第16日 7月3日(金) 水色枠の写真はクリックすると拡大写真になります。
今日の行程 Burnbank Bed & Breakfast --- Hill Of Tarvit Mansion ---
St Andrews (Old Course , Cathedral , Shopping) --- Cambo Victorian Walled Garden ---
Kellie Castle & Garden --- Wemyss Castle Gardens --- Burnbank Bed & Breakfast
今日の走行距離 152 km
今日の万歩計 19,400 歩
今日の出発時気温 18 ℃
バーンバンクB&B Burnbank Bed & Breakfast
この旅ではエジンバラ周辺に6泊の日程を割いた。その前半がスターリング、パース・アンド・キンロス、ファイフ地区をカバーできる
キンロスのバーンバンクB&Bの4泊だ。
ダイニングは手狭ながら味は申し分はない。ベーコンもマッシュルームもトマトも目玉焼きも味が濃い。
カリカリトーストとミルクティーも含めしっかり腹ごしらえ。私たち以外には男性の一人客だけのようだ。
今夜のディナーは予約済みだが、明日土曜日の分のお勧めのレストランの予約をお願いする。
また、朝出せば夕方には仕上がるラウンドリー・サービスをしていただけるという。ありがたいことだ。早速利用する。
ヒル・オブ・タービット・マンション Hill Of Tarvit Mansion
今日の最初の訪問はヒル・オブ・タービット・マンションだ。
ナショナル・トラストのプロパティーだ。
ダンディー(Dundee)の麻布(Jute)の製造で富を得た実業家フレデリック ・バウアー ・シャープ(Frederick Bower Sharp)は
熱心なゴルファーで、セントアンドリュースのオールドコースに通うための住居として1906年に立てたのがこのハウスなのだ。
白亜のエドワード朝のハウスの南面に3段の芝生敷きのテラス・ガーデンが広がる(写真下中)。段差の斜面はボーダー・ガーデンだ(写真下右)。
ハウスからテラスへの出入り口の上にサンダイアルがある(写真下左)。2010年の旅行記の説明を再掲しよう。
“邸宅の南面に日時計があり、"Horas non numero nisi serenas"と刻まれている。 これはラテン語で、英訳すると
"I don't count the hours unless they're tranquil"とか"I count only the bright hours"と出ている。
日時計だけに”晴れている時間しか数えません”というユーモアだ。”つらいことは忘れて楽しいことだけ覚えていよう”という解釈もあるようだが、
私には上の彫刻のファミリーの平和を願う言葉のようにも感じられる。
その家族はローマ神話の花と豊穰と春の女神フローラ(Flora)とも農業の女神ケレス(Ceres)とも言われているようだ。
テラスの階段の踊り場に大きなフルーツ・ボール(Bowl of Stone Fruit)の石像が1対置かれている(写真下左から2枚目)。
こういったスカルプチャーや手摺りや欄干(写真上左)などもガーデンの必需品だと思う。
テラスの一角にサンクン・ローズ・ガーデン(Sunken Rose Garden)が築かれている(写真下左)。バラとハーブの植栽だ。
中央にサークルの花壇があり、色鮮やかな植栽だ(写真下中)。その中央にフルートを吹く牧童像がある(写真上右2枚)。
よく見ると足に蹄がある。どうやらギリシア神話の“牧羊神・パン”を表しているようだ。
サンクン(沈床)の壁をクライミングするバラも鮮やかに咲き誇っている(写真下右)。
ハウスの東側の森の中に"Edwardian laundry room"がある。ルームといっても1軒の建物だ。
色々な道具が置いてある。大きくて深い流し(Sinks)にこれまた大きな洗濯板(Washboards)が見られる(写真下左)。
