第13日 6月30日(火) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Rosegrove Guest House --- Macallan Distillery --- Glenfiddich Distillery ---
Castle Fraser Garden --- Pitmedden Garden --- 5 Rubislaw Den north --- Newtonmill House
今日の走行距離 258 km
今日の万歩計 14,400 歩
今日の出発時気温 17 ℃
ローズグローブ・ゲスト・ハウス Rosegrove Guest House
一週間のハイランド滞在を終え、今日はアバディーンを経てアンガスに向かう。お天気も久々に朝から上々だ。
朝食は今朝も豊かにフル・スコティッシュだ。グレープフルーツのコンポートが美味しい。食卓のハチミツのラベルを見ると
"With Highland Single Malt Scotch Whisky"と記されている。これがお土産リストに入れていたウイスキー入りのハチミツだ。
早速味見したが、あまりウイスキーの味も香りもしない。
しかし、お土産リストではアンガス地方の名産としているから今日あたり出合ったらアルコール好きの知人へのお土産に検討しよう。
カントリーサイド Countryside
ナイトキャップ用のスコッチが底をついた。羽田で求めたバランタインとオバーンで求めたオバーンの二本を空けてしまった。
旅は非日常とはいえ、休肝日もなしでよく飲むものだ。今日は一番でマッカランの蒸留所に寄って一本求めよう。
宿泊したローズグローブからマッカラン蒸留所のあるイースター・エルチーズ(Easter Elchies)を目指すのに、普通に地図を見ればA95が一本道だ。
試しに"The AA"のルート・プランナーで検索しても第1選択はA95を選択している。
ところが我がナビ子ちゃんはそれをしないのだ。今日もナビ子ちゃんはB9102を通るルートを選んで指示してきた。
"The AA"のルート・プランナーの第2選択のルートだ。距離にして1.8km短い。しかし、所要時間は3分余分にかかると出ている。
正直なところ、味気ない主要A道路を走るより、景色の良いローカル・ロードの方がドライブとしては楽しいから、それはそれで良しとしておこう。
A95もスペイ川に沿って走るが、川岸とは一定の距離がある。しかし、このショートカットのルートは時に高い位置から見下ろしたり、
時に水際近くを走ったりとスペイ川を身近に感じられる。
写真右上はトーモア蒸留所(Tormore Distillery)のあるトーモア近くのスペイ川、写真右はクラガンモア蒸留所(Cragganmore Distillery)のある
クラガンモア付近のスペイ川だ。昨日訪れたバリンダロッホ城もすぐ近くだ。この川岸にはベンチも置かれていた。
近くに民家は見当たらない。誰のために誰が置いたのか?
B9102は最後はスペイ川を遠く離れて牧草地の中の一本道をひた走る。対向車もほとんどなく極めて快適なドライブだ。
マッカラン蒸留所 Macallan Distillery
マッカラン蒸留所はシングルモルトの売上が世界で2番目に大きな蒸留所だ。
工場の壁に取り付けられたエンブレムは大麦とスペイの流れを表しているようだ(写真右)。両脇にはスコットランドの国花のアザミが描かれている。
ビジター・センターは小さなものだ(仮の建物かも知れない)。デジスプレーも小さな棚に少しずつ商品が並べられている(写真下4枚)。
ただ、思っていたより種類が多い。どれを選んで良いか迷った末、この旅を楽しくするため大奮発して1本を求める。
ここへ向かう途中「このマッカランは少しまっからんか? とディスカウントしよう」などと冗談を言っていたのだが、
妻はスタッフのおじいさんをつかまえてこの冗談を説明している。おじいさんは真面目に「マッカランはディスカウントはしません」と答えている。
種類が多いと記したが、お値段もピンからキリまでだ。キリの方は簡単な棚に並んでいるのだが、ピンはガラス張りのショーケースに入っていて鍵も掛かっている(写真右)。
値段表を見て目が飛び出る。“1988年 £414”、“1954年 £1030”、“1949年 £1167”だ。
