第18日 7月5日(日) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Burnbank Bed & Breakfast --- House of The Binns --- Aberdour Castle ---
Beveridge Park (Boat , Crazy Golf) --- Forth Bridges Cruse (Inchcolm Abbey) --- Burnbank B & B
今日の走行距離 132 km
今日の万歩計 15,100 歩
今日の出発時気温 13.5 ℃
バーンバンクB&B Burnbank Bed & Breakfast
今朝はよく晴れた。しかし、気温は低く爽やかな朝だ。
朝食はフレッシュフルーツとヨーグルト、オレンジュジュース、ホットミールは好物4点セット。やっぱりこれが一番。
父親と中学生くらいの男の子のカップルと同席となる。どこから来たかは忘れたが、確かスコットランドも北のほうからだったと思う。
二人で1ヶ月ものオートバイの旅行だという。離婚の多いイギリスだからこんな父子カップルもあるのだ。
ホストのトレバーに昨夜のホテルのディナーに満足の意を伝え、今日もスタートだ。
ハウス・オブ・ザ・ビンズ House of The Binns
ハウス・オブ・ザ・ビンズに遣ってきた。 ナショナル・トラストのプロパティーで17世紀の領主の館(Laird's House)だ(写真下左)。館内のツアーガイドには興味はない。 “フォリー”と言われるタワーが目当てなのだ。
“フォリー(Folly)”とは“庭園内に配置される非実用的で奇想な建築物や工作物”のことを指し、
貴族や金持ちが思いつきや遊び心で造ったものでイギリスのガーデンにはよく見られるものだ。
ハウスの裏手に広がる森の散策路を抜けた丘の上に立つタワーがフォリーだ(写真右)。1826年のこと当時の領主ジェームス・ダリエル卿(Sir James Dalyell)が
友人の銀行家ホープ(Hope)と「100ポンドを最も無益に使う方法」の賭けをし、「隣の土地を覗くためのタワーを建てる」と提案した領主が賭けに勝ち、建てたものだ。
建設費用は129ポンド、領主は29ポンドだけを負担したという。当時の100ポンドといえば相当な金額だ。まさに馬鹿げたことだが、愉快でもある。
1919年にはこのタワーの屋上に発電のための風車が設置され、1935年まで使われたという。
風力発電は19世紀の末に始まったというから随分時代の先端を行っていたものだ。
風車を設置したことからタワーは無益ではなくなったため賭け金の返済を求められたとの話がある。どこまで本当の話なのか? 物語を作るのが好きな国民だ。
清々しく晴れた丘の上からフォース湾(Firth of Forth)が美しい(写真上下)。フォース湾まではわずか北に1km余りの距離なのだ。
午後のクルーズの乗り場であるフォース橋(Forth Bridge)も微かに望める(写真下左)。
カントリーサイド Countryside
ハウス・オブ・ザ・ビンズのダリエル家は1944年にハウスと家財、用地をナショナル・トラスト(National Trust for Scotland)に寄贈したが、
ここに住む権利は残しており、現在もここに住んでその維持管理に協力しているという。その広い牧草地では朝ごはんの済んだ羊たちが日陰に憩う。
次の目的地への移動中、どこの村かは忘れたが、道端の植え込みの中に古自転車をオブジェとして使っていた。素敵なアイディアだ。
美しい村を通過する時は自然にスピードが緩む。
アバドー城 Aberdour Castle
今度はエジンバラとはフォース湾を挟んで北側の
アバドー城に遣ってきた。
12世紀に歴史を遡るスコットランドで最も古い現存の城の一つだ。17世紀まで"Mortimer"、"Randolph"、"Douglas"の3氏族に受け継がれ、
増改築されてきた城だ。
城の南に出るとL字型のテラス・ガーデンが目に飛び込んでくる(写真下左)。写真左(東側)に"St Fillan's Church"が、中央奥(南側)に"Beehive shaped Dovecot"がみられる。
ダブコットの先400mにはフォース湾が見える。この“グーグルの航空写真”でその配置が良く分かる。
写真上中の手前の屋根のある部分が"East Range"と呼ばれる部分だ。1635年に建てられた最も新しい部分だ。
手前の螺旋階段がついた3階の建物は寝室で、1階の天井は絵が描かれている(写真下3枚)。
18世紀に描かれたものだというが、かなり劣化して分かりにくい。果物や植物の花や葉が描かれているようだ。