大きな絞り機(Mangles)もある(写真下左から2枚目)。アイロンも各種置いてある(写真下右から2枚目)。
面白いのは乾燥棚(Drying Racks)だ(写真下右)。写真の左に1台、右に2台見られる真鍮のハンドルと木の羽目板が填った棚がそれだ。
その棚に洗濯物を吊るし、ボイラーの隣に並べ、その熱で乾燥させる仕掛けのようだ。よく考えられたものだ。
家の周りを広々と囲む芝の広場を歩く。芝生の周囲はボーダーガーデンだ(写真下左・中)。樹木、潅木、宿根草の分厚い植栽だ。
"Hilltop Walk"と名付けられたウッドランド・ガーデンへの出入り口の門柱もアイアンゲートも重厚な雰囲気だ(写真下右)。
ハウスの前に古い井戸(Old Well)がある(写真下左)。つるべのアイアン・ワークもどっしりと重厚なものだ。
ハウスの壁をつる性植物がクライミングしている。赤やピンクのバラが良い雰囲気に誘引されている(写真下右2枚)。
セント・アンドリュース(オールド・コース 大聖堂 ショッピング) St Andrews (Old Course , Cathedral , Shopping)
次はセント・アンドリュースの街にやってきた。2005年、10年に続き3度目の訪問となる。この街の歴史と品格を漂わせた雰囲気が好きだ。
最初に訪れたのは“ゴルフの聖地”と謳われるオールド・コースだ。毎年7月に開催されるジ・オープン(The Open)は155年の歴史を誇り、
メジャー大会の中で最も権威あるトーナメントなのだ。ジ・オープンはスコットランドの名だたる7つのリンクス・コースの持ち回りで開催されるが、
セント・アンドリュースでは5年に1回開催され今年で29回目となる。私たちのスコットランド訪問も5年おきだから、
今年も2週間後の開幕を控えオールド・コースの準備は着々と進んでいる。観戦スタンドも(写真下左)18番ホールの看板(写真下右)も整っている。
今年もスィルカン橋(Swilcan Bridge)での記念写真は欠かせない(写真下中)。
オールド・コースから東へ1km足らずでセント・アンドリュース大聖堂だ。後のショッピングも考慮し途中のノース・ストリート(North Street)に駐車し歩く。
“セント・アンドリュース大聖堂は 12世紀から150年の歳月をかけて建てられたスコットランド最大の大聖堂の廃墟だ。この150年の間には嵐による倒壊や
イギリスとの独立戦争などによる中断もあったという。 そして、1318年7月5日にRobert the Bruce(またしても出ました)の臨席のもと献堂され、
16世紀の宗教改革までスコットランドの中世の教会の歴史を支配したという。”(2010年の旅行記より)
その荘厳な大聖堂も17世紀末までは“大聖堂の主要な役割は建築資材の多くを街に提供する採石場”となってしまい、
今では僅かな廃墟しか残っていない。
セント・アンドリュース大学のプロジェクトが研究した復元予想図を見るとその壮大さが分かる。
現在残っているのは復元予想図にマークした1から4の部分だ。“1”は西正門の南側の塔と身廊の南壁だ(写真上右)。
“2”は東端の破風(East Gable)の塔だ(写真下左)。西正門から東端までは100メートル以上という壮大なものだ。
“3”は身廊の中央付近のタワーから南に張り出す南翼の西壁部分だ(写真上中)。写真左に回廊の一部が続く。
“4”の部分は回廊の南側の棟でヒストリック・スコットランド(Historic Scotland HS)の受付と博物館(Cathedral Museum)がここにある。博物館の奥に地下室?が残っている(写真上右)。
HSの受付でセント・ルールズ・タワー(St Rule's tower)に上るためのコインを貰う。セント・ルールズ・タワー(写真上左から2枚目)は
セントアンドリュース大聖堂の前身の12世前半以前の修道院のものだ。高さは33メートル、160段の狭い螺旋階段を上ると
心地よい風と素晴らしい眺望が迎えてくれる。西の方角には市街地とその先にオールド・コースも見える(写真下左)。
反対の東にはハーバートその先に北海が広がる(写真下中)。北の方角にはセント・アンドリュース城の廃墟が見られる(写真下右)。