今は1ポンドほぼ200円、見るだけで酔いそうだ。大奮発して私が求めたのはキリの方の下から2番目のものだ。
“シングルモルトのロールスロイス”と謳われるマッカラン、カウンターの中の女性スタッフもキャビンアテンダントのように
紺の制服に身を包み、スカーフを首に巻きノーブルな雰囲気だ。
グラスやアイスペール、ヒップ・フラスコ(Hip Flask おしりのポケットに入れる携帯用ウイスキー入れ)も"Macallan"のロゴ入りでカッコ良い(写真下左)。
ロゴ入りのキャップもあった。オバーン蒸留所で求めたものよりカッコ良かった。かといって、買い直す訳にはいかない。
マッカラン蒸留所は大きな建設工事が行われている。2017年にはこんな工場が完成するらしい。
ここのトイレのハンド・ドライヤーの勢いが物凄かった。さすがダイソン、直ぐに乾いてしまう(蛇足)。
カントリーサイド Countryside
さて、今日も欲張りな予定を立ててある。しかし、今日の最後の予定は5年前にアポイントメントを取って訪れた個人のガーデンを再訪する。
この5年間クリスマス・カードだけのお付き合いだが、継続してきた。今日訪問したい旨連絡したところ、歓迎の返事をいただいてある。
その訪問に余裕を持たせるために予定のガーデン2つをスキップすることにして、ナビ子ちゃんにフラーザー城(Castle Fraser)を支持してスタートする。
気温は19度まで上昇している。
クライゲラヒー(Craigellachie)の街を走っていると妙なものが目に入った(写真右)。ウイスキーの蒸留釡ではないか。
慌ててストップして撮影する。古びた蒸留器が4機並んでいる。現役だろうか?
ジョン・デュワー&サンズ蒸留所(John Dewar & Sons Distillers)だ。壁がシャッターで開閉できるようにしてあるのだ。サービス精神旺盛な蒸留所だ。
グレンフィディック蒸留所 Glenfiddich Distillery
A941を南下しているとグレンフィディック蒸留所の案内標識が出る。
シングルモルトの売上世界一の蒸留所だ。時間の余裕ができたので「見るだけ」ということで立ち寄る。
だいぶ南下したのでスペイ川流域ではないが支流のフィディック川(River Fiddich)流域のシングルモルトもスペイサイドに分類されるのだ。
入口には水を満々と湛えたプールがある(写真右)。ウイスキーの重要な要素が水であることを表しているのだ。
ホームページには水源が"The crystal clear water of the Robbie Dhu Springs"と記されている。
グレンフィディックとはゲール語で“鹿の谷”を意味する。そこから鹿の商標が生まれたという。
入り口付近にその鹿をデザインした花壇があり、鹿の彫像がある(写真上左・中)。
広い敷地にゆったりと幾つもの建物が並んでいる。見渡すといろんな形のキルン楝があるものだ(写真下左)。
展示室の入口に大きな樽が置いてある(写真下右から2枚目)。この1樽があれば、何十年も楽しめるだろう。思わず抱きつく。
オフィスの壁もアイビーが美しく覆っている(写真上右、下右)。ショップは広大なフロアーに姉妹蒸留所のウイスキーも含め何種類ものシングルモルトが並んでいる。
約束通り「見るだけ」でも心楽しくなってくる。
フレーザー城に遣ってきた。
2010年に続いて2度目の訪問となる。ナショナル・トラストのプロパティーだ。
パーキングからウォールド・ガーデンの経路の草むらの中に奇妙なオーナメントを発見した(写真下左)。
嘗ては"Woodland Play Area"で子供の遊び道具として使われていたものらしい。
朽ちてきて草むらに放置されているのだろう。
同じ経路に美しい植え込みもある。最近はヒマラヤンポピーも青だけではなく白色や紫色も出ている(写真上中、下左)。 花はスカビオサのようで、葉っぱがサクラソウの形の名前がわからない花も爽やかだ(写真上右)。
ウォールド・ガーデンは50m×80m程の長方形で真ん中にフォーマル・ガーデンがあり、
そして生垣で区分された両サイドにキッチン・ガーデンが配されている。
キッチン・ガーデンの植栽デザインが素晴らしい。収穫量は二の次で見て楽しいデザインをしている(写真下左)。
