたが、どうして、期待以上に心洗われる素晴らしい場所だ。
森の下にギフトショップが2軒ある。1軒では知人2人にスカーフを。もう1軒ではThomas Josephデザインの"Silly Sheep"のプレースマットを見つけた。
大好きなおばかさんヒツジのシリーズだ(写真右)。"rush hour"と"Famiry Album"というタイトルだ。ヒツジの表情がタイトルにぴったり合っている。
スレーンの丘 Hill of Slane
今日の訪問リストには"Newgrange"や"Monasterboice"なども入っているが、その時間はなさそうだ。前回訪れているのでカットしよう。
出発直前になって仕込んだ情報で、とても興味深いものがある。それはスレーンの丘の次のような伝説だ。
”433年、聖パトリックはこの国で最初の「復活祭(イースター)」を祝うためにボイン川を上り、アイルランドの権力を象徴するタラの丘の近くにあるスレーンの丘に向かった。
そして、歴史的な事件は起こるのである。
タラには既に紀元前16世紀頃、古王国時代に上王(ハイキング)達の城や祭壇があり、王国最大の聖地だった。
やがてそこに諸王が集まり彼等が崇める神々の大祭典「タラの祭り」が催される時がきた。この祭りが行われる時には重要な掟(タブー)があった。
「王宮に灯が灯される前に、他の場所で灯を焚くことを禁じ、それを破るものは誰であれ死刑にされる」という。
しかし、パトリックは「タラの丘」の向かいにあるスレーンの丘からこのタブーに挑んだのだ。「復活祭」の聖なる灯を灯したのである。やがてその炎の灯りは「タラの丘」に届いた。
それを見た側近のドルイド達は動揺しながら王に告げた。「同夜のうちにあの灯を消さなければ、我々の灯りを凌駕して高く燃え上がり、
灯りを灯した者とその王国は人々に絶大な権力をもって、この地の全ての王国と民を永遠に治めることになるであろう」と。ドルイド達は魔術の限りを尽くして彼に立ち向かうが、
既に新たな英雄の前に謀(はかりごと)の全てはついえる。王は「死よりも信仰を受け入れる方が懸命だ」と改宗したという。”
(引用はこのサイトから) というものだ。
これを知ってはタラの丘とセットで見ておかねばならぬ。スレーンの丘の駐車場はタラの丘のそれに比べて極めて静かだ。先客は1台だけだ。
ここで今夜のショーの予約を入れる。その間に1台去り、また1台が遣ってきた。
パーキングから広い緑地を上って行く。その先に廃墟が見える。この丘は聖パトリック以前も古代の伝説的国王などの埋葬場所として神聖な場所であったし、
聖パトリック以後は修道院が建てられたが、現在残る廃墟は1512年に建てられたフランシスコ会士修道院と大学(The Franciscan Friary and College)の遺跡だ(写真下左)。
写真の左部分が修道院、右部分が大学だ。(この航空写真の右側からアプローチしている)
大学の廃墟は無味乾燥で心に響くものがない(写真下左から2枚目)。修道院は背丈より低い壁に囲われた小さなものだが、所狭しと並んだ墓石やハイクロスは
心に迫るものがある(写真下右から2枚目)。鐘塔も小さなものだが凛として立つ(写真右上)。
当然ながら、ここにも聖パトリック像が立つ。右手が欠けて痛々しい。
幾星霜の重みに耐えたケルト十字は美しい(写真右)。タラの丘は南に16km余り、あの丘あたりだろうか(写真下右)。共に静謐の気に満ちた場所だ。
アードギラン城 Ardgillan Castle
この旅最後の訪問先は、やはりガーデンにしよう。この地区で最寄りのガーデンはアードギラン城だ。
城と呼ばれているが、テイラー 家の住居として1738年に建てられたものだ。1982年にはダブリン州の所有となり、1992年から公園として一般公開されている。
公園は200エーカー(25万坪)というから東京ドーム17個分(といわれてもピンと来ないが・・・)の広さだ。
広大なパーキングに車を止める。このGoogle地図
の赤いAマークから下に伸びる白い通路の先がそのパーキングだ。その通路を進むと広大な芝生の広場の先にアイリッシュ海を背にして城郭風の建物が見えてくる(写真下左)。
右手にもアイリッシュ海が広がる素晴らしいロケーションだ。
赤いAマークの周辺は大きな樹木の日陰だが、それに合う草花が綺麗に咲いている(写真下左から2枚目)。
