第3日 6月20日(土) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Anchorlee Guest House --- Culzean Castle --- Burns Monument & Garden ---
Burnside --- Barholm Castle --- Anchorlee Guest House
今日の走行距離 338 km
今日の万歩計 15,000 歩
今日の出発時気温 14.5 ℃
アンカーリー・ゲスト・ハウス Anchorlee Guest House
アンカーリー・ゲスト・ハウスの最初の朝は小雨模様だ。
ホステスのオリーブ(Olive)は「今日の天気予報が一日中雨だ」と気の毒がる。「私たちはサンシャイン・ボーイとガールだから必ず晴れる」と応酬する。
実質この旅最初の朝食になる。占めた席は5年前と同じ窓際の明るい席だ。フルスコティッシュ・ブレックファストをオーダーしたが、
ブラック・プディングもなく、ごく普通の組み合わせだ。素材が良いのだろう。一品一品が美味しい。ベーコンの脂が旨い。塩加減もちょうど良い。
マッシュルームがジューシーだ。トマトは酸味が良い加減だ。卵も味が濃い。ソーセージだけは日本が良い。
食後はフロントガーデンを巡る。テラスに誘引したバラは五年前の印象程には開いていないが、花床の植栽が一段と進化している。
バラはまだ小さいが、ポーチドエッグをメインにセラスチウムやアルケミラモリスやセダム類が実に伸びやかに生育している。この進化に早くも触発される。
カントリーサイド Countryside
スコットランドは広いので周遊型の旅になるが、少なくとも連泊の日程を組むと訪問地への移動距離が長くなるのは避けられない。
今日の最初の訪問地・カレイン城までは約100km、1時間30分の道程だ。
雨の中A713を北上すると高度が上がり霧となる。ギャロウェー・フォレスト・パーク(Galloway Forest Park)に差し掛かった辺りで突如通行止め(Road Closed)のバリケードだ。
作業員に訊くと「12時まで工事のため閉鎖だ」と言う。アクシデント第1号だ。そういえば、どこかにそんな標識があった気もする。
昨年の旅でも通行止めに合い苦労したので、ナビ子ちゃんのマニュアルを調べたら、“迂回路”の検索が出来るのだ。
早速“迂回路”を指示すると随分引き返し、A712を経由してギャロウェー・フォレスト・パークの西側を通るA714を北上するルート指示された。
かなりのロスになるが致し方ない。引き返すとセント ジョンズ タウン・オブ ダルリー(St. John's Town of Dalry)の街中に電光掲示板の通行止め案内が確かにあった。
A712に入りギャロウェー・フォレスト・パークを進む。霧も晴れ陽が降り注ぐピーカンのお天気になってきた。やっぱりサンシャイン・ボーイなのだ。
行方の右手の丘の上にオベリスクが見えてきた。マーレイ・モニュメント(Murray's Monument)だ。実は今日のオプションに組み込んであった訪問先だ。
この地出身のエジンバラ大学の教授であったアレキサンダー・マーレイ(Alexander Murray)を記念して1835年に建てられたオベリスクだ。
アクシデントのお蔭でオプションが最初の訪問地となった。これだから旅は面白い。オベリスクの根元からの眺めが素晴らしいというが、ここは時間がない。
カレイン城 Culzean Castle
1時間以上ロスしてカレイン城に到着。
クライド湾(Firth of Clyde)の崖の上に建つ城だ(写真上左)。
その姿は王立スコットランド銀行発行の5ポンド紙幣の裏面にに使われているのだ。
程よく破壊された城門(Ruined Arch 写真2つ下左)を潜り城域に入る。陸橋の上から眺める城が美しい(写真上中、右)。
城というより荘厳な邸宅だ。
この城は1770年にデビッド・ケネディー(David Kennedy)が建築家ロバート ・アダム( Robert Adam)に“ケネディー家の地位と富”を反映した