それでいた防鳥ネットや囲いはしっかり施している。壁には果樹を這わせる計画のようだ。
つる性の野菜のための天然素材を使用した支柱も素晴らしい(写真上左から2枚目)。
生垣の前のシャクヤクの支柱も天然素材で上手に作られている(写真上右から2枚目、下中)。
フォーマル・ガーデンの壁際、生垣際はボーダー・ガーデンだ(写真2つ上右、下3枚)。その植栽はエリア毎に見事に植え分けられている。
ブルーにイエローの組み合せ(写真下左)、ダークな色合いを基調に(写真下中)、樹木と潅木を組み合わせて(写真下右)と多彩だ。
木陰にはパイプ製の白いベンチがお洒落に置かれている(写真2つ上右、上右)。
天気は上々暑いくらいだ。パーキングに車を止めた時点の気温は22.5℃を示していた。もちろん、この旅で最高の気温だ。
フォーマル・ガーデンの中央に変わった形の日時計がある(写真下左・中)。“多面体型”あるいは“書見台型”と呼ばれ17、8世紀にヨーロッパで流行った形で、 特にイギリスに多く残っているのだという。その日時計を中心に4つの綺麗に刈り込まれたヘッジ・ガーデンが取り囲む。 その周りを芝生のローン・ガーデンが広がる。芝生のエッジも気持ちよくカットされている。
壁越しにお城が見える(写真下左)。フレーザー城の歴史はジェームズ2世(James II)からトーマス ・フレーザー(Thomas Fraser)が地所を授けられた 15世紀に遡る。1575年にマイケル ・フレーザー(Michael Fraser)が大きな増築を始め、写真上中の左に見える円形タワー(マイケル・タワー)や 5階建ての城館などを加え、Z型デザイン(Z - plan design)の城として1636年に完成したものだ。 Z型デザインの城としてスコットランドを代表するものの1つに数えられるという。その後も増築が重ねられ、Z型デザインが分かりにくくなっている。 北西から撮影したこの写真が幾らかZ型デザインを示している。
このエステートは300エーカー(東京ドーム27個分)という広大なものだ。その中に2つの散策路が設けられている。
その1つの"Miss Bristow's Trail"を散策してみる(写真右)。
"Miss Bristow’s Trail"はフレーザー城の18世紀末から19世紀初めの女性城主"Elyza Fraser"の友人の"Mary Bristow"がデザインしたウッドランド・ガーデンの散策路だ。
マイケル・タワーに背を向けて南に下る(写真下左)。"Miss Bristow's Wood"には牛がのんびりと草を喰んでいたり(写真上左)、
蔓薔薇が美しく垂れていたり、心弾む。
森の中の草むらの中に泉がある(写真下右から2枚目)。三角形の石は17世紀のお城の三角屋根を再利用したものだという。
その脇の石段を登り奥に進むと井戸小屋(Well House)が現れる(写真上中)。"Moses Well"と呼ばれる井戸が収まているらしい。
壁にはめ込まれているパネルにはモーセの人生の出来事が刻まれているらしいが、これも17世紀のもので風化が激しい。
更に進むと林の中に記念碑が現れる(写真下右)。"Miss Bristow's Monument"だ。2.5kmの散策を終えて林を抜けると城の西側に出る。
芝生の広場の先に美しい城の姿が見える(写真上右)。
ピットメデン・ガーデンも5年ぶり2回目の訪問だ。
ここのパーテア(Parterre フランス語・パルテール 幾何学的にレイアウトされた装飾花壇 刺繍花壇)は驚かされたものだ。衝撃的で記憶に残るガーデンだ。
パーテアは後のお楽しみに取っておいて先に"Museum of Farming Life"を覗いてみる。19世紀の農業の器具や道具、農民の生活ぶりを人形などを使って展示してある(写真下左・中)。
5年前に比べて展示が少なくなっている気がするのは心がパーテアに飛んでいるからだろう。
ハウスの北側並びに小さなヘッジ・ガーデンがある(写真下左)。ここへ入るにはりんごの木のアーチを潜って入るのだ(写真上右)。
ヘッジの中の草花も周りの草花も健やかに旺盛に生育している。ピークはこれからだ。
このガーデンは1675年にアレキサンダー・シートン卿(Sir Alexander Seton)とマーガレット・ローダー 夫人(Dame Margaret Lauder)により造られたものだ。