そこから左に折れるとイチイの木の並木道(Yew Avenue)だ。ホームページによるとこの並木道には幽霊が出るらしい。
しかし、今日の快晴ではその雰囲気はない。右手のハウスのテラスには薔薇に囲まれてティータイムを楽しんでいる人がいる(写真下右から2枚目)。
イチイの木の並木道が終わった右手がローズガーデンだ。北面に白いフレームの洒落た温室(Victorian glasshouses)があり。その南側に整形式に植え込まれている。
円形の池に噴水が上がっている。立てたポールの間をロープで繋ぎバラを這わせてある。盛りは過ぎたようだが、まだまだ見頃だ。
しかし、中にはは入れないようになっている(写真下左3枚)。
温室の北側はウォールドガーデンだ。しかし、ここは手が入っていないのか雑然と茂りすぎて期待はずれだ。その上、途中から先には進めなくなっている。
実は、上のGoogle地図のストリート・ビューで見たガーデンに感動してここを最後の訪問地としただけに残念だ。
(地図の左上のオレンジ色の人形をクリックし、動かすとガーデンの上に青いラインが出る。そこに人形をドロップするとガーデンをバーチャルにツアーできる)
ストリート・ビューの撮影は大分以前のものなのだろう。公共のガーデンのメンテナンスの継続は難しいものがあるようだ。(この点でイギリスは違うと感じる)
とはいえ、広大な敷地はどこも概ね良く整備されていて気持ちが良いが、広大過ぎて2週間の旅の疲れが溜まっている身には少々堪えなくもない。
緑の大地と樹木、青い海と空、白い雲。素晴らしい眺望だ(写真下左)。上空にはひつじ雲が現れた(写真下左から2枚目)。
”ひつじ雲が出ると翌日は雨”といわれる。空には晴れ男・女がアイルランドを離れることが分かっているようだ。2週間良いお天気をありがとう。
海の見える城というのも良いものだ。沖の離れ小島に灯台らしきものが見える(写真下右から2枚目 中央の白い島)。
"Rockabill LightHouse"だ。1855年に建てられたもので、
1989年からは自動化され無人島になっている。今はアジサシなどの海鳥の聖地となっている。
スケリーズ・ミル Skerries Mills
アードギラン城のガーデンが期待外れだった分、時間に余裕がある。この直ぐ近くに気になっていた
スケリーズ・ミルがる。寄り道する。
到着すると最後のガイドツアーがスタートする時間だったが、パスして外から眺めるだけにする。ここには2つの風車と1つの水車がある。
その歴史は16世紀に小修道院の附属施設として始まったらしい。
"The Small Windmill"は当初からのもので高さ12m、帆の直径は16mある(写真下左)。
"The Great Windmill"は焼失後、1844年に再建したもので、高さ15m、直径20mだ(写真下中3枚)。この風車の特徴は帆が5つあることだ(写真下左から2枚目)。
初めて見た。風車の後ろ側に扇型の支えのようなものが見える(写真下中)。風向きに向け帆がついた塔の屋根の部分(Cap)を回す装置で"Fantial"または
"Tail Pole"というのだそうだ。もちろん人力だ。風車と教会の尖塔、修道院の鐘塔が見える光景が美しい(写真下右から2枚目)。
1840年頃から1980年まで営業していたというパン屋の建物が展示場やカフェテラス、ショップになっている。ウインドーボックスから花が零れている。
スピード違反 Speeding
盛り沢山のアイルランド旅行も最終章だ。アイルランド料理もアイリッシュ・ミュージックも楽しんだ。ただ一つ、アイリッシュ・ダンスが欠けている。
2012年の旅が終わって、何となく13年はアイルランドにという気持ちで”トリニティ・アイリッシュ・ダンス東京公演2012”をBunkamuraオーチャードホールで鑑賞し、
大感動した。そこまでとは言わないが、パブとか街角で遭遇できるかと期待していたのだが、叶わなかった。
そんなこともあろうかと幾つかのダブリンのアイリッシュ・ダンス・ショーをリストアップしてきた。
その中から、ダブリン街歩きで場所も確認できていて、お手軽・お手頃のショーを選んで、スレーンの丘のパーキングから電話予約を入れたのだ。
ハーツが見つからない Where is Herz ?