城を設計するよう依頼したものだという。しかし、二人は城の完成を待たず1792年に亡くなってしまったのだ。
19世紀に大きな改築が行われている。
1945年ケネディー家がこの城をナショナル。トラストに寄付する際に最上階は第二次大戦中のアメリカのアイゼンハワー将軍(General Eisenhower)の功績を認め、
彼の生涯の住居として提供することを条件とし、アイゼンハワーは大統領時代の1回を含め4度ここを訪れているそうだ。
現在はホテルとして使われており、アイゼンハワーの部屋は当時のままで宿泊できるのだという。
城の東側に"Clocktower Courtyard"が建っている(写真上左)。かつての厩舎(Old Stables)だ。今はティールームになっている。
城の南に広がる芝生のテラスに古い大砲があり(写真上中)城であることを示す。テラスの南は一段低くなっている。
かつては濠であったのだろう。今は"Fountain Court"と呼ばれ素晴らしい噴水がある(写真下左から2枚目、2つ下左)。
テラスから"Fountain Court"へ下りる階段の両脇のタワーも物々しい(写真下右から2枚目)。
その西側に石造りの立派なオランジェリー(Orangery)がある(写真上右)。写真下右は"Walled Garden"の中央のサンダイアル。
城の南の森の中に"Walled Garden"がある(写真上中・右、下6枚)。実によくコントロールされたガーデンだ。ただただ見惚れるばかりだ。
カレイン城の正式名称は"Culzean Castle & Country Park"だ。カントリー・パークというだけに600エーカー(東京ドーム52個)と広大だ。
"Castle"から"Walled Garden"、"Walled Garden"から"Swan Pond"への移動は05年には徒歩だったが、今年は車を使う。
"Swan Pond"は前回のような賑わいもなく閑散としている。白鳥の姿もない。
次の訪問地に向け車を出すとパーク内の道路でホース・トレッキングに出合う(写真右)。この場合の車のマナーは静かに路肩に停め一団が通り過ぎるのを待つのだ。
すれ違う時ライダーは笑顔で右手を上げ「サンキュー」を言ってくれる。こちらも笑顔で手を振る。とても爽やかな時間だ。
カントリーサイドではこんな光景はほぼ毎日だ。流石に狩猟民族、今でも馬が生活の身近にいるのだ。豊かさを感じる。
バーンズ・モニュメント & メモリアル・ガーデン Burns Monument & Memorial Garden
バーンズ・モニュメント & メモリアル・ガーデンはアロウェイ(Alloway)にある
"Robert Burns Birthplace Museum"の附属施設で、ここもナショナル・トラストの所有だ。
ロバート・バーンズはスコットランドの国民的詩人であり、スコットランド民謡の収集、普及にも務めた。
日本でも“蛍の光(Auld Lang Syne)”や“故郷の空(Comin Thro' The Rye)”などがお馴染みだ。
バーンズはクライズデール銀行発行の5ポンド紙幣と10ポンド紙幣に
その肖像が使われているのだ。
"Robert Burns Birthplace Museum"のパーキングに駐車し博物館を素通りしてメモリアル・ガーデンに入る。
ドゥーン川(River Doon)の川岸から立ち上がる傾斜地の小さなガーデンだ。
木立の先にバーンズ・モニュメントが見え隠れしてくる。1823年に建てられたもので、三角形の台座の上に9本の支柱に支えられた丸屋根が載っている(写真下左3枚)。
高さは70フィート(21m)ある。台座の三角形はエアシャー(Ayrshire)を構成する3つの地区"Kyle"と"Carrick"と"Cunninghame"を示しているのだという。
また、9本の支柱はギリシア神話の“9人の女神(Nine Muses)”を表している。優美なモニュメントだ。
台座から入って支柱の根元まで登ることができる。素晴らしい眺望と爽やかな風が気持ち良い。
ドゥーン川に架かる15世紀の橋ブリグ・オ・ドゥーン(Brig o' Doon = Old Bridge of Doon) が見下ろせる(写真上左)。