その向こうの建物が“ギャラリー”と呼ばれ、当時は46枚の絵画とハープシコード(harpsichord ピアノの元祖)や家具が展示されていたという(写真上右)。
写真上左はお城のレベルのテラスのボーダーだ。重厚な雰囲気がある。右の装飾のあるドアがウォールド・ガーデンへの入口だ。
写真上中が2段目のテラスからお城を望んでいる。16世紀に造られたスコットランドで最も古いと言われ、テラス・ガーデンは芝が敷かれただけのシンプルなものだ。
サンダイアルが1つだけアクセントになっている(写真下左)。テラス・ガーデンがイタリアから導入されたのは17世紀のことだから、
海岸に向けての斜面にオリジナルでデザインされたものだろう。L字がユニークだ。
テラス・ガーデンの南の端に“蜂の巣型鳩小屋(Beehive shaped Dovecot)”が立っている(写真左から2枚目)。
高さ9メートル、600個の巣箱があると言う。17世紀初めのものだという。(内部の様子は拡大写真からどうぞ)
1段目に戻り、上述のドアからウォールド・ガーデンへのに入る(写真上右)。1632年に造られたもので、元はローン・ボーリング場だったという。
上の航空写真で城の右側(東側)に位置する70m×50mと広大なガーデンだ。こちらも壁際にボーダー・ガーデンが走るだけのシンプルなものだ(写真下右から2枚目)。
真ん中にユニークな形のサンダイアルが立っている(写真下右 )。下部は4面にそれぞれ2つのダイアルが付いており、
頂部は地球儀型をした日時計だ。(各部のアップ写真は拡大写真からどうぞ)
既述のように12世紀から3氏族によって増改築が繰り返されてきた様子が、この"Ground-floor plan"で良く分かる。 "Tower House"と"Central Range"は廃墟と化している。写真下中が“@”のアングル、下右が“A”のアングルからの撮影だ。
カントリーサイド Countryside
アバドー城へ入るために駐車したのがアバダー駅(Aberdour Railway Station)だ。エジンバラ・ウェイヴァリー(Edinburgh Waverley)と
カーコーディー(Kirkcaldy)を結ぶ線で1時間に2本のローカル線だ。エジンバラまで20分で着くという。
駅全体が清潔で美しい。ビクトリア朝の跨線橋の色合いも清々しい。様々なコンテストで何度も受賞を重ねている駅だという。
花壇やハンギング・バスケットが花で溢れている。蒸気機関車の形をしたコンテナがナイスアイディアだ。機関車部分に植えられた白妙菊が効果抜群だ。
ベヴァリッジ・パーク(ボート、クレージー・ゴルフ) Beveridge Park (Boat , Crazy Golf)
私の旅はガーデンを求めての旅が主題だ。イギリスの公園は美しいが、公園のガーデンは私の求めるものと離れているのでいつもはパスしている。
今回は後のクルージングの時間との兼ね合いでクルージングの乗り場と余り離れていない
ベヴァリッジ・パークを訪ねた。
公園なら無料だし、時間の調節もつけやすい。
この公園はカーコーディー(Kirkcaldy)の市長だったマイケル・ベヴァリッジ(Michael Beveridge 公園名に冠されている)が1892年に市民に寄付したものだ。
広大な敷地にフットボール場 、ラグビー場、アメリカン・フットボール場、テニスコート、ローンボウーリング場、スケートボード場、
ボーティング湖、、子供用プレイエリアなどを備えた広大な公園だ。
パーキングから入口を入ると多いなバラ園があった。60m×40m程の芝生の中に通路と花床が切られ、バラのみがシンプルに植栽されている(写真上3枚)。 いかにも公園らしいデザインだ。
その先にボーティング湖があり白鳥型のボートが浮かんでいる(写真上左)。久しぶりに乗ってみる(写真上中)。
日曜日なのにさほど混んでいない。のんびり水面を滑る。色々な水鳥が浮かんでいる(写真下左・中)。親子連れのボートから餌を撒いているらしい。
水鳥がたくさん押し寄せている(写真下右)。
ボーティング湖の一角でリモコンボートを浮かべているグループがある。ご自慢のボートなのだろう、大の大人が楽しそうに色んな種類のボートを操っている。 中には煙を吐いて進むボートもある(写真上左・中)。オタッキーが微笑ましい。
芝生の中に色取り取りのメルヘンチックな障害物を置いたパットゴルフ場がある。18ホール一人2ポンドとリーズナブルだ。
初めは単純な障害物なのだが、力加減が分からず苦戦する。だんだん慣れてきてスコアーが安定したと思ったら、
今度は複雑な障害が現れなかなか通過できない。最大13打かかったホールもある。
とても楽しい。童心に返って夢中でプレーする。ここでもそんなに混み合わないのが良い。15番から17番まで3連続バーディーを奪う。終り良ければ全て良し。