大聖堂の周りには数知れぬお墓が立っている。その中で目を惹いたのが"Old and Young Tom Morris"の墓だ(写真上右2枚)。
白いフレームの中のゴルファーは“ヤング・トミー”だ。トミーは上述のジ・オープンで1866年に17歳で初優勝したのを皮切りに4連勝した人物だ。
これは現在でも最年少優勝・最多連続優勝として記録に残っているのだ。
父親のトム・モリス・シニアは“近代ゴルフの父”と謳われ近代ゴルフの体系化や名門コースの設計もしたプロ・ゴルファーなのだ。
ジ・オープンでは第2回・3回大会の連続優勝に続き第5回、第8回大会と合計4回の優勝をしているのだ。
しかも、第8回大会(1867年)の46歳での優勝は現在も最年長優勝者として記録されているのだ。
父親が最年長優勝した翌年に息子が最年少優勝と親子による連続優勝をしているのだ。凄い親子がいたものだ。
将来を嘱望されたトミーだったが、結婚の翌年9月に新妻を出産の際に子宮破裂で子供とともに亡くし、失望に暮れる中クリスマスの朝に
後を追うように24歳の若さでなくなってしまったのだ。このエピソードの詳細やジ・オープンの12回の中止の内、戦争以外の唯一の原因が
“ヤング・トミー”にあったことなど面白いエピソードは
こちらをご覧あれ。
(ただし、とても長い物語です。こんなエピソードを探し当てるのも旅行記作成の楽しみなのだ。先に進まない理由がお分かりいただけるだろう)
観光客で賑わうマーケット・ストリートでショッピングをする。幾つもの店に入って品定めしたが、購入したのは2件お店で留守中の
ポストの管理をお願いしているお隣の奥さんとマイガーデンの水遣りをしてくれるシルバーさん、そして妻の分と合計3つのハンドバックだ。
マーケット・ストリートの西のハズレに"The University of St Andrews Shop"があった。スコットランド最古(イギリスでは3番目に古い)の大学で
ノーベル賞受賞者を5名も輩出している名門校だ。ウィリアム王子とその妻キャサリンさんの卒業したことでも良く知られる。
ハイソな雰囲気がする。一般客が入って良いものか? 恐る恐る尋ねてみると「ウエルカム」だ。友人にロゴマークの入ったネクタイを1本、
お孫さんにお揃いのロゴの子供服を求める。
人混みの中をショッピングすると喉が渇く。街にはアイスクリーム屋が沢山ある。美味しそうな店を選んで一休みする。
カンボ・ビクトリアン・ウォールド・ガーデン Cambo Victorian Walled Garden
セント・アンドリュースからA917を南西に10km余りで
カンボ・ビクトリアン・ウォールド・ガーデンに到着。
優先順位◎の楽しみにしてきたガーデンだ。
想像以上に広いお屋敷に想像以上に立派なお館だ(写真上左)。1668年から続くアースキン家のお館で1876年の火事の後再建された建物だという。
広すぎてガーデンの入口が分からない。元厩舎だったらしい建物がショップとティールームになっているが人影がない。
何度か声を掛けると若い女性が現れた。ウォールド・ガーデンはハウスから少し離れたところにあると言う。
料金と引換のシールを胸に貼り、森の中を歩いて到着したウォールド・ガーデンは、ほぼ100m四方はあろうかという広大なものだ。
スタイルとしてはスケールの大きなナチュラル・ガーデンだ。数少ないオーナメントがブロンズの少年像のシリーズだ(写真上中、下右、2つ下左)。
古い館の時代から野菜や果物を住人に提供してきたビクトリア朝からのウォールド・ガーデンも資金不足で衰退しかけていたが、
現在のアースキン 夫人(Lady Erskine)がこのガーデンのスノードロップ(Cambo snowdrops)を通信販売するアイディアで立て直したという。
そして、エリオット・フォーサイス(Elliott Forsyth)をヘッドガーデナーに迎えウォールド・ガーデンをデザインさせたものらしい。
"Inspirational naturalistic planting schemes"という理論らしい。ナチュラルを謳うにはカラフル過ぎて私の好みとは言えないが、