"Brig o' Doon House Hotel"も眼下に見える(写真上中)。
ガーデンの重厚なサンダイアルは施錠されて近づけなくなっている(写真上右)。何があったことやら・・・。
ガーデンのスロープを降りて行くと"Statue House"がある。中にはバーンズの詩“タム・オ・シャンター(Tam O' Shanter)”の登場人物の
"Tam O' Shanter"と"Souter Johnnie"のの彫刻がある(写真下右)。タム(左)とスーター(右)が飲んだくれている図だ。
“タム・オ・シャンター”のあらすじは“シャンタ村の農夫であるタムが、ある嵐の夜にエアの町で酒を呑んで浮かれ騒いだ後、葦毛の愛馬マギーに跨り帰宅する途中、
廃墟であるアロウェイ教会に明かりが灯り、踊りの音楽が聞こえるのに気付く。不思議に思って覗いてみると、内部では悪魔や魔女が踊り興じていた。
その中の若い魔女ナニーが短い下着姿で踊るのに見惚れたタムが歓声をあげたため、悪魔や魔女に追われる羽目となり、間一髪マギーの俊足で助かるが、
マギーの尻尾は魔女のために抜かれていた”(ウィキペディア“タム・オ・シャンター序曲”の項より)。
因みに"Tam O' Shanter"という名のバラがある。酔っぱらいの赤い顔を連想させるバラだ。
バーンズが収集したスコットランド民謡に"A Red , Red Rose"というのがあるというからそちらが由縁かもしれない
もう一つの像は"Nance Tinnock"の名が付してある(写真上左)。作品"The Author 's earnest Cry and Prayer"に登場する酒場の女将だ。
どちらも彫刻家ジェームズ・トム(James Thom)が1832年に地元の砂岩を使い等身大に彫刻したものだという。
ガーデンを出て“タム・オ・シャンター”で愛馬マギーの尻尾が魔女ナニーに引きちぎられてしまった場所のブリグ・オ・ドゥーンを見に行く。
橋の上からの眺めも最高だ(写真下左)。右にバーンズ・モニュメント、中央に"Brig o' Doon House Hotel"、左にB7024の橋が見える。
写真下中は"Brig o' Doon House Hotel"のB7024からの正面入口だ。蔦に覆われ雰囲気のある佇まいだ。
逆にB7024の橋からブリグ・オ・ドゥーンを見に行く。緩やかな川の曲線を挟んで左側のホテルのガーデンの多彩な樹木、
右側から背後の雑木の柔らかな緑のグラデーションが心を奪う(写真上左、下左)。しばらく釘付けだ。(紙幣に描かれた橋は拡大写真からご覧あれ)
川の下流に目をやれば、もう1本の古い橋が架かっている(写真上中)。
グーグルの航空写真でご覧いただくと分かりやすい。
右下がブリグ・オ・ドゥーン、中央がB7024の橋、左上にもう1本の古い橋が見える。B7024の橋の右にホテル、その右にバーンズ・モニュメントが見える。
B7024沿いの教会(Alloway Parish Church)の前に人だかりがある(写真下左から2枚目)。正装の男女やピンクのドレスを着たブライドメイド、花嫁を見に集まった地元の人々だ。
バグパイパーが高らかにに演奏する中を暫く待ち受けると馬車に乗って花嫁さん登場だ(写真上右)。
親族らしきキルトで正装した男性、山高帽の御者、それぞれ厳かで華やかな気持ちにしてくれる(写真下右から2枚目)。
博物館に戻り、売店でアイスキャンディーを求め乾いた喉を潤し、押しているスケジュールの見直しをする(写真下右)。
カントリーサイド Countryside
20日の“ケーラヴァロック城”の項で述べた“ヒストリック・スコットランド”、“イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)”、
“ナショナルトラスト”と“ナショナルトラスト・スコットランド”と並んでイングランドでは“ナショナル・ガーデン・スキム(The National Gardens Scheme)”、
スコットランドでは“スコットランズ・ガーデンズ(Scotland ’s Gardens)”という慈善組織がある。