プレーを終え、例のごとくアイスクリームで一休み。長閑な午後だ。
フォース・ブリッジ・クルーズ(インチコルム修道院) Forth Bridges Cruse (Inchcolm Abbey)
今日のメイン・イベントのフォース・ブリッジ・クルーズに遣ってきた。
フォース湾のクルーズとインチコルム修道院のある
インチコルム島への上陸がセットになったクルーズだ。
乗り場はフォース湾の北岸のノース・クイーンズフェリー(North Queensferry)の街のメイン・ストリートの海岸への突き当たりにあるタウン・ピア(Town Pier)だ。
このクルーズは通常はサウス・クイーンズフェリー(South Queensferry)のホウズ・ピア(Hawes Pier)から出発なのだが、タイム・テーブルにこの日はタウン・ピアだと出ている。
「なぜこの日だけ?」の疑念が有り、14時20分にタウン・ピアに到着。これなら万一ホウズ・ピアだったとしても15時までには移動できる。
メイン・ストリートにスペースを見つけ駐車。ピアにいたカップルに「フォース・ブリッジ・クルーズの乗り場はここか?」と尋ねと
「そうだ。自分たちもクルーズに参加する」とのことだ。次々に人が集まりピアは賑やかになってきた。一安心だ。
ピアはフォース・ブリッジの真下にある(写真下左)。フォース・ブリッジは電車の鉄橋で1890年に架けられたものだ。船を待つ間にも次々に電車が往来する(写真下中)。
定刻5分前にクルーザーが桟橋に着く。意外に小さな船だ(写真上右)。ルートマップを
反時計回りに回る。フォース・ブリッジの直ぐ上流にフォース・ロード・ブリッジ(Forth Road Bridge)がある(写真下中)。こちらは1964年に開通した自動車や歩行者用だ。
ロード・ブリッジの直ぐ上流で新しい橋の建設工事が進んでいる(写真下中)。ロード・ブリッジは建設当時は120年の耐久性で設計されていたが、
想定外の交通量の増加に伴い2020年には閉鎖の脅威があることがわかった。そこで2008年11月に25km上流にキンカーディン橋(Kincardine Bridge)
を開通させたのだが、更にもう1本の橋を建設しているのだ。この橋は斜張橋(Cable-stayed bridge)という工法で長さ2.7kmだ。
工事は2011年9月に始まり、2016年12月の完成を目指していたが、悪天候の影響で2017年5月完成の見込みだという。
橋の名前は2013年に公開投票でクイーンズフェリー・クロッシング(The Queensferry Crossing)と名付けられたという。
後日談となるが、ロード・ブリッジは2015年12月3日に構造上の問題で全面閉鎖となってしまったのだ。強化工事の結果、12月23日に重量積載物車両を除き開通し、
2016年2月には全面再開したとのことだ。ロード・ブリッジの損傷具合は走っていても分かるほどだった。
早くクイーンズフェリー・クロッシングが開通して交通量を分散させ、強化工事が進むことを願う。
キャビンにはミニバーもある(写真下右)。私はビール、妻はコーヒーを求めクルーズを楽しむ。
上流で折り返し、フォース・ブリッジを潜った辺りに大きな客船が停泊している。ロイヤル・プリンセス(Royal Princess)だ(写真下左・中)。 総トン数・14万トン、全長・330m、全幅・47m、高さ・66m、18階建てだ。客室・178室(定員3560人)、乗員1346人という豪華客船だ。 デッキに人影は見えない。エジンバラ市内でも訪ねているのだろう。
インチコルム島が近づいてきた。ブイの上で体を休めるアザラシに遭遇する(写真下左・中)。島の岩場には海鳥が群れている(写真下右)。
島の南側から北側に回り込み、北側の入り江から上陸する。修道院の姿は見えてきたが(写真上右)、上陸は今しばし。
北側の入り江から上陸して、まず1枚修道院を撮る(写真下左)。ヘンリー8世の宗教改革で16世紀に解散させられたが、
島にあったので石の略奪がなく保存状態がスコットランド一の修道院だ。
アレクサンドル1世(Alexander I)は1123 年にフォース湾を渡ろうとして嵐に合い、この島に 避難して命を救われた。それに感謝して修道院の建設を決意する。
しかし、アレクサンドル1世は1124年に亡くなってしまう。そこで弟のデイビッド1世(David I)が島に小修道院(Ppriory)を設立したのだ。
そして、1235年には修道院となり、13世紀には八角形の参事会会議場(Octagonal Chapter House)、14世紀には回廊(Cloister)と教会(Church)が追加されたのだ。