これはこれでありだろう。
ここではガーデナーの育成もしているという。ここで研修を受けている日本人女性ガーデナーに出会う。デヴォンのガーデンで研修を積み、
ここで卒業研修を受けているのだという。「卒業したら一旦日本に帰るが、日本ではやりたい仕事が見つからないだろうから、
就業ビザを取ってまたイギリスに戻ってくるだろう」とのことだ。複雑な思いだが、健闘を祈りメールアドレスを交換して別れる。
森を抜けてハウスに戻るとハウス前のクロケット・ローンと思われる芝生の上に黒い正体不明の物体が動き回っている(写真下右)。
その正体は この動画(1分27秒) でどうぞ
ケリー城 & ガーデン Kellie Castle & Garden
ケリー城はその起源を12世紀に遡るが、
現在の城は最も古い部分が14世紀のものだという。武骨なデザインの城だ(写真下左・中)。
1360年から250年間はオリファント(Oliphant)家の居城であったが、1613年にトーマス・アースキ卿(Sir Thomas Erskine)に渡った。
後にアースキン卿はジェームズ4世王(King James VI)への功績によりケリーの伯爵に指名され、歴代当主によって増築された城だ。
写真下左・中の右端の塔の下部が14世紀のものでこの辺に幽霊が出るという。
城の北側に東西100m×南北50mの壁に囲まれたガーデンがある。ここも17世紀のビクトリアン・ウォールド・ガーデンだ。 ガーデンの一角にある石のコテージはバラに覆われ良い雰囲気を醸し出す(写真上右)。中にはガーデンで育てられた有機栽培の野菜が売られている(写真下右)。 無人販売で料金は"Honesty Box"に入れる仕組みだ。
ガーデンは田の字の通路で区画されていて、十字の通路の真ん中に天球儀型の日時計が立っている(写真下左)。
長辺の通路は鮮やかなキャットミントでヘッジされた広い芝生が伸びている(写真上左)。キャットミントの中の白いバラが清楚だ(写真上中)。
南北の短辺は柘植でヘッジされた砕石の通路だ(写真下左・中)。植栽は白を基調にした爽やかなものだ。
壁際の植え込みは場所によりカラーテーマを変えている(写真下右)。バラのアーチも大型で素敵だ。流石にナショナル・トラストはセンスも管理も1枚上だ。
ウォールド・ガーデンの東側の一部は昔のままの果樹園が残されている(写真下左)。
バスケット型のコンテナも素朴な雰囲気でビクトリア朝を感じる(写真下中・右)。
ウィームス・キャッスル・ガーデンズ Wemyss Castle Gardens
ウィームス・キャッスル・ガーデンズは一般公開されていない。 5月から7月の平日のみ予約をすれば見せていただける。2010年に訪れてとても印象に残っているので今回も出発前にメールで16時に予約を入れた。 "The AA"の"Route planner"によればケリー城からウィームス・キャッスルまでは33分と出た。15時20分にケリー城を出発したから16時には間に合う予定だったが、 どこで計算が狂ったのか予定通り行かない。16時になってしまったので「若干遅れるが見せてもらえるか?」と電話を入れる。「ノープロブレム」の返事だ。
A955から>ウィームス・キャッスルへの取り付け道路に入る。両脇は広大な牧草地が広がり、所々に森が見えるが家影はない。
さんざん迷った挙句、引き返すと歩行者の老婦人を発見。訊ねると「この道で良いのよ。
海岸沿いまで真っ直ぐ降りて行くの、途中で左に曲がっちゃあダメよ」と教えてくれた。
約束に20分遅れで到着。ドアチャイムを押すも応答なし。大きな声で呼びかけても応答なしだ。さっき電話でOKを貰ったばかりなのにどうしたことかと思っていると、
キャッスルの横の階段から両手に杖の足の不自由な老人が上がってきた。予約OKのメールのプリントを見せると「そうだったか? 今車で案内するから着いて来なさい」
と車に乗り込もうとしているところへ遠くから声が掛かる。芝生の広場の先からオープンカートに乗った中年カップルが放し飼い大きな3匹の犬を従えてやってきた。