二つは姉妹組織でナショナル・ガーデン・スキムは1927年にスコットランズ・ガーデンズは1931年に設立している。
目的は両方とも同じでオープンガーデンで得た収益を医療関係の機関にチャリティーしているのだ。
参加しているのは大きな城やマナーハウスのガーデンから個人住宅のバックヤードまで大小様々だ。ナショナル・ガーデン・スキムでは約400軒、
スコットランズ・ガーデンズでは約200軒が登録しているという。登録には審査があり、登録されることはガーデナーの名誉なのだ。
オープン日は通常年に1日か数日のところが多い。しかし、ガーデンによっては事前予約で随時受け入れてくれるところもある。
“イエロー・ブック(The Yellow Book)”と呼ばれるガーデンのオープン日や所在地、ガーデンの説明などが記載されたガイドブックが発行されていて
これを片手にガーデン巡りがかつての夢だったが、今はホームページで検索できるようになった。
今年の旅でもホームページをチェックして何軒か訪問の予定だ。今日は4軒の個人のガーデンをリストアップしたが、昨日までに予約が取れたのは2軒だ。
アクシデントで時間をロスしたので2軒でちょうど良かった。
バーンサイド Burnside
1軒目はバーンズ・モニュメント & メモリアル・ガーデンから東に15km余りのカントリーサイドにある
バーンサイドだ。
周囲に人家はほとんど見当たらないB730を行くとホームページの"Directions"に"black/white parapeted bridge"と
説明されていた欄干の上部を白黒に塗り分けた橋に出合う。これを右折し小川に沿った道を進むと民家があった。
白壁平屋の住宅と緑の納屋がある。しかし、人気は見当たらない。1週間ほど前に電話で予約しているので留守のはずはない。
大きな声で「ハロー」と叫ぶとホストのジョージが納屋から現れた。「ワイフが応対しなかったかい?」と大きな声で奥さんを呼んだ。
奥さんもガーデンの奥の方から現れて初対面の挨拶の後、ガーデンを見せていただく。
まずは見渡す限りのロック・アルペン・ガーデンとでも言うのだろうか、岩石を積み上げた小山が島のように幾つもあり、
アルペン植物が色鮮やかに育っているのが見渡せる(写真上左)。
見たこともないアルペン植物がある。一つひとつの株の大きさが自分のアルペン植物の概念より桁外れに大きい(写真上中・右、下左・中)。
興味に惹かれてつい先に進んでしまうが妻に呼び留められては引き返すを。
ロック・アルペン・ガーデンの西外れは岩がなく樹木や潅木、宿根草などが植栽されたガーデンがある。
その半分くらいの面積はカラフルなサクラソウの花壇だ(写真下中・右)。手入れをしていた奥さんにお話を伺う。2006年にこの地に移り、
10年目のガーデンだという。その当時は岩だらけの荒地だったらしい。その岩を寄せ集め、培養土を入れロック・アルペン・ガーデンにしたのだという。
この岩のないガーデンも岩を一つひとつ取り除いて造ったものだという。陽だまりも9年目のガーデンだが、その労苦の差は比較にならない。ただ感服する。
ロック・アルペン・ガーデンの北側の一角にイチイの生垣で長方形に囲んだウォールド・ガーデンが築かれている(写真上左)。
ここの岩も取り除かれ、培養土をたっぷりと入れた花床に草本や野菜が植えられているがまだ造成して間がないようだ。
「そこの川の向こう側の約200mのウッドランド・ボーダー(Woodland Border)も見てね」と言う。
雑木に挟まれた10mから20mの幅の空間が東西に伸びている。その片隅に細流(Drumbowie Burn)が流れている(写真上右から2枚目、下左)。
バーン・ガーデンの名前の由来だ。植栽はナチュラルな雰囲気でロック・アルペン・ガーデンと大きな変化を見せる。
そんな中でヒマラヤン・ポピーだけがヒマラヤンな雰囲気だ(写真上右)。ヒマラヤン・ポピーも品種改良され様々な色が出回ってきた。
ハウスの周りにアルペン植物を植えた石性のコンテナがずらりと並んでいる(写真下中・右)。見事なものだ。ここで大きく育ててからロック・ガーデンに下ろすのだという。