今宵の宿は空港近くのホリデイ・イン(Holiday Inn Express Dublin Airport)だ。順調に到着し、荷物を全て部屋に運び込む。
帰国に備えて荷造りをする。機内持ち込みにするもの、スーツケースに入れるもの、スポーツバッグに入れるものと分けていく。
沢山のお土産を買ったものだが、何とか収まりそうだ。
レンタカーのチェックインに向かう。空港までは問題なかったが、空港内にレンタカーの事務所を示す案内が一つも見つからない。
一方通行が多いので、ぐるぐる回っていると自分の居場所さえ分からなくなってくる。30分はロスしただろう。 (映像はHPより))
仕方なく、タクシー乗り場で「ハーツの事務所まで先導してくれ」と頼むと「ハーツの事務所は知らない。あそこに警察官がいるから訊いたら良い」と言う。 3人で屯している警察官に訊ねると無線で遣り取りした後、丁寧に説明をしてくれるが、良く分からない。 その内、上司らしい警察官が、婦警さんに「一緒に行ってやりなさい」と指示してくれた。 「あなたの車はどこにあるの?」と着いてきて助手席に乗り込む。案内してくれた場所はチェックアウトのパーキングだった。 「しばらく待って」と行ってしまう。どうやらハーツのチェックアウト・カウンターまで行って訊いてきてくれたらしい。戻ってきて再び案内してくれた。 「ここでOKよ。カウンターは2階にあるわ」とさっさと行ってしまった。闇夜の提灯、大海の木片、干天の慈雨、地獄で仏、空港で婦警。助かった、ありがとう。 チェックアウト時にしっかり確認しておくべきだった。反省。さてさて、すっかり時間を浪費してしまった。リムジンバスでダブリンに向かうつもりだったが、 時間がない。タクシーにする。
アイリッシュ・ダンス・ショー Traditional Irish Dance Show
予約したのはアーリントン・オコンネル・ブリッジ・ホテル(Arlington Hotel)のショーだ。
19時の予約にやや遅れて到着。しかし、受付の予約表には私達の名前が無い。「ノープロブレム」と案内された席は柱の陰でステージが見にくそうだ。
「他の席はないか?」と言うと、ステージから離れた席だ。仕方がないのでそこでOKとする。既に席は7割方埋まっており食事が始まっている。
メニューが来た。"To Start"が4種、"Main Course"が5種、"Supplement Dishes"が3種(5ユーロ追加)、"Desserts"はお決まりの1種、
"Side Options"が3種類用意されている。
スターターは妻が ・ Melon Trio with Rasberry Dressing、私が ・ Terrine of Ham Hock, Piccalilli とする(写真下左から順に)。
メインは妻が ・ Baked Fillet of Salmon with Ruby Seasonal Salad and Lime Dressing。またしてもサーモンだ。どこまで好きなのだろう。
私はサプリメントから ・ 10 oz Sirloin Steak with Saute Mushrooms, Onions, Crisp Salad, Chunky Chips and Pepper Sauce を選ぶ。
飲み物は先ずはギネスから始める。続いて妻は白、私は赤ワインをグラスでいただく。情報では「不味い」とも出ていたが、そこは個人差、
私には十分美味しい。殊にアイルランドの牛肉は美味い。そしてマッシュルームの美味しいこと、持ち帰りたい。
妻のサーモンは言うまでもない。アイルランドのサーモンは最高だ。食事の途中からアイリッシュ・ミュージックの演奏が始まる。懸念した通り、ステージが遠く横位置だ。
カウンターの一部に空きがある(写真下左のカウンターの右の辺り)。ウェートレスに「あそこのカウンターに移っても良いか?」と尋ねると「OK」だ。
座っていた止まり木を運んでカウンターの客となる(写真下左から2枚目)。おすすめのアイリッシュ・ウィスキーをオーダーしたら、
即座に”ジェイムソン(Jameson)”と言って出してくれた(写真下右)。この頃には、既に満席になっている。デザートも出てきた。ケーキの3種盛りだ。
ミュージシャンは5人、左からギター、バンジョー、ボーカル、アコーディオン、バウロンだ(写真下右から2枚目)。大好きな曲"Farewell to Carlingford"が演奏される。
ダブリンとベルファストの真ん中辺りのアイリッシュ海に面した漁村の漁師の歌だ。
”海の男には潮の血が流れている。海が呼んだら海に出る。さらば、カーリングフォード。もう一度戻ってくるまでは。”といったところらしい。
(動画を " YouTube" にアップロード)
待望のアイリッシュ・ダンスが始まった。女性4人、男性2人のダンサーが入れ代わり立ち代わり踊る。時にコミカルに、時にエレガントに、時にセクシーに踊る。
女性が次々に変える衣装も美しい。(動画は こちら)
素晴らしいタップダンスも披露された。(動画は こちら)
アイリッシュ・ダンスの特徴は上半身をほとんど動かさないで下半身だけでものすごく速いステップを踏むのだが、4人セットの時には動き回ったり、
上半身を動かしたりもしている。全員モップを持って愉快に動き回るダンスもあった。30分くらいの公演だったろうか、
飲むことも写真を撮ることも忘れるくらい魅入ってしまい、時間を忘れる。
バーテンダーに「今いただいたジェイムソンは何年ものか?」訊くと「12年」と言う。「上は?」と訊くと「18年がある」と言うので、お代りはそれをいただく。
これは美味い。明日、ヒースロー空港の免税店で探さなければ。
再び、ミュージシャンの演奏が始まる。バウロンのソロの演奏も披露される。様々なテクニックがあるものだ。
(動画は こちら) 手拍子も入って盛り上がる。
大好きな曲の"Whiskey In The Jar"がなかなか演奏されない。残念に思っていたら最後になって登場した。
(動画は こちら)
”ウイスキーならあるぜ”とも
”びんにはいったウイスキー”とも訳され、とても奇想天外、愉快な歌詞なのだ。
22時過ぎ、ホテルを出ると、目の前のリフィー川の対岸にはテンプルバーの灯りが瞬いている。
後ろ髪を引かれるが、明朝は5時のモーニングコールだ。タクシーを拾いホリデイ・インに向かう。
写真満載の旅行記をご覧ください
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