ガーデンのレイアウトはこの航空写真が分かりやすい。写真の右側が北だ。
上述のヘッジ・ガーデンは右上にある。そして、ハウスの前の1段目のテラス(Upper Garden)には中央の噴水(写真下中)を挟んで左右(南北)に同じデザインのパーテアがある。
1つが右(北)の柘植のヘッジで幾何学模様を描き、中や周りに着色した砂利を敷いただけのものだ(写真下右)。
もう1つは左(南)に同じデザインのヘッジで中にラベンダーやチャイブなどのハーブを植栽したガーデンだ。
前者が16世紀に生まれたパーテアというよりノット・ガーデンだ。そして、後者がその進化形で初期のパーテアといえるだろう。
1段目のテラスと同じレベルで南の壁沿いにボーダー・ガーデンが走る。幅15m、長さ60m程のローンの両側に植え込みがされている(写真下中)。
左の壁側の植栽が凄い。最初はシンプルにルピナスのみというのも珍しい(写真下左)。途中からアーティチョーク、フェンネル、チャイブなどのハーブに変わる(写真下右)。
その丈には驚く。壁を這っているのはこちらもりんごの木だ。りんごは80種類もあるという。
いよいよ衝撃のパーテアだ。ハウス前の2段目のテラス(Lower Garden)だ。2mほど沈床させ、パーテアの幾何学模様を見易いようにしている。
パーテアは4つ、ハウスから見て左手前(北西部分)を“シートン・パーテア(Seton Parterre)”といい、
左奥(北東部分)を“テンプス・フジット・パーテア(Tempus Fugit Parterre)”と呼ぶ。ハウスから見て右手前(南西部分)を
“デイジー・パーテア(Daisy Parterre)”といい、右奥(南東部分)が“ライオン・パーテア(Lion Parterre)”と名付けられている(上の航空写真参照)。
シートン夫妻が造ったオリジナルのガーデンの資料は1807年の火事でハウスと共に消失してしまったので、
1950年代にナショナル・トラストがエジンバラのホリールード宮殿の17世紀のガーデンのデザインを参考に復元したものだ。(Upper Gardenと比べるとパーテアの進化が如実に分かる)
ハウスも1860に再建されたという。ガーデンに比較してハウスが小さいのはそのためだろう。
写真上左が北側の2つのパーテアを上の段から撮ったものだ。手前の“シートン・パーテア”はシートン夫妻を讃美しデザインされている(写真上中)。
中央に“シートン家の紋章”をデザインし、
そして、両脇に“セント・アンドリュース旗(スコットランド国旗)”と“あざみ(スコットランド国花)”をデザインしている。
オリジナルのガーデンが始まった年の“1675”の数字、そして、アレキサンダー・シートン卿(Sir Alexander Seton)のイニシアル“SAS”と
マーガレット・ローダー 夫人(Dame Margaret Lauder)のイニシアル“DML”の文字も見られる。“シートン家のモットー”の
"Sustento Sanguie Signa"と"Merces Haec Certa Laborum"の文字も見事に刈り込まれている。
奥に配されているのが“テンプス・フジット・パーテア”だ。
ラテン語で"Tempus"は時間、"Fugit"は飛ぶを意味するという。日本語で言えば“光陰矢のごとし”といったところか。
それを象徴するのが中央の多面体型サンダイアルだ。
北と南のパーテアの間に広い手入れの良いローンガーデンがあり、イチイを四角錐に刈り込んだトピアリーが整然と並んでいる(写真上右)。
そのトピアリーの真ん中に噴水がある(写真上左)。重厚で豪奢なものだ。南側にも2つのパーテアがある。
手前ハウス側が“デイジー・パーテア”だ(写真上中)。今、夏の草花に切り替えの最中だ。(花が咲いた光景は写真を拡大してご覧あれ)
そして、奥が“ライオン・パーテア”だ(写真上右)。名前の通り中央にライオンの像が鎮座している。
壮大なスケールに驚嘆するばかりだ。幾何学模様を形作るヘッジの長さは全長8kmにもなるという。何よりヘッジの高さをが高くなりすぎないよう維持するのは難しいことだ。
(高くなりすぎると中の1年草に陽が当たらなくなり成長が阻害される)
そして、このヘッジを満たす1年草は全部で4万本になるという。春バージョンと夏バージョンをそれぞれ種から育て、植え替える作業は大変な苦労なことだ。