その種類の多さも驚きだ。ご主人が納屋から出てきて説明してくれる。"The Scottish Rock Garden Club(SRGC)"という会に所属しており
"Seed Exchange"とか"Share Ideas & Plants"というシステムがあって種類を増やしているという。SRGCには5000種を越す種子や球根が登録されているという。
パンフレットを持ってきてくれて「日本人でも会員になれるよ」と勧誘された(写真下右)。様々なアイディアを凝らしてあるのが分かる(写真下中2枚)。
興味津々、陽だまりにもロック・ガーデンを1ヶ所つくろうかとその気になってきた。「お茶はいかが?」とのお誘いだが
「残念ながらもう1軒の予約があるので失礼する」と辞去する。
バーホルム城 Barholm Castle
時間は15時45分になる。もう1軒のバーホルム城をナビ子ちゃんに指示すると到着予定時間が5時を過ぎてしまう。
予約は「今日の午後」でお願いしてあるが、NGSの個人のガーデンは17時までのオープンが大方だ。バーホルム城に電話をして「今アロウェイの近くにいる。
これからそちらに向かうと17時過ぎになってしまうが、それでも良いか?」と問い合わせると快く「OK」が出た。
A713を南下する。朝通行止めとなっていた場所を通過し、再びA712を経由してA75に回る。ギャロウェー・フォレスト・パークには道路がないから
大きく迂回せざるを得ないのだ。山中にあるバーホルム城への取り付け道路が分かりにくく若干のロスをして17時10分に到着した。
パーキングに車を止め、外に出るが人影はない。個人の住まいとは思えない立派なお城が聳えている(写真上左2枚)。
お城のフロント・ガーデンはイチイの生垣で囲われ、入口の門扉は締まっている。声をかけるが返事がないので、恐る恐る門扉を開け中にに入る。
フロント・ガーデンはお城から海に向かってなだらかな傾斜の斜面に芝生が敷かれ、その芝を切って池と幾つかの花床があるアイランド・ガーデンだ(写真上右2枚、下3枚)。
写真上右のアーチ型のドアーの右にある小さな呼び鈴を押すとご夫妻が揃って和やかに出迎えてくれた。
この城の歴史は15世紀に遡り、マカロック 家(McCulloch family)の居城として18世紀まで使われ、その後放置され廃墟となっていたものだ。
1566年にはスコットランド宗教改革の指導者ジョン・ノックス(John Knox)が隠れ住んでいたという逸話もある城なのだ。
ご夫妻は古城に住むのが夢で廃墟となっていたこの城を1997年に購入したのだ。それを住めるように改修するにはヒストリック・スコットランドなど
様々な機関と調整が必要だったらしい。調査やアセスメントが終わり2003年に始まった改修工事は2005年に完成し、
2006年に移り住んでからガーデン造りが始まったというから庭の歴史はさっき訪れたバーンサイドと同じ10年だ。
最初にウィグタウン湾(Wigtown Bay)を見下ろすフロント・ガーデン(写真上左)の説明をしてくれる。ご夫妻がここに移り住んだ当初の雑草に覆われ荒れ果てた
ガーデンの写真を見せてくれ、開拓した苦労話を語る。一つひとつの花床やモニュメント、スカルプチャーなどへの思い入れが伝わってくる。
夜間お城を照らすライトアップの装置も見られる(写真上中)。北側の出入口の門扉がスコットランドの国花のアザミをモチーフにした素晴らしいものだ(写真上右)。
片隅の馬に乗った兵士と盾を持った兵士の像がユーモラスだ(写真下左)。お約束のサンダイアルは赤道型日時計だ(写真下中)。
周りの植え込みは夏バージョンに変えたばかりだ。
城の南側のパーキングの前にもガーデンが広がる。こちらはまだ開発中のようだ。グラスハウス(写真下左)やパーゴラとサマーハウス(写真下中)や ポンド(写真下右)などがある。芝生の生育の良さに目を見張る。
道路を挟んで東側の森の中の渓谷にもガーデンがある。"Wooded Ravine"と名づけている。案内無しでは踏み込むことを躊躇いそうな深い谷だ。
径路も草が茂り鉄棒でなぎ倒しながら進む。スケールの大きなガーデンだ。巨大な植物グンネラ(写真上中、下左)やシダ類(写真上右)などが生い茂る。