大きな犬は苦手な私に3匹の犬が擦り寄ってくる。歓迎は嬉しいが、勘弁願いたい。「遅れるというから、犬の散歩をしていたところだ。私が案内しよう」と
キャッスルの当主らしき男性が言う。夫人にアドミッションフィーを支払い、老人に礼を言い車に乗り込む。
芝生の上を200mほど走ったところにウォールド・ガーデンへの入口があった。「出入りしたら必ずゲートを閉めて、ではごゆっくり」と去っていった。
それから1時間半、この素晴らしい空間が私達の独占になったのだ。
このガーデンはこのグーグルの航空写真でお分かりのようにフォース湾の断崖・
標高15mにあるので海からの強い潮風を防ぐため高い石の塀で囲まれている。また年間雨量も僅か600mmと極端に少ない土地柄だという。
オリジナルは17世紀のウォールド・ガーデンだが、第2次世界大戦後は手を入れられないでいたという。
現当主夫人のシャーロット(Charlotte)が1994年から新たなデザインで手を入れ直したのが現在のウォールド・ガーデンだという。
シャーロットが力を入れた植栽はバラとクレマチスだが、他の多年草も充実している。植栽だけでなくファーニチャーやスカルプチャーやオーナメントの 充実具合に目を見張る。植栽の影に小さなアイテムも隠されている。コンテナの寄せ植えも沢山ある。 美しさ何度ため息をついたことか。魅力に惹かれ沢山の写真を撮ったので羅列する。ご覧あれ。
ザ・ミュアズ・イン The Muirs Inn
B&Bの戻り一休み。ホストに明日のディナーのお勧めを聞くと歩ける範囲に3つのホテルがあるという。一番のお薦めを予約してもらう。
さて、今夜のディナーも昨夜と同じザ・ミュアズ・インだ。今日のメニューはスターターに
・ Warm marinated home dried plum tomatoes, buffalo mozzarella, pesto and balsamic dressing, salad メインは
・ Pea risotto, asparagus, home dried mainated tomatoes, salad and pesto dressing と
・ Breaded or battered haddock with crushed peas, home cut chips, tartare sauce and lemon とした。
前菜の水牛のモッツァレラが濃厚だ。リゾットもジャーノ・レッジャーノの香りが濃い。二つに被った"Pesto"はジェノベーゼ(Genovese)のようだ。
バルサミコといいドライトマトといい正にイタリアンだ。
もう一つのメインはイギリスのトラディショナルな“フィッシュ・アンド・チップス”だ。新聞紙が敷かれているのも如何にもそれらしく楽しい。
ボリュームも満点、イングリッシュだ。そのくせ右奥にイタリアンパセリとレモンが添えられていてオシャレだ。
二人でシェアしていただくが完食できない。チップスとマッシュド・ピーは若干残してしまった。
F.U写真集 F.U Photo Album
今年も妻が撮影した写真を掲載させていただく。異なった視点からの写真も面白いかも知れない。
写真下左から
ヒル・オブ・タービット・マンション 20世紀初めに建てられた富裕層のカントリー・ハウスだから
ヒル・オブ・タービット・マンション デザインは19世紀の流れを汲むテラス・ガーデンだ
ヒル・オブ・タービット・マンション テラスの周囲の食彩に豊富な植物の種類が伺われる
写真下左から
セント・アンドリュース大聖堂 セント・ルールズ・タワーからの眺望 セント・サルヴァトール礼拝堂やセント・アンドリュース城が見える
ケリー城 & ガーデン 長いキャットミントのボーダーの両端はバラのアーチが架かる 開花は少し先か
ウィームス・キャッスル・ガーデンズ 潮風を避ける高い石壁 クライムするつる性植物もボーダーの植栽も重厚だ
写真満載の旅行記をご覧ください
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