今正にその作業が行われている。ヘッジの刈り込み(写真下左 シートン・パーテア)、芝生の手入れ(写真下中 ライオン・パーテア)、
1年草の植え込み(写真下左 デイジー・パーテア)だ。思わず「お疲れ様」と声をかける。
石の壁というものが羨ましく思う。壁を這うハニーサックルにも安定感が感じられ、より映えて見える(写真下左)。
ロワーガーデンからアッパーガーデンへの階段のステップに赤い石を上手く使ってデザインしたハート型の飾りがある(写真下中)。
重厚なガーデンの中にこんな遊び心が見つけられ愉快な気持ちになる。
アッパーガーデンの広いローンの中に幾つもの彫刻が立っている。上のウサギは5年前にもあったが、下の4つはその後置かれたものだ。
ナショナル・トラストのガーデンは伝統と歴史を守りつつ、進化しているのが良い。何度も通いたくなる所以だ。
上のウサギの彫刻は"Boxing Hares"というタイトルだ。下の4つは作風や素材から同一作家のものと思われる。端整な仕上げが好きだ。
まだまだ楽しみたいが、先のスケジュールがある。一般的にイギリスのオープン・ガーデンは17時までのところが多い。訪ねたら1時間は滞在するのがマナーだ。
そこで16時に予約をした。許されるなら、17時すぎも滞在しようという算段だ。
ショップを覗くと懸案のウイスキー入りのハチミツが並んでいる。ここで出合ったも何かの縁、でも重量が嵩むので2つにしておく。
気温が上がっているのでティールームでいただいたアイスクリームが美味しかった。
“5 ルビスロウ・デン・ノース”はドクター・トム家の住所そのものだ。ルビスロウ・デン・ノース通りは両サイド路駐OKなのだが、 空きスペースがすくない。ようやくスペースを見つけたが、ペー・アンド・ディスプレーの表示がある(5年前はなかったはずだ)。 近くに券売機"Pay here"が見つからない。通行人も少なく、やっと現れた人に訊くとかなり遠いところだ。 ようやく駐めた車で向かい、駐車券を買って戻ってきたらさっき駐めたところは埋まっていた。先に進むと、 上手いことにドクター・トム・スミス(Dr Tom Smith)家の真ん前が空いていた。
15時45分、約束より少し早いがドアーをノックする。返事がない。呼び鈴を鳴らす。返事がない。何度か押していると、
通用口の方から返事があった。そちらへ行ってみるとタオルを首にかけた作業着のトムが「一週後の約束じゃあなかったか?」という。
「いいえ、今日の約束です」、「そうか、それでは僕の間違いだろう。今、ガーデンの手入れをしていたんだ。着替えてくるから自由に見てくれ。
案内なしでも分かるだろう?」とのことだ。
通用口からガーデンに入り、懐かしいガーデンを見せていただく。5年前と変わらずよく手入れされている。
ハウスの壁を伝うバラやクレマチスは随分大きくなった(写真上左)。ハウスの前のヘッジはきっちり刈り込まれている。
ハウスの前の右肩下がりに並んだトピアリーと右肩上がりのヘッジの組み合わせも健在だ(写真上中)。
ドクター・トムはアバディーン大学の物理学の教授だった方だ。この安定感は物理の理論でも表しているのかもしれない。
ハウスの前のヘッジから先に円形のローン・ガーデンが広がり周りがボーダー・ガーデンになっている(Lown and mixed borders 写真上右、下左)。
宿根草の奥はシュラブと樹木が厚く植栽されている。この重厚感はなかなか真似できない。
そのボーダーの裏側から散策路が始まる(写真下中)。イギリスの家のバックヤードは一般に細長いが、ここはかなり奥行があり、しかもなだらかな登り傾斜だ。
しばらく進むと各種の竹を植栽したバンブー・ガーデンがある(写真下右)。私から見ると只の竹藪だが、こちらの人は竹を珍重するのだ。
そこから先はスネークするヘッジが森の中を蛇行している。随所に石のモニュメントが散りばめられている。
5年前になかった御影石にラテン語を刻んだモニュメントも幾つも加えられている(写真下左・中)。
トムに聞けば一つひとつに意味があるのだろうが、話が長くなりそうだから止めておこう。
この森の奥の方の植栽はシャクナゲが中心だ。その木漏れ日の下、大きな葉っぱの植物が見られる。写真上右はシャクナゲだろうか?