そんな中、クリンソウが鮮やかなアクセントを与える。
谷から這い上がってくると城の北側に出た。お城をバックにご夫妻と記念写真を撮る(写真下右)。
手前左のタワーが16世紀に付け加えられたという階段塔だ。このタワーの5階部分がジョン・ノックスが隠れ住んだというジョン・ノックスの部屋(John Knox's Room)だ。
キャップ ・ハウス(Cap House)とも呼ばれるらしい。
たっぷり1時間以上ご案内いただいた。そろそろお暇をと挨拶すると「お城の中を見ていきなさい」とのことだ。遠慮なく見せていただく。
アーチ型のドアを入ると正面に階段がある。右にアーチ型天井のキッチンが見える。天井は低めだ。
螺旋階段を上がると2階は"The Great Hall"だ。現在は居間として使っているようだ(写真下左)。ここでも改装前の写真を見せて説明してくれる。
天井画がご自慢のようだ。スコットランドの動物相(Eauna)と植物相(Flora)をスコットランドの女流壁画家
"Jennifer Merredew"に描かせたものだという(写真下中・右)。
ここでもお茶を勧められるが、18時を大きく回っている。辞退しお暇する。
オールド・アライアンス Auld Alliance
さて、今宵のディナーはどこにしよう。ホストに訊くのは簡単だが、街の大きさからみても適当に散策しながら気に入ったところが見つかりそうに思える。
街まで歩き散策するがそれらしき店が見つからない。音楽が聞こえる店があったので入ってみたが、ライブハウスで食事は出さないという。
そこで、5年前に食事をしたレストランに行ってみる。見つけたと思って入った店が
オールド・アライアンスだ。幸い席が取れた。
2階の店だし、雰囲気も似ていたのでてっきり5年前の店と思いたが、帰国して調べたら別の店だった
(5年前の店は同じ通りのもう少し先だった)。オーダーしたメニューはスターターに
・ St James smoke house (Annan) smoked salmon with lemon, caper & French dressed seasonal salad を1つ メインは
・ Pan-fried chicken supreme "Coq au Vin" cabernet sauvignon marinated chiken with a rich traditional coq vin jus & sauteed potatoes
・ "Porc au Cassis" grilled Galloway pork loin, blackcurrant & cider reduction, rosted apple on a bed of whole grain mustard mash とした。
スターターのスモークト・サーモンの写真がない。この日はバーンズ博物館でアイスキャンディーを食べたっきりだからお腹が空いていて撮影を忘れて
かぶりついてしまったのだ。"Annan"はカークーブリーから東に50kmのアナン川河口の町だ。鮭がたくさん遡上するのだろう。
コック・オー・ヴァン(Coq au Vin)はチキンのワイン煮だ(写真下左)。"Porc au Cassis"は地元産ポークのブラックカラント(カシス)ソースだ(写真下中)。
付け合せの野菜もポテト、ニンジン、トマト、ズッキーニ、ビーツと種類も量もたっぷりだ(写真下右)。味も満足ビーツを除いてほぼ完食。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年も妻が撮影した写真を掲載させていただく。異なった視点からの写真も面白いかも知れない。
写真は左から順に
カレイン城 エキウム(Echium) このジャンボエキウムにも各種ある この名前は?
バーンサイド アルペン植物がここまで大きく厚く茂るのに衝撃を得た
バーホルム城 再びここを訪れる時にはパーゴラはバラで覆われていることだろう
バーホルム城 廃城をここまで修復して住もうという情熱に感服する
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