桟橋(東側)から修道院に向け歩くと参事会会議場とタワーが重なて見える(写真上中)。写真上右は参事会会議場、下右が西側から見たタワー。
タワーの上から桟橋方向を眺める(写真上左、下左)。写真上左の白い建物がビジター・センターだ。その裏の丘の上にも廃墟がある。 この島は2度の世界大戦時は英国軍の防御拠点が置かれていたのだ。その廃墟が無残な姿を見せる。
タワーを下り、回廊を回る(写真上中2枚、下中)。しっかり保存されている。荘厳な気が流れる。修道士たちが礼拝をし、寝食した場所だ。
そこに壁画があった(写真下左)。13世紀のフレスコ画だけに傷みも酷い。映り込みがあって見えにくいが、描かれているのは“葬列”だという。
写真上右はタワーの西側の壁。ここから西に身廊が建っていたのだ。下右は参事会会議場の天井だ、
ここは野生の海鳥の宝庫だという。その姿を求めてビジター・センターの裏手の丘に登る。カモメが自生したゲラニウムの中に潜んでいた(写真下左)。 卵を温めているのかもしれない。鴨らしき鳥も見られた。こんな看板が立っているし、 このサイトによれば2013年の5月初めには こんな姿も見られたというが、期待に反しパフィンの姿は見つけられなかった。下右は丘から見た修道院だ。
迎えの船は17時15分に来ることになっている。今日の最終便だから乗り遅れたら島で野宿だ。そんな思いがするのだろう。皆んな早めに桟橋に集まってくる。 しかし、一向に船が来ない。波止場の近くの岩礁に何やらいるようだ。白雪姫の七人の小人のフィギュアだった(写真下3枚)。釣竿を持っている者もいる(写真下右)。
ようやく船が来たのは17時35分だった(写真下左)。このクルーズは島に上陸しないお客さんは1時間30分のフォース湾のクルーズだけを楽しむ仕組みだ。 帰りも岩礁で羽を休める海鳥(写真下中)や水面に頭を出すアザラシ(写真下右)などが楽しめた。パフィンの姿を求め目を凝らしたが、結果は残念。
フォース・ブリッジを潜った辺りで別の豪華客船と擦れ違う(写真下左)。マルコ・ポーロ(marco poro)だ。こちらは総トン数・2.2万トン、全長・176m、全幅・24m、
定員876人、乗員350人とロイヤル・プリンセスに比べたら大分小振りだ。上流のどこまで行ってきたのか? フォース・ブリッジの先でロイヤル・プリンセスと
擦れ違った(写真下中)。フォース・ブリッジ2つの豪華船のショットは貴重かもしれない。その証拠にクルーザーの船長も盛んにシャッターを押していた。
18時30分、タウン・ピアに到着。クルーズを堪能し心満ちて帰路に就く。
ザ・ミュアズ・イン The Muirs Inn
今宵のディナーはザ・ミュアズ・イン。4日の内、3回目の訪問だ。ウェートレスともすっかり顔馴染みだ。本日のチョイスは、私が
・ 8oz popseye steak, home cut chips, plum tomatoes, mushrooms and onion rings
Available with whisky, peppercorn or Arran mustard sauce そして妻は
・ Butterflied Cajun chicken, sweetcorn, sweet chilli salsa, salad, sweet potato wedges とした。
"Popeseye steak"はスコットランドがオリジナルのランプ肉のステーキだ。1オンスは約28グラムだから8オンスで220グラムを超す。
それにこの付け合せのボリュームだから単品でも食べきれない。
"Cajun chicken"は"Cajun Spice Mix"というスパイスをたっぷり塗って上げたチキンだ。本体が辛いから付け合せは"sweet"のオンパレードだ。
例によりシェアーして食べるために“ツー プレート”をお願いすると“2つのブレッド”が出てきた。
馴染みのウェートレスに“2つの皿”と“2つのパン”の発音についてレッスンを受ける。"P"と"B"の唇の形の違いだ。
アットホームな雰囲気でエールビールとワインと共にキンロス最後のディナーを楽しむ。今日も満足な一日だ。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年も妻が撮影した写真を掲載させていただく。異なった視点からの写真も面白いかも知れない。
写真下左から
ベヴァリッジ・パーク ボーティング湖の白鳥型ボート 童心に返る
フォース・ブリッジ・クルーズ しばしば恐竜に例えられるフォース・ブリッジのフォルム 美しい
フォース・ブリッジ・クルーズ インチコルム修道院・タワーからの眺望 潮風が心地よい
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