幼木にしてこの葉っぱの大きさは驚きだ。写真下左から2枚目は木ではなく草本だろう。頭頂に蕾がついている。これからどこまで伸びるのだろう?
写真下右はシダ? ヤシ? この写真に映っている御影石のラテン語は"Gloriae"と読めた。“栄光”という意味だ。
そういえば、前回案内していただいた時にトムが「ここには世界中の珍しい植物を集めている」と自慢していたものだ。
森の入口辺りはあまり高木でない樹木が植えられている。写真下左はトムご自慢の"Cloud - Pruned Trees"だ。“雲の形に刈り込んだ木”だが、
日本ではごく当たり前の刈込だ。5年前に比べ刈込が甘いか、少し形が崩れてきた。
写真下左から2枚目、ライム色のカエデと薄いピンクの大型のアスチルベの取り合わせは目に鮮やかだ。
ローン・ガーデンに戻るとトムが着替えを済ませて待っていた。「どうだ」、「相変わらず素晴らしい。哲学を感じたよ」、「まあ、座れ」、
「もう少し見てから」と散策を続ける。
ポプラの木12本で円形に形作った"Sky Telescope"と名付けたガーデンもトムの思いがこもった場所だ(写真上左、下左)。
上を見上げると望遠鏡で空を覗いている感じだ。トムに言わせると「空から気が降りてきて地上の金属製オーナメントにたまるのだ」そうだ。
チョット着いて行けないが、ガーデニングとはガーデナーの思いを如何に形にするか、如何に楽しめるかが大切だから、それで良いのだ。
草花のカラースキムもところによりカラフルに(写真上中)、ところによりシンプルに(写真下左から2枚目)、トムの意図が伝わって来る。
ローン・ガーデンに出した椅子に座って改めて再会を喜び合う。「いま手帳を見たら、来週の予定になっていた。最近間違いが多くて困ったものだ」、
「君達は僕の友人と旅先で出会ったそうだね」、「ええ、前回ここを訪ねた翌年にノース・ヨークシャーで会いました」
(その様子はこちら)、「彼らはすぐ近くに住んでいるよ」と
4年前の偶然の出会いの話で盛り上がる。
トムは現在はスコットランズ・ガーデンズ(オープン・ガーデンの組織 スコットランド版ナショナル・ガーデン・スキム)は脱退して、
旅行社の依頼などがあった場合のみゲストを入れているとのことだ。ご高齢になって手入れも大変なようだ。
5年前は猫背ではあったが、長い杖をついてしゃきっと立っておられたのに、今は杖を2本使って歩行も大変な様子だ。
今日も我々の来週の訪問に備えて手入れをしていてくれたのだろう。ありがたいことだ。
記念の写真を撮る(写真上右、下右)。背景の石の周りのデザインも5年前より少し変わっている(写真下中)。
通用口からウェイトレス姿の女性が大きなトレーにティーセットを載せて入ってきた。前回伺った時は「誰もいないからお茶は出ないよ」とのことだったが、
今日は馴染みのティールームにでもオーダーしてくれたようだ。「サーブは奥さんがやってくれるね」と確認して、ウェイトレスを帰した。
大きな紅茶のポットとケーキ・クッキーにナプキンからカトラリーまで揃っている。思いがけないおもてなしを遠慮なくご馳走になる。
お茶を頂きながら、沢山のガーデニング哲学を伺い、再訪を約束してとても満ち足りた気分で17時15分にお暇する。
カントリーサイド Countryside
今宵の宿はニュートンミル・ハウスだ。この宿を見つけたいきさつを記そう。
5年前の旅で個人のオープン・ガーデンをアレンジメントで訪れた数軒の内、3軒とはその後もクリスマスカードの交換を続けてきた。
2014年のクリスマスカードに「来年の旅はスコットランドの予定です」と記したら、3軒とも「Welcome 必ず寄るように」との返事をいただいた。
中でも明日訪問予定のカークサイド・オブ・ロッホティー(Kirkside of Lochty)のジェームス(James)とイレーネ(Irene)からは
「家に泊まりなさい」との手紙が届いた。
さて、困った。3軒とも再訪させていただくのは予定にしていたが、“泊まれ”は思いも寄らぬことだ。妻は別として、私の英会話力で泊めていただくなんて無理だ。
今日のトムのお宅に伺ったように1、2時間の間なら緊張にも耐えられるし間も保てるが、長時間の滞在にはとても耐え難い。
取り敢えず「日程が決まったらご連絡します」と返信した。
そこで、カークサイド・オブ・ロッホティーの近くに宿を取り、“カークサイドにはゆっくり滞在させていただき、宿泊は遠慮する”
ことにして宿探しをしたところこの写真に出合ってしまったのだ。この美しいガーデンは見逃せない。
これは一石二鳥(Kill two birds with one stone)・ 一挙両得・ 一粒で二度おいしいとばかりに欣喜雀躍・狂喜乱舞・有頂天外で今日と明日の宿としたのだ。
が、いざ日程が決まり、それぞれに電話でアポイントメントを取った。他の2軒は「Welcome 楽しみに待っているよ」の返事をいただいたが、
電話に出たイレーネは「どうして泊まってくれないの、ゆっくり話がしたいのに」と怒り出してしまったのだ。電話口で困り果てる妻に
「検討し直して、もう一度連絡する」と伝えさせて電話を切る。聞けば“近くに宿を取った”ことを伝える前に怒り出してしまったと言う。
それだけ私たちの訪問を楽しみにしていてくれたのだろう。ありがたいことだ。“近くに宿を取ったので、ゆっくりお話をしたい”旨を伝えてみて
それでも泊れというなら泊めていただく覚悟を決めて2日後に電話をした。今度はジェームスが電話口に出た。こちらの気持ちを伝えたら
「それで結構だ。ところで泊まりははどこか?」というので「B&Bのニュートンミル・ハウスだ」というと「知っている。良いところだ」と
了承していただけたという顛末があったのだ。
ところで、ニュートンミル・ハウスもB&Bだがディナーができるというので今夜の予約を入れてある。ローズグローブ・ゲスト・ハウスでの失敗を踏まえ、
念のためワインを調達しようと途中のストーンヘブン(Stonehaven)の街に寄り道しワインを求める。(記録とレシートは残っているが、記憶は失われている)
18時40分、今宵の宿ニュートンミル・ハウスに到着。
予想以上にエレガントなハウスでホステスのローズ(Rose)も上品な立ち居振る舞いだ。
ここの写真に一目惚れで少々予算オーバーだったが決めてしまって、ホームページもよく見ていなかったのだが、この項を書くために読んでみると、
建物は18世紀の領主の館(Laird's house)でクイーン・マザーもグラミス城を訪問の折に何度もニュートンミル・ハウスに立ち寄られたという由緒あるハウスなのだ。
クイーン・マザーの別荘であるカッスル・メイ(Castle Mey)のガーデンの植物がニュートンミル・ハウスのガーデンに贈られているという。驚いた。
優雅な部屋に通されて荷物を解き、身支度を整える。部屋の窓から一目ぼれしたあの素晴らしいガーデンが見下ろせる(写真下左・中)が、
お楽しみは明日の朝にして、今はディナーの時間だ。ダイニングルームへに降りる。
今夜のゲストは我々だけのようだ。カウンターのヒーターには既に料理の入った耐熱皿が3つ載っている(写真上右)。予約時から「ディナーは用意できない。
簡単なサパーなら」と言われていた。サパーとは“軽い夕食。夜食。特に昼に正餐をとった場合の軽い夕食”ということだ。
初めての経験だが、これがサパーというものなのだ。左の皿はフィッシュ・ケーキ(1人前取り分けた後に撮影)、中の皿は畑で採れた野菜(
ズッキーニと人参のソテー、バジル添え)、右の皿はライスだ。ライスは日本人ということで気を遣ってくれたのだろう。
別の皿に取り分けていただく(写真下左)。フィッシュ・ケーキが柔らかくてクリーミーでとても美味しい。お代わりをしていただく。
野菜も美味しくいただいたが、ライスは喜べるものではない。
ローズが何度も様子を見にやってきて、話をしていく。ホストのスティーヴン(Stephen)はエジンバラで女王陛下のセレモニーがあり、
そのために出張していて明日の夜帰ると詫びる。セレモニーとは"Ceremony of the Keys"を
指すらしいが、スティーヴンがどんな役割なのかは聞けなかった。今でもグラミス城との関係があるようだから、お招きでもあったのかもしれない。
(これらのことは帰国後調べて分かったことだ。)
デザートはピーチにアーモンドのジャムのようなものを詰め、チェリーを載せオーブンで焼いたもののようだ(写真上右)。 温かいピーチとアイスクリームが絶妙にマッチしている。トムのところで18時までティータイムを楽しんだお腹にはこれでも多いくらいだ。
「食後のコーヒーはシッティング・ルーム(Sitting Room)でどうぞ」という。私はコーヒーをパスしてアイス・キューブをいただき、
部屋から今朝求めたマッカランを取ってきてロックでいただく(写真下左)。コーヒーもサーバーにたっぷりとチョコボンボンを添えて出された(写真上左から2枚目)。
部屋は豪華な調度だ。クイーンマザーもこの部屋で寛いだのだろう。豊かな気持ちで食後のひと時を過ごす。
部屋の鍵もなかなかクラシックだ(写真上右から2枚目)。ローズが言うには「18世紀のものでかけがえのないものだから外には持ち出さないで欲しい」との代物だ。
部屋の南側の窓はダイニングからも(写真上左)シッティングからも(写真下右)2階から見えたガーデンが見られる。
シッティングの西側の窓からはローズ・ガーデンが見える(写真上右)。明朝の楽しみがまた一つ増えた。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年も妻が撮影した写真を掲載させていただく。異なった視点からの写真も面白いかも知れない。
写真下左から
カントリーサイド スペイ川 の滔々たる流れ 水が黒いのはピート層を抜けてくるからだ
フレーザー城・ガーデン 多彩なカラースキム アルケミラモリスの黄色とゲラニウムの紫色
フレーザー城・ガーデン 歴史を15世紀に遡る城だが各世紀に増改築が積み重ねられている
写真下左から
フレーザー城・ガーデン 古いガーデンには大きなモンキーパズルの木が見られる プランツ・ハンター時代のステータスなのだろう
ピットメデン・ガーデン ハウスの壁を伝うハニーサックル 2階の窓をも覆い尽くす
5 ルビスロウ・デン・ノース 親愛なるドクター・トムの丹精込めたガーデン ご高齢なのに手入れに手抜きはない
5 ルビスロウ・デン・ノース 銅葉の木が情景のアクセントとなっている
写真下左から
ピットメデン・ガーデン “シートン・パーテア” 見事な刈り込みだ ヘッジは延長8kmに及ぶ 作業の苦労が偲ばれる
5 ルビスロウ・デン・ノース 宿根草の葉色、葉形の違いの妙を楽しみたい
5 ルビスロウ・デン・ノース ホワイト基調のガーデンに咲いたピンクのジギタリスとゲラニウムはこぼれ種の一人生えかも
写真満載の旅行記をご覧ください
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